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世界は運命を変えるほど俺たちを嫌う  作者: 池田ヒロ
第一章 巡り出会う者たち
16/96

偽者 前編

 彼が従わなければ、本物を作ればいいだけの話だ。異臭を漂わせている地下室でディースが言った。部屋の入り口では無骨な大男が好機の目で彼女を眺めている。


「珍しく、随分と熱心なことだな。そんなにあの坊主が気になるか?」


「黙っていて」


 一心不乱に目先にある研究資料を眺めてはレポート用紙に何かしらを記入していく。部屋には一定の機械音とディースが出す筆記用具の音が響く。彼女の姿と音に不気味さを感じ取られた。


「本当にできるのか?」


 どこか不安げな言葉にディースの手は止まった。彼女は振り返らずに「当たり前じゃない」と答える。


「あたしを誰だと思っているの?」


 すぐに手を動かし始めた。そんな男は苦笑いをする。


「生物学会を追い出された若き才女、だろ? ンなことはわかっている。俺が言いたいのは――」


 男が言い終わる前にディースは立ち上がった。そして、一定の機械音がするあやしい機械の前に立つと、何かを操作し始める。そうしていると、その機械の横からガラスでできたカプセル状の装置が破壊された。誰かが壊したのだ。それは誰か――。


「できるに決まっているじゃん。愛さえあれば」


 装置を破壊したのは全裸で茶髪の少年だった。髪の毛の間から窺える薄くて青色の目は恐ろしく鋭い。


     ◆


 果たしてこの判断は正しいものだったか、と男は悩んでいた。もうすぐ建国記念日の式典が開催されるというのに、今更ながら悩む。


「パパ?」


 そんな男――父親の後ろ姿を心配そうにメアリーが声をかけた。今日の彼女は学徒隊員としてではなく、一国の王女として参加するのだ。そのため、煌びやかなドレスを着飾っていた。


「大丈夫?」


 愛娘の問いかけに、父親――エブラハムは「心配しなくていい」と無理に笑顔を作った。


「これは私の問題であって、メアリーが心配することではないのだ」


「でも、私だって……」


 いずれは国を引っ張らなければならないのであれば、一緒に悩みたい。考えたい。そう言いたかったのだが、二人しかいない部屋に王国軍人が見慣れない二人を率いてやって来た。エブラハムはそんな彼らの姿を見てあまりいい顔をしなかった。


「失礼します。国王様、黒の皇国の皇妃とその皇子がご到着なされました」


「……ご苦労」


 王国軍人に案内され、漆黒のドレスを着飾った女性と無表情の仮面をし、白い手袋をした青年が部屋へと入室してきた。メアリーは仮面の青年の姿を見て硬直する。


【腕なし】


 キリはあのときそう言っていた。あの仮面に見覚えがあるから。だが、この皇子を腕なしと見るのは失礼だろう。いくら何でもこの人物が王国に侵入し、南地域まで来るのはおかしな話だろうから。


「お久しぶりでございます、青の王よ」


 混乱するメアリーをよそに、黒の皇国の皇妃が静々とあいさつをする。それにエブラハムは少しばかりの反応を見せた。


「久しぶりですな。あなたと会ったのはいつ振りか」


「夫と結婚して式のときにご招待したきりですわ。それ以降は……。それでも今回の式典にお呼びいただき、大変嬉しく思います。こうして息子をお見せすることも、王女にお会いすることもできたのですから」


 皇妃はメアリーに優しく微笑んだ。それに彼女は戸惑いを見せながらも、小さくお辞儀をした。今の話を察するにエブラハムと皇妃は約二十年振りの再会のようだ。


「お会いできて光栄です」


 メアリーのあいさつを見て皇妃は嬉しそうに頷くと、すぐに深刻そうな顔へと変えた。それはエブラハムへと向けられる。何かを察知したのか、メアリーは別室で待機するように言われた。それに彼女は素直に従う。


「ゆっくり座ってお話でもしましょう」


「ありがとうござます」


 エブラハムに促され、皇妃と皇子はソファに腰かけた。続けて彼も向かい席に着席する。


「ところで、黒の王は?」


 この国に来訪しているのは皇妃と皇子の二人だけである。本来ならば、招待状を送ったのは黒の皇国の皇帝なのだが――。その話を切り出すと、彼女の顔は暗くなった。


「……夫は数ヵ月前に死にました」


 初めて聞く事実にエブラハムは顔をしかめた。国のトップに立つ者――それも王である者ならば、どんなに遅くとも世間は死を知っておく必要があるだろうに。今、それをこの場で聞かされても戸惑いは隠せない。


「申し訳ないその話は――」


「ええ、知らなくて当然です。なぜならば、自国の民にも伝えていないのですから」


「そ、それは!?」


 もっと驚いた。とんでもない話だ。それが事実であるならば、自分が知らないのも無理はない。どうして、皇帝が死んだことを国民に伝えずにいたのか。そのことについて訊ねてみた。


「……まずは黒の民たちに伝える前に青の王及び、青の民たちに私は頭を下げなければなりません」


「申し訳ない。私には話が飛び過ぎて何のことかさっぱりだ」


「王は私たち黒の民が崇めている教えをご存知ですよね? ええ、その教徒たちによるテロリズムです」


「ああ、彼らか」


 二ヵ月前から軍で学徒隊員たちの任務報告で上がっている黒の皇国が絡んだ宗教団体キイ教徒の事案、事件。それと皇帝の死に何か関連があるのだろうか。


「私たち黒の民は本来、争いを避けなければならない者たちです。教えにも争い事は禁止だとあります。それなのに、その教えに仇なす者を駆逐するべきが優先だと考えに至った者たちがいるんです」


