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世界は運命を変えるほど俺たちを嫌う  作者: 池田ヒロ
最終章 過去から現在へ、現在から未来へ
89/96

伝言

 自分が生まれ育ってきた場所以外の土地へ初めてやって来た。現在、青の王国での公共機関はすべてストップしている状況。


 ミスミは自身のトラックの窓から顔を覗かせて高くそびえ立つ王城を見上げた。テレビの世界でしか見たことのない存在を初めて見た。一生あの集落で過ごすとばかり思っていたのに。


「…………」


 だが、このようなところで感心をしている場合ではない。あの光石像の言っていた『名なし』に会いに行かなければならないのであるが、その人物がどこにいるのか全く見当もつかなかった。だからこそ、ミスミは人の姿が見えない王都内へと入っていく。


 自分は青の王国が建国前に団結した三銃士軍団のミスミ団が団長の末裔。その功績を称えられたのも束の間。二代目国王は自分の先祖を地方へと飛ばした。ミスミ家を『分裂』させておいて。だから、王都の貴族にミスミ家がいるのはおかしくない。そして、今の世界的情勢を見て、自分がこの場にいること自体もおかしいわけではないのだ。


 ひとまず、現代の国王であるエブラハムに会わねばならない。彼はヒューイット家の末裔。メアリーよりも名なしのことについては何か存じているかもしれないから。そう考えて、トラックを町中で走らせているとき、人の悲鳴が聞こえた。そちらの方を注視して見れば、異形生命体が一組の親子を襲おうとしているではないか。


 助けなければ、そう思ってアクセルを踏もうとすると、そのバケモノに向かって爆撃が襲った。町中を巡回していた王国軍人のおかげだ。それが怯んでいる隙に――。


「私のトラックの荷台にっ!」


 ミスミのかけ声により、その親子は駆け出す。それに気付いた異形生命体は彼らを追いかけてきた。そうはさせるものか!


 バケモノに体当たりして、撥ね飛ばそう。そのようなことしか思いつかなくて、強くアクセルを踏んだ。思いっきりぶつけて撥ねるが、フロントが拉げるほどの頑丈さに圧巻される。このバケモノどもが人一人で立ち向かえるほどの敵ではないという情報は知っていたが、ここまでのものとは思わなかった。


 しかも、それの身体には傷一つもついちゃいない。地面に転がっていたバケモノの目と合った。今度の標的はお前だとでも言うように、立ち上がってくる。


――親子は……乗っている!


「しっかりと掴まっていてくださいよ!」


 もう前には進めないからバックした。壊れてひびが入っている前の窓からでもわかるように、異形生命体は追いかけてきている。はっきりと見えないのに、それが恐ろしいと感じ取れた。


――どこへ逃げたならば、いいんだ!?


 町のことを全く知らないミスミはただひたすらに逃げるだけ。右に曲がったり、大通りへと逃げたりと、今自分がどこにいるのかすらもわからない状況に――。


「ひっ!?」


 前方にそれは現れた。後ろからもまだ追いかけて来ているではないか。


――どちらに!?


 あたふたと焦りが見えているミスミに親子の母親が「運転手さん!」と声かけしてくる。


「あっちの路地に人が!」


 母親の指差す方向を見て、路地の奥の方でこっちに来るように手招きする紺色のワンピースを着た女性たちがいた。そちらへと急発進して行く。


「荷台に乗ってください!」


 助けでも求めていたのだろうか、そう思っていると――。


「私たちは違います! もしも、逃げるのであれば、王城の方にお逃げください! そちらが緊急避難所になりますので!」


「あ、あなたたちは……?」


「私たちは避難誘導を行っておりますので、ご心配なく!」


 自分たちのことはいいからここから逃げろ、と女性たちは促すと、他に逃げ遅れた人がいないかの確認のために町の中へと駆け出して行ってしまった。


 ミスミたちも追いかけてくる異形生命体から逃げながらも、王城へと目指すことにした。


     ◆


 何度か異形生命体と遭遇はしたものの、無事に避難所である城の方へとやって来れた。中で待っていた衛兵の係員に誘導されるがまま、トラックを指定された場所へと置く。


「助けていただいて、ありがとうございました」


 なんとか一息ついたところで、先ほど助けた親子にお礼を言われた。


「いえ、そんな。あなたたちが助かってよかったと思っております」


――これも、カムラ様のおかげだ。


 ミスミ自身は『隠れ』カムラ教徒であるため、カムラに対して感謝を述べるが、それは心の中だけ。自然と身についている習慣なのである。


「それじゃあ」


 親子に頭を下げると、王城内にいる衛兵や使用人たちに声をかけた。果たして、エブラハムに会えるだろうか、という緊張を持ちながら「国王様に会わせていただくことはできますか?」と不安を隠せない。


