歴史
とある部屋でケイとヴィンが向かい合うようにして座っていた。二人とも渋面を見せて腕を組んでいる。その間にあるのが――。
おお、我が子どもたちよ、
泣かないでおくれ。泣かないでおくれ。
あなたたちには罪はないの。
母親である私に罪があるから、
共にいることができないのを
許しておくれ。許しておくれ。
もうすぐ、日が沈む。
さあ、さあ、お眠りなさい。ぐっすりと。
夜明けに私はいなくなるけれども
泣かないでおくれ。泣かないでおくれ。
真っ二つに壊されてもなお、歌い続ける『歌う横笛』のことだ。一度は折ったが、接着剤で元に戻してみた。いや、元に戻さずともそれは歌い続けているのだ。それが呪いのアイテムと言っても過言ではないほどに。
最初はその歌を聞いて騒ぎ喚いていた二人であるが、流石に慣れたのか驚くことはなくなっていた。
「どうする?」
歌の後にヴィンが口を開いた。
「どうするって言ったって、な」
いくら慣れたとは言え、持っておきたくもない一品。だからと言って、捨てるのも危険だ。誰が拾うかわかったものではないし、何より呪いの笛なのだ。もう呪われないと断言ができないのだから。
「よしっ」
いいアイディアでも思いついたのか、ヴィンは椅子から勢いよく立ち上がった。その彼の案に期待の眼差しを向ける。
「師匠に返そう!」
ヴィン曰く、未来のコンパスを盗られてしまった報告もかねてこっそり返しに行こうという提案だった。そのなんとも無理やりな案にケイは――。
「悪くはないな」
にやりと不敵な笑みを見せてきた。ここ最近、ヴィンと共にいるせいなのか。彼に影響されたか。これまでにおいて、このような表情は見せなかっただろう。
「どうしても師匠が受け取らなければ、強引に家の前に置いて帰ろう!」
「なかなか、いいな!」
談笑し合う二人は年相応らしい表情を見せていた。
◆
神妙な顔をするヨイチの目の前には、壊れて修復された白い物。もう見ることはないだろう、と確信を持っていた歌う横笛が。それを差し出すのは悪い笑みを浮かべるケイとヴィン。その顔はさながら悪童のよう。
「師匠、これをお返し致します」
「これはお前たちに餞別として渡したのだが?」
「いや、とんでもない餞別をくださいましたね? あうやく、私は死ぬところだったんですから」
ヴィンはパウラとの出来事について嫌味ったらしく伝えた。まさか、こんな代物だとは思わなかったらしい。ヨイチは気まずそうにして、黙って話を聞いている。
「あの、ヤマトさん。これって、どこで購入されたんですか?」
こんな恐ろしいと思う物を自分たちに押しつけてきたんだ。普通だったら、こんな危険な物買おうとは思わないはず。
「それは昔、私がまだ存在していた灰の帝国の繁華街で手に入れた物だ」
弟子たちが危険な目に合ったんだ。これは語らざるを得まいとして、重々しそうに口を開き出す。
「夜にその町を散歩していたら、私より年下の人に可愛い子、綺麗な子がいっぱいいるからどうだ、と誘われたんだ」
――これは聞くべき話だろうか。
話が脱線してきてはいないだろうか。そんな不安のもとに、ケイは耳を傾ける。
「それで、行ったんだ。ちょっとお高めの入会金を払わされて。マゾヒストコースをお願いしたら、それはもうすごい。ああ、世の中にこんな気持ちのいいプレイ――」
「あの、すみません。俺たちが訊きたいのはこの笛をどこで手に入れたか、なんですが」
「だから、今こうして話をしているでしょう。最後まで私の話を聞きなさい。――いいか、そこで私はその店の虜になってしまったんだ。来る日も来る日も、同じマゾヒストコース。そのコースの嬢は私の――」
本当に脱線していると見込んだケイはストップをかけた。
「それ、はしょってください。俺たちは『どこで』手に入れたか『だけ』を訊きたいんです」
「いや、待ってよ。今は灰の帝国がなくなってしまったし。今の白の公国はあんな店は条例改正でないし、お前たちに貴重なプレイシーンをプレイバックして聞かせてあげたいから」
「いや、俺たちはあなたの性癖聞きに来たんじゃありませんから。って、笛の話をどっかに飛ばさないでくれません?」
もはや、何しにここへ来たのかさえ忘れ去られてしまいそうだ。仕方なしに繁華街での店の話を止めるヨイチ。ケイはヴィンの方を見た。彼はツッコミすらせずに、話を聞きたくなさそうな顔を見せているではないか。それもそうだろう。自分の師匠が友人の前でエッチな話をし出しているのだから。
「あれは夢じゃなかったんだ」
ケイにしか聞こえない声で呟く。夢とはいかに。いや、待て。ヴィンは一体何を見たり聞いたりしたんだ。気になるが、話が拗れてしまうため、聞かなかったふりをするしかない。
「えっと、笛の入手先だっけか」
「そうです」
ほら、ヨイチが話を始めた。
「あの笛はその店のマゾヒストコースの嬢からもらったんだ」
今、とんでもない入手先ルートを聞いた気がする。というよりも、あの話とこれがつながっているとは思いもよらなかった。てっきり、遊んだ後に別のところで売っていたのを買ったとかそういうものだと思っていたのだから。いや、それよりもその歌う横笛を所持していた店の嬢は逆に一体何者なんだ!? というか、変な物をもらうなよ。
「それ、買ったじゃなくてもらったんですか?」
「ああ、なんて言っていたか。そうそう。確か、仕事辞めるし、これ要らないからあげると言っていたんだった。何だっけ? どこかで拾ったとか、なんか言っていたなぁ。いやぁ、まさか嬢があんな物騒な物を持っていたとは思わなかったよ」
「じゃあ、それは思い出の品だということで、お返しします」
本当にそんな話を聞きたくなかったのか、ヴィンは表情一つも変えずして丁重に返した。だが、ヨイチもこんな不気味な笛など要らないのは事実。「言っただろう、餞別として受け取れと」そう差し返す。
「そもそも、これが折れたから返してきたんだろうが」
