流石
人生において、最良の選択をしておけばよかったと後悔するのは、人間にとって当然のことである。そう明言するアイリは大型装甲車に乗車し揺られていた。
「何を言っているんだ?」
怪訝そうな面持ちで、同じく乗車しているケイがキリに訊ねてきた。
「いや、俺に言われてもな」
アイリが語ることにおいて理解不能なのはキリも同様であった。否、同乗者している全員がそう思っているのはおかしなことではないだろう。彼女は足を投げ出す勢いで大きく嘆いた。
「あーあ、何が悲しくて補習なんだろ。デベッガ君も大変だねぇ」
「俺を憐れみの目で見てくるな。この中で補習なのはハルマチだけだろうが」
キリを可哀想な目で見てくるアイリに若干睨みながらも現在の状況を言うと――装甲車を運転する鬼教官マックスが「その通りだ」と大きく頷いた。
「三回生だけで電子学の授業以外の単位が足りないのはハルマチだけだぞ。だからこそ、俺が特別補習を設けたのに」
「はい、はい。ありがとうでぇす」
明かにやる気のない返事を見せつけていると、向かいの席に座っていたマティルダがアイリを嗤笑してきた。
「あなた、自分の状況を理解しているの? 恥を見せている以外ないじゃないの」
「うるさいなぁ。それを言うためだけにあたしの向かい側に座ったわけ? あんたもヒマだねぇ」
またややこしい抗争が起こる前に、誰もが二人を宥める。特にキリにとっては勘弁してもらいたいと思っていた。飲食街での喧騒を思い出す。あのときは板挟み状態だったから、今回もそうならないで欲しい思いがあるのだ。
「二人とも、ここでのけんかは止めてくれよ。今は任務なんだ。前みたいに時間があるとは限らないんだから」
抑え込もうとするセロの言葉を聞いて、マックスは苦笑いをした。
「なんだ? 二人とも仲が悪いのか」
「教官、こんなアホ面をした方と仲がいいと思っていらしたんですか!?」
「悪いが、正直な話。俺はハルマチならば、何がどうなろうが、何とかできるやつだと思いたい」
「それで片付けるのはどうかしてますよ、教官! 聞き逃しちゃダメですよぉ! この人、今にひどいことを言いましたぁ!」
「はっはっはっ。車内で暴れるなよ」
あまり二人の仲について関心を示さないマックスをよそに、うるさい二人が再び言い争う。そんな最中、キリは大きくため息をついた。またかよ。いや、今回は二人に挟まれていないからいいのか。窓の外に視線を移そうとすると、ヴィンがカメラのシャッターを切ってきた。唐突のシャッター音に肩を強張らせる。
「何でもかんでも人の顔をおもちゃのようにして撮るなよな」
「別にいいじゃないか。私はこれから行く場所にとてもわくわくしているし、お前だってそうだろ?」
「いや……まあ、そうだけどよ」
「ふふっ、デベッガ君、小動物好きだもんね」
「姫様知っていたんですね。じゃあ、あのデレデレっぷりも?」
「ギャップがあって面白かったよ」
初めてその事実を知ったケイ。キリに対して驚きの表情を見せていた。
「えっ、デベッガ……」
「なんだよ」
困惑するケイに対し、逆に戸惑いの顔を隠せないキリは眉根を寄せた。何かおかしい話があったか。そう考えても思いつかない。その顔はなんなのだ。
「ザイツ。その、デベッガのギャップとやらの写真はあるか?」
「もっちろん、ありますよ!」
ヴィンはどこからともなく大量の写真を撮り出すと、ケイとメアリー、セロにそれらを渡した。それらすべての写真には彼らにとって初めて見るキリの嬉々とした表情が写る物だった。小動物を抱いての喜色満面。そいつの柔らかそうなお腹に顔を埋めている写真。とにかく、普段の彼とは想像がつかない顔を見せているその紙切れに誰もが物珍しそうにしていた。
「お前嘘だろ?」
「いや、そんなにおかしいか? いいだろ、別に小動物が好きでもさ。って、なんでヴィンがこれを?」
これは自分が住んでいた村での写真か? いつの間にこんなにたくさん撮っていたんだろうか。
「記念と新聞のネタが尽きたときに乗せようと思って」
「百歩譲って記念はわからなくもないが、絶対に新聞には載せんな。新聞ってそういうものじゃねぇだろうが」
キリがそう反論をするが、口を押えて肩を震わせるケイ。明らかに笑っているようである。
「いや、これはある意味いいんじゃないか? 動物大好き人間としてさ。みんな、デベッガを見る目が変わるんじゃないか?」
「さっきからさ、シルヴェスターって俺のこと、何かばかにしてない?」
「そ、そんなことは――ごふっ! げぼっ! げぼっ! ……ない、に決まっている……」
顔を真っ赤にさせ、口元を吊り上げ、震わせて咽ている時点で他人をばかにしていないだなんて。断言できるものか。そうキリが口を尖らせていると――メアリーが「でも」と言う。
「わ、私はいい笑顔だと思うよ、ふふっ……う、うんっ!?」
「無理してフォローする必要性はないと思うけど?」
メアリーに、そして何も言ってこないが――顔を背けて肩を震わせているセロにまで笑われるというのは、自分自身の嗜好がおかしいことなのだろうかと悩んでしまう。
――なんだろう、この任務。楽しみっちゃ楽しみなんだけど、嫌な気分だな。
この任務指示が出たのは二日前である。
◇
先日からアイリの言行の監視をしていたキリのもとに、気乗りしない様子のセロがやって来た。手には二枚の任務指示書が握られている。
「デベッガ、ちょっといいか?」
「ああ、はい」
セロはキリを人気がなく、普段使われていない空き教室へと連れ込んだ。教室のドアを閉める際に周りを確認してからキリの方を向き、任務指示書を渡す。
「隊長たちからお前のことを聞いた」
何が言いたいのかはすぐに理解できた。アイリの監視の件だろう。
「そうですか。これが表向きの任務ですね」
<王都立自然動物園巡回において>
セロ・ヴェフェハル
メアリー・ライアン
ケイ・アーノルド・シルヴェスター
マティルダ・ロジャー・ボールドウィン
ヴィン・ザイツ
キリ・デベッガ
上記の者は王都郊外に位置する自然動物園内の巡回を任せる。現在、園内の警備員の不足による即席警備であるが、事案・事件がないように心してかかること。
「……ハルマチの名前が載っていないみたいですが?」
何度見返ししても、アイリの名前はどこにも記載されていない。今件において参加させないのだろうか、なんてキリが思っていると、セロが「載せてはいないんだ」と言う。その言葉に片眉を上げた。
