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世界は運命を変えるほど俺たちを嫌う  作者: 池田ヒロ
第四章 哀れな愚か者の末路
67/96

懐古

「あるきたくないよぉ」


 その場に女の子は足を止めてしゃがみ込んだ。一歩先を歩いていた男の子は怪訝そうに彼女を見る。


「ねぇ、あるきたくないよぉ」


「しらない。あるいてよ。もうすこしでおうちだから」


 そう指差すのは数十メートル先の家である。なんて女の子を宥めるも――。


「あるきたくないもん!」


 声だけは元気な女の子に男の子は口を尖らせる。なんともわがままだと言わんばかりに、表情は不貞腐れていた。


「おんぶ」


 歩きたくないと言えば、今度はこんなわがまま。これに男の子は限界だった。


「しらないっ。かってにそこですわっていれば」


 女の子を置いて家に戻ろうとしたとき、後ろの方から「いたっ!」という声が聞こえた。彼女の声だ。男の子は急いで振り返ると、女の子の横で地面に伏せている子どもがいた。その子は不機嫌そうに起き上がる。服の土埃を掃うその子は幼男児の背格好ではあるものの、顔立ちが女の子のように見えた。


「だいじょうぶか?」


 男の子が声をかけてあげるのは女の子だけ。もう一人の子どもには何も言わない。だって、知らない子だから。


「おい、おれにあやまれよ」


 何のお詫びもなしにされるのはたまったものではない。子どもは膨れっ面を見せた。


「こいつがみちのまんなかですわっているからなんだぞ。じゃまだよ」


「なんだよ、よければいーだけのはなしだろ?」


「なんだとぉ! へんなあたまぁ!」


「なにをぉ! そぉいうおまえはおんなのこみたいだねっ! なまえはおとこおんなかなぁ!?」


 女と呼ばれたことにムカついたのか、子どもは男の子を殴った。殴られたままというのが嫌いなのか、お返しに頭を叩く。その返しとしてほっぺたをつねる。お返しに髪を引っ張る。


 そうして出来上がった子ども同士のけんか。町行く大人たちは誰も止めようとしない。子どもたちに構っていられるほど暇はないから。子どもの問題は自分たちが解決すべし。それがこの町の暗黙の了解である。


 暴力のけんかへと発展した男の子たちを見て、女の子はうろたえる。どうすればいいのか、わからない。大人たちは助けてくれない。それだから――。


「わぁあああああん!! けんかしないでよぉおおお!!」


 二人を止めるべく、なぜか女の子も叩き合いに参戦。バシバシと重点的に男の子ばかりを叩く。これに怒りを覚えた彼は「おれじゃなくてこいつをやれよ!」と怒鳴る。だが、彼女は叩くことを止めない。むしろ、ヒートアップする。これに子どもは引くようにして、男の子から手を離す。ちょっとドン引きしていたのはここだけの話である。


「いたいっ! いたいから! なんでおれ!?」


 集中攻撃を受けている男の子はその場で小さくなる。なんともまあ、可哀想な。そう思っていると――。


「おまえ、みていないでたすけろよっ!」


 男の子の悲痛の叫びがツボに入ったのか、子どもは笑った。それにつられるようにして女の子も叩くことを止めて笑う。男の子だけ笑う意味が解らず、不快そうにしていた。


「ごめん。ごめん。さっきはたたいてごめんね」


 そして、男の子に対して手を差し伸べた。彼も「おれもごめん」と起き上がると、ちょっとしたお返しに女の子の鼻を摘んだ。彼女は「うー」と変な声を上げる。


「ねえ、きみたちってあっちのがいこくじんのひとのいえのこ?」


「うん? うん。おれ、ハイチ。こいつはハイネ」


 痛くないようにして女の子、ハイネの頭を軽く叩いた。彼女は「ハイネー!」と元気よく手を上げる。


「きみのなまえは?」


「おれ、セロっていうんだ」


     ◇


 工業用油臭い、そう思っていてもこれが故郷の懐かしきにおい。嫌いではないそれが鼻を通り抜けながらもハイネは工業の町の入り口に立っていた。


「…………」


 ハイチの居場所が特定できない今、自分がやれることは一度工業の町へと戻ってヒノに直接話を訊くことだった。もはや、その手段以外何も手掛かりが掴めないのである。


「セロも、ワイアット君も無理しないでね」


 ハイネは後ろにいる男子二名――セロとワイアットにそう言った。彼らは嫌な顔もせずして、彼女に微笑んだ。


「そのようなことはありませんよ」


「そうだ。ばかを連れて帰る、前々からの約束だ」


「そう言ってもらえると、心強いな」


 もう泣かない。泣くのは――いや、考えるのを止めよう。


 早速町の中へ行こうと二人に促そうとするが、ワイアットが少し不安そうに町の方を見ていた。少しだけ珍しいな、と思いながらどうしたのかと訊ねると――。


「来たことはあるんですけれども、あまりこの町について詳しくないので……」


 ハイチの手掛かりを一緒に捜すとは言ったものの、まさに赤の他人である自分が、二人が育ったところへ足を踏み入れてもいいのだろうか。心配そうな顔を見せながら、恐れ多そうに語った。


