『血をちょうだい。』
ダブルデートの場所は遊園地に決まった。鎹はOKしたらしい。映画やカラオケやボーリング、ショッピングなどでも良かったが、どうせだからと進級祝いに遊園地で皆で遊ぼう、となったのだ。
私と鎹は三年。
玲衣と佐倉が二年。
そうなる日は、もうほんの数日でやってくる。
遊園地ダブルデート当日、私の体調は朝から宜しくなかった。一週間と四日、血を口にしていない。
喉が渇きを覚えている。
頭がずきずきと痛む。
だけど行かなくては。
行かなくちゃ駄目だ。
行かなくちゃ。
「お待たせ」
遊園地の入り口前で、玲衣と私が待っていると、鎹と佐倉が並んでこっちに歩いてきた。
佐倉はふりふりの可愛らしい水色を基調とした服に、薄手のコートを羽織っていた。可愛い。デートっぽい服装だ。鎹も私服姿だった。当たり前か。
二人は私達を見つけて近寄ってくる。
「じゃあ入ろうか」
チケットは玲衣と一緒に先に買っておいた。それを鎹と佐倉に渡す。
私達は四人で一緒になって遊園地に入場した。
「どこから行きます?」
玲衣が入り口で貰ったマップを見ながら楽しそうに聞く。マップを覗き見ながら鎹が「俺、これ乗りたかったんだ」とびしりと指差す。
「私も乗りたいです!」
「じゃあそれに行こう。進藤先輩は大丈夫ですか?」
玲衣が私を窺う。
私は「大丈夫」と手をあげた。
「じゃあ行きましょ!」
ぱしっと玲衣が私の手を掴み、ぐいっと引っ張り歩き出した。手を繋ぐ形になったそれに、私はぎょっとし「うわっ!」と叫びそうになったが、意地でそれを押さえた。
「すみません。進藤先輩」
歩きながら玲衣が言う。
顔の表情がばつが悪そうになっている。
「びっくりした。叫びそうになったよ。うわっ、て」
玲衣が苦笑する。
「彼氏がとる行動としては普通ですよ」
「そうかもね。でも、手を繋ぐ、ってのはした事なかったから」
「あの二人にちゃんとカップルらしい所見せようと。こういうのって最初が肝心ですし」
「やる気だねぇ」
「やる気がなかったらダブルデートなんて提案しませんよ」
それもそうだ。
「すみません」
「謝ってばかりだねぇ、玲衣君」
それがおかしくて笑う。
「大丈夫ですか?手、繋いでて」
「大丈夫大丈夫。最初は驚いたけど。でも、心配な事が一つ」
玲衣が歩みを止めず隣を歩く私を心配そうに見る。
「何ですか?」
「手あせが…」
私のその言葉にきょとんとした後、玲衣が声をあげて笑った。
「進藤先輩は変な所気にしますね」
「いやいや。女の子なら誰でも気にするでしょ」
突然の事に驚いた分、手あせが半端なく出ている気がする。
優しく握る玲衣の手の温もりが物凄く気になった。自分でも驚くぐらいに。どきどきと心臓が妙に騒がしい。
これが本来彼氏彼女がする行いなのだろう。
手を繋ぐって恥ずかしいんだな。
ちらりと後ろを見てみた。
少し離れたそこには、同じように手を繋ぐ鎹と佐倉の姿が見えた。鎹は笑っている。佐倉は嬉しそうな笑顔。何処からどう見ても幸せそうなカップルだ。羨ましいほどカップルだ。微笑ましいほどお似合いなカップルだ。
どく、と。
心臓が違う音を鳴らした気がした。
「進藤先輩?」
玲衣が不思議そうに私を見る。
「…何?」
「どうかしましたか?」
「どうもしないよー。ただ人が多いなって思ってさ」
「休日の遊園地ですからね。人混み、苦手でしたか?」
「すっごい得意だから私に任せて!とは言えない、かな。玲衣君は?」
「俺も、人混み大好き。もみくちゃにされたいぐらい、とは言えないぐらいの感じですね。人混みなんて、出来れば避けて通りたいです」
