戦友
行き詰まっていたことがほんの少しだけ前に進んでしまった。キリはあまりいい顔をせずして突入する。考える時間が減ったからである。ほら、他の者の表情を見てごらん。世界改変者を早くに倒せると意気込んでいるぞ。
「…………」
ラトウィッジが指示で空けた山の中の建物の穴より、ホールの吹き抜けの二階部分である中の方へと入った。爆破によって壊れてしまった手すりの下の方には瓦礫落下の被害に遭っている異形生命体が。向かいの通路の方には青色の球体――よく斬れる君と同じ材質の砲丸が壁側に埋まっていた。
「『ぶっ飛び君』だ。外側だけMAD細胞と絶対に千切れないロープ君の繊維がある。中身は普通の砲丸だ」
そう先ほどの『あれ』についての説明をしてくれた。また妙なネーミングセンスを、と思うアイリはなんとも思えない気持ちで埋まった砲丸を見ている。
二階部分から突入し、部屋の奥へと進む道を戦友軍たちが探していく。下へは迂闊に行けない。あのバケモノの餌食となるからだ。いや、元より下に『落下』したとしても助かる高さではないはず。ホールの上の方を見上げた。暗くてよく見えないが、天井は見当たらないように見える。
「キリ」
そんなキリにアイリは呼びかけた。顔を向けると、彼女は赤と黒の剣――コンパスの剣を差し出してくる。歯車の剣と同様に淡い光を帯びていた。
「所有権は得たらダメだからね。貸すだけ」
「う、うん……」
何をどうしたら所有権を得るのかをキリは知らない。だが、アイリの言う通り、もう一つの未来のコンパスの所有を得ないようにしなければならないのだが――。
その場に残っているのは二人とラトウィッジ、そして最後の『よく斬れる君』を所持しているエブラハムだった。彼もまたメアリー同様に自分の意志でこの戦場に立っているのである。この場に立つ理由は救えなかった友のため。あの日、友のために何もできなかった自分とラトウィッジに対してライアンは言った。
【自責という名目の責任転嫁だ】
事実そうである。「仕方がなかった」で済ましてしまった後悔。恥じるべき考え方。怒られてしまった。そして、ライアンの古き友人にして、この戦いの元凶である世界改変者と対立する名なし。彼女のために戦い、救えなかった未練により――。
ライアンらの子孫である自分たちは名なしのために、未練で成仏ができない先祖のために戦うことを誓った。
「デベッガにハルマチ。私と国王様はこちら側から行く。きみたちはあちら側から行きなさい」
そうラトウィッジがキリとアイリに指示を出した。二階の通路に別れてどこかへつながる扉が左右二手ある。戦友軍たちは別れてすでにどちらかの方へと入っていっていた。ハイチもまた自分勝手にどちらかの方に行ってしまっているようだった。そんな身勝手な彼には不満があるが、こちらには異形生命体をも倒せる武器が五つある。二手に分かれて、行けば戦力配分は申し分ないはず。でもやはり――。
「キンバーはどこへ行ったんだ」
建物内へと入ると、無線機の状況が悪過ぎてどこへとも連絡は取れなかった。先攻突入している者たちがどういう状況で戦っているのかもわからない。ここは急いでいかねば、入り口のホールのようにしてわんさか異形生命体がいるならば、大変なのだから。
二人に別の方向に対して任せたと促すと、彼らは行ってしまった。この場にいるラトウィッジたちは「行きましょう」とエブラハムを促す。
◆
二手の扉の内、左側を選んだ中年男性二人組。厄介なのは先を行っている戦友軍たちが見当たらないことだった。扉の奥にはただ広い部屋があるだけで、何の気配も全くなし。
「不気味だな」
下の階からは轟音が鳴り響いているのに。
「しかし、ここはとんでもない場所ですね。山の中身をくり抜いてこんな頑丈な内装にしているのですから」
正直な話、『ぶっ飛び君』がなければ、あの入口で止まっていたのかもしれない。あの大砲の威力がなければ、道はなかったのかもしれない。太い木の幹も町の建造物でさえも簡単に破壊しかねない圧倒的単純パワーを持つバケモノども。そんな彼らが下で大暴れしているのだ。それすらも耐える構造とは。『ぶっ飛び君』の威力をあの壁で押さえつけるとは。本来ならば、あの砲弾の威力は一つの山に当てただけで破壊してしまうほどの計算があったはず。これは一体、どんな材料でできているのか。
「あれだけ、大量の怪物どもを置いているんだ。きっと、私たちが来ることは予想していたのかもしれないな」
いや、世界改変者ならば自分たちの行動を想像できるだろう。でなければ、こんな要塞に近いことをするはずがないのだから。
二人が最初の部屋から突き進んで三つ目の部屋に差しかかったとき、階段を見つけた。上へと上るようである。天井が吹き抜けとなっているようで、その階段の段数はあまりにも多過ぎて、基本的な建物ではどれほどの高さになるのだろうかと思うほどの圧巻。
こちらの方も天井も全く見えやしない。上へと上るのもいいが、ここにも扉は二つ存在している。先にそちらの方から調べるかと動いたとき、一つの扉が開いた。出てきたのは先ほど別れたはずのキリとアイリ。そして、どこへ行っていた。ハイチの三人である。
「は?」
これにはその場にいる誰もが疑問の声を上げるだろう。別の方向へ突き進んだのに。
「こっちの方につながっていたみたい、ですね」
「うーん、色々と戸惑うな。先に行った連中はどこへ行ったんだよ」
ハイチがそう言うことは、彼もまたはぐれたのか。
「キンバーは二人と会う前に誰といた? 他の者たちか?」
「そうなんっスけど。俺の場合、これ拾っている間に置いていかれましてね」
ハイチはラトウィッジに銀色に光る何かを渡した。それは三銃士軍の証である。見たところ、まだ新しくも思える。年数はさほど経っていない様子。エイキムの物かとも思ったが、そうではない。彼は強制脱退の際にはこの証を返していたのだから。だが、どうしてこのようなところにこれがあるのか。それは甚だ疑問である。
「とりあえず、上とこっちの扉どっちに行きます? あたし的にはこっちの扉の方に行きたいです」
話を変えるようにしてアイリはそう言うが、その本音は誰もが十分に理解していた。
「階段だと、痩せるぞ」
ハイチの発言に、恥ずかしそうにして彼を叩く。その光景を見てラトウィッジは「止めろ」と怪訝そうに見てきた。見苦しいから。そのようなことをしている場合じゃないから。
「扉は三人に任せるから。私たちは上を目指す」
どちらに転がるにせよ、この建物内はくまなく調査しなければならないのである。これには何も言わないが、エブラハムも納得してくれた。いや、早くこの妙な空気から脱出したいのだろう。彼にとって、この空気は不慣れなのだから。
また彼らは別れて捜索をする。
◆
階段の方を選んだラトウィッジとエブラハムの二人。彼らは黙々とひたすら上り続ける。これがどこまでの高さになっているのかは本当にわからない。
しばらく登り続けていると、階段途中で扉を見つけた。このまま上り続けるか、それとも扉の方に行くか。これについてはエブラハムに意見を訊いた。
「扉の方に行こう」
そう答える。その理由は――普通に体力的に上り続けるのがつらいから。これでも体の鍛錬はしている二人でも年が年である。彼らは疲れをきちんと知っている中年男性でもあるわけだから――調査という名目のもと、休憩を挟んだ。そっと扉を開けると、薄暗くて先の見えない通路が露わとなる。その奥からは気味の悪い気配がしていた。
「…………」
