鉄の魔女4
「太守閣下、魔女協会としては表立った動きは慎む方針であることは、まずご理解ください」
「わかっている」
「組織的な支援は難しいでしょう。閣下のお力になれるのは、私と、ココリッチ嬢のみです。それに、先ほどはあのような啖呵を切りもしましたが、実際はイーリさんの気持ちも確かめられていない状況です」
「ああ、そうだろうな」
あれから、二人は城の空き部屋に入って情報の確認を行っていた。
バンギン総督の様子からして、予想以上に繊細な問題となるのは明白だった。
きっちりと、お互いの言動や認識について注意すべき部分があるならば、共有しておかなくてはならない。
「協会としても、本人が望まないことを強制はできません。イーリさんにその気が無く、私たちの努力も空振りとなれば、諦めて頂かなくてはならないかもしれません」
「もとより、分は悪かった」
イレーギンは部屋の中をうろついている。
ここは衛兵の詰所の一つのようだったが、今は誰もいない。
恐らくは、練兵を行っていた衛兵たちの詰所なのだろう。
「あいつは変に鈍感なのだ。昔からそうであった。なのに、意地だけは鉄をも砕く程に堅牢で、厄介極まる女だ」
苛つくような、焦るような声で毒づく。
それに対し、露骨にため息をついてやると、即座にイレーギンの抗議するような目つきが注がれた。
しかし、今更そのような視線に動じることは無かった。
「太守閣下、お言葉ですがそれはあなたもです。いえ、明確な好意を抱いた上で尚そうなのですから、頑固さで言えばあなたが上回るでしょう」
「何を!」
「どうして今日、御自ら私を迎えに来られたのですか? 使いを出すなり、衛兵に命じるなり、いくらでも方法があるのに、何故太守閣下自ら参ったのですか?」
イレーギンは言葉に詰まった。
「イーリさんに会って、伝えたいことがあったのでは? 昨日それとなく誘ったのに全く通じなかった、来週の狩りに、今度は直接誘おうとしたのではないですか? なのに、その場の流れで太守としての、総督の息子としての、タルギン一族としての意地が湧き出でて──」
「もうよい!」
ふて腐れたように椅子に座り、片腕を卓の上に乗せる。
その姿はまるで、傷ついた兵士であった。
「魔女の弟子というものが、これほどまでに心を抉るものとは知らなんだわ」
忌々しげに呟きながらも、言葉を否定はしない。
クロスの分析の悉くが的中していたのだろう。
「イーリンデルとは、幼き頃からの付き合いだ。俺の気持ちも、いつ芽生えたのか最早憶えておらぬほど、昔からのものだ。俺はこの気持ちと共に成長し、成人したと言ってもいい。城にあいつが来る日を楽しみに日々を過ごし、その日が来る度にずっと共にいた」
どこかやるせなく、恨み言であるかのように、こぼし始める。
事実、愛情というのは当人が望んで抱く感情ではないのだろう。
「あいつが結婚したと聞いた時は、我ながら驚くほどに落ち込んだものだ。俺はこんな軟弱者だったのかと卑下もした。色恋に囚われる、情けない太守なのだと。そしてそう思う度に、更なる深みに嵌っていくようだった。あいつの離婚があと1年遅れていれば、俺は役目を辞していただろう」
ドワアフが語る切実な色恋話などは、どこの文献にも記されていない。
貴重なものを聞いているんだな、という実感と共に、哀れみが湧き上がるのを感じた。
「しかしイーリンデルは離婚した。統王法と天核教の承認のもとで、何ら恥じることなく独り身へと戻ったのだ。俺にはもう、どうしようもなかった。込み上げるものを抑え切れないのだ。何と意地汚く、恥ずべき衝動なのだろう。俺は自分が恥ずかしい。だがどうしても、どうしても、止められないのだ」
苦痛に顔を歪め、目には涙すら溜めていた。
