7 心配事
ゴトゴトと音を立てながら、窓の外がゆっくりと動き始めた。
サリヴァンたちがいる座席の反対側からは、ホームで整列して、去っていくフェルヴィン王家の人々を見送る民たちの姿が見える。
その民衆の中には、驚くことにラブリュスの城から追いついてきた学生たちの姿もあった。
五両編成の特別急行は、フェルヴィン王家のために、陽王が用意させた移動手段である。
一等車を中央に挟んだ特殊編成で、前後二両には、護衛や王族たちを退屈させないようもてなす側仕えが控えている。
この特別急行のため、昨日の夕方から今日一日まで通常の運行を休止し、王都側では迎え入れの準備をしているそうだ。
「まずは死体の身元をしらべなくてはね」
シオンはそう言って、列車には乗らずに『マルティナのお菓子屋さん』で別れ、次に会うのは王都で年が明けてからだろう、と告げた。
去り際にヒースに何かを囁き、彼女も頬を染めて嬉しそうに頷いていたので、サリヴァンとのことで何か良いことを言われたのだろう、と、ジジは察している。
現在の二人は、額を突き合わせて『運命の輪』の新しい図案を広げ、ああでもないこうでもないと試作を繰り広げていた。
王都から特急ともに来た護衛がいるので、サリヴァンたちは暇なのである。
(この二人、放っていたら一晩中でもこうしてるんだよなぁ)
城でもそうだった。
結婚秒読みの若い男女が隣あった部屋で寝ていて、互いの部屋を訪ねるときの第一声が、「ちょっとこれ見てよ! 」か、「そろそろ飯を食え」か、「窓の明かりでわかるんだからな! 今日はもう寝ろ! 」で、頭を抱えたのである。
(ボクは気を使って、なるべく外にいるようにしてるっていうのにさぁ……)
それでいて、別に互いを意識していないわけでもないのだ。あまりに進展しないので覗いてみたら、ときどき手やら肩やらが触れたり目が合ったりして、照れたりはしている。二人とも、あまり顔には出さないが。
これでは学院内の学生たちから聞こえてきた、好いた腫れたの内緒話が爛れてみえるほどだ。
『ああいけないわ。こんなところで……』とか、『もう我慢できないんだ! 』とか、学院内の人気のないところを歩くとわりと聞こえてくるのだが、ジジは、(これぞ若者たちのあるべき姿よ)と思う。
燃え上がるだけ燃え上がって消火に困ったり、嫉妬や三角関係で集団の人間関係を縺れさせたり、困った痴話喧嘩を三つや四つ繰り広げるくらいしたほうが、神話の時代からのあるべき恋愛だというかんじがする。
サリヴァンとヒースのような、すでに家族として完成された上での恋愛は、なんともヌルくて、ふやふやであり、ジジは見ていると腹の底がモゾモゾする。
《……うちの御主人、とっとと童貞捨ててくれないかな》
ガン! とサリヴァンが窓枠に頭を打ち付けた。どうやら胸に秘めた独り言が開通してしまったらしい。
(ジジッ!! )
《ごめん。独り言。まー、それはキミの好きにすりゃいいさ》
サリヴァンのブーツがテーブルの下で影をグリグリ踏んでいるが、魔人としての実体がそこにあるわけでもないので、痛くもかゆくもない。かゆいのはこの二人の恋愛模様である。
(ぬるいといえば――――)
『王にはならない』と宣言したサリヴァンではあるが、その意向があっさり通ったことに、ジジはびっくりした。
エリカは理解できる。彼女はサリヴァンの母親同然で、彼女の本来の人柄と今まで、そしてこれからを思えば、死に際に弟子と娘の将来くらいは自分がどうにかできることならば、どうにかしてやろうとするだろう。
しかし、サリヴァンが王位を継ぐことは、聞けば陽王が求めたことだというではないか。
伯父といえど、陽王とサリヴァンは会ったことも無い。
自分の後継者にとつぜん指名することも、本人が拒否すればあっさりと引き下げられたことも、ジジからしてみれば、甥であるサリヴァンと妹である辺境伯夫人の親族をも軽んじられているようにさえ思える。
(妹のほうが王位の継承に了承したからか? )
『兄か妹のどちらでもいい』というのなら、なおさら納得がいかない。
