深淵
アイリは机と椅子しかない部屋でラトウィッジの向かいの席に座っていた。机上にはピンク色の分厚い本が開かれている。彼にとって何が書かれてあるのか読めないし、理解できない。だが、彼女はそれが何の文字でどういう内容が明記されているのかを把握しているのだ。
「思い出したとは本当か」
「はい。あたしは間違っていました。あたしが殺すべき者はあの人じゃない」
そう言うと、本を捲りながら破けたページの方を開いた。数枚が一度に破けられている状態である。
「このページは『本当の世界改変者』が破いたページ、すなわちこの部分をなかったことにした……」
更にペラペラとページを開いていく。書かれた文字の上から横線で引かれて、その上から上書きされているページ――「『過去の歯車』と同様の改変」
一部分だけが破かれたページ――「記憶の欠落のようなもの」
そして、最後のページを開いた。
なぜか思い出せなかった記憶すらも思い出すことができている。何千何万回も全く見当違うことをしてしまった。それはなぜか――決まっている。『本当の世界改変者』が番人を拵えていたこと。その番人とはキンバー兄妹であったという事。これまでに対峙してきたハイチは世界改変者の『囮役』。
【番人を拵えた】
隠れカムラ教礼拝堂でライアンの伝言がそうであれば、番人は一人ではないという可能性がある。ハイネやハイチがそうであったように、まだ存在する可能性だってあるはずなのだ。
「あたしの使命は『神』が創り上げていたこの世界の創製日記にいたずらした者、世界改変者をこの世から消し去ること」
◆
綺麗な青い海の見える場所。数日前までは平和的だったこの国にも悪夢は訪れ始めていた。ここ――赤の共和国の自衛軍中央機関の建物のとある一室にて二人の男性がいた。一人はこの国の自衛軍のトップに君臨する男、総督。そして、もう一人は総督の補佐官である。
総督は椅子に座ってデスクの上に置かれている本日発行された自国の新聞を見た。
「…………」
すべての国々での異形生命体の被害。初めてこの国で死者が出た。他国からの情報によれば、これはコインストという過激派キイ教関連宗教団体企業のせいらしい。
「総督……」
渋い顔を見せる総督に補佐官は愁眉を見せている。
「世界中では何が起きているんですかね?」
初めて赤の共和国であのバケモノが出現したのは一年ほど前。ファッションショーが行われていた服飾の町に出てきた。そして、昨日には――。
【我々人類には時間がありません】
これは国交同士の仲の悪さからくる偶然的な因果なのか。それとも、本当にコインストが世界を支配しようと目論んでいる必然性なのか。
自分と赤の共和国を束ねる首相を前にしての二人組の男性。今頃、彼らはあの二国に向かっている頃だろう。唐突の訪問には驚いた。だが、彼らの言い分はわからなくもないから。今件において自分たちが関わりを持ちたくないと思っていても、必然的に関わらざるを得ないだろう。戦いに消極的なこの国でさえも立ち上がらなければならない時代がいよいよとやって来たのである。
「確かにこの国は共和国……国のことは国民が決めるのでしょうがね」
赤の共和国は戦いを好まない平和主義的民族。たとえ、戦争に関する支援は消極的にさせてもらうほどの他国に関する興味の顔はほとんど向けない。だが、自国に危害が及ぶのであれば――。
――共同戦線に関しては大いに手を出させてもらおうではないか。
「私たちは彼らと同様に平和を願わなければならないでしょう」
◆
「急にすまない、二人とも」
そう申し訳なさそうな表情を浮かべているのはヤグラである。そんな彼の前には一時間ほど前にラトウィッジとの事情聴取を終えたアイリ、それとは別にハイチがいた。彼らは構わないと言ってはいるものの、ハイチはそうではない様子。本音が顔に出ている。面倒だ、と。
「そんな顔をしてまで嫌かい?」
「いぃえ? そんなことはないと思いますよぉ、ルーデンドルフ『元』教官」
そんなことを思っている、発言しているから嫌な顔をしているんだろうな。ヤグラは苦笑いをしつつ、とあるマシンの電源を入れた。そのマシンとは脳情報変換機である。平たく言えば、人がコンピュータの世界へと行ける代物。二人は実際にコンピュータの世界へといったことがあった。
「二人の記憶のロックはなんとかガンが頑張って壊してくれたけれども……どうも、今回は一人では敵わないらしいから」
「それは大変です。じゃあ、先輩だけ行ってらっしゃい」
「お前は行かないのかよ! つーか、人任せにするな!」
元々と言えば、アイリがハイチを引きずってまで連れてきたのに。
「大体、なんで俺が行かなきゃならないんだよ」
「あたしはしましたけれども、先輩はガンにロックを解除してもらったお礼をしに行くんでしょうが。突然何を言い出すのやら」
「お前なぁ……」
このまま放置していても時間がかかるだろう。そう見込んだヤグラは二人の喧騒が始まる前に静止を利かせてマシンに座るように促した。その言葉に二人はあまり気乗りしない様子。
別にコンピュータの世界へと行くことは厭わないが、渋る原因は行く瞬間にある。
「電撃がなぁ」
一年くらい前に、アイリと共に行動していたときに何百何千回と食らった鎖の電撃。以前にコンピュータの世界へと入ったときもそれ並みの痛さだったことは今でも鮮明に覚えていた。
「慣れているでしょ」
何を今更、とアイリは腕を組んで強気ではあるも――貧乏ゆすりをしている時点で気になるんだな、怖いんだなと見えた。そう見ていると、ハイチ自身も恐れてしまう。いやいや、いけない。ここは落ち着いて。覚悟を決めないと。
なんて大きく息を吐き「お願いしますっ」そう、ヤグラに伝えた。
その直後に電撃が走った。
▼
ふと、気がつけばそこはヤグラの研究室ではなく、真っ白な無機質に青白い光のラインの入った世界が広がっていた。ハイチは周りを見渡すと、近くで長い髪のアイリが倒れているのに気付く。
これは鎖の電撃に慣れたせいなのか。あちらよりも先に気がつくとは。
「おい、ハルマチ。起きろ」
声をかけて起こす。やはり、これには慣れていないらしい。不機嫌そうに体を起こした。
「本当、これだけは改善して欲しい」
「ようやく俺の気持ちがわかったか」
「いや、わかりたくもないと言うか、なんと言うか……あれぇ?」
アイリはこちらを見て眉根をひそめた。心なしか戸惑った様子としても捉えることができるようである。
「なんだよ、あれぇ、って」
人の顔を見て何気に失礼な態度を取っていないか、と口を尖らせていたのだが――。
――うん?