「あの子はこの任務のメンバーとしては扱わないらしい」
「えっ? どういうことですか? でも、行くんですよね?」
「ああ。鬼教官が付き添いで行くらしい」
「鬼……クランツ教官が!? えっと、任務って教官が引率しないですよね?」
今までの任務を思い返しても、すべて行動は自分たち任せにされて、学校の教官や本軍隊員たちが引率することはなかったのに。やはり、アイリを警戒してなのか? いや、そうとなれば、彼女の名前が任務指示書に上がっていないとおかしい話となる。
「だな。どうも特別補習のためらしい」
「補習?」
そう言えば、と幾度なくアイリが成績不振である話が上がっていたことを思い返していた。それで彼女は補習という名目でこの任務に飛び入り参加するというのか。だが、待って欲しい。補習は任務ではなかったはず。座学だろうが、実技だろうがすべての教科においては座学での補習なのに。
「補習名目で任務につくだなんて、初めて聞いたぞ」
どうやらセロも初耳らしい。
「それ以前に、クランツ教官って担当教科って持っていましたっけ?」
アイリはマックスの担当教科が成績不振なのかと思うが、どこかおかしい。彼の授業は存在しないからだ。校内で見かけるのは朝の訓練、校舎の廊下ぐらいだ。
「ないなぁ。この前、俺のところには経営物流の代理で来ていたけど、授業は進めなかったもんなぁ。あの教官に担当教科ってないんじゃないのか?」
二人が首を傾けて不思議に思っていると、突然教室のドアが開かれた。彼らは肩を強張らせて音がする方を見る。そこには噂の人物が立っていた。
「おっ、珍しい組み合わせだな。次、四回生がここ使うから空けておけよ」
マックスだった。彼は教室内に入ってくると、教壇の上に荷物を置く。その中には機械学の問題集が。やはり、マックスは担当授業を持たず、代理としているのか。それとも朝の訓練だけの担当教官なのか。気にはなるが、そちらよりも――二人は一度顔を見合わせると、セロが頷いた。彼に声をかける。
「教官。自然動物園の任務についてですが……」
「ああ。俺が行くことは知っているのかな?」
「はい、知った上で訊ねたいんですが、なぜに今回引率を?」
セロがそのことを訊くと、マックスは苦笑いをした。そして、周りに誰もいないことを確認すると、教室のドアを完全に閉めきった。
「ハルマチの電子学以外の単位が足りていない状況なんだよ」
まさかのほぼすべての教科の単位足りない説。これには表情を引きつらせる他ない。
「それだから今回、隊長や副隊長に無理を言って、二人がする任務に混ぜ込んでもらったんだよ。言わば、課外補習というやつだな。厄介かもしれんが、今回ばかりはすまない」
「隊長や教官たちが決めたことならば、俺たちはそれに従うまでですが……」
もはや、言いたいことがあっても口には出せない状況である。このようなことが起こるまでの事態に遭遇したのは初めてだからだ。正直言うと、どうしてこうなるまで授業をサボり続けていたのかと問い質したい気分だった。
「俺が思うに、ハルマチだって隊長が編入許可を出すほどの実力者なはずだ。今はやる気のなさそうにしているようだが、こうしてきちんと向き合っていれば、毎回の授業を休むことなく、立派な未来の軍人になれるはずなのにな。デベッガもそうだろう? お前はすべてを惜しむことなく、行動を取ってきた。その結果が筆記試験でトップを採れたのだから」
実際にそのように評価してもらえるのは嬉しいことだが、マックスから目を背けたくなった。
――俺が思うのもなんだけど、ハルマチって別の方向の実力者なんだよなぁ。
エドワードに泣き落としで編入隊の手続きをしたと知っているキリにとっては複雑な気持ちだった。何とも言えないこの気持ち。どこにぶつければいいだろうか。
「それに任務は危険性が低い動物園の見回りだろう? 一般同様に園内を見学ができる感覚の気楽さじゃないか? まあ、気楽という言葉を使わない方がいいんだがな」
気楽――任務関連で気楽と聞くのは初めてだった。れっきとした任務であろうが、どこか悩むような言葉である。事実、二人も言葉を詰まらせていた。
「そうですね。あ、そろそろ俺たち出ますね」
マックスと話し込んでいる内に、この教室を利用する学徒隊員たちがぞろぞろとやって来るのが見えた。キリとセロは退室する。
「多分だけどさ」
出てすぐにセロがポツリと小さな声で言葉を続けた。
「俺が先に監視をしていたって知っていただろ? その一回目の報告結果でさ、ライアンに危害が及ばないように、ライアンが受け持つ任務に同行するって言っちゃったんだよね」
「……それって必然的にヴェフェハルさん。今後は危険とは言いがたい任務について、一緒にあの任務をこなす俺も一緒に。更にあいつも同行せざるを得ないから……これからの任務って危険性の薄いものになってきますよね?」
「そうなる可能性があるな。いや、気楽な任務は嫌いじゃないが――」
セロは何かを見つけたように、廊下の窓の外を見た。すぐに視線をこちらに戻す。
「変な気分だなって思ってな。前の南地域辺りからそう思っている」
「ほら、あれですよ。ヴェフェハルさん、今まで本軍の人たちがやるような任務についていたんでしょ? 気持ちわかりますよ」
自分だってそうだった。初任務時と二つ目の任務では指示書を見ただけで生死を伴いかねないものだったから。
「そう言えば、デベッガは異形生命体と何度も遭遇しているんだっけか?」
「そうですけど、俺は助けてもらってばかりだから」
「いいや、後遺症もなく、帰還するのはすごいぞ。運が強いのかもしれんな。だから、隊長たちはデベッガをこの任務につかせたんだな」
「……でも、いけますかね? ハルマチって何でも知っている感じだし。見透かしてきそうですよ」
「さあな」
一抹の不安は拭えない。監視の任務を隠していたセロをアイリは見抜いていた。だから、自分も隠していることがバレてしまえば――彼女から教えてもらえることが教えてもらえなくなるのではと思ってしまう。だが、逆にアイリを庇ってしまえば、自分の立場を失う可能性だってある。自分自身がすることは、どちらの味方にもつかずに言行を図ることなのであるのだから。
◇
「おーい、おい。何をたそがれているんだよ」
ヴィンに声をかけられて、キリは我に戻った。今までうるさかった二人は大人しく下を俯いている。心なしか、頭にはたんこぶができているようにも見られていた。運転席に座っているマックスが少しばかり苛立っている様子から見ると、彼女たちは拳骨を食らって怒られたのだろう。