ここはある意味でのアタリでもあり、ハズレでもある予感は拭えない。だが、ここで立ち止まっていても話は進まないし、何も起きることはない。行動せねば。二人は『よく斬れる君』を鞘から抜き取って慎重に先を進み出した。
奥からは妙なにおいが漂う。鼻が曲がりそうとまではいかない程度の異臭。嗅いだことがある悪臭。それでも何があるかわからない恐怖心に駆られてわからなかった。その臭源を見るまでは。
入って数十メートルのところで原因を突き止めた。嗅いだことがあるというのはラトウィッジにとっては当然であった。床に倒れている者。それは何も一人だけではなかった。二人を案内するかのようにして点在している戦友軍たちの絨毯。
「だ、大丈夫か!?」
全員が死んではいない。半数の者たちは息をしているようだが、歩くことも立ち上がることすらもままならない状態にあるようだ。誰もが満身創痍。一体何があったのか。
エブラハムは息がある一人の戦友軍を起こすと、訊ねた。
「奥に、進んでいたら……」
戦友軍たちはあの階段下で合流をしたらしい。その後、左扉から入った者たちは階段上へ、右扉から入った者たちはもう一つの扉の方へ。こちらに来たときはやはり誰もおらず、警戒心を怠ることなく、突き進んでいると――。
「黒い人型の異形生命体が……」
その言葉を聞いて、エブラハムはラトウィッジの方を見た。それに頷く。間違いない。その黒い人型の異形生命体はMAD計画におけるMAD化に成功した固体である、と。ならば、それは相当な厄介者。ハイチやバーベリ姉弟並みの厄介な敵が存在していることになる。
そのバケモノは奥へと向かったらしい。二人はできる限り、生存者を確認した後に向かった。
◆
奥にある部屋には奇妙な空気が漂っていた。一瞬でも気を抜いたら殺されてしまうような恐ろしい雰囲気。部屋の中央にはそのオーラをかもし出している黒い人物がいた。黒い鎧のような物――MAD細胞。それに包み込まれている人物をラトウィッジたちはよく知っていた。
「ソルヤノフ!」
「誰かと思えば、ラトウィッジにエブラハムじゃないか」
その物――エイキムは二人を歓迎するかのようにして比較的明るくも軽いあいさつを交わしてくる。だが、彼らにとってそのようなことをする気分にはなれなかった。かつての友、手を差し伸べることができなかった友は完全に人の道を外れてしまっていたのだ。悲しい。心にその思いが蓄積されていく。
そうだとしても、エイキムは共感しないし、なんとも思わない。これがすばらしい物であると主張してくる。
「この格好になって頗る気分がいいんだ。普通の人間で過ごしていたことを後悔するほどにね」
「何をばかげたことを。それは人の姿でも何でもない、バケモノだよ」
「そりゃ、普通の二人から見たらそうだろうね。でも僕は人の道を外れた者ではない。『外れなければならない存在』なのだから」
バキバキとその場に音を鳴らさせた。これは何の音だろうかと困惑していると、入口が黒い爪によって塞がれてしまった。周りを見渡しても出入口は見当たらない。完全に閉じ込められてしまったのである。
「な、なんなのだ。その『存在』とやらは……」
そろそろ戦闘態勢に入らなければならないか、と二人は剣を手にして構えた。行動予測は不可能。異形生命完全体を仕留めたときは一人でなかったからできた話。しかし、今回は二人しかいない。エブラハムだって前は学徒隊であったにしろ、ここ二十数年間は基本的にデスクワーク一点である。前のようにして動けるか。地面をにじるようにして相手を注意深く観察する。
「言っただろう、前に。僕はキイ様から天命を受けた選ばれし人間だと!」
黒い鎧の剣が、ラトウィッジが防ぐ剣に当たる。その勢いは足をしっかりと固定していたはずの彼が力負けて飛ばされてしまうほどだった。
「ラトウィッ――」
「よそ見しているなんて、人間らしい」
エブラハムは食いつくようにしてエイキムの攻撃を受け止めた。すべての気力を持っていかれた気分になるほどのパワー。このまま気を緩めてしまえば――死。何をどう足掻いても『死』というワード以外出てこない。
「天命を受けた人間はな、それに従って『人』から外れなければならないんだ。だから、僕はただの人じゃない。神の遣い、赤の共和国の考えじゃ『天使』に近いんじゃないかな」
全く動じることのないエイキムにひたすら歯噛みして、エブラハムは力を緩めることはなかった。体勢を整え直したラトウィッジは彼を助けるために攻撃を仕掛けるが、それは手で止められてしまった。小うるさい金属音が二人を苛立たせる。
「元々、人のMAD化っていうのも、この世界から『人』という存在を失くすためのものだし」
ああ、どうして人間はあまりにも脆弱なのだろうか。エイキムがほんの少し力を加えただけで、二人は後方へと飛ばされてしまった。
「ねえ、どうして『キイ様』は『世界の果て』を見たいか知っているかい?」
苦痛の表情を浮かべながらも、まだまだ立ち向かおうとする気迫あるラトウィッジたちに特に気にすることもなく話を続けた。
「答えは簡単。世界は人間の物じゃなくて、キイ様の物だからさ」
それがこの世の決定事項だと言う。にやりと不気味な笑みを浮かべる最中――「ソルヤノフ」そう、エブラハムがよく斬れる君を杖代わりにして立ち上がった。
「キイ神は、キイ教はすべて嘘だ。この世界の宗教及び、教えなど……私たち人々が作り上げた妄想の産物でしかないのだよ」
エイキムの目を覚ましてあげないと。そんな思いからエブラハムは語る。
「この世界は世界改変者によって改変された歪んだ世界よ。だが、その歪んだ世界で私たちは生きているんだ。もちろん、ソルヤノフだって生きている」
そう言うと、エイキムに手を差し伸べた。
「戻ってこい。今なら、まだ間に合うから」
過ちを犯した友人をエブラハムは受け入れるつもりだった。
【一人の友人のために戦った。でも、救えやしなかった。それが悔しくて……】
【だったら、ぼくたちがおにいさんの、おともだちのかたきをとってあげる!】
【うん、ぼくたちも、おうこくのひとたちも、おともだちだからできるよ】
ライアンと約束したこと。
その約束事を忘れて、友を見放してしまったこと。目の前からいなくなってしまう友人をただ単にその背中を見つめるだけ。追いかけようにも、足は動かなかった。あのとき、手を差し伸べられていたならば、このようなことにはならなかっただろうか。
だがしかし、エイキムは差し伸べられた手に一蹴する。
「間に合わないのは、お前たち人間だよ」
次の攻撃が来る。それを見越して動いたラトウィッジ。エブラハムを庇ってその場に倒れた。それでも、ここで寝転がっているほど、人類に時間がないのは百も承知。気合張りに立ち上がる。肩から腹にかけての出血量は多大である。ボタボタと薄暗い部屋でもわかる血の量。その場に水溜りができるほどだ。
「ら、ラトウィッジ」
「……ご心配ありません」
ラトウィッジはエイキムを見た。煩わしそうなその視線から嫌悪感がただ漏れである。いや、それよりも――。
【間に合わないのは、お前たち人間だよ】
その言葉である。それ通りに本当は――。
「世界改変者は『この世界を我が物に』するため。僕は天命である『世界の果て』を実行するため。利害一致した結果、『舞台装置』はすでに『稼働』している」
舞台装置。エレノアや子どもたちから報告で聞いた謎の装置。
「それ故にオリジン計画は『実行された』」
阻止する前にその計画は『実行』されていた。エイキムの発言を聞いて背後からどっと絶望が押し寄せてくる。いくら自分たち人間が足掻いても不可能な話。道を外した友人を助けることも不可能な話。すべては無駄に尽きる?