「いえいえ、全く以て要りませんって。どこか古い骨董品とか市で見つけた物ではなく、風俗店の嬢からもらった物となると、私たちとしては受け取るに受け取れません」
もっとも、ヨイチにとって要らない物を押しつけられただけの話。餞別でも何でもない。正直な話、二人にとってもそれは要らないに等しい。
「風俗店と言っても、私好みの女性だったぞ。もしかしたら、二人にとっても好みの人かもしれんし、その人がこれに口付けをしたのかもしれん」
「いや、それなら師匠が絶対ベロベロ舐めているでしょ。だったら、もっと要らないですよ」
「ベロベロではない。ペロ、だ」
「あの、気持ち悪い会話を止めてくれませんか」
本気で吐き気を催してくるケイ。その顔は顔色なし状態である。
「第一に、俺たちがここに来たのはこれだけじゃないんで」
「ふむ、この国でのおすすめの風俗店だな?」
「ボケないでください、師匠」
心なしか、ヴィンからお怒りのオーラが漂っている気がした。今はそんな段ではないのに。話が進まないのに。脱線ばっかりしていて、本題にすら入れないとはどういうことだ。
今にも大声張り上げて、怒り狂おうとするヴィンは落ち着くようにして深呼吸をする。そして、ヨイチの方を見た。
「……師匠。キャリー姉さんから受け取った未来のコンパスなんですが、コインストの連中に盗られました」
正直に首都で遭遇した出来事を話す。その口に出す雰囲気はさっきまでのやり取りは何だったのだろうかと思うほど。とても悔しそうにしている上、表情も同一であった。その話を静かに聞くヨイチもまた重々しい表情を見せている。
「私の力不足でもあります。私が彼女の意志を無駄にしてしまったんです」
『未来が視えました。視えてはいけない未来が。誰がどう足掻いても、何をしても変えられない未来が。』
キャリーの遺言書を思い出す。こうなると決まっていた未来なのだろうか。何をしても。それが盗られてしまったとしても、結局は変わらない未来なのか。彼女はこの未来の何を視たのかは知らない。所有者になっていないから。所有権を得ていないから。だから、何が起こるのかさえも見通しがつかなかった。
「ヴィン」
目がぼやける。元より、視力の悪いこの目が更にぼやけて見えた。
「私は未熟者です。何も守れない。必ず何かを失う。最低最悪の人間です」
「ヴィン、自分を責めるな」
「しかしっ……!」
「いいから。責めるな。キャリーはすべての未来を見通ししていたんだろう? それならば、お前のこの後の行動も視ているはずだ。最悪な運命しかないこの世を少しでもマシになるようにして、ヴィンに託したはずだ」
涙目でヨイチを見る。彼はそっと、歌う横笛をヴィンの手に握らせて頷いた。
「ヴィンも、シルヴェスター君もみんな、未来を生きるための人間なんだ。そんな者たちがここで卑屈になってどうする? 自分を責めてどうする? それじゃあ、キャリーは浮かばれないぞ」
ヴィンの肩に手を置きながら「それにな」と話を続ける。
「あの子は未来のコンパスを所有していたのは当然なんだ。なぜって、彼女が亡んだはずの黒の王国の王族の本当の末裔なんだから」
その衝撃的事実に二人は目を見開いた。キャリーが黒の王国の王族の末裔!? 唐突過ぎる真実を聞かされ、何も言うに言えなくなる。
「所有権を持っていれば、未来は視えて誰にも奪われなくなる。彼らはそれを見越して代々受け継いでいたんだ。数百年もの間。だが、亡びる運命が避けられないと知っていたんだろうな。あの子の親たちは」
「きゃ、キャリー姉さんが……?」
「正確には反乱を恐れ、今の旧灰の帝国へと逃げ込んだ王族の末裔だ。前に死んだ皇子は昔の王国内で起きたクーデター派閥争いの子孫だからな」
「で、でもどうして? それだったらば、なぜにオハラさんはヤマトさんのところへ? 彼女は白の公国の方なんですよね?」
「もし、キャリーが向こうの方で生活をしていたならばな。ヴィン、お前は自分の村で起こった侵攻戦を知っているだろう?」
ヨイチの質問にヴィンは頷く。
「それだよ。旧灰の帝国が亡んだ時期は。本来、黒の皇国は灰の帝国だけを狙っていたんだ。青の王国など狙う気はなかった」
「だったら、どうして?」
その侵攻戦をケイは詳しくは知らない。ただ、黒の皇国軍が灰の帝国を経由してヴィンの故郷に攻め込んできていたとだけしか知らないから。歴史書にはそうとしか書かれていなかったから。
その疑問をヴィンが答えてくれた。
「『内通者』がいたからだよ。私の村に」
「何? だが、歴史本にはどこにもそんな事実は――」
「私の村がその内通者の存在を消したから」
驚きを隠せないケイが何かを言おうとしたとき、ヨイチがそれを遮った。
「その戦いで灰の帝国は皇国軍に敗れることを見越していたから、首都がある西側を皇国へと譲渡する代わりに自分たちは新しく国を作った。それが白の公国だ」
「でも、無法地帯と同じくして要らないと言われたんですよね?」
「そうだ。それでもう一方で未来のコンパスを持っていた一族が、私に赤ん坊のキャリーを託したんだ。黒の皇国の手に渡らないようにして」
ヨイチはそう言うと、引き出しを漁りながらある物を取り出した。そして、それを二人に渡す。それは住所が書かれ四つ折りになったメモ紙であった。
「これは?」
「キイ教発祥の地である古跡の村の住所だ。十年前にそこへ立ち寄った際、また来て欲しいと住所と連絡先を村長からもらったんだ」
「古跡の村?」
二人にとって聞いたことのない村の名前だった。
「ああ、世界を見る目のふもとにある、伝統ある狩猟民族の村だよ。そこに行けば未来のコンパスや過去の歯車について何かわかることがあるだろう」
キイ教発祥地である由緒正しい村。そこへ行けば、過去の歯車についての記憶の改ざんの戻し方もわかるかもしれない。もっと詳しく知ることもできる可能性だってあるのだ。