「体当たりして無理矢理突っ切っちゃう?」
冗談で笑ってそう言ったら、玲衣は「本当にそうしましょうか」と悪い顔で言った。
昼を少し食べた後、私達はまた遊園地内を歩き出した。今、手は繋がれていない。鎹と佐倉の方もだ。
私はぐらぐらする頭と気持ち悪さを、何とか騙し騙しやってきたが、少し休みたかった。顔には出さないが、わりと切迫している。
「次、あれに乗ろう!」
佐倉が元気に指差す先に、この遊園地で一番大きなジェットコースターがあった。あんなもの今乗ったら私は確実に死んでしまう。
玲衣も鎹も乗り気だった。男の子が好きそうな乗り物だ。
私は辞退した。
「進藤先輩、乗らないんですか?」
佐倉が残念そうにそう言う。佐倉との仲は、この遊園地で随分仲良くなったんではないかと思う。
「うん。ちょっと、あれは、怖い、かな」
「意外なこと言うなぁ」
鎹が失礼な事を言った。
鎹とも、この遊園地で普通に何度か言葉を交わしていた。
「意外ってどういう事さ。私はこれでも女の子だ」
「ふーん」
鎹の「ふーん」を久しぶりに聞いた気がした。
「じゃあ凛と鎹先輩で乗ってきなよ。俺は進藤先輩とここで待ってるから」
玲衣が気をきかして残ると言ったが、私はそれに意を唱えた。
「玲衣君も乗ってきてよ。どんな感じだったか教えて?私はここで無様に泣き叫ぶ君をせせら笑っていたいからさ」
「……マジですか」
「マジマジ。三人が怖がってるのを面白おかしく見たいんだよね。玲衣君も乗りたそうだったし。乗ってきなよ」
ね、と悪魔的笑顔で玲衣に微笑めば、玲衣は私のS発言に嫌そうな顔をしながらも、しぶしぶ乗りに行くことに決めたようだった。やはり乗りたかったのだろう。
三人が列に並びに行ったのを確認し、私はすぐ近くの椅子に座る。凭れると少し体が楽になった。
目を閉じる。
ため息をはく。
喉が渇いていた。でもどんな飲み物を飲んだとしても、この渇きは癒えない。解っていた。だからこうやって座って、ただ休憩をする。
今、玲衣達が並んでいるジェットコースターは一番人気だ。だから乗るのに時間がかかるだろう。きっと長蛇の列が出来ているから。
暫く休める。
休んだ所でどうにも回復はしないが、今日一日がもつようにはなってくれるだろう。体力温存で。
大丈夫。
まだ大丈夫。
頑張れ私。
「進藤」
名前を呼ばれぎょっとして目を開ける。
顔を上げるとすぐそこに鎹の姿があった。
「か、すがい君。どうしたの?」
油断していた。
まさか戻って来るとは。
「これ」
鎹がすっと差し出したのは紙コップだった。ストローも差してある。
「あ、う?ありがとう?」
とりあえず受けとる。
「気分でも悪いのか?」
鎹は首を傾げてそう聞いてきた。まずいなと思った。私は、別にと言う。
「ちょっと眠かっただけ」
「なんだ、寝不足か」
「今日が楽しみすぎてね」
「子供か」
「鎹君こそどうしたの?ジェットコースターは?泣き叫びたく無くなったの?彼女だけ置いてくるなんて酷い男だねぇ」
鎹の眉間に皺がよる。
「違ぇよ。まだかかりそうだったからトイレにな。凛ちゃんと玲衣君が並んでくれてる」
「そう」
「そう」
トイレ行ったついでに買ってきてくれたらしい。私は手にした紙コップに刺さっているストローを口に入れて吸い込む。オレンジだ。
沈黙が落ちる。
鎹はまだそこにいた。いつまでいるのか。どうしてまだいるのか。そう私から話しかける事はしなかった。聞くことはしなかった。
聞く必要なんてない。
オレンジジュースをずるずると飲む。
「じゃ、俺戻るな」
