光の魔女4
ベッドの中で安らかな寝息を立てている"光の魔女"にナイトキャップを被せる。
寝顔は子供のように穏やかであり、クリンの手が頬をなぜると、咀嚼するように口をもぐもぐと動かした。
完全に眠ってしまっている。
クリンの横に座って、クロスはその様子を見下ろしていた。
先ほどまでの激情と憎悪の影など一切窺わせない、純朴なる子供のような寝顔だった。
執務室の隣の寝所に彼女を運んだ時には、既にクリンが待ち構えて寝台を整えていた。
そして今、死人の冷たい手に整えられた寝台で、魔女は温もりを得ている。
「クリンさん」
寝た子を起こさぬよう、潜めて呼びかける。
言葉への明確な反応は無かったが、聞こえてはいるはずだ。
構わずに、次なる言葉を続けていく。
「さっきのって、もしかして」
あえて言葉を濁すと、即座に「ええ、魔力漏出です」と返ってきた。
生物は肉体と魂と魔力の三層構造によって成立している。
活力の源である魔力を、精神の源泉である魂が包んで保ち、物質的な肉体が魂を守る。
魔力は僅かずつ滲み出て肉体に生命力を与え、魂は魔力を守りつつ精神を形作る。
だが、何らかの理由で魔力が過剰に漏れ出て肉体に流れ込むと、それは神経を通って体外へ放出される。
肉体の構造には種族の違いや個人差があるため、時に魔力は肉体の機能を通じて、何らかの物質的なエネルギーへ自然に変換されることがある。
クルーラー・グーニィの場合、それは『光』なのだ。
神経を通じて魔力同士が絶妙な衝突を繰り返し、光へ変換されるのだ。
魔力漏出は危険な現象である。
過剰な流出は、堰のヒビを押し広げる水流のように魂を破壊してしまう。
そうでなくとも大量の魔力が環境に放出されるため、周囲への被害は甚大だ。
大量の魔力は、それが流れる肉体をも傷つけるだろう。
「でも、どうして。通常は起こり得ない現象のはずです」
問いかけに、まずはジロリと横目を流してみせるクリン。
魔力節約のため、死人は代謝を抑制している。故に、彼女の目つきはいつでも恨めしげであった。
それから、彼女は少しの間を置き、淡々と言い放った。
「光陽様は"忌み子"であらせられます」
"忌み子"。それは古い俗称である。
魂が形成不全を起こした状態で生まれてしまった赤子を指して、そう呼ばわる。
その多くは数年以内に衰弱死するか、魔力漏出により周囲を破壊しながら死に至る。
故に"忌み子"は多くの文化で、直ちに殺されるか捨てられる。
後ろめたい行為を少しでも正当化しようとして、あらゆる民族と文化はそれぞれの言葉で、彼らを"忌み子"と呼称するのだ。
「貴方様とご同様に」
そしてクロスも、かつて"忌み子"であった。
同胞に打ち捨てられ、魔女に拾われ育てられた。
クロスも"光の魔女"も、同じ境遇を抱える者同士であった。
「しかし、光陽様は十分な治療を受けられませんでした。魂が歪さを残したまま成長してしまい、既に手がつけられません。光陽様は生涯、己のままならぬ魂と付き合っていかなくてはなりません」
それで、あんなに怒っていたのか。抑えが効かなかったんだ。
クロスがそのように考えていたのを、クリンは感じ取った。
直接触れていなくとも、単純な魂の表層思考なら感じ取られてしまうのだ。
「怒りは、魔道士会に向けられたものです。ガル・プリズムの研究を始めてより、どこから聞きつけてきたものか、魔道士会が妨害してくるようになりました。研究の中止をはっきりと命令し、実験用の物資やレンズの素材が滞るようになりました。領主からも圧力を受け、そして今回は行政使府すら動かしました」
「何故、そこまでして」
「光陽様の研究を横取りしたいのです。プリズムを奪い、光陽社を奪い、女が自分らに勝る栄光を掴み続けるのを阻止したいのです」