「ごめん。何?」
「もうすぐ動物園に着くからって、教官が。見回りは二手に分かれてするから、くじを引いてくれよ」
差し出されたくじ。残りは二つしかない。一つは自分の分ともう一つはヴィンの分だろう。キリは適当にくじを引いた。先の方には丸印がつけられている。
「丸なら……って私も丸のチームか」
そう呟きつつ、ヴィンは書き込んだメモをキリに見せた。そこにはくじによってチーム分けがされていた。丸チームにはキリとヴィン、アイリとマックスだった。バツチームはケイ、マティルダにメアリーとセロである。セロからは監視を頼んだという視線が感じ取られた。
「ハルマチさんとクランツ教官はセットだから同じだね」
「うへぇ、別にバラバラでもいいじゃん」
たんこぶを擦りながらアイリは口を尖らせた。
「よくないっ! そもそも、俺が引率しているのはハルマチ、お前のためなんだからな。そこはわかっているのか?」
「わかった上で言っているんですよ。まあ、楽そうな任務だし、別にいいんですけどね」
笑うアイリにマックスはあまりいい顔をしなかった。
「楽そうに見えても、きちんと指示通りにしろよ。これも立派な任務なんだからな。それに今度、建国記念式典に学徒隊員も参加するから……本当、真面目にしてくれよ!?」
「はいはい、そこは流石に真面目にしますって」
「普段からだ! 周りを――ザイツ以外のやつらを見習えっ!」
「えっ、教官。私のことをなんだと思っているんですか」
耳を疑う言葉を聞いたヴィンは見逃さないとばかりにマックスに詰め寄った。何だか鬱陶しそうな顔を見せながらも「その言葉通りだ」と言いきる
「ザイツは情報収集には本当に長けているのはわかるが、自由過ぎるのは傷だな。協調性も覚えろ。三銃士軍団に入ったならば」
そう発言するマックスが運転する車の目の前に、ようやく動物園の施設が見えてきた。窓からも見えるその施設はどことなく木々が生い茂っており、欝蒼としていた。それを見たキリは本当に楽だったと思って終えることができるかと思った。嫌な予感しかしないからだ。
◆
園内の駐車場に装甲車を停め、一行は車外へと出た。四時間以上も密集した車内にいたため、外の空気は新鮮に感じ取られる。外に出たキリは思いっきり空気を吸った。
「天気、いいなぁ」
なんとなく見上げる空は雲一つない、真っ青な空。こんな日に任務がのんびりとできるのは嬉しい限りである。
「ね、こういう日はお外でご飯を食べたくなるね」
「そうだな」
キリの独り言に反応したメアリーがにこにこと笑顔を見せてくる。その可愛らしい表情に彼はどこか引っかかる様子で一時硬直した。彼女が後ろに何かを隠しているのは目に見えている。とても嫌な予感しかしないと思っていると、メアリーの後ろで背伸びをしていたアイリがその何かを見て表情を引きつらせているのが見えた。今がした確定した。嫌な予感とはこのことか。
「あ、あの、みなさん! 私、お弁当を作ってきたんです! ちょうど、お昼時ですし……」
やはり。だが、今回ばかりは安心してもいいのではないかと一瞬だけ疑ってしまう。メアリーはお菓子を作るのが危険なだけであり――もしかしすると、普通の料理自体は普通に美味しいのかもしれない。なんて普通にそう思っていたい。彼女の料理腕前事情を把握している三人が反応に困っていると、事情を知らない他の四人は喜びを見せた。
「姫様! ありがとうございます! 教官、どこで食べましょうか!?」
ヴィンは嬉しそうだ。王族の手料理を食べられるだなんて光栄だと感激している様子。早く食べたいとも思っているのか、マックスにそう言った。彼自身も嬉しそうに「そうだなぁ」と悩ましそうにする。
「中で食べるのはどうだ? 何度かここに来たことがあるが、弁当を持ってきている人たちもいたからな」
「おっ、いいですねぇ」
「メアリー様が作った物ですから、さぞかし舌を唸らせる料理でしょうね」
「そ、そんなことは……」
「いや、そうに決まっていますよ。食べたことないから、私どもは楽しみですよ」
はにかむメアリーを連れて四人は園内へと入っていくが、駐車場で顔を見合わせるキリとアイリにセロ。これではアイリを監視する任務を実行している場合ではなくなってきたぞ。
「……焼き菓子、不味いんだろ?」
彼らには聞こえない音量でセロが言うと、二人は大きく頷いた。それの否定は絶対しない。
「でも、ライアンはお菓子ではなく、お弁当を作ってきたって言っていましたけど。ハルマチ、弁当だから見逃したのか?」
「ごめん。あたし、ぎりぎりまで寝ていたから気付かなかった」
「どうする? 行って止めたりでもしたら、三銃士軍団が三人もいるんだろう?」
「正確には二人とその手下一人です」
「あの貴族たちはライアンの手料理を食べたことないって言っていたけど」
セロの疑問に二人は確かに、と大きく頷いた。マティルダは言っていた。舌を唸らせる料理でしょうと。表情を引きつらせることなく、苦笑いすることもなかった。純粋にメアリーの手料理を楽しみにしているようなのである。
「そもそも、ライアンの料理の下手さってハルマチが言っていたなら……キッチンは大惨事じゃないのか? どんな具合になるか知らないけど」
「ああ。俺、初めて食べたとき、女子寮の管理人さんがキッチンを爆発させたって聞いたような、聞かなかったような……」
食べてすぐに倒れ込んでしまったから、これは現実か夢かがわからないらしい。
「でも、仮にですよ? お菓子作りが下手クソだとしても、ご飯は流石に美味しいんじゃ……?」
アイリがフォローを入れてみるが、男子二名は渋った表情を見せた。お菓子作りが不味いからと言って、普通のご飯が美味しいとは限らないのだ。そうであるならば、まさに奇跡と言えよう。ただ、その奇跡にすがりたいものであるのだが。
「いけますかね?」
「俺に聞くなよ。デベッガは何度も食べたことがあるから、予測ぐらいはできるだろ?」
「無礼にも予測していいというのであるならば、不味いに決まっていますよ。ライアンには可哀想ですが……」
そう言うと、アイリを見た。どうやら、彼女にも意見を求めるようだ。急な振りに珍しくアイリはたじろいだ。
「あ、あたしを見ないでよっ! メアリーが料理をしているところなんて見たことがないんだから!」