【そうでなくてもいいんだ】
掘り起こされる記憶。
かくれんぼをして王城の物置倉庫に隠れていたエブラハムとラトウィッジの二人のもとに現れた謎の青年。優しい人、大きくて逞しい手。自分たちの頭をなでてくれた。
【……ただ、お前たちが――】
消えゆく中、ライアンはなんと言っていた?
ラトウィッジが呆然とする中、エブラハムは剣を握りしめた。ライアンとの『約束』は何も『友のため』だけではない。その『約束』もまた忘れてしまうところだった。
人にとって一番忘れてはならないこと。簡単に終わらせてはならないこと。
【わかったよ!】
【おにいさんとのやくそくはかならず、ぼくたちはまもるから】
約束をしたのであれば、守らなければならない。守り通さなければならない。ライアン・ヒューイットの子孫であるならば。青の王国の王であるならば。世界中に恥をかかないような人間であるならば――。
【お前たちが、子どもたちが『諦めない心』を持っているならば、どんな困難でも立ち向かえるはず】
「そうだとしても、私は諦めない」
エブラハムは絶対に諦めないという精神のもと、エイキムに攻撃を仕掛けた。
「友であるお前を助けるまではっ!」
◆
エブラハムとラトウィッジ二人と別れて随分と時間が経つ。
「あれ?」
アイリには苛立ちが見えていた。どこへ行こうにも、同じ部屋ばかり。見覚えのある部屋へと戻ってきてしまうのだから。別れて入った扉の先にはたくさんの扉があり、選んで突き進んでもあの階段の方へと出てきてしまうのだ。なんたる魔法迷路。人の苛立ちを爆発させるような腹立たしい代物だぜ。
「ちょっと、本当どうなってんの」
「面倒な部屋だなぁ。こういうときこそ、ちまちま調べないで隣の部屋まで壁の穴を壊せたらどんなにスッキリとすることか」
「まあ、確かにそうですけれどもね」
だが、こちらの方に砲台を持ってくるのは手厳しいのが現実。
「謎解きだったら俺は頭を使わんぞ。おう、デベッガ。そいつで壁に穴を開けてくれね?」
「無茶言わないでくれます?」
あれは『ぶっ飛び君』であったからこそ、砲台の威力があったからこそ、壁が壊れたのに。同等以上の威力あるコンパスの剣で壊せと言われても、キリの腕力では不可能であるのだ。
「どうせ、あと二つの扉だけでしょ? きちんと調べていれば、新しい道が出てきますって」
「そんじゃあ、二手に分かれようぜ。俺こっち、お前らバカップルはあっちな」
そう言うハイチに「わかりました」の一言返事で行ってしまったキリたち。それは自分たちが『バカップル』であることを認めたと言っても過言ではないが――。
「なんか、腹立つ」
釈然としない面持ちでハイチは扉を開けて、前へと突き進む。そう感じているのは何も今だけに限った話ではない。今のキリの記憶には『ハイネを殺した』という記憶はあるが、所詮は事実だけ。その記憶を鮮明に覚えていることはないのだ。補足説明として、自分が嫌味ったらしく事細かに説明をしても――。
自身の非を受け止めているし、事実を否定しようとしない。それが自分が受け入れなければならない記憶としてきちんと受け入れているのだ。なぜだかそれが腹立たしいのである。そうであるべきだと望んでいたのは彼自身であるのに。
【キンバーさんの記憶が失くなってしまったんです】
――ああ、そうか。
苛立っている理由が判明した。以前、キリがハイネの記憶を失くしたときに感じた憤りと一緒であるのだ。
【都合好く記憶を失わせたり、失ったりするくらいならば、最初から知っている記憶全部を消せばいいのに】
ヴィンが言っていた言葉も同時に思い出す。二年前はそう言う考えに大いに賛成だったのに。ハイネに関わるなと言わんばかりに、記憶を失ってもどうでもいいと思っていたのに。
「なんでだろ」
どうしてキリに再び記憶を取り戻させたかったのか。
むしゃくしゃしながらも通路を突き進んでいると、こちらの方に走ってくる戦友軍の一人と遭遇した。濃い青色の軍服からして青の王国軍か。
「た、助けてくれ!」
「えっ!?」
自身が持っていた対異形生命体用武器である『LILAS』を見て助けを乞うてきた。まさか、向こうにあのバケモノが現れたのか。
「ふぉ、フォスレター総長は!?」
「総長なら上の方に行ったけど。何があったんだ?」
「出たんだよ! ヤバい異形生命体が!!」
青の王国軍人曰く、黒い鎧の異形生命体が現れたと言う。その話を聞いて、ハイチは片眉を上げた。完全体の異形なる者か。ということは皮膚硬強化剤に耐性がある者がなったのか。
「俺が行く」
刀を示して、歩を進めた。一体、どんなやつが――。
「や、止めてくれっ!」
奥にある部屋へとやって来ると、そこにいたのは抵抗をする戦友軍に対して、殺している姿の黒いバケモノ。元人間であるそれに見覚えがあった。
黒い鎧に映えるような金色の髪に、まだまだ幼さが残るメアリーによく似た少年。彼は泣きながら人々を殺していた。
「殺したくない」
そう呟きながら。
◆
ハイチと別れてキリとアイリはもう一つの扉を開けて通路を歩いていた。会話はない。どこかに誰もいないから足音だけしかならない。
「…………」
「…………」
キリが考えているのはアイリの生存方法。どうすればいいのか。どうすれば世界が救えて、彼女も救えるのか。ケイのあの可能性を信用するべきなのか。悩ましい表情を見せている彼に「気を抜いちゃダメだよ」と声をかけた。
「どこから来るのかもわからないんだからね」
「うん……」
アイリは『死』が怖くないの? そう訊きたい。だが、訊けない。なぜかそのことを訊いてはいけない質問のような気がしてたまらないからだ。もし、訊いてしまったら――。
世界中を敵に回す。
それは嫌だが、もっとも嫌なのは目の前からアイリがいなくなってしまうこと。
時間はあると言われても、その打開策が何も思いつかない。そうしていると、通路の奥へと辿り着いた。そこにあるのは建物内で見掛けた扉とは少し違う物。それでもアイリはまた扉かとうんざりした様子でいる。
「もし、これがあの扉につながっていたら、絶対八つ当たりしそう」
「そうか……」
「…………」
反応が薄いキリにアイリはどこか怪訝そうな表情を見せた。彼は思わず動揺してしまう。心中が彼女にバレてしまったか。
何を言われるのだろうかと不安になっていると「キリってさぁ」そう、アイリが口を開く。
「『ツッコミマン』の称号を持っているはずなのに気力が見えないよ」
「いや、見えないよって言われても……。ていうか、要らないよ。本当に」
「ほらぁ。弱々しいし、質が落ちてる。普段のキリなら『要らねぇよ』の一言で片付けられるのに。どうしちゃったの」
「どうしたって、どうもしないから。いつも通りの俺だよ」