たまたま視界に入った自身の腕を見た。ハイネの腕はこんなにゴツかっただろうか。こんなに大きかったっけ? あれ、あるはずの胸がないぞ。これじゃあ、まるで男の胸板――。
「な、なあ、ハルマチ。この世界に鏡とやらは存在するだろうか」
「安心してください。どこからどう見ても元クラッシャー先輩の姿です。ハイネ先輩ではありません」
自分が確かめたかったことをアイリが言ってくれた。ここに来てハイチ・キンバーの姿が復活しようとは。
「この世界は訳がわけらねぇな。俺の姿然り、お前の長い髪然り」
「ねぇ。ガズ君もハイネ先輩も、キリも普通だったのに」
ハイチが何とも言えない表情を見せていると、そこに消衰しきったガンがやって来るのが見えた。
「あ、アイリ……」
「ガン! って、なんか疲れきっていない!?」
ガンが二人のもとへと行こうとするも、倒れそうになった。そこをハイチが駆け寄って支える。
「あ、あんた、大丈夫ですか?」
「ありがとう。きみは確か、ハイチだったね。ヤグラからは聞いているよ。あと、私のことは敬語でなくともいいから」
今回、アイリとハイチがコンピュータ世界へとやって来たのはキリの記憶を取り戻すために、データ内にかけられたロックを解除することなのだ。これまで二人の分のロックはガン一人で解除及び、破棄をしてきたのだが、ここまで疲労するほどまでの強力なロックがかかっているのである。
「ねぇ、ガン。キリの頭の中ってそこまで深刻?」
「最深部がね。強力な鍵番人がいる」
「なんじゃそりゃ」
強力な鍵番人? それはロックの化身と捉えてもよいのだろうか。
「二人も厄介なロックはかかっていたけれども、キリのはそれ以上なんだ。最深部の方に行かせようとしてくれない」
「おう、ハルマチよ。俺とお前がロックをかけられるのはわかるけどよ。あいつのはなんなの? その『罪人の子』とやらの記憶か?」
「じゃないですかねぇ?」
アイリは腕を組んで考える。一年前のキリにとって、その記憶はタヴーそのものだったのか。だったら? すでにその記憶しかなかった彼だからこそ、そのロックは解除しなくてもいいのでは?
なんてアイリが思っていると「許さないからな」そう、ハイチの鋭い眼光が彼女の方に向けられた。
「ブーメラン発言だろうと、俺はあいつが何も知らなくてのうのうとしているのは耐えられない」
「……だったら、本名を教えて欲しいものですけどねぇ」
アイリは立ち上がると、キリの脳情報データの方へ案内してもらうようにガンに頼んだ。彼はハイチに支えられるようにしてその場所へと向かうのだった。
▼
人の記憶のデータという物は変わった物だな、とアイリとハイチはキリの脳情報データの方にやって来てそう思った。入った中は迷路のようにできていて、それらの壁は色とりどりのグラデーションになっていて綺麗だ。
「はぁ、これが。俺らもこんな感じなのか?」
「いいや、ハイチはツギハギみたいな感じで、アイリは誰よりも広かったよ」
「広い? 頭の中何も考えていなさそうなくせにか」
そうハイチはアイリに茶々を入れる。その仕返しとして、彼女は鼻で笑うと、肩を竦めた。
「実際に何も考えていないのは先輩の方でしょ。ばかだから」
「うっせぇ!」
何も言い返せないのが痛いし、つらい。挑発をした応報が返ってきたのである。
二人のやり取りを見ていたガンは小さく笑った。キリとアイリのやり取りとはまた違った面白さが彼らにあるのだから。そこで思う。こうして面と向かってみんなと楽しくおしゃべりができたらな、と。現在、人がコンピュータの世界に来るか、ヤグラが作った特製マイクとスピーカー越しでしか会話ができないのだから。
「ハイチ、ありがとう。もう一人で動けるよ」
多少は無理をしているようであるが、これ以上迷惑をかけられない。ハイチから離れた。
「おい、平気なのか?」
「うん、大丈夫さ」
ハイチがハイネの兄であり、彼女は亡くなったと聞いている。それでも自分を心配してくれている彼はハイネ同様に優しくて似ていると感じていた。
「最深部はこっちだよ」
ガンに案内されて、二人はその後を着いていこうとすると、アイリが声を上げた。
「なんだよ」
「いや、ガンが苦戦する鍵番人でしょ? 通常のエレクトンガンじゃ利かないよね?」
「ああ。正直言うと、私のこの武器じゃ役に立たない」