クリンの手が再び"光の魔女"の頬をなでる。
悪い夢でも見ているのか、魔女は眉をしかめながらむぐむぐと口を動かした。
「光陽様は気が大きく乱れると魂の壁に穴が生じ、大量の魔力が光という形で漏出します。そんなご自身の体質をもとに、ガル・プリズムを発明されたのです。プリズムは、光陽様ご自身そのものなのです。穢させる訳には参りません」
その手つきと声色は慈愛というより心配のようであった。
親が如き愛情ではなく、乳母が如き愛情のようであった。
「光陽様を衝き動かすものは、あまりにも激しすぎる感情です。恐れ、怒り、憎しみ、反骨心、虚栄心、功名心、その全てが光陽様の脅威となるでしょう。それらから光陽様の魂をお守りするのが、私のお役目です」
「魔法を使わせてはならない」という師の言葉を思い出していた。
魂の形成不全による魔力漏出。気が昂った程度でそれが起きてしまうならば、魔法を用いては確実に大惨事を巻き起こすだろう。
制御できぬ魔力を自らの意思で解き放てば、確実に肉体は崩壊する。
それも、放出されるのは赤子の乏しい魔力ではない。未成年とはいえ数十年かけて育まれた魔力である。
周囲にもたらす破壊は、恐らく前例があるまい。
そう、前例が無いのだ。
数千年、数万年という生物の歴史に於いて、一切例が無い。
"忌み子"そのものは遥かな太古より存在していたというのに。
「彼女、その、"光の魔女"さんですけど、どうやって今まで生き延びて来られたんですか?」
湧き上がった疑問を投げかけずにはいられなかった。
どのみち、余程でなければ、死人の気分を害することもない。
しかしクリンは明らかに躊躇った。一瞬だけ視線を逸らしたのだ。
だが、直後には泳がせた視線をクロスへ向け直し、意を決するように息を吸った。
「先代の"腑の魔女"様が、治療にあたりました。当時"忌み子"の治療は全く未知の分野で、何が有効で何が有効では無いのか、全くの手探り状態であったそうです。それでも力を尽くし、致命的な綻びだけは何とか塞ぎました。しかし、魂の形そのものは歪なままだったのです」
だから発作を抑えるためにアーゲルン人の従者が必要なのか。
口に出さずとも、その結論はクリンの心に写し取られた。
──ん? ということは、もしかして──
新たな結論に至ろうとした時、クリンが出し抜けに立ち上がった。
その突然の動作によって、クロスの思考が中断される。
「クロスさん、光陽社には一階に食堂が置かれています。昼食はそちらで摂るようにして下さい。その後は、光陽様もお目覚めになっている頃でしょうし、執務室で色々とお話いたしましょう」
淡々としているが、だからこそ有無を言わせぬ口調に、クロスも「は、はい」と応えざるを得なかった。
立ち上がり、そそくさとドアへと向かう。
途中、一度振り向いたが、ただ立ち尽くして"光の魔女"を見下ろすクリンの後ろ姿があるだけだった。
どこもかしこも豪奢絢爛たる光陽社であったが、食堂は広くはあるものの至って普通の酒場の様相を呈していた。
焼き土を突き固めた床に、板壁と木材の梁。柱や机などには相当使い込まれた木材が使用されており、滑らかな感触すらある。
"光の魔女"は自室で食事を摂り、この食堂は利用したことがないのだろう。
必然、そこは彼女の光が及ばない、一般従業員たちの憩いの場と化していた。
昼食の時間も過ぎているというのに、待機時間を食堂で過ごす数多くの作業師や魔法使いたちがたむろしている。
もっとも、事前使が社内に入った時点で操業は一時停止せざるを得ないのだから、このような場に人が集まるのもある種の必然と言えた。
その一角に、クロスは座していた。
眼前に並ぶはゴラの内臓ともも肉の合挽きをキャベツと共に閉じたパイに、ボルター豆のスープ。
