7 解放の陣
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襲撃は、森に入ってからしばらく経ったときに起こった。
煙のような黒い影が、長く尾を引きながら、馬車を追ってくる。
それは森の街道を進むほどに数を増し、馬車へ群がるように、進行方向の木々の中からも湧いて出た。
馬車は二台に分けている。サリヴァンが御者になった馬車が先に、続く二台目はヒースが手綱を握っていた。
馬車を囲むようにいたはずの護衛は、いつしか姿が見えなくなっていた。
「――――霧が出てきた! 」
「この季節にこんな霧は出ないはずだ! 罠だね! 」
シオンが窓から身を乗り出して断じた。
「でも、こんなバカなことを誰が! 馬車には国外の要人が乗ってるんですよ!? 」
「じゃあやっぱり、国のしがらみなんて無いやつが関わってるんだ! これで証明された! 」
「くそ―――――」
サリヴァンは奥歯を噛む。
「この国の団結の時」という言葉が、頭の中で反響していた。
年始の会まで、もう二十日を切っているというのに。
「馬がもちません! 」
「仕方ない! 馬車を止めて迎え撃つぞ! 」
本来、この馬たちは、常足から速足程度で、馬車を優雅に引くのが仕事である。
駆け続けることを要求された馬の様子を見てヒースが叫ぶと、シオンが言って、一度馬車の中に戻っていった。
シオンは中にいるコネリウスと皇帝夫妻に事を告げるや、こんどは窓の外枠に指をかけ、腕の力だけで屋根の上に乗り上げる。
「――――迎撃までの時間を稼ぐ! 御者二人は合図から三十秒後、馬車を停止させる準備! 」
「はい! 」
「いち! に! さん! ―――――三十秒! 」
「はい! 」
サリヴァンとヒースが、互いに聞こえるように声をあげて数字を数え始める。
走り続ける馬車の上で、シオンがぐっと膝を曲げ、ごく軽い音を立てて後ろの馬車の屋根へと着地した。
風に外套をなびかせながら、肘を後ろに引き、片刃の剣の姿をした杖を引く。
詠唱もなく、斬撃の軌跡が白い光を纏って半円状に飛び、迫る影どもを薙ぎ払った。
斬撃は影を巻き込みながら、もはやミルクの中を泳いでいるような霧の中に消えていく。
三十数えた馬車が、ゆっくりと、街道のただ中で止まった。
「すぐ次が来る。馬車を囲んで迎撃準備」
「はい」
馬車から飛び降りて、サリヴァンはジジとともに前方左右に、シオンとヒースが後方左右に立った。
霧は重く動かないというのに、木々がざわめく音がする。
範囲の広い攻撃が得意な前方組から、炎と黒煙が飛び出してきた影を飲み込み、三拍遅れて後方組が、引き付けた影の群れを切り刻んでいった。
「あとからあとから出てくるなぁ。発生源はどこでしょう? 」
「ヴァイオレットもこの森で襲われているんだ。街道付近にだけ現れるというわけじゃなくて、森全体から湧いて出るようだね」
「学院でこのようなものの被害があったとは聞いていませんから、おそらく我々だけを狙うように仕掛けられた罠です。馬車じたいに不審な仕掛けが無いことは、昼食会のあいだに確認が済んでいます」
「じゃあ、操っている人物が近くにいるということだね」
ヒース、シオン、サリヴァン、ジジの順で言葉を交わし、結論が出た。
「それなら、試してみたいことがあるんですけど」
ヒースが外套のポケットから、折りたたまれた紙を取り出す。
「『運命の輪』か」
「それ完成したのか? 」
「まだ試作品だよ。あぶり出しには丁度いい効果だと思うんだけど、できれば一度、効果のほどを確かめたい。……いいかな? 」
シオンは頷いた。
「ばつぐんにいい。最高だ」
ヒースは嬉しそうに微笑み、頷きを返す。
「成功したら、それ、もう一度おねがいします」
攻撃の手を緩めないまま、陣形を整える。
ヒースが一歩、森に向かって前に出るように立ち、両腕を左右に広げて立った。
「――――“『運命の輪』”
“『解放』”!! 」
ヒースを起点に、青く輝く陣が展開される。それは瞬く間に大きく広がり、霧の向こうへと外周を伸ばした。
効果は早く、ある瞬間から影が煙のように空気に溶け、霧を押し出す風が入ってくるようになった。
「……ふう」
「ヒース! やったな! 」
「成功だ! 最高だよ、ヒース! 」
「ありがとうございますっ! 」
ヒースはその場で飛び跳ねて、サリヴァンとシオンの激励に喜んだ。
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ハイドタウン駅では、王城からの使いの者が、アトラス王家の人々の到着を今か今かと待っていた。
一行の馬車は、襲撃の実行犯を探すため、索敵に優れたジジと、移動手段があるシオンを森に残して街に入った。
汽車はすぐにでも出発できるが、ハイドタウン側では、隣国の皇帝たちを出発前に歓待するつもりで準備がされている。
今回のトラブルの雑務処理を終えるのに都合が良いだろうと、グウィンは時間稼ぎを買って出てくれた。
コネリウスの指示で、サリヴァンとヒースは『マルティナのお菓子屋さん』という菓子屋へ引き上げる。
どうやら、真実の意味で『陰王派』の、ライト家と懇意にしている貴族の息がかかった店らしい。
こじんまりとした入り口から、奥に長い店内を歩いていくと、店員が突き当りにある隠し部屋へと誘ってくれた。
中にはすでに、ジジとシオンが到着している。
その足元には、布で巻かれた子供ほどの大きさの物体が置かれていた。
ジジとシオンの顔は厳しい。
シオンは、説明をジジにゆだねたようだった。
「……ねえ、ヒース。まず聞きたいんだけど、あの『運命の輪』の効果は? 」
「術師と魔術の関係を断ち切るってイメージかな」
「じゃあ、殺傷能力は無いね? 」
「無いよ。これはアリスの感染者を傷つけないで解放したくて作ったやつだもの」
「わかった。ならこれは、最初から死んでたんだ」
全員の目が、不気味なものを見るように、中身を封じ込めるようにして布で巻かれた『もの』に落ちる。
「サリー、ヒース。フェルヴィンで、死体を動かすことができるやつに会っただろ」
「ああ。でもあいつはお前が仕留めたと思ったんだが」
ジジは頷いた。
「うん。でも、そうじゃなかったんだと思う」