サリヴァンの教育は、貴族として復権することは想定していても、王となることを想定されていない。
サリヴァンの妹ヴァイオレットだって、次期辺境伯としての教育はされていても、王になる教育なんて受けていないだろう。彼女の学院内での評判を聞いていれば、それくらいのことは分かる。
つまりはこの次期陽王候補の話は、つい最近出てきたことなのだ。
そしてその『つい最近』は、おそらくこの数か月以内。サリヴァンが『教皇』に選ばれたことがきっかけではないか、とジジは考えていた。
それならば、陽王側はろくに根回しできていない可能性が高い。
王命として命じれば、拒否することは困難であるのにそうしないのは、陽王が無理やりサリヴァンを王太子にすれば、周囲の反発が抑えられなくなるからではないか。
そして本人の意向を無視すれば、陽王は本当に求めるものを手に入れることが困難になると考えたのではないか。
エリカは以前、サリヴァンが陽王の後継者となるなら、『教皇』はしかるべき誰かに継承させることになるといった。
妹は『教皇』を手に入れるための人質か、もしくは『教皇』を妹のほうに継承させるつもりかもしれない。
(サリーが『教皇』を得たから陽王の興味を引いたのだとしたら、そして『教皇』を継承したいというのなら、腑に落ちた)
けれど、サリヴァンの『教皇』は、アトラス帝へと譲渡されてしまった。そしてエリカは、それを許したのだ。
(エリカは陽王を納得させられると思ってる? それとも、ボクの考えていた前提が間違っていたんだろうか)
ジジだって、自分がサリヴァンに甘いという自覚はある。魔人は主人を第一に考えるものだし、それだけの仲だ。仕方がない。
しかしエリカには、守らなければならない一線がある。
彼女はその一線を守らないような、甘えた人生は送ってきていない。
彼女の目的は、『最後の審判』での人類の救済。もっと目的を細分化するなら、計画の異分子であるアリスや『魔術師』一派の排除、『最後の審判』における国外との連係を取り付けるための下準備など、自分がいなくなったあとでも『選ばれしもの』たちが円滑に動けるようにすることだ。
『選ばれしもの』で無くなったサリヴァンが旅の同行をすることを了承したのだから、サリヴァンの価値をそれ以外に見出しており、本気で『どうにでもなること』と考えているのだろう。
では陽王とは、どんな人間なのだろう。
ジジは、サリヴァンの障害とならなければどんな人物でもいいと考える。ジジはサリヴァンに、できる限り健やかに年を重ねていってほしいのだ。
サリヴァンに関わらない有象無象を深く知ろうとは思わないが、陽王はその『有象無象』の枠にぎりぎり入らない程度の関係性だと思う。
学院では、その治世は派閥に関係なく評価されていた。
留学制度を強化し、魔術師たちの技能を商品として送り出すことで、遠く離れた上層世界でも替えの効かない存在感を刻んだと、外交面が評価されているようだ。
貴族に生まれる子供たちの魔力も年々低下していくなか、平民が富んできたことで、跡取り以外の次男以降の仕事が減り、留学制度はその受け口となっているらしい。留学には身分問わずチャレンジできるため、平民にとっては、生家の経済事情から成り上がるチャンスにもなる。
その反面、国内の平定には優柔不断だといわれている。サリヴァンの父親世代での内乱で、実の弟と争って亡くしているので、慎重になっているのだろうと見られていた。
考えるべきは、王族と貴族の派閥争いだけではない。
『魔術師』や『悪魔』、屍人使いの心配もある。
できれば年明けの式典まで静かにしていてほしいものだが、そうはいかないだろう。必ず『第二の試練』の前後を突いて、何か行動を起こしてくるに違いない。
(……滞りなく、すべてがうまくいけばいいんだけれど)
線路は平原を一直線に進んでいる。
特別急行は一度も止まることなく、王都へと向かっていた。
西の空から真っ黒な雲が、重く流れてきていた。
最終章直前の箸休めついでに、現状について最後のおさらいしようの回。
(陽王の考察は、五節『つるぎか王冠』の一話目『陽王エドワルド』を参照するといいかもしれません)