「どうしてもあることを伝えねばならない人がいるのですが、その人の居場所がわからなくて。国王様であるならば、何か存じ上げているかと思いまして――」


 ミスミがそう言うと、衛兵や使用人たちは顔を見合わせて――。


「申し訳ありません」


 頭を下げられた。


「現在、国王様は世界を見る目に行っておられるのです」


「そ、そうなんですか……」


「私どもからその伝言を向こう側に伝えることは可能ではありますが」


 そう致しますか、と訊いてくる。言うべきかと迷ったが、言うべきである。ともかく、あの伝言が名なしに伝われなければ、世界は救われない。助からないと石像は言っていたのだから。


「じ、実は、名なしという方を――」


 伝言を言おうとしたとき、「貴様、なんと言った?」と後ろの方から声がした。衛兵や使用人たちは慌てたように自分の後ろにいる誰かのもとへと駆け寄る。


「エレノア様!? ご無事でしたか!?」


 それにつられるようにして、ミスミもまたそちらの方を見た。その声の人物はどこかで見覚えのあるような、ないような雰囲気の老婆。彼女はどこか動揺を隠せない様子で自分を見ていた。


「さっき、貴様はなんと言った? 誰のことを言った?」


 もう一度、問い質してくる。


「わ、私は名なし、と言いましたが……」


 何か知っているのだろうか。ミスミがそう言うと、その老婆――エレノアは歩み寄ってきて「どこでその名を聞いた?」そう、問い詰めてくる。


「え、えっと、シルヴェスター君という貴族の子から……」


「すまないが、貴様の名前を教えてくれないか?」


「私はミスミと申します」


 自身の自己紹介をしただけで、エレノアは驚きを隠せない様子で目を見開いた。


「まさか、き、貴様が……ミスミ家の片割れ?」


 エレノアのその反応に今度はミスミが反応を見せた。彼女がそういう反応を見せるのであれば、この人物は貴族か何かだろうか、と。


「詳しく話を訊きたい。いいかね、その話を訊いても」


 名なしのことを知っているのであれば。ミスミは承諾をした。


     ◆


 エレノアの部屋に案内されたミスミは彼女がエブラハムの母親――すなわち国王の王母であることを知って、緊張を隠せなかった。いや、それ以上である。いくら自分が元王都の貴族の末裔であろうとも、王族という立場の者をこの目で初めて見るのだから。


 メアリーとは違う厳かな雰囲気を持つエレノアに委縮するばかりだ。ただでさえ、国王に話ができるかどうか不安だったのに、まさか彼女と対面して話ができるとは思わなかったから。


 エレノアはソファに座ると、早速こちらを見てきた。


「貴様がミスミということは弥終集落の……隠れカムラ教徒の者かい?」


「ええ、そうです」


「その貴様が名なしに何の用だい? 彼女は今、エブラハムと同じところにいるよ」


「実は――」


 ミスミは隠れカムラ教礼拝堂で起こった事実を事細かに説明した。信じてもらえるかわからないが、言わないと始まらないからである。だが、話を聞いたエレノアは信じてくれた。あの珍事を信じてくれるのか。


「信じてくださるのですか?」


「今更、過去の歯車の奇跡やら何やらを聞いたりして信じない方がおかしいよ」


「あっ、ありがとうございます……!」


 カムラに本来伝えるべき伝言を名なしに伝える。その話に、あごに手を当てた。


「それで、名なしに伝えなければならない伝言ってなんだい?」


「カムラ様と世界改変者が三度目の戦い……つまり、世界の果てが訪れる前に伝える戦局状況になります」


「戦局状況だと?」


「はい、我々の先祖は『世界改変者は番人を拵え、狂人を駒とするだろう』と……」


 番人のことは聞いているし、その狂人とはオリジン計画の概要で出てくるからなんとなくわかるのだが――。


『駒』。


――まるで、ボードゲームでもするみたいな伝言だね。


「それを名なしに伝えろと?」


「一番に伝えるべきことがそれなんですが、まだまだ伝えなければならないことは山ほどあるんです」


 そう言うと、ミスミは懐からボロボロになった手記を取り出した。


「流石に数百年前とまではなりませんが、五十年前に私の祖父がその伝言手記をこちらに書き写した物になります」


 それをエレノアに渡した。


「ちなみにですが、エレノア様は私たち片割れのミスミ家が地方へと追いやられた理由をご存知ですか?」


「スタンリー家ならば、知っているけれども……」


「一緒です。その伝言は黒の王国がまだ存在していた頃に世界改変者のところへと潜り込み、それら言行を記しております。その一部は初代国王にも伝わっているのです」


「つまりはその書き記したことについても恐れていたのかい? 二代目は」


「どうもそのようです。こちらの言い伝えでは初代国王はその言葉を聞いてから最終出陣を行ったそうで――」


――陰の功労者はカムラだけじゃない、と?


