兵の魔女11
街道をゆく二頭の馬の馬具が曳くのは、黒塗りの馬車。
豪奢ではないが堅牢で、その威容は馬車というよりも棺桶に近かった。
と言っても実際には人が乗るための馬車である。
内部には二つの人間が乗っていた。
二つ、というのはつまり一つは生きている人間ではないからだ。
痩せこけた男の死体が座ったままうなだれている。
馬車の揺れに任せるままに手足は遊び、両目は光を失ったままそれぞれが異なる方を向いていた。
頭骨には巨大な穴が空き、脳があるべき空洞には、藁が敷き詰められているだけだった。
その向かいに足を組んで座り、羊皮紙を開いている、こちらは生きている女性だった。
黒い大きなとんがり帽子に、艶やかな黒いドレス。
そして、そのどちらよりも黒い、ゆるく波打った長髪。
ドレスと帽子に刺繍された二つの紋章は、彼女こそがこの世で唯一無二の存在であると知らしめていた。
彼女はストイル・カグズ・アッサルート。
現魔女協会会長にして9代目"屍の魔女"、シリネディーク城主、『死人の軍勢』総帥、髑髏の手、屍術の革命者、そしてなによりもクロスの師匠である。
彼女は何枚もの羊皮紙を、大判の本のように一つにまとめて綴じていた。
その一枚一枚全てが相互紙であり、すべての紙の右下には各魔女の紋章が刻印されていた。
今開いているページの右下にあるのは縫い合わせた石を取り囲む、金貨、裁縫針、弓矢、巻物、差し伸べられた右手が描かれた紋章。
"石の魔女"ガニツ・グ・スゥレイの紋章であった。
『で、"薔薇"が動いてるみたいだけど、今度は一体何やらしてるわけ? またぞろガロウの巣でも突っついてんじゃないでしょうね』
"薔薇"とは"兵の魔女"のことである。
『反統王分子の捜査だけど、どうして?』
『四時間前に、アホ二人があたしん家に忍び込んだのよ。どうもTigent砲の術式と魔力炉を盗もうとしたみたいね』
『大丈夫?』
『魔力炉の防衛機能が作動して二人とも壁の染みになったけど、おかげで居間が散らかっちゃったわ! 片割れがヤク中ぽかったから魔道士会の連中じゃないとは思うけどね』
ガニツが居を構えるコギ谷周辺の魔道士会支部は薬物中毒者を雇わない。
かつてタルギンの支部を担当していた支部長が麻薬にはまったせいでザイル平原の飢饉への対応が遅れ、餓死者が続出したことで地元の国衆が離反し独立を許してしまった歴史がある。
コギとザイル、タルギンはその反省がまだ活きている土地であり、魔道士たちは統王による麻薬の締め出しにも協力的だった。
『それで、しばらくは魔女協会領に戻ると思うわ。こんなん続いちゃ術式書くどころじゃないし。だからさっさと解決しなさいよね』
『それは構わないけれど、家はどうするの?』
『家ぐらいゴーレムに担がせるわよ』
はて、"石の魔女"の家は巨大な岩じゃなかったかしら?