ヴィンはケイの方を見た。彼は頷いてくれた。自身の好きなように付き合ってくれるらしい。
「師匠! 古跡の村に行ってみます!」
「もちろん、行きなさい。村長には私から連絡と紹介状でも書いておくから。その間は準備でもしていなさい」
「はいっ!」
◆
地図通りに向かって半日が経った。黒の共和国の中古屋で買ったバイクに乗り、眼前にそびえ立つ山が見下ろしている峠道を行く。
「見えてきたね、世界を見る目」
「遠くで見るより、近くで見ると迫力があるな」
運転をするケイは近くに見えた案内板の方へと停車して書かれた住所と照らし合わせようとする。だが、あまりにも古い案内板。文字や道路が見づらい。
代わりにヴィンが連絡通信端末機を手にして位置情報確認を取った。電波が悪いせいか、あまり通信状況がよろしくないようである。
「ここら辺だと思うんだけどなぁ」
「国体勢が変わっても、こちらは変えないのか」
「不便だ、こんな山の中」
なんて愚痴るヴィンは置いてきたはずの歌う横笛で肩を叩いていた。それを見たケイは鼻水を吹き出しそうになる。
「なんでお前はそれ持っている?」
確かその横笛はまた強引にヨイチから握らされていたが、今日の朝になって物置にこっそりと置いてきたはずだ。そのときは自身も立ち会い、目撃していたから間違いないはず。それなのに、何故!?
「ああ、ケイが運転しているときに気付いたんだよ。どうやら、私の鞄の中に侵入していたみたい」
「それに軽く呪われていないか?」
それは呪いの笛でもある。可能性は無きに非ず。だが、ヴィンは否定した。
「それはないと思うよ。壊れているし、何より師匠からの手紙付きだし」
自身の鞄から小さな紙切れをケイに見せた。
『それは餞別です。もう私の物ではありません。』
「ヴィンの師匠ってさぁ――」
何かを言おうとするケイであるが、ふと少し離れたところの石垣の上に一人の老人が腰をかけていた。白髪頭に上半身裸。腕や首には装飾品。そして、手には『ドッキリ』と書かれた立札らしき物を杖代わりにしているし。何より一番目立つのは老人の股間にそびえ立つ物。
「なんだ、あのじいさんは」
「それにしても、お洒落な物を股間に着けていらっしゃる」
「民族衣装か何か? そっちよりも、俺としてはあの『ドッキリ』が気になって仕方ない」
まさかとは言うが、この老人が古跡の村の者だろうか。ヨイチは村長に連絡を入れておくと言っていた。だが、仮にそうだとしても話しかけにくい。とてもかけづらい。本人はいつでも声かけどうぞ、という雰囲気を出しているのかもしれないが、話しかけにくいのが現実だ。
「古跡の村の人か?」
「えぇ? 違うんじゃないの?」
ヴィンはあの石垣に座る老人は古跡の村の住人ではないと主張する。それでは、彼が村人ではないとするならば、誰なのか。
「あれ、世界を見る目の妖精じゃない?」
「はあ?」
「ほら、世界を見る目ってすごく神秘的な場所になるんでしょ? それなら、そこから近いここでも見えるんだよ。ほら、眼前に」
そう言われ、ケイはちらりと老人の方を見た。あれが妖精? そうには見えない。強いて言うならば、迷子のおじいちゃんってところが妥当だろう。いや、『ドッキリ』の立札を持った時点で妖精とは言いがたい。
「どう見ても妖精じゃないだろ。あれは」
再度ヴィンの方に向き直って、苦笑いをする。
「そう? 私から見るに、あれは旅人をそこでじっと見守ってくれている妖精だと思うな」
「ていうか、ここキイ教の聖地じゃないか。それに妖精って出るか? 別の宗教と混ざっていないか?」
「そういえば、聞いたことあるぞ。黄の民国には畑仕事を手伝ってくれるおじいちゃん妖精がいるって。きっとそうなんだよ。黄の民国の人がこっちに遊びに来たときに置いていっちゃったんだなぁ。――口減らしか」
最後の呟くような台詞にケイは「ンなわけあるか」と叱咤する。
「最後、不吉なこと言ってんじゃねぇよ。ていうか、それを言っている時点で妖精として見なしていないじゃないか」
「じゃあ、ケイは何に見えるんだよっ!」
「いや、普通に考えて古跡の村の人だろ」
途端、老人がいた場所に物音がした。二人がその場所を見ると、彼は声をかけて欲しそうに立札を地面に当てていた。高年齢者が出すような咳払いをしてくる。
「私には古跡の村の人には見えないなぁ」
そこにいる人物は決して古跡の村の住人であると認めようとしないヴィン。ではどういう人物であるならば、彼らに見えるのだろうか。
「じゃあ、どういう格好をした人が村の人だっていうんだ?」
「あれだね、元々この村の人たちは狩猟民族だろ? 武器を持っていないじゃないか」
ヴィンに応えるようにして、老人は『ドッキリ』の立札を武器代わりにして、周りに生えている草を叩き斬り始める。こちらの方にかけ声が聞こえるではないか。
「それに……ほら、狩りと言ったら槍を持っていそうだし」
今度の老人はその立札を槍と見立てているのか、かけ声を上げながら石垣を突いていく。これでケイはわかった。あっ、この人は古跡の村の人だな、と。
「あと、伝統ある村だろ? 師匠には悪いけど、連絡するって電話でしているとか。電化製品とか全くないところのイメージが強いな。なんて言うの? 大昔の人たちの暮らしスタイル?」
突然、老人は股間に装着していた装飾品から連絡通信端末機を取り出して、どこかへと連絡を取り始めた。
「おい、今すぐ村中の電化製品を撤去し、破壊しろっ! できるなら、ガスボンベとか水道管も!」
「ヴィン」
「それにそういう畏まった村だから、『ドッキリ』だなんてしないって。したら、してたでばかばかしい――」
もうこれ以上は言うんじゃないとでも言うように、ヴィンの口を塞いだ。何故って、端末機を手にした老人が無表情で視線をこちらに向けているのだから。
「わかった、お前のその思い込みはわかった! だから、これ以上言うな!」
――これ以上、あの人の心に傷を負わせないでくれ!