 エブラハムは静かに皇妃の話に耳を傾ける。


「その者たちこそ過激派であるテロリストです。現在は彼らを抑制させるために軍を使って止めさせようとしているのですが、彼らはしぶとく、根強いのです。それに青の王国にまでご迷惑をかける始末。それが元で夫はノイローゼになり、病死……。ああ、私たちはなんて非力。あなた方にどんなにお詫びを入れてもこの遺恨は一生残るでしょう!」


 思い出すだけでも涙があふれてくるのか、おいおいと泣き出す。それに皇子は心配そうに皇妃の背中を擦ってあげていた。


「皇妃……」


「自国の民の暴走を止めることができなかった私たちに責務があるのは重々わかっています! ここでどんなに謝罪しても許されることではないとわかっています! けれども、青の王に――青の民たちに一言でもいいから謝罪をしたい! どうか、この祝福すべき場において、私の話をさせてはくれませんか!?」


 皇妃はすがるような思いでエブラハムに詰め寄った。彼女の目は本気のようである。その思いに打たれた彼は「ええ」と頷いた。


「あなたの話の場を少しばかり設けます。安心してください」


「ああ、何たる幸運! 青の王及び青の民たちにキイ様の祝福があらんことを」


 エブラハムの言葉を聞いて、皇妃は涙目ながらも安堵した。


 そんな彼らを部屋の外から話を聞いていた者が一人。メアリーだった。別の部屋で待機していろと言われていたが、話が気になって仕方がなかったのだ。いけないことだとわかっていながらも、耳を立てて聞いていた。


 この話の最中、エブラハムは皇妃に同情した。いや、この話を聞けば誰もが同情するだろう。だが――。


 メアリーの脳裏に浮かぶのは仮面をした皇子だ。


「腕なし……」


 いつまでもここにいては誰かに見つかる。そう思い、一度その場を立ち去った。向かった場所は心が穏やかな気持ちになれそうな緑あふれる中庭。そこの東屋の椅子に座り込み、腕を組んだ。どこか見たことのある風貌はまさしく腕なしだ、と断言しても過言ではないほど。彼を思い出させてくる。


――怖いなぁ……。


 仮に皇子が腕なしだとするなら、自分の身は三銃士軍団か王国軍だけしか守ってくれない。しかし、あの圧倒的強さ――異形生命体の力が備わっているならば、軍の全滅だって考えられる。下手すれば、自分の身は自分で守らなければならないだろう。


「……デベッガ君」


 キリならばと思う。彼ならば、二度も異形生命体から自分を守ってくれた者だ。また今回の式典で本性を現した腕なしから守ってくれるだろうか。そうメアリーが切実に願っていると、場内の方から長い黒髪の女性がやって来た。


「メアリー様? もうすぐ式典が始まりますよ?」


「れ、レナータ。う、うん」


 付き人であるレナータに声をかけられ、椅子から立ち上がった。


「さあ、行きましょう」


「ねえ、レナータは黒の皇国の皇子を見てどう思う?」


 メアリーに問い質されて、立ち止まった。急にどうしたのだろうかと少しばかり愁眉を見せる。


「皇子ですか? 申し訳ないのですが、私は彼の姿を見ていないので」


「ごめん、変なことを言って」


「いえ、構いませんが、国王様がお待ちですよ」


 皇子がしている仮面を思い返す度に不安が募り積もってくる気がした。なんだか嫌な予感がするのは気のせいだろうか。


     ◆


 式典が始まる三十分ほど前、キリは王都の城門前広場にいた。服装は青色の式典用制服に軍帽まできっちりとした背格好である。彼の他にも同様に学徒隊員たちや国王や他国の首脳たちを見るために集まった民衆もいるのだ。


「もうすぐだね」


 キリにそう声をかけてくるのはハイネだ。彼女は緊張しているのか、どこか不安そうだった。


「そうですね。何事もなければいいんですが」


 未だ彼女に対してはどこか他人行儀があるようで、苦笑いをするしかない。ハイネにどんな話をすればいいのか、前はどんな会話で盛り上がっていたのか。全く以て記憶はよみがえってこない。思い出せない。


 キリは自身の連絡通信端末機を取り出す。昨日にガンとデータ・スクラップ・エリアの方へ赴いたのだが、何も見つけられなかったのだ。ずっと、電子世界にいるわけにもいかず、キリはガンに任せてきたのだが――。


 連絡はまだこない。今日は国民休日の日だから学校は休校のはずなのに。探しに行きたいのに。記憶がない状態でハイネと会話することが失礼だとキリは思っていた。


「そう言えば、キリ君はゲームでもしているの?」


「いいえ、友達とメールです。最近はゲームをしていないから」


「あれ? キリって俺以外に友達いたっけ?」


 失礼な発言が彼らの後ろから聞こえてきた。ガズトロキルスだった。後ろではアイリが連絡通信端末機を弄りながら来ている。


「失礼だな。いるよ、お前以外にも」


「ごめん、ごめん。だってさ、ハルマチが友達って誰のこと? って言うもんだから」


「ハルマチに乗せられるなよ。おい、ハルマチ」


 アイリに叱責でも与えようかと呼びかけるが、彼女は逃げるようにしてハイネと雑談をし始めた。


「あいつ、逃げるの上手いよな?」


「ハルマチだからな。仕方ないね」


 仕方ないで済まされる話ではないのだが。キリは釈然としないまま、連絡通信端末機をポケットに仕舞い込んだ。


「まさにカムラ女、だよな」


 と、ここでハイチがポケットに手を入れながら現れた。どこから会話を聞いていたのかは定かではないが、この場合、彼の言い分には納得がいく。


「あっ、ハイチさん。今日はなんだか穏やかですね」


 別にガズトロキルスは悪気あっての発言ではないが、失礼だなと思った。いや、彼の言うことは事実であるけれども。そう、ハイチはここ最近近寄りがたい雰囲気をかもし出していたのだ。それは本人もわかっていたようで――。


