選択
城内を闊歩するラトウィッジの前にエレノアが現れた。彼女は愁眉を見せている。メアリーのことだろう。
「ラトウィッジ」
ラトウィッジは首を横に振る。それに大きく項垂れた。
「そうかい、私はメアリーもあの子らも助けることができなかったんだね」
「国王様はお怒りのようです」
「当然だろうね。嫁も先立たれて、娘もいなくなれば――」
エレノアは眉間にしわを寄せる。そんな彼女にラトウィッジは少しばかり話がしたいと言った。それに伴い、彼を自室へと招待する。
ソファに腰かけるよう促されて座った。そして、ラトウィッジテーブルの上に錆びた歯車――過去の歯車を置く。それを見たエレノアは驚きを隠せない様子でいた。
「森厳平野。ということは、スタンリー家が?」
「生き残りが一人います。その彼女が本物を持っているようです」
本物? エレノアは片眉を上げる。話が拗れているような気がしたから。
「本物をスタンリーが持っているならば、これはなんだい?」
「旧灰の帝国にて、デベッガ隊員が『所有』していた物です」
エレノアは過去の歯車をじっと見た。
「『所有権』を持っているのかい?」
その質問の答えに大きく頷いたのだった。
◆
森厳平野での作戦を終えたハイネとターネラは王都の方へと帰還した。そして、報告書を書くために王国軍の基地に彼女たちは滞在していた。二人とも、浮かない表情でいる。
「…………」
「…………」
二人にはそれぞれの事情を胸に抱いており、話しかけるにかけにくい状況だった。ハイネはハイチが家に帰ってこないことについて。ターネラは家族の死について。重たいのはターネラの方だとハイネはわかっていた。だからこそ、暗い表情をするのを止めなければならない。
「た、ターネラちゃん、報告書って初めて書くでしょ? わからないところがあったら、何でも私に訊いてね」
信じよう。その言葉を胸にハイネは笑顔を作った。無理して作ったと自覚はしているが、それでは駄目だと思っていた。
「ありがとうございます。それならば、ここのところなんですけど……」
ターネラは父親から受け取った過去の歯車を服の下で紐に提げていた。彼女が報告書でわからないところを訊ねていると、二人のもとにラトウィッジと数名の王国軍人たちがやって来る。
「きみがハイネ・キンバーか?」
「はい、そうですが」
自分に何の用なのだろうかと彼らを見た。ターネラもおずおずと見つめている。
「話がある。こちらに来てもらいたい」
「わかりました」
言われるがまま、ハイネはラトウィッジたちの後を着いていく。学徒隊員用の休憩室から出て長い廊下を渡り、待合所の方を通った。
そこではたくさんの行き交う人々に紛れて――号外新聞の一面の見出しが目に入った。それに瞠目しながらも、彼らに着いていく。
連れてこられた場所は椅子二脚を挟むようにしてあるテーブルだけ。その内の一脚の椅子に座るように促され、座る。向かい側にはラトウィッジが座った。残りの王国軍人たちは出入り口に二人、それぞれ等間隔で壁側に立つ。その異様な雰囲気に圧倒されるハイネは肩身が狭い思いで彼らを見た。
「突然の呼び出しに申し訳ない」
「いえ、こちらこそ」
「きみは号外新聞を見たかな?」
メアリーが誘拐されたことについての事情聴衆だろうか。ハイネはまだ一面の見出ししか見ていなかったため詳細は知らない。ただ「詳しくは知りません」と首を横に振って否定をした。それにより、ラトウィッジの表情はより一層渋った様子となる。なかなか、口に出しにくいとでも言うような面持ちではあった。
それでもハイネは言葉を待った。小さくなるようにして、ラトウィッジの顔色の様子を窺う。ややあって、彼は重々しそうに口を開いた。
「非常に言いにくい話なのかもしれない」
「はい」
「きみの兄、ハイチ・キンバーが半異形生命体であったことを知っていたか?」
その質問にハイネは硬直した。どう答えればいいのやら。わからない。どう口に出したらいいのやら。わからない。どう反応したらいいのやら。わからなかった。耳を疑いたくなる話であるからだ。自分は何も知らないのだから。
「彼が学徒隊及び、三銃士軍団を辞めたのは知っているか?」
「……それは、はい」
話が見えてこない。目線をどこにおけばいいのだろうか。
「申し訳ないが、きみのことも多少は疑っている。身体検査と血液検査に協力してもらえるか」
上手く言葉が出ないため、ハイネは小さく首を縦に振った。
「検査結果が終了するまでは身柄はこちらで預からせてもらう。おい、彼女を部屋に案内してくれるか?」
ラトウィッジが近くにいた女性隊員にそう告げると、椅子から立ち上がった。それにハイネは顔を上げて彼を見た。ラトウィッジも何か言いたげな彼女の言葉を待ってあげる。
「は、ハイチは? ハイチはどこにいるんですか?」
「…………」
ラトウィッジはそのことについて何も答えず、黙って部屋を立ち去ってしまった。唖然と、出入り口を見つめるだけのハイネに一人の女性隊員が呼びかける。
寂しさをどうにか堪えようと、無理に笑顔を作らなきゃと自分に言い聞かせていたが、これはもうどうしようもない。信じがたい事実を突きつけられて、笑顔でいれというのは不可能な話なのだから。
信じていたのに。みんなが信じてくれていたはずなのに。
「キンバーさん?」
立ち上がろうとしないハイネに隊員が呼びかけると、彼女の涙が頬を伝った。自然と涙があふれ出てくる。
――私は何を信じればいいの?
