心臓の音が聞こえない vorbesc.ヒナ・桐一
カグラの弟のヒナ。
そして、進藤さん達の高校の、何でも生徒に任せる駄目教師、笹谷桐一のお話。
時間軸は、まだ進藤さん達が高校生の頃辺りです。
心臓の音。
『人間』の心臓の音はどくどくどく。
『吸血鬼』の心臓の音はどぐどぐどぐ。
『蝙蝠』の心臓の音はとくとくとく。
カグラねーちゃんの心臓の音はとくとくとく。
くーちゃんの心臓の音はどくどくどく。
吸血鬼のお姉ちゃんの心臓の音はどぐどぐどぐ。
そして、せんせいの心臓の音は。
せんせいの心臓の音は、何故か僕の耳には聞こえて来ない。
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「またお前か」
せんせいは目を細めヒナを見下ろす。対して、ヒナはせんせいを見上げる。
ヒナは人間で言うところの三、四歳ぐらいほどの背丈しかない。せんせいは百七十、八十ぐらいだろうか。
余りあるその身長差に、せんせいを見上げ過ぎてしまうヒナ。自身の頭の重みと背中に背負っている鞄との二重の重みで、重力の赴くまま後ろにころんとひっくり返ってしまう。
「…………」
ぼんやりとそのままの転がった状態で天井を見つめて動かないヒナに、せんせいはため息一つ吐いてヒナを助けるために動き出す。
「君ね、自分で立ちなさいよ」
せんせいはヒナの両脇に手を差し込み、抱き抱える様にして起こしてやった。
ヒナはまだ小さくて軽い。せんせいはひょいっ、と軽々持ち上げてヒナを立たせてやる。
埃を払い、その後せんせいはよいしょと立ち上がりまたヒナを見下ろす。
「ここはね、君の遊び場じゃないの。学校って言って勉強する所なの。だから、君が入ってきちゃ駄目な場所なの。……、って俺は何回君に言わなきゃならないのかな」
ヒナは、ヒナを見下ろすせんせいを見上げる。見上げ過ぎて、また後ろにひっくり返りそうになった所をせんせいが危機一髪で阻止する。ため息。今度はせんせいは立ち上がらずにしゃがみ込んだままヒナに説教を始めた。
「あのさぁ、俺も暇じゃないわけよ。教員って結構な重労働だし、やらなきゃいけない事も沢山あるし、やらなくてもいいけどやらないといけない事とかもあるわけよ。忙しいんだから君に構ってあげてらんないの、俺は」
「……聞こえない」
心臓の音が、聞こえない。
どんなに頑張って耳を済ましても、やっぱりせんせいの心臓の音は聞こえては来ない。
何故だろう?
せんせいは人間で、だからどくどくどくという音が聞こえる筈なのに。
何故だろう?
ヒナの頭の中はそればかり。
せんせいは「あのねぇ」と頭を抱える。
「とりあえず久遠が来たら……、久遠っ」
せんせいはヒナの後方からやって来ていた久遠に手を振る。久遠はぼんやりとしたその瞳でせんせいを見て、そしてヒナに視線を移す。
「くーちゃん」
「…………」
ヒナが久遠の名前を呼ぶ。久遠はまたせんせいに視線を移し、そしてぺこりと頭を下げた。
「久遠、お前からもこの子にきちんと伝えておけよ。学校には来るな、と」
久遠は眠そうな顔のまま、うんともすんとも言わなかった。だけどそれはいつもの事なのか、せんせいは特に久遠のその態度を気にする素振りなくそれだけ言い残し立ち去っていった。
「ヒナ」
久遠がヒナの名前を呼ぶ。
歩き出す久遠に小走りで近付きヒナは隣を歩く。
「ヒナ、カグラは?」
久遠はいつも口数が少ない。ヒナは久遠の手を掴んで首を横に振る。
「カグラねーちゃんは一緒じゃないよ」
手を繋いだ状態のまま、久遠とヒナは昇降口に向かう。周りがちらほら視線を向けてくるが、久遠もヒナもそんな視線などは気にも止めない。
「くーちゃん、カグラねーちゃんに言い付ける?」
ヒナは姉のカグラに黙ってここに来た。だから、もしこれがバレたら多分カグラに怒られてしまう事になるのだろう。
だけど、どうしてもヒナはここに来たくなるのだ。来て、原因を探らなければいけないのだ。
せんせいの心臓の音が聞こえない原因を。