 いや、ターネラは「陰の功労者は二人いる」とライアンから聞いている。最終的に彼と話す機会がなくなってしまったということもあり、訊きようがないと嘆いていたが――。まさか、もう一人の陰の功労者はミスミであるとは思わなかった。


「今になってその歴史が闇に葬られて悔しいという思いこそはあるのですが、私としては一刻も早く先祖の伝言を名なしさんに伝えたくて……!」


 受け取った手記の中身を見る。それは一冊分にも亘るほどの文字が書き綴られていた。


「エレノア様、お願いです。私たちからの伝言を名なしさんにお伝えしたいのです!」


 カムラとキイの戦いは最終段階を迎えている。この先祖の伝言がなければ、カムラに――名なしに勝機はないと言うミスミに彼女はターネラが言っていた言葉を思い出した。


【カムラという人物を助けて欲しいとお願いを――】


 あの日、ターネラの前にライアンが現れていた。そのときに言い残した言葉が――。


(カムラ)を助けて欲しい】


 本来、カムラに対しての伝言であったものを光る石像が名なしに伝えろと言い出してきた。


 子どもたちは世界改変者及び、コインストが黒の王国の再建、または世界破滅を考えていると目論んだ。


 名なし――アイリが思い出した記憶。大まかには聞いている。世界改変者は『神』が創った世界を改変し、『キイ教』の未来のコンパスと過去の歯車を創り出した。同時に『神』という傍観者も名なしのために似たような物を創った。


 世界改変者を倒すために。


 妙にこの世界の仕組み(パズル)のピースが埋まっていく感覚に陥る。この世界がボードゲームであるストラテージの盤だとするならば、『王様』は世界改変者(クラッシャー)名なし(アイリ)。それぞれのそれ相応の『駒』が番人や狂人――そして、戦友軍の者たち。


『神』はただの世界(ゲーム)傍観者(観戦者)世界(ゲーム)の行く末がどうなろうと知ったことではない。自分が世界を取り戻そうと(対戦)していないのだから。


 伝言を『ゲームのルール』とするならば、当然名なしは知らない。何も知らない状況で対戦を挑んでいるのと同じ。言わば、素人。初心者。そして、ストラテージというゲームには『持ち駒』が存在する。言うならば、彼女は元番人であるハイチとハイネを世界改変者から奪い取って持っているのだ。ただ、それを偶然的に使っているという状況に過ぎない。


 それならば、『砲台』は? あのコンパスと歯車? それとも『事実改変装置』や『舞台装置』か? 名なし側はあるか? もう使ったか? すでに『ファイヤ』を執行されてしまったか? されているならば、どこで?


「……とにかく、そのことについてあの子たちに教えなきゃならないね」


 現状況を考えることは必要だけれども、それよりも伝言(ルール)を教えなければ、世界改変(ルール決め)した者に勝つなど到底不可能なのだから。


 エレノアは連絡通信端末機を取り出しながら、手記を捲り、文章を読み始めた。だが、とあるページを開けると、彼女は端末機を落としそうになってしまう。


「み、ミスミ! この伝言は本当なのかい!?」


「は? は、はい! そうでございますが?」


「これ、伝言じゃなくて……どちらかと言うならば、予知書じゃないのかい!?」


『カムラ様に愛された少年は、やがて――』


     ◆


「困りましたね」


 本当はセロを軍病院まで行かせてあげたいと思うのだが、それは叶わなかった。なぜなら戦いの場以外の陸路にも上空にも異形生命体が現れているから。周りを囲まれている状況で、世界を見る目から戦線離脱してきた彼らにとっては古跡の村の者たちと共に避難場所にいるのだ。


 避難場所と言っても、戦友軍の本拠地になるのだが――。


「いや、大丈夫さ。幸い、ここには医療器具もあるし。止血さえしておけば」


「しかし、ヴェフェハルさんのは放置しておくと危険ですよ」


 下腿を切断しているのだ。止血していたとしても、衛生面に気をつけたとしてもここは仮設された建物。お世辞にも快適な場所とはほど遠いし、何より傷口から感染菌などが入り込んだりしては病気になってしまうかもしれない。


 それでもセロは「どうってことない」と言い張る。


「そういう問題じゃありませんって。私、もう一度確認の方をしてきます」


 ターネラはしっかりと療養してもらいたいのだろう。防衛隊員の方へと病院までの手配の確認をしに行ってしまった。そんな彼女を見てなんだか変わったなと思っていると――。


 入口の方で何か騒がしいようだった。何事だろうかと思えば、バタバタと奔走する防衛隊員たちが「青の王が!?」と慌てている様子。


「今すぐに病院への手配をしろって!」


「何言っているんだよ! できないよ! うじゃうじゃとあのバケモノどもが戦場外でもウロついているんだぜ!? 行くにも行けないし、病院側も受け入れるのを渋っているんだよ!」


 話を聞いている限りだと、どうもエブラハムが重傷を負って帰還したらしい。止血手当はなされているが、すぐに病院へと搬送させなければならないとのこと。だが、彼らにも分かるこの現状。コインスト側にこちら本拠地がまだバレていないことが不幸中の幸いとも呼べる。


