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魔女はペン先と黒インクにて集う  作者: wicker-man
石の章
9/188

石の魔女5

お師匠様が泣いていた。

揺り椅子の上で、封の開いた手紙の前で、声すら立てず泣いていた。

子供心に、見てはいけないものを見てしまったような気がした。

お師匠様の涙なんて、初めて見た。

それはきっと、起きてはいけないことなのだろう。

だから、駆け寄って抱き締めた。

そのとき、初めてお師匠様は自分をさらけ出してくれた。


あなたを愛しているけれど、自分にその資格があるかわからない。

あなたのためにしたことが、本当は自分のためにしたんじゃないかと思ってしまう。

それがとても怖い。本当はあなたを愛していないんじゃないかと思うと。


私は抱き締め続けることしかできなかった。

お師匠様はずっと泣いていた。もっと前から、ずっと。


手紙は、"石の魔女"の復帰を認める、魔女協会からの通達だった。















「到着!」

「うげぇっ」


ゴーレムが二足形態に戻り、ブレーキをかける。

数十度目の急激な振動に未だ慣れることもなく、クロスの腹に柵がめり込んだ。


「え、ここって」


肩越しに轟音の正体を覗き見る。

そこにあったのは、巨大な水の壁。轟音と絶え間ない衝撃音と、散弾のような飛沫。


「滝、ですか?」


到着した場所は滝であった。谷とはいえ、元は山であったコギである。

登り斜面の先に滝があっても不思議ではないのだろう。

普段であれば風光明媚な秘境という佇まいであったろうが、今は嵐の中である。

水は静かに流れ落ちるというより、全力で水面に向けて擲たれているかのようだった。


「今は滝というより壊れた堰ね。滝壺を更に深く抉って池を広げて、治水力を高めておけば完了よ」

「え、でも滝って圧力が途切れてるんじゃないですか? 上流を分岐させるなら、意味が無いような」

「分岐点はここから下流よ。ここと、さっきの土砂崩れの場所の間にある、ちょっとした窪地ね。ここから下流全体の圧力を下げれば、窪地に圧力が集まる。そうすれば窪地はやや西側に傾いてるから、谷の外に向かって分岐ができるのよ」

「それなら、滝を崩して埋めちゃった方が……」

「そしたらこっから上流に圧力が集中するでしょーが! 谷の内側に水が溢れ出すわよ!」


ざぶざぶと池に入りながら問答する二人。

その問答の最中にあっても、ガニツは違和を感じ取っていた。


(これだけの嵐の割には、池の水流が大人しい。滝壺にも渦が無い。何か妙ね)