ガンの武器はエレクトンガンの無機質感ある材質で作られた背丈ほどの棒であり、それの二倍くらいの威力はある。王国軍軍情報管理棟警備隊長時では今のより威力が弱かったため、バグ・スパイダーに勝てなかったのだ。
「正直、二人頼みなんだ。申し訳ないけど」
「いいよ。一応あたしはこれを持ってきた。先輩は『LILAS』を持ってこなかったんですか?」
アイリは自身が持つ未来のコンパスを取り出して見せびらかした。一方でハイチはというと、手にも腰にもあの黒い刀身の刀は見当たらない。代わりにホルスターに提げられていたのはエレクトンガンというにはほど遠いような真っ黒の銃が二丁。体中に走る紫色のラインと同じ物がそれにもあった。
「あれ持ってこいって。この前、隊長に没収されただろうが。そうそう、こっそりと……いや、それ以前にお前はそれをどこから持ってきた?」
そもそも脳の情報以外に現実から物って持ってくることは可能なのか。逆にそれが不思議で仕方なかった。
「気がつけば、持っている物ですよ」
「目に見えない大切な物は傍にあるってか?」
「そう、それこそ友情、努力、勝利の証!」
突然そのようなことを言い出すガンにハイチはアイリの方を見た。
「ハルマチさぁ、この人に『戦場の中心でバカヤローと叫ぶ』のネタでも教えた?」
このネタはなぜか覚えている。テレビで見たことがあったからだ。いや、それよりもプログラムがノリノリでテレビネタをしてくるとは思わなかった。
「これまでに私はサードシーズンまで見たよ!」
――いや、それは知らんけれどもさ。
「つーか、あれってまだ続いていたんだな」
「みたいですねぇ。あたしも知らなかったんですけど」
「今度劇場で公開されるらしいよ」
てっきり、すぐに終わると思っていたのだが――いや、今はそんな話はどうだっていい。話が大きく逸れてしまった。
「まあ、テレビネタは置いといて、だ。最深部まで案内をお願いするよ」
「わかった。こっちに来てくれ」
最深部へ向かうには入り組んだ通路を通らなければならなかった。先ほどまで無機質な場所にいたということが一番大きいのか、この場所が慣れない。
なんだかな、とハイチが記憶の壁に触れてみると――。
【聞いたよぉ。きみって筆記試験はトップクラスなのに戦力外って呼ばれているんだねぇ】
急にアイリの声が頭の中に流れ込んできた。これはキリの記憶? どこぞで見覚えのあるダイニングキッチン。そのテーブルに座るのは小ばかにしたような表情をする彼女。それを聞いた彼の想いは――。
【ムカつく、死ねばいいのに】
【頭にカップを叩きつけて、フォークで喉を突き刺して、目玉を抉って食いかけのケーキの上にトッピングしたら? それ、この女に食べさせてやりたい。美味しいか、って訊いてみたい。ああ、こいつを殺したらどうなるんだろうな。泣き喚くかな。死にたくないって、命乞いをするかな?】
【殺したい、殺したい、殺したい、殺したい】
アイリに向かって、コップを投げようとする。
【死ねよ。今からコップで殺してやる。戸棚、フォークとナイフがあったな】
あまりにも恐ろしい感情に、グラデーションの壁から手を放した。
あのダイニングキッチンは反政府軍団制圧作戦時に借りたときのアパート!?
ハイチは他の記憶が気になるのか、反対側の壁にも触れた。
【戦力外も一緒の任務だったらしいぜ】
【足手まといじゃん。次席の人、よくあのバケモノ倒せたな】
どうやらその作戦終了後の噂。悔しいキリの思いが伝わって――。
【俺も倒したのにな】
【あいつらの首にペンでも刺したらどうなるかな。ていうか殺したらどうなるかな。ハイチ・キンバーみたいに認めてもらえるのかな。いや、俺がハイチ・キンバーを殺せばいいのか? あいつもムカつくようなことを言っていたし。どうせ、俺のことをばかにしていたし。その報いをしてあげなくちゃ】
【ああ、殺したい。殺したい。殺したい。殺したい。殺したいのに、すべてあの悪人とつるんでいたやつらのせいだ。あいつらさえ――なんで殺したらダメなのかがわからなくなってきた。なんで? なんで? なんで? なんで? 可哀想でも何でもないのに。俺が可哀想なのに】
これ以上は見るに耐えなくて、手を放すしかなかった。
――あいつ、ずっと腹の中でこんなこと考えていやがったのか?