「異形生命体ってどれだけの数がいるんだ?」


「さあ?」


 今のところ、わかっている戦状況は西側の扉では小隊から中隊規模の人数で上層部を目指していること。一方で東側はようやく第一部隊だけが突撃したと聞いた。第二部隊は入口であのバケモノ相手をしているとか。


 怪我人である自分が何もできない状況の中、防衛隊員の話でも聞いていたのだろうか――。


「私が世界を見る目の方に赴いて薬草でも採ってきましょう。その薬草は茶として飲むもよし、傷口に擦り込むもよし。まさに万能薬です」


 古跡の村の村長であるマトヴェイがそう言った。これに戦友軍人たちは強く反対する。彼の気持ちは素直に嬉しいのであるが――。


「向こうは危険ですよ!?」


 思いを留まらせるためにそう注意した。


「本拠地の外はうようよ怪物どもがおりますし」


「だとしても、貴君らの君主は死にかけているのでしょう? ここから一番近い軍病院でも山を越えて五十キロはありますよ」


「し、しかし――」


「それじゃあ、俺が採ってきますよ」


 マトヴェイに代わってガズトロキルスがそう言った。彼の傍らにはマティルダが決心ある目でいる。


「村長が言う薬草って織咲何とかっていう薬草でしょ?」


「なんでそれを……?」


「すみません。一年ほど前に世界を見る目に、目覚めの薬の材料を手に入れるために侵入したことがあります」


「…………」


 会話に話が読めないようであるが、つまりはガズトロキルスは一度世界を見る目に入って薬草でも採りに行ったことがあるらしい。


「大丈夫っス。草の形は覚えているんで。味もくせのある苦いやつだって覚えているんで」


 そして、食べたことがあるのか。


 食い意地の張ったやつだなと思われつつも、ガズトロキルスは「なので、行かせてください」と防衛隊員たちに頭を下げていた。


「俺も戦友軍でもあります。自分の故郷の君主を助けたいという気持ちも持ち合わせております」


「私からもお願いしますわ。このまま黙って見過ごすわけにはいきませんもの」


 二人の強い要望に根負けした防衛隊員たちは「わかった」と渋った様子で薬草採りに許可を出した。


「ただ、きみたち二人だけじゃ危険過ぎる。こちらから隊員を幾人か――」


「いいえ、私たちならばソフィアとフェリシア、そしてスタンリーさんの五人がいるならば、怖いものなしです。異形生命体に遭遇しないように周りを警戒して行きますわ」


 マティルダは防衛隊員からの応援を断ってそう断言した。その後に彼女は少し申し訳なさそうにセロの方を見る。


「なので、申し訳ありませんが、ヴェフェハルさんは――」


「いや、待っているよ。どの道足手まといになるのは目に見えているから」


「だったら、私はヴェフェハルさんの分の薬草も採ってきます」


「それならば、負傷した人たちの分もだな」


「いいや、全員分だ。全員で健康になろうぜ」


 なんて言っていると、マトヴェイは「それは勘弁してください」と苦笑いする。


「流石に大勢の方の分を取られるようであるならば、織咲陽楽草(しきさきようらくそう)が山からなくなってしまいます。怪我を負われた方に限ってください」


「ははっ、それは失礼致しました」


「でも、期待はしておりますので」


「了解です」


 ご無事で、とマトヴェイが見送る。五人は織咲陽薬草を採りに本拠地を後にした。そこに残ったのはセロたちのみ。他の防衛隊員たちはエブラハムの緊急に大忙しである。


「あの子たちはいい子ですな」


 羨ましいですね、とマトヴェイはそう言った。


「いや、青の王国の子どもたちとでも言うべきですかね。あなたもその足は誰かを守るために失ったのでしょう?」


「……よくおわかりで。そうです。でも、失ったのが自分の足でよかったって思っていますよ。その大切な人は失わなかったのですから」


 自分を犠牲にしてまで。それはどこかの白髪頭の青年と被っている気がした。十年ぶりに観光客が訪れて。自分の正体を本当は知られたくなかったはずなのに。シードルとユリーナを助けるために。


【あんたらの村に迷惑なんてかける気はなかった】


 もし自分たちを殺そうとしているならば、殺されていた。それだけの力をおそらく持っているはずであったから。そんな白髪頭の青年は一年経って、自身の妹の体を使って生き延びて――再びこの地に足を踏み入れてきた。知ったときの感情、バレてしまったときの彼の表情――なんとも複雑な心境だろうか。


「……まるで、彼のようですね」


 独り言の予定だったはずが、セロに聞かれてしまった。彼に「誰ですか」と訊ねられる。


「村の人たちですか?」


「いえ、キンバーというお方です」


「ああ、ハイチのことですか。あいつって単純ばかでしょ?」


 ハイチのことだとわかったセロは歯を見せるようにして笑った。そんな笑い顔にマトヴェイは戸惑いを隠せない。


「た、単純?」


「ですよ。基本的にあのばかは人を騙すことが下手くそです。何かしらボロは出しますからね」


 それだから、ハイチの隠している過去はなんとなく察していた。すべてをお見通しでもないのだが、「ああ、何か後ろめたいことでもあるな」というような様子は多々窺えていたのだから。十数年間も一緒にいて、遊んだ幼馴染を舐めないで欲しい。見ていないと思っていても、実は見ているのだから。


