法の魔女6
不信弾劾では、判事に代わり行政使府の法運用担当──たいていは検吏である──が判断を下す。
書官に連れられてやってきたのは、女性の検吏。
彼女が判事席に置いた名札に記された名前には、見覚えがあった。
アイランの調査文書の、使えそうな役人一覧にあった名前だ。
『サイザル・モロウナ、セーバーノーツで、女性。年齢は、100前後でしょうか。聞き覚えありますか?』
『記憶に無いですね。こちらの方で調べておきます』
セーバーノーツは魔界の一種族で、寿命はおよそ200年ほど。
ハン族に奴隷種族として支配されていた時代の平均寿命は60年程度だったが、2000年間かけて品種改良された結果、現在の姿形と長命を手にした。
その後ハン族はアーゲルン人に滅ぼされ、アーゲルンは彼らを集めて半眼浜一帯に押し込めた。
そこは確かに彼らの故郷ではあったが、かつてハン族の治めていた土地の広さを考えたらば、その100分の1にも満たぬ僻地。単なる厄介払いであるのは誰の目にも明らかだった。
だが、セーバーノーツたちからしてみれば、これは初の自治領であった。
労働や農耕、漁業や加工、技術職等のノウハウも蓄積されており、国を興す力は十分にあった。
しかし、彼らにはご主人がいなかった。命令や従うべき指針がなかった。統治者がなかった。
生まれつき枷を着けられていた彼らは、自分に枷を着ける方法すら知らなかったのである。
そんな彼らの受け皿となり、指針を示したのがカーギ・カリンであった。
カーギ・カリンの教えに従い、彼らは神秘を崇めず、地道に成果を積み重ね、揉め事を裁いていった。
それは結局のところ宗教を通じたアーゲルンによる間接支配でしかなかったが、彼らは気にしなかった。
時とともに形を成してゆく自分らの国に酔いしれ、奴隷時代の文化とカーギ・カリンを融合させた独自の文化を徐々に醸成させていった。
そこにはアイデンティティすら生まれ、カーギ・カリンの掟を増強した法律まで作られ、未開の浜辺地帯は一つの民族国家へと成長を遂げた。
二度目の転機は、ゴン・ガンク族との戦争だった。
一族を掌握し、様々な勢力を吸収したコードラン・ハーバントが大軍勢を率いてアーゲルンに侵攻したのだ。
アーゲルンが総力を挙げてこれを迎え撃った際、彼らも防衛側に参戦したのである。
結果は敗北。アーゲルンとともに併呑された彼らだったが、最終的には一定の独立自治が認められた。
魔界王となったコードランが奴隷解放令を発したため、民間雇用の促進としていくつかの民族に自治が認められ、納税と朝貢のうち朝貢が免除されたのである。
これによってセーバーノーツは魔界の各所に羽ばたいた。交通が関所制ながら原則自由化されたのである。
彼らは労働を苦にしない。しかも技術を持ち、経験も豊富で、多くの元奴隷や労働者たちを指導して改革を下支えした。
それは魔界王が統王になってからも続き、天核教もカーギ・カリンを文化の基としている彼らを黙認している。
それほどまでに、彼らの存在は今の社会には必要不可欠となっていた。
「今回の不信弾劾について、被告側には提議にたる疑念があり、またその疑いが客観的に妥当なものであると認めます。よって、ここに不信弾劾の訴えを受理し、ソルチェンタイウス氏の判事としての公平性について判断したいと思います。被告側」
「はい」
返事とともに立つ。
女検吏サイザル・モロウナ。通りの良いだみ声には、領主以上に威厳と貫禄があった。
「ソルチェンタイウス氏が信任に値しないとの証拠を提出可能ですか?」
「はい、被告人を監視していた衛兵2名の証言があります」
「証言者本人は来ていますか?」
「いえ、不信弾劾が受理されるかどうか不確定でしたので、彼らに公務を休ませられませんでした」
判事席まで歩み寄り、二本の木簡を差し出す。
相手がそれを受け取って目を通し始めるのを確認すると、自分の席へ戻っていった。
衛兵は魔道士会の影響が比較的少ない部署である。
アイランが拷問した中年男は箝口令を敷いただろうが、人望の薄い一部曲長に過ぎない。