誰だって他人のことをどう思っているかだなんて計り知れないのだが、キリがこれ以上の負の念を出しているとは思いもよらなかったのだ。アイリに唆されて抱くこちらに向けていた殺意とは裏腹に、自分と彼女に対する心底にあった本当の殺意。その心を知らずして、普通に彼と接触していたのか。普通に話しかけたりしてきていたのか。データ上の体なのに、冷や汗を掻いている感覚に陥る。
「…………」
唖然とするハイチにアイリは「どうしたんですか」と声をかけた。顔色が悪いのはわかる。
「壁に向かって見ていますけど」
「いや、デベッガの腹の中がとんでもなくて……」
「あぁ、そりゃ、そうですよねぇ。キリって、『嘘つき』ですし」
アイリのその物言いに開いた口が塞がらない。彼女は知っていたのか。普通に壁に触ってもなんとも思っちゃいない。
「は、ハルマチに対する殺意もあるんだぞ?」
「ですねぇ。最初の頃、キリはあたしを嫌っていたんですからねぇ。いや、単純な殺意があった? ……まぁ、それに『嘘つき』ですし」
「知っていたのか?」
「そりゃ、誰よりも繰り返しずっとこの世に生きていますし。その分大量に人と接していましたし。何より人の顔や仕草で大体はわかりますよ。何を考えているかくらいは。だから、キリは『優しい人の仮面を被った強欲臆病者』とでもいう表現が正しいじゃないでしょうか」
「それでもあいつに近付いたのか」
二人はガンを見失わないようにその場を離れた。ハイチはアイリの後を追う。
「ははっ、キリみたいな人って、いそうでいないものですよ。自分に何かしら嘘をつかなくてはいけないほどの深い闇を抱えていることぐらいは知っていましたけどねぇ」
心の内に秘めている闇深さは底が見えなかった。実際に考えていたことや思っていたことを実行しようとしなかったのは自分に嘘ついていたからできなかった。自分が『罪人の子』だとバレないように隠していたからできなかったはずだから。それだからこそ、自分に嘘をつく者だからこそ、世界改変者を殺すことを頼んだ。最後の頼みの綱とでも言うように。欺けると思っていたから。キリならばできると信じていた。結局は見当違いばかりだったようなのだが。
「もちろん、クラッシャー先輩みたいな人生を歩んでいる人もそうそういないんじゃないですがねぇ」
「皮肉っているのか?」
「さぁ?」
アイリが話を逸らすようにしていると、三人の目の前にグラデーションの壁とは打って変わってどす黒い壁が彼らを立ち塞がるようにして存在しているのが見えた。そこに入れるように同じ色をした両開き扉がある。醜い色だ、と感じていた。
「これがデベッガの闇か?」
「うーん、っぽいねぇ」
何があるかわからないため、二人は武器を構えると――。
その直後にこの先は行かせないとして、真っ黒な壁から人の形が現れた。背丈や姿形からすればキリのようにも見える。
「二人とも、やつが鍵番人だ。やつは『予測不可能』な動きをするから」
「予測……?」
どういうことなのか、と二人が身構えた瞬間、鍵番人は動き出した。武器は一切何も持たずして、アイリの方に向かってくる。見切れないことではない。ハイチが真っ黒な銃砲――エレクトンガンvol 2.0を二丁、引き金を引いていく。
銃口から放たれる弾丸を気に留めず、体に着弾させることを厭わない様子でアイリに狙いを定めていた。
「ハルマチ!」
「わかってますっ!」
コンパスの剣で斬ろうと試みるも、鍵番人は急激に立ち止まった。それにより、アイリもまた行動を止めてしまう。彼は俯き加減の顔を上げると――。
――独りが寂しい。
今にも泣きそうな小さな子ども――キリの顔が見えた。硬直するアイリに鍵番人は抱きついてくる。
「あっ……」
全く動けなくなってしまった。早く振り払って倒さなければならないのに、どうして? このままではいけないことは重々承知している。怪我や疲れを見せるはずのないガンが彼相手に疲労しきっていたのだから。
やられてしまう。
ハイチたちも迂闊に攻撃できないでいた。もしかしたら、アイリに危害が及んでしまうから。故に、ここは彼女が行動をしなければならないのである。
「ハルマチ!」
再度、呼ぶ。声に気付いたようにアイリが動こうとすると――。
「……独りにしないで」
――え。
「誰かと一緒にいたいだけなのに」
頭の中に誰かの記憶が流れてくる。
暗がりの狭い小屋。知らない誰かのお墓。毎日、毎日を同じ場所を通る。緑に囲まれた欝蒼とした場所。そこには自分以外誰もいない。人一人の姿すらも見掛けない。たくさんの大人に囲まれている。彼らの顔が怖いと思う。こちらを見る表情がすべて負の感情。
無視しないで。
そんな目で見ないで。
お腹空いたよ。
暗いよ。
寒いよ。
お願いだから、殴らないで。
蹴らないで。
痛いよ。
怖いよ。
何もしていないのに。
ただ、隙間風のない家で過ごしたいだけなのに。
温かなご飯を食べたいだけなのに。
好きな人と一緒にいたいだけなのに。
「どうして、俺だけ……」
すごく悲しく、寂しい記憶。話を聞いていた以上に――これが『罪人の子』の記憶。とても胸が苦しかった。データの姿だというのに目の奥が熱くなってきていた。