「うーん、点数的に三十点かなぁ。反応のスピードはよかったけど」
なぜに採点方式? 別にキリは己のツッコミの仕方を忘れたわけではない。そのツッコむ気力がないだけ。あまりにも悩み過ぎて、そちらに集中することがないだけ。だとしても、この場でツッコミに関しての討論はやりたくないため、彼は先を急ぐようにする。その目の前の扉を開けると――。
◆
よく斬れる君、それはMAD細胞で作り上げた試作品の刀――『LILAS』に対して絶対に千切れないロープ君の繊維を織り交ぜてできた代物。世界最高峰に挙げられるほどの合成硬物質である。それを鍛えた者が扱えば、弾丸を通さない皮膚を持つ異形生命体の身体を両断できるほどだ。
試作実験と称して、実際にあの巨大なバケモノと対峙したことがあった。グリーングループの社長は計算上は人一人でも倒せると言う。
本当だった。
今まで、隊列を組んで怪物の行動を見極めながら誰彼に指示をしていた自分がばからしくなるほどの絶大的な威力。しかし、その実験をして成功しているのはどこの国でも出没する元人間の異形生命体。ハイチやバーベリ姉弟のような完全体を相手にしたことは一度もない。どれほどの強さであるのかは未知数だからなのだ。だからこそ、イヴァンを捕えたときも好条件が重なっていただけであるとも言いきれた。
今回対峙するのは異形生命体の完全体に加えて、動ける人間の兵士が二人であるということ。
ラトウィッジは胸が苦しくてたまらなかった。エブラハムを庇ってつけられた傷からの血は止まらない。この状況に見かねて怒って突進した彼はエイキムに遊ばれている。攻撃すべてを軽々しく受け止めているから。
あの三人からのMAD細胞を取り除くにあたってヴェルディが言っていたこと。
【詳しく検査したら、MAD細胞と人の細胞が融合している状態なんですよ】
つまり、MAD細胞をはがしても、剥がしても人の細胞には届かない。なんとか届いたかと思えば――。
【内臓や血管などにはその細胞は見当たりませんね。言わば、体の中は普通の人ですよ】
ハイチが信者の町で異形生命体を単体で倒したという話は聞いている。人伝いで本当かは定かではないが、口の中へと突っ込んで脳天目掛けて銃砲を撃っていたとか。あのバケモノは基本的には脳内に脳情報遠隔操作装置が埋め込まれている。だから、偶然にも彼は倒せた。
しかし、完全体の倒し方は? 集団戦法は? 入り口が塞がっており、誰も入ってこられない。動けるのは自分とエブラハムだけ。貫通君はヴィンに渡している。
ヤナの場合は? あれは同じ完全体であったハイチが倒したという痕跡がある。人間である自分たちには無理があった。
ハイチを仕留めたときは? 過去の歯車の力を暴走させたキリがやったこと。自分たちはその後始末をしただけ。言わば、所有権を持たない。不思議な力を持たない自分たちには不可能。
「無駄な足掻きをっ!!」
エブラハムの諦めないやり方に苛立ち最高潮なのか、エイキムはよく斬れる君の剣身の根元に向かって攻撃し始めた。それらを受け止める彼の表情は苦痛に満ちている。
「はっはっはっはっはぁっ! 人が選ばれし者に勝てるか!? 僕に勝てるものか!?」
「いいや、勝つのだっ!」
痛む体に鞭を打ち、ラトウィッジは隙を窺って、拝み打ちをした。だが、それはそのときに行動してもよかったのだろうかと後悔してしまう。防ぎ、防がれ――その反動で体中の力が半減してしまっている彼は床に転がり込んでしまう。呼吸が、焦点が合わない気がする。大量出血で意識が朦朧とし始めてきている。
【諦めない】
そうは言っても、自分は人間だ。そう発言したエブラハムだって普通に人だ。
【勝つのだっ!】
先ほどの発言に自身を恨む。エイキムの言う通り、人である者が眼前に見えるバケモノに勝つなど――。
我々、人間は勝てない。独りでは。単独で打ち勝った彼らも同じ『バケモノ』。それもそうだ。ハイチは異形生命体。キリは過去の歯車の所有者。普通に体中に傷付けられて、大量出血を起こしている人間が痛みに耐えて、傷口から血を吹き出しながら戦えるなど――。
「ラトウィッジの心が折れようが。私独りになろうが、それでもお前を私は助けたい」
友だから。昔、三銃士軍団として誓い合った仲だから。あの日、掲げた魂に偽りはなかったから。ライアンと約束したから。それだからこそ、エブラハムにはまだ諦めないという心が、魂が宿っていた。
◇
【お前はこの国の王として恥のない行動をするように】
青の王国先代国王――つまりはエブラハムの父親にそう言われた。その言葉を聞いたのは昔、城内で友人であるラトウィッジたちとかくれんぼをした後である。彼はそういうお遊びには許さないのか、怒り狂っていた。
そのようなことがあって、エブラハムたちは前みたいにして楽しそうに遊ぶことは止めた。怒られるのは嫌だから。怒られたくないから。それだからこそ、大人しく城内にある書架に赴いて本ばかりを見ていた。みんながそうしている間、同じ城内に住むソルヤノフ家当主であるエイキムは――。
「つまらなくない?」
本を読んでいる自分たちにそう発言する。それくらいは知っている。感じている。誰もが。だが、それを口に出すことはないのだ。どこかで聞き耳を立てている自分の父親に怒られたくないから。
「そんなことないよ」
嘘をついてしまった。
「エイキムも読んだらいい。当主は色々と大変だろ?」
「僕はいい。読まない」
そう言いながらも、結局遊び相手がいないものだから一緒に読む羽目になるのが日常だった。エイキムがいつも読んでいた物は子どもにとっては小難しい内容の本。押し絵など一切ない類の眠くなりそうな物。それは読んでいて面白いのかと訊ねると――。
「微妙」
なんとも言えないのがエイキムらしかった。それでも、彼は彼であると誰もが思っていた。元々、エイキム自身は頭がよかった。だからこそ、小さな文字の羅列を見てもどうも思わないのだろう。学の追及を奥深くまで探ろうとしていた。将来は碧学知褒章か翠政統褒章を得るだろうと大人たちが期待したものだった。
それでも彼は――。
「どっちでもいいかも」
将来を期待された神童。もちろん、それはエブラハムも思っていたこと。近い未来は王となる自分の支えとなってくれる友人である、と。
◆
エブラハムは十五歳にもなり、学徒隊としての経験を積むために軍人育成学校へと入隊する。エブラハムとエイキムは学術として大いに学べる学術科教室を専攻した。
ここでもエイキムは教官たちを驚かせた。彼らよりもある膨大な知識。誰も知らなかったことを知っている。それが素直にすごいと思っていた。きっと、彼は人知れずして勉強の努力をやり遂げていたに違いない。ますます、彼らの期待値は跳ね上がってしまう。
後になってエブラハムは思った。その期待の思いがいけなかったのではないか、と。
