鳥の魔女5
さらに三日が経過した。
客兼置き物と呼ばれたザ・スーであるが結局住み込みで鳥たちの世話を教わっている。
“鳥の魔女”も初めこそ「勝手にしな」という態度であったが、鳥たちのこととなると常に真剣だった。
教わる側も一切遠慮も物怖じもしないものだから、時に無礼な物言いに一つ目をしかめる場合もあったが、悪意によるものではないのは明らかであったのでその都度一発どつく程度で済んでいる。
ザ・スーも思いの外熱心であり、たったの二日程度で二人は師と弟子であるかのような自然なやりとりを交わしていた。
どうしてそんなに熱心なのか、本人に聞いてみたところこのような話をしてくれた。
彼は生前どこかの大地主で、何かの病で死にかけた時にアッサルートを頼って「死にたくない」とすがりついたらしい。死ぬぐらいならば、死人になりたいと。
無論そんなことは何一つ憶えていないし、病巣を取り除いた結果スケルトンになってしまった。
彼曰く「それなら結局死ぬのと変わりねぇやな、バカモンだわ」とのことだ。骨をからから鳴らしながら笑っていたので間違いなく本心だろう。
だが、生前の彼は自分の土地で多くの家畜たちの世話をしていたらしい。
作人や牧人たちにやらせるだけではなく、自らの手でも動物たちの世話をしていたようだ。
主に羊だが、他にも馬、牛、大トカゲ、ニワトリ、さらには養蚕も嗜みとして行なっていたらしい。
彼にとってはただ聞いただけの情報に過ぎないが、それでも何か動物の世話にはついつい熱中してしまうのだとか。
きっと記憶や人格ではない、魂の深い根源に、彼の変わりようのない本質があるのだろう。
その本質が、偶然動物たちへの慈愛の形をしていた。
それをきっと宿命と呼ぶべきなのだろう、とザ・スーはまた笑っていた。
宿命は天や運命や世界によって否応無く押し付けられるものではなく、初めから自分にそなわっているもので、それを使って人生の決断を下していくものである。
彼の言葉を、クロスはそう解釈して受け取った。
“鳥の魔女”の方はと言うと、この三日間とてつもなく忙しそうにしていた。
ザ・スーに鳥の世話を教えていたからではない。むしろそちらはほとんど負担とはなっておらず、半ば休憩時間と化しているほどだ。
忙しいのは本業の方。この三日間配達や伝書の依頼が数倍に増えたというのである。
日に二度の外出を三度に増やしてもギリギリ間に合っていないというほどで、毎度毎度大量の小荷物や手紙の詰まったカバンを首から下げたまま帰ってきていた。
金などは小分けにして鳥たちに運ばせている始末で、それでも未納分の回収には余念が無かった。
家にいる間もいない間もほぼずっと働き通しで「これ以上縮む寿命なんざ無いってのに!」などという愚痴も飛び出ていた。
依頼の大半は魔女協会や魔女たちからのようであった。
彼女自身が魔女協会の所属なのであるから当然ではあるのだが、これに民間や部外者の依頼も加わると膨大な量となるのである。
「ったく魔女協会は何してんだい!」
今日も夕過ぎに帰宅して開口一番愚痴が出る。
首を振ってパンパンに詰まったカバンを投げつけると、ザ・スーがそれを受け止めてクロスへ渡す。
「いま世界中が反統王連衡を躍起になって探してますからね、魔女協会でも連絡を密にして情報を集めているんでしょう」
「にしたってよくもまあこんなに話すことがあるもんさね」
「魔女同士の会話は”紙”で済みますけど、外部との連絡となると。傘下に入れてる組織や提携・連携、あるいはコネのある組織なり個人なり全て合わせると1000は下らないと思います。その全てとやりとりして情報を洗い出すなら、まだまだこんなものじゃないでしょう」
「お前、嫌な奴だね」
「恐縮です」
鳥たちから受け取った金をどさどさと金庫に突っ込んでいく。
彼女だけが扱うべき大事な金だったが、あまりに多過ぎてザ・スーにも手伝わせていた。
カバンの中身を分別するのはクロスの仕事である。
手紙と小荷物とに分け、手紙は一つずつ筒へ、小荷物は秤で計量して小箱に詰め重さを記しておく。
届け先については記載のある紙なり木簡なりを配達物の上に置いて軽く紐でくくる。
それらが済むと、またカバンに詰め直していく。もちろん中で崩れたりしないように。
「終わりました」
言い終わるよりも早く、カバンをクチバシでくわえて二階へ飛び上がった。
クロスもザ・スーも急いで後を追い、到着した時にはすでに鳥たちは行列を作って飛び立ち始めていた。
配達が多ければ必然、鳥たちの行列も長く、待ち時間も長い。
退屈して気が散り始める鳥たちに列を守らせるのはザ・スーの仕事だった。