金さえ握らせれば、この程度の証言ならばいくらでもしてくれた。
ここに来させなかったのも、もちろんわざとである。
彼らに直接法廷で証言させるべし、と判断してくれれば時間を稼げるからだ。
「この証言に立会人はいましたか?」
「彼らの上官が立ち会っています。スゥナ・ヴ・ケンパ伍長です」
「この証言以外の証拠はありますか?」
「証拠というほどでは……ソルチェンタイウス氏とアーリー・マードック氏は個人的な友人同士でしたが、それを裏付ける証拠は得られませんでした。彼が元魔道士会の会員なのはご存知の通りでしょうが……」
「わかりました。行政使府の記録とあわせて精査しますので休廷とします。再開は二時間後に」
"法の魔女"の見立ては今の所すべて当たっている。
感触としても、おそらくソルチェンタイウスの弾劾は却下されるだろうと予測できた。
だからこそ、後ろの魔道士たちも何も言わないのだ。
無意味に時間が過ぎるだけで形勢は変わらないという事実を、肌でひしひしと感じているのだろう。
彼らにしてみれば、クロスは無意味にもがき、あがく虫けらだ。
いたずらに動き、無意味に時と労力を使い潰し、一人空回る道化。単なる呆れの対象。
だが、クロスは師アッサルートを、魔女たちを信じている。
自分が稼ぐ一秒一分一日の時間は無駄ではないと。
時間を稼げ、という師の言葉が無意味なはずはないと。
休廷して1時間半が経った頃、法廷で静かに座っていたクロスの手元がやにわに震えた。
相互紙での連絡だ。すぐに開くと、開き終わる前に"法の魔女"の文字が浮かび上がった。
『サイザル・モロウナは先代の"史の魔女"の弟子だったそうです。後継者に妹弟子が』
ここで、文章が一旦途切れた。続く言葉も浮かんでいない。
速筆の"法の魔女"らしくないなと思い、クロスは相互紙の故障を疑った。
これまでそんな故障が起きたことはないが、紙を小さく振って様子を見る。
すると、問題なく新たな文章が現れた。
そのことにほっと胸をなで下ろし、改めて文字に視線を注ぐ。
『後継者に妹弟子が指名されたことで魔女を辞し、その後行政使府に就職。元魔女という経歴からその学識を頼られ、検吏に出世すると、コー・ナイルに派遣された。おそらく、そこの魔道士会への牽制としての役割を期待されたのでしょう』
元魔女の女検吏。だからアイランは彼女を使えそうな役人一覧に加えていたのだ。
『それなら、既にアイランさんか魔道士会か、それとも反統王連衡か、いずれかに取り込み工作を仕掛けられているかもしれませんね』
『魔道士会は確実に一度は試みているはずです。まあ大した結果が出ていないからこそ今の状況がある訳ですが。
反統王連衡の線は薄いと思われます。もし取り込まれれば統職法を10は破ることになりますし、連中からしてもあからさまで露見しやすい工作は避けるでしょうから』
と、なると、残りはアイランの線だが。
『アイランさんの調査文書にはそれらしい記述は全くありませんでしたよ』
『もしもの時に糾弾を免れられるよう、接触や取引があっても記録には残さないはずです。"兵の魔女"が死にマードックが生きているという、今とは真逆の状況に万一陥った場合、その調査文書は私たちではなくマードックが先に見つけていた可能性が高いですからね』
言われてみれば、その通りだ。アイランさんなら、守るために証拠は残さない。
そう納得したならば、新たな方策の細い筋が見えてきた。
『サイザルさんと一対一で話してみたいんですけど、いい方法はありませんか?』
アイランとは面会できない。ならばサイザル本人に確かめる以外ない。
だがその方法でクロスが思いつくのは、危険で暴力的な手ばかり。
相手の心証を慮ったらば、そういった方法は逆効果だろう。
しかし"法の魔女"なら、法制度を利用して一対一の状況を作り出せるかもしれない。
『ありますよ。相手の方から接触させれば、その状況は相手が用意してくれるでしょう』
あっという間に、返事がかえってきた。
逡巡するような一瞬の間すらなく、いつもの会話と同じように。
