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魔女はペン先と黒インクにて集う  作者: wicker-man
腑の章
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腑の魔女6

全ての患者を捌き、ようやく一息つけたのは4時間後だった。

待合室兼居間はクロスが片付ける以前の姿を取り戻しており、その中心で彼は存分に虚無を味わっていた。

床に胡座をかき、ぐったりと項垂れるのは疲労と虚脱感からであろう。


その様子を尻目に、"腑の魔女"は傾いだ椅子を揺らしながら干しサソリなどを齧っている。

盆に盛られた干しサソリはデルグンドラに伝わる伝統的なおやつだ。

ごく弱い毒性物質を干すことで濃縮し丸ごと齧れば、ポリポリとした食感と仄かな甘さを楽しめる。

アマヤスタサソリという名前にも表れているほどに、このサソリの毒は甘さで知られていた。


「今年のは出来がいいわねー」


新しい干しサソリを躊躇いなく口へ運ぶ。

患者からの差し入れは遠慮なくいただくのが彼女の主義だ。

奪い合いの文化を持つデルグンドラ人が他者に贈り物をするのは、並々ならぬ敬意の証である。

15年もの時をこの地と人々に割いてきた者としては、当然のように受け取り、食すのみだ。

この程度の下手物は既に慣れっこでもある。


「食べる?」

「いえ、結構です」

「じゃ、きめる?」

「いえ、それも……」

「あっそ」


紫の粒を口に放り込み、それから干しサソリを押し込む。

咀嚼によって一緒くたになったものを飲み込み、軽いゲップを放った。



「それ、今飲んだの」



横目で、クロスはそれを見咎めていた。

治療の間中、何度も何度も飲んでいた紫色の粒。

形状、大きさ、刺激臭、それらの情報から、一つの推測が成り立った。



「ターグ・ナンズですか?」



"丸い針(ターグ・ナンズ)"、かつて現界を席巻していた麻薬である。

最古の五魔女の一人が作った秘薬をある学者が再現しようとして作った丸薬には、疲労回復と興奮作用があった。

一粒で一日中立ち働けると言われるほどの強烈な覚醒を促し、一種の躁状態を作り出す。

だが効果が切れた瞬間、蓄積した疲労は二倍の重みとなって襲い来る。

虚脱状態に陥り、砂をかけるだけで起き上がれなくなるほどの倦怠感に覆われ、ほぼ何の反応も示さなくなる。


常用した場合、この繰り返しが通常の状態として脳に刷り込まれ、働きそのものが組み替えられる。

薬なしでも躁鬱状態が常に切り替わるようになり、完全に中庸を失ってしまう。

それ故に、現在は使用も所持も禁止されている薬物だ。

ある現象によって今では廃れた麻薬だが、原料さえあれば特別な道具や設備なしに簡単に作れてしまう。



「そうよぉ。原料は"群の魔女"から仕入れられるけど、調合が面倒くさくってね」

「違法薬物じゃないですか! ダメですよそんなの飲んでたら!」

「きちんと制御はしてるわよ。あたしがラリってるように見える?」



手を離し、足を上げ、平衡感覚のみで椅子を傾いたまま立たせる。


確かに、これまで判断の鈍りや情動の異変は見られなかった。

あれだけ大量に服用していたにも関わらず、大量摂取の症状も出ていない。



「あたしは"腑の魔女"よ? 何事も使いようだってのは、言われるまでもないわ。原料や調合法も改良してるし、セイラ粉麻薬と併用すれば極端な躁鬱症状も出てこないし、あたしスロヴ人との混血だから過剰摂取にも耐性があるのよ」