クロスが途中から行うのは、カバンから紐でくくった配達物を取り出して”鳥の魔女”の目の前の机に置くこと。
そのためには、クロスも止まり木の上に立つ必要があった。
「はい」「はい」
「はい」「はい」
「はい」「はい」
「はい」「はい」
それでもまるで餅つきのような連携で次々と配達物を鳥たちへ渡していく。
たまに並ぶ順番を間違えて送り先との矛盾が発生する鳥もいたが、毎回”鳥の魔女”はこの速度の中でも確認を怠らず「こら」とクチバシで頭を小突いて並び直させていった。
届け先を間違えるミスなど”鳥の魔女”の伝書にはあってはならないのだ。
どんなに忙しくても、彼女は決して鳥たちと配達先の確認をおろそかにはしなかった。
「ここ数日、なんだか魔道士会からの依頼も多くないですか?」
仕事の後、夕食の席でクロスはそう切り出した。
今日の献立はやはりドゥドゥ・カナル。ただし練り込んであるのは海流鮭とオオグロ蜃気の墨だ。
オオグロ蜃気は墨を吐く貝で、その墨は非常に美味であるとされる高級食材だ。
そんなものを生地が真っ黒になるほどふんだんに使用しているのだから美味しくないはずがない。
クロスもマグナカスも我先にとばかりにかぶりついていた。
「あいつらも何かやってんだろうさ。うちと協力しろとでも統王に言われたのかねえ」
話しながらもクチバシと視線はドゥドゥ・カナルへ向けられている。
食事のペースで言えば、圧倒的に分が悪いのはクロスの方だった。
「なんだか、何もかも早くなっちゃいましたね。世界中そのものが」
そう言いながらクロスもドゥドゥ・カナルを急いで口へ詰め込んでゆく。
「なんのこたぁ無い、あたしは憶えがあるよ。いつも通りのことさ」
「いつも通り……なんのことでしょう?」
最後の一個をクチバシがさらい、放り上げてかぶりつく。
頭を振りながら一気にそれを飲み込むと、満足げにうなりながら首をひねった。
「文が忙しく交わされ、日和見どもが陣営を選び、老人どもが行く末を案じる。その時起こることはたった一つ」
クロスも、口に残った最後のひとかけらを飲み込んだ。
言葉を待つ間の息とともに。
「戦だ」
マグナカスの目はいつも通りだった。
覇気でも覚悟でもない、ただありのまま本能が示す平常の形をしている。
だがクロスは、背中の毛が逆立つような身震いを覚えた。
戦。
そういえばナン・シーラ=アル・バヴツの言行録にも同じようなことが書かれていた。
『遅くともよい便りが急き、どこにつかずともよい勢力がいきなり盟を結び始め、こころ配らずともよい老人が先を案じ、働かずともよい幼子が畑に立ち、上がらずともよい繊維の値が上がる時、そこに戦の気配あり』
この世界に数十年枯れて久しかった戦争が、起こるというのだろうか?
少なくともクロスは、その経験をしたことはない。
「戦……」
統王様の治世がほぼ隅々まで行き渡ったこの泰平の世で、そんなことが。
今のクロスには、その言葉をつぶやいてみても全く実感など湧かなかった。
どこか遠くの物語であるかのような気さえしてくる。
「あたしにゃもう関わりのないことさ。だがクロス、あんたは違うだろうよ」
マグナカス・マーグカーゴ、彼女の年齢はわからないが、確実に戦争は経験しているだろう。
「僕に、僕なんかに、なにかができるんでしょうか?」
つい助言を求めていた。
実感すら湧いていないというのに、どんな言葉であれば受け止められるつもりだったのか。
しかし、答えは返ってきた。
体全体が上下するほどの大きな深呼吸、いくつかの小鳥たちの羽毛がなびくほどのそれの後、重々しく言葉は紡がれた。
「クロス、戦で重要なのは成し遂げることじゃない」
重く、低く、それでいて断固たる意思の強さも感じられる声だった。
心の底から相手の魂へ染み付かせようとするかのような、年輪と重厚さを兼ね備えた言葉だった。
その声を通して、クロスは実感が得られるほどのものだった。
「生き残ることさ」
彼女の声には、経験だけではない重みがあった。
「あんたが、あんたでいられるための全て、それが生き残るべきものだ。ただそれだけに集中しな」
その迫力に押されるように、ぎくしゃくとうなずく。
だが”鳥の魔女”はそれで満足したようだった。
直後には二階からの「寝床の掃除ができましたぜ!」とのザ・スーの呼びかけで、話と食事は終了した。
その夜、マグナカスはまた月を見ていた。
今日の月は一つだけ。そして彼女もまた一人だけだった。
暗闇の中浮かぶひとつの光は星々の輝きを遠ざけ、月光の中浮かぶひとつの影は眠りに沈む有形無形を遠ざけた。
フクロウやオオカミのように哭くことすらなく、影はただじっと影のままだった。