「おう、あの貴族野郎の気配はここにいないからな」


 ワイアットのことだったようだ。そう言えば、とキリもガズトロキルスも思い返す。校内でハイネを見かけるときは大抵、しつこくプロポーズをされていることに。その答えに戸惑う彼女の答えに代わりに、ハイチが追い返すというやり取りを毎度見せつけられては嫌でも記憶にある。


「ていうか、ここには貴族なんていないからな」


「どこへ行ったんでしょうね?」


「ああ、あれだよ。貴族たちは城門前の警備じゃなくて城内の警備だから」


「それじゃあ、ヴィンも中かな?」


 城門の向こう側を眺めていると、上から本人が降ってきてキリの顔写真を収めた。突然のフラッシュにより、彼の目はやられてしまう。


「私を呼んだかい!?」


「呼んだっつーか……大丈夫か、デベッガ」


 一連の流れが面白かったのか、ハイチは微笑を浮かべた。


「もぉ、フラッシュは止めろ、ばか」


「写真撮られることはいいんだ」


 まだ目がちかちかするキリは青ざめながらも「ダメといっても無駄だからな」と返す。


「嫌だと言えば言うほどやりたがる、嫌がらせ屋だから」


「それについては否定しないぞ! なぜなら、来週の校内新聞に動物ふれあい写真を張ろうと思っているからね!」


 ヴィンはそう言うと、ハイチとガズトロキルスに一枚の写真を見せた。おそらくは自分が小動物に溺愛している写真のことかと推測していたのだが――。


「お前、ライオンを撥ねたのか?」


 ハイチがいかがわしそうに写真を見せてくれた。その写真はキリが運転するバイクと地上最強の鳥類ライオンが衝突するものだった。これに彼は怪訝そうな顔でヴィンを見た。


「……これ、合成だろ」


「ああ、それが何か? ご不満でも?」


「あるわっ! 傍から見れば、俺が動物虐待しているみたいじゃねぇか!」


「いやぁ、最初はね。ハルマチさんにこの写真を載せてもいいかって訊いたら、キリに差し替えるならいいって言うからねぇ」


「俺の断りは!?」


「ない!」


 力強く答えるヴィン。キリのこめかみには青筋が立っていた。ここで騒ぐのは周りの目があるな、とハイチが止めに入る。


「おいおい、落ち着けよ。もうすぐ式が始まるぞ」


 珍しくも大人な態度を見せるハイチに対し、ヴィンは新たな写真を一枚取り出してそれをガズトロキルスに見せた。それを見た途端、大笑いをし始める。急に笑い出すものだから気になったハイチは横から写真を覗き込むと、一気に眉間にしわを寄せた。


「…………」


「面白い格好ですね」


 その写真は以前ハイチがトイレットペーパーのない状態で一人長時間項垂れている様子の物だった。どうしてこいつがこの写真を!? 話を知っていたのはキリと教官だけではなかったのか!?


 ガズトロキルスからすぐに写真を回収し、細かく破った。


「……ハイチさん、無駄ですよ。何の写真かは知りませんけど、こいつはバックアップも万全ですからね」


「じゃあ、話は早い。これに関するデータ全部寄越せ」


「嫌だなぁ。全部渡してしまったら、他に必要なデータも消えちゃいますよ」


 なんて笑うヴィンに「俺は困らないからな」と脅しをかける。脅されているのに、笑いを絶やさない彼はハイチの怒りに満ちた顔を写真に収めた。


「お前っ! ハルマチみたいなことをしやがって!」


 ハイチが彼の胸倉を積み上げたときだった。「ハイチ・キンバー」と誰かが呼ぶ。一同がその声の方を見ると、そこには金色のひげを蓄えて軍服に勲章や記章などをエドワード以上に装着した男がいた。


「……何か?」


 自分に用事があるのは間違いない。ハイチはヴィンの胸倉を放した。


「今回の式典において、テロリストの警戒を最大限に高めなければならない。そこで、きみは本軍と王都郊外の巡回に行って欲しいのだよ」


「俺がですか?」


 どこかあやしむ目で軍服の男を見る。ただ、彼があやしい男ではないことを四人は知っている。いや、青の王国の国民誰もが知っている人物だ。テレビでも、なんだったら学校の重要式典でも見たことがある。


「ああ。頼むよ」


「了解です、ラトウィッジ・ブランドン・フォスレター総長」


 あまり納得をしていないのか、それでもハイチは男――ラトウィッジにそう返事をした。その返事を聞いて、彼はその場を立ち去る。


「けっ。貴族野郎と同様に嫌なやつだな」


「ちょっ、滅多なことは――」


「いいんだ。さっきの俺の態度で大方察しできるだろ。あの人は」


「でも、私が言うのは?」


 一応これでも三銃士軍団の人間だぞ、とヴィンは半ば脅しをかけた。


「そうだな。別に言ったところでどうってことはないが、早くデータ寄越せこの野郎!」


 ヴィンの脅しは全く効いていないようで、ハイチは詰め寄る。それと同時に式典開催まで十分を切ったことを示す鐘が鳴り、キリとガズトロキルスは少しばかり慌てた様子で二人を止めに入るのだった。


     ◆


 城の一番高い塔から鐘の音が鳴る。その音は城内を巡回しているケイとワイアットの耳にも届いていた。廊下から見える中庭では忙しく準備に追われている城の召使いの者たちがいる。


「忙しそうですね」


「無理もないだろう。今、この国には皇国の皇妃と皇子が来ているんだからな」


「だからですか。それならば、王都内の警備も厳しくなりそうですね」


「おじさんから聞いていないのか? 式典最中の警備に再編成があったそうだ」


 ケイにそう言われ、ワイアットは記憶を手繰った。


「今日は会っていないので」


「まあ、王国軍隊すべてを束ねる総長でもあるんだ。忙しいのは仕方ないだろうな」


 なんて二人が和やかに雑談をしていると、あまりいい顔を見せないマティルダが腕を組んで彼らを見ていた。そんな彼女に少し遅れて気付く。


「もうすぐ式典が始まるけど、わかっているの?」


「わかっているさ。だからと言って、俺たちが慌てふためいてもどうにもならないだろ?」


 落ち着けよ。ケイにそう言われるが、これが落ち着いていられるものか。ここ最近、様々な派閥の反政府軍団による活動は活発なのに。こんなときにテロリズムが起きていては、各国から集まってきている重鎮たちに、エブラハムに顔を合わせられない。