ヒナは心臓の音で相手が『何者』なのかが分かる。それは一種の『蝙蝠』としての特異だ。
見た目では判断出来なくても、ヒナの耳に届く相手の鼓動の音、それぞれ『種』によって異なる鼓動の音、それだけでヒナにはそれがどんな生き物なのかが分かるのだ。
だけど、せんせいだけは例外だった。せんせいの心臓の音だけはヒナの耳には届かなかったからだ。
姉のカグラにはせんせいとヒナとの相性が悪いだけだろうと言われたが、こんな事初めてだったヒナにしてみれば、それは『相性が悪い』という理由だけで片付ける事などは容易には出来ない問題だった。
「カグラねーちゃんにまた迷惑かけちゃう。くーちゃん、お願い。カグラねーちゃんには黙ってて」
「…………」
ぎゅ、と繋いだ手にヒナが力を込めるが、久遠はちらとヒナを見ただけで何も言わなかった。だけど、多分カグラに聞かれない限りは久遠は今日のヒナの行動を黙っていてくれるだろう。
聞かれたら多分、喋ってしまうのだろうが。
それからは二人とも、無言で昇降口までの道のりを歩いた。
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「……ふぁ……」
「眠そうね」
欠伸を噛み締める俺に、恋人である田中真菜が熱い珈琲を差し出してくれる。狭い家の中、真菜は机を挟んで俺の向かい側に座る。
付き合い初めて四年。そろそろプロポーズでもして結婚かと言う時期。夜にこうやって真菜が俺の家に来るのも、真菜が仕事が忙しくない限りほぼ毎日の事となっていた。
「ああ……。全く、無駄な雑用が多いよな、教師って」
「生徒のためでしょ?」
「生徒のため、ねぇ」
これは本当に生徒のためなのだろうか。
俺はつくづくこの手の事は学校側の一つの防衛手段なんじゃないだろうかと思っている。
手にしたプリントを片手に俺は次回の授業のための進行表を作成していく。
『心について』。一人で抱え込まずに皆に相談しよう。一人で頑張らずに皆で頑張ろう。
助けを求める事は決して恥ずかしい事じゃない。一人の問題は皆の問題だ。
「自分の身は自分で守れっての」
「教師にあるまじきお言葉ね」
無駄な雑用を放り投げ、俺は後ろに倒れ込む。狭い家の狭い部屋の狭い天井が見える。
「あー、めんどくせ」
大概の面倒な事は生徒に任せているが、さすがに授業内容に関しての面倒事は生徒には任せられない。
「そうやって何でもかんでも面倒臭がって生徒に頼ってたら、そのうち生徒から見放されるわよ?」
「俺は生徒の自立心を高めてやってんだよ」
大人になれば嫌でも自分の身は自分で守らなければならなくなる。若いうちからそれを学んでいた方がアイツ等のためなのだ。
「ああいう子供も増えるしな」
「…………?」
俺は学校に来ていたあの不釣り合いに小さな子供を思い出す。
あの『ヒナ』と呼ばれている幼児。
これで何度目になるのか。あの幼児がああやって無闇に学校に侵入して来るのは。
不思議そうな顔をする真菜に俺はあの幼児がまた来た事を説明する。俺に付きまとう幼児の存在は既に以前話していて知っていた真菜は、今日の話を聞いてくすくすと笑いだす。
「よっぽど気に入られてるのね」
「気に入られてるって言わないだろ。『心臓の音が聞こえない』だぜ?」
あの幼児が俺に付きまとう理由。
それはあの幼児に言わせると俺の心臓の音が聞こえないかららしいのだ。
「俺は死人かっての」
「ゾンビかもしれないわね」
そう言って真菜は俺の胸に手を当てる。
「残念。心臓は動いているみたいだわ」
「…………」
まだ楽しそうにくすくす笑う真菜の腕を掴み引き寄せ軽くキスをする。
「ゾンビが恋人って最悪だろ」
「んー、良い被写体にはなるかもね」
指で作ったカメラのファインダーから俺を覗く真菜の仕事はカメラマン。
「もし本当にゾンビになったら、私の被写体になってね?」と嫌な笑みを向ける真菜の体を引き寄せ、今度は深く口付けた。
笹谷桐一。
ヒナという幼児に付きまとわれる男。
そして、今後もヒナに付きまとわれ続ける一教員。