「俺は誇り高きドワアフだ。栄誉あるタルギンの後継だ。責任ある太守だ。だが御使者殿もご存知だろう? 俺はその全てを擲ってまでも、あいつを愛してしまうのだ。忌々しいほどにな」
吐露した後、自らの涙に気付いたようだった。
鼻をせせり、涙と顔を見られぬよう、背を向ける。
その背すらも泣いていることには気付かずに。
「イレーギンさん」
背中越しに、柔らかく声をかける。
それで振り向かれなくとも、クロスは言葉を続けた。
「まずは、イーリさんを愛する自分を認めてあげてください。そのままではいけません。彼女を幸せにしたいのならば、まずは自分が幸せにならなければ。魔女たちから学んだことの一つです。誰かを愛する自分を好きにならずして、その誰かを守るのは不可能です」
届いているかどうかは分からなかったが、それでも続ける他は無かった。
「あなたが躊躇してしまったら、全てはこのままです。イーリさんもあなたも、幸せにはなれるでしょう。ココチさんは健やかに育ち、イーリさんは当代随一の名匠として名を馳せ、あなたは栄誉と富に満ちたタルギンを継ぐでしょう。しかし、そこまでです。それ以上は何も起きない」
説得しようというつもりは無い。
ただ、思ったことを口に出しているだけである。
「それでいいんですか? ドワアフは自らの強欲をも誇ると聞いています。あなたは、もっと欲しくないのですか? より良くを目指さなくていいのですか? 望みながら、臨みはせず、諦めるのですか?」
イレーギンは背を向けたまま、立ち上がった。
仁王立ちの姿勢のまま、堪えるように数秒肩を震わせると、振り向く。
その目には、やぶれかぶれの覚悟が宿っていた。
「否、既に決意したこと。今更女々しく宣うまいぞ。此度の動向、そなたらに託す」
クロスは真っ直ぐに向かい合い、右手を差し出した。
応えてもらえるという確信があった。
「よろしくお願いします、イレーギンさん」
その右手を、イレーギンの右手が握った。
イーリほどではないが、固く、力強い握手であった。
「頼んだぞ、クロス殿」
握手が離れた時、奇妙な共犯が成立していた。
「いま戻りましたー」
クロスが"鉄の魔女"の自宅に戻ったのは、昼も過ぎた頃だった。
「おかえりなさいなのですー」
奥からココチがぱたぱたと小走りで出迎える。
「イーリさんは?」
「仕事中なのです。今さっき、昼休憩が終わったばかりなのです」
前掛けをし、袖を捲って、三角巾を頭に巻いているココチは、ついさっきまで炊事にかかっていたかのような風体だった。
工房には集団で泊り込むことのできる施設がある。
人足や職人の多くは、仕事の間中そこに泊まった後に、同じ期間帰宅して過ごすという生活を送っていた。
そこで必要となるのが洗濯や炊事等である。
ここではココチ率いる洗濯婦8名と炊事婦7名が、一人ずつ交代しながら毎日全員分の洗濯と食事の用意を行なっていた。
今はちょうど、昼食を終え、炊事婦たちに昼の給金を配り終えたところのようであった。
この工房では、ココチが資金の管理運用を行なっているのだ。
「それより、早速始めましょう」
ふんす、と鼻息を荒げながら、両手で握った相互紙を差し出す。
クロスはそれを受け取ると、羽ペンの先をインクに浸した。
『ご苦労。首尾はどうだ?』
呼び出しから30分ほど待つと、エルガンから報告を促す文章が送られてきた。
『イレーギンさんのイーリさんに対する愛情はかなりのものです。本人も葛藤し、苦しんでいます。元気付けはしましたが、今後も揺れ動くかもしれません』
『想定通りだな。愛を拗らせたドワアフなんてのはそんなもんだろう。肝心の"鉄の魔女"の方はどうだ?』
『水を向けてはみたのですが、さっぱりなのです。古い友達、としか思ってないみたいなのです』
