第肆話
「……やはり、自分の眼で確かめてみないと」
溢れ出る好奇心を抑えきれず、柾木は数日後にある行動を起こした。
入居希望者として、空室となっている『裏野ハイツ』203号室の内見へ赴くことにしたのだ。
「いかがでしょうか?」
忙しない印象の中年の男性が人の良さそうな笑みを浮かべている。男性は裏野ハイツを管理する会社の人間で内見の担当者だ。
「いい部屋ですね。仕事が捗りそうです」
適当に話しを合わせておき、感じのいい内見客を装っておく。柾木が興味あるのはあくまでもこの203号室では無く隣りの202号室なのだから。
「お隣はどのような方が住んでいらっしゃるんですか?」
「普段は誰もいませんが借主でしたら201号室のお婆さんですよ。三ヵ月程前にお孫さんの受験勉強用にと借りられまして、今もそのままです」
「そうでしたか」
随分と口が軽いなと思ったが、柾木の疑念はこれでまた確信へと近づいた。隣の部屋の借主があのお婆さんなら全ての辻褄が合う。
「……それよりも、お客様は小説家の柾木先生ですよね?」
「おや、僕をご存じでしたか」
柾木はペンネームを使用しないで活動しているし、この辺りが地元ということも知られている。分かる人には小説家であることは直ぐに分かる。
「私、先生の大ファンでして」
「それはそれは、ありがとうございます」
まだ一冊しか本を出していない新人の身の上なので、ファンの存在は素直に嬉しかった。
「本にサインを頂きたいところなんですが、本は家だしどうしようかな……」
「お宅は遠いんですか?」
「いえ、車で五分とかかりませんが」
「でしたら僕はこちらでお待ちしていますから、取りに行かれてはいかがです?」
流石に無茶な提案だろうと柾木は自覚していた。いくら近くとはいえ内見中に客から担当者が離れるというのは考えにくいだろう。
物は試しという程度の気持ちだったが、担当者の男性は満更でも無かったらしく。
「ありがとうございます。では、すぐに取りに行ってまいります。柾木先生はその間に思う存分内見をしていてください」
「分かりました」
どうやって担当者に怪しまらずに隣の部屋を調べるかという柾木の悩みはあっさりと解決した。
あの人が自分のファンで良かったと、担当者の背中を見送りながら柾木は思う。
「誰かいませんか?」
202号室がわの壁をノックしてみると
コンコン
「……まさか返答がくるとは」
ノック音が帰って来たということは、そこに誰かがいることに他ならない。もちろん担当者が言っていたようにお婆さんの孫という可能性もあるが。
隣の部屋に人の存在を感じたことで、柾木はさらに思い切った行動に出る。
一度部屋の外に出て、ダメモトで202号室のドアノブを捻ってみる。
すると――
「まさか、回るとは思わなかったよ」
自分の思い通りに事が進みすぎている。正直嫌な予感はしているが、数分後には内見の担当者も戻って来る。最悪何かがあっても助けを求めることは出来るだろう。
意を決して柾木は202号室の扉を開け、中へと立ち入る。
「……今村舞子さんですね」
壁にピッタリと背中を付けて力なく手を投げ出している20代後半くらいの女性にそう問い掛ける。
女性の顔と名前は、昨日ホームページで見た顔とピッタリと一致していた。
「……どうして私の名前を?」
「行方不明者のリストを載せているサイトで確認しました。あなたと息子の太一くん。三か月前から行方不明ということになっていますね」
「……はい」
今村舞子は静かに頷く。この瞬間、柾木は自身の想像が正しかったことを確信した。
西木と話しをしている時にふと浮かんだ「全ての子供が同一人物だとしたら」という閃き。
それはある意味では正しかった。
柾木が行方不明者捜索のホームページで見つけた今村舞子、太一親子。ホームページには二人の顔写真も掲載されており、息子の太一くんの顔は201号室のお婆さんの孫や103号室の夫婦の子供とよく似ていた。
その事実から柾木が導き出した結論は、現在『裏野ハイツ』103号室に両親と共に住む少年の正体は太一くんなのではというものだった。今村親子が行方不明になった当時の住所が比較的近場だったことや行方不明になったのが三か月前であるという事実も推理に拍車をかけた。
そして目の前には決定的な証拠。無人と思われた202号室には太一くんの母親である今村舞子がいる。
恐らく103号室の夫婦は太一くんに息子の面影を重ね、太一くんを実の息子として可愛がることで心の傷を埋めているのだろう。そうなると実の母親である舞子は夫婦にとっては邪魔な存在ということになる。だからこの202号室に軟禁した。
部屋の借主である以上201号室のお婆さんも共犯者だろう。太一くんはお婆さんの孫ともよく似ている。おばさんが孫を喪っているという前提にはなるが、103号室の夫婦同様に大切な存在の面影を感じている可能性は十分にある、以前花屋で出会った時の「明日は孫が遊びにくるの」という発言も、あの日は夫婦ではなくお婆さんが面倒をみる日だったと捉えることも出来るだろう。
本当の意味での同一人物というわけでは無いが、偶然にもこの『裏野ハイツ』に暮らす二組みの住人の愛する人によく似た少年が、確かに存在していたのだ。
「今村さん。今から警察にいって保護してもらいましょう」
柾木が提案した瞬間、背後でドアが閉じた音が聞こえ、第三者の気配が現れた。
「やはり私達のことを嗅ぎまわっていたんだね」