が、作業を中断することは出来ない。やらねば、程なく下流で水が谷の内側に溢れ出すだろう。


「Tigent砲継続起動!」


ゴーレムが開口を開始する。

クロスはいそいそと背中に隠れて耳を塞いだ。


魔力炉がせり上がり、再びまばゆい光を解放する。

照準は滝壺の底。まずは抉り取って水深を稼ぐ。今度は土砂崩れを起こさぬよう、出力を文字玉で調整する。

そして炉に手をかけ、発射せんと力を込めたその瞬間であった。



滝壺前の水面が隆起した。



それは、水そのものの塊だった。

球形の表面、常に流動する水。

まるで大きな魚のようにゆっくりと滝壺の底から姿を見せ、水面から離れて浮き上がった。

それは、ゴーレムより一回りは大きな、球形の水であった。

水の中心では、暗く濁った、淡い稲光が走っていた。


「中断!」


即座に座り直し、開口部を閉じる。

耳を塞いでいたクロスも異常を察知し、ゴーレムの肩越しにその姿を見た。


「水エレメンタル!」


クロスが叫ぶのとほぼ同時に、滝の水が下ではなく、ゴーレムに向かって落ち始めた。

両腕を前に組み、滝そのものである放水を受け止める。

それでも、ゴーレムは少しずつ後方へと押されていた。


「嵐で魔力の流れが乱れて偶然ここに集中したんだ! 恐らくは落雷がきっかけで──うわっ!?」


クロスの言葉を中断するように、次は右方から水が叩きつけられた。

池の水が隆起し、まるで殴りつけるかのようにゴーレムを叩いたのだ。

そしてその間に、浮遊した球形の水はゴーレムの直上に移動し、腕を伸ばすように水を叩き下ろした。

押し潰すためではない。確かに感じ取った、魔力炉内部にある膨大な魔力を取り込むために。

餌箱に手を伸ばす猿のように、水エレメンタルは直接自らの偽体を伸ばしていた。

それはただ漫然と装甲に弾かれる水流ではなく、生きた触手のように隙間や脆い部分を探って突き破る手であった。


「ちぃっ!」


水の侵入を報せる警報を聞きながら、操作盤を叩く。

足元のレバーを引き、文字玉を回転させ、足を僅かにひねって、固定された厚底ブーツ越しに下半身制御を手動に切り替える。

戦闘形態を維持したまま、主要な動作構造を手動にしたのだ。


そしてその場で跳躍。弾みをつけた上で水流を足から噴出させ、水エレメンタルに突っ込む。

皮が弾けるような音と共に、ゴーレムの体は水エレメンタルの本体の半ば以上を削り取った。


だが、中心の稲光──魔力核の破壊には至らなかった。

それでも、水エレメンタルは水面に墜落し、ゴーレムは池の縁に着地した。


「まずいわね」


排水構造を起動させながら、思わず呟く。

Tigent砲を用いれば苦もなく一瞬で水エレメンタルの魔力核など吹き飛ばせよう。

だが、下流の決壊までには、どんなに出力を落としても撃てるのは後一発。

池の底を抉るほどの余剰魔力を充填するには時間がかかる。エレメンタルを倒すために撃ってしまっては、到底間に合うまい。


しかし、このエレメンタルはかなり厄介な代物だと思われた。

嵐という環境下では、水エレメンタルは極限まで力を増す。

端的に言えば、この滝と池の全てがあれの肉体のようなものだ。

全てのエレメンタルは生命にとって非常に危険だが、それは力の故ではない。むしろ多くのエレメンタルは脆弱で微々たる力しか持たない。

あれらが持つ危険性は、貪欲なまでに自存在を保とうとする無機質な本能にある。

倫理も言語も意思もなく、ひたすら魔力を貪る怪物たち。

そして魔力とは、生物の魂の深奥に塊として宿る生命力でもある。

あらゆる生物にとって、エレメンタルは無為の捕食者であった。


この水エレメンタルを排除しなくてはならない。

こいつは存在し続ける限り、攻撃をやめないだろう。


「来るわよ!」


池の水が翻り、一度引いたかと思うと、高さを増して津波のように躍り掛かった。

その津波の頂点から、再び完全な姿で水エレメンタルの球形の水が浮き上がる。


ゴーレムは再び飛び上がり、津波を飛び越さんとする。

空中にあるその無防備なゴーレムに、水エレメンタルは再び水を伸ばす。

だが今度は、右腕を発射して迎え撃つ。

いくら水が重く、そして集合していようと、鉄と石の塊には容赦なく引き裂かれるのみ。

伸ばされた水を弾き、裂きながら右腕は球形の水に突き刺さり、そして中央の魔力核を掴んだ。


(捉えた!)