【俺はハルマチの心の痛みと苦しみを分かち合いたい】
以前、キリはそう言っていた。
本当に自分のことしか考えていなかった。本当に苦しいのは自分だけじゃなかった。キリ自身も心の中では助けを呼んでいたんだ。手を必死に伸ばしていたんだ。全くと言っていいほどに彼の気持ちなんて理解しようとしていなかった。
なんて愚かなことだろうか。アイリの頬に涙が伝う。その同情の水が鍵番人に触れると――二人は黒い壁に吸い込まれるようにして入っていってしまった。ハイチとガンの声が聞こえたが、彼女にはやるべきことがあった。
「あたしは……きみを知るべきだっ!」
◆
いつの間にか、アイリは小さな小屋の中にいた。薄暗くて隙間風が寒いと思う。小さく空けられた窓代わりか、そこから月明かりが差し込んでいた。
今の自分の格好はコンピュータ世界と何ら変わりない格好。それだからこそ、余計に変に思える気がした。
「どこだ、ここ」
身に覚えのない場所。ふと、膝元を見れば、ボサボサ頭の子どもがアイリの膝を枕代わりにして、薄いかけ布団を被って眠っていた。二、三歳くらいだろうか。これが誰であるのかすぐにわかった。キリだ。
【独りにしないで】
鍵番人はそう言っていた。キリはずっと独りでここにいたのか。誰にも頼れず、幼いながらも――。
アイリが優しく幼いキリの頭をなでていると、目を覚ました。いつもとは違うことに気付いたのだろう。眠たい目を擦りながら起き上がり、こちらを不安げな薄い青色の目で見つめていた。心なしか、自分のことを不審者として警戒しているようだ。恐れているのか、壁の隅っこの方に逃げる。
「怖がらないで、何もしないから」
「……ほんとぉ?」
「本当。こっちおいで」
口を尖らせて、しばし考えた後――アイリの横に座り込んだ。椅子代わりの材木は地面に届かないのか、足をプラプラとさせている。
「おねえさん、だぁれ?」
「うん? あたし? あたしはね……『お姉さん』とでも呼びなさい」
そう言うと、キリは笑ってくれた。その年相応の無邪気な表情が可愛いなと思う。
「おもしろい」
「そう?」
このネタは子どもにならば受けるものか。いや、そもそもがコンピュータの世界の格好だから面白いとでも思うのかもしれない。キリはにこにこと笑顔を見せてくれていた。
これは夢なのか。その割には意識ははっきりとはしている。夢かそうでないかの認識は鮮明に考えさせられているようだが――。
――もし、夢ならば……。
「そうだ、今からあたしとお散歩にでも行こうか」
独りで過ごすのは可哀想だと思った。自分がいつ、この場から離れるのかわからないが、ほんの少しだけ遊び相手になってあげようと思ったのである。
「おさんぽ?」
「うん。近くに村があるでしょ? そこまで」
その言葉にキリは首を横に振って遠慮した。行かないらしい。
「そんちょーにおこられちゃう」
「大丈夫、怒られない。『夜』だし……問題ないでしょ」
――流石にこの時間帯は寝ているでしょ。
「いぃのかなぁ……?」
「いいよ。いや、いいんだよ。あたしがいるから平気」
アイリはキリに手を差し伸べた。小さな手が彼女の手に触れる。小さな窓からの月明かりが彼らを照らしていた。
「行こうか」
「うん」
二人は手をつないで小屋から出た。村への行き道はキリが知っているらしい。こっちだよ、と案内してくれる。そのときの声が上ずっていた。余程、人との関わりに飢えていたのだろうか。
やがて、二人は村の方へとやって来た。予想的中。所々に点在する家に明かりはない。村人たちはすっかり夢の中のようである。
「うえがきれぇだねぇ」
キリは山々に囲まれている空を見上げた。月と星が輝いている。こんなに綺麗に見える場所があっただなんて。そんな美しき夜空へと彼は手を伸ばしていた。月や星を手に取りたいらしい。物欲しそうにしている。小柄な体を屈して、ジャンプする。それが愛おしく見えた。
「とどかなかったぁ」
恥ずかしそうに照れるキリに目頭が再び熱くなってきた。この光景は果たして夢なのか。現実に見えて仕方がない。知りたいと願ったのは自分の方なのに。これ以上見ていられないと感じたから。きっと、奥深くまで知ろうとすればするほど、キリはこの現状をどう感じ取っているのだろうか。
――そんなの……。
「おおきくなったら、とどくかなぁ?」
小さなキリは届くはずもない空を見上げた後、アイリの方を見た。彼女は泣いていた。涙を流すアイリに彼は近付く。そして、頭を優しくなでた。
「いたいの?」
自分のことより他人を気にする――。
何が嘘つきであろうか。何が優しい人の仮面を被った強欲臆病者であろうか。キリはそうではない。本当はそうではない。そうではないから、上辺で嘘を塗りたくって、強欲臆病者の飾りつけをしただけの『寂しがり屋』。
それが本当のキリの姿。
アイリはキリを引き寄せて抱きしめてあげた。夜風に当たって体が冷たいようだった。
「おねえさん?」
「ごめんね、ごめんね……」
――何も気付いてあげられなくて、ごめんね。