「平気だよ。じゃあ、先生のところに行こうか」


 ワイアットを安心させるようにそう言うと、この町唯一の託児所の方へと赴くのだった。


     ◆


「あれ?」


 門の方に手をかけようとしたとき、建物内に人の気配がしなかった。それどころか、入り口の扉には休園の張り紙が。


『此度はしばらくの間休園とさせていただきます。誠に勝手ながら申し訳ありません。』


「なんで?」


 何があったのだろうか、と三人は託児所内へと入った。ホールも台所もお昼寝部屋も自分たちの部屋もヒノの部屋も――どこもかしこもヒノはいなかった。どこか出かけているのだろうか。その割にはしばらくの間における生活感はあまりないように見える。埃も少し積もっていた。


 一度、外へと出て困惑を見せるハイネに一人の中年女性が寄ってきた。


「あら、ハイネちゃん。帰ってきたの?」


「こんにちは、おばさん。あの、先生は見ていませんか?」


「先生? そう言えば、最近見ていないわねぇ。外出かしら?」


 正直、託児所がお休みだから子どもの預け先が大変よ、と言いながら女性は「またね」と後にした。その直後にセロたちも外に出てくる。


「先生、最近いないって……」


「うーん。ただ単に休園しているだけかもしれないだろ。俺んちでも行ってみるか? もしかしたら、酒飲んでいるかも」


「まさか。お酒も煙草も飲まないのに?」


「可能性として、ウチのお袋が知っているかもだろ?」


「うん」


 それならば、セロの家に行ってみるかとハイネがワイアットの方に呼びかけようとすると――。彼は託児所の塀を眺めていた。視線の先は落書きがある。


「どうしたの?」


「……いえ、この町って落書きが多かったんだなって。一度、この町に来たことはあるんですが、覚えていないだけですかね?」


「この町の落書きの大抵の犯人は俺とハイチだけどな」


 セロのその言葉にハイネは小さく笑った。そう言えば、そうだ。この工業の町では悪童と言われた二人。いつも町の人たちを困らせては、ヒノや彼の母親が謝り回っていたことがあったな。


「そうだ、セロ。覚えている? 二人が落書きして町長さんが言った言葉」


「面倒げに『勘弁してくれ』だっけ? 町中のありとあらゆる場所にしまくったからなぁ。そりゃ、怒られる以上に厭きられるよな」


「落書きと言えば、学校でも小さい子どもたちが壁に落書きしまくっていたって。というか、あのときにお義兄さんに似た男の子がいたんですが……」


【このふてぶてしい顔立ちはどこからどう見てもキンバーそっくりだ】


 あの目付きの悪い面持ちは間違いなくハイチ譲りだとわかっていた。一緒に居合わせていたマックスも同じことを思っていたのだから。


 ワイアットがその話をし出すと、二人は申し訳なさそうに、顔を合わせようとせずにそっぽ向いた。何かを隠したいとでも言うような感じではある。


「なんか僕に対して敵意むき出しにしていたし、連絡機壊すし。って、そもそもハイネさんたちって何人兄弟ですか?」


「えっと、あの悪たれは……」


 後出し被害を聞いて、言うに何も言えなくなる。どうしようか、本物のハイチだと言っても信じてもらえるだろうか。ハイネはちらりとセロを見た。


「いいんじゃない?」


 言ったところで何も差し支えはないはずだ。セロはそう思っているらしい。問題ないならば、とハイネは申し訳なさそうに「ごめんね」と謝った。


「あの子どもってハイチ」


「え?」


 当然の反応を見せてくれるワイアット。驚くその表情はメアリーにそっくりである。


「あの子がハイチさん? え?」


「そうだ。困惑するのも無理はないが、あれは紛れもない、ばかハイチだ」


「いや、仮に精神年齢は一緒……。一緒?」


 精神年齢だけを言わせると、あの小さな男の子がハイチだと認知せざるを得ないようである。それもそうだろうな、と二人は否定しようとしない。


「いやいや、頭の中が一緒だとしても身長は誤魔化せませんよっ!」


 ワイアット、ハイチの精神年齢を十歳前後と見なす。しかし、それでも二人は否定の『ひ』の文字の表情を一切出さない。


「本当なの。前にエイケン教官が作った十歳若返る薬に仕込んだ焼き菓子食べてああなっちゃって」


「え、エイケン教官が?」


 ありえるのだろうか。十歳若返る薬など存在しうるのか。そもそも、そんな物を作って何をしたいのだろうかと困惑する他なかった。


「一応、元に戻ったみたい。でも、本人はそのことを知らないみたいだけど」


「そう言えば、エイケン教官って若返りの薬以外何を発明しているんでしょうかね?」


 明らかに邪なことを考えているな、と察知したセロ。ワイアットの頭をわし掴みして「さっさと俺の家に行くぞ」と軌道修正をするのだった。


     ◆


 セロの家へと向かっていると、とある路地をワイアットは見つめていた。ああ、そうだと何かを思い出すようにしているようである。


「ワイアット君、どうしたの?」


「いえ、ここを見て懐かしいなと思いまして」


「懐かしい? フォスレターは王都出身だろ? こんな油臭い町じゃないだろうし」


「いいえ、さっきも言いましたけど、僕は一度この町を訪れたことがあるんですよ。もう、十二年くらいになりますかね」


 十二年も空間があるのに覚えているとは。これにはハイネとセロはびっくりした様子で見る。


「そんなに昔のこと、覚えているの?」


「もちろんです。ハイネさんのことも覚えています」


 そう言うワイアットではあるが、何も覚えていないハイネは表情を引きつらせた。十二年前となると、自分はいくつだ? 町の学校に通っていたぐらいか?