「ハイチから聞きましたよ。以前、この村に来たことがあるって。それで村長さんたちを含めてみんな優しい人たちだって」


「え……」


「料理は美味しかったし、狩りは狩りで厄介事はあったけどそれ以外は楽しかったって言っていましたもん。だから、俺は正直言って、ここに来るときはこういうときじゃない方がよかったなぁ……って」


「こ、この村のマイナスな面は何も?」


「聞かないですよ。オブリクスたちもこの村が面白くて好きだって言っていましたし」


 本人たちからはあまり直接言われない自分たちの村のこと。好印象的なことを言われてとても誇らしいと思った。特に古跡の村を何も知らない、人伝いで聞いたセロがそう言うのだから。


「嬉しいですよ、そう言われると」


「ははっ。この戦いが終わったら、こっちに遊びに来るので」


 セロがそう言ったとき、連絡通信端末機に着信が鳴った。誰からだろうかと確認をすると、まさかのエレノアからである。小首を捻りながらも彼は電話に出た。


「はい」


《ヴェフェハル! みんなはどこにいるっ!?》


「えっと、みんな山の方ですけど。俺は動けないから本拠地で休んでいます」


《名なし、ハルマチは!? あの子も中!?》


「そうですよ」


《あの子に無線機か何かでつなげられないかい!?》


「いや、それは無理ですよ。ジャミングか何かで中では一切使えないみたいなんで。伝言をするにしても、中継役の人に頼みましょうか?」


《それじゃあ、時間がかかり過ぎるさね!!》


 エレノアの焦りようにセロは眉根を寄せた。何があったのだろうか、そう思っていると――。


《このままじゃ、私たち人間は世界改変者に勝てないんだ!》


 その発言はマトヴェイにも聞こえていたようで、二人は硬直してしまった。


     ◆


 建物から外へと出てしまった。開けた扉の先には欝蒼とした植物が。更には霧がかかって周りが見えづらい。だが、誰かが通った後がある。地面にある草が踏まれていたから。


 キリはその後を追いかけるようにして、いつ敵が現れてもいいように淡く光るコンパスの剣を構えて動き出す。アイリもよく斬れる君を構えていた。


 以前世界を見る目に登るようにして来たことがあるが、ここは断然と冷えていた。一応は軍服。ひんやりとした風が頬に当たる。


――平坦?


 踏まれた草の後を追えば、そう感じた。ここは山である。斜面があるのは当然のこと。しかし、キリが感じていると同じようにして勾配は存在しなかった。


「見えにくいなぁ」


 周りに何があるのかわからないし、濃霧のせいでより警戒心を揺さぶってきている。気配もわからない。後戻りした方がいいのか。それとも突き進んで敵を倒した方がいいのか。どんな敵がやってくるのかわからないのに。


【俺のところへ来いよ。キリ・デベッガというお前の存在を闇に葬ってやるからよ】


 マッドは、いや、自称『ちーくん』はそう言っていた。『ちーくん』――。


【『ちーくん』、ひとぢちやくねぇ】


 幼いアイリが言っていたあの言葉。そして、彼女は『アイリ・ハルマチ』、すなわちディースの記憶を持っている。


 結局、『ちーくん』のことがわからなかった。最初はハイチの『チ』かとも思ったりもしたが――。


「アイリ」


「何?」


「こんなときに訊くのもだけど、ディースの記憶に『ちーくん』っているだろ? その、『ちーくん』って一体誰なんだ?」


 訊くべきだ。アイリにそう設問した。それに彼女は――。


「本名は知らないけれども、ディースの年下の幼馴染」


「本名は知らないって?」


「そりゃあねぇ。あいつの育て親が腕なしを作ったじいさんだもん。近所に住んでいた仲のいい子を――」


 この話を訊くべきだったのか。アイリはあまり語りたくないとでも言うように、苦虫を潰した表情を見せていた。


「あいつは生まれながらにして、誰よりもマッドサイエンティスト。いや、もう一人のきみであるマッドよりも確実に狂気(マッド)なやつだとあたしは思う」


 可哀想な思い出。昨日までは楽しそうに遊んでいたのに。


【やめて!?】


【『ちーくん』、おめめがきれぇだよねぇ】


 流石に『ちーくん』は殺してはいない。ディースは彼の綺麗な目に魅かれて、奪った。日頃から欲しかった物のようだ。自分はしたことがないのに、右手の感覚――脳が覚えているような気がして鳥肌が立った。目を抉ったその手はいつしか生物学会の会員たちを驚かせるほどの才能振りを発揮する。会員最年少にして、生物学の知識に加えて、その学問の新たな発見の力を持っていた。


