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魔女はペン先と黒インクにて集う  作者: wicker-man
光の章
37/211

光の魔女14

キルデンザックが目を覚ましたのは、およそ2時間後であった。

魔道士会の者が付き添っており、彼が目を覚ましたことは検吏に伝えられ、検吏はクロスに伝えた。


「いや、とんだご迷惑を」


部屋に入った二人を、彼は開口一番そう出迎えた。

顔と手には包帯が巻かれ、高位魔道士の制服は今や通気性の高い薄木綿の服に換えられていた。


「傷の具合は?」


椅子に腰を下ろしながら、検吏が訊ねる。クロスは立ったままだ。


「なあに、ちょいと皮が火傷した程度ですよ。こんな包帯、大袈裟なぐらいだとも」


朗らかに笑み、両手を掲げてみせるが、寝台からは体を起こさない。

強がりを言っているのは明らかだった。


彼はおよそ20秒、"光の魔女"の光の奔流を受け続けていた。

肉体に負ったのが火傷程度であっても、その間かなりの魔力を消耗したはずである。

場合によっては今後、魔力不足で障害が残るか、寿命に変化が生じかねない。

それだけの力を振り絞り続けて、あの場にいた全員を守ったのだ。

彼がいなければ、あの奔流は広間にある全てにとどまらず、光陽社、否、モル・ニスの街を焼き尽くしたかもしれないのだ。


それが、魔力漏出の恐ろしさなのである。

生物、特に知性体は、魂の内にかなりの量の魔力を秘め、それを日々少しずつ消費して生きている。

それは通常であれば、決して一挙に解放されることはない。しようと思っても不可能なのだ。

できることは魂の障壁越しに、僅かな数滴を滲ませて用いるだけ。それが本来の魔法である。

たとえ死んだとしても、魔力は魂の残滓と共に抜け出し、風船の空気が抜けるように少しずつしぼんで溶けゆくのみ。

"忌み子"はそれを、一挙に放出できてしまう。


故に、統王にとっても"忌み子"の扱いをどうするかは、頭を痛めるところであった。

幼子を殺すような文化は残しておけぬが、殺さずに済ませる良案もない。

とりあえず、幼子を殺そうとする者は捕えてはいるが、残された子をどうすべきなのか、答えは出ていない。


「変人とは思っていたが、まさか魔女殿が"忌み子"だったとは」


検吏が疲れた様子で呟く。

統王が方針を定められぬが故に、彼女が"忌み子"であるとの事実は行政側へは伏せられていた。

各行政使府に於いても、「忌み子案件は厄介」というのは共通認識であった。



「魔女殿、どうなりますか?」



キルデンザックが訊ねる。寝台から体も起こせぬ身でありながら、原因たる"光の魔女"の進退を案じているのだ。

検吏はじろりと一瞥をくれてやった後、重々しげに口を開く。


「身柄を拘束することになる」


監査中に、人員の一人に暴力を振るう。

明らかに違法行為であり、行政使府としては見逃すわけにはいかない。


「だが、本人も今は消耗している。屯所の衛兵にここを警護させ、回復を待ってから拘束、そして裁判という流れになるだろう」

「妥当な線、か。クリン・ヴィ・カントは? 拘束するのか?」

「まさか。クリン嬢は暴力行為になんら加担していない。死人にも生前の権利が継続適用されるのは、統王様がお認めになっていることだしな」

「それはまずいぞ、あの二人は常に一緒にしておかねば」


しかし、彼は知っていた。

彼はこの街で、ずっと二人を見てきたのである。


「同時に拘束できぬと言うならば、"忌み子"であることを勘案し、特例としてクリンに対してのみ1日26時間、常時の自由面会を許可すべきだ。これは専門家としての提案だ」