という以前に、こちらを見てくる老人の眼力が怖い。絶対あれは怒っているよね。そんな憤りをひしひしと視線を通して知れているからである。
「いきなりどうしたのさ、ケイ」
なぜに自分は口を塞がられなければならなかったのだろうか。片眉を上げるヴィンはようやく老人の視線に気付いた。ケイが感じ取っていたオーラにも気付く。ややあって、老人は立札を杖代わりにしてこちらの方へと歩み寄ってくる。二人を見てくる視線は依然として変わりない。
「お二人さん方。もしかして、ヨイチ・ヤマト殿に紹介された方だろうか?」
「は、はい。そうですが……」
ケイはヴィンを肘で突いた。紹介状。ヨイチから預かっている紹介状を出せと指示を出す。慌ててその書状を鞄から取り出すと、老人に渡した。それを確認すると、股間の装飾品に書状を突っ込む。
「私が古跡の村の村長、マトヴェイと申します。今から村へとご案内致しますので」
最悪だ。よりによって、村の村長だとは。
バイクを押して、マトヴェイの後を着いていくケイ。その一歩後ろを歩くヴィン。彼は耳打ちをしてきた。
「ねえ、もしかして村長さんって私たちの話を聞いていたのかな?」
「当たり前だ。お前の思い込みのせいで、村中の電化製品とか水道管が破裂している頃だろうよ」
「なんで!?」
「ヴィンがあの人を妖精とか言い出すからだろ」
故に一番悪いのは口に出した者である。だが、ヴィンは自身の非を認めようとはしない。
「いや、だってさぁ。どこからどう見ても妖精に見えたんだもん。まさか、お出迎えしてくれるとは思わなかったんだもん。ドッキリの立札用意して」
それについては同意せざるを得ない。ケイだってまさか『ドッキリ』を用意しているとは思わなかったのだから。
「でも、村の電化製品が壊れていたら、謝っておけよ」
「えっ!? そうだとしても、早とちりする方が――」
「我が村人たちは大抵が早とちりですからな。妖精みたいにその場に佇んで、ドッキリを仕掛けようとうっかりしてしまうこともあるんですよ」
うわっ、全部聞こえていた。マトヴェイがどこか嫌味ったらしくそう言ってくるではないか。そうしていると、古跡の村の入り口付近へとやって来た。そこら辺に駐車されている車などのところに停めてくれと言われ、ケイはそこへと停める。
「これは村の人たちの車ですか?」
「いいえ、観光客の方たちの車ですよ。ここ最近になってちらほらと増え始めたんで」
まだ根に持っているのか、この村長は。依然として無表情の面構えは変えようとしない。
「ヤマト殿から話は聞いております。話は私の家でしましょうか」
二人にそう言うマトヴェイの後ろには最新式の家電製品を持ち運んでいる村人たちが見えたのは気のせいでも何でもなかったのだった。
◆
マトヴェイに案内されたケイとヴィン。彼の家のあちらこちらに何かを撤去した跡が見えていた。それがなんであるかは一発でわかる。その近くには何も刺さっていないコンセントがあるのだから。虚しくそこにぽつんと佇んでいる。それを見てヴィンは罪悪感に悩むが――冷静に考えて、これは自分が悪いのだろうかと思う。
「さて、お二人方はこの村の生活を奪おうとして私に何のご用ですか?」
「あ、あの、未来のコンパスと過去の歯車について訊きたいことがあって、来たんです」
その答えに、マトヴェイの目付きは大きく変わった。どうも、難しそうな表情をしているようだ。
「ヤマト殿から聞いて、詳しいことをこちらで訊こうと?」
「はい。し……ヤマトさんにも、わからないことばかりが起きているので。それでこの村に行きなさい、と」
マトヴェイは頷くようにして、自身のあごひげをなでた。
「場所の在処は知らないですよ」
こちらを見る目が警戒心へと大きく変わっていた。長い眉の下から覗かせる濃い青色の目がそれを物語っているよう。だが、彼らが訊きたいのは在処ではない。
「違います。過去の歯車の所有者に私は記憶を改ざんさせられているんです。その改ざんを元通りにする方法を教えていただきたいのです」
今度のマトヴェイは腕を組み、難しそうな表情を見せた。その長くて白い眉の端は下に垂れ下がっている。
「この世に所有権を持つ者が存在するのか?」
その事実が甚だ信じられないらしい。急に敬語を止めて、何かを思い出そうとしている。しかし、その事実は嘘ではないのだ。
「はい。過去の歯車は一人が。未来のコンパスは二人所有者がいます」
「二人?」
明らかに先ほどの温和的とは言いがたいが、あまり怖くなさそうなマトヴェイとは打って変わって二人を見てくる。そんなことなどありえないとでも言っているようだった。
「村長、この世に未来のコンパスと過去の歯車はそれぞれ二つずつ存在しているんです」
「何をばかな。それらは唯一、一つ物なんだぞ?」
丁寧な完全に口調が失われた。余程、動揺しているのか。いや、その驚愕っぷりにはケイたちも同様に戸惑いを隠せなかった。
「しかし、未来のコンパスは旧灰の帝国の者が。過去の歯車は青の王国の者が盗っていきましたが、もう一つ分をとある人物が両方とも所有していたんです」
「両方を所有?」
「その所有者の名前は、名なしというらしいです。聞いたことはありませんか?」
ヴィンの問いかけにマトヴェイは首を横に振った。知らないらしい。それならばと先ほどの質問にも、もう一度訊ねてみた。
「お願いします。また何か改変させられるかもと思って、訊くに訊けないのです」