◆
四回生になったあるとき、エイキムは初めて学校の授業に姿を現さなかった。真面目に出席していたのに。これにはその授業担当の教官も疑問に思っていた。
それはその一回だけに限らなかった。その後の授業も、次の日も――あくる日もエイキムの姿は一切見ない。寮の部屋に訪ねても留守。
「どこに行ったんだ?」
「わからないなぁ。城に帰っているわけでもなさそうだし」
エブラハムとラトウィッジが心配をしていると、偶然にもエイキムは戻ってきた。手には一冊の分厚い本を持っている。
「あれ? 二人ともどうしたの?」
それはこちらの台詞だと言わんばかりに「どこへ行っていたんだ?」と問い質す。
「数日間もいなくて心配したぞ」
「そうかい? それは悪いことをしたね」
などと言う割には反省の色は見せない。その本が気にかかって仕方がない。部屋へと一人入ろうとするエイキムを呼び止めて本について訊いた。彼はその本の表紙を見せてくれるが、タイトルすらも書かれていないそれをどう知れと。
「なんだよ、その本は」
「『キイ教典』さ」
その言葉に二人は眉根を寄せた。いや、信仰する宗教は自由である。現に王国の貴族にもキイ教の信者は存在するのだから。何もおかしいことではないと、わかりきっているのに、違和感は拭えなかった。
「お前、今までどこに行っていたの?」
あまりにもその不安的感情が取り除けなくて、ラトウィッジはそう訊く。それにエイキムは「決まっている」と最初から自分たちも理解しているだろうとでも言うような面持ちでいた。
「信者の町だよ」
「なんでそこに?」
「キイ教の礼拝堂は王国中を探しても、あの町しかない。だから、そこで祈っていたんだよ」
「ソルヤノフって、信仰心ないだろ? なんでまた……」
「それはキイ様のお告げがあったんだ。だから、僕は読むし、祈りを捧げるよ」
「……そ、そうか」
二人はこれ以上言及しなかった。あまり干渉するべきではないと思ったから。エイキムがやりたいことはやらせてあげるべきだと思ったから。
それでも、そこで止めるべきだったのだろうか。その日を境にして、エイキムが信者の町へと赴くことが多くなったのは。
「あれ? ソルヤノフは?」
「なんか礼拝堂に行ってくると言っていたよ」
見掛けないときのほとんどが祈りを捧げるためである。全く授業や任務に参加しないわけではないが、月に十数日はいなくなることがあった。そのせいで単位が足りなくなり、補習を受けることがしばしば見えるようになった。
そんな中でもエイキムはギリギリ五回生へと進級できた。正直言うと、この頃から自分の親たちや教官たちの見る目が変わり始めてくるようになる。キイ教への信仰心は相も変わらずだったからだ。
何をそんなにエイキムの心を動かすようなことがあろうか。休み時間すらもキイ教の教典を読み更ける彼にラトウィッジは声をかけた。
「なんでそればっかり読んでいるんだ?」
その宗教に没頭し始めてからは教典以外の物を手に取っている印象はない。読書している様子はない。ひたすらにその本だけ。自分の質問に対して「それは」と言葉を続ける。
「キイ様が僕に教典を読みなさいって仰ったんだ。だから、僕はこれしか読む気になれない」
「でも、お前三銃士軍団員だろ? たまには城の方にも顔を出せよ。仕事はあるんだぞ」
「いいや。そちらよりも、祈ることの方が大事だ。世界は待ってくれないからね」
話しかけられたから、と煩わしそうにしている。こちらの方を向いて返答はしてくれない。会話が途切れると、キイ教典を読むことに集中して、どこか行けという雰囲気を出していた。これ以上話しても何も答えてくれないだろう。そう思っていると――。
「そう言えば、この前ポータ家の子に会ったよ」
「ポータ……ああ。レナータっていう女の子だっけか?」
「そうそう。あの子についでだからバースデープレゼントとして教典あげちゃった」
それに対してラトウィッジはどう反応していいのか、わからなかった。女の子と言っても、まだまだ文字の練習をするには早い年齢だろうに。彼女の親もどうしていいのか絶対にわからなかったに違いない。
「あげたら、あげたで早速読んでくれたみたいだけどね」
――読んでいるというより、捲って眺めているだけだと思う。
言いたいことが言えそうにない。
「どうだい、フォスレターも。読んでみたら?」
「わ、私はいい。そういうのには興味ないから」
「そう? これ読んだら世界観が変わってくるよ」
ラトウィッジにとってその発言はただの現実逃避のように思えた。エイキムは何かから逃げたがっているような気がして。そして、彼は話しかけたことを後悔する。是が非ともキイ教へと改宗させるために、教えについてのすばらしいところなどを力説してくるからだ。
興味ないのに。
半分聞き流していると、エブラハムと一人の女子学徒隊員の姿が見えた。彼女もまた貴族の者である。そんな彼らは仲良さそうにして、ご丁寧に手をつないで歩いていた。将来、彼女は王妃となるだろう。この二人に対してそう誰もが思う。しかし、一人だけよく思わない人物がいた。それがエイキムだ。彼女に気付くと眉間にしわを寄せた。
「……王子もこれまた悪趣味な人を選んだものだね」
いくら軍や学徒隊では身分が対等であったとしてもその発言は許せなかった。
「今のはひどいぞ。彼女のどこがいけないと言うんだ」
「僕の考えとは正反対の人だから」
「は?」
「『誰かを思うことがあるならば、その人の幸せを願ってあげるべきだよ』って言っていたけどさ、ばからしくない?」
エイキムはそれを小ばかにしながら再び教典を読み始めた。あの女子学徒隊員の言うことのどこがばからしいのだろうか。むしろ、すてきな言葉に聞こえるのに。
「何もおかしな発言じゃないと思うが?」
「十分におかしいよ。僕から言わせると、なんで願うんだよ。意味がわからない。好きなら、思うくらいならば、愛せばいいだろうに」
「…………」
「ね、彼女は誰も愛したくないんだろう。誰かを愛するくらいならば、あの人が幸せになってください。この人を幸せにしてくださいって言う方がマシなんだろうね」
「それは極端過ぎるぞ」
決してそういう意味を思って言ったわけではないはず。なぜにそのような解釈をしたのか。ラトウィッジが彼女の擁護をしようとすると、彼に止められた。
「結局あの子も王子を愛することなく、死ぬだろうね。人は自分が可愛いと思っている連中だから」
「その発言、ソルヤノフにも返ってきているぞ。お前だって人だろ」
「そうだね。人間というのは愚かな生き物なんだ。そう事実を受け止めた今でもぞっとしているよ。自分がその人間であることに」
どこかへと立ち去ろうとするエブラハムと女子学徒隊員の後ろ姿を見つめる。