「こういうときこそ、同部屋のお前の役目だろ!? いい加減、ライアンの行動を察してくれよぉ! ライアンって気が利く子なんだからさぁ!」
「姫様がどうかしたのか?」
なかなか来ない三人を不審に思ったのだろう。ケイが怪訝そうな表情で駐車場へと戻ってきた。彼らは体を強張らせる。
「みんな、三人を待っているぞ。早く行かないと」
彼らは一度顔を見合わせると、キリがケイに声をかけた。
「シルヴェスターって、ライアンがどんな物を作ってきたかわかるか?」
「知らないが、それがどうした?」
ケイの返答にセロとアイリが頭を抱える。これはダメだ。
「……よくわからんが、早く行かないか?」
「ああ、すまない」
ケイ自身が食べたことも、作る想像もないとすると、マティルダもおそらくない。ということはお菓子ではなく、ご飯の出来栄えは未知数。彼らは半ば覚悟を決めて入園する。園内に設置されているテーブルの席には蓋の開けられていない大きな弁当箱が四つほど並べられていた。そして、その傍らには魔法瓶が置かれている。こちらはスープ系なのか。今回の入れ物はすべて中身がわからないようになっているもので、メアリーが何を作ったのかは全くわからない。だから三人にとって、それが恐怖でしかないのだ。
「えへへ、少しばかり作り過ぎましたけど……」
照れくさそうにメアリーは弁当箱の蓋を開けた。もう中身を見た時点でキリとアイリは顔を背けた。見てしまったセロは頭を抱える。
弁当箱の中身は全て真っ黒になった何かの料理である。ちらりとケイたちの反応を見てみる。彼らはわくわくとした表情から一変して、段々と真顔になっていくのが見えた。ようやく察しがついたようである。
「……メアリー様? これは一体何でしょうか?」
「こっちはお魚を野菜ソースで煮たの。で、こっちはお肉のステーキで香辛料をちょっと利かせてみたの。これは温野菜。こっちは食後用に焼き菓子を作ったの」
なんて説明を受けてはいるが、全部真っ黒で何の判断もつかない。おまけに自分たちの胃袋を襲った糖分デストロイヤーが待ち構えているとは不覚だった。
「みなさん、遠慮しないで食べてくださいね」
そんないい笑顔で言わないで。そう誰もが心の中で思う最中、一人の人物が早速メアリーの手料理に手をつける。マックスだった。
「美味しそうだな」
唯一マックスだけ表情を引きつらせていないし、声も震えていない。ただの勇気ある者としてでもない――いや、普通にメアリーの手料理を食べようとしていた。
黒の塊を口の中に放り込む。確か、それはメアリーが温野菜だと言っていた代物だ。ただ、野菜を茹でるだけなのに、どうして黒くなるのだろうか。どういう調理をすれば、真っ黒へと変貌するのだろうか。彼女の手料理の不味さは後からやって来るものだ。口を動かせば、動かすほど――。
「むっ。いけるな、これ」
その言動と行動にキリは目を疑った。マックスは不味いとも言わず、普通に食べているからである。三人は視線を合わせた。これはもしかして、普通にお菓子以外はいけるやつなのでは? 後に続くようにケイ、マティルダやヴィンが弁当に手をつけ始めているではないか。
「いけるんじゃ、ないスか?」
「無理している様子もないしな」
「デベッガ君、ヴェフェハルさん、よかったら。アイリも」
メアリーが差し出す黒い塊しか入っていない弁当箱。大丈夫だと食べている者たちを見て確信を得たのだろう。三人は料理に手を取る。変なにおいはしない。案外このコゲとは違うが、これがくせになっているのかな?
「いただきます」
キリが口につけようとしたとき、一足先に手をつけていたマックス以外の三人は口元を押さえつけて、その場を走り去ってしまった。そのときの彼らの表情は明らかに青ざめていたようだが?
マックスの方を見る。彼は相変わらず美味しそうにバクバクと食べているではないか。三人はお菓子の方から手をつけてしまったからだろう。なんてキリは口の中へと放り込んだ。
「どうかな?」
キリの感想を知りたいのか、メアリーは不安そうな表情を見せながらも訊いてくる。
「うん。ちょっとく……う、うん。うん……」
噛めば噛むほど不快に。気分悪くなってくるのは絶対に気のせいじゃない。これは漆黒の胃袋ブローカー糖を彷彿させてきていた。
「おう、デベッガ。これ美味いぞ」
マックスはマックスで、不味さという存在を知らないのか、キリに自身が勧めたい物を教えてくる。どれも真っ黒で見分けがつかない。どれが肉で野菜で魚だったっけ? 何かがおかしい。セロとアイリの方を見た。彼らも自分同様に必死に不味さを堪えていた。
「そうスか……」
今、わかったこと。メアリーはお菓子だけならずして、手料理全般の味は不味いこと。そして、マックスの舌と胃袋は常人を逸脱していることだった。やったね、知識が一つ増えたよ。嬉しくもなんともないけど。
「デベッガ君、美味しい?」
――頼むから、感想を俺に振らないで。
キリの今の切実な願いは、感想を訊いてこないで欲しいという思いだった。やばい、やばい。キリは口元を押さえながら、水で流しこもうと考えた。飲み込むに飲み込めない。それに、手元には飲み物はない。どうすれば――。
「あっ、飲み物がなかったね。これでいいかな?」
メアリーが気を利かせて、差し出した物は真っ黒な色をしたスープらしき物。
――温野菜もそうだけど、なんで水気ある物まで黒いんだよっ!
ないよりはマシ。そう捉える他ない。メアリーからスープを受け取ると、口の中の物を一気に流し込んだ。しかしながら、それはあまりに無謀だったようで――。
飲み込んだ物が逆流してこようと、上へと押し寄せてきていた。キリは必死に堪える、吐かないように抑え込む。
何か感想を言わなければ。メアリーは期待の眼差しをこちらへと向けている。だが、その期待あふれんばかりの目で見られると、はっきりとした感想が言えやしない。不味いとはっきり言えない。
吐き気の峠を乗り越え、ようやく声を発することができるようになった。感想は何を言うのが正解なのだろうか? 迷いに迷った挙句、キリが出した言葉は――。
「う、うん……あ、新しい、ね」
キリなりに精いっぱい、メアリーを傷付けない言葉だった。たったそれだけであるが、彼女はどこか嬉しそうである様子で――。
「新しいかぁ。具体的にどんな新しさなのかな?」
不味い新しさとして、と言えるわけがない。
――つーか、どいつもこいつもなんで俺に感想を訊きたがるんだよ!?