これまでどんな気持ちで生きてきたのだろうか。サバイバル・シミュレーションでマッドに一時的に取られてしまった楽しい、嬉しい記憶のない状態は――。
悲しいと寂しく思っている気持ちも踏まえてわかりたい。わかってあげたい。自分の苦しみを分かち合いたいと言っていたキリと共に――。
「……きみは大きくなったら、どうしたい?」
「えっとねぇ、だれかとずっといっしょにいたいなぁ」
【俺は、アイリとずっと一緒にいたい】
――あたしも同じ気持ちだよ。これだけは絶対に嘘じゃない。
アイリは服の袖口で涙を拭い、泣いて腫らした目を誤魔化すようにして無理やりの笑顔を見せた。
ここまで来て、ようやくはっきりとわかった。ここは『夢』ではない。キリ自身の『過去』なのだ。
【学校以外で俺と会ったことある?】
サバイバル・シミュレーションのときに言われた言葉。キリが自分のことを知っていて何ら不思議な話ではなかったこと。自分が彼の小さい頃を知らなくて当然であること。コンピュータの世界に来て、髪の毛が長い理由は今のこの場でキリと出会うがため。
そう、すべては『必然』だったのだ。
「大丈夫だよ、それならばあたしがずっときみの傍にいてあげる」
「ずっと?」
「うん。でも、明日になれば、あたしはいないかもしれないけれども」
「それはさみしい」
眉根を寄せるキリ。それに対してアイリは「大丈夫」と言う。
「もしも、あたしのことを『覚えて』くれていたならば、また会えるよ」
「ほんとぉ?」
「うん。人は『記憶にすがって生きていかなくちゃならない』けど……きみが『信じて』いれば、必ず会える」
だから、それまでは――。
「うん、わかった! やくそくだよ、おねえさん」
「おっ、約束!」
二人は指切り約束をした。
◆
歩き疲れたということと真夜中のため、キリはアイリに抱きかかえられて眠っていた。流石の彼女も眠ってしまった彼を抱きかかえての散歩は厳しい。そのため、あの小さな小屋の方に戻ってきた。道中、人の視線を感じてはいたが――山の方には人が来る様子はない。
ベッド代わりの材木の上に寝かせて薄いかけ布団をかけてあげた。幸せそうに目を瞑っているキリの頭を優しくなでた。段々と自分の意識が遠退いていっている気がする。
「『キリ』……」
「……おねえさん……」
ここでアイリは地面の下へと落ちる感覚に陥る。
▼
「ぷはっ!?」
ようやく真っ黒な壁から抜け出せた。そんなアイリにハイチとガンが駆け寄る。
「大丈夫かい!?」
「何もなかったか!?」
「ん、大丈夫ですけど――」
三人は不穏な壁を見た。相も変わらずロックがかかった状態で開けないし、壊れてすらもいない。鍵番人は何も行動を取らず、じっとこちらを見て佇むだけ。
「壁の中に取り込まれて、何をしていたんだ?」
「会ってきたの」
ガンの質問にそう答えると、アイリは立ち上がって鍵番人の方に向かう。それは何もせずしてただ、彼女を見つめているだけ。
「あ、危ないぞ」
注意を喚起するが、問題ない。鍵番人は危険因子ではないのだから。
「思い出させてあげるためにも……」
「寂しいよ」
「わかってる」
そっとアイリから抱きしめてあげた。そのとき、鍵番人の方からひびが入る音が聞こえてくる。どこかで感じた温もり。覚えているようで、覚えていない温かさ。
「『お姉さん』、きみに会いに来たよ」
鍵番人は完全に砕けた。そこから露わとなったのは幼いキリ。アイリに抱きついてくる。
「おねえさんっ!」
解決したように見えて、見えないそれにハイチたちは困惑していた。どうすればいいのかわからず、互いに顔を見合わせていると、アイリは「帰りましょう」と言う。
「あたしたちの役目はこれまでです」
「えっ!? 終わりって……まだ記憶の壁にロックがかかったままじゃねぇのか?」
「いいんです。これはキリ本人の問題です。あたしたち部外者ができることはこの子を助けることだけだったんですから」
そう言うアイリは幼いキリの頭をなでた。彼は嬉しそうな表情を見せている。
「助ける、だ?」
状況把握がいまいち理解できないハイチ。ちゃんとした説明が欲しいも、ガンは小さなキリを見て「可愛いね」と仕事そっちのけ。何しに来たんだっけかと考えてしまう始末。
「ハイチ! このキリは可愛いぞ!」
すっかり子どもの虜になってしまったガン。
――そりゃ、チビはなぁ……。
「おい、見た目に騙されるなよ、二人とも。意外とガキは……」
過去に苦い経験でもあるのか、あまり愛でる気にはなれないでいると――体に穴が空きそうなほどにこちらに視線を外さないキリ。何か不満でもあるのだろうか。
――無視、無視。
ずっとハイチばかりを見てくるキリ。視線がとてつもなく痛い。そっぽを向いてもわかるそれに痺れを切らしたのか、彼の方を見た。めちゃくちゃ自分の方をガッツリ見ていて逆に怖いと思う。
「……ああ、もうっ!」
三人のもとに近寄るハイチはキリを抱きかかえると、肩車をしてあげた。彼はとても喜んでいる。楽しそうにはしゃいでいた。
「一回だけだからな」
「たかいねぇ!」
「なるほどっスねぇ。あたしにはできないし、ガンは知らない。でも、先輩なら知っている技ですねぇ」