前方に突き出した右手を、ひねり上げるように強く握る。

魔力核を破壊して魔力を散逸させてしまえば、エレメンタルは無力化されるのだ。

そしてガニツの動いた通りに握り潰さんとゴーレムの右手が魔力核を締め上げる。


まさにその時に、ばぢんっという衝撃音と共にゴーレムの右手の指が弾け飛んだ。


ほぼ同時に、ゴーレムの駆動系統が停止した。

何の前触れもなく、突然死のように、人形の全身から力が抜けたのである。


「は!? え!? 何!?」


さしものガニツも動揺を隠せなかった。


「回路不全!? 焼き切れたの!? そんな、どうして!?」


文字玉の内部情報が示すのは、何らかの強力なエネルギーによって回路が焼き切れた事実だった。

しかし魔力防護や遮断は完璧で、回路はゴロ錬鉄によって保護されている。

魔力によって焼き切れた筈はない。異なるエネルギーだ。

だが金属製の回路を焼き切ってしまうほどの強力なエネルギーなど、魔力以外に思いつかなかった。


ゴーレムの巨躯が自由落下を始める。

その先に待ち受けるのは球形の水。新たな魔力を抱きとめようとするかのように、体を広げて待っていた。


「そんなっ……!」


絞り出すような悲鳴の直後、水エレメンタルは石と鉄の塊を受け止めた。

水は一瞬のうちに全身を包み、関節のごく僅かな隙間をこじ開けて侵入を始める。


「うっ、ぐっ、くそっ」


なんとか駆動を再開させようとするも、回路が焼き切れていては魔力そのものが流れない。

手足は動かせず、ねぶるように這い進む水を押しとどめることもできない。

水はやがて操縦室の空間にまで浸透し、床を浸し始める。

このままでは、魔力炉が破壊される。中のエレメンタルを取り込まれてしまう。


歴代の石の魔女たちの積み上げてきたものが。

お師匠様から託されたものが。

失われてしまう。

私のせいで。


唇を噛み締め、視線を伏せる。

その肩は震えていた。

恐怖からではない。悔しさからだ。

いま、命の危機にある中で覚えたのは、それのみだった。




不意に、聞き慣れた音がした。


視線を足元の水たまりに向けると、その正体の一部が見えた。

泡である。大きな泡が、水たまりの底より湧き上がり、弾けてはまた湧く。

そしてガニツは気付いた。ゴーレムの駆動系は停止している。魔力は構造に供給されていない。

だというのに、操縦室内は暖かいのである。

まるで暖炉の前であるかのように、傍に湯でもあるかのように、熱が立ち込めているのだ。


それに気付いた直後、操縦室内に侵入した全ての水が一瞬の内に、一挙に蒸発した。


(まさか!)