信者の町の老人然り、メアリー然り。言葉の選択が困難な感想を求められる少年、キリ。自分とはなんなのだろうか。そんな思いを馳せつつも、心の中で爆発させてしまった思いの衝撃で胃の方から物が押し寄せてきた。堪えることも、我慢することも、もう限界。
キリは園内のトイレへとダッシュして行ってしまった。
「あれ? デベッガ君、どうしたのかな?」
「あ、あれよ。飲み物がなかったから、俺が買ってくる的な……」
今にも嘔吐しそうな表情を見せるアイリがキリのためにフォローをしていたが、メアリーは「スープがあるのになぁ」と彼が走って行った先の方へと顔を向けていた。
◆
地獄の昼食を食べ終えて、彼らは車内で決めたチーム事に動物園内を巡回することにした。現在、キリが所属するチームは猛獣コーナーに来ていた。彼はあまりいい顔をしない。もちろん、一足遅れて着いてくるヴィンも同様である。
青ざめた様子の彼らを心配してか、アイリが声をかけた。
「ブルー入っているね。動物好きなんじゃないの?」
「いや、昼ご飯……」
不味い昼食で気分悪いだなんて。未だにはっきりと口に出すことはできない。自分たちにはマックスがおり、彼はどんな内容にしても「美味しい」と耳を疑うような発言をしているからだ。マックスの味覚、及び胃袋はどうなっているのだろうかと改めて三人は思う。
「お前、知っていたのかよ」
「……知っていた、知らなかったにしても、食べないだなんて言ってみろよ。教官はもちろん、三銃士軍団の団長の二人は黙って聞き逃すと思うか?」
「誰もが無礼だって言いそうだねぇ」
アイリは納得したような物言いで大きく頷く。
「ていうか、ハルマチもライアンのお昼ご飯、食べていなかったっけ?」
「これでも、気分は最悪な方よ」
ただ単に顔に出さないだけなのか。二人と比べると、調子や気分が悪そうには全く見えなかった。
ぼそぼそと会話をする彼らを尻目に、マックスは怪訝そうに「私語はするな」と注意してきた。
「簡単な任務だとしても、誠心誠意努めてやらないか」
「えぇ。クランツ教官は、なんともないですか?」
「何の話だ? お前たち、仮病を使ってサボったりとか考えていないだろうな?」
まさかと言わんばかりに、マックスが三人を疑いの眼差しを向けてくる。だが、そんな最中でもアイリただ一人は空気も読まずして苦しそうな顔ではなく、悔しそうな顔を見せた。
「それ使えばよかったっ!」
今更過ぎる。その言葉は誰もが心の中で思っていることだった。それ以前にアイリがそのような発言したため、気分が悪いから休むと言えなくなってしまう男子二名。
「これは続行決定だよな?」
「だなぁ」
巡回は夕方の閉園までだと聞いている。その四時間弱にて自身の体や精神は持つだろうか。不安で仕方がない。
「やはりな。特にハルマチとザイツは目が離せん。デベッガ、悪いがこいつらが悪さをしないように見張っておくぞ」
余計な仕事が増えた。キリは眉間にしわを寄せるが、マックスは気付かない。いや、ヴィンも自分と同様に体調が優れないのは好機である。一番警戒しておくべきなのは普段通りの面持ちをしているアイリだけだ。
「はい」
キリが返事をすると、早速アイリが別行動を取り始める。彼女は一つの檻の前に立ち止まると、その中にいる動物を一般客に紛れて見物し始めた。すぐにマックスがアイリの首根っこを掴み取る。
「言っている傍から。我々は遊びに来たわけじゃないんだからな?」
「ふふふ、教官。あたしを持ち上げて何か気付きませんか? この前、体重が一キロ落ちたんですよっ!」
なんて誇らしげに自慢をするアイリではあるが、マックスは片眉を上げる。それもそのはず。全く関係のない話題をし始めたのだから。
「今はそんなこと言っている場合ではないだろう。ほら、いいから行くぞ」
マックスが掴んだまま移動をしようとしたとき、何かが自分の足を引っ張っている気がした。彼は一度立ち止まり、足元を見た。そこには幼い子どもたち数人がアイリを羨ましそうな目で見ているではないか。その純粋たる眼差しからマックスは察した。
「すまないが、放してくれないかい? おじさん、仕事があるんだよ」
にっこりと、さして似合わない笑顔を子どもたちに見せて断りを入れようとする。
「おじさん、ここの人でしょ? ぼくたちもやってぇ」
「だそうですよ」
「ハルマチは黙ってろ。き、きみたち? おじさんはここの人じゃないんだなぁ。巡回があるから、ごめんねぇ」
軍服を小さな手で握りしめてくる子どもたちから放してもらおうと、払い除けようとするが――。
「おじさん、やってよ!」
絶対に放そうとしない子どもたち。
「あ、あのねぇ。おじさん、忙しいから」
「いそがしいなら、なんでおねーちゃんと遊んでいるの? おじさん、にげるの? 大人げないよ!」
――なんだこのガキはっ!!