そう鎹が言ったので顔をあげて視線だけやる。手を軽く振り鎹は歩いていった。
紙コップを椅子の上に置いて背中を預けて一息つく。オレンジジュースを飲んでも喉の渇きは癒えない。
「…疼く」
何かが疼いた。
喉の渇きが強くなった気がした。
「結構乗れたねー」
「タイミングが良かったんだな。数分待ちぐらいで乗れたのが多かったし」
玲衣と佐倉が和気藹々としている。双子っていいな。なんか凄く仲良しだ。
「あっ、観覧車!観覧車乗ってないよ!!」
佐倉が騒ぐ。デートのお約束、観覧車。狭い密閉空間に人間が数人入る。ゆっくりと回る籠の中から景色を眺める。頂点に着いたらさぞいい眺めとなるのだろう。
音のない密室で数分間。
何を喋れと。拷問だ。
出来るなら一人で籠に乗り込みたい。そしてゆっくりしていたい。
頭がぐらぐらしているからだろう。思考が暗い底の方へと下降ぎみだった。
「観覧車は最後じゃない?夜景が見れるし。観覧車の前に二、三個乗れそうだな」
鎹がそう言ったので、観覧車は最後の最後となった。
夜景。
何時までだろ、この遊園地。
「じゃ、何に乗ります?進藤先輩、なんか乗りたいものあります?特に何も希望とか言わなかったですけど」
「あー…、特にない、かな」
聞いてきた玲衣にそう返す。
「そうですか。じゃあ、この後俺にちょっと付き合ってもらえませんか?凛達はどこか回ってきなよ。俺達、行く所があるからさ」
「別行動?皆のが楽しいのに」
佐倉が少し不服そうな顔をした。
「二人で行きたい場所があるんだ。悪いけど」
行きましょうと、すっ、と玲衣が私に向かって手を差し出す。手を取れということで、手を繋ぐということだ。
私は玲衣の手を取った。
「じゃ、またメールするから。後でな」
玲衣がそう言って私の手を握り歩き出した。どこに行くのか分からなかったがとりあえず一緒に歩く。鎹が何か言いたげにしていたが、それに気付いたのは玲衣だけだった。気付いていて、玲衣は何も聞かなかったし言わなかった。
「何処行くの?」
だんまりしている玲衣に聞いてみる。まぁ、何処でも良かったが。
「休憩できる所ですよ」
「……?そう」
二人で行きたい所が休憩出来る所って、何でだ?、と考えながら歩いていて、はたと気付いた。
「ああ、鎹君と凛ちゃんを二人きりにさせてあげたかったわけか」
なるほど。
ずっと四人じゃ、普通に遊びに来てるのと一緒だからね。
だが、玲衣は「違いますよ」と言った。
「違うの?」
「まぁそれもいいかもしれないですけど、さっきのは違う意図があってやった事です」
「そう」
どんな意図だ。
気になったが疲れてきたので、それについてはもういいかと諦めた。
頭が痛い。
ずきずきする。
気持ち悪い。
ふらふらする。
喉が渇く。
ひりひりする。
「進藤先輩」
玲衣が目的地に着いたのか、私を促し椅子に座らせた。遊園地内にいくつかある簡易休憩場だった。
「ほんとに休憩場だね」
「何か食べたいものとかありますか?飲み物とか」
「とくに」
「…そうですか。じゃ、ここで待ってて下さい」
そう言って玲衣は何処かへと歩いていった。
時間潰しか。
私には好都合な展開に安堵のため息を溢す。
座ると疲労感が増した。喉の渇きも。だけど、座っている方が楽だった。
暫くして、玲衣が両手に紙コップを持って戻ってきた。
「どうぞ」
差し出されたそれを受け取り礼を言う。飲んで見るとアイス珈琲だった。冷たいアイス珈琲は、さっぱりしていて仄かに甘い。
美味しかった。
「大丈夫ですか?」
隣に座った玲衣が聞いてくる。