手動で出入り口を開く。その出入り口が続いているのは、背面の足場だった。




足場の上で、クロスが水エレメンタルと対峙していた。

カンテラを左手で掲げ、そのカンテラに右手をかざしている。

火種は激しく燃え上がっており、水エレメンタルは全身をボコボコと沸騰させていた。


魔鳴法。

魔漏法が己の内にある魔力を外へ打ち出して行う魔法であれば、魔鳴法は魔力が互いに影響し合う性質を利用し、己の魔力と外部の魔力を共鳴させて行う魔法である。

クロスの魔力はカンテラの火種の魔力と共鳴し、カンテラの火種の魔力がエレメンタルの水に含まれる魔力へと共鳴するよう誘導しているのだ。

水は火種の性質に近づき、それそのものが熱を発する。そして自らを沸き立たせているのだ。


まるで悲鳴のような、断末魔のような金切り音が響く。

エレメンタルの呻きのようでもあるそれは、内部で蒸発した水の蒸気が、水の表面を破って吹き出す音であった。

それが二段魔鳴法、クロスの"カンテラの移り火"であった。

水は水の内部で蒸発し、木は内より弾け、岩は裂け目より炎を吹く。

雨は空中で乾き、風は巻き上げられ、水エレメンタルの魔力核は揺らぐ。


「ガニツさん! 無事ですか!?」


訊ねながらも、視線と集中は水エレメンタルへと向けられている。

両手は震え、額からは玉のような汗が流れ出ていた。


「ええ、無事よ。それよりも──」


クロスが視界の端に捉え、耳で聞き取った情報があった。

池の水が動き始めている。持ち上げられ、震えながら磁石に引かれるようにこちらへ向かっている。

そして池と滝の水の全てが、矢のように引き絞られ、そして放たれた時には、既に宙空で蒸発していた。


「懐かしいわね」


ガニツの右手がカンテラに触れていた。

もう片方の手には、燃え盛る炎そのものが握られていた。


「お師匠様に初めて教わったのも、火の魔法だった」


クロスよりも数段上手の"移り火"が、焼けぬ水を焼き尽くしていた。


「クロス!」

「はい!」

「防御はあたし! あんたは一気に奴を焼く!」

「はいっ!」


背中を合わせ、クロスがエレメンタルに相対し、ガニツが水の弾丸に相対した。

火の魔法は時間をかければかけるほど消耗が増していく。

瞬間的な熱に燃料は不要だが、継続した熱には燃料が必要になる。

そう何度も、そしてそう何時間も続けて行える魔法ではないのだ。


水のエレメンタルが更に激しく沸騰する。

池の水に加えて滝までが襲い掛かったが、全てガニツが完璧に防いでいた。

球形の水は縮まり、ゴーレムを支えて浮遊する力も失い落ち始める。

だが下には豊富な池の水がある。着水前に仕留められなければ、再び水をまとって復活してしまうだろう。


クロスは渾身の力を振り絞って己の魔力をかき回した。

荒れ狂う熱とその奔流に、心臓が早鐘を打つのがはっきりと感じられた。

だが間に合わない。魔力核まで届く前に、着水してしまいそうだ。


「ふんっ!」


ガニツが右手でカンテラに触れたまま、左手を下方へかざす。

その直後、池の水が凄まじい速度で気化し始めた。

一瞬の内に膨張した水蒸気は気流となって噴き上がり、エレメンタルとゴーレムを押し上げる。

沸騰している水エレメンタルの肉体に、この水蒸気を取り込むことはできない。


そうして遂に、稲光が露出した。

ばぢんっという先ほどの衝撃音に似た音と共に、閃光が瞬き、球形の水は完全に弾け飛んだ。

稲光の残滓は周囲に飛び散り、木々や岩を焼きながら、最後には放たれた鏑矢のように天空へ駆け上がり、消失したのだ。



ゴーレムが着水する。

その巨躯のおかげか水没はせず、うつ伏せで倒れているため足場が沈むこともなかった。