『たとえ恋心があったとしても、本人でさえそれを認めないだろう。離婚の経験から、思いやりと自己防衛の本能によって自分にすら嘘をつくのは、よくあることだ。本心がいずれにあるにせよ、それを掘り当てるのには時間がかかるかもしれん。だが探りを入れすぎて却って勘繰られるのもまずい。ひとまずは中断してくれ』
『了解なのです!』
ココチはかなりやる気に溢れているようだ。
この活動を楽しんですらいるように見える。
『タルギンⅧ世はどうだった?』
『かなり怒ってますね。ナッグの税収減の見込みと、縫製技術伝授の約束が果たされなかったことに怒っているようです』
『縫製技術伝授については何とかなる。約束を果たしてやれば、奴も収まるだろう。それでもゴネるようなら『"鉄の魔女"も引き上げさせるぞ』とでも脅してやるまでよ。問題はやはりナッグだな』
『クルギャさんに戻ってもらう、のはやっぱり無理なんでしょうか?』
『無理だな。"胞の魔女"の決意は固い。たとえ本人を説得できたとしても、新条件での経済協定が既に進んでいる。"胞の魔女"を戻してしまえば、タルギン総督は一方的に三者協議を打ち切るだろう。そうなれば統王とタルギンは対立関係に陥りかねん。全てが悪く進めば、戦に発展する可能性すらある』
戦。その文字に、二人は目を丸くした。
色恋を叶えつつ、魔女協会とタルギンとの関係を修復したい。
単なる恋愛の話に政治が絡めば、人死の話まで出てくる。ましてや、戦など。
それは二人の少年少女の想像力を遥かに超える事柄であった。
『ナッグの問題については、太守の口添えが必要になるだろう。その点は問題無いんだな?』
『はい、協力してくれるようです』
『よし、問題はどんな口添えをしてもらうかだな。父子の対立は可能な限り避けたいが、実際は難しいだろう。"鉄の魔女"との婚姻と絡めて、明確に我々を擁護してもらわなくてはならんが、太守にはあの総督に打ち勝てるほどの覚悟と胆力はあるのか?』
『今のままだと、難しいと思います。イーリさんとの愛が成就したならば、あるいは』
『話が振り出しに戻ってしまったな。やはりまずは、二人を結ばせなくてはならんか。ココチちゃんは、何か使えそうな情報は無いか? "鉄の魔女"の好きな物とか、思い出とか、なんでもいい』
『無いのです。わたしが物心ついた時には、母さんはもう毎日仕事したり、父さんと喧嘩したり、研究や開発をしたりっていう生活だったのです。わたしが生まれる前の母さんなんて、全然知らないのです』
思わず、横目でココチの顔を見た。
いつも通りの無表情であり、その奥に秘められた感情は、ただ推し量るしかなかった。
『悪いことを訊いちまったな。すまん』
『謝る必要こそ無いのです。続けてほしいのです』
文字に揺らぎはない。
「大丈夫ですか?」と訊ねても「大丈夫なのです」という、確かな答えが返ってくるばかりであった。
『魔女たちの来歴については、俺もあまり詳しくは無い。ご主人の補助と『死人の軍勢』の統括が役目だからな。代々の"屍の魔女"に受け継がれ、蓄積されてきた魔女録を紐解くしかないだろう』
『ということは、お師匠様に?』
『そうなるな。そろそろ着く頃じゃないか?』
こんこん、と玄関のドアがノックされる。
音の大きさからして、ディカドラやイーリ、イレーギンではない。
もっと小さな、子供が爪先で叩いたような音だった。
クロスが慌てて相互紙を畳むのと同時に、ココチが玄関へ走る。
小さく、僅かにドアを開いて外を覗くが、そこには誰も立っていなかった。
「あっ、足元」
頓狂なクロスの声が響く。
言われてココチが足元を見ると、一羽の鷹が足の間をすり抜けて行くところだった。
「きゃっ」と小さく声をあげて飛び退くと、鷹は床を掴むようにのしのしと歩いて居間に入った。
翼の大きさの割に体が小さめの、飛行能力に秀でた種、ハジロタカである。
よく見ると背中に筒のようなものが結い付けられており、足には足輪があった。