「緊張感くらいは持ちなさいよ。事件が起きてからではどうしようもないのだから」


「それが起きる事態も考えて総長は警備再編成を行っているし、俺たち三銃士軍団が徹底的に城内の見回りもしている。入門者や退門者にも徹底した身辺検査もある。一番の問題といえば、王都内ぐらいだ」


「能天気ね」


 呆れ返っているマティルダにケイは鼻で笑った。


「そうカリカリするなよ。仕方ないだろ、オブリクスは貴族じゃない。一般庶民の人間だって」


「ケイさん!? からかいは流石に……」


 ワイアットは内輪もめが起こる前に止めようとする。いや、もう遅いか。マティルダは頬を膨らまかせて怒っているようだった。この場にいる自分がどうにかして止めないと。


「ぼ、僕だって、ハイネさんと一緒じゃないから悲しいですよ!」


「あなたは口を挟まないで!」


 即答されたワイアットはもう何も言えなかった。ただ、二人を交互に見ることしかできない。


「いやいや、ワイアットの言う通りだぞ。恋焦がれる人に会えないのは悲しいもんな」


「ばかにしているの? 確かに、ガズ様と一緒にいたいけれども……」


「いや、別に悪いことじゃないと思う。いいんじゃないの? そう思っても」


「珍しいですね。ケイさんがそんなことを言うなんて」


 二人は驚いた様子でケイを見た。物珍しさ、あるいは好奇という言葉が正しいか。だが、その視線は彼にとって逆にばかにされている気分だった様子。渋面を見せる。


「ていうか、ここで立ち止まっていないで、自分の持ち場に戻ろうぜ。親父やおじさんたちに怒られるのは勘弁だからな」


 この話はもうおしまい。ケイは二人の背中を押しながら城門前広場が見える場所へと向かう。


「痛いわね! 一人で歩けるから、放してちょうだい!」


「わかった、わかった」


 ケイは彼らから手を離し、自分たちで歩かせた。


     ◆


 三人は式典五分前には城門前広場が見える場所である、謁見の間へと足を運ばせた。すでに国王やメアリー、護衛らが待ち構えているではないか。


「遅いぞ」


 不機嫌そうにラトウィッジが彼らを叱責する。三人は逃げるようにして自分の持ち場へとついた。ケイとワイアットは謁見の間から外のバルコニーへと出て、左右端へと立つ。マティルダはメアリーの傍へと少し寄った。


 バルコニーから見える広場は大勢の群集で覆い尽くされていた。国内だけに限らず、他国からのテレビ局の存在も窺えた。その群衆を囲うように学徒隊員たちがいる。あちこちに定位置で立っている軍人も見える。更に町中を巡回している警備隊員たちもいた。ここからではすべてを把握できるないが、何もあやしいところはないようだ。


 自分たちの後ろでは定位置につこうとする者たちの気配がした。誰がどこに立つのかなんて二人は詳しく知らない。後ろを見たくても、見るれない。おそらく、どのような配置になるのかを知っているのはマティルダだけだろう。


「そろそろ、始めましょう」


 後ろからラトウィッジの声が聞こえてきた。それに国王エブラハムは賛同したのか、バルコニーへ向かう足音が聞こえる。この日のために城壁に設置されたマイクに向かって息を吸った。


《――ただいまより、青の王国建国記念式典を開催する》


 エブラハムの発言により、広場にいた群衆から大きな歓声が上がった。その大きな音は下にいると鼓膜が破けるのではないかというくらいである。


     ◆


 式典が開催され、城門前広場は大きく沸き上がった。正直な話、キリは耳を塞ぎたいくらいうるさいと思っていたが、そのようなことをしてはいけないと我慢する一方で――。


「うるさいなぁ」


 耳を塞いで不機嫌そうな顔を見せることを平気でするのはアイリである。近くに教官や王国軍人たちがいるのに。全く彼女という人物はある種の大物だと言えよう。いや、感心している場合ではない。止めないと。


「おい、止めておけ。みんな、ハルマチを見ているぞ」


「あたしを見てどうすんの。そこに王様が出ているのに」


「王様からしたら、ハルマチの行動は丸見えだよ」


「こぉんな、人ごみの中で誰がどうしているだなんて、わからないってばぁ」


 キリの忠告に耳を傾けずに耳栓を続行していると、誰かがアイリの手を取って止めさせた。それをしたのは鬼教官と学徒隊員たちから呼ばれて約二十年、マックスである。


「わかる、わからない以前に俺たちがいることを忘れるな」


「……いや、教官あっちの方にいたのに」


 そう言うアイリが見る先は広場の端の場所であり、ここからだと百メートルはあった。おまけにこの大混雑。よく見つけることができたな、とキリは逆に感心を抱く。


「ていうか、先日骨折していませんでした?」


「あぁ? そんなもの、気合でくっつけたよ。お前たちも鍛えろ。さすれば、短時間で折れた骨も元通りだ」


 人体の骨とは気合でくっつくものなのか。いや、そのような芸当ができるのはマックスのような多少人間離れの鍛え方をした者ぐらいだ。それで可能かと言われると閉口をしてしまうが、鍛える以外でとなると――キリは服の上から歯車を握った。