柾木が振り返ってみると、そこに居たのは201号室のお婆さんだった。声は穏やかだが反面無表情であり、言い知れぬ圧迫感を放っていた。
「……今村さん親子を開放してあげてください」
「それは出来ないね。もう二度と孫を失いたくはない」
「やはり、お婆さんのお孫さんは無くなっているんですね?」
「……ええ、15年前に交通事故でね」
「いくらお孫さんに似ていようとも、太一くんはあなたの本当のお孫さんじゃありませんよ」
「そんなことは分かってるさ。だけど、もう二度と孫を失いたくは無いんだよ!」
お婆さんは激昂した。普段は人当りもよう優しい笑顔の持ち主の顔が鬼の形相へと変わっている。
「……とにかく知ってしまった以上は放っておけません。このことは警察に通報させていただきます」
「させると思うのかい?」
「これでも大の男です。お婆さんでは僕は止められませんよ」
柾木が冷静に言った瞬間。お婆さんが不敵に笑った。
「私だけならね」
「どういう意味――――」
言いかけた瞬間、柾木の後頭部は激しい衝撃と痛みが襲った。
後頭部に手を当ててみると粘り気のある赤い液体が付着していた。どうやら鈍器のような物で殴られたらしい。
柾木の背後にいた人物は一人しかいない。だが何故――
「……どうしてあなたが」
「ごめんなさい。こうしないと私達親子は生きていけないんです」
視界が霞み、金属製の工具のような物を持つ今村舞子の表情は伺い知ることは出来なかった。
だが、柾木にはまだ希望がある。もう間もなく自宅に本を取りに戻った内見担当者が戻って来るはず。そうすれば、この異常事態に気付いてもらえるはず。
「おっと、言い忘れていたけど助けを期待しても無駄だよ。あの担当者は下の階の夫婦の身内でね。私達の協力者さ」
――どうりでスラスラと事が運ぶわけだ。
柾木は自分を考えの浅さを恥じるしか無かった。内見担当者が席を外したのも202号室の鍵が開いていたのも、そういうことだったのだ。
――サスペンスというよりも、サイコスリラーじゃないか……
真実に対して皮肉を感じながら、柾木の意識は闇へと墜ちていった。
数週間後。『裏野ハイツ』に警察の捜査が入り数名の逮捕者が出る。
発端は突如行方不明となった小説家――柾木の行方を追ってきた警察が、柾木が直前まで調査していた「裏野ハイツ」の調査に踏み切ったことだった。行方不明となっていた今村親子が発見されたことはまったくの偶然である。
警察の調査によって様々な事実が明らかになる。
概ねは柾木の推理通り。今回の事件は103号室の夫婦と201号室のお婆さんが主犯であり、街中で偶然見かけた太一少年に子供や孫の面影を重ね、親子を言葉巧みに『裏野ハイツ』に招き入れ、太一くんを代用品をして可愛がったのだという。
普段は103号室の夫婦が太一くんの面倒を見ていて、夫婦の都合がつかない時などは、おばあちゃんの家に預けるという名目で201号室で過ごさせていたようだ。普段あまり子供の姿を見かけなかったのは、正体の露見を恐れ、なるべく家内で過ごさせていたからのようである。
柾木の推理と大きく異なっていた点もある。それは、太一くんの母親である今村舞子が完全なる被害者ではなかったということだ。彼女は我が子を『裏野ハイツ』の住人に差し出すことで見返りとして居住地として202号室を与えられ、幾らかの報酬を受け取っていたという。いわば息子を売った形だ。
今村親子の失踪は生活苦から自発的に姿を眩ましたものだったようで、そんな状況において『裏野ハイツ』の住人との取引は今村舞子にとっては救いの手であった。この『裏野ハイツ』を出て行ったところで生きていける見込みが無く。生きるために今村舞子もまた共犯者に名を連ねた。
それでも多少の罪悪感はあったのだろう。初期には息子を差し出してしまった後悔を口にすることもあったようだ。だが、結局彼女はその状況から抜け出そうとはせず、あまつさえ秘密を知ってしまった無関係の人間にまで危害を加えてしまった。
引き返すチャンスは幾らでもあっただろうに。
今回の事件で『裏野ハイツ』の住人や関係者など計7名が逮捕。この中には今村舞子も含まれている。
太一少年は警察に保護されたが、103号室の夫婦や201号室のお婆さんが注いでいた愛情は本物だったようで、肉体的にも精神的にも健康そのものだという。
柾木正純は未だに行方不明のままだ。
警察の調べに対して今村舞子は「今の生活を守るために秘密を知った彼の頭を殴った」とまでは供述しているが、半ば錯乱状態にありまだ詳しい証言は取れていない。
202号室からは大量の血痕が見つかっており、柾木の生存を絶望的だ。ハイツ内からは遺体は発見されていないことから、警察は殺人、死体遺棄の疑いでさらに捜査を進めている。
『裏野ハイツ』の秘密になど興味を抱かなければ、柾木もこのような結末を迎えることは無かっただろう。
彼に悲劇をもたらしたものは、彼の好奇心そのものに他ならない。
何とか期限内に間に合いました。当初の構想通りになかなか書けずに一度は完成を諦めかけましたが、「せっかくの夏のホラー初参加なんだからもう一作出したい」という執念で完成させました(笑)
改めて読み返してみるとけっこうツッコミどころや粗のある部分もありますが、一応当初の構想通りの結末には持って行けました。
ホラーというよりもサスペンス色の方が強い内容ですが、もう一作の夏のホラー参加作品は霊的なホラーなので、差別化という意味では有りかなと思っています。