 学会の誰もが羨む才能であった。


【おっ、次の学会も期待しているぞ。ハルマチ】


【上の連中も才女の活躍振りに焦っているみたいだってよ】


【流石はバグスター教官の弟子ね】


 誰からも期待されていたディースは高みを望むようになる。どうすれば、誰かをあっと驚かせることができるのか。どのようにしたならば、この生物学を大いに盛り上げることができるのか。


 何がどうしてディースの心を揺さぶったのかは知らない。やがて、彼女は世界における禁忌行為を犯した。


【何を考えているんだ!?】


【その実験は禁止のはずだぞ!】


【ばかな考えは改めろ!!】


 止める言葉を無視するようにして、ディースは研究や論文を書き続けた。これを誰もが納得してくれると信じて。未来の生物学会に更なる活気を持ち上げさせるために。


【期待してると言ってたのに】


【ばかな考えじゃない】



【アイリ、キイ教って知っているか?】


 親代わりのウンベルトの誘いはディースにとって唯一心の拠り所でもあった。彼もまた自分と同様に忌み嫌われ、煙たがられ――学会を追放されてしまっていた。渇いたその心、誰もわかってくれない、理解してくれない。


 ああ、すばらしきかな、キイ教という存在は。嫌悪されている自分たちの考え、思想、理想論ですらも寛容に受け入れてくれるのだから。そう、だからこそ『MAD計画』は多大なる繁栄をもたらしてくれるはずの思想であるのに。


 何度目の『MAD計画』の発表をしようとしたことだろうか。


【きみには失望したよ】


 危険因子と思われたのだろう。降り頻る雨の中、ディースはその発表をしようとした日を以って生物学会をウンベルト同様に追放されてしまった。研究室も追い出された。そこが自分の家だったのに。


【なんで誰もわかってくれないの?】


【期待されていたあたしの存在って?】


【追い出されたあたしは誰が必要としてくれるの?】


【あぁ、もう何もかもどうでもいいや】


 行く宛てもない。お金もない。ウンベルトは――今いる場所から遠く離れたどこかにいる。消息は不明。キイ教を勧めてきたあの日以来、音信不通。


 冷たい雨が叩きつけてくる。町行く人たちはお構いなし。ほら、車の水が跳ねて余計にずぶ濡れだ。もう何もかも投げ出したくなってくる。


【随分と投げやり】


 自棄になっていた己の目の前に現れたもう一人の自分。それにただ、唖然としていた。


【もらうから、あんたの名前】


 勝手に盗った。悪気はないと思っている。自分も何者かにならなければならなかったから。何者かにならないと、世界改変者を欺けなかったから。


 何者かではないのは顔を見ればわかる。『顔がないから』。一発でわかるその状況を打破しなければならなかった。数日前に、世界改変者に殺されたから。


 どの人物から名前をもらおうか思っていたならば、目の前には自暴自棄になっている少女がいた。こんな人生なんてどうでもいい、そういう雰囲気があったから。自分が要らないと思うくらいならば、寄越せ。代わりにこちらが上手く活用してやるから。


 名なしに名前を奪われた者は何者でもない存在となる。ただ、それは見た目上は変わらないが、本人自身の名前がないという状況であるのだ。言うならば、本当の名前を名乗れない存在。そうだとしても、アイリはディースに同情などしない。この記憶が『ちーくん』の目玉を抉ったり、『MAD計画』を理想として掲げているのであれば。


「あいつは――」


 そして何より、ディースがこの世にいないことは聞いている。だとしても、もう一人のキリの存在であるマッドが自ら『ちーくん』と呼ぶなんて――。


――最悪だ。


 ディースにとって『ちーくん』とは所有したい、我が物にしたいという欲望の代名詞。彼が自身を『ちーくん』と自称する。それはつまり――マッドを所有した、我が物にしたという証。


「とんでもない物をこの世に残している」


 どこまでの力を持っているかはわからないが、少なくとも今までのマッドのようにはいかない。過去の歯車を盗んでいるのも事実であるし、何よりディースが『ちーくん』にどのように調教しているのやら。


「それって、勝てるのか?」


「いや、あたしはきみを信じているから」


「『嘘の塊』を信頼したところで、キリが腕なしを殺せるわけないじゃん」


 ぞっとした。ひんやりとした物が自身の喉に触れる。後ろにはただならぬ気配。思わずそちらを振り返った。キリも声に気付いたのか、アイリを守るようにしてコンパスの剣先を向けてきた。


「お前っ!」


 そこにいたのは伸びきってボサボサ茶髪にズタズタの衣服を着用した『ちーくん』だった。両手は赤く血塗られている。


「…………」


『罪人の子』。キリは『ちーくん』に立ち向かってはいるが、彼の格好は紛れもない、自分の過去の闇の姿である。今のキリに鬼哭の村での出来事は大まかな事柄しか記憶にない。そこで自分の村の村長や村人、そしてハイネを殺害し――過去の歯車の力を暴走させた、と。