検吏は腕を組んで呻った。これは特例中の特例措置となるだろう。

だが"忌み子"について具体的な施策が示唆されていない以上、どのような手を打ってもそれは特例と位置付けられざるを得ない。

逆に言えば、それは現場の判断に委ねられている領域だ、という認識が罷り通るを示すものとなる。


「わかった、領主に話してみよう」


それに、彼も広間での一件を理解し始めていた。

あの二人は常に一緒にさせておいた方が良い。

秩序は少し乱れるが、それでより多くの混乱を避けられるだろう。


「感謝する。それと、俺への聴取も行うのでしょうな?」

「無論だ。しかし今は、傷の治療に専念してもらおう。幸い、魔道士会には医療の心得に通じる者も多くいることだし」

「なあに、ほっとけば治ります。ゴン・ガンク族では火傷は名誉になる。戦場で炎に巻かれながら生還するのは、強さの証ですからな」


冗談を聞き流しながら、検吏は腰を上げる。

今するべき話は済んだ、とばかりに。


それをクロスが「あの」と呼び止めた。

二人の視線が集中し、検吏の目は明らかに訝しんでいた。


「光陽社は、どうなるんですか?」


問いかけに対し、検吏は腰を降ろさなかった。

立ったまま、歩み寄ることもなく決然と言い放つ。


「クルーラー・グーニィが"忌み子"である以上、その管理能力に疑問を投げかけざるを得ない。今回の件と併せて、社主という立場は退いてもらうだろう。だが、今回の光(・)陽(・)社(・)に(・)対(・)す(・)る(・)監査結果に問題が見つからなければ、次の代表を立てて経営を再開するかどうかは、光陽社が独自に判断すべき事柄だ」


「では、失礼する」と結び、検吏は退室した。

クロスはため息をつきながら、空いた椅子に座る。


「どうやら"ガル・プリズム"は、隠しおおせたな」


そんな彼に、キルデンザックは笑顔を向けた。


"ガル・プリズム"は結局クロスが検吏の前で使ってしまった。

だが、実物は懐に入れたままであったのに加えて、クロスが既に魔道士会員からも一目置かれる存在となっていたためハッタリが利いたのだ。

命のあり方に革命をもたらした魔女協会会長の、初めてにして唯一の男弟子。更にタルギンと魔女協会を結ばせた手腕の持ち主。

広間での一件は、そのような男が実力で収めたのだ、という結果に落着されるだろう。

キルデンザックとクリンの協力があれば、容易い工作である。


「すいません、キルデンザックさん。私のせいで……」


これから伝説に残るであろう男が謝罪を述べる。

それでも、魔道士の笑顔は些かも崩れはしなかった。


「なに、安いものよ。結果的にプリズムを隠すのには成功したのだ。魔道士なら、結果を以って良しとしなくてはな」


社交辞令でも親切でもなく、心からそう思っての言葉だった。

それが伝わるからこそ、疑問が膨らんだ。クロスはそのために彼に会いに来たのである。


「何故、そこまでするんですか?」


初め、キルデンザックを信用できなかった理由。

世の中を守るため、発明品の発表を妨げる。

何の関係もない、対立組織の高位魔道士が抱くにはあまりに危険な発想だ。

そして今こんな目に遭っているにも関わらず、彼は明らかに魔女を庇っている。

いくらでも抗議の声を上げて然るべきであるというのに、むしろ"光の魔女"に理解を示す提言まで行なっているのだ。

そこには、何か他の動機が存在しているように思えてならなかった。


「どうしてあなたは、我々に協力してくれるのですか?」


その思いをそのままぶつける。


キルデンザックは視線を切ると、それをそのまま天井に向けた。何かを思い出すように。


「俺は昔から、戦いよりも勉学が好きでなあ」


そして、感慨深げに口を開いた。


「折しも、統王様の二つ上の兄君が存命の頃、彼がハーバント領に魔法の業を持ち込んでな。魔道士会の魔道士を招聘して、魔法を戦に取り入れようとしてた。だが当時の当主は、統王様のお父上で、彼は魔法を断じて認めなかった。だから俺は、魔法を学びたかったのに医術を学ぶしかなかった。それも、ゴン・ガンク族の中では不名誉な役目だ。戦士にあらず、腰抜けで、怪我人を撫でるだけなら誰にでもできる等と、よく非難された。両親からも縁を切られたものよ」


現在のゴン・ガンク族はかなり改革が進み、戰の形態も大きく変化している。

だが、彼の言う当時とは150年近くも昔のことだ。

勇猛なゴン・ガンク族が、その勇猛さに凝り固まった伝統を堅守していたのは想像に難くない。

この部族の文化に於いて、死者は存在がなくなる。死者は生者で代替される。

統王は第3王子だったが、実は7人の兄と4人の姉がいた。兄が死ぬ度に、兄弟の序列まで繰り上がってゆく。それが彼らの文化なのだ。


「やがて、統王様が家中の実権を握り、改革を始められた。俺はすぐに魔道士会に入る許可を求めたよ。戦医として務める中で、魔法への憧れはむしろ強まっていた。当時はまだ、働き盛りだったしな」