「ご、ごめん。何にも覚えてない」


「いいんですよ。覚えていなくても、僕が覚えているので」


「うん? でも実際にフォスレターみたいなやつが町に来たら嫌でも覚えていると思うんだけれども」


 セロも思い出そうと頭を悩ませていた。そんな彼をよそにハイネは「お話とかした?」と思い出そうと頑張る。


「じゃなきゃ、ワイアット君も流石に覚えていないと思うし」


「していますよ。今でも鮮明に覚えていますし」


 そう、ワイアットが工業の町に来たのは十二年前のとある日である――。


     ◇


 第一印象が変なにおいだった。父親に連れられて初めてやって来た工業の町というところ。ここは銃火器類の材料を作る工場で成り立つ町だと聞くが、四歳児であるワイアットにとっては何がなんだかわからない話だ。まだ又従兄であるケイと遊ぶ方が楽しいに決まっている。


「おとうさん、どこいくの?」


 窓の外を眺めると、労働者たちが道を行き交っていた。王都で見る町とは大違い。ここの人たちの顔付きはどことなく険しい。ワイアットの質問に父親は答えた。


「グリーングループの工場に行くんだ。お前も国の将来を担うならば、一緒に見学するべきだ」


「よくわかんない」


 父親の説明が理解できなかったらしい。小首を傾げてつまらなさそうに車の窓の外を眺める。ああ、一緒にケイが来てくれたならば。他のみんなも来てくれならば――今頃、みんなは城内で何をしているのだろうか。窓の外から見える子どもたちのようにして、楽しそうに駆け回っているだろうか。


 ややあって、その車は町で坂の一番上にある、大きな工場である場所へとやって来た。ワイアットは車から降りると、その建物を見上げる。大きくて感銘を上げるには上げるのだが――。


――あそびたい。


 小さな子どもにとって、つまらないのが現状である。どうせならば、先ほど坂道を駆け上がっていた子どもたちと一緒に遊びたい。そう思ったワイアットは大人たちの目を盗んで坂の下の方へと行ってしまった。


     ◆


 散々走り回って辿り着いたところは見知らぬ道。労働者と言った大きな大人たちがこちらをじろじろと見てくる。その視線が怖いと思ったワイアットは戻りたくても戻る場所を知らないため、その場で立ち往生していた。


 あの子どもたちもいない、自分の父親たちも見失ってしまった。じわりと目に涙が溜まる。もう二度と知っている人と会えなくなってしまうのではと思った。だが、この場で泣いているならば、もっと会えなくなってしまうかもしれない。そう考えたのか、服の裾で涙を拭いながらも、覚えている限りの道のりを歩いていく。町が見渡せるような高いところから来たのだ。坂道を上って行けば会えるはず。


 鼻水を啜れば、ツンと変なにおいが鼻を刺激してくるものだから、変な顔をしてしまった。何のにおいだろうか。ここに来たときからずっとにおう。


 ワイアットが坂道を上って行っていると――。


「あそこの工場まで競争だぁ!」


「ビリになったやつは下でお菓子をおごるんだぞ!」


 なんて自分の横を大きな男の子たちが通り過ぎた。とても楽しそうだ。ワイアットは交ざりたいとでも思ったのか、後を着いていこうと走るが慣れない道に少しばかり勾配がきつい坂道。幼い彼にとっては転んでしまうのは当然のことで――。


「あうっ!」


 地面に倒れたまま、悔しい思いで涙が滲んできた。周りを行き交う大人たちは何もしてくれない。


「大丈夫かぁ?」


 大人たちは心配など一切はしていない。軽く声をかけてはどこかへと行ってしまう。ワイアットにとっての当たり前の大人は、もしも自分がこうなればすぐに抱えて起こしてくれるし、怪我がないか調べてもくれるのだ。しかし、この町の大人はそうはいかない。ただ、子どもがそこで転んでいるな、という視線を向けているだけ。


 地面を這うようにして、起き上がる。思いっきり、転んだから膝から血が出ていた。それを見てじわりと再び涙を誘う。町の大人の反応に対しても涙の誘いは来ていた。


「うう……」


 痛い。痛いし、悲しいし、悔しい。なぜに自分はつまらないからと言って、こちらに来てしまったのか。大人しく父親の傍にいればよかったのに。後悔の念が押し寄せてくる。


 その場でワイアットが泣いていると――。


「おい」


 後ろから声が聞こえた。ああ、自分を心配してくれている人がいた。そんな思いで後ろを振り返ると、台車を引く中年男性が怪訝そうな顔をしていた。


「そこに座ってんじゃねぇぞ。邪魔だ、邪魔。退いてくれ。これ重たいんだから」


 その言葉に、ワイアットは目を丸くしながらも素直に従った。心配してくれるわけじゃないのか。そのために声をかけたのか。膝をガクガクとさせながらも道の端っこへと行き、その場に座った。立って歩けるほどの気力はほぼない。だって、足が震えるんだもの。動けないんだもの。


