兵の魔女9
鎖を引いてベッドを天井に格納し、壁にはめ込んでいた折りたたみの食卓を引っ張り出して真ん中に置く。
椅子を向かい合うように設置し、ガサガサのパンとチーズとバターを二人ぶん並べる。
そうして、二人の朝食は始まった。
四つの死体と血溜まりに囲まれ、互いに間に合わせの衣服を素肌に纏った状態で。
それは明らかに異様な光景であり、クロスは状況に戸惑っていたが、胸の高鳴りがそれを上回った。
死体そのものはシリネディーク城で見慣れているし、"兵の魔女"の任務も理解している。
そんな彼をどぎまぎさせるのは、共に食卓を囲んでチーズをかじっているアイランの姿そのものだ。
男らによる襲撃の驚きと昂揚も落ち着き、彼女と向かい合って食事をしていると、思い起こされるのは昨晩の出来事だ。
強引に貞操を奪われた形だったが、抗おうとはしなかった。
めくるめく初めての体験。肌の暖かさと柔らかさ。触れ合う粘膜からの追い詰めるような刺激。
眼前で喘ぎ、躍りながら耳元で熱い吐息を響かせ続けられ、後の方ではクロスからも彼女を貪ったほどだ。
かき抱き、深くまで突き込み、舌を絡ませ合い、柔肌を手にかけた。
幾度も中で果て、互いに激しく求め合い、交わった記憶。
その相手が、いま目の前で平然と食事をとっているのだ。
しかも、間に合わせで身につけた上衣から素肌をちらと覗かせながら。
気恥ずかしいやらむずがゆいやらでつい視線を逸らすが、下手に逸らせばゆく先は周囲の死体か血溜まりだ。
結果的に、自分の食事の指先に視線を落としながら、食事を続ける羽目になってしまう。
そんな様子をアイランは視線で愛でるように、微笑みながら眺めていた。
その余裕が何故だか悔しかった。昨晩はあれだけ乱れたというのに、今では落ち着き払い、自分ばかりが赤面している。
一矢報いたいなといういたずら心が湧いたとて、不思議ではないだろう。
「その、どうして私なんですか?」
だが、この問いは、心底から答えを得たいという思いもあってのことであった。
夢で見た内容が気にかかっているのだ。
アイランは「んー?」ととぼけるように聞き返す。
ので、もっとはっきりと伝えなくてはならなかった。
「どうして、私を相手に選んだんですか? ただの"忌み子"に、あの、あんなこと……」
最後の方は気恥ずかしさが勝り、尻すぼみになってしまう。
それを微笑ましく思ったのか、侮っているのか、アイランは「ふふっ」と小さく笑った。
その事実にクロスはわずかに眉をしかめるが、それすら彼女にとっては笑みの肴であった。
「あなたとなら、強い子種を残せると感じ取ったからよ。"兵の魔女"の本能としてねぇ」
本能。強そうな雄と交わり、次代の"兵の魔女"となりうる強い子を作る。
その限りに於いて、彼女らの性への貪欲さも快楽に満ちた体も、作られたものと言えた。
個人としての感情ではなく、仕組まれた本能として自分を選んだのだろうか?
クロスはそのことが無性に気になったのだ。
「でもアイランさん、私より強い男なんて、たくさんいると思うんですよ。いくら私が"忌み子"だからって、そんな」
アッサルートから聞いていた、アイランは今まで子を産んでいないと。
快楽への欲望から男と交わることはあっても、避妊は徹底していたと。
それはこれまでの例と比べた場合、極めて異常と言えた。
歴代の"兵の魔女"は皆、10代後半から任務のかたわらに子作りを始めていた。
幾人もの男に出会い、彼らの種を世に表しながら時間をかけて選別する。
その目的に叶うよう、若い頃から出産を繰り返すのである。
だがアイランは既に40を回っているというのに、一人の子も産んでいない。
そのような例はこれまで無く、何か理由があると思えてならなかった。
「関係ないわ、そんなの」
食事の手を止める。
「あなたがいいの、私はそう感じたのよ。自由を囁いた私を見上げる、あなたの冷たくおののいた目が、何もかもを取るに足らないものにしてしまった」
「本能、なんですか? 与えられた本能が直感的に、私だって」
「だから、そんなのどうでもいいのよぅ、どっちだろうとねぇ」
突如、体を乗り出す、の範囲を超えて、アイランが食卓の上のものを全て押しのけて飛びかかってきた。
そして目を白黒させるクロスの首に腕を絡め、唇を重ねる。
舌を押し込んで絡ませ、ねぶるように唇の感触を貪り、ひとしきり弄んだのち、一度離れた。
これだけでクロスはもうすっかりぼんやりとしてしまい、荒く息をつくので精一杯であった。
その額に、アイランはこつん、と自分の額を合わせて微笑む。自らも荒く息を吐きながら。
「また、興奮してきちゃった」
そして、今度は全体重をかけて抱きつき、クロスを椅子ごと押し倒した。
血と死体に囲まれ、目の前に最高の状態の馳走を置かれては、彼女に我慢できるはずがない。
血に汚れるのも構わずに、むしろそれに咽ぶのを愉しむように、香りを深く吸い込む。