「でも、違法ですよ? セイラ粉麻薬だって取り締まりの対象です」

「あたしがいいっつったらいいのよ」



一方的に会話を打ち切ろうとする態度には流石に閉口せざるを得なかった。

渡すつもりだった統王からの小箱を、改めてポケットの奥に押し込む。

この箱にどのような意図があるにせよ、彼の法を蔑ろにする人物に渡すべきものであるとは、どうしても思えなかったのだ。

医療の技の逞しさとは無関係の、倫理的な問題だった。


だが、どうしようか。渡せぬとあれば、それを統王に報せない訳にはいかない。

そうすると頼み事を果たせず約束を破る形になってしまう。

せめて、自分がこの箱を開けられたら──




「邪魔するぞ」




逡巡していると、ノックもなしにデザン・スノウル女公が入ってきた。

クロスは思わず立ち上がって姿勢を正したが、ヘラシュ=ノグは椅子ごと体を傾けたままだった。

そして帽子も取らず襟も折らずに、頭の後ろで両手を組みながら「はいはーい」と気の無い返事をした。


「ヘラシュ=ノグ、話がある。隣で話せるか?」

「休憩中の時間を見計らってくれたのは恐縮だけれど、あたしは患者が来たら手当てしなきゃなんないのよ。会話程度の用事なら、ここで済ませて」

「では、そいつには外れてもらう」


視線すら向けることなく、ただクロスを顎で指す。

つい眉を顰めてしまうが、差し挟まらぬよう口は真一文字に結んでおくしかなかった。


「なに、あたしの助手にケチつけようってえの?」

「信用の問題だ。お前が墨付けるならばそれでいいがな」

「じゃあこのまま話してもらおうじゃないの。ほら、持ってなさい」


帽子を取ってクロスに投げ渡す。

それはデザンの言うお墨付きであり、ここに居させる理由付けであった。


デルグンドラ人に対しては一歩も引かないこと。

それが相手からの敬意を生み、正常な会話を実現させる。

クロスも既に実感している、デルグンドラの特異な性分だ。




「街道整備の請願書と計画書に協力してもらいたい」




性分さえ理解していれば、彼らはあっさりと拘りもなく応えてくれる。

幼きデザンも例に漏れず、簡単に用事を告げた。


"腑の魔女"は「ふぅーん」と受け流すように鼻を鳴らした後、椅子の傾きを戻して足を地につけた。

頭部の小さな角を大袈裟に両手でさすり、獣が如く大きなあくびを見せつけた。


「またその話? 何度断らせれば気が済むのよ」

「気温は年々下がるばかりだ。苔の収穫量も落ちてきている。大トカゲを切り崩してなんとか食い繋いではいるが、再来年には死者が出始めるだろう」

「街道を整備したってそれが何とかなるとは限んないわよ。どうやって仲買人を引っ張って来るの? そもそも何を商うってのよ? それに今から申請したって、ディゴ荒野の開発事業は順番待ちよ。再来年には絶対間に合わない。あたしのコネや魔女協会を使ったって、こればっかりはどうにもなんないわ」

「他に手が無い。イェザリ派も匙を投げた土地だ、富を他所から仕入れねば蓄えは増えんだろう」


デザンの態度は毅然としたものだったが、声には真剣味が滲んでいた。

「道理で寒いと思った」などと他人事のように考えているクロスだったが、彼にとっても少しずつ不穏な状況になりつつあるのには気付かなかった。


「あのねぇ、あたしはただの医者よ。魔女協会や諸侯に根回しするなんて出来ないしするつもりも無いわ。患者が来る前に帰りなさい」

「我らが変わらずとも時代は変わるのだ。適応し、奪い続けねば生き残れない。拳と棍で奪い取れぬなら、数と知で奪い取る以外に無い。新たな略奪の時代が始まろうと言うのに、取り残されては滅びてしまう」

「じゃあ滅びりゃいいじゃないの。もうちょっとマシな土地に移住しなさい」

「二言目にはそればかりだな。魔女としての矜持は無いのか?」

「魔女のことなんざろくすっぽ知らないガキにどうこう言われたかないわね。あたしらは便利屋じゃないのよ」


声さえ荒げないものの、ナイフを投げ合う曲芸のような危うさが飛び交う。

両者の年齢は30か40は離れているだろうが、その差を感じさせない対等な戦いだった。


「無償で医の腕前を振るってくれているのは感謝している。母のこともな。それらに報いる術を持たない私が、お前に命を下すような立場に就き得ぬはよく理解してる。道理を持たぬのは私で、正しいのはお前だ。だが領主として、民の生活を守る方法があるならば如何な非道であれ実践してみせよう」

「その覚悟と意気は立派だけど、あたしは力を貸せない」


デザンは、腰の短刀の柄頭に乗せていた手をゆっくりと握った。

抜きたくはないが、いざとなれば抜かねばならぬ。

その立場と意思をまざまざと表明するように。


対して"腑の魔女"ヘラシュ=ノグが取ったのは、振り上げた左足を乱暴に卓の上に乗せるという行動だった。

然して、サンダルからまろび出た指先はある一点を向いている。



「代わりに、助手なら好きにしていいわ」



その一点に立つのは、クロス・フォーリーズだった。


デザンの鋭い視線が向けられる。

その気迫には年下とは思えぬほどの威圧感があり、思わずクロスは引きつった笑みを浮かべた。

視線はますます鋭く、眉間にはシワすら刻んで、彼女は再びヘラシュ=ノグへと向き直る。


「嘘つきを側に置く気は無い」

「側に置く必要なんて無いでしょ。信用する必要も無い。あなたは匙を使う前にいちいち信用してから使う?」

「そう心がけている」

「今のは私が悪かったわね。要するに、ただの道具として使えばいいってこと」


もう片方の足も卓に乗せる。そしてそのまま体を押して、再び椅子を傾かせた。


「"嘘つき"ってのは、結構使いでのある道具よ」


「帽子返しなさい」と続けて、ちょいちょいと手招きする。

クロスは再びデザンに睨まれながら、背中を丸めて帽子を手渡した。

"腑の魔女"は深くそれを被ると、卓に乗せていた足を突き上げ、体を椅子に沈み込ませる。



「話は聞いたわねフォーリーズ君、スノウル女公に手助けしてやんなさい」

「それは構いませんけど、その」

「だぁーいじょうぶよ、普段は一人でやってんだから」



デザンは口を噤んで、二人のやり取りを見ていた。

不服ではあるが、了承せざるを得ない。

そのような心の声が一切隠れることなく表情に表れていた。

そんな様子をちらりと見やり、クロスは"腑の魔女"の耳元に口を寄せた。


「ヘラシュ=ノグさん、麻薬のこと、後で話し合いますからね」


彼女の表情は既に帽子と襟に隠れていたが、快い顔はしていないだろうと察せられた。

しっしっと手を振って追い払われるままにクロスは離れる。


その直後に、ドアの閉じる音が響いた。

デザンが出て行ってしまったのである。


どうするべきか、慌てかけるクロス。

が、"腑の魔女"に「早よ行け」と言い捨てられ、急いで後を追う運びとなった。

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