「うん、こういう風に言っている自分もばかげているね。頭がおかしいんだろう」
あの二人の仲に嫉妬しているのかと思っていた。エイキムは逃げるようにして立ち去って行ってしまった。
声をかけることが難しく思えるようになる。エイキムがあの女子学徒隊員を嫌うような雰囲気でいるのは誰もが察していたから。正直言うと、彼がキイ教を信仰し始めてからせっかく揃った三銃士軍団員の全員が顔を合わせることが全くなくなってしまった。基本的にエイキムは城へと戻ってこない。学校内にいることも少なくなっていた。
◆
また礼拝堂で祈っているのだろう。なんてエブラハムとラトウィッジの二人が校舎内を歩いていると、前の方にエイキムがいた。珍しく学校に来ている。彼は白髪交じりの男性と話していた。この男性は生物学の教官でもあるウンベルト・バグスター。そろそろ定年でもあるし、生物学会への研究に本腰入れたいと言っていたことを思い出す。
「何を話しているんだ?」
「さあ?」
二人の会話が気になって仕方がない。しばらく彼らを見ていると、話が終わったのかウンベルトがこちら側へとやって来る。エイキムは反対方向に立ち去ろうとする。そんな彼と話がしたいために追った。
今日は温かくて天気がいいとでも思ったか、中庭でキイ教典を読んでいた。
「ソルヤノフ」
「やあ、二人とも。今日は気持ちのいい天気だね」
「ああ、そうだな。ところで、バグスター教官と何を話していたんだ?」
「何って、ただの他愛もない話だよ。僕、単位が足りないそうだ」
授業の単位が足りないことを他人事のようにして話し出す。それに二人は怪訝そうに見てきた。どうしてそうも他人のようにして言えるのか。
「それでいいのか?」
下手すれば落第なのに。除籍になってしまうのに。
「それは仕方ないよね。弁解の余地がないなら、なおさらだ」
「仕方ないで済ませる気なのか? 仮にも三銃士軍団員だろ?」
「そう、僕は三銃士軍団員だね」
にこにこと笑顔を絶やさずエブラハムの方を見てくる。閉じられている教典が不気味に感じられた。なんなのか、この胸騒ぎは。休み時間で騒がしいはずなのに、辺りはしんとしているようだ。それが一番怖い。
エイキムは「ねえ」と呼びかける。特にエブラハムと視線がぶつかった。
「王子の好きな人を殺してもいいかい?」
絶句。唖然。開いた口が閉じられない。急に何を言い出すのか。
「冗談じゃないっ!!」
エブラハムが怒るのは当然だ。好きな人――あの女子学徒隊員を殺すだなんて何を考えているのか。殺人を犯すなんて、そのようなことは以ての外である。
「何って殺人計画さ。僕は彼女を殺す。その予定を今、立てた」
「おいっ! お前は何を考えているんだ!?」
「愚問なことを訊かないでくれ」
「愚問なものか! ばかなことを考えないでくれ!」
人を殺すだなんて。とうとう頭が狂ったか。
【頭がおかしいんだろう】
ラトウィッジはエイキムが以前言っていた言葉を思い出す。彼は自身の頭の中がおかしいことを理解しているし、その上で殺人の計画を立ててしまった。
「確かにばかなことかもしれないね。でも、僕はそれを正当であると考えている。だからこそ、僕が彼女を殺すことも、彼女が死ぬことも『受け入れろ』」
「考え直してくれっ! お前が殺人をしようだなんて……ましてや、彼女が死ぬなんて耐えられないっ!」
「そうだ! まだ間に合うから……もし、そんなことをしたら? みんなが悲しむ。死んだソルヤノフの両親も悲しむんだぞ。誰も幸せになんか――」
「なれないことを『受け入れろ』って」
その目が怖いと直感で思った。受け入れる? エイキムは何を言っているのだ。本当に彼の言っている意味がわからなかった。
「お前は何を言っているんだ?」
それだから、率直な思いをぶつけた。
「二人こそ何を言っている。それが僕の天命だ」
人を殺すことが天命? そのようなものを天命と認められるのか?
エイキムの発言の意味を処理する間もなく、彼はその場を立ち去って行こうとする。慌ててエブラハムは自分の好きな人を守るために教室へと戻った。
何かの冗談であって欲しい。切実にそう願ってはいたものの、あの発言は本気だったようだ。何度も迫りくる殺意は本物のようで、他の三銃士軍団員も命を狙われている女子学徒隊員を守った。
ばかな考えはよせ、考え直せ、思いを改めろ、いくら言えどもエイキムは聞く耳を持たない。必ず――。
「『受け入れろ』」
そう言って何度も殺しそうになったことか。その言行に不審を抱いているのは何もラトウィッジたちだけではなかった。他の一般学徒隊員や教官にも知れ渡り、あまつさえも王城にいる貴族たちの耳にも届いた。当然、それはエブラハムの父親国王にも。
その件でエイキムを含めた三銃士軍団が国王に呼び出された。それが最後の彼らにとっての集まりである。
「エイキム・ソルヤノフを三銃士軍団から追放とする」
ついに言い渡されてしまった。
「ち、父上……」
「エブラハム、お前は黙っていなさい」
何も言えない自分たちに、エイキムは――。
「そうですか」
あっさりと強制脱退を受け入れた。
「でも、僕は彼女を殺すことも、彼女が死ぬことも受け入れるつもりですから」
この期に及んでまだ言うか。まだ彼女を殺そうとする気なのか。そんなエイキムの精神に頭を抱えるようにして国王は更に通達を申し立てた。
「……ソルヤノフ。お前みたいな危険因子を城にいさせるわけにはいかん。故に身分を返上し、法廷でお前を裁く」
「そうですか。どうぞ、お好きなように」
身分剥奪に加え、勝てないような裁判ですらもすんなりと受け入れるその器量に心底驚かされた。残されたものなど何もなくなってしまうのに。いや、まだある。キイ教が。まさか、それにすがって生きていくつもりなのか。誰もがその思考回路には着いていけずに、かける言葉すらも見つからなかった。
国王から通達されて二ヵ月後にエイキムの裁判が行われた。ほとんど一方通行的な法の裁き。いいや、彼に弁解の余地などない。本人がその事実を認めているのだから。否定など一切していないのだから。
結果は有罪。収監所に投獄となった。
◆
ある年の青の王国の建国記念式典にて。最悪な事件が起こった。
一人の衛兵が謀反でも企てたのか、エブラハムの好きな人――すなわち、王妃を殺害。その直後に加害者であるその兵士も自殺を謀った。
「キイ様のためにっ!!」
そう言い残して。それがすぐにエイキムの仕業であると判明した。王妃の死から一日が経ったとき、彼が脱獄したという話を聞いた。更には自分宛てにメッセージカードが届く。
『王妃が殺されたことも、死んだことも受け入れろ』
そのメッセージに嘆いた。彼女の死は誰が悪かったのか。謀反の兵士? エイキム? 自分? 父親?