◆
時を同じくして、セロは王都はずれにある特別収監所にあるベッドの上に寝転がっていた。安静状態を必須とする怪我人相手でも任務失敗は手厳しいものだなと思えば、見覚えのある者が連行されている姿を見かける。
一人一部屋として収容されていく。それに伴い、起き上がってその様子を傍観していた。
そうしていき、監視員がその場から離れると――「お互いヘマをしたな」そう、向かいの部屋にいるケイに告げた。鉄格子越しから見える彼はセロに気付いた。
「誰かと思えば、首席か。ヘマ。確かにあなたと俺の姿を見ればそうでしょうね」
セロの頭に巻かれている包帯を見て、自身の腹を擦った。痛みは持続して続いてはいるが、悶えるほどではない。
「本当にすまないと思っている」
セロは頭を下げる。それを見て、ケイは片眉を上げた。
「ライアン、一時だけ助けれたんだけど……」
「いや、相手が悪かったんですよ」
ケイは訊くべきかと迷いを見せた。セロにハイチが半異形生命体だったということを。彼らの仲が良いのは知っている。だから、余計に訊きづらい。
「ははっ、反軍の勢力を侮っていたことが原因かね」
「…………」
何の反応を見せないケイに「どうした」と訊ねた。彼はためらいながらも口を開いた。
「答えたくなければ、答えなくてもいいので。次席について訊きたいことがあります」
「ハイチのこと? いいけど、多分あいつがばかだということしか出てこないと思うぞ」
「……次席は王国を裏切る人か?」
セロは黙る。その設問の意図がわからなかった。だが、それはないと彼は思った。そのため、眉根を寄せながら「まさか」と鼻で笑った。
「あいつが? あいつはばかだし、何も考えずに突っ込むところがあるから誰かを騙すだなんてことは無理だと思うよ? 騙したとしてもすぐにバレるんじゃないかな?」
「次席が半異形生命体だと知っていてもか?」
今度こそ、セロは黙った。いや、黙ったのではない。固まっていた。思考の整理がつかないのだ。
「嘘、だろ……?」
「誰昔山道で見ました」
手で顔を覆い、大きく項垂れた。嘘だと思いたいのだ。これが夢であると信じたい。この事実、ハイネも知っているのだろうか。
「俺はこれが現実だとまだ認識したくないです」
「そりゃ、そうだ。俺だって……。シルヴェスターの話を信じたくない。ライアンが皇国に連れて行かれただなんて信じたくねぇよ」
「……もしかして、ハイン皇子が望む世界を実現としたものでしょうか?」
ケイの隣の部屋に収容されたワイアットの言葉が聞こえてきた。だが、セロはそのことを知らない。皇妃の首を刎ねて殺したぐらいしか知らないのだから。
「僕自身、キイ教をよく知りませんが、明らかに青の王国を貶めるようなことを言っていたと思うんです。その王国での僕たちの存在を消して、姫様は……?」
「もし、ワイアットが考えていることが現実になり得るならば、姫様の身に何が起きるのか」
「考えたくもない話だな。いや、それはここにぶち込まれた連中全員か。おい、デベッガ。聞こえるなら返事しろ」
キリに対して説教してやりたい、と思っていたのかセロは声を上げる。だが、ケイがこの場にいないと告げた。
「あいつは承前の棟に連行された」
「なんだその場所は」
「零落の村より北西の位置にある、白の公国の隣にある場所に建っている棟です。そこ、俗に言う死刑を宣告されたような場所なんです」
「何をして、そのようなことを?」
「彼も人じゃなかったということでしょうね」
セロの部屋の隣から軽い声が聞こえてきた。聞き覚えがある声だ。
「……ザイツか」
「声でわかってくれるとは嬉しい限りですよ」
これで三銃士軍団員の男子全員が揃う。いや、一人欠けているのか。
「じゃあ、デベッガも半異形生命体なのか?」
「どうなんでしょうか。そこは私にもわかりません。ただ、一つ言えることは、彼もキンバーさんも体につけられた傷の再生力があることですね」
「なんだよ、それは」
「だから、私にもわかりませんって。これから彼がどうなるのかもわからないんですから」
「オブリクスが聞いたら嫌になるだろうな」
おそらくそうだろう。自分もハイチの事実を聞いてショックを受けたのだから。ただ、この場にいないことが救いとでも――。
「いますよ」
離れた部屋の場所からガズトロキルスの声がした。自分たちがいる場所とは少し離れた場所にいるらしい。
「ここ、俺たちだけかと思ってた」
「多分、俺が最初だと思います。俺が軍を裏切るようなことをしちゃったから」
「そうか」
「シルヴェスター。その承前の棟って、こことは違うのか?」
ガズトロキルスはケイにそう訊ねた。
「違うというよりも、どこに収容されるかだと思う。そこまで俺は詳しく聞いていないから」
「…………」
◆
悪劣な環境だった。キリがいる場所は承前の棟にある地下牢。今の時代とは不釣り合いな不衛生な場所と言えるだろう。たとえるなら、下水道にずっと浸かっている感覚。牢獄のすぐそこに水路があるのが見える。そこから発せられる悪臭とかび臭さが混ざり合って、新しい異臭が鼻を突き抜けていた。くさいと思っていても、この場所からにおいがまともな場所へと移動されることはないだろう。