ココチが抱き上げても、全く抵抗を見せない。
よく訓練され、飼い慣らされた鷹であった。
「協会の紋章なのです」
背中の筒には魔女協会の紋章が捺してあった。
クロスも歩み寄って確かめてみるが、間違いない。
足輪は金製で、左右に折り重なった翼と、その間に示された鳥の目、といったデザインの印章が刻んである。
シリネディーク城で過ごしていた頃に見た覚えがある。"鳥の魔女"の印章だ。
ていねいに筒を鷹から取り外し、蓋を引っこ抜く。
ココチは足輪の裏に刻まれていた名前を呼びながら、鷹を撫で始めた。
筒に入っていたのは、新しい相互紙であった。
新品で、真っさらの、何の臭いもしない上質な羊皮紙である。
しかし通常の羊皮紙よりも分厚く、ぶよぶよと柔らかい感触があり、インク排出用の穴が角に空いている。相互紙の特徴だ。
クロスは急いでペンをインクに浸し、ただ短く走り書いた。
『お師匠様』
その文字は即座に吸い込まれ、代わりにとばかりに新たな文字が浮かび上がった。
『は〜い、久しぶりねクロス。ナッグでの件はあなたとエルガンに任せきりになっちゃって、悪かったわ』
魔女協会会長でありシリネディーク城主であり魔女協会領領主であり9代目"屍の魔女"であり、クロスの師であるストイル・カグズ・アッサルートその人の筆跡であった。
『王都に呼び出されたって聞きましたけど、どうしたんですか?』
『表向きはナッグの件での釈明を求めるという話なのだけれど、実際は善後策協議のためね。ナッグ産ワインは優良な流通品だっただけに、食兌換制にとって打撃になりうるもの。でも、統王への新提案と魔道士会への言い訳はバッチリ用意してあるから大丈夫よ』
送られてきた文字が消える。
その返事を考えていたところで、また次の文章が浮かび上がった。
『それよりエルガンから聞いたわよ!なんだかクソ面白そうなことになってるらしいじゃないの!!!
地方都市のドワアフ太守と双角族の女鍛治の幼馴染恋物語とかそれなんて恋歌!?
私に協力できるなら、なんでも協力させてもらうわよ!!!!!!』
文面からは熱意が伝わり、文字の乱れからは興奮が伝わってくる。
どうやら、全面的に協力してくれるのは間違いなさそうだ。
『師匠、とりあえずはイーリさんをイレーギンさんに振り向かせるのが先決、と先ほど結論しました。そこでなんですけど、7代目"鉄の魔女"について、有効な情報って何か知ってませんか?』
『魔女録があれば簡単に調べられるのだけれど、今は王都に向かってる道中だから、手元に無いのよね。私にしか開けられない場所にしまってあるから、エルガンにも頼めないし』
やはり厳しいか。そう思って筆を走らせようとした時に、新たな文字が浮かんだ。
興奮しているのか、かなりの速筆になっているようだった。
『でも大丈夫。そんな事もあろうかと、いま"霊の魔女"の家に来てるわ。彼女の魂盗みで、私の記憶から魔女録の記述を探せばいいのよ。なんたって一度は全部読んだ記録なんだからね』
『そんなこと出来るんですか』
『5年前の学会で発表された技術よ。実用できるほど習熟してるのは、まだ彼女だけだろうけれど』
『エルガンさんには言ってあるんですか?』
少しの間、返事は無かった。
その沈黙の間だけで答えは察せられたが、新たな文字が出てくるまでは、ただ待つことにした。
『いま言ったわ』
『そんなことだろうと思いましたよ。私は反対です。お師匠様がそこまでしなくとも、私とココチさんで他の方法を探します』
『あなたって意外と感情的よね。でも、私はそれ以上なの。やると言ったら絶対やるわ。それに魔女協会長である私が、魔女の研究成果を信頼できないでどうするのよ。
この話はこれでおしまい。それじゃ、結果は明日出るから!』
一方的にそう打ち切った後は、何を書き送っても返事は無かった。恐らく、既にソウルテイクが始まっているのだろう。