これらを左手で摘みながら、右手では相互紙を広げ、ペンを握っていた。
『クリンが話すとは意外ね。あの子の名誉のために黙っているものと思っていたのだけれど』
連絡の相手は、師のストイル・カグズ・アッサルートだ。
『師匠の命令だったんじゃないんですか?』
『発作による崩壊を魂感応で防ぐために送った従者よ。あの子を守れ、以外の命令なんて出してないわ』
『今回の魔道士会の動きに関係ありますかね』
『うーん、魔道士会にちょっかいかけられてるのは前から知ってたんだけど、圧力なり策略なりで払い除けてあげようにも、あの子頑なに拒むのよ。だから従者としての、言外の救援要請のつもりなのかもしれないわね』
"光の魔女"の言動を思い出す。
彼女の頭の中は常に何らかの事柄が渦巻き続けているようで、内側から圧迫される魂の緊張を感じた。
回転し、変転し続ける思考。神経がすり減り続けるに違いない。
『どうして助けを拒むんでしょう? 魔道士会の干渉で実害が出ているなら、対抗すべきなんじゃないですか?』
『自分の力で叩きのめしたいのか、協会の介入すら邪魔と思っているかのどちらかね。魔道士会だけでも手一杯なのに、魔女協会の相手までしてられない、とか。どちらも同じ雑音としか捉えられてないのかもしれないわ』
啖呵を切る時、統王と魔道士会と魔女協会を同列に置いて語っていた。
恐らく"光の魔女"にとって、それらは同じようなものでしかないのだろう。
『でも、モル・ニスを選んだのは彼女自身ですよね? 魔道士会の干渉は予測できたんじゃ』
『怪奇な精神状態よね。あの子のような状態で生き延びた"忌み子"の思考過程に関しては、事例が皆無だから、私たちからしても奇行を奇行としてしか受け止められないのよ。なんとか理解してあげたいのだけれどね』
要は魔女協会からしてもお手上げに近い、ということか。
本人の意思を尊重する必要がある以上、どこまでが真意でどこまでが錯乱なのかを測りかねている内に、後手に回らされてしまうのだろう。
パイの耳を口に押し込みながら、クロスはぼんやりと状況を推し量っていた。
と、そのように思考を巡らせている間に、先ほど中断された思考を思い出した。
あの時はクリンに追い出されてしまった形だが、問いかける相手は師でもよいだろう。
改めて、相互紙にペンを走らせ始める。
『そういえば師匠、"光の魔女"さんが不十分な治療しか受けられなくて、ああなってしまったのなら、私はどうなんでしょうか?』
文字が紙に染み込む。
それから、少しの間が生じた。
『どうって?』との返答はもちろんあったが、その程度を記すにしては不自然に長い間であった。
『私の治療のために、グーニィさんを実験台にしたんですか?』
クロスは現在17歳である。
クルーラー・グーニィとは60から70歳程度離れているが、"忌み子"の治療は長期に渡った。
現在のクロスはほぼ完璧な形で魂の欠損を埋め合わせられているが、その状態を作るのに6年はかかっている。
エルフとオークは長命種であり、そのぶん進行も遅い。
"忌み子"のような未知の症状の実験台としては最適に近い種族であった。
時期から言って、その成果をクロスの治療に活用できたのは偶然の結果ではあるだろうが。
『そのためにエルフの"忌み子"を引き取って"腑の魔女"に預けたんですね? 彼女が将来魔女になるとは思わずに』
知ってはおきたかった。
過去は変えられなくとも、事実は必要だった。
"光の魔女"の幸福をあくまで願うのならば。
暫くの間、返答は無かった。
しかしクロスは待った。返答が来るのを確信しているからだ。
問いかけを無視するような人物では無いというのを、骨の髄まで知っているからだ。
『クロス』