【バケモノめ】
ラトウィッジの言葉が深く突き刺さる。
援軍に来ていた彼らはこちらに来る前から自分を知っていたのかもしれない。いや、状況を見ただけでわかるか。キリは自身が着ている穴の開いたジャケットを見た。腹に穴が空いている。背中が直に壁に当たっていて、ひんやりしているからどちらにも穴が空いているのがわかった。
「…………」
周りを見渡す。自分がいる場所には腰かける場所も何もない。その場に座るしかない。寝るときだって、かびの生えた床で眠るしかないのだ。だったら、座って寝た方がまだマシである。
一応は一日に一度の食事はもらえるらしい。そうしている内にライトを手にした監視員が持ってきてくれた。鉄格子の下の隙間からそっと皿を置いて去っていく。キリはそれを手に取った。皿に乗っていたのは軍事食用の缶詰の中に入っている物であるようだが――。
「くさい……」
どれだけの賞味期限が過ぎているのか定かではないほどの物である。このような物、食べたら腹を壊すに決まっている。最初の内は食べなかったが、空腹に負けて食べてしまう自分がいた。食中毒になるとわかっていながらも。
だが、キリ自身は腹を壊さなかった。食べて数時間経っても、腹の痛みはない。それどころか毎食食べても問題なかった。これは歯車の力か、それともメアリーの手料理に慣れたことが原因か。あるいは――。
もし、後者であるならば、このようなところでメアリーの胃袋デストロイヤー食に鍛えられて役に立つとは思わなんだ。皮肉な話である。
「……ははっ」
腐った食べ物を食べた。美味しくはないが、メアリーの料理よりかは遥かにマシな味であることに苦笑しながら。食べ終えると、壁に背中をつけて、じっと何かの変化があるまで、その場に座っているだけ。
そっと胸元に触れた。いつもならば、服の下に歯車のアクセサリーがあるはずなのだが、それが今はない。あの雪山で置き去りになっているだろう。今までの痛みが襲ってきていないから、所有権はまだ自分にあるのはわかっている。だが、いつ所有権がなくなってしまうのかが怖かった。
「……俺、バケモノ」
あのようなことを言う人である。もうケイたち三銃士軍団や彼らにも自分が不死者だと伝わっているだろう。否、もう見られている。腹に穴を空けられた姿、その後の再生した姿。人の為せる業ではない。そうとなれば、己もハイチと同じ道を辿るのだろうか。
ハイチを処分場へ連れていけとラトウィッジは言った。処分――つまりは人としてではなく、それ以外に見立てて殺す気なんだろう、と。
三銃士軍団員たちからの噂で聞いたことのある承前の棟。死刑を宣告された者と同様の王国で一番古い収監所。どれだけの年月が経とうが、一度収監されれば、死ぬまで出られないとか――。
――俺は一生ここで過ごすんだ。
そうとなれば、アイリのお願いはもう叶えてあげられそうにない。歯車もないものだから、どうしようもない。このような場所に閉じ込められているから何もできない。
【何でもない】
アイリはそう言って、泣きながらどこかへ行ってしまった。そんな彼女を見て、キリはとても会いたいと思っていた。きっと、顔を見たら安心するから。唯一の事情を知っている人物だから。ハイネではない。きっと、ハイネを見ても心が落ち着かないだけである。それはおそらく、自分自身が普通の人間ではないと再確認したからだった。
◆
どんな力が加わろうとも、どんなに鋭い刃物の刃に当たろうとも切れないグリーングループが開発したロープを縛られて身動きが取れないハイチは完全隔離、完全武装の警備員の下監禁されていた。ここで彼はラトウィッジの尋問に堪える日々を送る。
「なぜ、人を捨てようとした」
「知るか」
「改造者は誰だ、教えろ」
「知るか」
いくら訊いても、何の質問をしても「知るか」の一点張り。これではまともな情報収集ができやしない。これでは処分することに渋りそうだ。話がわかる相手だと思って情報を集めようとしているのに――。
ハイチはどのような状況であろうと、お構いなしなのか行儀の悪い態度で話に半分耳を傾けている様子であった。人だと思っていたときから何かと横柄な態度である。これが未来の王国軍人にならずに済んでよかったとラトウィッジは内心思っていた。
何を訊いても埒が明かないなとハイチを見た。横柄な態度はそうであるが、前に会ったときは黒髪だったのに、白くなっている。だが、眉は黒いままだ。異形生命体の力を得る際に相当な負担や精神が削られるのだろうか。
「じろじろ見てんじゃねぇよこの野郎」
相当口も悪いらしい。いや、出身地が労働者の町ならば仕方のないことなのだろうか。ラトウィッジがハイチとハイネの学徒隊員に登録する際の書類を見ていると、おかしなことに気付いた。ハイチが記載している出身地は労働者の町であるが、ハイネは工業の町となっている。いくら、兄妹と言えども――。
家族構成の欄を確認した。彼らはそれぞれと『義父』の名前が記してある。他人の家庭の事情を聴くのは野暮なことかもしれないが、状況が状況だ。ラトウィッジは出身地の登録の件について訊ねた。だが、ハイチは――。
「知るかよ」