「逆に怖いなぁ。教官、人間スか?」


「失礼なことを言いやがって。当たり前だ。というか、デベッガ。ハルマチを連れて、町中の見回りでもしていてくれ。こいつ、重要なときに何をやらかすかわからないから」


「行ってもいいんですか? 総長が編成し直したって」


「確かにキンバーやヴェフェハルは名指しで頼んでいたらしいけど、学徒隊員たちの見回りに人数制限はない。現に幾人かのやつらが自主的に行ったようだし」


 そう言うことならば。キリは騒がしいこの場所でしかめっ面を見せているアイリを連れて城門前広場を後にした。


 広場を抜けると、多少の騒がしさは緩和された。正直を言うと、キリもあのような騒がしいのは好きではないのだ。もうエブラハムも見たことだし、いいかなと判断する。


「とりあえず、城門広場付近から行こうか。あんまり遠いところだと、あやしまれるだろうし」


「まぁ、それが一番かぁ」


 二人は町中を歩き始めた。


「そう言えばさ、デベッガ君。式典っていつもこんな感じ? あたし、王都に来るの初めてでさぁ」


「……俺も初めてのようなものだけど、テレビじゃ毎年こんな感じで映しているみたい。そもそも、学徒隊員で式典参加できるのは三回生からだしな」


「へぇ、三回生って色んな行事があるんだ。任務だって基本的に三回生からでしょ?」


「うん、そう。五回生からは軍事関係の就職試験とかあるからなぁ。ハイチさんはどうするのかな?」


「さぁ? 本人に聞いてみれば? 案外、無職だったりして」


 ハイチを小ばかにするようにアイリが笑っていると、広場の方から聞こえていた声がやたらと静かになった気がした。場所の位置からして聞こえないところへと来たせいなのか。いや、ここも巡回のルートで間違いない。二人は別の巡回する軍人と会う。彼とは軽くお辞儀をしてすれ違った。


「静かだねぇ」


 アイリも気付いたようで、王城の方を見た。ここからでも演説する舞台は小さくも見えるようだった。


「双眼鏡でもあれば、ここから見れるのに」


「そんなことしてみろよ。警備している人に捕まるがオチだ」


「それは勘弁だなぁ」


 一足先へと行くキリ。彼を追いかけると、住宅街の路地裏で不審な人物を発見した。その人物は大柄な男であり、そこでタバコを吸っていた。なぜだろうか、この男をどこかで見たことがある。彼はこちらに気付いていない。


 先へ行くキリの方を見る。男の方を見た。キリを呼ぶか。いや、呼んでも慌てふためくだけだ。ここはマックスにでも――ああ、連絡先を知らない。否、知ったところであの堅物教官は電源を切っていそうだ。それならば?


「クラッシャー先輩に」


 見回りをしているハイチならば。きっと状況を説明すれば来てくれるはず。そうアイリは確信をし、早速連絡を入れた。彼はすぐに電話に出てくれる。


《……お前、広場でこんなことしていたら鬼教官に怒られるぞ》


 ハイチは出てすぐにそう言った。


「ちょっと、来てくれませんかね?」


《はぁ? いきなりなんだよ。俺は巡回で忙しいの》


「そんなこと、知っていますよ」


 口を尖らせるアイリ。ここでなかなか来ないアイリにキリがこちらへと近付いてきた。彼は不審そうな目で見てくる。


「何してんだ?」


 しばし待て、とアイリはジェスチャーを交える。


《お前どこにいるの? 周りがやたらと静かなんだけど》


「王様が見える場所に来てもらえます?」


《あぁ? 王様? 広場?》


「だから、広場じゃないですってば。王様が見える場所です。いいですね?」


 アイリは言うだけ言うと、通話を切ってしまった。連絡通信端末機をポケットに仕舞い込むと、キリが「何しているんだ?」と再度聞いてくる。


「誰にかけていたんだ?」


「いや、あのさぁ――」


 ふと路地裏の方へと顔を向けたとき、その入り口のところにあやしい男が顔を覗かせていた。あまりの恐怖心からか、アイリはびっくりしたように変な声を上げてキリの服の裾を握った。いや、何も彼女だけではない。彼自身も驚きを隠せず、一歩だけ後退するのだ。


「広場はあっちの方だ」


 大男はそう言うと、再び路地裏の方へと消えてしまった。唖然とする二人のもとに訝しげにハイチが走ってくる。


「二人とも、広場にいたんじゃねぇの?」


「いや、あやしいおじさん見かけたから。鬼教官に報告しようにも連絡先知らなかったから、クラッシャー先輩を」


 アイリは誰もいない路地裏の奥を指差した。つれられてハイチもその方向を見る。人の気配が感じられない。本当に誰かいたのだろうか。


「流石に勝手な行動はできないな。俺が本軍の人に連絡を入れておくから。早く広場の方に戻っておけ」


「あっ、いや、俺たちも教官から警備しに行けって」


「ほぉん。差し当たり、ハルマチの粗相で退場ってところか?」


 なぜにわかったのか、とアイリは釈然としない様子。膨れっ面にも不機嫌そうな彼女を見てハイチは「ビンゴだな」と一笑した。


「見回りするなら城門裏の方を見に行ってくれよ。一応、そこが俺の配置場所だからよ」


 二人にそう指示を出すと、自身の連絡通信端末機を取り出し、王国軍の誰かへと連絡を入れ始めた。後はハイチに任せておけばいいだろう、と彼らは城門裏の方へと向かった。


     ◆


 謁見の間のバルコニーではエブラハムが演説をしていた。彼の隣には各国の有力者たちが並んで立っている。その中には黒の皇国の皇妃も並んでいた。


 メアリーは自身の隣に立っている皇子を見た。初めて会ったときからずっと彼は仮面を着けているようだ。その仮面を着けることに何か意味があるのだろうか。皇子はやはり腕なしなのか。疑いは全く晴れない。