「おとうさん……」


 泣けてくる。情けない自分に。誰も手を差し伸べてくれないこの町の人々に。泣いているはずなのに大人たちは通り過ぎて行く。構う者など誰一人としていない。


 グスグスと泣いているワイアットに影ができた。もう夜が来たのだろうか、だなんて思って顔を上げると、そこには年上の女の子――白と黒のエプロンのようなワンピースを着た子がいた。


「どうしたの?」


「…………」


「どこか痛いの?」


 その質問に頷く。


「きみ、大丈夫……って、血が出ているじゃない! 手当てしないと!」


 ワイアットの膝の怪我を見て、女の子はうろたえた。どうしよう、どうしよう。ええっと、ああ、そうだ!


「せんせーに見てもらおう」


 おいでと手を引く女の子。それにワイアットは頷きゆっくり立ち上がった。まだ足の震えは止まらないが、歩けないことはない。


「歩ける?」


「うん」


 女の子は何度も「大丈夫?」と声をかけてくれた。その優しさがとても嬉しかった。彼女は自分の家であるという託児所へと連れ込んだ。そこでは同い年の子どもたちがたくさんいた。


「ハイネねえちゃん、だれぇ?」


「えっとね、怪我していたから連れてきたの。せんせー!」


 施設内へと入ると、ハイネと呼ばれた女の子は大きな声で『せんせー』を呼ぶ。すると、奥から壮年男性がやって来た。


「大きな声を上げてから。何があったんだ?」


「あのね、この子怪我しているから手当てしてあげて」


「おお、本当だ。じゃあ、救急箱を取ってくるから水道水で洗ってきなさい」


『せんせー』がそう促すと、ハイネは「こっちだよ」と水道水までに案内した。そこで怪我したところを洗う。


「いたい!」


 水が傷口に染みて苦痛の表情を浮かべる。嫌々ながら、逃げようとするワイアットの服を掴んでハイネは止めた。


「ダメっ! まだ綺麗になってないよ!」


「でも、いたいもん!」


「男の子でしょ! 我慢しなさい!」


 そう言われると、我慢せざるを得なくなってしまう。怪我したときよりも泣きながら、ハイネに傷口を洗ってもらう。おかげで袖口は涙と鼻水でぐしょぐしょだ。


 傷口を洗って、次に『せんせー』が手当てする。彼は消毒液でワイアットの患部に当てるのだが――。


「いたいよ!」


 水のときよりも消毒液が染み込んできて、半ば怒り気味にそう訴えた。


「そりゃ、そうだ。我慢しなさい」


「いたいもん!」


 そこは譲れないワイアット。だが、一緒にいたハイネも『せんせー』同様に「我慢しなさいっ!」と頬を膨らまかせる。こんなの我慢できないよ!


「おとこのこでもいたいもん!」


 言われる前に言う。これがワイアット。言いたかったことを言う前に返されて、ハイネはどう言えばいいか悩む。少しばかり悩んで――。


「あのね、この痛みはもうすぐ治るよって意味の痛みなんだよ!」


「……ほんとぉ?」


 鼻を啜りながら、小首を傾げる。それにハイネは大きく頷いた。


「うん、だから我慢するんだよ!」


「……はい。じゃあ、するよ?」


「うん」


 そろそろいいか、と『せんせー』が消毒液を膝の上にもう一度かけて、衛生材料で傷を塞いでいく。このとき、ワイアットは泣きそうな表情をしていたが、ハイネが勇気付けるために手を握ってくれていたおかげか、涙を飲み込んだ状態で耐えていた。


「はい、これで大丈夫だよ」


「ありがと、おじさん」


 手当てを終え、救急箱を整理する『せんせー』は「そう言えば」とワイアットに声をかける。


「ここら辺じゃ見ないけど、きみはどこから来たの?」


「おーち?」


「そう、きみのお家。もしあれなら送るけど」


「おーちは『おーと』にあるよ」


「『おーと』?」


『おーと』とは一体どこを差しているのだろうか。


「ぼく、おしろにすんでるの」


「お城」


 わかった。『おーと』は王都のことか。


「じゃあ、きみは貴族の子か。どこか、視察しているところあったかな?」


『せんせー』が自身の連絡通信端末機を取り出して、どこかへ連絡を入れようとしたときだった。施設内の入り口の方で誰かが喚いている。何事だと耳を澄ませると、彼を呼ぶ子どもたちの声だった。


「せんせー、おきゃくさん!」


「もしかして、かな?」


 今頃、自分たちの子どもがいなくなって捜しているだろう。早く安心させてあげなければ、とワイアットに行こうかと促した。


「親御さんが来ているかもしれないよ」


「ほんとぉ?」


「うん、多分ね」


 父親がこちらの方に来ているとわかった途端、ワイアットは怪我でも忘れたかのようにして立ち上がった。『せんせー』と共に入口の方へと行こうとするが、彼はハイネの方を振り返った。


