私はヴァンパイア
瀬川が何度か話しかけてきた。だけど、何を話したか覚えていない。
そして放課後。
私がいるのを聞いたのか、鎹が教室にやってきた。話がある。ああ、そうだ。鎹はそう言っていたではないか。
教室を出ていつもの場所へ。
東棟三階にある第二多目的教室。
何故だかとても懐かしい。
何故だかそんな感覚を受けた。
どうしてそう思うのだろうか。
「進藤、どうだったんだ?」
鎹が聞く。
「どうだった、って何が?」
「何がっ、て」と鎹は渋面だ。だけど、それ以上は聞かなかった。
だから私は鎹に言った。「話、って何?」と。
「朝、言ってたよね?話があるって。何?」
そこまで言ってから気付いたことがある。私が学校に戻ってきた理由。それはきっとこれのためだ。鎹の話を聞くため。
何の話かなんて、聞かなくても分かっているくせに。
鎹がしどろもどろしながら「話、話な」と口にする。
この話を聞くために私は学校に戻って来たのだ。そう、きっとそう。話を聞いて、そうしたら私は。
私は。
「進藤、俺、多分」
話を聞いたら。
「あの時、初めて話した時から」
話を聞いてしまったら。
「きっと、お前の事が」
どうなる?
続く言葉を鎹が言う前に、私は鎹の口を手で塞ぐ。暫くしてから、もごごご?と鎹が多分私の名前を呼んだのだろう、だが私は俯いたまま顔を上げない。手も離さない。
自分でも咄嗟の行動だった。
ただ、鎹から続く言葉を聞いてしまったら、私はもう後には戻れないと思った。きっと。元には戻れない。
望んでしまう。
未来を。
願ってしまう。
一緒にいることを。
考えてしまう。
考えてはいけないことを。
聞いたらもう、私は戻れない。
だって私はもう自覚している。
私は鎹が好きなのだと。
「…っぷは、…進藤?」
鎹が私の手を掴み口から引きはがす。私はそれでも顔を上げずに下を向いたまま引きはがされた手を移動させ、鎹の服をぎゅっと掴み目を閉じる。そして、
「ごめんね」と小さく呟いた。
鎹の顔は見えないけれど、きっと不思議そうな顔をしている事だろう。
ごめんね鎹。
私は今から君に、とても酷いことをする。
閉じていた目を開ける。
私は鎹の服を掴んだまま、顔を上げて視線を鎹と合わせた。予想もしていなかったのだろう。鎹は目を見張る。そして、多分顔を逸らそうとしたのだろうがもう遅い。
ゆっくりと、鎹の体から力が抜けて行くかのように足元から崩れて行く。私はそれを支える。
「…し…ど…」
まだ意識があるのか、鎹が声を出した。いつもよりずっと強く眠るように意識したのに、まだ意識があるなんて。私は鎹を支えながら苦笑する。
鎹を横たえるようにしてから、鎹の、未だ意識を保とうとしている必死そうな両目を手で塞いでやる。
「寝てて」
そう言ってやる。
三十秒ほどそうした後、手を離すと鎹の瞼は落ちていて。寝てしまったようだ。
私は目を閉じ吸血鬼の赤い目から、普通の黒い目へと戻す。鎹にはいつもより強い力で吸血鬼の目の力を使った。しばらくはこのまま眠ったように動かないだろう。
「…最低だな、私は」
笑ってしまう。
鎹は最初から最後までこの目の力を使われる事を嫌がっていたというのに。私は今、無理やり使ってしまったのだから。
じっと鎹の顔を見る。顔を近付け、上からじっと覗く。私の髪の毛が鎹の顔にかかる。こうやって、近くでゆっくり鎹を見るのは初めてか。
「ごめんね」
こんなことをしてごめん。
許されることじゃないよね。
多分許して貰おうとも、私思ってないの。
だけどこうやって謝るだなんて、私は卑怯者だよね。
卑怯すぎるよね。
鎹君、私ね、鎹君のこと好きだよ。
ずっとずっと一緒にいたいと、思うほど。
いつからかな。
きっと最初からかな。
あの時、私が吸血鬼であるとばれた時から。
あの時からもうすでに始まってたのかもね。
ねぇ、これを言ったら笑うかな。
鎹君といる時ね、私は吸血鬼じゃなく人間でいられたんだと思うんだ。
人間の女でいられた。
普通の、鎹君達と変わらない、何の違いもないただの女。
変だよね。吸血鬼なのは変わらないのに。変わらなかったのに。
それでも。
鎹君や瀬川さん、小日向君達といる時は。
私、多分普通でいられた。
ずっと、これからもずっと。
一緒にいたかった。
だけどほら。
分かったでしょう?