血と死体とぶち撒けられた食べ物の間で、彼女は再び唇にむしゃぶりつきながら、獲物の股間に手を伸ばした。
あれから、二人は結局昼過ぎまで交わり続け、それから死体や血痕、ぶち撒けた朝食を片付けた。
そして衣服と体についた血を沐浴で洗い流しながら、その場で更に三度交わった。
今は、二人でコー・ナイルの街を歩いている。
昨日はクロスがアイランの後ろをついていくだけだったが、今は並んで歩を進める。
それも、クロスが彼女の横について歩こうと懸命に努力してのことではあったが。
「結局、あの謎の四人組は何者だったんですか?」
情交で棚上げになっていた疑問を投げかける。
「目くらまし兼、誘導用の工作員。ある意味ではメッセンジャーねぇ」
「何か伝言を遺したんですか?」
「魂に聞いたのよぅ。あいつらは没落貴族から離れて浪人化した、元与力の連中ね。黒幕の男に雇われて、市中で色々と事件を起こしてたみたいよぉ?」
「起こしてたみたい、って、アイランさんは気付かなかったんですか?」
「魔女絡みじゃなきゃ気にもしないわ。あいつらは先月だけでも殺し6件、盗み5件に強姦14件に関わってたようねぇ」
「魂に聞く」その言葉の意味をクロスは計りかねていた。
だが言葉をそのまま受け止めるなら、魂盗みや"魂感応"に近い業が"兵の魔女"にも使える、ということなのだろう。
詳細な数字と確信的な口調は、その情報が正確なものであるとの信憑性を高める。
その信憑性をもとに、クロスは「おそらく魂に干渉する技術か何かだろう」との解釈を強めていた。
「黒幕の男は、どうしてそんなことをやらせていたんでしょう?」
「そりゃ当然、治安を悪くするためよぅ。あの四人以外にも、似たような役割の連中はいるのかも。"流木団"の奴らとかね」
「治安を? どういうことですか?」
「市中が騒がしくなれば、警備が強化されるわよねぇ? 衛兵の見回りの人数と頻度が増えて、捜査も増員して、勤務の時間も増やす。必然、人手が必要になるわ。どこから、どうやって確保すると思うぅ?」
一つの記憶に思い至り、クロスは「まさか」とお決まりの言葉を漏らしてしまった。
すかさず、得意げに目を細めての微笑みを浴びせかけられた。
「王都から、交代要員名目で補充するのよ」
昨日、若い門衛が言っていた。
41人の補充。41人のよそ者。41人のアイランが顔も素性も知らない者たち。
王都からの応援部隊に、もし敵の手の者が混ざっていたら?
強化された警備体制、増強された衛兵が黒幕の男の手に落ちたならば、どうなる?
それも、増員は41人だけとは限らない。実際はもっと多くの補充兵が動員されていてもおかしくはない。
「でも、兵力を、それも完全に自分の私兵とはいえないものを集めて、何を企んでいるんでしょう?」
「それを確かめるために、今こうして歩いているのよぅ?」
二人はただ歩いているのではなく、目的地に向かって歩いているのだ。
その行き先は、既に聞いて知っている。
コー・ナイル北区の防風天蓋下、通称"柱街"だ。
トグナイア連峰から吹き下ろす風を防ぐために、コー・ナイルの北側は天井に覆われている。
その天井を支える柱が乱立している地区が柱街であり、一日の殆どが日陰で空気も淀んでいるため貧民窟の様相を呈している場所だった。
この柱街にはいくつもの、ならず者たちの集団や組織があり、時と共に変化を繰り返してきた。
いま柱街に君臨する主だった組織は三つ。
実質的な魔道士会コー・ナイル支部の下部組織であり、合法違法を問わない医薬品製造を主収入とする"薬屋"。
スロヴ共同体にも入れず、井戸城への出稼ぎ労働で食いつなぐスロヴ貧民で構成された"コー・ナイル漁民座"。
罪を犯し除隊させられた元軍人たちによって創始されたギャング団、"什長のファランクス"。
中年男やハロバ卿と柱街で会っていたということは、黒幕の男はこのいずれかの組織と通じている可能性が高い。
それこそが、アイランがハロバ卿を助けなかった理由である。
もし黒幕と通じているのが"薬屋"であった場合、マードックに表立って動ける理由を与えてしまうのは、なんというか、むかつきを覚えるのだ。
今こうして自由に動き、狩りを楽しんでいるというのに、あのつまらぬ男に水を差されてはたまったものではない。
アイランは現在、とても上機嫌なのだ。あのカビくさいドブヅラに横槍を刺されたくないのだ。
「具体的なアテは、何かあるんですか?」
クロスは少し心配そうだった。
自分が思っていた以上に大掛かりな何かが動いていると知ったからであろう。
しかも、その全貌や目的が不明なまま、ただ自分たちを誘導しようという意図だけが見え隠れしているという状態では。
だがそれは同時に、一つの事実を示していた。
心配。それは自分の身命についてのみではないということなのだ。
アイランは体を寄せて肩を密着させる。
そして、どぎまぎするクロスの耳元に口を寄せて、嬉しそうに囁いた。
「仕立て屋よぅ」




