胞の魔女1
『師匠、"胞の魔女"についてなんですけど』
『なにかしら?』
『ちょっと資料のさわりだけは見てたんですけど、代の表記が無かったんですよね。今は何代目なんですか?』
『初代よ』
『魔界出身なんですか? 魔女王国時代の初期からいるみたいですけど』
『確か今年で312歳だったかしらね。間違いなく最古参の魔女よ』
『どういう方なんですか?』
『少女のようでも老婆のようでもあるけれど、いい人よ。公正で理知的で、生き物を慈しむ優しさがあるわ。専門分野も小生物の生態と生理学ね』
『文化的には何人なんでしょうか? 民族は?』
『強いて言えば"人間"ね』
「え?」
クロスは思わず、酒場で素っ頓狂な声をあげた。シチューを口に運ぶ手も止まる。
声は喧騒に埋もれ掻き消えたものの、僅かに給仕の注目を得た。
『その"人間"ていうのは、広義の意味ですか? 統王に民族認定された種族全般ていう意味の』
『まあそうとも言えるかな。民族認定はされていないけれどね』
『どういうことなんです』
『説明するより、本人に会うのが一番ね』
鼻でため息をつき、スプーンを置く。
結局は、自分で探るしかないということだ。
器を持ち上げ、残ったシチューをまとめて飲み干すと、お代の紙幣を置いて立ち上がる。
そして、たまたま通りがかった給仕を呼び止めた。
「あの、すみません、私魔女協会の者ですが」
魔女協会。給仕はその言葉にギョッとして、店の一角に視線をやった。
気にかかったクロスも同じ方向を見やると、そこでは四人の若い男が卓を囲んでいた。
身なりは周囲の労務者、または農務者然とした人々よりも小ぎれいで整って見え、無精髭も無い。
見た所地主や豪農の小倅の一団といった風情であった。
彼らは笑いながら互いに酒を酌み交わしており、こちらに注意を払っている様子はない。
「彼らが何か?」
だが、給仕の様子が些か不審であったので、クロスは念のため声を低く抑えた。
「いえ、大したことではありませんとも。御用向きは? シチューのおかわりで? それとも、ここナッグ地方特産のルーライワインでもお注ぎしましょうか? 去年は当たりの年でねぇ」
給仕は、明らかに笑顔を作ってそれに応えた。
はぐらかそうとする意図は明白だったが、クロスは敢えて気付かないフリをした。
「"胞の魔女"はどちらに?」
給仕は笑顔を崩さなかった。
ただ、あははと愛想笑いをしながら受け流すように、無視するように踵を返し、店の裏手へと引っ込んで行った。
当然、その後を追う。
「一体どうしたんですか?」
店の裏手で給仕に詰め寄る。
そこで給仕は笑顔を崩した。
困惑するような、もしくは懇願するような、悲痛な面持ちを覗かせた。
「揉め事は困るんです。彼らはここの有力者たちの子で、気性も荒いんですよ」
弱々しい声と口調。手は不安げに、頭巾を握りしめていた。
クロスはますます訝しむ他なかった。
「揉め事? どういうことです? どうして揉め事が起きるなんていう話になるんですか?」
「彼らは"胞の魔女"様を嫌っているんですよ。追い出しちまえとか何とか、公言して憚らないんです」
「追い出すって、何か事件でもあったんですか?」
「何もありゃしません。大方、気味が悪いからでしょうよ。自分たちの農地を毎日見回られてちゃ、そう思うのも無理はないですけどね」
「"胞の魔女"はナッグ・ローグの農地を毎日見回ってるんですか? 全部の?」
「ええ、そうです」
「じゃあ今は見回りの最中ですね」
「いや、もう終わって住処にいると思います」
ナッグは、ルーライの卵と呼ばれる果実の大農作地である。
現界、魔界を問わず、流通するルーライワインの20%はナッグ産であり、果実とワインのもたらす恩恵はそこかしこに御殿や広大な農作地を林立させた。
そのような、広大な農地の全てをたった一人で、一日で見回るなど不可能である。
ましてや、その仕事を太陽の高いうちに終えることなど。
「どこですか?」
クロスもその結論に至りはしたが、ここで詰めても詮無いこと。
"胞の魔女"の住処、とやらを訊ねるのみにとどめた。
「北の、小角水源のほとりです。魔女様が住むようになってから、木のエレメンタルがしばしばうろつくようになって、土地の者は誰も近付かなくなってしまいました」
「ご忠告、として受け取っておきます」
給仕の目には怯えと不安があった。
それを気の毒と思ったか、無意味と断じたか、クロスは皮肉もそこそこに彼を解放し中に戻るよう促す。
そして自らは、踵を返して足早に北へと向かった。
あの給仕の口ぶりだと、この土地では魔女の関係者はあまり歓迎されないだろう。
急ぐが万事のため、との判断は妥当なものであった。
「そうだ、一応報告はしておこうかな」