「うん。美味しいよ、珈琲」
「いや、違いますって。体調ですよ体調」
私は「へ?」と馬鹿っぽい声をあげてしまった。
「具合、あんまり良くないですよね?それが大丈夫ですか、って聞いてるんですけど」
玲衣がじとりと目を細める。
気分が悪い事を玲衣に気付かれてしまっていたらしい。
「あー…、ごめん。大丈夫、大丈夫。……あからさまに出てた?」
必死に頑張っていたつもりだったのだが、バレバレだったのだろうか。だとしたら最悪だ。
だが、玲衣は横に首を振った。
「上手く隠してたと思いますよ。凛は気付いていなかった。……鎹先輩も気付いてなかったんじゃないですかね」
鎹の名前にどきりとした。
途中、鎹には私がへばっているのを見られていたから。
「朝から具合悪かったですか?もしかして」
「ん、んー…ま、少しね。寝不足で」
鎹に言ったのと同じ言い訳をした。
玲衣がため息をつく。
「言って下さいよ」
「大丈夫かなって」
「大丈夫じゃないじゃないですか」
「あはははは」
笑って誤魔化した。
玲衣は少し目を伏せ、物憂げに前方だけを見つめている。何か考えているのか。
「俺は…、進藤先輩に無理ばっかさせてますね」
ぽつりと言った玲衣の言葉に私は首を横に傾けた。
「そんなことないんじゃない?そんなに無理した覚えはないけど」
「…………」
玲衣が何とも表現のしずらい顔で私を見る。間違ったことは言っていないはずだが、何か変なこと言っただろうか。
「…まぁ、もういいです」
「そ?」
玲衣は諦めたようにため息をはく。玲衣が何を考えているか分からない。
「じゃあ、進藤先輩。俺に何かして欲しい事とかあります?」
「して欲しい事?」
玲衣が頷く。
「凛の事で手間かけさせてますし。こうやって俺の我が儘に付き合ってくれてる。だから、まぁお礼、みたいな」
「……お礼」
お礼。
「何か欲しいものとか」
欲しいもの。
「して欲しい事とか」
して欲しい事。
「何かあります?」
欲しいもの。
して欲しい事。
優しい言葉。
私が欲しいもの。
君にして欲しい事。
望むものは。
それは、
血を。
「…………をちょうだい」
「?すいません。よく聞こえなかったです」
玲衣がもう一回と促す。
「何でもない。何でもないよ」
「え、気になるじゃないですか」
「そんなに気になるの?じゃあ教えてあげるけど…。チョコが食べたいって言ったの」
「チョコですか?」
予想外だったのだろう。玲衣が目を丸くして言った。
「うん。うんと高いチョコ。デパ地下にあるようなやつがいいな。どうせなら」
「…チョコ好きなんですか?」
「好きか嫌いかと言われれば好き」
「チョコですか……。分かりました」
玲衣が確かめるように頷く。
「あ、でも、この件が片付いてからでいいよ。成功報酬って事で」
終わったら私に頂戴。
そう言ったら玲衣が笑った。
玲衣が寝てていいですよ、と言ってくれたのでありがたく寝る事にした。だが、座りながら寝入るのは至難の技だった。
体、俺に預けてていいですよと玲衣が言ってくれたがそうしなかった。
目を閉じる。
隣には玲衣がいる。
寝たい訳じゃなかった。
眠りたい訳でもなかった。
寝不足なんて嘘だ。
ただ私は喉が渇いているだけなのだ。
頭がずきずきする。
喉が渇く。
胸がむかむかする。
ふらふらする。
吐きそうだ。
血が欲しい。
誰でもいい。
誰の血だって構わない。
この渇きが消えるなら。
この飢えがなくなるのなら。
この苛々がなくなるのなら。
楽になれるなら。
誰でもいい。
誰か私に、
「血をちょうだい。」