頭を下げ、願いを乞う。自分はなぜにキリの記憶を失わなければならなかったのか。もしも、自身の記憶が復活したならば、どうなってしまうのだろう――いや、不安よりも、隠されてしまった事実を知りたい好奇心が打ち勝ってしまっている。
何も答えてくれないマトヴェイをケイは見る。彼は何かを思案しているようではあるが、この答えが出るのだろうかと疑問に感じていた。おそらく、マトヴェイが知っているのはターネラが持つ過去の歯車とキャリーが所有していた未来のコンパスだけだろう、と。反応から察するに、キリが所有する過去の歯車と名なしが所有する未来のコンパスの存在は知らないはず。
記憶の書き変えはキリが所有する過去の歯車で行われている。ターネラが持つ過去の歯車ではないのだ。彼の持つそれは事実改変に代償――すなわち、自分の何かしらを犠牲にしなくてはならないのだ。ヴィンの記憶から己を削除したのは事実改変なのか、それとも代償なのか。
しんと静まり返ったその部屋でようやくマトヴェイが口を開いた。
「……すみませんが、事実改変を元に戻すのは、所有者本人しかできないでしょう」
何もできない。その言葉にヴィンは頭を下げたまま、硬直する。為す術なし。書き変えを元通りにするならば、キリに直接訊くしかない。そんなの無理に決まっている。自分の記憶からキリだけの記憶を消したのだ。彼にとって知られたくない秘密を自分は持っていると知られているからそうなったはずなのに。
あのとき、何をしようとしていたんだろうか。訓練場の裏で二人向かい合わせに立って、自分はナイフを握っていた。その刃先を初めて見るはずのキリに向けていた。明らかにあれは殺意があったのではないか。彼に殺意を向けていた? 殺そうとしていた? だとするならば、どうして彼を殺そうとした? 理由がわからない。
ヴィンは下げていた頭を上げ「私どもの設問にお答えいただき、ありがとうございました」そう、お礼を言う。マトヴェイに何を訊いても現状は変わらないだろう。つられるようにしてケイも頭を下げた。
何も手掛かりは掴めやしない上、隠れカムラ教の教典をコピーした物すらもどこかへ行ってしまった。
二人がその場を後にしようとしたとき、マトヴェイは彼らを呼び止めた。彼はその場に座ったまま、ケイたちを見る。
「私たちのキイ教の教典にも載っていない事柄……可能性は低いかもしれないが、隠れカムラ教典に記載されているかもやしれません」
「実は、改変される前にその教典を見ました。重要な手掛かりである場所をコピーして保存していたんですが、それを失くしまして。それにその教典は図書館などにはすでにないそうです」
「いいえ。そうではなく、まだいるのではないでしょうか。青の王国に」
マトヴェイのその言葉にヴィンは片眉を上げた。
「遥か昔、黒の王国の目を逃れるがために、隠れて祈るようになった悪神崇拝信者たち『隠れカムラ教信者』が」
「い、いるんですか?」
「絶対的確信はありませんが、可能性はあるはずです。『隠れ』カムラ教でしょう?」
◆
古跡の村の宿屋にあるベッドへと腰を下ろしたケイは窓から見える世界を見る目を見た。山頂付近にぽっかりと空いた大きな穴からは空が覗かせている。
「ヴィン、次は隠れカムラ教信者探し出すのか?」
椅子に座って、カメラを眺めていたヴィンにそう訊ねる。彼は頷いた。
「もちろん。ここの村長にはわからないことがわかるかもしれないって言っていたから」
「……なあ、ヴィン。そもそもその未来のコンパスと過去の歯車は黒の王国が持っていたんだよな? それを青の王国と旧灰の帝国が――」
ケイの言葉を遮るようにして部屋に二つの箱を大事そうに抱えてマトヴェイがやって来た。その後ろには等身大のマネキン人形が彼と同じような格好をして台車で運ばれてきている。一体何が始まるのか。
「それは違いますよ、お客さん」
中へと入ってくると、箱をテーブルの上へと置いた。
「未来のコンパスと過去の歯車は黒の王国の物ではありませんよ」
「えっ?」
「本当はあの世界を見る目にある祠に仕舞われていた物なんです。つまりはキイ様の物です」
マトヴェイはマネキンが乗った台者を部屋の中へと入れてきた。
「正直、黒の王国からなくなって清々しておりますし。何より、前の政権も崩れて大正解です。私たちは以前の皇国や王国のやり方に同意しかねておりましたし」
「じゃあ、黒の王国がそれを盗んだんですか?」
「その通り。本来はどこにも国など存在はしておりませんでした。あなたたちも歴史学か何かで学びませんでしたか?」
その設問に二人は頷く。誰もが知っている話。世界で初めて国を作ったのが黒の王国であり、国はその世界すべてを統治していたのだ。それは長らく王国の時代が続き、未来のコンパスと過去の歯車が奪われて国家は崩壊していった。それからである。青の王国や灰の帝国などの国が誕生したのは。
「あの国はあれらさえなければ、国を保つことができなかった弱小国家でもあるんです」
「そうですか。――それで、俺たちの部屋に何を?」
歴史について知りたいことはあるが、今はこの部屋の状況が気になって仕方なかった。さして広くない二人部屋に押し込まれるようにして入れられた二体のマネキン人形が乗った台車。テーブルに置かれた謎の箱。これから何を始めるのか。
「これですか? これはお客さんにプレゼントです。この村の民族衣装ですよ」
マトヴェイはそう言いながら、ケイに「ありがとうございました」と二人分の服を渡してくる。いや、ちょっと待て。これは自分たちの服ではないか!?