自嘲気味に笑む。だが自嘲だけではない。

どのような時代であれ、懐かしい記憶というものは妙に愛おしいものだ。

つまり彼にとって、当時の出来事は既にただの過去なのである。


「許可は下りた。俺と同じように、魔道士会に入ることを望む者は領内に沢山いたんだ。奴隷兵制度を廃止したから、新しい経済体系が必要だったしな。まあとにかく、魔道士会に入った。嬉しかったよ。やっと魔法の勉強が出来るんだ、と心が躍った」


言葉と裏腹に、口調は曇っていた。


「だが、数ヶ月も経つと幻滅が勝り始めた。魔道士会は権力争いや政治闘争に明け暮れ、謀略を用いて如何に影響力を強めるかを四六時中考えていた。学術などは二の次で、新入りの我らをただの雑役夫としてのみ扱った。しかもどれだけ真面目に勤めて尽くしても、陰でこう呼ばれるのだ。『魔法など解さぬ野蛮人どもめ』とな」


魔道士会は伝統と格調高き組織である。

1000年にも及ぶ歴史と知識の蓄積は、組織を停滞させるには十分であった。

あらゆる活動は歴史の中に埋められ、薄められ、既に怠惰と惰性へと変わっていた。

であるにも関わらず、自らの権益には人一倍敏感で、他者を踏みつけにしながら悪意すら抱かない。

魔道士会は何の意義も持たぬ単なる"組織"と化しており、その隙が魔女王国の興隆をゆるしたのだ。


「それでも、意地があった。許可を下さった統王様への恩もあるしな。とにかく努力したよ。学ぶだけじゃない。政治に権力闘争、時には工作員じみた真似までした。必死にかじりついて、しがみついて、いつの間にかモル・ニス支部の高位魔道士になっていた。統王様の助力もあったろうがな」


統王が改革と綱紀粛正を図ってからは、魔道士会も学術集団として随分マシにはなった。

それが魔女協会に負けたくないという一心からのものであったとしても、だ。


しかし、染み付いた癖というものは一朝一夕に抜けるものではない。


「その頃には、俺も……自ら、権力と影響力に縛られるようになっていた。責任ある立場になって、尚更な。もう幻滅すら覚えなくなっていたよ。"光の魔女"を妨害し、モル・ニスの商家に圧力をかけ、領主に脅迫まがいの強請りをしたさ。それを日常として、もう何も感じなくなっていた。自分の行為に、何の自覚も責任も無かった。ただ、現状をそのまま続けようとするだけでな」


魔道士会無言の掟は変わらない。

女人禁制であること。弟子は師匠に必ず従うこと。評議会の決定は絶対であること。

この掟はそのまま、彼らの精神性として残ったのである。


「そんな折、"光の魔女"がレンズを発表したのだ。あれは、あれは……完璧な発明品だった」


キルデンザックの声色が躍る。穏やかな笑みが浮かび、年相応の老人然とした柔和さがあった。


「ガラスという、古からの技術。光はただ拡散する連続した波のようなものだと思われていたところに、それを線と捉えて、拡散させず集中させるとは。発想力に、緻密な計算と、粘り強い試行錯誤がなくば、不可能な発見だ。初めて手に取った時は、心の底から感動したものだ」


レンズの発明は革命的な技術革新の始まりである。

今は眼鏡や着火用の集光器に使うのみだが、技術が進めば進むほど、その用途は広がり続ける。

彼は、それを予感したのだ。


「同時に、己を深く恥じた。学術の徒であるはずの自分が、最高の発明を妨害していた事実は決して消えないだろう。だがめげずに、あいつはやり遂げた。俺は思い出したんだよ、純粋に魔法に憧れていたあの頃をな。俺は救われたんだ、自分が破壊しようとしていたものにな」

「それで、"光の魔女"を助けよう、と」

「ああ、あいつに嫌われ、憎まれているのは変えようが無い。愚かな俺の過ちだ。だが、折角あんな素晴らしいものを作ったのに、その名と功績は"ガル・プリズム"に踏みにじられてしまう。それが我慢ならなかった。あいつは賞賛されるべきだ。人格とは関係ない。あいつは、もっと、素晴らしいものを生み出し続けられるはずだ」