何も割らない。何も答えない。知っているから答えようとしないのか。ついに痺れを切らしたラトウィッジは「いい加減にしろ」と睨みつけた。そのお返しにハイチも睨み返す。
「貴様は自分が犯した罪を理解しているのか!?」
「ンなモン、お前には関係ねぇんだよ!!」
逆上するハイチの怒声が周りに響く。周りに立つ武装警備員たちが銃口を彼に向け始めた。それでも、ハイチは構わず鼻で笑ってくるのだ。
「お前にはわかるか? いいや、わからねぇだろうな? ただの動く駒が、何の事情も知らないお前らが俺の気持ちをわかるなんざ」
「当たり前だ。人の姿を捨てた貴様の気持ち、誰もわかるまい」
「俺は捨てたくて、捨てたんじゃねぇよ。最初からそういう運命だったんだよ!」
成りゆきの運命に責任をすべて擦りつける。ラトウィッジはそれが気に食わなかった。彼にとって、それはただの自分の心の弱さにあると考えているからだ。
「それならば、どうして今の今まで黙って学徒隊に紛れ込んでいた?」
「知るか」
元の状況に戻ってしまった。
「どうせ、俺を殺すんだろ? だったら、早く殺せよ」
それどころか、ハイチは銃口を向けている武装警備員にそう申し立ててきた。
「おら、殺せ。早く」
「いや、貴様が今ここで死ぬのは困る。黙っていることが色々とあるだろう? 洗い浚い、話せ」
「話したところで何になる? 神にでも祈るのか?」
「生憎、信仰している教えはない。祈ったところで何の意味もない」
「ああ、その通りだな。神はただの傍観者。人を助けない。なぁんにもしない」
「話をすり替えるな」
情報の進展がないまま、今日も尋問時間は終わってしまった。本当にこれ以上何も情報が出ないのだろうか。何かしら、核心をつかれたような話をすれば、話をはぐらかしたりするし。自分たちが知りたい情報を訊ねても答えない。
ラトウィッジは頭を抱えながら、その場を後にした。そして、そのまま王国軍基地の方へと赴く。とある部屋の方にやって来ると、そこにいた女性隊員はあいさつをした。
「彼女の様子は?」
「我々に協力的ですが、どうも精神が不安定のようで――」
一台のコンピュータの画面に映る彼女――ハイネは白いベッドの上で膝を抱えて俯いていた。聞けば、食事を採る以外はこの状態だと言う。
「尋問調査に加えて、カウンセリングもしています。食事は採るには採っているんですが、一口だけ食べて後はすべて残しています」
「そうか。二人の血液検査結果は出たか?」
「ええ、エイケン氏がこちらに届けるようにしてくれる、と」
その言葉通りにこの部屋へ白衣を身にまとったヴェルディが封筒片手にやって来た。ジャストタイミングである。
「検査結果、出ました」
「ご苦労。妹の方は?」
ラトウィッジの質問にヴェルディは封筒の中身を取り出しながら、説明し始めた。
「まず、妹の方は普通の人間です。何ら異常は見当たりませんでした」
それに二人は安堵した。
「……兄の方なんですが、彼も血液は異常なしです」
異常なし? その事実に彼らは顔を見合わせた。いや、これにはヴェルディも動揺を隠せない様子でいる様子。
「ただ、これを見ていただけますか?」
ラトウィッジに脳検査の結果写真を見せた。
「脳に異物があるんですよ」
「異物?」
「ええ。どうも、腫瘍とは違う何かで金属の類らしき物が……チップみたいですね。それが脳ともう一つ、両肩にあります。そして、妙なことに彼の腕には血が通っていません」
耳を疑った。そのようなことがありえるのだろうか。
「正確には血が通っていないと言うより、腕だけ別に血が通っていると言えばいいでしょうか。腕には全身の血管とのつながりはありません。ただ、神経は通っているようで、自由に動かすことができるでしょう」
「それはありえるのか?」
「わかりません。前代未聞の話なので。そもそも、生物学会に異形生命体に関するデータはすでに存在しませんし」
「無法地帯にあった研究機関のデータは? あれはもう焼却されているのか?」
「そうですね。ですが、あったとしても反政府軍団が盗んだという可能性はあります」
「可能性が高い人物は?」
「二人います」
ヴェルディはラトウィッジに二人の顔写真を渡した。一人は白髪頭の老人にもう一人は――。
「その二人、学会の論文発表の際に異形生命体のことを発表して、追放されています。どちらも同じような内容でした」
「研究内容は?」
「『MAD計画』というものです」
聞き覚えがあった。あれは学徒隊員の一人が地下博奕闘技場において、トイレで見つけたUSBに入っていた計画。内容を確認させてもらったこともある。人を異形生命体へと変えようとする気味の悪い計画。そうとなれば、ハイチがあのような姿に変えられたのもMAD計画を発表したあの二人のどちらかの手によってに違いない。
「彼ら、熱心なキイ教の信者だったようです」
もっと嫌なことを聞いたのかもしれない。
「行方は?」
「どちらも現在は手がかりなしです」
その答えにラトウィッジは軍事用の連絡通信端末機を取り出した。
「軍を使って探させる。彼らの顔写真を借りていくが、詳しい個人情報はないか?」
「ああ、それならば送りましょう。後で検査結果の物もお渡しします」