慌てて確認するようにして鞄の中身を見た。入れていたはずの一着分がなくなっているではないか。これだ!
しかし、ヴィンはそのことを気にせず、嬉々としてマネキン人形とマトヴェイの写真を撮っていた。気にしろよ。
「村長、この箱の中身は何ですかい?」
「ああ、それはコティカンですよ」
「コティカン?」
コティカンとはこれのことだと自身の股間を差して、なぜか得意気になるマトヴェイ。
「ほほぉ、なるほどですねぇ。じゃあ、早速、ケイが着てみてよ」
自分は着ませんとでも言うようにして、ヴィンはコティカンを手に握らせてくる。それにケイは嫌そうに眉間にしわを寄せていた。
「俺じゃなくて、お前が着ろよ」
「何を言っているんだよ。ここは私じゃなくて、ケイが着るべきなんだよ。そういう運命なんだよ」
「嫌な運命を勝手に背負わせるな」
「ままっ、ここは黒の共和国に染まるためにも!」
そう言いながらケイの頭にコティカンを乗せてきた。いや、使用していないからいいのかもしれ――否、よくない。苛立ちが募ってくる、ヴィンだけに。
嫌々ながらも、民族衣装に着替えたケイ。首や腕にある金属のアクセサリーが冷たい。何とも妙な気分に陥る最中、ヴィンが写真を撮ってくる。
「ワイルドですねぇ、お客さん。眼帯が映えていますよ。でも……」
「そうですね。ケイ」
ヴィンとマトヴェイは顔を見合わせると、ケイを見た。その視線を彼は拒絶する。
「絶対に嫌だ」
それだけは絶対に拒否したい物。それは、ハイチも嫌がったコティカンである。ケイは必死に嫌がった。眉間にしわを寄せ、唇を尖らせて、嫌悪感ある目でコティカンを見ているようだった。
「なんでだよ。いい思い出になるよ?」
「だったら、お前がしろよ! 俺に押しつけんな!」
絶対に装着しようとしないケイ。痺れを切らしたのか、ヴィンは机の上にコティカンを置いて、写真を一枚だけ撮った。そして、その直後にマトヴェイへ――。
「明日、合成した写真をお見せしますんで」
「本気で待て」
逃がすまいと肩を掴む。そんな殺気にヴィンは、ちょっとだけ調子に乗り過ぎたかな。なんて思ったとしても、もう遅い。
その後、ヴィンは拳骨を食らって自分も民族衣装を着る羽目となったとさ。
◆
自分の居場所をくれたエレノアに感謝しながらターネラは王城内にいた。
ヴィンが持っていた未来のコンパスが奪われた今、次に狙われるのはターネラだ。そう目論んで、王国で一番安全な場所であろう王城へと招き入れてもらったのだ。そして、その護衛をエレノアはソフィアとフェリシアに任命する。二人に守られながら、共にここで働いていた。
現在、三人は城内の物置倉庫で整理をしていた。毎日は軽い掃除をしているため、埃っぽくはあまりないが、掃除の手が届かない場所はとても埃っぽいのだ。思わず、咳き込むターネラ。
「大丈夫か?」
心配そうに声をかけるのはソフィアだ。
「だ、大丈夫です」
周りに埃が舞い上がる。それを煙たそうにターネラが手で払っていると、眼前に金髪碧眼の男性が現れた。
「やあ」
その人物は手を上げて、気軽にあいさつをする。だが、突然扉から入ってくることも、音も立てることもなく現れたのだ。それだからこそ、ターネラは目を丸くした。
「ほぎゃっ!?」
あまりにもびっくりし過ぎて、ターネラは一歩後ろに下がったところで足を引っかけて尻餅をついてしまう。おかげで変な声が出てしまった。大きな音を出した。それで、ソフィアとフェリシアに本気で心配される。
「スタンリー!?」
「怪我していない!?」
「……ててっ。は、はい。大丈夫です」
「ここ、物がたくさんあるから気をつけないとダメだぞ?」
二人に起こしてもらって、頷いた。正直言って、恥ずかしいと思う。結構な頻度でこういうドジをしてしまうから。
「はい、すみませんでした」
頭を下げてあの金髪碧眼の青年がいた場所を見るが、そこには誰もいなかった。いつの間にか消えてしまったのだ。
ターネラはそこを不審そうな目で見つめるばかりだった。
◆
物置倉庫の整理が終わり、今度は三人で裏門の掃除をする。ターネラは地面に落ちている落葉を掃きながら先ほどの青年について考えていた。あの人物には見覚えがある。前夜祭に過去の歯車を取った人であるから。
【拝借】
その後にキリが拾って、ケイから渡されたのだが――。
青年は消えるようにしていなくなった。今回も同様に。そう、それはまるで幽霊のように――。
――学校とお城に現れる幽霊?