「大体、男のガキはこれやっときゃ、喜ぶもんだよ」
工業の町を出る前に、少しばかり託児所で小さな子どもの面倒を見ているときにセロとやっていたことだ。将来、これが何の役に立つだろうかと思っていたが、このようなところで役に立つとは思いもよらなかった。
「そんで、この状態でデベッガの頭の中に入れるのか。開けられるか? あいつに」
「本人が作った物ですからねぇ。これはキリが開けられるのを信じるしかないでしょうねぇ。もう」
それはもっともなことだなとハイチが思っていると――。
「だいじょーぶだよ」
幼いキリがそう言ってくる。
「おれがキリにおはなしをするよ」
「あぁ? できるのか?」
「うん、おねえさんとのやくそくをまもらなきゃ」
◆
ハイチとアイリはヤグラの研究室で目を覚ました。コンピュータの世界から戻ってきたのだ。クラクラとする頭を押さえながらマシンに備えつけてある椅子に深く座り込む。
「お帰り、事情はガンから聞いたよ」
「はい」
「後の問題はデベッガ君次第ということか」
「ということは今すぐに総長さんに許可をもらって、キリを呼んでやらないと」
そうアイリが椅子から立ち上がって研究室を出た。その場に残って座っているハイチは忘れてはならないと思い出し、コンピュータにつながっているマイクに手をかけた。
「言いそびれるところだった。ガン、俺の記憶にかけられたロックの解除をありがとうな」
ガンに向かってそう言った。
《うん、構わないさ。友達だもの》
話は聞いていたが、現実世界とコンピュータ世界をつなぐ代物が存在するとは。実際にやってみると、そう思ってしまう。なんて素直に感心していると――。
《なんだか、ハイチの声変わった?》
ガンにそう言われた。
《ハイネの声に似ているね。現実だと似るのかい?》
いいえ。似るのではなく、思考が男性で身体は女性です。なんて答えられないハイチは「そうなのかもな」と苦笑いをする。そう発言する表情に影があるのに気付いたヤグラは不憫だなと思う他なかった。
◆
本部の部屋の方へとやって来たアイリを待ち構えていたのは、隠れカムラ教徒のいる弥終集落へと行っていたケイたちだった。ラトウィッジやエドワードもおり、どこか重たい空気が流れているようである。
「あ、アイリ」
アイリの存在に気付いたメアリーは不安そうな視線を送る。
「あぁ、みんなお帰り」
「……ああ」
何があったのか気になっていると、ラトウィッジが「報告があるんだろう?」と訊いてくる。
「ルーデンドルフ氏からは話を聞いている。成功したか?」
「あぁ。えっと、半分成功です」
「半分?」
それはどういう意味だとエドワードまでも気になる様子。アイリはコンピュータ世界での出来事について事細かに報告した。キリの記憶の中のロック解除は本人が記憶を取り戻した上で、当人がするべきであるということまでもだ。
「ということなんです。是非ともキリの脳情報記憶装置の植えつけの許可をお願いします」
「そうか。それならば――」
ラトウィッジが許可をしようと言いかけたときだった。
「私は反対です」
そうメアリーが断言した。それには誰もが硬直して注目する。
反対するメアリーにアイリはあまりいい顔を見せなかった。
「どうして?」
一番気になるのはその理由だった。もちろん、心配せずとも理由はきちんとある。主張もある、という目をメアリーはしていた。
【記憶なんて取り戻したくない】
メアリーはキリの気持ちを一番に尊重したかった。今にも泣きそうなあの顔が忘れられなかったから。
「キリ君が記憶を取り戻したくないって言っていたから。私はその思いを大事にしてあげたいの」
「それでも記憶を取り戻さなくちゃならないんだよ? 一生、ああして過ごすのはできないんだよ?」
「わかっている。でも、いきなり一度に記憶を与えるのは苦悩だと思うの。だからね――」
「申し訳ありませんが、姫様。彼一人のわがままに付き合っていられるほど、世界に時間はありませぬ」
アイリの代わりにラトウィッジが代弁した。この場にいる誰もが記憶のないキリのことを知っている。その彼に残された悲惨な記憶のことすらも。メアリーは同情をしているのだろう。
しんと静まり返るその部屋で――「私も反対だ」とヴィンが口を開いた。
「都合よく記憶を失わせたり、失ったりするくらいならば、最初から知っている記憶全部を消せばいいのに」
メアリーの言い分とは違う。心なしか、憤りさを感じているようである。
「失礼なことを言いますが、私はあなた方が彼を買う意味がわかりませんよ。ただの嘘つきが今更記憶を消した挙句、取り戻すなんて冗談じゃない」
「彼を買うって……キリは過去の歯車の所有者だけど」
「でも、肝心のそれは盗られたじゃないか。おまけにスタンリーさんの物までも。それでもか?」
緊迫した空気が張り詰める。
「しかも、聞けばキイ教信者だって? 『俺』たちの相手は過激派なんだぞ? 名なし、あんたはどうしてキイ教信者にあれの所有権を渡した!? マッドが盗ったんだぞ!」
普段のお茶らけた感じの雰囲気をなくして強気の口調でヴィンは悲痛の叫びをあげた。まるですべての原因がアイリにでもあるような物言いである。