自分の部屋まで頼む、とヴェルディに言うと、部屋から出た。あの顔写真にあった少女の顔は見覚えがある。式典の際に現れた人物――。
そうとなれば、後はもう決まっていた。
ラトウィッジは自分の部屋へとやって来ると、デスクの上に一冊のファイルを取り出した。そこから一枚の用紙を取り出して書類作成をする。
〈異形生命体に関する殺処分〉
某 日において、異形生命体 1 体をタルスマン条約の下において殺処分と致す。
※タルスマン条約…黄の民国の思想家が提唱した生物保護権に基づいて定めた国際違法研究としての一つの世界条約。タルスマンとはその思想家の名前。
その用紙に作成者としての自身の名前と処分日に至るまで明記する。そして、余白部分に備考として――。
『元 学徒隊員 ハイチ・キンバー』
そう記載した。最後に責任者としての印を押印する。
「…………」
ハイチの殺処分の日が決まった。
◆
某日。ハイチは黒いロープに縛られたまま、インフェルノの火口に連れてこられていた。ここは異形生命体の処分場。処分の仕方は至ってシンプル。ただ、彼が立っているところから猛炎の中に放り込むだけ。その炎は一日も欠かさず、消えない。そこですべて灰になるまで、塵となるまで焼かされるだけ。
今回の場合、ハイチにとっては生きたまま身を投じることになる。普通の異形生命体とは違い、外見が普通の人間であり、言葉もわかる。そんな彼がこの場所を見てどう思うのか。それは普通の人間であるラトウィッジたちにとってはどうでもいいことだった。彼らが思うのは『バケモノが死んだ』という事実が生まれるだけなのだから。
そのインフェルノの前に立つハイチは涼しい顔をしていた。下から込み上げてくる熱気に当たっているのに。これから下で生きたまま焼かれて死ぬだけなのにだ。なんとも思っていないのだろうか。
「恐ろしくないのか?」
思わず訊いてしまう。それには珍しく答えてくれた。
「ここで死ぬ方がまだマシだ」
それは虚勢か、それとも本望か。
「最後に妹に言い残したことはないか?」
せめてものことだ、とラトウィッジはハイネを思った。これから彼女は半異形生命体の妹として世間を生きなければならないのだから。
「……俺に妹は、いねぇよ」
たった、それだけだった。
ハイチは自身の妹の存在を失くした。それがどんな理由かはわからない。
もういいだろう、とハイチが一人インフェルノの中へと身を投じようとしたそのときだった。
「ちょぉぉおおおおっと、待ったぁあああああああああ!!」
誰かの声が場内に響いた。何事だと誰もが周りを見て、前方を見ると――。
インフェルノの中へと行こうとするハイチの足下に赤と黒の少し錆びついたような長い金属の物体が突き刺さった。それは歯車の剣と同様の淡い光を帯びているようである。これは――剣? なんだと目を丸くしていると、真上から一台のバイクが降ってきた。そのバイクは彼と王国軍人たちの間へと大きな音を立てながら、割り込んでくる。
「なっ、誰だ!?」
彼らはバイクに乗車している者に銃口を向けた。ラトウィッジはその人物の姿を見て瞠目する。
「お前はっ!?」
その人物は突き刺さった赤と黒の剣を引き抜きながら、刃先を彼らに向けた。
「腕なしは殺させやしない」
ラトウィッジと彼女――アイリの目がぶつかり合う。
◆
どうしたら我が娘を取り戻せるか。エブラハムは公務中もずっとそのことで頭の中がいっぱいだった。そのおかげで、きちんと確認しながら目を通さなければならない書類も抜けてしまいそうなほど。
そこへエレノアがやって来て、一枚の書類にサインが欲しいと言ってくる。流し読みをしてサインと捺印をして気がついた。
『三銃士軍団員解放制約について』
「母上!?」
エブラハムにその書類が破られる前に、エレノアは奪い返した。
「何をお考えですか!? 今はメアリーの奪還が先だというのにっ!」
「先だと思っているから貴様にサインをさせたじゃないのかい。ダメだよ、書類にはきちんと目を通さないと」
「しかし――」
「メアリーを助けたいんだろう? それは私も同然さ。今すぐにでも皇国に侵入して行ってやりたい。だけれども、この老いぼれた体だ。入国すら引っかかるだろうね」
だから、三銃士軍団員たちを黒の皇国に送ると考えているのか? エレノアは彼らにメアリーを助けてもらうとでも言うのか?
「そんなのっ……」
許さないというエブラハムの眼前にエレノアは錆びた歯車を見せた。これに混乱した様子の表情を見せる。
「昔、貴様たちに『過去の歯車』の話をしたのを覚えているかい?」
「零落の村のスタンリー家が所持している物でしょう?」
「被害状況の報告書に目を隅々まで通したかい? あの家の当主が死んだことも」
エレノアのその言葉にエブラハムは慌てて森厳平野の侵攻防衛作戦の報告書を探した。見つけて今更ながら気付いた。黄の民国からの進攻で零落の村より避難した者全員が死亡、と。
「それが――」
「いいや、これはスタンリー家が持っていた物じゃない。本物は戦場に駆り出されていた学徒隊員の子が持っている」
「偽物ですか?」
「いや、偽物の本物だね。ラトウィッジが旧灰の帝国で使用していた三銃士軍団員がいたらしい」
エブラハムは絶句した。三銃士軍団員にそのような者がいたと?