ため息をつき、ココチの様子を見る。
彼女は鷹をころころと転がして遊んでいた。鷹の方も抵抗はしていない。
しかし、クロスが相互紙から視線を外してこちらを見ているのに気付くと、鷹をしっかりと抱いて立ち上がった。
「どうだったのですか」との問いに「少し困ったことになった」と正直に答えつつ、エルガンと繋がっている相互紙に再び視線を落とす。
羽ペンで適当な染みを送り、再びやりとりが可能になったことを報せると、すぐに文章が送られてきた。
『まあ、御主人は昔からやると決めたら絶対やる女だったからな。任せるしかあるまい』
再び横についたココチが首を傾げたのがわかった。
クロスと"屍の魔女"とのやり取りについては、見ていなかったのだ。
『それより俺たちは俺たちで動こう。まずは、太守を精神面で補助してやる必要がある。葛藤するドワアフなどよっぽどだからな、自信をつけさせなくてはならん。例え勘違いであってもな』
『どうやってやります?』
『まずは──』
「ただいまー!」
文字の浮かび始めで、突如イーリがドアを開けて帰ってきた。
クロスは慌てて『イーリ 来た』とだけ書いた後に羽ペンごと相互紙をぐしゃりと潰す。
ココチも、あんまり驚いて体が咄嗟に動かなかったようで、体だけを捻って玄関を見ながら「おかえり なさい なのです」と妙に間の開いた声をかけるので精一杯であった。
「おぉ、なんだいなんだい二人して、あたしに秘密でなんか楽しいことしてんだろ〜」
ずし、ずし、と大股で歩み寄ってくる。
クロスもココチと同様の姿勢で振り向き、引きつった笑いを浮かべた。
190cmを超す筋骨逞しい魔女が迫ってくるというのは、中々に迫力のある光景であった。
「あの、協会長が新しい相互紙を送ってくれたので、ココチさんに見せてたところです」
「そうなのです!」
ココチが勢いよく立ち上がり、抱えている鷹を差し出した。
鷹はイーリの眼前で一度、小さく鳴いた。
そしてその隙に、クロスはエルガンとの相互紙を懐に入れ、代わりに師との相互紙を取り出した。
「なんだい、"鳥の"とこのハジロタカじゃないか。こいつが届けてきたのかい?」
「そうなのです。ポランちゃんというのです。かわいいのです。うちで飼いたいのです!」
「だ〜め。ちゃんと"鳥の魔女"に返さなきゃねぇ」
「ぷぅ!」
頬を膨らませるココチ。
その様子を笑いながらも、ちらりとクロスの手元を見たが、握られているのは新品の相互紙。
それが、一応は話の裏付けとして成立してくれた。
「でも、まあ、こいつも長旅で疲れてるからねぇ。三日間ぐらいはうちで休ませて、それから帰らせてやるのが決まりなのさ」
「それじゃ、その間はうちに」
「いいよ。世話はクロスと二人で分担しな!」
「えっ」
なんの脈絡もなしに鷹の世話を任されてしまった。
ココチは無邪気に飛び跳ねているが、彼女は炊事と洗濯の仕事がある。
世話の大部分をクロスが担当するであろうことは、火を見るより明らかだった。
だが、ココチが鷹の胸毛に顔を押し付けながら喜んでいるのを見ると、まあいいか、という気持ちが勝った。
鷹の頭を撫でてやると、やはり抵抗は無かった。
早速、ココチが鷹の止まり木を作りに寝室へと駆け込んで行く。
まさに善は急げと言わんばかりだ。
「立派な鷹ですね」
「そりゃそうさね。金の足輪は"鳥の魔女"ご自慢の一級品である証さ。現界だけじゃなく魔界の何処へでも飛んで行けるし、配達だってどこの馬車屋トカゲ車屋よりも正確さ。鷹狩りだってさせられるんだよ」
「へぇ、鷹狩りにも」
呟きながら頷き、寝室の方を見る。
そこには早くも、筵を巻いたココチの腕に止まる鷹のポランがいた。
その姿に、閃きが走った。
鷹を腕に止まらせているのが、もしイーリだったらどうなるだろうか?