心が震え、世界が崩れ、記憶は逆流し、血は沸騰する。

それほどの感動に出会った時、どのような生き物も必ず抱く感情がある。


「あいつは、世界の破壊者なんぞになるべきじゃない。天空で輝き続けるべき光なんだ」


敬意。獣ですらそれを持ち合わせている。

増してや学問を修めた、高位の魔道士では何をか言わんや。


「以上だ。納得できたか?」


再びクロスへ視線を戻す。彼はゆっくりと頷くと、立ち上がった。


魔道士会に鉄の掟はあれど、一枚岩にあらず。

中には、こういう変わり者もいるのだろう。

老いてより、心鮮やかに打ち震わせ、新たな信念を纏うのは並大抵の覚悟ではない。

多くの者は信念の片鱗に触れることすらなく、一生を終える。

だがそれを見出したる者には、全てが、恵まれた出会いなのだ。


「キルデンザックさん」


そして彼は、その信念を貫いたのだ。


「ここにいるのが、あなたで良かった」


感じ入るように絞り出した言葉へ、キルデンザックはわざとらしい笑みを浴びせかけた。

クロスは「失礼します」と断って、部屋から出て行った。






廊下に出て、歩き始めたクロスのポケットで相互紙が振動した。

すぐに取り出して開くと、そこには『何か用か?』の文字。筆跡からして、エルガンだ。

実は20分ほど前に、メッセージを送っておいていたのである。


羽ペンを取り出し、腰のインク壺を開いて素早く黒インクをペン先に乗せる。

それは常に、淀みなど生まれるはずもない動作だった。


『ケリーさんに報せましたか?』


ケリー。ケイネリー・ガロウズ・ホルグラック。23代目"眼の魔女"にして"原初の目"の守護者。

全てを見通す目を持ってはいるが、彼女はそれを決して無闇に使わない。

で、あれば、報せた者がいるはずなのである。


『ああ、報せた。手に負えん事態になると思ったからな』


その力を、魔女協会の要請によって使わせる、というのはかなり危険な構造である。

魔女王国時代ですら"原初の目"の組織的使用は厳に慎まれており、初代"屍の魔女"などは使用の強制を死に値するとまで考えていた。


『無論、強制はしておらんぞ。"光の魔女"が厄介な目に遭っていると教えただけだ。だが歴代の"眼の魔女"は、優しすぎるが故にその役目を受けてしまう者らだ。知己を助けるために力を使うだろう、という目算はあった。当然、俺の目算も向こうは感づいていたろうよ』


"眼の魔女"の干渉があったことはクリンから聞いていた。

初めは我が耳を疑ったが、少し経てば、エルガンの可能性に思い至った。

エルガンにぶつけた、己の言葉も。



『私たちがかけるべき最大の慈悲はたった一つです。絶対に彼女を死なせはしません。困難に立ち向かい、克服するために知を培ってきたというのに、ここで諦めてしまっては魔女協会も私も存在する意味が無いじゃないですか』