「おねえちゃん、ありがと!」


 お礼の言葉が嬉しかったのか、ハイネは頬を緩ませる。


「うん、またね!」


     ◇


 そうワイアットから話を聞かされたハイネは腕を組み、思い出そうと必死になる。だが、何も思い出せない。そもそもが小さな子どもたちの相手をしたりしていることがあるせいか、誰が怪我をしたとか覚えていないのだ。


「……うぅん。ごめん、ワイアット君」


「いえいえ。いいんですよ。僕が覚えていれば、忘れられることはないんですから」


 ハイネが忘れたと言っても、決して気にしないワイアットはにこやかである。


「それにハイネさんが僕を励ましてくれたりしたから、男の子だから泣かないんだ、と決めているんです!」


 得意気に語るワイアット。だが、泣いていたことを知っているセロはそのことを口には出さない。言うべきではないと思っているから。


「それよりも、町の人たち結構冷たい印象があるんですよね。ハイネさんが声をかけてくれなければ、僕は完全にこの町を否定するところでしたよ」


「ここ、仕事関連で忙しい人たちばかりだからね。子どもが特別な事情で泣いている以外は放っておくタイプだから」


「そうそう。こけたくらいで優しい言葉をかける大人はいないと思ったがいい。俺たちだって、心配されたことなかったんだから」


「そうなんですか!?」


 それが驚きだと言わんばかりに、目を丸くするワイアット。


「もうちょっと、子どもに対する優しさはないんですか?」


「そのツケが今回ってきているようなもんだよ」


「ツケ――お義兄さんですか?」


 つまりは、ハイチはこの町の人たちに愛されているのだろうか。そう考えていたワイアットではあるが、セロはその考えを見透かしていた。正直な話、ハイチが愛されているのではなく、ハイネが愛され、心配されているのだ。だが、その事実を彼女は知らない。


 理由は――。


【あの子たちはね、可哀想な子たちなのよ】


 特に何も事情を知らないハイネが、である。


 その話を聞かされたのは自分の母親から。それは町の誰もが知っていて、ハイネだけ知らない真実である。言わぬが幸せとでも言うべきか。


 二人がこの町へとやって来たのは自分が三歳のときらしい。血のつながりのない、外国人であるヒノと共にだ。彼らは捨て子だと言う。それを彼が拾い、安定した場所へ。外国人であるヒノにとって住みやすい町――工業の町へと。捨てられた理由はどうもハイチが知っているらしいのだが、それを一切口にしないそうだ。自分が住んでいた場所も、両親のことも。すべてのことも。その話は町の中ではタヴーとなっている。訊いてはいけない暗黙のルールがあった。


【嫌なことを思い出させないためよ】


 大人たちはそう考えているらしい。どうもそのことを訊こうとしたヒノは噛みつかれたり、暴力を振るわれてきたりしていたそうだ。だから、セロは今まで訊くに訊けなかった。もし、それを自分に向けられたら、と思うと訊けるはずもない。


 要は『同情』から来ているのである。町の人たちが思っていることは。何も知らないからくる温情。


 セロにとってその町の人たちの思いやりは好きとも思わないし、嫌いとも思わない。自分も同様のものなのだから。一番近くで見てきて、過ごしてきた自分だからこそ、ハイネを特別に思う。異性として好きというような話ではなく、単純に『可哀想』だから。我ながら最低だと思う半面、ハイチのことが気になるのは嘘ではない。セロはどちらとも心配なのだから。


【あいつの願いぐらい聞いてやれよ。叶えてやれよ! 家に帰ってやれよ!!】


 脱退願を出すときに町中の事情を知る者たちがその場にいたならば、自分と同様のことを言っていただろう。ハイネのために帰れと言ってくるだろう。


――でも、そうじゃない。


 本当は楽しかったんだ。学校でハイチと再会し、町こそ帰りはしなかったものの、色々と遊んで過ごしたこと。昔みたいにして懐かしく思えた。セロはもう一度友として、幼馴染として再び笑い合うことを心待ちにしているのだ。またこの急な坂道を駆け回りたい。いたずらは――流石にであるが、楽しいと思えることをしたい。できることならば、生涯の悪友としていたい。


――またばかやったりして……。


 そう思いに更けていると「セロぉ」そう、ハイネの声が聞こえてきた。いつの間にか二人は先にいた。それを見て追いかけるのだった。


     ◆


 セロの家は工業の町の表通りにある酒場である。基本的に営業時間はお昼から真夜中まで。お酒を出すだけではなく、軽食も出したりしているのだ。それに朝早く仕事を終えた労働者たちが集いに集って昼間からお酒を飲みたいというニーズにも応えているのである。


 そんな酒場への入り口のドアを開ける。ベルの音が聞こえたその先にはちらほらと客の姿が見えていた。


「いらっしゃ――あら、セロ」


 カウンターの席の奥から迎えてくれたのは茶色かかった髪の中年女性である。雰囲気や見た目からしてセロそっくりの母親だ。


「ただいま」


 久しぶりの実家なのか、セロは頬を緩ませる。


「お帰り。ハイネも久しぶり」


「お久しぶりです、おばさん」


 二人に会えて嬉しそうにするセロの母親は後から入ってきた少年――ワイアットに気付く。身なりからして庶民ではあるにしろ、雰囲気はそうとは思えない。なんだか訳ありの子であると感じた。