――考えられるなら。
建国式典での偉業により三銃士軍団員へ入団し、その短期間で紅武闘勲章を手にしたキリだ。彼の行動は元よりあやしかったのは覚えている。
「もっと言うならば、その団員にこれの所有権があるということだね」
「だとしても、それと三銃士軍団員の解放に何の意味が?」
頭の固いエブラハムにエレノアは「わからないのかい」と眉根を寄せた。
「その所有者含めた彼らを黒の皇国に送り込んで、メアリーを奪還してもらうのさ」
「そのようなこと――」
「できないとでも言いたいのかい? 貴様はとんだヘタレだね。そんな育て方をした覚えたないよ」
「そうではなく、彼らはメアリーを反軍に渡した犯罪者のような者なんですよ!?」
「それがどうした? ただ、その犯罪者を憎き敵国に贈りつけるだけだろう? ご丁寧にラッピングしてね」
何を言っても無駄なのかもしれない。エブラハムはそう思った。エレノアはエレノアで、メアリーを助けようとしている。だが、それは彼にとって許しがたいことなのだ。まだ王国軍の者を使うのはわかる。まだ学徒隊員たちを使うのもわからなくはない。しかし、任務に失敗し、自分の娘を――護衛をしていた者たち、敵国に売ったような売国奴たちの助けなど微塵も欲しくないのだ。
「それでも私は反対です!」
断固として認めようとしないエブラハムはそう断言した。
「それは勝手にしな。私も勝手に動くから」
エレノアもそう言うと、書斎から出ていってしまう。彼女がいなくなると、一人拳をデスク叩きつけた。歯噛みし、冗談じゃないと入り口のドアを睨むのであった。
◆
日中はそうでもなかったが、夜になると冷えるな。そうワイアットは与えられた薄い毛布一枚を被ってベッドに座り込む。鉄格子からだ。鉄格子がひんやりとした風を通しているのだ。隣の部屋からくしゃみが聞こえた。ケイだ。彼も寒いと思っているのだろう。
「冷えるな」
「そうですね。風邪を引かないようにしないと」
「そうかい?」
二人の会話にヴィンが入ってきた。どうやら、ヴィンは寒いとは思っていないようで、むしろ半袖でいた。
「ああ、きっとあれだね。二人とも空調が効いた部屋ばかりいたんじゃないの?」
「こういうときだけ、普段の自分を恨んでも仕方ないな」
全く以てその通りだなと黙って話を聞いていたガズトロキルス。彼がいる部屋の方へと誰かが近付いてきた。見回りに来た監視員だろうかと鉄格子の廊下を眺めていると、その足音は複数聞こえてくるようだ。
複数の監視員が見回りに来ることはあるのだろうかと考えていると、その彼らがガズトロキルスがいる個所を通りかかった。四人だった。その内の三人は彼に見覚えのある人物である。
「貴様ら!」
彼らは足を止めると一人が声を張り上げた。その人物は老婆だった。なんとなく誰かに似ている。
老婆の声にガズトロキルス及び、他の四人が顔を覗かせてきた。ややあって、ケイが「エレノア様!?」と驚いた表情を見せる。貴族の人物であるのには間違いなさそうだ。
「なぜ、このようなところに?」
ワイアットの問いにエレノアは笑った。
「メアリーを助けに行かせるために来たんだよ」
その一言に誰もが目を丸くした。そして、その言葉はこの収監所からの解放を意味する。
「どうせならば、犯罪者として死に逝く前に貴様らの主をもう一度助けに行きたいと思わないかい?」
そう言うと、エレノアと共にいたマティルダとソフィア、フェリシアは四人の鉄格子の鍵を開けた。ややあって、マティルダがガズトロキルスのもとへとやって来る。
「ま――ボールドウィン……」
「ガズ様、私からお願いがありますの」
マティルダは鍵を強く握りしめた。
「恋人同士じゃなくてもいいから、一緒に友として、いさせてくださりませんか?」
ガズトロキルスの顔を見るマティルダの目には涙が溜まっていた。
「あなたは私を幸せにできないわけじゃありません。私はただガズ様のお傍にいるだけで、すでに幸せですの。だから、だから……」
マティルダにどう声をかけていいのか戸惑っていると、エレノアが彼らのもとへと近寄ってきた。
「マティルダを泣かせるとは。貴様、ただ者じゃないね? 早く出てきな」
鉄格子の鍵が開いた。ガズトロキルスが廊下に出ると、エレノアはじろじろとこちらを見てくる。
「ふぅーん。全く、孫たちは揃いも揃ってちゃらんぽらんなやつに惚れるもんだねっ」
「エレノア様! ハイネさんはそんなんじゃ――」
それ以上のことを言おうとするワイアットの口をケイが止めた。あまりいい顔をしない様子である。
「ワイアット、お前は空気を読む練習をしろ。今はそういう問題じゃないから」
「……はい」
「これで、全員じゃなさそうだね。私は後一人を連れてくるから、お前たちが必要だと思うやつらを集めな」
エレノアは周りを見ると、そう告げた。
「いいかい、エブラハムは非協力的だと思いな。王国軍は絶対に貸してはくれない。だから、それ以外の者たちを集めるんだ」
その言葉に全員は大きく頷くのだった。
◆
「腕なしは殺させやしない」
赤と黒の剣を手にして、アイリは不敵に笑っていた。それにラトウィッジは散弾銃を手にして彼女に向かって構える。
「自分の作品をオシャカにされるのは嫌か」
「作品? 何、おかしなこと言ってんの? 悪いけど、あたしに芸術の心はわからなぁい」
バイクのエンジン音を吹かしながらそう答える。一触即発、そんな緊迫した状況の最中でアイリはハイチが逃げないようにロープを握った。
「悪いけど、あんたも今ここで死ぬのはあたしが許さない」
真っ黒の大きな目がハイチを捉えていた。それに彼はたじろぐ。アイリは再びラトウィッジたちの方を見た。
「退いてくれない?」
「断れば?」
「あたしがエンジンを吹かしているの、わからない?」
「私たちがタイヤに銃口を向けているのがわからないか?」
「じゃあ、あたしが手に握っているのを見てもわからない?」
その言葉の意味はロープか、それとも――。