この言葉を、エルガンは叶えたのだ。

であれば、それを責めるなどクロスにはできなかった。


『エルガン』


ゆっくりと、確実にペンを進める。心は、自分でも意外なほど穏やかだ。


『師匠には、報せなきゃいけませんよね?』


帰ってくるのは沈黙の空白。だが、それこそが答えである。


クロスは"ガル・プリズム"が広まる可能性を避けるためとはいえ、師匠に秘密で事を進め、魔法を使わせないようにとの言いつけを守れなかった。

エルガンは主人の断りなく"眼の魔女"を、"原初の目"を動かした。

どちらも共犯であり、同罪だ。さりとて、監査中の暴力沙汰という事件になってしまっては、遅かれ早かれ報せは行く。

その時まで黙っているというのは、最悪の結果を招きかねない。今のうちに白状するのが吉である。


『俺から伝えておこう』


暫くの沈黙の後、躊躇いがちな筆致で、そう書き送られてきた。

クロスはまだ現場で収拾にあたらねばならない。エルガンが報告するのは、妥当な判断だろう。

そう思うことにした。


『それでは』


短く書き送って連絡を終わらせようとしたが、指先に微かに湿った感覚が現れた。

滲み出たインクの感触である。


『待て、ちょっと待て。"眼の魔女"から言伝を預かってる。俺の汚い字で悪いが、そのまま書き写すぞ』


ケリーからの言葉。そういえば、別れる時はまともな挨拶も出来ていなかったな。

そう思いながらぼんやりと紙面を眺めていると、少しずつ言葉が浮き出した。




『お久しぶりです、クロスさん。まずは、過日の無礼を謝罪させていただきます。申し訳ありませんでした。

 ご活躍は風の噂で聞き及んでおります。ご健勝なようで、なによりです。


 今回、ご迷惑をおかけしてしまうことにはなるのですが、私の都合により事象に介入させていただきました。以前申し上げていたように"光の魔女"さんは本来良い人です。それは彼女が作り上げる品物が故ではなく、心根の真相が故なのです。

 それを知る者として、彼女の身命や精神に関わる一大事を見過ごすことなど出来ようはずもありません。それも結局は私の身勝手ではありますが、偽らざる本心です。

 たとえ魔女協会やアッサルートさん、クリンさんの意思に反しても、彼女のためにあの決断は必要でした。その上で事態を収拾して下さったクロスさんには感謝してもし切れません。


 クロスさんもご存知の通り、あの二人は、二人で一人です。どちらが欠けてもやっていけないでしょう。

 クリンさんが犠牲になってしまったならば、結局"光の魔女"さんは一人前になった魂で、世の中を憎むようになってしまっていたはずです。強い結びつきとは、時に他者を自分自身以上の存在に押し上げます。

 それが重要なのです。"忌み子"だからではなく、一つの人格として、他者と結びつこうとする意識。それが知識と好奇心を生み、私たちそのものとなるのです。


 "光の魔女"さんは"ガル・プリズム"を封印するでしょう。

 クロスさんに出来ることは、もう無いのかもしれません。

 でも決して忘れないでください。見たもの全て、感じたもの全てを、信じてください』




『以上だ。彼女は"光の魔女"にも、言葉を送ると言っていた』


胸が締め付けられるような想いがした。


何故、ここまで優しくなれるのだろうか?

元はと言えば、魔女の未熟な弟子一人が策略に溺れ、思い上がって犯した失態。

なのにどうして、ケリーにしろ、エルガンにしろ、何も呪おうとしないのだろうか?


涙は出なかったが、深いため息が出た。動悸も早まる。


『わかりました、ありがとうございます』


そう返事をして相互紙を畳むのが精一杯であった。

しかし、いつまでも打ちのめされてはいられない。

彼は今"光の魔女"の寝室の前に立っているのだ。

相互紙でやり取りしながらも足を向けていた目的地に立っているのだ。


ノックせずドアを開ける。"光の魔女"がまだ眠っているだろうと配慮しての行為だったが、それは空振りに終わった。


「あ、クロス」

「おかえりなさい」


"光の魔女"は既に目を覚ましていた。寝台の上で上半身だけを起こして、手の上では相互紙を広げている。


「お目覚めでしたか。具合はどうです?」

「なんだかすごくスッキリした気分よ! "原初の目"が体の疲れも抜き取ってくれたのかしらね? こんなに爽やかな寝覚めはこれまで生きてきて初めてだわ。ね、クリン」

「結構なことでございます」


二人のやり取りの間はいつも通りだ。

どうやら、問題は無さそうである。


「それよりクロス! あたし決めたわ、"ガル・プリズム"は発表しない。あの技術は今後"忌み子"の治療目的に特化させた研究に派生させていくわよ。まずは原料にカイディナトコープを追加してみて、コ型経路構造を抜いてみましょう。いい案よね? あたしってクルーラーだし」

「結構なことでございます」


いつも通りに相槌を打つクリンだったが、クロスの方は驚いていた。

あまりにも、あっさりと"ガル・プリズム"の封印を表明したからだ。


「どうしてです?」


思わず、それを訊ねてしまう。クリンからじろりと湿った視線を向けられようとも、だ。


「そりゃ簡単よ」


"光の魔女"は逡巡する一瞬すら見せず即座に答える。

その顔には、先ほどのキルデンザックのような、大げさな笑みが浮かんでいた。


「あたし、生きることにしたの。クリンと絶対離れ離れになんかなりたくない。結局、自分の中で一番強い気持ちがそれなんだって気付いたわ。生きたいのに、生きられないから、死にたかっただけだったのよ」