「僕に何か?」


 あまりにもじっと見過ぎていたのかもしれない。皇子が怪訝そうに彼女言ってきた。


「あっ、す、すみません」


 南地域での恐怖心が襲いかかってきている気がして、とっさに顔を背ける。足が震えてきた。


「メアリー王女、気分が優れないようですが……」


 皇子の声音は心配そうにしていた。いや、勝手に彼が腕なしだと決めつけてはいけない。異形生命体は自分たち王族を敵として見なしている。けれども、今の黒の皇国民の一部を除いては青の王国と友好関係でありたいと望んでいるんだ。彼が腕なしなわけない。こうして、自分の体調面も気にしてくれているのだから。


「大丈夫です。少しばかり、緊張していたみたいです」


 皇子どころか、マティルダたちにも迷惑をかけたくなかった。自分自身に自己暗示をかけて、皇子が敵ではないと思い込ませる。


「それならば、いいのですが。ははっ、お恥ずかしい話、僕も大分緊張しているんですよ。このような大舞台、しかも色んな国の人がいるし」


「……もしかして、その仮面は照れ隠しですか?」


「そのようなところです」


 話してみると、意外にも皇子は好人物のようだった。外見とは裏腹にとても優しい感じである。雰囲気からして、キリと似ているところがありそうだ。きっと、その仮面の下は彼と同様に偽りのなさそうな笑顔があるに違いない。


「ハイン皇子って、私の友達にそっくりですね」


「ぼ、僕が王女の? これ、着けているやつでもいるのですか?」


「いえ、そうではなく、お話の仕方です。皇子、とても優しい言い方をする人だなって。こういう風に優しい友達がいるんですよ」


 なんてメアリーに言われ、皇子――ハインはどこか照れた様子で空笑いをした。


「なんだか、気恥ずかしいですね」


「そうですか?」


「ええ。それ以前に母上以外の女性とほとんど話す機会がなかったので」


「あっ、それならば、今度私と文通しませんか? お話とはまた違った面白味がありますよ」


「え、いいん――」


 ハインの嬉々とした言葉は王国の大臣によって遮られた。大臣は申し訳なさそうな面持ちで二人に頭を下げる。


「お話し中、申し訳ございません。メアリー王女様、演説をお願い致します」


「はい」


 メアリーはハインに頭を下げてバルコニーへと出た。彼は残念そうに彼女の後ろ姿を眺める。そして、そんなハインを横目でマティルダが見ていた。


     ◆


 城門裏の方へとやって来たキリは、今の演説がメアリーであることに気付いた。


「おっ、ライアンだ」


「本当だ。メアリーも演説するんだねぇ」


 あらかじめもらっておいた式典のプログラムを見た。進行状況はメアリーによる演説。その次はラトウィッジの演説だった。この式典はすべてを進行しようとすると、一時間弱あるようだ。これが終われば、王都内ではお祭りだろう。きっと、色んな食べ物の屋台が出るだろう。そうとなれば、ガズトロキルスの食欲は止まらないはずだ。


「……ははっ」


 想像すれば、笑えてくる気がした。


「一人で笑うの? 怖っ」


「悪かったな。この後の祭りでのガズの食べっぷりを想像して笑ったんだよ」


「あぁ、そういうことねぇ。ついにデベッガ君の頭が壊れたのかと思った。でも、お祭りいいねぇ。ガズ君の食べっぷりなら屋台が出るの?」


「多分な。もし、三銃士軍団の団長たちの許可とかもらえたら、ライアンも一緒に行けるんじゃないか?」


「いいねぇ、楽しそう。何が出るかな、何が」


 アイリがわくわく状態なのが丸わかりである。浮足立っているように見えた。だが、それはいけないことではない、とキリは思う。彼自身も楽しみ。そう思っているからだ。


「おいおい、祭りは――」


 アイリを急かすように、巡回を再開させようとしたキリはある物を見て硬直した。


「揚げ物は欠かせないよねぇ、揚げ物。また体重が増えるかもしれないけど。って、どうしたの」


 固まるキリの前で手を振ってみる。彼の表情は一変にして険しい表情へと変わった。そんなキリにアイリは肩を強張らせる。


「あっ、ごめん。痛かった?」


「……なんで?」


 怒りに満ちた声音。だが、それを向けているのはアイリではない。彼の視線の先を追った。そこにあったのは一台の黒い車。ボンネットにはどこかで見たことのあるようなマークがあった。どこで見たんだっけか。


「え、えっと? どうしたの?」


 今まで見てきたキリの憤りは全く違い、流石のアイリも怖けつく。どう、たとえたならばいいか。人生の仇とでも言えそうだ。


「なんで、黒の皇国の連中がここに来ているんだよ」


「……ほら、建国式典だしさぁ、色んな国の人が来るのは当然じゃない?」


「だとしても、あいつらが来るのはありえないんだよ! いや、この国に一歩でも入らせるべきではない!」


 アイリの言い分に聞く耳を持たないのか。キリは興奮していた。このまま放っておけば、ここにある黒い車に何かしでかしそうである。


「ねぇ、デベッガ君。あっちの方を回ろ?」


 ひとまずはキリを落ち着かせることが先決。そう考えたアイリはいささか強引ではあるものの、腕を引っ張って行こうとしたそのときだった。厄介な声が二人の耳に入る。


《青の王国のみなさん、他の国のみなさんこんにちは。私は黒の皇国の皇妃です》


 キリは今にも城内へと乗り込みそうな勢いで暴れ出した。どうにかしてアイリは後ろから抑え込む。


《まず、この場に立てたことにとても感謝しております。なぜ、私がこの場に立ったのかというと、青の王国の方々及び、他の国の方々に謝罪をしたいのでございます》


「ふざけやがって!」


「ちょっとぉ、城に乗り込むのは流石にヤバいってば!」


「誰が乗り込むかよ。俺は黒の連中にムカついているだけだっ!」


「の、割には暴れてるなぁ」


 アイリに代わり、遅れてやって来たハイチがキリを地面に伏せさせた。両手を後ろに回され、身動きが取れない状況に陥る。


「落ち着け、デベッガ」


     ◆


 ケイとワイアットがバルコニーの左右端にずっと立ち続けて数十分が経っていた。現在は黒の皇国の皇妃が演説を行っている。話の内容はあらかじめ、あらすじだけを聞いていたが――。


――詫びを入れても許さないやつらはいるんだろうな。


 ぼんやりと広場を眺め下ろす。皇妃の演説を聞いていて、怒り心頭している者は今のところいないようである。暴動を起こしかねないような者たちならば――。


――あの故郷の出身者か?


