法の魔女4
『クロスさん、法とは本来、強者と弱者の力の差を埋めるために存在します。
あらゆる権力や武力を超越した頂点に君臨し、あらゆる人々を従わせる意思なき王。
その下ではどんな権力者も金持ちも豪傑も、貧乏人も宗教家も非力な子供も、あらゆる虚飾を剥ぎ取られ平等に裁かれます。
故に、強者が己の思いのままに法を弄するようならば、法が弱者を守らず強者の搾取に傾くようならば、構うことはありません、存在しないかのように破るべきです。
高潔さを失った法はもはや法とは呼べません。悪を裁かないならば、躊躇せず踏みにじるのです。
一緒に、ぶちのめしてやりましょう』
罪状認否は三日後に改めて執り行われた。
魔道士会側が魔女協会による介入を疑い、精査と体制強化に努めている間に後回しにされてしまったのだ。
司法の手続きは公平を期す「早い者勝ち」なので、訴えの多い人口密集地では、数時間の遅れが数日の延期に繋がるのも珍しくはない。
入口の手前まで来ておきながら、また列の最後尾に回される。それが今回、彼らの身に起きたことだった。
とはいえ、彼らの懸念は的を射てもいる。
魔女協会、ひいてはクロス・フォーリーズは介入する気まんまんであり、実際そうしていた。
ただ、罪状認否にはもう細工を施すつもりはなかった。
裁判前にやりすぎてしまっては、領主に警戒心を抱かせ、反統王連衡の跳梁を許してしまうかもしれない。
魔道士会の反感を買いすぎるのも避けたい。なりふり構わない一線をこちらは超えたが、あちらにはまだ躊躇していてもらいたい。
それらの事情と戦略故に、これ以降は、ぶっつけ本番で誰も止めようのない裁判で戦うべきと判断したのだ。
罪状認否ではアイランが黙秘を貫いたので、20分程度予定が押した。
だが司法側にとってはこの程度ならば想定の範囲内。
冷静に情報の確認と裏付けを固め、程なくして正式に訴訟の成立が宣言された。
第一回審理は明日、その時はコー・ナイルの領主ソルチェンタイウスが判事として一切を執り仕切る可能性が高い。
ソルチェンタイウス、一体何者か?
『フランド・マウログ出身、現界人、男、62歳、貧農一家に生まれるが成人後に教堂が開かれると、共通語の学習を経て学問に興味を持つ。23歳で近在の魔法使いに教えを乞い、流体力学への才能を見込まれ魔道士会に紹介された。12年後、経営と司法を叩き込まれた上でゼネルス・チェッカ評議員の手により統王へ推挙される。その後はコー・ナイルの検吏、法判と出世を続け、45歳から領主としてコー・ナイルを治める』
隠れ家の書類棚に納められた木簡に書かれている情報を、そのまま相互紙に書き写していく。
裁判まであと17時間しかない。必要な情報は速やかに共有しなければならなかった。
『生活は規則正しく、朝食は常にハーキッパ2本と白湯。済めば30分程度休息し、身支度を整えて出仕。仕事ぶりは堅実で冒険は犯さず、人の意見よりも制度の堅固さに頼みを置く。昼休憩までに必ず従士に二度白湯とハバハの塩漬けを差し入れさせる。昼食の内容は日によって異なるが、傾向としてイノシシ肉入りの汁物を好む。午後からは司法業務を続け、日暮れ後に衛兵隊の報告をまとめてから帰宅。夕食をとり、40分程度休息した後に、軽い運動で体をほぐしてから全身を拭き清めると、二人いる妻を日替わりで抱いて就寝』
アイランが調べたであろう、丹念な情報が書き連ねられていく。
この下には業務内容の詳細と、部下や使用人の氏名や配置まで記録されている。
空恐ろしいばかりだ。彼女はその気になればいつでも、この情報をもとに領主すら暗殺してのけるのだろう。
『以上です。魔道士会とは積極的に関わったりはあまりしないようですけど、命令があれば従うという関係ですかね』
それなりにわざとらしくない程度に公平で、しかし必ず便宜は図ってくれる。
魔道士会のような組織が、己の支配する都市に置く領主としては最適だろう。
しかしその建前が、付け入る隙にもなる。