確かに子どもから見れば――否、学徒隊員たちからも見れば、自分は立派な中年男性だ。だが、大人だからといって、なぜに見知らぬ子どもの言うことに妥協を覚えなければならないのか。ましてや、自分の子どもでもないからなおさらだというのに。
「ちょっとくらい、やってあげてもいいんじゃないスか?」
早々と諦めたら? という目でアイリは見てくる。だが、それでも断る。
「俺が体を鍛えたのはお前たち、及びこの子らを持ち上げるためじゃないんだぞ。どんな状況においても国を守るために――」
「ねえ、おじさん。そんなどうでもいいことはいいから早くやってよ! おねーちゃん、こーたいしてよ!」
「あぁ、したいのは山々だけどねぇ。ほら、おじさん。早く下ろしてこの子たちと遊んであげたら? ここにいる子どもたち全員持ち上げられるじゃないですか?」
そう言えば、と真夜中に校内へ侵入し、ヴィンと共にマックスに見つかって捕まえられてしまったことを思い出した。確かに自分たちプラスあと一人ぐらいは持ち上げることが可能だと言っていた。ならば、体重の軽い小さな子どもたちを一度に抱き抱えることくらいは容易だろう。
「デベッガ、ザイツ! お前ら余計なこと考えているだろう!?」
「あらら、バレたな。ていうか、子どもたちを収拾させないと、私たちは動けないだろなぁ」
そう笑いながらヴィンはこの状況を面白がって写真に収め始める。それがわかっていながらも、マックスは鬼の形相をこちらに向けていた。これにキリは面白がって見ている場合じゃないな、と彼の行動を止めさせた。
「多分、あの子たちはハルマチみたいなことをしてもらいたいんだよ。ヴィンもあれくらいはできるだろ?」
「なぜ、私たちがいかにも性格の悪そうなクソガキどもの相手を?」
「そうだろうけど、言い方を考えろ。子どもたちの親が聞いていたら大変だぞ」
「えぇ。カメラ、壊されそう」
ヴィンは子どもたちの相手をしたくない様子で言い訳をした。それでもとやる気のない彼を引き連れて、二人は困惑するマックスのもとへとやって来る。子どもたちは彼らの存在に気付いてそちらに顔を向けた。
「ねえ、きみたち。俺たちがするのは嫌?」
「おにーさん、ぼくたちをもち上げられるの?」
一人の子どもがキリをばかにしたような目で見てくる。これに腹が立ってくるが、怒ってはいけない。なんとか笑顔を保たせたまま、頷いた。「もちろんだよ」と答える。
「こう見えて、俺たちも訓練しているからね」
「そうそう! それにクランツ教官だけじゃあ、待ち時間も出てくるぞ?」
ナイス提案だ、二人とも。マックスは彼らを感心する傍ら、持ち上げをせがんできていた子どもたちは顔を見合わせる。どうやら話し合いで決めるらしい。いや、そこは「いいよ」と納得するものではないのか。全く可愛げのない幼子だ、と四人は顔を引きつらせる。誰か一人くらい、妥協してもいいじゃない。
「子どもって面倒くさいなぁ」
未だとしてマックスに持ち上げられているアイリは達観した様子で話し合う子どもたちを見ていた。
「なあ、あそこまでわがままなクソガキは村にいなかったよな?」
「わがままっていうか、どちらかというと、ヴィンは度が過ぎたいたずらなクソガキだったろ」
「何を! 私のどこがいたずらな子どもだったと!?」
その言い方は心外だ、と言わんばかりにヴィンは目を大きく見開いていた。どうも、昔のことは覚えて――いや、忘れたとは言わせない。絶対にだ。思い出せないのであるならば、否が応でも思い出させてやる、とキリは横目で彼を見た。
「落とし穴にはめていただろうが。それも俺だけじゃなくて、ほとんどの村の人たちに!」
「ご老体や小さい子をターゲットしなかっただけでもマシだろ」
「いや、ダメだろ。って、覚えているじゃねぇかよ、ばか」
キリがヴィンの頭を叩こうとするが、軽やかに避けられてすかしてしまう。
「ザイツ、お前……相当なクソガキだったんだな」
彼ら二人の話を聞いていたマックスは冷静に言い放つ。ヴィンはなぜだと驚愕した表情を見せているが、妥当であると気付かないものなのだろうか。
「えぇ」
納得がいかない様子のヴィン。彼がショボくれていると、話し合いが済んだのか、子どもたちは顔を見合わせて大きく頷いた。
さあ、この子どもたちは妥協してくれるか。最良なのは「してくれないならば、しなくていい」と言ってくれることなのだが――。
「ママぁ!!」
「親、召喚するとは。流石は今時の子ども」
飄々たる物言いで言うアイリであるが――この状況、自分も含まれていることがわからないのだろうか。否、彼女はおそらく責任転嫁をして逃げる気満々だろう。きっとそうだ。
「ママぁ!! きてぇ!! ぼくたちをいじめるわるい大人がいるんだ!!」
「たすけてぇ!!」
「うわっ、誤解が生じそうな……」
「というか、本当に面倒くさいですね」
マックスは頭を抱えると、ようやくアイリを下ろす。それと同時に子どもたちの母親らが彼らのもとへやって来た。明らかに不機嫌そうで、怒りに満ちた顔だ。
「どうするんですか?」
どうしてこうも厄介事に自分は巻き込まれるのだろうか。キリはそう思いながらもマックスにそう小さな声で訊ねた。これにはマックスもたじろぐ。
「どうもこうも。事実を説明するしかないだろう」
果たして説明や話し合いで彼女たちは納得してくれるだろうか、とキリはおろか、ヴィンでさえも不安そうな顔付きである。
「ちょっと、あなた。聞き捨てならない言葉がうちの子が言っているんだけど?」
母親集団のリーダー格の女性が巨漢のマックスに臆ともせず、見上げてきた。流石母は強し――と思っている場合ではない。相手は一般客で民間人だ。迂闊に手出しはできない。
「いえ、こちらはあなた方のお子さんには何もしておりませんが」
「いいえ、はっきりと聞こえました。あなたたちがうちの子たちを虐めていた悪い大人だと」
じろじろとキリたち三人までも突き刺さるような視線を向けてくる。体中に穴が開きそうな感覚に見舞われた。
「私たちは虐めておりません。子どもたちが何か勘違いをしていたのではないですか?」
「うそだ! ぼくたちをもち上げておどしたくせに!」
――嘘つきやがったぞ、このクソガキ。
腹底で思う本音をここでさらけ出したいと思う反面、軍規則をすべて暗記しているマックスにとって口には出せなかった。キリとヴィンが愁色を見せながら、彼の顔色を窺う。一応笑顔ではあるが、不満限界というような雰囲気をかもし出していた。
「きみたちが仕事中の私たちに遊んでくれ、と言ってきただけだろう?」
怒り爆発限界寸前のマックスがそう言うと、子どもたちの母親らは睨みつけてきた。