 キリとヴィンを探した。ヴィンはいた。彼はカメラに手を持たず、静かに下を向いて話を聞いている。これで安心できるわけではないが、位置確認できただけでも問題はないだろう。だが、キリがいない。ヴィンと一緒にいると思っていたのだが、どこを見渡してもいなかった。ガズトロキルスを見つけた。一緒にいるのはハイネである。いない。


 どこだ、どこにいる? 自身がこの場にいる建前上はしきりに見回すことはできない。後ろから見ている来賓やテレビ局の目もあるからだ。


 そんな、どこか慌てた様子のケイを横目でワイアットは見ていた。


――ケイさん、どうしたんだろう?


 ケイの様子がどこかおかしいのはわかる。彼の目線を見れば、何かを探している様子。何を探しているのか。そう思いながら、ワイアットは広場前の道路に見慣れた二人を見つけた。あの背格好の男女は――。


――デベッガさんとハルマチさん?


 あの二人は何をしているのか。王都内の見回りにしてはどこか首を傾げたくなる様子。それに彼らは軍帽を被っていない。エドワードやブレンダンを始めとする教官たちも口酸っぱくなるように「軍帽を被れ」と指示を仰いでいたはずなのに。


     ◆


「何にイラついているのか知らないが、滅多なことするモンじゃないぞ」


 体を抑えつけられて、身動きが取れなくなってもなお、キリの鋭い視線は王城へと向けられていた。


「放してくれませんか?」


「放して、お前は何をする?」


「広場へ行きます」


 不穏ではないその空気の間を割り込むようにして、皇妃の声が響いてくる。彼女の声を聞く度にキリからあふれんばかりの怒りはハイチにも伝わってきた。そのおかげで、状況を察知する。


「……ははーん。さてはお前、北の国境沿いにある村のやつか」


 ハイチは現状を察ししたとしても、アイリは全く理解不能のようで一人置いてけぼりな気分に陥る。


「あの、話が読めないんですけど」


 困惑するアイリにために、ハイチはあごで王城を差した。


「今、演説しているの、黒の皇国の皇妃な。これはわかるだろ?」


 アイリは頷く。今度はキリの方を見下すような目で見ると、王城とは反対方向に見える山をあごで差した。つられられて彼女もそちらの方を見る。


「こいつ、あの山を越えた山間の村の出身な。十何年か前の侵攻戦、知らんか?」


「歴史学、苦手なので」


「俺も苦手だけどな」


「あいつら、黒の連中は俺たちの村を襲ったんだ」


 キリのその発言に、二人は彼を見た。静かに皇妃の演説が聞こえてくる。


「俺の父さんもあいつらに殺された。村はずれにあった工場で働いていたんだ。父さんだけじゃない、そこにいた人全員殺された。工場を焼き払った。村だって、火に包まれた。だから、俺はあいつらを許さない」


 普段のキリからは到底思えない低い声音。鋭い殺意。どれを取っても、言葉を詰まらせる思いだった。現に彼らはその事実を黙って聞くしかなかった。キリの憎悪はそれだけ大きいという証拠だ。


「そんなの、許されることじゃない。そうじゃないのに、謝罪をしたいだと!? ふざけんなよ!?」


「黙って聞けよ」


 そこへ神妙そうな面持ちのヴィンがやって来た。三人は彼の方を見る。


「ヴィン……!」


「私たちはただ、その事実を知っているだけに過ぎないだろ? お前はまだ生まれていないだろうし、私だってまだ赤ん坊だった。確かに被害者かもしれないけど、その言い方はないだろ」


「お前のおじさんだって殺されたのに!? あいつらがここに来てごめんなさいして、俺たちは許せと!?」


「だから、黙って聞いてあげろよ」


 珍しくもヴィンはキリを黙らせた。いつもの彼とは大違いである。


「皇妃は自国の人たちがしでかしたことに憤りを感じているらしい。今回、ここに来たのもただ単に謝罪しに来ただけじゃないんだよ。宣言をしに来たんだ」


「冗談じゃ――!」


「黙れっ!!」


 ヴィンの大声に三人は肩を強張らせた。キリは納得がいかない様子で下唇を噛む。耳に入ってくるのは皇妃の声のみ。


《――ただ、夫の代わりとして謝罪するだけでは許されないことを私は重々承知の上なのです。どんなに詫びても、この罪が一生消えることはないでしょう。この中にもつらい思いをした方々がいらっしゃるのではないでしょうか? 身勝手な黒の民たちのせいで、故郷を、家族を奪われ……私や黒の皇国の者を憎む方もいらっしゃるでしょう。だけれども、私は……私はその罪を一生背負って宣言致します! 二度と、みなさんと争わない国を、世界を創り上げていくと! 武器も持ちません、兵士も持ちません。絶対にすべて失くします。放棄します。我が国から徹底的に『軍』そのものを排除して行きます。それが、今、私ができる償いです》


 広場の方から歓声が上がった。それは皇妃に対する非難ではなく、支持だった。先ほどまで王城の方を睨みつけていたキリの雰囲気は少しばかり穏やかに戻る。


「…………」


「私だって、完全に黒の皇国を許したわけじゃないさ。本当は楽しく過ごすはずだったお父さんに一生会えないのも悔しい。でもさ、皇妃がここまで来て、自国以外の人たちに宣言をしたんだ。見守ってあげようよ」