彼らのやり取りの最中にも関わらず、ハイチは意地でもこの場で死んでやるつもりだったらしい。アイリを道連れにするかのように、強引にインフェルノの中へと飛び込んだ。
「あ」
アイリとハイチの目が合う。
「こうなればてめぇも道連れだ!!」
「そう、道連れ――」
「――いぃこと言うじゃなぁい?」
バイクに跨ったままのアイリはにやりと口の端を吊り上げた。ハイチと赤と黒の剣を力任せにインフェルノを囲むようにしてある通路の方へと投げつけた。そこに彼は転がり込む。そして、彼女はそのまま――それの反動でハイチと少し離れた通路に大きな音を立てて着地した。
上から見ていたラトウィッジたちは二人が無事だとわかると、大きく安堵した。そんな彼らをちらりと見上げたアイリはすぐさまハイチを拾い上げて、バイクで場内からの脱出を謀る。剣は大人しくなるようにして、古びたコンパスへと変わっていた。
場内に警報が鳴った。警備隊員が一斉に動員される。そんな彼らが通路へと出ると、そこから場内部へとバイクが逃げ込んできた。
「停まれっ!」
なんて静止をかけても停まってくれるほどアイリは優しくはない。
「じゃあ、どけぇええええええ!!」
停まらない、避けようとしないアイリに気圧されてしまった。自分が轢かれてしまわないように警備隊たちは壁際に逃げる。そこを猛スピードで駆け抜けていく。そのまま一直線に進み、窓ガラスを割って場外へと出た。ハイチには逃げられないように黒いロープをバイクの後ろの方の車体に括りつけておいた。後ろからは彼らを追いかけてくる警備隊が。彼女が向かう先は国境――その先の白の公国から旧灰の帝国へ。だが、目的地はそこではない。ハイチを殺そうとする者たちから逃れるためにはその国に留まることができないだろう。行くならば、そうだ。
――黒の皇国。
アイリは後ろにいるハイチを横目で見た。その目は明らかに冷たいもの。
「楽して死ねると思ったら大間違いだからな。先輩……いや、世界改変者」
◆
毎日、毎日が自身を傷付けられる。それを固定された体中に力を込め、声が枯れるまで悲鳴を上げ続けるのだ。ディースは顔のにやけを取ることなくやり続けていた。
「『ちーくん』、いぃ声だよぉ! その声、とてもいぃ声だよぉ!」
ディースは涎を垂らしながらうっとりとしている。だが、いくらそのような拷問をする彼女とは言っても人間だ。腕が疲れることもあってか、小休憩として一人勝手にベラベラと私情をしゃべる。彼――『ちーくん』は口を動かせないない。ずっと、叫びっぱなしだったから。しかし、この小休憩が彼にとって至福とも言える時間帯だった。何もしなくてもいいから。叫ばなくてもいいから。そう、何も考えずにぼうっとできるのだが、ディースの顔を見るだけでも苛立ちは膨れ上がる。
――殺してやりたい。
そう思えるようなった。
憎たらしい。ああ、憎たらしい。アイリと同じような顔してそんな顔してしゃべるなと言いたかった。それでも、叫びの疲労のせいで何も言えやしない。何より逆鱗に触れたならば、その安心できる小休憩も終わってしまうだろう。
いっそのこと、キリ・デベッガになりたいとでも言えば、よかったのだろうか。『ちーくん』という存在にされてしまったから、このような現実が待っていたのだろうか。
もしも、自分がマッドであるならば、このような拷問をされたならば、絶対に隙をついて殺しにかかっていただろう。あの彼の性格ならありえるかもしれない。
「ねぇ、『ちーくん』はあたしを殺したいの?」
心が読まれてしまったのか、はたまた顔に表れていたのか。ディースは微笑を浮かべながらそう言ってきた。それに『ちーくん』は答えようとしたのだが、疲れていてそれどころではない。口を開くことすらも煩わしい。いや、元からだ。ただ、ひたすらにじっと彼女を見るだけ。
「でも、あたしのことを殺せるかなぁ?」
このような状況で何もできないとでも思っているのか、ディースがそう言い放つ。ああ、今自分は相当ばかにされているぞ。我慢の限界なのか、『ちーくん』は彼女を睨んだ。
「いつか、お前を殺してやる」
しゃがれた声でそう言い放った。
それは戯言ではない。嘘でもない。『ちーくん』の心の奥底より沸き上がりし憎悪と殺意。敵意むき出しでディースにそう言ってはいるものの、彼女は恐れていない。むしろ、その言葉が大歓迎とでも言っているようだった。
「『ちーくん』は、まるで彼と同じようなことを言うねぇ」
「黙れ」
その声でしゃべるな、アイリと同じ声でしゃべるな。ああ、イライラする。
そんな『ちーくん』の心情すらもお構いなしに、小休憩終わりと呟くとナイフを彼の喉へと突き刺した。
「威勢があっていいこと、いいこと」
喉の苦痛に耐えながらも、『ちーくん』とディースの目線は合う。
「いぃこと、教えてあげようかぁ?」
「……っ!?」
「あたしの本当の名前について」
ディースの口元が歪んでいく。
「あたしは本名が言えないんじゃないの。言いたいのよぅ。ずっと、ずっと……キリ君に言いたかったなぁ」
ディースは『ちーくん』の喉からナイフを抜いた。その直後に傷は塞がっていく。刺されていた間、呼吸をすることがままならなかったためか、肩で息をしていた。
「それをあの偽者がっ!」
一人勝手に逆上し、ザクザクと『ちーくん』の喉へと突き立てていく。もはや、声すらも上がらない叫び。その苦痛に満ちた表情を見てディースは笑う。その場には彼女の声が響き渡った。
「あぁ、早く殺したいっ! 早くあのクソ偽者女を殺したいっ! あいつのせいでぇ、あいつのせいでぇえ!!」
【もらうから、あんたの名前】
ディースは手に持っていたナイフを強く握りしめて、血走らせた目を『ちーくん』に向けた。
「あの女があたしの名前と存在その物を盗ったんだ!!」
◆
薄暗くて、日の光の入らない地下牢獄でキリは、起きてはぼんやりと考え事をして、食事をしてはぼんやりとして、そのまま眠りにつくことを繰り返ししていた。ずっと、同じような体勢のため、体が固まっているようではある。