そう疑問が浮かびはしたが、本人が解決できると言っているならば信用してやることにした。
『じゃ、そーゆーことだから。あんたの弟子によろしく』
『着いたらまた連絡を頼むわね。私その時城にいるとは限らないから』
『へーへー』
余分なインクを少し絞り出し、それから本を閉じる。
ガニツが魔女協会に対して反抗的なのは知っていたが、それでもどうやら最善の判断を下す胆力に陰りはないようだ。
少しだけ安堵の気持ちを抱きながら本を荷物にしまっていると、窓をコンコンと小さく叩く音が聞こえた。
馬車の側面からわずかに突き出した手すりに、一羽のカラスがとまっているのだ。
固いクチバシで、ドアをノックするように窓を叩いたのである。
躊躇もなく、片手で窓を開くと、カラスがすぐさま馬車の中に飛び入った。
そして死体の頭を掴むと、頭骨に空いた大穴に潜り込んだのだ。
敷き藁に腰を下ろし、あたかも自分の巣であるかのように落ち着いたのである。
その直後、死体の体がびくりと痙攣するように跳ねた。
ただ眼孔にはまっていただけの目玉の向きが揃い、焦点を取り戻す。
そして、肺の奥から低く、小さなうめき声を吐き出しながらゆっくりと顔を上げた。
下顎と舌がだらしなく垂れ下がっていたが、少なくとも顎は小さな快音と共に元の位置を取り戻した。
確かめるように下顎を回して顎関節を鳴らす様には、明確な意思が感じられた。
「おかえりなさいナーチャー、首尾はどう?」
窓を閉じ、荷物から木簡を引っ張り出しながらたずねると、死体の肺からは更なる音が絞り出された。
『エンリッケ・ヘインネスクより返書です』
アッサルートの生み出した屍術。
魂の内部に魔力を込め直し、修復して肉体へ戻す。
死人に自我と独自の魔力を与え、自らの意思で制御と運用をさせ、自分はその自由意志と交渉し互いに納得づくの契約を交わすことで配下とする。
この構造そのものは生者のそれとほぼ変わらず、肉体の代謝等の機能も正常に作動させるため、死人にできることは大幅に広がった。
何せ死人同士、または死人と生者の間で子すら設けられるのだ。
その業の応用は、当の開発者である彼女自身にも計り知れぬほどであり、この技術の発見はかえって魂と魔力が秘める謎をより一層深めた。
この死人、ナーチャー・ホルーランドは新たに見出された可能性の一つの結実だった。
魔力さえあれば肉体は維持可能であり、脳は魂がもたらす随意行動を肉体へ反映させる道具でしかない。
そのため、彼は脳機能を一羽のカラスと共有しており、このカラスの脳を通して自分の肉体に指令を送れるのだ。
彼はカラスと一心同体。カラスは彼の魂に感化され、彼の指令通りに動き、自らの脳中にある情報全てを彼の魂に送り込むことができるのだ。
『首謀者はアンガンドゥッツ・ベスラム・ベルゼット男爵、解放魔導の会理事ピッタ・ノーグルーン、スロヴ共同体代表ガル・ヴ・ヴィツ、カーギ・カリン源司教モタグ・バンバトーチ・レインダーマン、商人トゥッピ・ノックタック、"流木団"団長雲丹髭ことバウゼモク、クランツ・フェルマー・ルネイの7名』
フェルマー・ルネイ。その響きにアッサルートの眉がぴくりと反応した。
だが、努めて冷静に、ナーチャーの報告を木簡に書き留めた。
「よろしい。名前が分かったのは、かなりの前進ね。内情についてはどうかしら?」
『ガル・ヴ・ヴィツが反感を示し、首魁に脅迫を受け、折れたようです。バウゼモクは新参で、思想上は相容れないように見えたとか』
「首魁? 盟主がいるの?」
『クランツ、という男が場を主導し、掌握していたと言っていました』
「ヘインネスク家の状況は?」
『タルギンとコギ谷へ送る工作員の仲介を協力させられたとか。詳細な隠れ家の所在までは不明ですが、コギ谷には二人、タルギンには六人既に送ったそうです』
「ガニツの家に忍び込んだのはそいつらね。タルギンの太守殿にも警告しておかないと」
一旦木簡を置き、書状用の羊皮紙を取り出しかけたところで「あ、そうか」と思い至った。