荒く息を吐きながら、ゴーレムの背中に倒れこむクロス。

カンテラの火は、もとのささやかな輝きを湛えていた。


「まだ終わりじゃないわよ」


そんなクロスの顔を見下ろしながら決然と言い放つ。

全く以ってその通りである。


「でも、ゴーレムが、こんなんじゃ」


ゴーレムは未だ再起動できていない。

というよりも、回路が焼き切れたのだ。修理しなければまともに動かないだろう。


「魔力炉と中枢術式は無事なはずよ。回路を継ぎ変えて文字玉から直接起動できればTigent砲を撃つぐらいは出来るわ」


手動の出入り口を再度開いて、上半身を突っ込む。

そしてゴソゴソと、作業を始めた。


「でも、それだと、撃った後、逃げられないんじゃ」

「そうね。跳んだり走ったりまでは無理でしょうね」

「え」

「これでよし、と」


上半身を出入り口から引き抜くと、その両手に魔力炉が抱えられていた。

ガニツが文字玉を起動しつつ、魔力炉の表面を撫でるように触れると、触れた部分の文字が紫色に光る。

それから、彼女は出入り口から操縦室の中に飛び降りた。


「体を起こすわよ」


ゴーレムの上半身の溝に再び青白い光が走る。

上半身が最低限起き上がり、姿勢を取る間に、クロスは再び足場の中に収まって柵を掴んでいた。

ここまで来たら、最後まで見届けよう。そんな漠然とした覚悟のようなものが既にあった。

もっとも、この"石の魔女"が何の勝算もなく自ら滅ぶようなことはすまい、という心算もあったが。


ゴーレムの前面が開口する。

台座が機能しないため、魔力炉はガニツの左手に保持されており、右手には文字玉が収まっていた。

軽く手の内で転がすように文字玉を操作すると、魔力炉の前面が開く。

出力調整や照射時間等の設定は水エレメンタルとの邂逅前に済ませておいたままであった。

承認術式も生きている。魔力炉に刻まれた紫色の光文字は、未だその輝きを失ってはいない。


「クロス」


準備を整えたその時、不意にその名を呼ばわった。

呼ばれた方は咄嗟に「はいっ」と応える。


「領主の援軍は南東から来る。合流して、ここに連れて来なさい」

「へっ?」


頓狂な声が終わるか終わらないかというところで、ガニツが左足で後部のレバーを蹴った。

その直後、クロスのいる足場の下の背面から、噴出機構のついた構造が伸び出して足場の下部に取り付けられた。

同時に足場の柵がゴーレム本体から離脱し、足場全体が後方へ傾く。


「本日最後の『掴まれ』よ」

「まさ──」


言い終えられることなく、足場下の構造が水を噴き出し、あっという間にクロスを足場ごと打ち上げた。

緊急離脱用の構造。普段は使用されない機能。

さきほど行った水流噴出構造への調整によって、実現された機能。

雨が降りしきり、周囲からいくらでも水が補給できる状況だからこそ、安全性が保たれる機能。

たったの数秒で、クロスはゴーレムとガニツから30mは引き離された。


そしてクロスは、遠目に爆発を見た。

それはやはり、火山の爆発のようであった。















お師匠様が亡くなった。

彼女はずっと不幸だった。

私との日々は、あの人にとって間違いなく最後の幸福だった。

しかしその幸福の最中にあっても、彼女の人生と魂は不幸に塗れていた。

私はそれを払拭できなかった。

私はお師匠様を救えなかった。


私は役立たずだ。


誰かを恨む資格なんてない。


統王に降伏した先先代の"屍の魔女"は、全ての魔女の命を守り、学びを得る女性の権利と矜持を守った。

3代目"石の魔女"は、お師匠様を助け、ゴーレムという生き甲斐と"石の魔女"という生きるための責任を与えた。