今日も与えられる腐った軍事用の缶詰を食べ終えて、床に皿を置いて、壁に背中を当てて座って茫然としていると――物音が聞こえた。
もう一日が経ったのかと時間経過の速さに苦笑いしていたら、声も聞こえてきた。
「お、お待ちください! そちらには――」
「ええい、うるさいね! こっちにいるのはわかっているんだ。さっさと退きな!」
こちらの方に近付いてくるライトが見えた。何やら騒がしいような。しかし、今のキリにとってどうでもいい話だ。どうせ、ここから出られないから。どうせ、自分を人として見られていないから。
自分のいる牢獄の前に立った人物を見た。背の低いその人物はこちらにライトを向けている。眩しくて誰なのかわからない。
「ふんっ、伸びきり過ぎだろう。その髪は。男がだらしない」
そのようなことを言われて、ようやくキリ自身も気付いた。前髪も後髪も伸びきっている。あまり動かないものだから、気にしていなかった。
「まあ、それだけの長い間いたってことかね」
「……エレノア様?」
ようやくここへとやって来た人物が誰なのかわかった気がした。
「私以外、誰に見えると思ったんだい?」
「いえ……」
何しにここへ来たんだろうかと思えば、エレノアはこちらに一冊のノートを放り投げてきた。それが足元に転がる。それを拾い上げた。どこかで見たことのあるノートのようだが――。
「これは?」
「メアリーの日記だよ」
その言葉に驚いた。なぜにこのような物をこちらに渡してきたのだろうか。そして、これを受け取ってどうしろと言うのだろうか。
まじまじと表紙を眺めていると、エレノアは「中身を見な」と言う。キリはそれに動揺する。
「えっ、ライ――姫様のですよね?」
人の物を見てもいいのだろうかと思っていたが、好奇心は強いようで見てみたい気持ちもあった。キリのその質問にエレノアは頷く。
「じゃなきゃ、貴様なんぞに持ってこないよ。いいから読みな」
ライトを照らし続けてあげるからと言われて、キリはページを捲った。ページ全体を見ていると――どうやらメアリーが書き溜めているのは一、二行の完結型の日記のようである。
『今日、デベッガ君とオブリクス君の二人とお話しして、とても面白かった。ケーキ屋さんに誘ってもらった。とても楽しみ。』
この日の分を見れば、初めてメアリーと会った日のようである。他愛もない、その日の出来事と簡潔な感想が書かれている。彼女が日記を書くならば、こんな感じだろうなと思いつつも次のページを捲った。
『デベッガ君って昔のこと、覚えていないのかな?』
初めて会った日から一週間後ぐらいの日に自分のことがそう書かれてあり、キリは首を傾げた。昔とは一体何だろうか。ページを捲る。
『いつもリボンするように心掛けているのに、気付いてもらえない。デベッガ君は昔のことを気にかけるような人ではないのだろうか。』
気付いて欲しいとでも言うような思いが読み手にも伝わってくるほど、同じような内容が多かった。
リボンとメアリー? 確かに彼女はいつも金色の髪に映えるような青色のリボンを結わえているが――。
「えっ?」
一瞬だけ、何かを思い出しそうになるが、記憶の奥深くまで行ってしまう。頭を抱えながらもページを捲っていく。
『デベッガ君とアイリって仲がいいから羨ましいな。先に会っているのは私なんだけどなぁ。』
『あれはもしかしたらデベッガ君ではないんじゃないかって思ったりもしたけど、やっぱりデベッガ君に間違いない。だって、あの子キリって名前言っていたから。』
涙目の女の子。何かの問いかけに頷く女の子。心配そうな表情の女の子。
【だいじょーぶ?】
【ばいばい】
「……あっ」
すべてを思い出したわけではない。断片的には覚えている。綺麗なピンク色の服と青色のリボンをした女の子が村に来ていたのは覚えている。
――ライアンは俺のことを知っていた……?
「メアリーはずっと貴様のことを思っていたんだ。貴様に気付いてもらえるように、あの青いリボンを十年以上経った今でも使い続けていたんだ。数年前の日記にも似たようなことが書かれているよ」
「…………」
「貴様がメアリーを好きになろうが、友として見ようが私は咎めないが――」
顔を上げてエレノアの方を見る。彼女はメアリーによく似ていた。
「選びな。バケモノとして死を待つか、あの子を助けに逝くか」
○次回章予告○
『第三章 罪人たちによる奪還戦』
獄中にいたキリはエレノアの計らいにより、外に出ることができた。これより、連れ攫われてしまったメアリーを奪回するために、彼らは罪人として異国を渡り行くのだった。だが、それでも彼らを狙ってくる者たちがいた。そんなやつらを掻い潜って、メアリー救出を成功させよ!
<純白の花嫁奪還作戦>【認証印なし:認証受理不可案件】
キリ・デベッガ
ケイ・アーノルド・シルヴェスター
マティルダ・ロジャー・ボールドウィン
ワイアット・エヴァン・フォスレター
セロ・ヴェフェハル
ハイネ・キンバー
ガズトロキルス・オブリクス
ヴィン・ザイツ
レナータ・ポータ
ターネラ・スタンリー
ソフィア・マルグリッド・ウィーラー
フェリシア・エリザベス・ドレイパー
上記の十二名は後述の作戦を遂行せよ。
反政府軍団によって、黒の皇国へと誘拐されてしまったメアリー王女を奪還せよ。
ただし、黒の皇国へは入出国に制限がある。そのため、白の公国または赤の共和国経由でしか渡国できない。
更に、青の王国軍からの応援は望めないものとする。
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せっかくなので、絵を描きました。四コマ漫画となっております。第一章内のお話を描いております。一応は作中につながる話もありますが、絶対見ないとわからないわけではありません。ちょっとしたつながりと言うだけです。