そして再び相互紙の本を取り出し、"鉄の魔女"のページに素早くペンを走らせ始めた。
「続けてちょうだい」
『連中はかつて統王と共に戦った友人らや、三角連衡に加わったり同調しながら処罰を免れた者らに調略を仕掛けているとか。ハイレンドとマディス・ホールのギャング一掃も裏で糸を引いていたそうです』
「クランツとかいう男の素性はわからないの?」
『一切不明です。ルネイ国人衆の関係者だろうという予想は、ヘインネスク側も察しがついている模様ですが』
「やっぱり」と呟きながら本を閉じる。
そして、あっという間に全ての内容を木簡に書き写すと、ペン先でナーチャーを指し示した。
「着いたら、"兵の魔女"と連絡を取るわよ」
斬撃をすべるようにくぐりながら脇の下の動脈を両断、更に返す刀で腕を斬り飛ばす。八人目。
棚を蹴り飛ばして壁で挟み潰し、その上からもう一度飛び蹴りを見舞い、壁を破って押し倒された棚と床で入念に潰す。九人目。
天井のドアから飛び降りつつ振るわれた棍棒に左手の剣を添え、逸らしながらも、右手の剣を正確に目の下から突き入れ脳を貫く。十人目。
そのまま剣を振るい、十人目の体を投げつけて態勢を崩したところに、短剣を二本投擲。正確に喉と動脈を裂く。十一人目。
横列を組んで襲いかかる三人の頭上を飛び越え、通り抜けざまに引っ掛けるように両脇の二人の顔を、顎下から脳下部にかけて切り開く。十二人目と十三人目。
着地と同時に竜巻のように回転し、振り向きつつあった残りの一人よりも素早く首を二度切り裂いて落とす。十四人目。
建物から建物へと、内部を走り抜けながらアイランは次々に襲い来る敵を津波のように蹂躙しながら進んでいた。
どの相手とも二合と切り結ぶことはなく、速やかに、それでいて確実に、残虐に殺す。
しかも、その間も足は一瞬たりとも止まっていないのだ。
時に身を低くし、かわすように体を回転させ、飛び跳ねながら、いささかも速度は衰えていなかった。
それは、その後ろをただ走って追随しているだけのクロス以上の速度であり、しばしば二人の間には賊が割り込むこともあった。
だが、その度に、アイランが刃を差し向けてくれた。
短剣や物を投げつけ、蹴り飛ばし、一瞬だけ振り向いて剣を振るってくれた。
クロスもカンテラの炎で敵を牽制したり、建物に火をつけて追撃を遅らせたりしていたが、前方を切り開くのはアイランにしかできなかった。
入身になって上段斬りに背を擦らせながら右手の剣を口に突き込み、手首を返して脳幹をえぐる。二十一人目。
椅子を蹴り上げて盾の防御を一瞬上げさせ、足の甲に刃を突き立てる。悶える敵の横をすり抜けながらくるりと舞うように回転したならば、頭と胴を半ばまで切り裂かれた死体が転がる。二十二人目。
危機的な状況にも関わらず、クロスは魅了されていた。
目の前で展開される凄惨な殺戮を生み出す、力と技の数々。
判断が、体捌きが、攻撃が、防御が、運指が、重心移動が、全てが一毫の乱れも一瞬の停滞も無く滑らかに運ぶ。
全ての動きが完璧に繋がり、いつ殺し始めたのかいつ殺し終えたのかもわからないほどの流麗ぶりは、舞踊のようにすら見えた。
それをクロスは美しいと感じたのだ。走れば走るほど、殺せば殺すほどに冴えを増していく殺人技に、一片のおぞましさも感じていなかった。
あまりにも速すぎて全てを目で追うことは不可能だったが、それがむしろ精緻なる技の神秘性を倍増させた。
右から突進する敵を飛び越えながら肩口に突き入れ、肺と気管を切断したらば、男は馬車の事故のように倒れながら床に頭から突っ込んだ。二十三人目。
放たれたボウガンの矢を、左右の剣先で挟んで掴み、くるりと返して弾き飛ばせば、射手の眉間に小さな柱が立つ。二十四人目。
"兵の魔女"が用いる業物は魔女王国の死人に鍛えられた、銘無しの逸品。
現在に伝えられているのは15代目の"兵の魔女"の時代に作られたものである。