お師匠様は、私を救ってくれた。


一番なにも出来ていないのは私だ。


私は何者になれるだろうか。

お師匠様の遺産として、価値あるものにならなくてはならない。

私は、同じなのだ。

私は、ゴーレムなのだ。

共に遺され、共に受け継ぐものなのだ。


そして、私は"石の魔女"になった。








不意に差した光で、ガニツは眠りから目覚めた。

簡素な甲冑を着た数名の歩兵が、彼女を見下ろしていた。


「おお〜いい! いたぞお! 生きてるぞお!」


兵士の一人が明後日の方を向いて手を振る。

どやどやと遠くから喧騒が接近し、そして新たに、ガニツを見下ろす顔が一つ増えた。


「いやあ、生きてると思ってましたよ」


笑みを湛えたクロスであった。


「当たり、前でしょ。それより、さっさと助けなさいよ〜」


力なく笑いながら絞り出す。


「そうですね。それじゃ、お願いします」

「はいよ」


クロスの顔がどけられると、兵士達の手が装甲の裂け目から差し入れられた。


ゴーレムは、Tigent砲によって大量の土砂と共に吹き飛ばされていた。

撃つ直前に、出力を上げたために、自分ごと吹き飛ばしたのである。

ゴーレムによる手作業で池を広げる計画が、回路不全によって破綻したせいであった。

しかし結果的に、土砂と共に吹き飛ばされたおかげで水没はせずに済んだのだ。


兵士の一人が操縦室に体を押し込み、ガニツを引き起こす。

彼女を抱え上げ、他の兵士たちに引き渡し、下から押し上げる。

ゴーレムの外に引き上げられたガニツは数m運ばれ、簡素な敷き藁の上に寝かされた。


横を見ると、ゴーレムの残骸が目に入った。

胸部は溪谷のように大きく裂け、右手指は数本失われ、左腕の関節は破損。

右足からは装甲を突き破って発条が飛び出ており、背面は大きく凹んでいた。

左足は完全に捻じ折れて吹き飛んでいたのを、兵士たちが見つけて本体の近くまで運んで来てくれたものである。

無事なのは、今はゴーレムの傍に置かれた魔力炉ぐらいなものだった。


「酷い有様ね」

「ええ。でも、あなたを守りました」


横に付き添うクロスが独り言に応える。


「守られてばかりね」


手の甲を額に乗せ、ため息をつく。

既に嵐は去り、太陽は眩しいばかりに輝いていた。

木の葉の隙間から差し込んで来る陽光と青空の色が、余計に彼女の気を解していた。


「そんなことはありませんよ」


クロスの言葉に応えたかのようなタイミングで、兵士の一人が「失礼する」との言葉と共に歩み寄って来た。

他の兵士に比べて頑健な体つきと豪奢な鎧に、アガニクジラのヒゲを束ねた兜飾り。

一見して、この救援隊の指揮官であると察せられた。


「私は救援隊臨時隊長のアルネ・コギ・ドゥールン」


兜を取り、脇に抱えながら名を名乗る。

顔つきは厳つく、いかにも武人気質の男といった体であったが、表情には敬意が感じられた。


「当代"石の魔女"殿とお見受けするが如何に」

「どう見てもそうでしょ」

「失礼した。まずは此度の尽力に、コギ地方領民、領主に代わって御礼申し上げる。まことにかたじけない」


格式張った口調と仰々しい態度であったが、演技や建前であるようには感じられなかった。


「嵐の被害はどう?」


故に、ガニツは率直に訊ねた。

気が緩んでいたのもあっただろう。


「谷の親指が一部氾濫したが生活圏や採鉱範囲に影響は出ていない。コギの舌は窪地より西へ分岐し、ザイル川へと合流した。増水が収まり次第、堰を設けて緊急時の開放用水路として活用する手筈となろう。土砂崩れで埋まった川の修復には今暫く時間がかかろう」