「そっちの子はまさか、ハイチじゃないしね」


「こいつはフォスレター。俺たちの友達だ」


「そう、初めまして。フォスレター君。私はこれの母です。普通におばさんと呼んでも構わないからね」


「初めまして」


 カウンターの方に座りな、とセロの母親は三人にそう促す。二人につられるようにしてワイアットがその席に座ると、壁にいくつもの写真があることに気付いた。幼い頃のハイチたち三人の写真だ。楽しそうにして遊び写る彼らが微笑ましいと思う。


「小さい頃のみなさん、可愛いですね」


 正直な話、ハイネ単体の写真を一枚譲って欲しいなと羨む。


「でも、大変だったんだからねぇ。まだ幼時ならいいんだけれども」


 ワイアットの言葉にセロの母親が返してくれた。彼女は彼らにジュースの入ったグラスを置く。


「それで、どうしたの?」


 当然の質問に店でお酒を嗜んでいた者たちが三人に注目した。しんと静まり返るこの空気。ただ、こちらに対して問い質しているだけなのに。当たり前のことを訊いているだけなのに、どうしてこちらを見てくるのだろうか。


 他の客の視線が気になったワイアットは気まずそうに一口だけジュースを飲んだ。


「相変わらずの悪童は見ないわよ」


「いえ、おばさん。先生がどこにいるか知りませんか?」


 ハイネの声が嫌に響く。


「ああ、先生ね。こっちも全く見ないから」


「そうですか……」


「ハイチのことで?」


 すべて見透かされている。流石は大人だ、年の功だ。ハイネは小さく頷いた。


「あの悪たれの居場所でも見つけたのかね?」


「それはわかんない。私たちも捜しているの。会って、話したいことがあるから」


 黒の皇国にいたときはろくに話せていない。ただ、ひたすらに帰ってきてと懇願したのみ。それも叶わずであったが――。


「それは、それは……。ところで、フォスレター君と言ったかな? きみはハイチと仲良くしてくれていたお友達?」


 見た目の年齢から察するに、年の差はかなり離れているように見える。だが、ワイアットがここにいる時点でハイネたちに協力的なのだろうと見た。


「はい、僕もおに――ハイチさんの行方が気になって」


「そう」


 味方がいるのは嬉しいことには変わりないのだ。セロの母親は安心したようにして頷いた。


「先生の居場所は……町中捜してみた? もしかしたら、買い物に行っているのかもよ? 先生もお年だしね。体力的に休園したのかもしれないし」


 だが、ハイネは首を横に振った。


「しばらくの間誰も家にいない感じが大きかった」


「…………」


 沈黙が痛い冷めた酒場の空気を壊すようにして、一人の客人がベルを鳴らしながら入ってくる。ハイネたちを見つけると「いたいた」そう、言いながら近寄ってきた。


「ハイネちゃん」


 ハイネの名前を呼ぶのはスーツ姿の高年齢の男性である。襟には記章が着けられていた。


「町長さん」


「きみがこっちに帰ってきているって聞いてね。慌てて捜したよ」


 そう言いながら町長は懐から一通の封筒をハイネに渡した。差出人も宛て人もない手紙である。


「二ヵ月ほど前に、先生から預かっていた手紙なんだ。ハイネちゃんがこっちに戻ってきたときに渡してくれって」


「先生が!?」


 ヒノからの手紙だとわかった途端に、急いで封を開けて便箋を取り出した。そこから転がるようにして、金色の鍵も顔を出す。


『ハイネへ


何も言わずに町長さんに手紙を託したことを許して欲しい。私は今、青の王国にはいない。旧灰の帝国にいるはずだ。その理由は夢でキイ様と対話をしたことがきっかけなんだ。ある日の夢の中でキイ神と名乗る人が「旧灰の帝国へ行け」と促してくるんだ。それは何日も続いた。彼はまるで助けて欲しいとすがる思いで私に言い続けてきていたんだよ。それが何日も続いて、ある夢のときに私は「なぜに行かなければなりませんか」と訊ねたんだ。そしたらキイ様は「会いたい人がいる、会いたくてたまらない人がいる」と答えたんだ。これは何かの天命だ、そう思って旧灰の帝国へと向かうことを決意した。


それでなんだが、もしも私がこの手紙を町長さんに託して一ヵ月以上も戻らなければ、何かあったと思って欲しい。誰にも連絡を取れない状況だと思って欲しい。


私に何かあったとき、もう戻れないときは託児所に金庫がある。鍵も同封しておく。中はハイネとハイチのための物だ。自由に使いなさい。』


「先生は旧灰の帝国に行った……?」


 不意にガヴァンが言っていた言葉を思い出す。


【お兄ちゃんの行方が知りたければ、黒に滅ぼされたところにでも行ってみな】


「ハイチも?」


「ハイチが旧灰の帝国にいる?」


 セロのその言葉に周りがざわついた。


「わ、わかんない! でも、先生が帝国にいるのは本当。多分、かもしれないって……思っただけ」


 それにハイチと別れて一ヵ月も経っているのだ。彼がそこにいるという線も薄いだろう。だが、すがらなければならない。この二ヵ月も前の情報に。半年以上も前の証言に。


「どうする? 帝国に行くか?」


「行く! ハイチもだけれども、先生も気になるから」


 可能性はなきしにも非ずだ。行くべきである。


     ◆


 青の王国から旧灰の帝国へと向かうのであれば、まずは国の北西部にある山道二つ通らなければならない。そこを通り抜けして帝国へと入国しても更に誰昔山道や遺恩峠道もあって、そこをようやく乗り越えたならば、首都である。ヒノが帝国のどこにいるのかは定かではない。しかし、彼を捜すのに必要な情報は帝国内にいるならず者たちの証言が不可欠である。故にまずは首都へと向かわなければならないのだ。