おそらく、法を覆してまで魔道士会に尽くすような気概や覚悟は持ち合わせていないだろう。
『ではまず判事に対する不信弾劾を提議しましょう。原告である魔道士会に近しいソルチェンタイウスは、今回の裁判の判事としては信任に値しないと主張するのです。具体的には、法定代理人としての信任宣誓の際に『法廷の人格を信任し、その判決に如何なる先入観をも介入していないとの信頼を誓いますか?』とたずねられますので、いいえと答えてください』
今回の裁判では、罪状認否を経てアイランの法定代理人に"法の魔女"が就いた。
しかし本人は期日までの出廷が不可能なため、更にその代理としてクロスが大任を果たす。
書類の間に挟んで隠した相互紙で逐一指示をあおぎはするが、実際に法廷に立つのはクロスだ。
『実際、不適格なんですか?』
『微妙なところではありますが、私なら最終的に適格と判断します。判事が一方に味方をすることによって自身になんらかの利益供与がなされるとの因果関係を立証しなくてはなりませんので。
今回の案件では、おそらく立証に足る証拠は不十分でしょう。しかし、不信弾劾の申し立てそのものは、受理されるに足る十分な背景があります。判事は裁判で一方に加担していない証明をする必要があり、その潔白の手続きによって裁判を一日遅らせられます。まあ加担はしているでしょうが』
『なるほど』
"法の魔女"の速筆のテンポにも慣れてきた。
要点を述べたあとにその詳説をするクセがあるようなので、要点が浮かんだ時に返事を書き始めておく。
そしてタイミングを合わせて書き終えておけば、速筆にも割り込められた。
『医師の目星はつきましたか?』
『はい、公良医のトンド・ソラオリスが収監者や役刑囚を担当しているようですから、アイランさんの担当医でもあるでしょう』
『結構。ならばその件は任せましょう。信任弾劾で第一回の審理は潰れますので、証人喚問と証拠開示は第二回に回されるでしょう。原告側がどのような証人を立てるかわかりますか?』
『いえ、そこまでは。ただ、罪状から察するに『回る大杖亭』にいる魔道士が数人、トゥガン・セレイパ衛兵部曲長、ハロバ邸の使用人か用心棒の誰か、柱街の住人、アイランさんが尋問した仕立て屋のうちの誰か、井戸城の衛兵か労働者か、役刑囚の可能性もあります』
ハロバ卿本人は一昨日から行方不明となっている。
クランツか、その一味が既に殺したのだろう。
自分らの存在が明るみの下で立証されることが無いように。
『魔道士会はとにかく殺人罪、特にマードック殺害の件に焦点を絞って立証にかかるでしょう。この点に関しては証拠固めを完璧に済ませてくるはずです。時間を稼ぐならあえて原告側に大量の証人を送りつけて、証言に時間を割かせる手も有効です。柱街や井戸城の人々を雇えますか?』
『私一人でやるのは難しいと思います。大々的な買収が反統王連衡にならともかく、魔道士会にバレたら大変です。でも、数人だけなら大丈夫かも、やってみます』
『結構』
クロスはコー・ナイルに住む誰に対してもコネがない。
組織力の援護もなく、あるのは情報と金だけ。
どちらも強力な武器ではあるが、その武器を握る手があまりにも足りない。
大きく動けばたちどころに魔道士会に察知され、追い詰められかねない。
下手をすると拉致され、裁判が終わるまで監禁という可能性すらある。
だが、泣き言は言っていられない。
アイランを救うには、動かねば。それもできるだけ静かに。
そう考えると、自分のやっていることが"兵の魔女"による暗殺と似ているようにも思えてきた。
意外なところでアイランを身近に感じ、思わず鼻から笑みもこぼれる。
だがその間も、相互紙からは矢の如くに指示が飛ばされ続けていた。
『相手は裁判を急ぐでしょう。マードックの後継者争いと、評議からの介入をできる限り回避したいとの思惑が、必然的に彼ら一人一人を忙しなく駆り立てるはず。