なぜ、エイキムは殺したのか。天命とは何なのか。
「……パパ?」
カードを破るようにして捨てていたエブラハムのもとに亡き王妃とそっくりの幼いメアリーが不安そうにこちらを見ていた。彼女は王妃の死がよくわからないのだろう。彼はメアリーをしっかりと抱きしめた。もう何も失いたくない。だからこそ――。
◇
「ばかなことは止めてくれっ……!」
何をどこで間違えたのだろうか。何がいけなかったのか。二十年以上も前から問い続けているその自問に答えは見つからない。
「なぜ、彼女でなければいけなかったんだっ……!」
好きな人に送った『誓いの証』。
【あなたにとって、私の幸せを捧げたい】
金色の長い髪に映えるような青色のイヤリング。中庭の美しい植物と日の光に照らされた彼女は紛れもない、自分にとっての最愛の人。
【おめでとう】
エイキムは彼女に告白をした自分にそう言ってくれたのに。
エブラハムの攻撃をエイキムは黒い腕から変形させた剣で受け止めた。その受け止められた衝撃により、痺れが腕に襲ってくる。だが、そこで立ち止まるわけにはいかない。
人の道を外れてしまった友人を助けるため、言えなかった、訊けなかったことを言うため――。
悲痛の言葉を投げつけるエブラハムに対してエイキムは嘲笑った。
「いいこと、教えてあげようか」
そう言うと、エブラハムのよく斬れる君に強烈な一撃を加えた。その衝撃に耐えられずして、彼は床に転がる。
「こ、国王様……」
次の攻撃が来る前に必死に立ち上がろうとするが、立ち上がれない。しかし、エイキムはなんとも思わないのか、二人を無視して話を続けた。
「皮膚硬強化剤に耐性がある人たち。すなわち、番人や狂人たちに成りえる人の特徴について」
「なっ、に……!?」
「一つは精神的に強い者たち。二つは囮役としての運命になる者たち。三つ目は『ミスミ家』の血を受け継ぐ者たち」
我が耳を疑った。ミスミ家の血を受け継ぐ者だと?
「ただし、分裂したミスミ家は別物。つまりは隠れカムラ教徒たちはその素質はないってことだね」
ミスミ家と言えば、青の王国の貴族にもいる者たちで王都に住まう貴族のほとんどが彼らの血を受け継いでいる。元より、貴族は貴族で。平民は平民でつながっていくから――。
茫然とする中、エイキムは「喜べよ」と嗤う。
「MADに耐性があるのはキイ様からの天命を受けれる資格があることなのだぞ? 中途半端に耐性があっても意味はないんだけどね」
番人。アイリが言っていた。世界改変者の駒であると。また、狂人も同じである。違うとすれば、番人は彼女から、狂人はあのUSBにあったオリジン計画からなのだ。現在、分かっているだけでキンバー兄妹のみ。エイキムの発言から考えると、異形生命体における完全体こそが番人であること。
「わかるか? つまり、彼女は番人の資格を、一番に結果を出してくれる存在だという可能性があったからこそ、その死体が欲しかった」
思わず身震いしてしまった。
「結局は死体回収すらもできずに、かなりの時間が過ぎてしまったけれどもね。だから、仕方なぁく僕がなってあげたこともあるんだけれども」
それでもいいさ、とエイキムは言う。
「代わりにお前らの子どもたちがその役目を果たすんだから」
いや、もう自分が殺されようと構わない。二人は憤りが収まらなかった。己の傷なんて気にもせず、突撃していく。
「ふざけるなっ!!」
自分の子どもたちがだと? そのようなこと、もっと許されるものか。もう二人には「助けたい」という気持ちは失せていた。目の前にいる人物に対する思いは怒りしか出てこないのだから。
「なるほど、僕はふざけて見えると」
流石の二人の猛攻撃には防御しかしていなかったエイキムは「本気を出そう」と言い放ってきた。
これぞ、天命を授かりし者の本当の力だ。
黒い鎧が顔を覆う。目や鼻、耳に口と言った顔の穴へと入り込んでくる。肩には腕なしと同じような黒い翼が。そして、ようやく見せた目の色は人間には持たない銀色。部屋中にはMAD細胞の黒い壁や床、天井が覆い尽くす。
ラトウィッジはこの状況を見たことがあった。黒の皇国の首都近郊町での出来事。イヴァン捕獲。すべてのステータスを振りきるほどの最強最悪のパワーアップ。あのときの彼を捕獲できたのは紛れもない、集団戦法があってこそ。条件や準備がきちんとなっていたからできたこと。
ここでは己の力を信じるしかない。それしか頼られないのだ。
「さて、僕はこれから邪魔をする者がいる存在を受け止めながら、殺すという行為も、死ぬという行為もすべて受け入れるつもりだ」
――つまりは、『死ね』。
かつての友人を当たり前とでも言うようにして、エイキムは二人に形成させた黒い剣で殺しにかかった。一撃の重み。感情任せに動いてはいたが、傷にやって来るほど痛みが増してきた。直接的ではない、間接攻撃に彼らは顔を歪めた。力で敵わないにしても、誰が死ぬものか。誰が諦めるものか。
だとしても、救いたい、助けたいと思っていた自分がばからしく感じる。どうしてこのような者を、自分を犠牲にしてまで助けようと考えていたのか。もうエイキムを助けるだなんて――。
「それでいいのか?」
銃弾すらも跳ね返してしまうMAD細胞の壁を強引に突き破ってきた何かが三人の間に割って入ってきた。それは木の根っこだった。なぜにそれがこの場所へと侵入してきたかは定かではないが、聞き覚えのある声が聞こえてきていた。
そう、それは――。
「お前たちは何のために『戦友軍』とやらを結成した?」
王城で見掛けたときよりもかなり体が透けているライアンだった。
「友を欠くしては世界は成り立たないんじゃないのか?」
腰に提げていた軍刀を抜いた。割って入ってきた木の根はエイキムに対して敵意を向けている。
「しょ、初代国王……!」
「へぇ、この場にそんな人がいるんだ」
エイキムはライアンの姿と声が聞こえないらしい。彼が見えているのは邪魔に思う木の根のみ。
「こんな挑発に乗せられて、自分の考えを折ってしまうなんて。メアリーを見習ったらどうだ」
「え?」
「あの子もお前たち同様に、友のために戦っている。何度絶望的になったことか。それでも、彼女は諦めることはなかったんだ」
思い出すメアリーの笑顔。その表情はとある女性の穏やかな顔と重なって見えた。
【あなたにとって、私の幸せを捧げたい】
【それならば、私はあなたの幸せを、誰かを思う気持ちを常々願っております】
自分の気持ちを素直に受け止めてくれた女性。彼女が傍にいるだけで心が温かい気持ちになっていた。命を狙われていた我が妻は決してエイキムに嫌悪感を抱いていなかった。
【彼はきっと、苦しんでいると思いますよ】
殺された日、己のことよりも自分たちの心配ばかりをしていた。段々と力が入らずになっていく。開けられた目もゆっくりと閉じようとしている。
ああ、子どもたちの泣き叫ぶ声が聞こえてくるよ。
【ママ!? ママぁ!?】
燃え尽きようとするその命に気力を振り絞って――。
【あなたたちにとって……誰かを思う心があるのならば……。その人の幸せを……願ってあげなさい】
自分は願っていた。どうか死なないで欲しい、と。死なないことが誰にとっても幸せなはずだから。そう考えていても、その切望は叶わなかった。
【……私は……願っているわ。……みんなの幸せを……】
「『諦めない心』を持っているならば、どんな困難でも立ち向かえるはずだ。簡単に諦めたりするなんて、俺はそんなことを教えるために化けて出てきたんじゃない」
自分の未練は友を助けられなかったから、助けて欲しいわけではない。こういう経験をしているからこそ、子どもたちにはそんな悔しさを味わさせたくないから。強い心を持て。お前たちにはまだチャンスはあるのだから。時間はあるのだから。
ライアンは刃を二人に向けた。
「お前たちに問う! お前たちは何のためにここへやって来た!?」
その言葉に二人はよく斬れる君を構え出す。徐々に引いて行く木の根たち。これにエイキムも戦闘態勢を取ろうとし始めた。
「自分の考えを折るためか!?」
「違うっ!!」
「ならば、その青き魂を貫き通せ!!」
諦めぬ精神の名のもと、二人は駆け出す。道を誤ってしまった友人を助けるために。もう一度、その間違った道からこちらへ戻ってきてもらうために。
「エイキムぅううう!!」
「なんだい? エブラハム」
その場に崩れ落ちるエブラハム。人の体という物はこんなにも脆いものなのか。簡単に黒い剣を体中に貫かれて、動けなくなるものなのか。諦めないって何? 信念を貫き通すって何? そんなことして、本当に意味があるのか? そんなことを思っていて、本当に自分たちは友人を助けることができるのか?