月の孤独をどうして影が知り得よう、影の孤独をどうして月が知り得よう。
月と影はただ互いにぽつんと存在しているだけで、なにひとつ交わることはなかった。
ひたすら静かで、孤独で、冷淡で、無益な時間が流れていく。
だが月も影も、まださらさら眠る気などしなかった。
「マーグカーゴさん」
唐突に、それら全てを破る声が響いた。
精緻な均衡を躙ったのはクロスだったが、破壊された静かな美しさには影も頓着していなかった。
ゆえに、機嫌を損ねるようなこともなくただじっと屋根の上に立ち続けるのみである。
「明日も早いんでしょう? 仕事に障りますよ」
窓から上半身を突き出して呼びかける。
だが"鳥の魔女"はただ夜の闇へ向かって立ち、月の明かりと対峙していた。
まるで石像のようにじっと微動だにしないその姿は、むしろ今にも動き出しそうに思えた。
一瞬のうちに翼を広げ、はるか彼方へ飛び去ってしまうのではないか。
いつでもそうできるのだと思わせるほどの、説得力に満ち溢れた存在感のある立ち姿だった。
鳥は空を飛ぶ姿が鳥なのではなく、いつでも空を飛べるのだと当然のように信じながら立つ姿が鳥なのだ。
そう、思えた。
クロスは心の内でそれを願ってすらいた。
彼女が夜の闇に向かって雄大に飛び立つのを。
「……そうだね」
だが、彼女は視線を伏せてとびはねた。
その巨大な翼を広げることなく。
そうして屋根を伝って窓まで降りてくる。
クロスが体を引っ込めて数歩下がると、帽子、頭、体の順番で”鳥の魔女”が窓から入ってくる。
その姿は何らかの怪異のようですらあったが、クロスはツグミのように口をつぐんだ。
そして代わりにとばかりに、窓を閉める音を響かせる。
反応してフクロウたちが窓の方を見ながら首をかしげた。
「クロス、あんた生まれはどこだい」
意外にも切り出された会話は、止まり木に向かって進みつつ発された。
彼女はクロスの方を一瞥すらしていなかったが。
問われた青年は不思議そうに少し目を丸くする。
「シリネディーク、です、けど」
「そりゃ育ちだろう。あんたがどこで拾われたのか訊いてんだよ」
「アル・ザヤ広河口域のあたりの十字路だそうですけど、詳しいことは」
アル・ザヤは河口域と名付いてはいるがとんでもなく広い範囲を指す地名である。
完全な内陸部すら含んでおり、かえってどの場所のことも指していない地名として有名だった。
そして彼を拾った”兵の魔女”アイランは、詳しい場所を明かさなかった。「憶えてないわ」ととぼけながら。
「両親を探そうとは思わなかったのかい。いくらアル・ザヤでもなんとかなるだろ」
クロス・フォーリーズの両親。
確かに、探そうと思えばそれほど難しくはなかったろう。
アル・ザヤのどこかで、十字路の近くで、裕福な夫婦がいて、生まれたばかりの子を捨てた家。
魔女協会の力ならばこれだけ条件が絞れていれば、簡単に見つけられたはずだ。
否、あの師アッサルートならば大昔すでに見つけて知っている可能性の方が高いだろう。
案外こっそり連絡をとってクロスの無事や成長なりなんなりを伝えているかもしれない。
だが──
「僕が生まれたのはシリネディークです、今の命はあの場所で得たんですから。でも、アル・ザヤのどこかにもうひとつ故郷があるんだなあと思いながら生きるのも、なかなか楽しくって」
「恨んじゃいないのかい?」
「まさか! もし捨てられていなかったら、僕は死んでたんですから。両親は捨てることで、結果的には僕を救ったんです。本当に、大変な決断だったと思います、たぶん僕にはできないでしょう。自分の力でなんとかしようとして、失敗して、失っていたと思います」
自分の子が愛する者の胎内に宿されていることを、彼はまだ知らない。
「でも、アイランさんが言ってくれました、僕は自由です。だから会いたくなったら……会いに行こうと思います。後悔してもいい、だって自由なんですから。それに、今は──」
一瞬、間が置かれる。
「──あの人たちの意思を、尊重したい」
二人の顔を思い出しながらそう言い切った。
拾った場所をとぼけて伏せ続けるアイランと、生家を知りながら、あるいは調べる力があることを知りながら何も語らぬアッサルートの二人だ。
彼女たちがそうしたいと望んでいる間は、クロスもそう望み続けるだろう。
その望みを打ち破るほどの強い欲求が湧きあがらぬうちは。
「あんた」
マグナカスの声は相変わらず、重く、低く、しわがれていた。
「やっぱり自分の心を推し量られないようにする術を磨いた方がいいね」
だが、その軽口にはどこか浮揚感があった。
重みゆえに川底へ沈む石ではなく、優雅に水面を漂う水鳥のような冷静な安寧があった。