「子どもが遊んでと言っているのに、あなたは遊んでくれないんですか? それでも大人ですか?」
「いえ、ですから――」
「大人のくせにすべての責任をうちの子たちに擦りつけるんですか!? まあ、軍人って卑劣な人たちの集まりなんですね!?」
「あの、ですから……」
マックスが反論をしようにも、その隙を与えない母親たち。次々と言いたい放題の言葉の弾を投げつけてくる。
「そこに学徒隊員たちもいるみたいだけど。あなたみたいな軍人の配下じゃ、国を守れそうにないわよね」
母親たちの言葉を聞いてヴィンはこっそりとキリに耳打ちをする。
「何かさ、雲行きあやしいね」
「だなぁ。てか、教官大丈夫なのかな? つーか、俺って親を召喚するようなこと、言った?」
「いいや。むしろ、デベッガ君は教官を助けてたよ」
「うん。ハルマチさんの言うことは正論だね。異常なのはあの人たちだ」
大声ではやし立てまくる子どもたちの母親ら。それを宥めようとしつつも慣れない状況に戸惑いを隠せず、こめかみに青筋を立てるマックス。こればかりは一応当事者であるキリたちが介入する術がないようである。
「これ、どうしたらいいんだろ?」
「うーん。元はと言えば、あたしにも非はあるかぁ」
アイリは何かを閃いたかのように連絡通信端末機を取り出すと、誰かにメールを作成し始めた。そうしていく内に、喚く母親たちはヒートアップ。なんだか慰謝料の話にまで発展し出してきた様子だ。
「わかっているの? 私たちが納めている税金はあなたたち軍人の給料にも払われているのよ!? そんなにお金を有効活用できないならば、税金返しなさいよ! 慰謝料払いなさいよ!」
さんざん言われ続けているマックスは反論することができなかった。母親たちを落ち着かせようとしている反面、自分自身も落ち着かせようとしているようだ。
「タチが悪いな」
三人が困り果てていたときに「何事ですか?」と第三者の誰かが喧騒に介入してきた。この声、三人やマックスにとって――否、その場にいる全員にとって聞き慣れたものだった。
「このような場所で争い事をしていては、他のお客さんにご迷惑ですよ」
第三者は三銃士軍団の団長であるケイとマティルダを引き連れたメアリーだった。いつの間にか、彼らは訓練用の制服から華美な服装をしている。これは誇示を見せつけるためか。
「ひ、姫様……!?」
「えっ!?」
まさかこのような一般市民しか訪れないような動物園に、一国の王女が来訪しているとは思いもよらなかったのか――母親たちは口が噤んでしまう。それはキリも同様である。メアリーがしている格好は学校内に及ばず、私服でもないからだ。そうだ、あの格好はテレビでしか見たことがないドレス姿だ。
「メアリーたちが近くにいてよかった」
連絡通信端末機を手にするアイリがそう呟く。どうやら彼女が助けを求めたらしい。いや、この状況を処理するならば――いささか強引ではあるが、彼らの登場が一番効くだろう。
「だれ、あの人」
メアリーが王女だと知らないのか、子どもたちがそのような発言をすると――母親が口を塞ぎ叱咤をした。
「こらっ!!」
「……言っておくが、幼子であろうが不敬罪というものは存在するからな」
ケイが鋭い双眸で母子を見てくる。もちろんマティルダだってそうだ。今のメアリーは学徒隊員としてではなく、一人の王族としているのだ。これでは滅多なことを言えやしない。
「子の発言は親の責任とも言えるわね」
「ひぃっ!?」
「もう一度、お訊きしてもよろしいですか? なぜ、言い争いをしているのですか?」
メアリーはいつもの柔らかな雰囲気とは裏腹に、神妙そうな面持ちで見ていた。それに対し母親たちは怖けついたのか、自分の子どもたちの手を引いて逃げようとする。
「ああ、もう家に帰らないと! 用事を思い出したわ!」
「私もよ! さあ、帰りましょう!」
彼女たちは一目散にその場を去って行った。それを見届け終えたメアリーは小さくため息をつきながら肩の力を抜く。
「ひ、姫様、ありがとうございました」
「いいんです。みなさんが困っていましたもんね」
メアリーはいつもの彼女の表情へと戻った。そして、なんとか収拾がつき、事なきを得て安心した様子のキリとヴィンの方を見る。
「大丈夫だった?」
「助かったよ。すいません、教官。俺たちなんかフォローすべきかと考えたんですけど」
「いいや。気持ちだけでもありがたいし、あの母親たちとの間に介入するのは面倒になるからな」
「いやぁ? それよりも、もっと面倒なことが起きたみたいっスよ」
そう言うアイリ。彼女は親子が去って行った方向に顔を向けていた。ある物を指し示した。
「脱走」
檻の中に厳重にして入れられていた大型の鳥は大きくて色鮮やかな羽を広げ、耳を塞ぎたくなるような金切り声を上げた。
「えっ!?」
「なんで!?」
キリがその大型の鳥が入っていたであろう檻の入り口を見る。そこには破れた布が引っかけられていた。誰かが何かの拍子で服でも引っかけたのか?
「あの服、がなっていたおばさんの服じゃね?」
ヴィンは見覚えがあるのか、そう言う。そのようなことを言われると、そうなのではと刷り込まれていき、納得してしまいそうだった。鳥はもう一度金切り声を張り上げる。
「うるさっ!?」
「って、こんなところでぼんやりしている場合じゃない! 姫様、こちらに!」
ケイは慌てた様子でメアリーを誘導し始めた。先ほどから発する甲高い声に周りの一般客も逃げ惑い始めているではないか。
「俺たちは一般客の避難誘導をさせるぞ!」
被害者が出る前に、とマックスも焦りを見せる。
「いや、それの心配はないんじゃ?」
アイリが肩を竦めながらそう言った。今はそんなのんびりしている場合ではないというのに、彼女は何を言っているのか。
「要はあいつを檻の中に閉じ込めればいいんでしょ」
「おまっ!? アホなこと言うな!? あいつは地上でもっとも獰猛な肉食鳥類なんだぞ!? 人も襲うやつなんだぞ!? お前が行けば、殺されるぞ!」
アイリを止めようとするマックスに彼女は眉根をひそめた。
「いやいや、誰がするって。あたしはそんな危険なことを自らしませんよ。するのは人類で強いクランツ教官に決まっているじゃないですか」
「ばかか!? 人間とあいつどちらかが勝つだなんて目に見えたことを言うな!」
「だから、人類が勝っているじゃないですか。鳥類最強を檻に閉じ込めていたんですからね」
屁理屈だが、一理ある。思わずキリは納得がいった。そもそも、人間には文明利器を扱う以上にそれを持たない者に勝てるのは当然の結果であるからだ。しかし、現状ではマックス及び、その場にいる全員が所持している文明利器で捕獲に役立ちそうな物は何一つない。それなのに、アイリはあると言い張る。