歩きながら相互紙とペンを取り出し、さっと簡単に『ナッグ・ローグ民心に不穏あり』と綴る。
文字は羊皮紙に吸い取られ、跡形もなく消え去ったかと思うと、代わりにとばかりに新たな文章として浮き上がった。
だが、その筆致は想定されたものとは異なっていた。
『クロスか? エルガンだ』
師の流麗かつ柔軟な筆跡とは異なり、角ばった筆圧の強い字。
『ご主人はさきほど、急用で外出なされた。二日は戻られんだろう』
文字の主は、エルガン・ナッカラン。カシッド・イル語で「黒羽落とし」の意を持つ名の男だ。
当代"屍の魔女"アッサルートが修行時代に初めて見出した、自律死人。
アッサルートが起こした屍術の革命の原理となった死者であり、彼女の永遠の従者。
おがくずの詰め物と重鎧で全身を包んだ、2mの巨躯を誇る、魂を持ったスケルトンである。
五尺を超す双剣を自在に操る武人であり、シリネディーク城で人生を過ごしたクロスの友でもある。
『不穏、というのは具体的にはどのような状況だ?』
つまりは、死人でありながら、信頼の置ける相手でもあるのだ。
『地元の人間、特に有力者の若衆が"胞の魔女"を追い出したがってるみたいです。行動にはまだ移ってないみたいですけど、私の存在が彼らを刺激してしまうかもしれないですね』
『"胞の魔女"には会ったか?』
『いま向かってる所です』
『では、取り敢えずは今の任務に専心してくれ。ただ、一つ追加で伝言を頼まれてほしい』
『わかりました』
『"薔薇は木口で咲く。飛蝗に備えあり" 確かに伝えてくれ』
伝言に対し了承の意を書き送りながらも、不穏なものを感じ取る。
暗号のような伝言であったが、このような暗号は聞いたことがなかったからだ。
エルガンは死人の上に男の身ではあったが、アッサルートから特別に会長代理としての権限を授けられている。
この暗号も、魔女協会という組織としての判断に基づく、意味のあるものなのだろう。
『ところでクロス』
歩みの速度を緩めつつ思案していた所に、走り書きのような文字が現れた。
筆跡は同一人物のものであることを示している。
『ガニツとは寝たのか?』
歩みが止まる。
肩が凍る。
だが数瞬後には、深いため息と共に氷解した。
改めてペン先をインクに浸し、返事を一息に書き上げる。
『切り上げますよ』
『待て、俺が悪かった。だが理解してくれ。あのガニツがご主人に久方ぶりに連絡を直接寄越したと思ったら、なんとその中でお前のことを褒めてるじゃないか。これはもうナニかあったと思うだろう』
『起きたことは全部お師匠様に伝えましたよ』
『伝えてないことがあるだろ。お前ももう年頃だし、今はちゃんと魂だってある。俺も憶えがあるぞ、恥ずかしいことじゃない。なんでも相談してくれ』
『エルガンさん生前の記憶無いじゃないですか』
『魂が憶えてなくとも恥骨が憶えてる。そういうもんだ。それでどうなんだ、やったのか?』
『やってませんよ!』
『無念』
エルガンの武勇は三角連衡の乱で初めて知れ渡った。
魔界と現界を統一した統王が行なった共通語の制定と普及、硬貨を廃止した食兌換制等の経済改革、統王諸法による法整備や急進的な流通整備、これらに反発する領主や商人が三地点に集合し蜂起した反乱。それが三角連衡の乱であり、その一つの鎮圧には、魔女協会と『死人の軍勢』があたっていた。
当時のアッサルートは"屍の魔女"の弟子として参戦しており、エルガンは蘇ってから一月も経っていなかった。
故に多くの武者や兵が、無謀か果敢か、彼に挑みかかっていったのである。
その全てを、双剣は叩き、裂き、放り、砕き、突き抉り、そして撹拌した。
巻き上がる血しぶきは戦場のどの場所からも見られ、跳ね飛んだ首が20m先の敵兵に直撃して絶命至らしめるほどであったという。
やがて敵兵は遠巻きにエルガンとアッサルートを包囲するのみとなり、そこには台風の目のような空白地帯がぽっかりと空いた。
その時に、彼は大音声で名乗りを上げたのである。
敵兵は竦み上がり、恐怖のあまり嗚咽や小水を漏らすものまであった。
この活躍が均衡を破り、魔女勢を奮い起たせ、乱兵に膝を折らせたのだ。
その威名は今や戦場のみならず、天下に轟いている。
『お前も役に立つものがある内に経験しておいたほうがいいぞ』
そのような武人が、今は書面で下世話な会話に終始しているのだ。
呆れを隠す気も失せようというものである。
『余計なお世話ですよ。薪でも割っててください』
『いや、すまん。調子に乗りすぎたな。俺の知りたいことはもう知った。あとは心置きなく、お前が知りたいことを知り尽くしてくれ』
『言われずとも』
『そう機嫌を損ねるな。ではな、伝言はくれぐれも正確に頼むぞ』
会話が切り上がったと見え、相互紙とペンをしまう。
「参ったな……」
そして、途方に暮れたように呟いた。