正面から攻撃を受け止める盾としては向かないが、何人斬ろうともへこたれない強靭さがあり、容易く骨を断つ切れ味があった。
先端に向けて細く、鋭くなってゆく暗殺用の得物であるが、一度"兵の魔女"が握れば一軍を相手に戦える武器となる。
だが、それに頼りきることもなく、次から次へと敵をなぎ倒す。
斬り殺し、殴り殺し、蹴り殺し、潰し殺し、握り殺し、嚙み殺し、千切り殺し、抉り殺し、刺し殺し、血と肉で縁取られた道を舗装する。
入り組んだ建物迷宮を迷いなく突き進みながら、あらゆる方向からの攻撃を一瞬で対処する。
その数がいよいよ四十人目に届くかというところで、異変が起きた。
迷宮から路地に出る最後のドアが壁ごと弾け飛んだのだ。
砲弾のように飛び散る破片の力強さは、人の力によって成しうる領域を遥かに凌ぐものであったが、アイランはテーブルを蹴り上げて盾とし、受け止めた。
クロスもその陰で難を逃れたが、本来の困難はここからである。
テーブルをはね退ければ、この爆散をもたらした犯人が立ちはだかるからだ。
大盤石を叩き落とすような、重々しい足音。
背中から吹き出される蒸気が立てる、笛のような高音。
胴体の中央で、目のように赤く輝く大きな水晶玉。
「あれは──」
思わず声が漏れる。
太く、大きな手足、分厚い胴体、そして無機的な鈍色の肌。
「ゴーレム!?」
それはまごうことなきゴーレムであった。
エレメンタルを核として動く、金属の巨人。
"石の魔女"たちが百年以上もの時を費やして作り続け、未だ完成していないはずの構造体。
だが、よく見れば"石の魔女"が所有するゴーレムとはところどころ違いが見受けられた。
身長は2m弱と小さく、手足も軽量化が施されている。
なにより、石の体躯に錬鉄をコーティングしていた"石の魔女"のゴーレムとは違い、全身が鉄や鉛や合金などの金属で構成されていた。
鋳造も正確かつ精巧であり、表面は光を反射するほどなめらかであった。
デザインにも所々差異が見受けられ、一番の違いは全身にあるはずの溝が刻まれていない点だった。
──ガニツさんのものじゃない、敵の、恐らくは魔道士会分離派が作った秘密兵器だ!
咄嗟に察しがつき、それから恐る恐るアイランの顔を覗き込む。
そこには、完全に予想と違わぬ、爛々と輝く少女の好奇に満ちた笑顔があった。
戦うつもりだ。あのゴーレムと、まともに。
ゴーレムのパワーを目の当たりにしているクロスは戦わずに逃げるべきとの判断を下したが、その知恵も"兵の魔女"の闘争本能を前にしてはちり紙が如く吹き飛ぶのみである。
ならば、せめてできることは──
「ゴロ錬鉄で出来ています! 剣や魔法の攻撃は弾きますが、かなりの重さです!」
あの輝きと質感には見覚えがある。体の大部分を構成する鉄の色味は、記憶にはっきりと残っていた。
"鉄の魔女"イーリンデルが発明した合金、ゴロ錬鉄だ。
彼の言葉がアイランに届いたかどうか。
返事や反応を返すこともなく、彼女は弾かれるように鉄ゴーレムへと突進していった。
急速に接近する敵に反応したか、鉄ゴーレムは駆動音と歯車の回転音を激しくさせながら、右拳を突き下ろした。
だがアイランは手前で跳び、右拳を足場とする。
そうして、ゴーレムの拳が轟音をあげて床を割り砕く頃には、胸の装甲を踏んで跳び上がっていた。
空中で左手の剣を納刀し、右手の一振りを両手で握る。
刃先を下へ向け、胴体の上に着地するのと同時に水晶玉を氷のように割った。
すぐさま、彼女を叩き潰すための左拳が迫るが、一瞬早くゴーレムの体を蛇のように這い降りる。
勢い余った拳は己を殴りつけ、破壊音と共に装甲のひしゃげる音が響いた。
衝撃は一時的に各駆動系を麻痺させ、極端な負荷が心臓部の術式に混乱をもたらす。
「にぶい」
その隙にアイランは床に降り、うずくまったままゴーレムの膝横に後ろ蹴りを見舞った。
押し込み潰す、踵での蹴りは関節を破壊。