私はやっぱり吸血鬼なんだよ。
血を吸わないと生きていけない。
人と違う目を持ってて。
人の自由を奪って。
牙を突き立てて人を襲う。
化け物なんだよ。
皆とは違う。
一緒にいることは
許されていない。
「好きだよ」
ずっとずっと。
きっと。
貴方が好きです。
吸血鬼だと知った。
血をくれた。
優しくしてくれた。
笑ってくれた。
怒って
怒鳴って
仲直りして。
巻き込まれて
巻き込んで
騒動になって。
友達だって手を伸ばしてくれた。
いつも、助けてくれた。
最初から。
最初からずっと。
あの時から最後まで。
君は私のそばにいてくれた。
そして、
好きだと、言ってくれようとしてくれた。
「…私も、好きだよ」
私も、好き。
いつからだなんて分からない。
いつからだって、そんなの関係ないんだと思う。
だって、ただ。
一緒にいたいと思っただけだから。
「一緒に、いたいよ」
ずっと、
そばに。
貴方のそばに
いたかった。
どのぐらいそうしていただろう。
数秒かもしれない。数分かもしれない。数時間は経っていない。
私は立ちあがり教室を出る。鎹を置いて、そのまま学校を出た。
いつの間にか外は雨が降っていて。天気予報で雨なんて言っていただろうか。通り雨かもしれない。そう思いながら帰り道を歩く。傘なんて持っていなかった。
ポツポツした雨が、次第に強くなっていき私の体を濡らす。髪を、顔を、濡らしていく。
制服はびしょ濡れになっていき、靴もぐしょぐしょで、髪の毛が顔にへばりついて。
ザーザーと降り続ける雨の音が私の足音を消す。バシャバシャと誰かが走る音が、負けじと大きな音を立てる。
通り過ぎる人々。
雨が止む様子はない。
私は歩き続ける。
雨の中、帰るために歩き続ける。
雨で濡れた服や靴や髪の毛が重い。
そういえば、と鞄を手にしていないと今更のように思うが取りに戻ろうとはしなかった。
雨はやまない。
雨がやまない。
ずっとずっと降り続ける。
ずっとずっと私の上を振り続けている。
「風邪をひくぞ」
ちらりと声の主を見る。
吸血鬼さん。
「…今更、何の用ですか」
あの時は何も言わなかったくせに。
何も話してはくれなかったくせに。
今更、何の用なんだろう。
だけど何も言わない吸血鬼さん。何も言わない。黙り込む。ずっとそうだった。言えることだけ言う。言えない事は言わない。吸血鬼さんはそうだった。最初から。ずっと。
私を吸血鬼にしたあの時から、ずっと。
「どうして…」
そんな言葉が私の口から出た。
「どうして、何ですか…?」
雨がザーザーと煩くて、もしかしたら私の声は吸血鬼さんに聞こえていないのかもしれない。吸血鬼さんも私と同じで傘は差していないのに、全然濡れている感じがしないのは何故だろうか。
「どうして…」
答えて欲しかった。
他は何も言わなくていいから。
他のことは答えてくれなくてもいいから。
これだけは吸血鬼さんの口から聞きたい。
聞いてどうなるものでもないけど、
今更、どうしようもないことだけど。
だけど聞かずにはいられないんだ。
「どうして、私を吸血鬼にしたんですか…?」
どうして。
どうして私は吸血鬼なんだろう。
暫く後、吸血鬼は口を開く。開いて言った言葉が「気まぐれ」だった。
気まぐれ。
ただの気まぐれ。
気まぐれ。
気まぐれなんかで。
「気まぐれなんかで、私を吸血鬼にしたんですか…」
吸血鬼さんの気まぐれで。
ちょっとした思いつきで。
何の考えもなく。
ただの。何の理由もなしに。
特に意味もなく。
私を吸血鬼にしたの?
私を人ではなくしたの?
それが真実?
それが、私の全てなの?
それが『私』なの…?
「…気まぐれで」
気まぐれなんかで。
「私を吸血鬼にしたんですか」
本当に。
本当に?
それが真実?
気まぐれが、本当の理由なの?
それだけが、本当の理由なの?
違うって言ってよ。
気まぐれだけで、
そんな理由だけで、
私が吸血鬼になったなんて。
そんなの信じたくないの。
だってそんなの、
そんなのあまりにも。
あまりにも、
虚しいじゃない。
虚しすぎるじゃない。
だからお願い。
違うって言って。
私が吸血鬼になったのは。
人間じゃなくなったのは。
鎹と一緒にはいられないのは。
そんな理由じゃないって。
お願いだから。
違うって、言ってよ。
「……分かった」
吸血鬼さんは聞こえるか聞こえないかの声でそう言った。そして私の頭に手を置く。私は顔を上げる。
「分かった」ともう一度だけ吸血鬼さんはそう口にした。
それから、吸血鬼さんは吸血鬼さんの過去を話してくれた。そして私が何故吸血鬼になったのかも。なんてことはない。やっぱり理由なんて無かった。あの時、あの日、あの場所に。吸血鬼さんの近くにいた私が吸血鬼になった。ただそれだけ。
深い理由なんてない。
私じゃなくても良かった。
あの時、あの日、あの場所に私がいたから。
だから私は吸血鬼になった。ただそれだけ。
不運、と言ってしまっていい事。
理由なんてない。
気まぐれ、では無かったにしろ。
理由なんてなかった。
私が吸血鬼にならなければいけない理由は、ない。
吸血鬼さんは杭を私に渡した。
ホワイトアッシュ。
私はそれを受け取り、そして返した。吸血鬼さんに杭は打てない。憎んでない、なんて言えないけれど、憎んでる、とも言えないから。
そう思う私は甘いのだろうか。
私の考えは甘いのだろうか。
だけど吸血鬼さんを憎いとは思えない。
嫌いだとは思えない。
殺したいなんて、思わない。
これからも私は吸血鬼で。
これから先もそれは変わらなくて。
私は一生人間にはなれない。
変わらない。
変われない。
私も
世界も
これからも。
私は吸血鬼。
吸血鬼としてこれからを生きる。
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吸血鬼になって早幾年。
人間から血を吸うことも、動物から血を吸うことも、草木や花からエネルギーを貰うことも。
慣れてきた。慣れてしまった。それが普通になった。それが普通だった。
私は今、二十二歳。
この先もずっと
私はヴァンパイア。