あと二日間、師ではなくエルガンとやり取りしなくてはならないのだ。
農地から外れた林間地、北の崖近くに、それはあった。
大木の根の隙間から湧く水が注ぐ池。中央から突き出た尖石の様相から、小角水源と呼ばれる池。
その池と木漏れ日の間で、大木に寄り添うように建つ慎ましい小屋。
苔むした壁と屋根からは蔓植物が頭髪のように垂れ下がり、椿色の花で壁を彩る。
捩じくれ、変色した壁の材木は、村で見たどの建物のそれよりも古めかしかった。
隙間には粘土が詰められ、壁の丸窓は、壁そのものがあまりにも捻れているので完全に天を向いている。
だが、七つもの関節を持って曲がりくねった煙突からは、微かに煙が上がっていた。
「どう見ても、ここだなあ」
その様子を見て確信する。ここが"胞の魔女"の邸宅だ、と。
植物とキノコに囲まれて大木に寄り添う雑多な塊は、邸宅というより巣と表現したほうが正確であるかもしれないが。
何はともあれ、ドアを強めにノックする。
それだけでドアの木材がへし砕けそうな軋みを上げた。
「すいません、魔女協会の者です」
続いて呼びかける。
煙突の煙から、中に誰かがいるのは間違いないだろうと察せられる。
返答はなく、クロスは十数秒ほどをドアの前で過ごした。
が、その時間が過ぎ去ると、ドアの隙間から鍵を開ける音がした。
それを以って入室の許可と受け取り、ゆっくりとドアを開く。
小屋の内部は、外部の雑然とした様子とは打って変わって静まり返っていた。
床は張られておらず土と草が剥き出しで、明かりらしい明かりは窓からの陽光と右手の壁際に据えられた暖炉の火だけ。
棚や竃といった家具は一切無く、あるのは暖炉周辺の壁にかけられた鍛治道具と金床。
そして奥の壁から生えている机と椅子が一つずつと、地面の一角に埋め込まれている、マンホールの蓋のような鉄板。
クロスは思わずカンテラを取り出し、火を点けて掲げた。
暖炉の火は微かで、窓から入ってくるのも木漏れ日程度。
目を凝らすには、光が足りなかったのである。
やがてクロスは、揺らめくカンテラの火が照らし出す、一つの黒い人影を見た。
それは椅子に座っており、全身を黒衣と黒いとんがり帽子で覆っていた。
ざわざわ、と無数の葉が風に揺られ擦れ合うような音が響いた。
鉄細工が軋むような音を響かせながら、人影が動く。
それは、頭部を微かにクロスの方へ向けたような気がした。
『クロス・フォーリーズ、さん、ですね?』
人影はゆっくりと立ち上がる。
長裾のローブ、黒の革手袋、常より2倍は広い鍔のとんがり帽子。
それは人というよりも人の形をした布のようであった。
鍔で遮られた顔ばかりか、全身の肌という肌が覆い隠されていた。
カンテラを掲げる手が思わず宙空で静止する。
『はじめまして。わたし、わたしは初代"胞の魔女"、です。クルギャ、と申します』
間違いなく女性の声である。
だがその全ての音に、奇妙な雑音のようなものが混ざっていた。
擦り合わせるような、金属細工を振るような、唇を震わせるような、奇妙かつ数多の雑音であった。
もしくは、無数のものが蠢くような。
『よろし、よろしく、おねがいします』
軋み音を立てながら、立ち上がった人影が一歩を踏み出す。
その時、がしゃん、と、聞き慣れた音がした。
重鎧を着たエルガンが歩く音と、殆ど同じものだった。
「あ、あなた、一体」
思わず後ずさる。
目の前の人影の様は、明らかに異様であった。
『あ、これ、これです、か。さっき、帰って、すこし、すこすこし、休んでて。そうさが、ややや乱れれてて、るだけです』
ゆっくりと、自身の震える両手を覗き込むそぶりを取る。
その間も、全ての音は鳴り止んではいなかった。
「そうさ……?」
聞き返すというより、独り言のような言葉であった。
人影が立てる雑音の中で、ぶぅん、と唇を震わせるような音が一際大きく立った。
『あれれ? 聞いて、なかったですかか?』
問いかけに対し、無言を答えとする。
ふぅ、という短いため息をつくような音が、金属の軋みと共に起こった。
『どうり、で、ね』
そして人影は、真正面からクロスに向き直ると、ゆっくりと関節を軋ませながら魔女帽を取った。
クロスは一瞬で上半身が固まるほどの息を呑んだ。
『あらため、ましまして、よろしく。わたし、は、"胞の魔女"』
帽子の奥から露わになったのは、大雑把に人間の頭部の形をした鉄檻。
そしてその中を埋め尽くす、無数の虫たちであった。
常に蠢き、這い回り、あるものは羽を震わせ、あるものは顎を打ち鳴らし、あるものは体を擦り合わせる、種々の虫たちであった。
『名は、クルギャ。カシッド・イルで、"群れ"の意味』
それはまさしく、真正面の表現として、人の形に押し込んだ虫の塊であった。
『私は、魔導生物、です』