「そのあり余っている筋肉を今使うべきでしょ」
「無茶言うな、無茶を! あのナイフのようなくちばしでついばまれてみろ! あの鋭く尖った鉤状の蹴爪で引っかかれてみろ! これ、ただの筋肉!」
想像しただけでも恐ろしいものである。
「というか、捕獲業務だなんて想定していないからな。俺たち」
訂正をするようにキリがそう言いつつも、ヴィンに声をかけた。
「お前、任務の関係上、ワイヤーを……」
ヴィンはいつの間にか姿を消していた。こんな重要極まりないのにどこへ? まさか一般客のために避難誘導を? キリが周りを見渡していると、どこからかフラッシュが漏れてきた。
いた。大型鳥類が入れられていた檻の真上に。
「何してんだ!?」
「誘導よりもスクープは逃さない!」
「お前、誇らしげに言っているけど、最低だからな!? 誘導優先だろ、普通に考えて!」
キリがヴィンに対して怒鳴っていると、自身の視界の端に鮮やかな色をした何かが近付いているのが目に見えた。あの大きな鳥がこちらに向かって突進してきたのである。
「うわぁ!?」
ぶつかる寸前のところでマックスに服の裾を掴まされ、事なきを得た。キリがいた場所には怪鳥が蹴爪で攻撃を加えようとした痕跡が地面にくっきりと残されていた。
「も、もしかして、声に反応?」
「も、ある。だが、デベッガはよそ見するな。だから、お前が一番に狙われたんだ」
「ふぅん、地上最強の鳥類、ライオン。多くは黒の皇国の荒野地帯に生息し、肉であるならば何でも口にする食いしん坊さん。大きな声を出すと、威嚇していると勘違いして攻撃してくるお茶目さんなんだってぇ」
危機感ゼロのアイリ。彼女は動物園内で配布されていたパンフレットを眺めながらそう言っていた。
「なぁ、ハルマチさ。この状況がどういう意味かわかっているか?」
「知ってる。でも、これ、ここに書かれているんだもの」
「そうだとしても、もっと緊張感を持たんかっ!」
そうマックスがアイリに大声を上げた途端、キリの目と大型鳥類――ライオンの目が合った。息を飲むような緊迫感が張り詰める。
「ヤバッ!」
これは目を逸らしていいものではないと第六感が告げてくる。マックスが慌てた様子で口に手を押さえていると、三度の金切り声がその場を響かせた。ライオンは二人に蹴爪が地面に深く食い込むようにして迫ってきた。こちらへとやって来る地響きが体に伝わってきている。
「避けろ!」
マックスに背中を押され、キリは倒れ込むようにライオンの攻撃を避けた。彼が避けることを予測していたのか、避けた方向へと首を向けられる。
――嘘。
すぐに立たなければならないのに、間に合いそうになかった。ライオンの鋭いくちばしはすぐそこまで迫ってきている。
「デベッガ!」
くちばしは彼の脳天に目掛けて下ろされる――つもりだったらしい。ライオンのくちばし攻撃は地面に突き刺さっていた。代わりに大きな音が耳に入ってくる。そちらの方を見ると、そこには大型バイクに跨ったセロがキリを抱えていた。
「ヴェフェハル!」
「……とんでもない状況っスね」
流石は余裕ある首席かと思いきや、あまり余裕は見られなかった。逆に表情を引きつらせている。ライオンは大型バイクから発せられている音に反応して興奮していた。狙いは大声出す人間よりも、大きな音を出す機械に乗った人間。
ライオンは今までよりも大きな金切り声を張り上げた。それはバイクのエンジン音を掻き消すほどの大声。こちらに突進してくる怪鳥から避けるため、セロは運転をしつつ避けた。彼はマックスとアイリのもとへと近寄り、乗るように指示をする。
「一度、ここから離れましょう! これ、捕獲用の道具とかないと対処しようがないですよ!」
「ああ」
適正な判断だ、とマックスは納得した様子で大きく頷いた。それが道理、それが適度というもの。その彼の答えにアイリはまるで先ほどの自分の意見が適切ではなかったと言われた気分に陥る。いや、それは事実であるのだが――。
「退いてください」
何を考えたのか、アイリはセロを強引に押し退けるようにして、大型バイクに跨った。
「ハルマチ!?」
これに三人は驚きを隠せない。後ろに乗っていたキリが一番驚愕していた。
「ここから離れなくったって――」
「いやいや!? それは流石にまずいって!」
「ていうか、お前運転ダメだって言っていたじゃねぇか!」
エンジンを吹かして、大きな音を立てるアイリをキリが止めさせようとする。エンジン音を聞いて、ライオンはいつでも準備万端と思わせるような素振りで足で地面を蹴っていた。
「いい? いくら最良の選択をしたからと言っても、それが果たして本当の最良な選択だったとは限らないのよ」
「いや、急に何を言っているんだ、お前は。って、それ――」
キリたちの言い分なんて聞く素振りも見せないアイリは急発進をさせた。その拍子に前輪が浮き、後輪運転でライオンに突進していく。それに対抗する形でライオンもこちらに向かってくる。
「うわっ!? 避けろ、避けろぉ!?」
「人間舐めんなよっ!」
お互いに避けるという言葉も知らずして、車体とライオンは激しく衝突するのだった。
◆
「一つ、ハルマチに訊ねたいことがある」
神妙な顔を見せるマックスに、アイリはあまり気乗りしない様子で返事をする。
「なんでしょうか」
「お前は人間というものに対してどのような認識をしているんだ?」
彼が一番疑問に思っていることを問い質した。病院のベッドの上で。マックスの両足にはギブスがつけられている。
「何と言われましても――人は人であるんです。そう、人間だからこそ知識や力、あるいは誰もまだ発見したことのないような未知なる力を身につけ、その力を無限大に活用できる生命体である、と!」
曇りなき眼でアイリは答えた。マックスは小さく頷き、一応は納得しているらしい。
「そうか。ならば、ハルマチにとって俺はどんな人間だと認識している?」
マックスにそう訊ねられ、先日の動物園での出来事を思い出す。そう、あのときはバイクの車体とライオンが激しく衝突して、その勢い余った反動で後ろにへと跳ね飛ばされたのだ。そして、あろうことか、その車体が彼の両足へと当たってしまった。それが原因でマックスはこの病院にいるのである。
「……足を車体にぶつけて骨折したおじさん」
「ふざけんじゃねぇぞ、おらぁっ!!」
こめかみに青筋を立て、マックスは病院中に響き渡るほどの大声を立てる。一緒にお見舞いに来ていたキリは頭を抱えて苦笑いするしかなかった。