ライアンの言うことは正しい。約束をしたから。自分たちが間違った道へ行かないように指示を出してくれたから。だが、その先人の言われた通りに歩いた道には崖があった。一人でも二人でも飛び越えられない巨大な谷。
立ち止まるラトウィッジ。
「どうした、来いよ。ラトウィッジよ」
勝てない。その恐怖が迫りくる。
「独りは寂しいか? 悲しいか? 僕はそう思わない。今まで独りきりだったからね」
独りではどうしようもない。このまま、大人しく殺されるのか、と思ったそのとき――。
「総長独りなものかっ!!」
勢いよく抉じ開けられた入り口からは負傷した戦友軍たちが駆け込んできた。手には突撃銃や数少ないあの貫通君と絶対に千切れないロープ君の弾刃が搭載された巨大銃砲を持っている。
「まだ我々戦友軍がいる!」
一人の兵士がエブラハムを介抱しながら「総長、ご指示を!」と言う。
「異形生命体は独りで倒すというのは厳しいはずです!」
エブラハムが苦しそうにしながらも「ラトウィッジ」と声をかける。
「みんな、お前の指示を待っているから……」
「かしこまりましたっ!」
ラトウィッジはエブラハムに向かって敬礼をすると、よく斬れる君の刃を向けて「総員!」と大声を張り上げる。
「目標に向かって、撃てぇ!! そして、『死ぬな』!!」
その命令通りに動く戦友軍たち。エイキムはそれでもなんとも思っていないらしく、煩わしいと思う者たちを潰すためにあちこちに黒い剣を振り回す。弾丸は全く効いていない。当たり前だ。眼前にいるのは異形生命体なのだから。それでも、注意を逸らすことぐらいはできる。それだからこそ――。
「弾刃発射っ!!」
隙をつかれて貫通君に体を貫かれてしまったエイキム。初めての痛みが彼を襲う。その怯みも逃さない。続々と銃音が鳴り響く。体から突き破ったそれらを回収するようにラトウィッジは命じる。それを手にして縛り上げていくという代物。
エイキムは絶対に千切れないロープ君から解放されるために引き千切ろうとするが『絶対に千切れない』ロープ君だからいくら人外の力を手に入れようとも脱出は不可能であるのだ。
「クソっ!」
ここにきて初めて焦った表情を見せるエイキム。ラトウィッジはエブラハムが持っていたよく斬れる君を手にして、二つの剣を構えた。彼らがいたからこそ、ここまでこられた。独りではすべてのことができるとは限らない。それはもちろん、自分たちだって。それだからこそ、今ここで戦友軍に感謝しよう。助言をしてくれたライアンに感謝しよう。戦友軍たちがいて、彼の言葉を信じて良かった、と。
「……彼女はお前を心配していた」
ラトウィッジは一歩を踏み込んだ。
【……私は……願っているわ。……みんなの幸せを……】
「彼女はあのとき願っていた」
【もちろん……ソルヤノフさんの幸せだって……】
「だからっ……ばかなことをしないで戻ってこいっ! 『エイキム』!!」
交差する斬撃。打ち砕かれるMAD細胞。はがれ落ち、エイキムはその場に倒れ込むのだった。
◆
逃げられないように、黒い鎧を身にまとえないようにしてエイキムを拘束した。エブラハムは傷が深いため、戦線離脱となるが、ラトウィッジ自身も傷が深い。そのことを戦友軍たちに指摘されたが、止血だけで構わないと言う。
「王国軍の総長たるものが戦線離脱するべきじゃない。私は四肢がもがれようが、動けるならば戦う」
そう言うと、拘束されたエイキムが「冗談キツイな」と一笑した。
「今更、人間に時間など残っていないのに」
「そう、言っていたな」
【『舞台装置』はすでに『稼働』している】
【オリジン計画は『実行された』】
「教えろ、なぜにお前たちは世界を終わらせようとしているのか。世界改変者の目的は」
アイリからは色々聞いたものの、それでもわからないことはある。それがコインスト及び、世界改変者の目的。未来のコンパスと過去の歯車を使って世界を手に入れようとしているのはわかる。
【世界改変者は『この世界を我が物に』するため。僕は天命である『世界の果て』を実行するため】
だが、あの言葉にはどこか矛盾がある。世界を『我が物にする』ならば、世界の終焉である『世界の果て』を実行するのはおかしな話だから。世界を手に入れるために世界を終わらせるだなんて。
もう逃げられないぞ、と威圧感をかけていたら――エイキムは口を開いた。
「この世界を自分の物にするために世界を終わらせるつもりでいるみたいだね。それ以外の目的は知ったこっちゃない」
「…………」
「この上層部には『舞台装置』が設置してあり、稼働している。それはつまり世界をリセットするのさ。世界の果てもそれと同様」
「それならば、世界改変者は何者だ」
「彼は――」
返答しようとしたとき、壁や床に残っていたMAD細胞の壁がエイキムの体を押し潰した。辺り一帯に血が飛び散るほどの威力。黙らせるため、と言った方がいいだろう。壁が動いたときはすべてが潰れていた。ああ、人というもの――それに近しい者でも押し潰されるのはこういうことか。これが人類にとっての最大の敵である世界改変者か。
その場にいた誰もが何も言えぬまま、エイキムの死を弔うしかなかった。