その二つの出現場所の条件がわからない。自分がいるから? だとしても、零落の村にいたときは何もなかった。弟と家で過去の歯車を見たことはあっても、あの青年と会うなどまずなかった。
「…………」
ほうきを動かす手を止めて、思案する。
自分が知る限り、前夜祭のときから何かが動き始めている。それが、自身が持つ過去の歯車に関連していることは重々承知している。なぜにそれを狙う者たちはオリジン計画を実行しようとするのか。『イダン・バンダ』という人物が持ち込んだあの資料――。
【事実改変装置】
まさかとは思う。自分が持っているのを取り上げて、その装置と共に彼らの好きなような事実へと――世界へと書き変えていくのではないか、と。だとするならば、自分がここにいたのがバレてキイ教過激派がこの王城を攻め落そうとしたら?
エレノアから聞いた。この過去の歯車と対を為す未来のコンパスが奪われたと。どういう類の物かもきちんと教えてもらった。
「……怖い、な」
一番恐ろしいのは視えない先への不安。自分が将来何になるとか、そう言ったものではない。キイ教過激派が作ろうとする理想郷が自分たちにとって良くないものであるのをわかっている。だから余計に怖い。
ああ、あまり考え事をするべきではないな、とターネラが掃除を再開しようとすると――。
誰かに肩を叩かれた。ソフィアたちが手が止まっているぞと教えに来たのだろうか。後ろを振り返ると、そこには誰もいなかった。彼女たちは各々別の場所で掃除をしているではないか。
――気のせい?
確かに肩を触れられた感覚はある。気のせいとは言いがたい。何だったのだろうかと元の場所へ振り返ると「よっ」そう、あの青年がにこやかにあいさつしてくる。
ターネラにとってこの人物は幽霊という認識になってしまっている。彼女は幽霊という類いが苦手である。それが今まさに直面しているものだから、当然物置倉庫と同様に変な声を荒げてしまう。いや、あちらのときよりも大声だ。
叫び声に気付いたフェリシアは見た。ターネラが一人驚いているようにしか見えなかった。もしかして、虫でもいるのか。ソフィアも彼女を見ているようだ。ここは自分が訊ねてみよう。
「スタンリーさん?」
「ドレイパーさん……」
ターネラは涙目のようである。フェリシアに抱きついてくる。どことなく、昔のソフィアを思い出してしまう。
「どうしたの? 虫?」
「い、いえ。ゆ、幽霊が……」
「えっ? どこにもいないみたいだけど」
自分たちの掃除範囲を見渡すも、誰もいない。
「幽霊って、前夜祭に現れた?」
その設問にターネラは頷くと、フェリシアは周りを警戒し出した。狙いは過去の歯車か。幽霊でさえも手に入れようとする気なのか。手に入れて、生き返るつもりか。目的は?
「フェリシア? どうかしたのか?」
「スタンリーさんの狙うやつがいるみたい」
「何っ!? それは危険だな。掃除は止めよう。エレノア様に報告しなくては!」
「でも、エレノア様って、夜まで外出だったんじゃ……」
「……私たちが見張りながら掃除をするしかないな」
それでも、とフェリシアはエレノアに連絡通信端末機で現在の状況をメールした。返信はすぐに来る。夜にそのことについて話を訊くらしい。それまでは自分たちでどうにかするしかない。三人は見えない敵に怯えながらも掃除を済ませるのだった。
◆
夕方、ターネラは一人自室にいた。ソフィアとフェリシアは別件でここにはいない。彼女はいつ襲撃されてもいいように気を張り、ほうきを手にして待ち構えていた。来るならば、自分が一人のときに決まっているから。絶対そうだろ。そっちの方が、狙いやすいもんなっ!
「…………」
しんと静まり返るその部屋。その部屋を覗き込むようにして幽霊である青年は困惑していた。さあ、どのようにして声をかけようか、と。一度ならず、二度までも怖がらせてしまったことに罪悪感があったのだ。初めて話しかけたのがあの状況なだけに、気さくに話しかけたのが仇となってしまった。これは話しかけることすらできそうにないなとも思うが、ターネラに伝えなければならないことがある。過去の歯車を守る一族の末裔だからこそ。知らなければならない事実があるからこそ。知ってもらいたい思いがあるからこそ――。
意を決して近付く。
――あの子の名前は。そうだ、スタンリー。
「す、スタンリー」
その呼びかけを瞬時に反応見せるターネラは青年の姿を確認して、ほうきで拝み打ちをする。だが、彼に止められた。
「お、おいおい、落ち着けよ。俺は敵じゃない」
「それじゃあ、なんで私の家の物を奪おうとしたんですか!」
「奪っちゃいないよ!? あれ、借りるねって、俺は言ったよね!?」
「だとしても、狙いはなんだっ!」
動かせないほうき。それならば、非力かもしれないが、力ずくで押してやる。ターネラは手に持つほうきに力を込めた。
「本当は過去の歯車を奪って、所有権を得て、生き返ろうとするつもりだろ!」
「しないっ! ていうか、俺ってそんなに悪人に見えますかっ!?」
これじゃあ、何を話しても埒が明きそうにない。そう考えて、ほうきを振り払う。ターネラが攻撃を仕掛けてこない棚の上の方へと逃げ込んだ。彼女はほうきを手に持ち、睨みつけていた。
「スタンリー、お願いだから俺を攻撃しないでくれ。俺はお前に大事な話とお願いをしに来たんだ」
「……なんですか?」
身構えを解かないターネラ。仕方あるまい、ここで話をするしかない。その話を信じてくれるか甚だあやしいが。
「きみの祖先のことだ」
「…………」
その言葉にターネラは構えを解いたが、警戒心は解こうとはしない。話に耳を傾ける。そのため、青年は棚から降りようとしない。その場で語り始めた。