もし当たれば、完璧な計画となるだろう。
エルガンに相談すべきだが、チャンスはここしか無いかもしれない。
意を決するべき時だ。クロスは可能な限り、声の力を抑えて軽口のように振舞おうと意識した。
そして、一息でまずは言い放つ。
「来週の狩りで、あの鷹が加わったら面白いんじゃないですかね?」
「んあ?」
返ってきたのは間の抜けた声であったが、ひとまず興味は引けたようだ。
二の矢三の矢で畳み掛ける。
「魔女協会の鷹ですよ。あれで、来週の狩りに参加するんです。見ものだと思いません?」
「来週のって、ギンちゃんのかい? それはマズいしょ〜、ドワアフの狩りによそ者が加わるのはさぁ。本人はともかく親父が嫌がるって」
「だからこそ、ですよ。狩りを盛り上げるのに協力したい、ナッグの件での謝罪の一環だ、と言えばいいんです。"鳥の魔女"が鍛えた最高級の鷹ですよ? どんなふうに飛んで、どうやって獲物を捕まえるのか、興味ありません?」
「そりゃあ、あるけどさぁ」
「タルギンと魔女協会の友誼を修復するいい機会でもありますよ。主催である太守閣下に贈り物でも届けて、参加の意思を伝えれば礼儀としても十分です」
既に、軽口のような雰囲気は取り去られていた。
イレーギンに向けられていた言葉とは真逆の、全力で説得を試みる口調であった。
「誰が出んのさ? あんた鷹狩りの仕方なんて知ってるのかい?」
「そりゃあ、魔女協会の代表として参加する人な訳ですから、魔女名のある地位の高い人でないといけませんよね。来週の狩りに参加が間に合う、魔女名持ちとなると、ですね」
「……あたしかい!?」
驚いた様子で自分を指差す。
「無理無理無理無理! 鷹なんて触ったこともないよ!」
「やり方は太守閣下に教えてもらいましょう。そのためにも、彼への贈り物は必要になりますね」
「駄目だよ! あいつだって忙しいんだから! そんな迷惑かけらんないよ!」
「大丈夫です。実は狩りに何らかの形で魔女協会が協力したいというのは、既に伝えてあります。太守閣下は魔女協会との関係修復のためなら喜んで協力する、と仰っていました」
これは嘘であるが、イレーギンをよく知るイーリだからこそ騙される嘘であった。
喜んで協力するつもりが本人にある、という部分は事実でもある。
「ええぇ、なんなんだいあんた、本当にストイルちゃんの弟子なんだね……」
「恐れ入ります」
「いや、褒めちゃいないよ! なんであたしなんだい!? そうだ、ココチの方がいいだろう!? 鷹だってあんなに懐いてるし」
「私の感覚ですけどあの鷹誰にでも懐きますよ。それに魔女名持ちが出ないと、総督閣下はかえってヘソを曲げかねません」
「うぐぅ」
反論が悉く正論で即座に討ち取られる、というのは呻きが漏れるほどに痛恨なものだ。
クロスはとどめと言わんばかりに、イーリの背中に手を回した。
「お願いしますよイーリさん、協会のためだと思って。協会長も協力は惜しまないと言っています」
「ううううううう」
顔を赤らめてプルプルと体を震わせているのを見ていると、大きな子供のような愛らしさがあった。
専門外のこととなると途端に初心な面を見せる。イレーギンが惚れたのも、わかる気がした。
「わかったよ! やりゃあいいんでしょ!」
「恐れ入ります」
改めて礼をする。
同時に口頭で協力の意思も示すと、早速「あ、あのさ」と返ってきた。
「その、贈り物なんてねぇ、あたしした事なくって、どういうのがいいのか」
顔を赤らめたまま、人差し指を突き合わせる様はまるで乙女であった。
吹き出すのを堪えるため俯いた後に、彼女の肩に手を置く。
そして、満面の笑みを作りながら顔を上げた。
「大丈夫です、一つずつやっていきましょう」
イーリは既に、引き受けたのは間違いだったのではないか、と思い始めていた。