『代理面会要請を申し立てればいいんです。統判法十三条6項と7項に記載された正当な手続きで、公人や衛兵に面会を代理で行ってもらうことができます。これを直接サイザル・モロウナに申請して、彼女を"兵の魔女"と引き会わせれば、後は任せていいでしょう。二人に繋がりがあるなら、上手くやってくれるはずです』
『アイランさんは面会禁止ですけど、大丈夫なんですか?』
『面会禁止の決定を下せるのは領主ですが、間違いなく魔道士会からの要請によるものです。その根拠として彼らが掲げているのは『被告人の安全が人為的な手段によって脅かされうる特殊な状況下である』という統判法十三条2項の記述に過ぎません。その根拠だって、結局は魔道士たちや民衆を騒がせることで作り出している自作自演。身元が確かな第三者の検吏による、法的根拠をそなえた代理面会を止める道理はありません。実際、統王本人がその前例を作っていますので』
つまりは「アイランの身が危険だから」という理由で面会を禁止しているのだから、絶対に危険ではない人物ならば面会できるというわけだ。
『ただ、魔道士会や反統王連衡が妨害や監視や盗み聞きを仕掛けるかもしれません。なるべく誰にも露見しないよう申請してください』
『二人に、実際には繋がりがなかったら?』
『それなら普通に面会して、当たり障りのない伝言をくれるでしょう。何の問題もない通常の手続きとして処理されていくだけで、損失にはなり得ません』
『どのタイミングで申請すべきでしょうか』
『不信弾劾が終わるまでは注目が集まっていますし警戒も強いでしょう。第二回審理を待って、注意が他に逸れてから申請してください』
統王は言っていた。法律とはそれを守る者、それを破る者、双方をともに導かなければならないと。
だが"法の魔女"は、法を守りつつも破り、無視しながらも利用している。
灰色の手口をためらわず用い、法の絶対性を説きながら服従を拒否する。
法を知り尽くす者は、どんな法であれそれを利用してしまう。
彼女のような者にとって、権力者が如く、自分に都合のいい法律を作る必要など無いのだ。
私物化することなく、だが支配する。法の守護者ではなく、法の支配者なのだ。
『それとクロスさん、ダグナマンバ大要塞に使いを出せますか?』
『馬車の御者を買収してあるので、頼めば動いてくれるでしょうけど』
ダグナマンバ大要塞。最北端の守りにして、最果ての駐屯地。
統王の禁軍の管轄地であるが故に、魔道士会もマードックも手出しできていない場所だ。
コー・ナイルはこの大要塞への兵站も兼ねている街だが、今回の裁判に直接の関わりは無い。
『では、総司令あてに手紙をお願いします』
クロスは息を飲んだ。
ダグナマンバ大要塞総司令。それって──
『文面は、こうです。
近々、反逆者捕縛任務の要請通達ありと覚えたり。よくよく部隊の編成と人員選定に配慮し、万全の備えを整えられたし』
ここで、法廷の扉が開かれた。
立会人の魔道士たちが雪崩を打って押しかけ、足音が轟く。
予定より早いが、つまりは結論が早めに出たのだろう。
と、いうことは、それは難しい判断ではなかったということ。ソルチェンタイウスが判事を続投するのはほぼ確実だ。
クロスは急いで相互紙に『開廷』とだけ記すと書類に挟んで隠した。
ここまでは、既定の路線だ。激戦が始まるのは第二回審理から。
緊張で体をやや強ばらせながら、クロスは姿勢を正した。
言い渡される不信弾劾の結果にではなく、その後のことを考えたからだ。
果たしてできるだろうか、いや、やらねばならない。
不安と義務感の狭間で魂は張り詰め、心臓の鼓動は自分でも聞こえるほど力強い。
しかし萎れてはいない。むしろ決意は強くなるばかりだ。
逆境でこそ力強く戦う。"法の魔女"の真骨頂が、クロスにも伝播していた。
不信弾劾の却下と、第二回審理の日取りが発表されても、緩みは無かった。
真後ろの魔道士たちの弛緩した気配など、今の彼には届きすらしない。
第二回審理は明日。いよいよ、本番だ。