 連絡通信端末機で地図を確認するセロとワイアットをよそにハイネは一度託児所に戻って金庫の確認をした。中に入っていたのは大金。もしものためにヒノが貯金していた物である。


「使えないよ、先生……」


 中身を見て嘆息を吐く。まだヒノはここに戻れないと決まってないのだから。


 金庫の鍵を閉め、ハイネはハイチの部屋の方を訪れた。約九年間も使われないままの部屋。机とベッドだけが存在していた。


【ハイチなにしてるの?】


【べんきょーだよ、べんきょー。がっこー行っているおれはいそがしーの】


【ふぅん、たいへんだねぇ】


 最初の頃は町の学校の勉強をしていたハイチであるが、途中からは放り出しては、反省文を書くためだけと化してしまった机。引き出しを開けた。そこにあったのは自分が彼の誕生日に贈った絵である。小さい子らしい、不器用ながらも一所懸命な絵。


【たんじょーびおめでとぉ!】


【うわっ、ヘタ】


【もぉ、そぉいうんなら、せんせー! ハイチがいじめるー!】


【そうかい。じゃあ、ハイチのバースディケーキはハイネにあげようかね】


【なにそれ!? ハイネずるい!】


 あまり嬉しくないような顔をしていたのに、結局取ってくれていた。保管してくれていた。あのときのハイチは必死になってヒノに言い訳をしていたな。そして、なんとか自分の分のバースディケーキにありつくことができていた。


 ベッドの方を見た。ただ、寝るだけじゃなくて遊びにも使っていた記憶がある。


【せぇぎのヒーローさんじょお!】


【きゃあ、ヒーロー。たすけてぇ】


【はっはぁ! ひめをたすけることはできるかなっ!?】


【なにおっ!? たすけてやるからな! とうっ! ――いたぁ!?】


 そうそう、ヒーローごっこをしていたんだ。ヒーロー役であるハイチがベッドの上から飛び降りて、角に頭をぶつけて涙目で悶絶をしていたっけか。ただ、頭に大きなたんこぶができただけで、何も異常はなかったんだった。


【危ないからベッドで遊んじゃいけません!】


【ふぁーい】


 危ないからと何度言われても遊んじゃうのがハイチである。ぴょんぴょん上で跳ねて、見つかって、拳骨も落とされていた。


 ハイネは小さく笑いながら部屋を出た。その向かいの部屋が彼女の部屋でもある。軍人育成学校を辞めてからも使っていた部屋。ここでもハイチとの思い出はある。


【もぉいいかい!】


【もぉいいよ!】


 いつも自分が隠れる場所がこの部屋のベッドの下であったからすぐに見つかってしまったんだっけか。


【はい、ハイネみっけ】


【はやいよぉ!】


 それがわかっていなくって、もしかしすると、ハイチはずるっこをしていたのではないかと疑ってしまうほど見つかりやすかった。


 ベッドの上に座る。そこから見えるのは少しばかり開けられた入り口のドア。こんなこともあった。


【ハイネぇ、だいじょーぶかぁ?】


【……うん】


 風邪を引いて寝込んでいるとだ。風邪が移ってはいけないからと入室禁止にされてしまってもハイチはこっそり様子を窺いに来てくれていた。入ってしまうと、バレてしまうから。ドアを少しだけ開けて、顔を覗かせて。それは彼が風邪を引いたときも同じだった。互いが互いを心配し合っていたのだ。


 そっと、机の上に置かれている箱を手に取った。中身は手紙が一通だけ。これはハイネが現在右手につけている緑色の石のブレスレットが入っていた箱である。そして、その手紙はブレスレットと共にあった物。


 ハイネが十三歳の誕生日に、すでに別の町で出稼ぎに行ったハイチから送られてきた物だった。


 手紙を見る。


『ハイネへ


ハイネ、13歳の誕生日おめでとう!!

元気にしているか? 先生もセロもみんなも元気にしているか? 相変わらずちびっ子どもはうるさいか?