支えを片方失った巨躯は片膝をつくが、まるで意地かのように右手を振るって掴みかかった。
うずくまった姿勢から、伸び上がるような跳躍。
その上で、足を再び畳んで攻撃を避けつつ、まっすぐ剣を突き込んだ。
切っ先は歪みによって作り出された、装甲の隙間にすべり込む。
かつて水晶玉がはめこまれていた窪み。その縁に開いた隙間だ。
突き入れた後は剣の柄頭を蹴って深くまで差し込むのと同時に、後ろに跳んで距離を取る。
「乏しい」
くるりと空中で一回転し、正対したアイランへと突進する。
片足だけで床を一蹴りし、まだ空中にある彼女の体を一瞬で捉えた。
まともにぶつかれば骨ごと内臓は潰れ、四肢はちぎれ飛ぶだろう。
だが、たとえ空中にあったとしても、体勢が崩れているわけではない。
ならば彼女は"兵の魔女"である。できないことより、できることが多すぎて迷うといった有様だった。
「陳腐」
その中の一つ、彼女がきまぐれで選んだのは、両手で机を叩くようにゴーレムを叩き下ろし、同時に足を畳む、という手段だった。
倒立するような動きは、彼女の体全体にわずかな回転力を与える。
前転の動きに、突っ込んでくるゴーレムの推進力が勢いを与え、突進する跳び箱自身の力が己を飛び越えさせたのだ。
勢いの強さゆえ、彼女の体は空中で四回も回転はしたが、身体能力のおかげで支障なく着地した。
だが、突進したゴーレムは片足の負傷もあり、止まれずに壁に激突。
壁を二枚破ったところで床に転がった。
すぐに起き上がろうとするが、片足が使えないため、手順の組み立てに手こずる。
四肢が健在の状態を想定して術式が組まれているので、それが実行できない場合の手順の修正ができないのだ。
使えないはずの片足を使って立ち上がろうとし続けるせいで、その度にバランスを崩して倒れ直してしまうのだ。
その間にアイランはじっくりと探るように歩み寄り、テーブルをひっくり返すようにゴーレムをひっくり返し、仰向けにする。
それから、納刀した剣を抜いて、渾身の力で装甲の隙間に差し込んだ。
胸部の窪みの縁に差し込まれた二振りの剣。胸から生える二本の柄を握り、力を込める。
抉り込むように、開く方向に力を込め、最後にひと捻りすると、鉄の砕ける音が響いた。
その瞬間、ゴーレムの全身から力が抜ける。
心臓部である魔力炉が切り離され、魔力の供給がされなくなった。
人間で言えば心臓は体に埋まったままだが、動脈と静脈が切断されて肉体と繋がっていない状態だ。
「動きも反応もにぶい、機能もパターンも乏しい、戦術も術式も陳腐。猿真似以下ね、ハンター1頭にすら劣る戦力だわ」
柄で殴って歪め、剣で切り離し、窪みの装甲を取り外す。
そこに腕を差し入れ、感覚で探って引き抜いた時には、切り離された魔力炉がぶら下がっていた。
ゴーレムの魔力炉には術式が書き込まれている。術式には、それを書き込んだ者の情報が書き込まれているはずだ。
直接的な位置情報やユーザー情報だけではない。術式そのもののわずかなクセや頻出する様式を見れば、文法から著者を特定するように、誰が組んだ術式かを類推することが可能なのだ。
「クロスちゃぁん! 終わったわよぅ!」
手がかりを得て、大声でクロスに呼びかける。
"流木団"による襲撃も止んでおり、あとは帰って術式を調べるだけであった。
だが、呼びかけに応える者はなかった。
足音すら響かず、しんとした静寂のみが漂う。
「クロスちゃん?」
不審に思い、さきほどまでクロスと一緒にいた建物へ戻る。
そこには誰もいなかった。クロスだけではなく、黒い皮鎧の傭兵や近隣住民すらいなかった。
ぐるりと周囲を見回しても、人の気配は全く感じられない。
アイランはため息をつきながら俯いた。
誘導されていたのは自分だと思っていた。
いや、これもまた私への誘導の一環なのかもしれないけど、少なくとも今回の戦い、狙いは私じゃなかった。
クロス・フォーリーズがさらわれた。
ゴーレムとの遊びに興じている間に。
助けに、いかなければ。