手に持っていた相互紙をクリンに投げ渡す。

彼女はそれを受け取ると、大事そうに、愛おしそうに抱き締めた。


「これからもっともっと大変になるでしょうけれど、クリンとなら乗り越えられるに決まってるわ。まずは自分を治すことに集中しないとね。今後、魔力漏出には魂感応じゃなく"ガル・プリズム"で対応すれば、魂の同一化も進行を食い止められるし、研究に集中できるわ」


"光の魔女"がクリンの右手を取る。その薬指には指輪が着けられていた。

指輪に嵌め込まれ、その一部を覗かせているのは闇のように黒い石。

クロスが渡した"ガル・プリズム"だ。


「プリズム制御器を併せて作っておいて本当に良かったわー。元々同時発表する予定の道具だったんだけどもね。ちょっと重くない?」

「平気です。素敵な贈り物ですから」


にへら、と柔らかな笑みが自然と零れたように見えた。

クロスの前では決して見せなかった、クリン本来の柔和な笑みのようだった。


なんとなく、むず痒い気分にさせられる。クロスまで照れるような、恥ずかしいような。

それを紛らわせるために、更に問いを重ねた。


「そうだ、それじゃあ次の魔女学会では何を発表するんです? プリズムの代わりになるものを、あと9ヶ月で用意するとなると……」


光陽社と"光の魔女"はこれから非常に忙しくなる。

あと9ヶ月で新しい学術的成果を、というのはかなり厳しいと言わざるを得ないだろう。


「ああ、大丈夫よ。他にもあるから」


だが"光の魔女"は全く事もなげに答えた。


「像のブレを防ぎつつレンズの拡大率を上げる技術と理論を用意してあるわ。小型化、薄型化も上手くいってるし、あとは工業的な量産体制の確立だけれど、技術としてはもう発表可能な段階ではあるわよ。それを利用した新しい道具も考えてあるの。えーと、なんだったっけ?」

「顕微鏡です」

「そうそう顕微鏡。みんな喜ぶわよ〜。新しい発見の土壌となるのは確実ね!」


胸を張って鼻息を荒げる。栄誉を求める性質はそのままのようだ。

顕微鏡、とやらが何なのかはわからないが、クロスはとりあえず「楽しみにしておきます」と述べおいた。




その直後、ポケットに入れていたもう一枚の相互紙が震動した。

クロスは観念したように目をつぶり、整えるように息をつく。

クリンは目を細めて察し、"光の魔女"は不思議そうに首を傾げた。


「ちょっと失礼」


席を立ち、廊下へ出る。そして改めて息をつき、覚悟を決めて相互紙を開いた。


その瞬間、魔力で作られた稲妻が飛び出し、クロスの鼻柱を叩いた。

それは大の男にぶん殴られたような衝撃であり、鼻血を噴き出しながら彼は転倒してしまう。


涙を溜め、声なき声を響かせながら鼻を押さえ、拭き布をあてて血を吸わせる。

飛び出した魔力は既に散ったが、痛みと鼻血をその場に残した。

そして、床に落ちた相互紙は、今度は言葉を浮き上がらせた。



『クロス、あなたが今これを読めない状況なのは、よく知っているわ。でもそんなことは一切構わない。鼻血が出ていようが、涙で目が曇っていようが関係ない。私は、今後一生涯、この文章をあなたが読み込んだものとして扱う。

 