「そう、よかった。まったく、本当に大したもんね、あんたらは」


言葉は皮肉めいていたが、口調にその様子はなかった。

これが彼女なりの、率直さなのだろう。


「貴殿にはこれを渡しに参った。コギの村民の一人から預かったものだ」


隊長が懐から一枚の紙切れを差し出す。

クロスがそれを受け取ると、納得したように頷いてガニツに見せた。

それは、あのボーグル人に預けた魔女名の命名紙であった。


「魔女協会から疑惑を持たれぬように預けたと聞き及んでいる。その配慮には領主に代わり謝意を述べさせていただきたい」


クロスから命名紙を受け取り、日にかざすかのように掲げる。

そこに書かれているのは歴代の"石の魔女"の名前。

1代目"石の魔女"コルーネル・クロングローズ

2代目"石の魔女"ヤッカニ・ナル=ダク

3代目"石の魔女"ディリツキオネス

4代目"石の魔女"パーネラント

5代目"石の魔女"ガニツ・グ・スゥレイ

自分で書いた自分の名を見て、ふっと微笑む。

彼女はクロスに支えられながら、軋む上体を起こした。

そして装着式片眼鏡に繋いでいた魔女帽を外し、命名紙を元通りの位置に貼り付ける。


「"石の魔女"殿、今後は如何する心積もりか? 治療が済むまで領館に滞在いただくようお勧めしろ、と当方は言付かってはいるが」

「家に帰るわ、ゴーレムを修理したいの」


魔女帽を被り直す。

今度は、少しだけ深めに。


「承知した。医師は貴殿の住居に派遣されるよう手配しておこう。修理機材等の確保についても、助力は惜しまない」

「医者はありがたく受け取っておくけど、修理の助けは必要ないわ。魔女の仕事に深入りすると痛い目見るわよ」


クロスを横目でちらりと見やるガニツ。

その視線に、当人は気付かないふりをした。


「心遣い痛み入る。それでは当方はこれにて」


隊長が兜を被り直す。頭飾りがゆらりと揺れた。


「最後に、重ねて此度の尽力に謝意を述べると共に、私的な敬意を表させていただく。では、御免」


そして、一礼をして去っていった。

ガニツはなんとはなしに、その背中を自然と見送っていた。


「クロス」


やにわに、話の水を向ける。

当人が短く「はい」と応えると、視線をクロスの顔へと移した。


「言葉を翻すつもりはないわ。あんたは去りなさい。次の場所へ向かいなさい」

「はい」


クロスの心情が曇ることはなかった。

彼女の表情が曇ってはいなかったからである。


「でも、あんたも中々やるもんね」

「あ、いえ、あれはたまたまで、私が使える火の魔法なんてあれぐらいなものですから」

「そうじゃなくて、酷い目に遭ったのにここまで付き合うなんて、大した根性してるじゃない。魂が無いと図太く育つもんなのかしら?」


片眼鏡の奥で微かな笑みが躍る。

悪戯っぽく視線はそらしていたが、これもまた彼女なりの率直さなのだろう。


「やっぱり、役目がありますからね」

「役目、ね」


完全に視線を逸らし、前方を向く。

作業のためにせわしなく行き交う兵士たちをぼうっと眺めながら、時が過ぎるに任せた。


「やっぱり、学会には出ないですか?」


クロスの問いかけに、「んー」と軽く唸って考える素ぶりを見せる。

だが、答えを伝えるまでには10秒もかからなかった。


「いや、出るわ。ゴーレムの回路が焼き切れた原因が気になる。魔女が会する場所で、情報を集めたい」


そう伝えた彼女を見やるクロスの表情には、安堵のようなものが浮かんでいた。


「良かったです。"屍の魔女"も喜びます」


ガニツの表情が微かに曇った。


「屍の、ねえ。あいつどーも苦手なのよねえ、見てるとイラつくのよ、デカい乳見せびらかしくさりよってからに……」

「え、えぇっ? アッサルートのことですよね?」

「他に誰がいんのよ」

「いや、あの、てっきり魔女協会会長だから嫌ってるのかなって思ってたんですが」

「はぁぁ? あんたあたしのことなんだと思ってるのよ。んなくだらない理由で恨んだりするわけないでしょーが。確かに魔女協会っていう組織は嫌いだけどね、お師匠様を追放した"屍の魔女"は先先代であって、あいつじゃないでしょ」


言われてみれば、確かにガニツは長身の痩躯で、男子かと見紛うばかりに胸は平坦であった。

アッサルートの若々しくも豊満な体つきとは全く異なる。

その違いが、苦手意識に繋がっていたのだろう。もしくは単純な嫉妬心からか。

で、あれば、それは過去の遺恨をくだらないと断じる程度には崇高なのであろうか?

クロスは可笑しくなって、つい、ふっと頬を緩めた。


「何笑ってんのよ」

「あ、いえ、安心したんですよ、どうやら本当に学会には出ていただけるようで」

「だからそう言ったじゃないの」

「ふふっ、でもガニツさん、学会に出るなら、何か報告できる研究成果が必要ですよ」

「そうねえ」


空を見上げ、暫しの瞑目に耽る。

去来するのは、師の姿、己の姿、そして隣で微笑んだ馬鹿面に、去りゆく隊長の背中。




お師匠様を完璧に残したい。

あの日々と幸福を嘘にしたくない。

自分の過ちを忘れたくない。

偽らざる本心。


だけど、お師匠様は私を"石の魔女"にした。

ならば魔女として、相応しくなりたい。

私にも役目があるのだから。




「ゴーレムに、新しい形態機能の術式を書こうかしら。災害救助用の機能なんてどう?」


自然と、クロスの意見を求めていた。


「いいじゃないですか。それで労働機能や戦闘機能を何度も切り替えたり、複雑な操作をしなくても災害救助ができそうですね。一つの術式系統に統合して扱えば、家事機能みたいに単純な口頭指令だけで動かせるんじゃないですか?」

「思いの外呑み込みがいいじゃないの。戦闘機能は平時には使い道が無いし、一部の術式は災害救助系統に組み入れちゃっていいかもね」

「でも、学会まであと10ヶ月程度しかないですよ。間に合うんですか?」


それは魔女協会の使者としては、至極当然の疑問だった。

だが、ガニツは待ってましたと言わんばかりの不敵な笑みを浴びせかける。


「私を誰だと思ってるの?」


そして、上半身を起こすのもやっとという体でありながら、自信満々に、そして威丈高に言い放ってみせた。


「私は"石の魔女"。石の魔女ガニツ・グ・スゥレイよ」


その姿は、まさしく魔女であった。

意地と矜持を以って、理に立ち向かう。

決意と狂気の、学び手そのものであった。




クロスがコギ谷を後にしたのは、結局夕方まで引き留められ、ゴーレム運びを手伝わされてからであった。




『こんばんはクロス。

 さっき物凄く久しぶりに"石の魔女"から連絡があったわ。今回はお手柄だったそうね、あなたは私の自慢の弟子よ。

 でも一体なにがあったの? 一行だけだったけど彼女あなたのこと褒めてたわよ? 明日の昼までには詳しく教えてほしいわね。

 それじゃ、お役目の方は引き続き頼んだわよ。しっかりね。おやすみなさ〜い』

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