「なぜ、スタンリーの祖先が未来のコンパスがあったにも関わらず、過去の歯車を奪えたか知っているかい?」
「知っているの!?」
「ああ、もちろんさ。だから、俺を敵と見ない?」
条件を出してきた。果たして、その条件は飲んでもいいものか。迷いを見せていると、言葉を続けてきた。
「確かに一度過去の歯車を拝借はしたけど、奪うためじゃないんだよ。助けるためだったんだ」
「助ける?」
「カムラが愛する者を助けるがためさ」
「……その人は助かったの?」
「うん、スタンリーが貸してくれたおかげで」
じっとターネラは見てくる。そして、口を開いた。
「これだけは訊かせてください。あなたは亡くなった方で、私の祖先をご存知でしょうが、どなたですか?」
その質問に幽霊である青年はあごに手を当てた。
「答えてくれたら、俺を信じてくれる?」
「……信じます」
ためらいはあったものの、そう答えた。すると、ターネラの目の前に下り立った。向こうのドアが透けて見える半透明の体を持った人物――まさしく幽霊である。
「俺はライアン・ヒューイットって言ったらわかるかな?」
わからないわけがない。青の王国の者なら誰でも知っている人物だ。その国を建国するまでに導き、英雄として称えられた青き君主。
「ほ、本物ですか?」
「信じて」
証拠はないらしい。ただ、信じるしかない。ターネラは疑心を抱きながらも頷く。ライアンは「ありがとう」とお礼を言うと、語り始めた。
「まず、スタンリーは三銃士軍団を知っているかい?」
「はい、次期王座につく王族のための私軍ですよね?」
「あぁ、そっちしか知らない? 独立前の三銃士軍団は知らない?」
ターネラは首を傾げた。独立前の三銃士軍団とは? そのようなのは聞いたことがない。いや、ケイたち元三銃士軍団も知らないかもしれない。
「えっとね、元々三銃士軍団は俺とミスミ、そしてスタンリーが団長としてみんなを束ねてきたんだよ。言わば、独立軍って言ったらわかるかな?」
「えっ? 今の団とは違う?」
基本的に現在の王族私軍である三銃士軍団はフォスレター家、シルヴェスター家、ボールドウィン家の三つの家で存在している。それは今も昔も変わりないことだ。だが、ライアンが言う家は全く違う。
「クーデターを起こしたとき、黒の王国の政権を崩壊するために成功させた大きな功績はスタンリーが過去の歯車を盗み取ったこと」
それにターネラは頷く。
「黒の王国軍の配置は完璧だったはず。独立の戦いにあたって影の功労者スタンリー。だが、実は彼以外にも影の功労者はまだ存在する。その人物がいなければ、スタンリーは過去の歯車を盗めなかったと言っても過言ではない」
「……えっ?」
「その人物は『二人』いて、スタンリーも俺ももっとも信頼していたやつらだ。いや、誰からも、だったがその内の一人は殺された。その場に偶然居合わせた黒の王国軍がトップ、軍長にな」
「…………」
「彼は無念だったんだと思う。後少しのところだったのに」
「それで、私の祖先が命からがら盗んだんですか?」
ライアンはそうだ、と頷く。
「大怪我を負いながらも、俺たちのところへ戻ってきたスタンリーは悔しそうにしていたよ。彼を助けることができなかったって。だから、俺たちは戦った。正直な話、王族なんてどうでもよかった。軍長から仇を取ればそれでよかったんだ」
ライアンは思念体として存在している。その思念で動いている原動は数百年の時を超えても、未だに覚えているのだ。
【番人を拵えた】
「……初代。教えていただけませんか、私のご先祖様を助けてくださった人の名前を」
ライアンはターネラを見た。彼女はその人物の名前が知りたくて、たまらないらしい。ああ、彼女の目を見ていると忘れ去っていた記憶がどんどんとよみがえってくるではないか。
【あいつらが気に食わないのも俺と同じだ】
【じゃあ、その魔法みたいな不思議パワーで俺たちを助けてくれよ】
【構わない。あんたの名前は?】
【ライアンだ。そっちの名前も訊いていなかったな】
【ああ、俺は――】
「彼の名前は『カムラ』だ。スタンリー、お願いがある。友を助けてやってくれないか?」
ライアンに何かを言おうとした瞬間、部屋の扉が勢いよく開かれた。それに伴い、彼は消え去り――中へとソフィアとフェリシアが入ってきた。後からはエレノアも入室してくる。
手に持つほうきを見て、二人は愁眉を見せながら「大丈夫か」と問いかけてきた。
「何もなかったか?」
「え、ええ、はい。いえ、あの人が来ました」
「盗られていないだろうね?」
「もちろん、です」
来たということは近くにまだ潜んでいるのかもしれない。二人はターネラとエレノアを残して周辺を探し回ることにした。
「あ、あの、エレノア様」
ターネラはライアンとのやり取りについて話した。どう考えても彼が出してきたお願いとやらは自分だけでどうにかなることではないようだったから。もしかしすると、エレノアは何か知っているのかもしれないから。そう思って、すべてのことを話すと――。
「初代国王が?」
「はい、三人が来られる前にカムラという人物を助けて欲しいとお願いをされて」
「そのカムラとやらは死んでいるのにかい? 一体誰を助けろと?」
エレノアは渋面を見せながら、思慮に更けた。
――初代国王は何かを知っているようだね……。
腕を組んで何かを考えるエレノアをよそに、ターネラはライアンがいた場所を見た。
【その人物は『二人』いて】
クーデターの際に陰の功労者は二人いると発言していた。一人は『カムラ』であるならば、もう一人は一体誰なのだろうか。
不穏な空気はその場を漂わせるのだった。