 ・謀を為すに師に無断で魔女を弄し、被害を招いたは汝の不徳也

 ・"原初の目"を軽々に用い、自らの意思に従わせようとの謀りに関係したは不義の至り。言い訳一切無用の由

 ・軽率な策により魔道士への危害を招き、魔道士会に糾弾の機を与えし責は雪ぎ難し

 ・師の言いつけを守れず、"光の魔女"と従者の身命に著しい危機を迎えさせたは汝の無知故に

 ・そも師を信用せず、その良識を侮り事を伏せたるは師弟の礼にもとる所業也』



箇条書きで淡々と罪過を責め立てられる。

クロスが鼻を押さえながらも何とか紙を拾い上げ、読み始められたのは序文の半ばからであった。


その後も『学会発表予定だった"光の魔女"の研究成果を本人に無断で盗んだ』だの『行政使府の役人に危害が及びかねない策を使った』だの、延々と罪状の列挙が続く。

口汚く、感情に任せて罵られる方がよっぽど気が楽というものだ。

絶対に逃れようのない罪悪感を、これでもかというほどに、ありのまま突きつけてくるのだ。

それも、全てが反論も出来ぬほど正しいのである。全ての事態を招いたのはクロスだ。

彼はただ甘んじて、呻きながら罪状を受け入れた。



『以上。言いたいことはある?』



十八箇条にも及ぶ罪状もようやく終わり、クロスは既に刑場に引き出された囚人のような気分だった。

ただ、心の奥底で感じてもいた。これが求めていたものなのだと。

真正面から、しっかりと、罪を突きつけて欲しかったのだと。

「あなたは悪くない」なんて言われたくない。自分が悪いのは分かりきっている。

その上で、彼は許して欲しかった。償いたかったのだ。


『本当にすいませんでした』


紙を床に置き、左手で鼻を押さえながら右手で書いた文字は歪んでいた。

筆圧もバラバラで、とても見せられるようなものではなかったが、文字はあっという間に紙へ染み込んでしまう。


ややあって、新たな文字が浮かび上がった。



『あなたが無事で良かった』



クロスは涙を拭った。拭き布を丸めて鼻に詰めた。

紙を持ち上げ、ひっくり返ったインク壺を拾い、ぶち撒けられたインク溜まりにペン先を浸した。

そして、改めて、できるだけ丁寧な字で『お師匠様、本当にごめんなさい』と書き送った。


『いいのよ、結局は師である私の責任だわ。そんな私にあなたを罰するなんて出来るわけが無いでしょう。ただ! 火消しは手伝ってもらうわよ。裁判が終わるまで一ヶ月は逗留してもらうわ。その間はこっちで指示するから』


てきぱきと指示が飛んで来る。既に、いつも通りだ。


『あの、お師匠様』

『何?』

『エルガンさんは、どうしました?』

『あなたに食らわせたのより数倍強い"伝光"を差し向けてやったわよ。シリネディーク城に帰ったらもっとお仕置きしてやんなくちゃね!』


その光景を思い、クロスは苦笑いを浮かべた。










裁判は一ヶ月の後、落着した。

問われたのは監査業務妨害と縁故傷害と経歴の詐称。つまりはキルデンザックへの暴力と、今まで"忌み子"であることを伏せていた罪だ。

判決は有罪とされたものの、役刑は課されず、罰金と慰謝料の支払い、それと事業経営資格の剥奪が言い渡された。

その判決に伴い、身柄は即日解放となり、支払いの段取りがその場で決められた。


判決に際して考慮されたのはまず、死者がいない点。そして被害者であるキルデンザックが減刑を求めた点。

行政使府側に負傷者は無く、動機が私怨によるものであったため今後公益を著しく毀損する可能性が低い点。

これらがあらゆる証言から裏付けられる結果となり、更に"忌み子"であるという身体的特性から、役刑には不適格と判断されたのだ。


魔道士会はプリズムが空振りに終わった時点で、モル・ニスの行政使府からの信用をある程度失っている。

そのため、キルデンザックからの進言もあり、今回は穏便に済ませようとの結論に至っていた。

もとより、彼らからしたならば、この件は魔女協会が自爆した形である。

自分の傷さえ小さくしておけば、それだけで勝利だと考えられた。


魔女協会は監督責任を自ら申し出て、キルデンザックへの慰謝料の支払いを半分負担することとなった。

また、"光の魔女"が"忌み子"であることを伏せていたため、魔女協会も幾ばくかの罰金を支払うべしとの判決が下った。


"光の魔女"の経営資格は剥奪されたが、検吏のマル・ガ・ダグの証言により、クリンの事業経営資格は剥奪を免れた。

そのため『クルーラー・グーニィ光陽社』の経営権はクリンに移る形となり、"光の魔女"は研究開発員の一人として再雇用された。


社名も変更となった。

裁判を執り仕切った領主はマメな人間で、判決の後に社名変更手続きを法廷で自ら行ったのである。

新しい社名を尋ねられた時は協議が予想されたが、クリンは数秒も間を置くことなく即座に応えた。




「『グーニィ(太陽)・ヴィ(の)・カント(残り時間)劫陽社』にいたします」




太陽が消え去る時まで、何もかもが続くだろう。

雨が降ろうとも雪が降ろうとも山が火を噴こうとも、光は在り続けるだろう。


"光の魔女"は子供のようにはしゃいで、手を叩いていた。

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