 その格好をしているのは、恐らくはあの村で遭遇している可能性だってある。


「よう、キリ。今日もいい調子でみんなに、自分に嘘をついているか?」


 血で手を汚してもなお、こちらに対して攻撃も仕掛けず、にこにことしている。敵意が一切ないのが気味悪い。それが危険であると直感が告げていた。


「お前が……」


「そうだ。総長さんに連絡を入れたのは俺だ」


 そう言うと、『ちーくん』はアイリの方を見てきた。じっと見てくるその視線は何を考えているのか。そうやって身構えていると――。


「ハルマチ」


 声をかけてきた。今、自分のことを『ハルマチ』って言った。ということは、『ちーくん』はディースの本名を知っているのか。彼に二人が身構えていると――。


「俺と一発やろうぜ」


「は?」


 意味がわからない。なんなのだ、唐突に『一発』とは。


「な、何、その一発って」


「×××に決まっているだろ」


 爆弾発言に二人は顔を真っ赤にした。こんな戦状況になぜ、敵相手とそれをしなければならないのか。


「お前、キリ・デベッガのことが好きだろ」


「えっ!」


 更に顔を真っ赤にさせるアイリ。つられてキリも恥ずかしそうに「変なことを言うなっ!」とシャウトする。


「お、お前、なんだよ! とんでもない発言をしやがって!」


「そして、キリ・デベッガもアイリ・ハルマチが好き」


「…………」


 勝手にベラベラと――事実ではあるが、混乱させるという意味合いだろうか。だとするならば、そんな引っかけに誰が易々と引っかかるものか。


「更に、お前はハルマチと×××したいと常日頃から思っていた」


 などと言う『ちーくん』の挑発的発言にキリは耳まで真っ赤にして斬り込み突進をする。確かに下心はあるにしても、なんという人を貶めるような言葉を言うのだ。


 軽々と避けられたその攻撃。『ちーくん』はすぐさまアイリの方へと来た。真っ赤なその手で彼女の手を握る。


「キリは素直じゃない嘘つきだからな。どうだ、ハルマチ。素直で嘘つきじゃない、キリ・デベッガの姿のやつと×××でもしようか」


――冗談じゃない。そういう恥ずかしい発言は止めろっ!


 避けられてもなお、キリは『ちーくん』に向かってもう一度攻撃を仕掛けるが、奪われた歯車の剣で防いだ。すでにアイリは捕まえられてしまっている。よく斬れる君に関してはその手で抑え込まれていた。


「お前がイきやすいように×××や×××を――」


 キリには聞こえないように、ぼそっとアイリの耳元でささやいてきた。耳に息がかかってくるせいで、酒に酔っぱらった彼のことを思い出してしまう。


【嫉妬か?】


 低い声で言ってくるからなおさらだが、正直言って『ちーくん』とキリは全く違う。


「気持ち悪っ!」


 本気の本気でドン引き状態のアイリは逃げるために自身の手を握っている『ちーくん』の左腕を振り払った。その怯みで彼女はキリの後ろの方に逃げる。


「なんで逃げるんだよ。キリのことが好きなんだろ? 自分から×××しようと言わないやつの隣にいて、どうするんだ」


「いや、あそこが当たって、本気で気持ち悪い」


「だからって、俺の方見てくるの止めてくれない?」


『ちーくん』の発言を気味悪がるアイリはなぜかキリの方を不審な目で見てくる。その視線が痛いと感じる。心に意外とキているのだということが、わからない?


「ていうか、あたしをディースと勘違いするの止めろ」


 もっともなことを忘れていた。『ちーくん』はアイリのことをディースと勘違いしているはずであるという事実。顔がそっくりだから、言い間違えたのか。いや、待てよ。そうだとするならば――。


【お前はハルマチと×××したいと常日頃から思っていた】


「キリさぁ、ディースのことでも考えてたの?」


 コンパスの剣と歯車の剣で競り合っている最中、アイリはそう訊ねてくる。その言葉に「は?」と気が緩んでしまいそうなほど。


「ちょっ、アイリ。今、変なこと言わないで」


 こうして戦っているのに。それは後回し! 現在、キリがやるべきことは『ちーくんを』倒すこと。ほら、そうやって変なことを言ってくるものだから――。


 力押しに負けて、キリはアイリと共に後ろの方に倒れ込んでしまった。そこをすかさず、狙って叩き込むようにし――二人は同時にその剣撃を受け止める。


「別に俺は俺で死体とやるのは構わないけど? ハルマチの体ならば、俺の×××を入れられるならば、何でもいいから」


 自身の性欲を満たすならばとでも言うようにして、アイリに微笑みかけてくる。それが度を増して不気味である、と思う。


「まあ、それはそれで置いといて――」


 今度はキリの方を見てきた。


「以前に俺と戦っていたときに比べて、動揺さは少ないけど……」


 戦っていた? やはり、自分は『ちーくん』と鬼哭の村にて遭遇していたのか。


「いつの間にキリはハルマチのことを『アイリ』だなんて言っているの?」


――この発言!?