おそらく明日の裁判からは、別の法定代理人を、それも複数立ててくるでしょう。これと真っ向からぶつかっても勝ち目はありません、結局、"兵の魔女"がマードックを殺めたのは正しい事実であるからです。
そこで、今回の戦略の核を伝えます』
こちらから特に挟むべき言葉は無かったが、それでもペンは放さなかった。
この速筆に、いつ割り込むべきタイミングが訪れるか全くわからないからである。
"法の魔女"の筆跡は常に一定で乱れも疲れも一切見られない。
その確かな文字から放たれる戦略は、それだけで強い説得力を感じられた。
『それは挑発による分散です。こちらを攻撃する材料をわざと相手に与え、議論を長引かせるのです。今の魔道士会コー・ナイル支部は組織力で強引に押し込んでくるだけの存在で、統率や戦略性を全く欠いています。餌をちらつかせれば必ず食いつく愚か者が現れるでしょう。
アーリー・マードックは優れた謀略家でしたが、後進を育てず、そのつもりもなく、周囲には凡才を集めました。その愚かさを突くのです。違法の瀬戸際に身を置き、時に踏み越えながら、連中を逆なでして裁判を大ごとにしましょう』
「法を破れ」という指示が当然のように"法の魔女"から飛び出してくる。
なんとも、奇妙な状況だった。
『まずは信任弾劾と証言水増しからです。何か質問は?』
『今回の一連の妨害工作が禍根を残す危険はありませんか?』
魔道士会と魔女協会の決定的な対立は避けられない、とアッサルートは言った。
だが、クロスは可能性を諦めていなかった。対立を望んでいない魔道士もいるはずだ、と。
歴史的な対立や溝を超えて、同じ学者、同じ魔法使い同士で協力できる未来があるんじゃないか。
その未来のための芽を摘み取ってはいけないのではないか。
今回の件、黒幕はクランツであり反統王連衡だ。魔道士会はむしろ被害者でさえある。
その被害者同士が傷つけあっては、クランツの思う壺なのではないか。
それに、違法行為に手を染めては、統王の向こうにも回りかねない。
アイランを必ず助けるという誓いと決意は固いが、選択肢は狭めたくなかった。
なによりも、これまで出会ってきた魔女たちのために。
『もちろんその危険はあります。具体的には統王による糾弾、魔道士会との経済的な断裂と法的な代理闘争による資源の疲弊、各地に散らばっている魔女たちの安全を保つことすら難しくなるかもしれません』
『だったら』
『しかし、反統王連衡を暴き、"兵の魔女"を救うには最も現実的で成功確率が高い方法です。目的のためには、狂おしく全てを賭ける。それが魔女の矜持です』
矜持。彼女から放たれた言葉があまりに意外で、ペンが止まった。
『それに、危険とは結局"未実現の不安要素"でしかありません。そうならないように努めるのも、私の仕事です。あなたの心配は、私がたちどころに杞憂にしてみせましょう』
言葉には自信が感じ取られた。
矜持、自信、どちらも無根拠な世迷言とでものたまって切り捨てそうな人物だと思っていたが、意外な展開だ。
『でも、統王様には一連の動きは報せているんですよね? だったら、やっぱり後で処罰されるんじゃ』
処罰を恐れているというより、それによって自分が役目を果たせなくなるのが、彼にとって大きな恐れだった。
統王に直接会って、その顔が思い浮かぶようになった身分としては、後ろめたさも感じざるを得ない。
彼の役に立てるのは嬉しいが、かえって迷惑をかけてしまうのは本意ではない。
しかし、直後に、クロスは己の思い違いを痛感した。
法によって人を見失うなど、あの統王に限ってはあり得ないのだ、と。
悪人が弄する法であれば、屈さぬのが王の証なのである、と。
わずかな間の後に、"法の魔女"から文章が送られてきたのだ。
まるで、ため息をついてから書き始められたかのような、その息遣いまで感じられる間だった。
『クロスさん、法とは本来、強者と弱者の力の差を埋めるために存在します──』