俺はまあまあだ。工場で毎日力仕事をしているからクタクタだ。でも、金稼ぎとしては悪くない給料だよ。

それだから、ハイネにプレゼントだ。初めて女子が入りそうなお店に入ったよ。すごい恥ずかしかった。


今度休みをもらったら、そっちに帰ってくるな。先生にもセロにもよろしく言っておいてくれよ。』


 何度読み直したことか。おかげでその便箋の端はボロボロである。


【せんせー、セロ! ハイチから手紙来た!】


【へぇ、あのばかが珍しい】


 読み返す度にどれだけ待ち侘びていたことか。いつ帰ってくるか窓の外を眺めていたことか。


 手紙が来て一週間、一ヵ月、三ヵ月、半年、一年――過ぎ行く日々。いつになってもハイチは帰ってこないどころか、音信すらもない。あまりにも心配だったからヒノが直接出稼ぎに行った町へと向かっていた後の情報は――。


【ハイチ、仕事を辞めたそうだ】


 行き先もわからず仕舞い。仕事で事故に巻き込まれてから――それから退職したそうだ。不安になった自分たちは王国軍に行方の届け出を出した。このとき、ハイネは飲食街で働き始めていた。彼の心配をしながらも働いていた。


 あるとき、自身の連絡通信端末機にセロから着信が入ってきた。


【ハイネ! ハイチが見つかったそうだ!】


【えっ!?】


 その朗報を聞いただけでも泣きそうになったほど。


【あのばか、軍人育成学校に入学届けを出していたんだよ!】


【本当!?】


 その知らせが届いたときはすでに入学届けの締めきりが間近に迫っていた。あの学校に入学するための入学金と学費を合わせると――駄目だ、足りない。先生に――止めておかなければ。自分が故郷を出て、倍以上に忙しくなっているだろうし。給料の前借――無理だ。


 どうしようと思い悩んで、入学式が過ぎてしまった。来年まで待つしかないのだろうか。そう思っていたとき、またセロから連絡があった。


【ばかに会った】


【えっ!? どこで!?】


【学校】


 どうやらセロは貯めに貯めたお金で入学金に宛てたらしい。その入学式の当日、式典で三年ぶりにハイチを見たと。


【あいつはあいつらしい、何も変わりはなかったよ】


 ただ、どこで何をしていたかは一切口を割らなかったらしい。だが、どこにいるのか知れて嬉しく思った。


 その一年後にハイネは学校へと入学する。入ってすぐにハイチのもとへと向かった。彼の雰囲気は工業の町で見たのとはほど遠く、穏やかではない。かと言って悪童さを見せるような面持ちではなかった。まるで人を寄せつけないような別格ある雰囲気。


【なんだ、お前も来たのか】


 煩わしそうに言い放ってきた言葉が心に突き刺さる。ずっと心配していた、会いたかった。そう伝えても――。


【へぇ】


 全く興味ないとでも言わんばかりの言い方。今までとは微塵も違う。セロは自分を傷付けないように嘘をついていたのだ。ハイチがハイチらしい? 何も変わりはない? いいや、違う。とても変わった。確かにハイチは突き放すような物言いはする方ではある。確かに彼は煩わしいとでも言ってくるような言い方をすることだってある。


 だとしても、この三年間で何があった? 別に記憶を失っているわけではなさそうだ。


 しかし、ハイチに会えたならば、とハイネはずっと話しかけたりしていた。連絡先も交換した。学校のイベントの誘いをしたり、休暇中に家に帰ろうと声をかけたりもしていたのだ。結局ほとんどの誘いは断られてしまったのだけれども。


 そうして行く内に段々と昔のハイチらしい雰囲気を見せるようになってきていた。セロももちろん、付き合ってくれた。彼らしい姿をもう一度見るためにわざと張り合いをさせた。死に物狂いで勉強をし――。


【お前って頭の中残念なのになんでカッコつけてんの?】


 わざと挑発して下剋上をさせた。勝負を仕向けた。自分が勝ったら、家に帰ってくるように促させるために。それでハイチはわざと負けた。セロが気付くほど。


【なんでわざと負けた?】


【なんだよ。お前に俺が勝つとでも思ったのか?】


【本気出せよ】


【俺はいつだって本気だ】


 勝負が終わった後、セロのもとへと向かうと――。


【あいつは嘘つきだ】


 悔しそうにしていた。家に帰らせる気にはなれないと言っていた。


 それでも入学後に会ったときのハイチよりかは随分とマシになった。特にキリたちと出会ってからは素の彼を見せるようになる。セロによくストラテージの対戦を挑むようになった。だが、突然の脱退に加え、ハイチが半異形生命体であると通達があった。これは夢なのだろうかと眠れない日々も続いた。


【彼は逃げた】


 どこへ逃げたのかもわからないのだが、セロからメアリー奪還作戦の誘いが来た。それに乗った。黒の皇国に行っているかもしれないと見込んだから。


 事実、その通りだった。


【俺はお前に会いたくなかった】


 あのときのハイチの姿はとても苦しそうだった。助けてあげたいと思った。名なしは『バケモノ』として捉えていたが、自分もセロもそうとは思わない。彼は彼である。ハイチ・キンバーであるから。


 その箱に二つの手紙を、緑色の石のブレスレットと金庫の鍵を入れてハイチの部屋の机にそっと置くと、祈りを捧げた。


「おこがましいかもしれません。あなた様を信仰するの者でもないのも重々に理解しております。ただ、数ならぬ私の願いを聞いてもらえないでしょうか」


 ハイネは箱を見つめる。ずっと願っていた物が理想と化してしまった。もはや、現実とはほど遠い夢物語へとなってしまった。だからこそ今を願う。その切実に思う気持ちを。小さくも肥大化してしまった、叶うかわからなくなってしまった願いを。



「どうぞ、キイ様。ハイチに会わせていただけないでしょうか」



――そして、願わくば――。

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