『ちーくん』はキリのことを知っている?


 いや、これも動揺作戦か。なんとか剣を払って、アイリと共に距離を取った。その拍子に『ちーくん』のズボンのポケットの中から青色の何かが落ちる。それに思わず剣先を向けて警戒をする。何事もなかったかのようにして、青色の何かを拾い上げた。どこかで見たことのある何かしら。


「何それ」


「何って、あの大嘘つき野郎の物じゃないか」


 そうして、見せてくれたのは青色の連絡通信端末機だった。そう、それはキリの父親――彼の育ての父親、『父さん』の物。なぜにそれをと考えてもわかるのは――。


 メアリー誘拐事件及び、同時侵攻防衛戦。


 自分も攫われたと同時に失くしたと思っていた物が『ちーくん』の手元にあった。反政府軍団及び、コインストの方に存在していたことは――。


【プログラムの入れ替えをしただけですよ】


 世界改変者の言葉を不意に思い出す。ガンを操っていたとき。


【いやはや。スター・トレジャーのチーム最下位の名を知っている者がいないと思っていれば】


 アンドロメダを『事実改変』のようにして作り上げていた。今思えば、あの言い方――妙にわざとらしい。


【ケア・プログラムだとランキングに入れないんですけど】


 スター・トレジャーでランキングに入るために何をした?


【だったら、私とヤグラに任せろ】


「キリってさ、またハルマチにも自分にも大嘘をついているんだ」


『ちーくん』はキリにそう鼻で笑ってくる。大嘘? 彼は何かを知っているとでも? いいや、知っているのは事実。その推測は立つ。


 以前にヤグラの家でガズトロキルスとハイネと共にガンに会いに行ったとき。スター・トレジャーでアンドロメダのチームを上位にするためにしたこと。


【三人の個々の端末機をきみたちにインストールすればいいんじゃないかい? 私の場合はヤグラのコンピュータの掌握権を握ればいいだけの話だし】


 そう、ユーザー型となったケア・プログラムのキリの中へとハッキングして、脳情報のデータをコピーしていたのだ。そうと考えるならば、『ちーくん』が自分のことを知っているのは納得がいく。


 ということは――。


「ハイネさんの記憶は――!」


 ガンは自身の連絡通信端末機に送ったと言っていた。だが、そのアプリ自体がないものだから前に持っていた物に入っていると目論んでいた。


「別によくない? 持っているところで何になる?」


「ハイネさんの記憶をどこにやった!?」


「消去したさ、アプリその物を」


 その発言にコンパスの剣を強く握りしめた。心なしか、それはアイリも同様である。


「なっ、に……!?」


「どうせ、今のお前はどうでもいい話だろ。元々ハイチさんも関わるなって言って、記憶を取り戻そうか迷っていたんだし。ケジメが着いたんだしな」


「どうでもいいわけあるかっ!」


 大切な人の記憶なのに。あのときからの自分の記憶を持っている『ちーくん』だって許しがたいはずなのに。淡い光を帯びている剣同士がぶつかり合う。それでも彼は一切心が揺れない様子である。それどころか、余裕の表情でキリの端末機を要らないとでも言うようにして投げ捨てた。茂みの中へと入ってしまう。


「いや、どうでもいいんだよ。俺の言っていたことをすっかりと忘れているやつの記憶なんて」


「はあ?」


「そもそも、ハルマチのことの方が好きなんだろ? だったら、ハイネさんの記憶なんて不必要じゃないか?」


 言葉が心に突き刺さる気分だった。この気分は――ああ、そう。


【もうハイネと関わらないでくれ】


 ハイチが言っていた言葉と似ていないようで、似ている気がした。


「可哀想だな、お前っていう人間は。生まれてから自分の周りにいるのは常に敵意ある人ばかり。ハルマチに好意はあっても、疑心は持っているのだから」


――もはや、誰も信じられないだろう?


 にやにやとする『ちーくん』。それがキリに恐怖心を煽る。


――誰も信じなくてもいいんだよ、キリ。それがお前だ。お前は誰も信用することなく、この世界に存在する意義を持つはずがなかったんだ。この世で空っぽの『器』だけで生きて、死ぬはずだったんだ。そう、死ぬはずだった。


 それなのに、本当は一人の人物がキリを――いや、『罪人の子』を唆したことが最大の原因である、と『ちーくん』は踏んでいた。


 外の世界を見せたこと。将来に希望を持たせたこと。


――あいつさえ、いなければ――。


『ちーくん』はキリの剣を軽々しく弾くと、足を踏み込んだ。狙うは彼じゃない。アイリだ。彼女のせいで、『罪人の子』の運命は大きく変わってしまったのだ。最初から存在しなかったはずなのに。無理やりアイリによって書き変えられた自身の運命。


「ああ、女神よ。私はキイ様に従い、あなたを殺そう」


 好きな人など、もう関係ないのだから。

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