「本当はあんたも過激派なんじゃないのか!?」
全部思い出したからこそ、そう思うようになった。
「前々からあやしいと思っていたんだ。なんで学校に編入したのかとか、隠れカムラ教の物を持っているのとか!」
積もりに積もった怒りが爆発したのはわからなくもない。だが、好き放題に言われてアイリはムカっ腹が立つに決まっている。今にも掴みかかりそうな不穏な空気が漂い始めていた。
「元はと言えば、『罪人の子』を庇うこの世は狂っている!! これもあんたが――」
我慢限界。アイリはヴィンの胸倉を掴んだ。殴りはしないが、その気のあやしさはあった。
「何でもかんでも、あたしのせいにしないでくれる?」
周りでは二人の喧騒を止めようと、うろたえている。すぐにでもこの抗争を止めることができそうなラトウィッジやエドワードでさえも戸惑いは隠せないようだ。
「『罪人の子』の原因を作ったのはあの村の村長にあるでしょ? きみは知っているの? あの小さな隙間風の入る小屋で独りで過ごしていたつらさを。誰にも頼られない孤独の哀しさを」
「…………」
「きみは同じ村出身でしょ? 人と関わりを持たなかったはずのキリがザイツ君を知っていたのって本当は――」
【またあそびにくるよ】
【あそびにきてくれるの?】
【おれたちともだちだもん】
【まっているから】
キリが自分のことを知っていたのは――あのとき、慟哭山で会っていたから。恐ろしい『罪人の子』がいると大人たちから躾けられていたあの頃。実際に見たときは恐ろしくもなんともない同年代の男の子が独りで住んでいただけ。
「でも……あいつは村も、村の人たちも殺したんだ! 俺のばあちゃんも――」
「それなら、俺にも非はある」
誰もが入り口の方を見た。そこにいたのはハイチだ。彼はポケットに手を突っ込んでいる。しかし、事情を知らない者たちからすれば、ハイネが男口調で何を言い出しているのだろうかと怪訝になっているようだった。
それでもハイチは構わず、言葉を続けた。
「あいつだけじゃない。俺もお前の村の人たちを殺しているし、建物も破壊しまくった。恨むんだったら、俺にも罵声を浴びせろや」
「えっ……き、キンバーさん?」
「それに、俺は今のあいつに記憶を取り戻してもらわないと困るんだよ。お前はそれでいいのか? 大切な人を殺されて、そんなの知らない状態でのうのうと一生を過ごしているやつを放置して。俺は嫌だ。だから、記憶を取り戻すことは大いに賛成だ。いや、むしろ推奨――強制的にさせるべき」
「本当、恨みがましい発言ですねぇ」
まだ言っていると言わんばかりに、アイリがそう言った。その発言にムカついたのかハイチは「ザイツの言うこいつを責めるのは大ありだ」と言い出してくる。
「そうだ。何でもかんでも、こいつが関連して世界は動いているのは間違いない。なあ、名なしよ」
「へぇへぇ。流石は世界改変者の番人さん。言いますねぇ」
今度はアイリとハイチが喧騒を始めようかという空気をかもし出してきた。半分が困惑、もう半分が呆気に取られているも――。
二人は喧嘩をしようとするわけはなかった。話を変えるように「そもそもさぁ」とアイリがこちらの方を向き直ってきたからである。ヴィンの胸倉から手を離した。
「何も闇のある過去は『罪人の子』だけじゃないでしょ?」
アイリのその発言に「どういうことだ」とケイが言う。
「元々の発端がデベッガの隠された記憶だろう?」
「いや、そうだけどさぁ……なんでキリって『戦力外』って呼ばれてたの?」
ずっと気になっていたこと。『戦力外』と呼称されている理由。わからない。マックスとのトレーニングから――いや、ずっと前からだ。キリはそう呼ばれることが謎であるぐらい、戦闘技術はそこまで悪くない。本当に戦力外ならば、式典で異形生命体の口の中に木材を突っ込もうとは思わないはず。マッドに立ち向かおうとは思わないはず。立ち向かわず、敵前逃亡を謀るはずだ。それも、その場にいた誰かを囮に使って。
アイリは思っていた。キリを助けるためには、記憶を取り戻すためには『罪人の子』の彼だけではない。『戦力外』であった彼のことも知るべきである、と。
「あたしはその理由が知りたいんだけど」
◆
みんなはどこへ行ったのだろうか、とキリは不安になっていた。エレノアは王城での仕事があると言うし、アイリもメアリーも数日間見掛けないのだ。
「どこだろ?」
フロア内を探しても、看護師たちに訊いてもさっぱりだと言っていた。今日は午後のトレーニングが休みだから色々お話をしたりして遊びたかったのに、とため息をついていると――。
「どうしたんだ?」
ハイネのお見舞いという建前に、ハイチのもとへと遊びに来たセロと廊下で遭遇した。誰とも会わなかったから、彼と会えて素直に嬉しいとキリは思う。
「ヴェフェハルさん! それが、みんなどこにもいなくて……」
「どこにも? そうはないと思うけど」
「そうです?」
いるならば、地下にいるのかもしれない。前にハイチから聞いていたセロは「着いてこいよ」とキリを地下の方へと案内する。
「多分、あいつらそっちにいるだろ」