浮き上がる文字はあくまで流麗で、動揺などは一切見られなかった。
『言い訳はしない、私たちはあの子を利用した。選択肢を絞って検証を重ねるためだけに、効果が見込めないと分かっていた治療法だっていくつも試したわ。始めたのは私の師匠だったけれど、私もそれを引き継いで先代の"腑の魔女"に現状の継続を命じたの』
成長し、魂の内に宿る魔力量が一定量に達してしまえば、もう魂の欠損に対処するのは不可能になる。
それは当時すでに判明していた事柄だったはずだ。
その中で、治療法確立のために実験を繰り返すのは、当人の治療に寄与するとは言えないだろう。
実験で時を使い果たし、そこから得た知見で、次なる事例にあたる。
場合によってはクロスも同様の未来を辿っていただろう。
彼女への実験の結果から、効果が無いと確定した選択肢を除外できたことで、次なる事例では成功が収められた。
幸運にも、彼はほぼ完全に治療できた。
それはつまり、不幸な先例が存在したという事実に他ならない。
これから先、数多の命が救えたとしても、その業によって救えなかった者がいた過去は変えられない。
『彼女はそれを知っているんですか?』
『わからない。でも、察してはいるかもしれないわ。同じ"忌み子"でありながらほぼ完治したあなたに、興味を持っていたようだから』
興味を持つ。今日のクロスへ向けた意識の希薄さからは、そのような意思は感じ取られなかったが。
常に頭の中が埋め尽くされているせいで、その日その時によって興味や集中の対象も移り変わるのだろう。
『幻滅した?』
短い、一言のみが白紙の中央にぽつんと浮かび上がる。
クロスは大きく心を動かすこともなく、平然とペンを進めた。
『いえ、大事な情報が知られてよかったです』
"光の魔女"は自身でもままならない感情に支配されている。
それは会って間もない中で発せられた次々の言動から、十分に読み取られた。
しかし、その感情の源泉はどこにあるのか? それは複雑な事情から来る、複合的な感情だろう。
憎悪と敬意が繋がるように、愛と嫌悪が繋がるように、複数の感情が合体して一つの感情的な反応として表出する。
彼女の場合、それが常人よりも顕著なのだろう。
『とりあえず、魔道士会との揉め事と"ガル・プリズム"の件が落ち着くまでは、私も光陽社に滞在しようと思います』
結論を告げ、今回の連絡をこれで終える意思をそれとなく伝える。
師からも『悪いわね』と返ってきたきり、それ以上の文章は浮き上がって来なくなった。
相互紙をまとめ、仕舞い込み、落としていた視線を上げる。
その時、隅の方で魔道士会の魔法使いたちとキルデンザックが共に卓を囲んでいるのが目に入った。
クロスは己の軽率さを反省した。彼らが食堂に姿を現すのは全く不思議ではない。
だというのに、無警戒に相互紙を広げて魔女協会長とやり取りしてしまった。
相互紙の技術が魔女協会の秘伝であるのに加えて、組織の機密に関わる情報が、対立組織に漏れてしまう可能性があったのだ。
「ここにいる間は、用心しておかないとなぁ」
呟きながら、食べかけのパイとスープを置いたまま立ち上がる。
向かう先は魔道士会の者たちが囲っている卓だ。
周囲の従業員や光陽社付きの魔法使いたちは明確に彼らを避けていたため、クロス一人が歩み寄って来ているのには直ぐに気付かれた。
キルデンザックの部下たちのうち、二名が立ち上がってクロスを睨みつける。
とはいえ、それが敵意ではなく単なる警戒から来る行動であるのは、クロスからしてみれば明白であった。
しかし刺激しないよう、その二名の前で立ち止まり、彼ら越しにキルデンザックに視線を向ける。
彼はちょうど、魚の燻製とクレイン辛子のスープと、チーズ入りパンを平らげたところであった。