 ハイチは今まで力を込めていた手を緩めた。それにより、キリは一応は自由の身となる。彼はゆっくりと立ち上がった。


「……いつまでも過去に囚われるべきじゃないと思うんだ。私たちは過去の人間じゃない。未来を生きるための人間なんだ」


「……ヴィン。うん」


「それに単身で突っ込んだとしても、王国軍に捕らえられるぞ。皇妃の前に辿り着く前にな」


「うるさいな」


 キリが恥ずかしそうに顔を赤らめていると、何やら広場から騒がしく感じ取られた。さっきまでの歓声とはほど遠い、なんと言うべきか――。



「いやぁあああああ!!?」



 叫び声が聞こえた。明らかな悲鳴。誰かを支持するようなものじゃない。


 嫌な予感しかしない彼らは広場の方へと向かうのだった。


     ◆


 演説を終えたメアリーはハインの隣へと戻った。彼はどこか嬉しそうに迎えてくれる。


「すごいですね。僕、そういうのできないから」


「これでも緊張はしますね。まだドキドキしています」


 そう言うメアリーは手に胸を当ててはにかんだ。それと同時に演壇上には黒の皇国の皇妃が立つ。


「あっ、皇妃様」


「……メアリー王女、訊きたいことがあります」


 突然と穏やかな雰囲気から一変して、皇妃の背中を見ていた。妙に空気が重たくなった気がするのは気のせいではないのはわかっている。それは彼らの会話が聞こえない少しばかり離れた場所にいるマティルダもであった。


「どうしましたか?」


 質問を聞くのに、ここまで不安になったことがあるだろうか。否、ない。この気持ちは何なのか。中庭で感じ取った不安。これに近い気がする。


「僕はいつも不安でした。父上を、母上を安心できる人間で在れるか、と」


「できますよ、ハイン皇子ならば」


「いえ、僕が言いたいのはそれではありません。黒の皇国には国教たる教えがあるのはご存知ですよね?」


「はい」


 皇妃の背中を見た。それだけで、彼女は気高く綺麗な人だと思えた。ハインは話しを続ける。


「誰もがその教えを絶対とし、信仰しています。それはもちろん、青の国にも少数ですがいるでしょう」


「はあ……」


「そんな教えの第一は『欲』を持たないことなんです。つまりは欲なんて持ってはいけないということなんです。だから、本来の黒の皇国は争いや戦争をしてはいけない国なんです」


「はい」


「でも、僕は考えたんです。一切争いをしない国が果たして永遠に続いていくかと」


「…………」


「メアリー王女はどう思いますか?」


 メアリーは戸惑いを隠せなかった。正直な話、先の見えない未来のことを聞かれても、自分は予知者でもないからわかるはずはない。


「ごめんなさい、私にはよく……」


「でしょうね」


 当たり前だと言わんばかりに、ハインの手は腰に提げていた剣へと伸びていた。その剣は二人にしか聞こえない音を出しながら刀身を露わとする。


「ひっ!?」


 小さな悲鳴にマティルダはメアリーの方へと向かおうとするが、それは剣先が止めた。


「お付き人さん、安心なさい。僕は彼女に何もしない」


「な、何を?」


 広場の方から拍手喝采が聞こえてくる。バルコニーの演壇の方を見れば、皇妃が頭を下げていた。演説が終わったのだ。


 ハインは皇妃の方へと顔を向けると、剣をむき出しにしたまま近付いていく。


「まっ……!?」


 危険だとマティルダが止めようと駆け出す。


「待って!!」


 ようやく声が出たとき、バルコニーにいた者全員がこちらの方を振り向いた。ハインが手にしている者に誰もが驚愕する。


「それで世界が変われると思うな」


「はっ――」


 ハインは皇妃の首を刎ねた。


 誰もが息を止める。言葉を失う。皇妃の首は華麗に宙に舞う。切断された首からは真っ赤な血がバルコニーにいる者全員が浴びた。


「め、メアリー様!」


 レナータが倒れそうになるメアリーを支えた。彼女の顔は青い。遠くから悲鳴が聞こえてくる。


 バルコニーの床に落ちた血塗れの頭は転がる。ハインはそれを拾い上げた。


「お、皇子!?」


「父上も母上も考えが古い」


 仮面は無表情で声音は明るい。拾い上げた頭を広場にいる群衆によく見えるように置いた。演壇上に設置されたマイクを手に取る。


《彼女はそれだけで世界は変わると信じているようだ。ここにいる者は変われると思うか? そう思えるならば、平和な頭としか言えない》


 ハインがしゃべり出して、誰もが口を開くことはない。全くの静かさ。その場から彼の声がよく響いた。ハインは不気味に笑う。


《諸君らはどうすれば、この残骸のような世界から心地良い理想の世界へと変えることができるか知っているか?》


 現在、ハインは演説に夢中のようだ。ラトウィッジはこの場の警備をしている王国軍人にアイコンタクトを取った。ラトウィッジが何を示唆しているのか理解し、捕えようとする。だが、そのことは見透かされているのか、王国軍人は血のついた剣先を向けられた。


《邪魔をしないでいただきたい》


「黒の皇子よ、何がしたい?」


 その思いはエブラハムだけではない。同席していた各国の重鎮たちも不可解そうに黒の皇国の皇子――ハインを見ていた。国王の問いに彼は答える。


《神のための理想郷を――》


「ハイン皇子!!」


 謁見の間の方からメアリーが涙目で訴える。


「なぜっ、なぜ……」


「め、メアリー」


「皇妃は――」


《あなたも平和ボケした頭をお持ちのようですね》


 小さく笑うハイン。それと同時に、バルコニーの下から二人の男女が飛び入ってきた。青い式典用制服を着た彼らはメアリーを始めとする三銃士軍団たちもよく知る顔である。


《今こそ、神のための理想郷を。神のために悪神にとり憑かれた者の魂を捧げよう》


――さすれば、誰もが争うことのない、すばらしい世界が待っているだろう。

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