7 Line of sight 前編
城の湖側には船着き場がある。
中型船が二隻でいっぱいになる程度のものなので、沖から数隻の小舟に乗り換えなければならなかった。
そうしてフェルヴィンの皇子たちとともに、曽祖父コネリウスが船を降りるのに続いて、サリヴァンとヒースも久々の土を踏んだ。
「ラブリュスは本格的に冬だな」
「そうだね。首都よりぐっと冷えるみたい」
ヒースはコートから出した両手をさする。サリヴァンも、ローブの前を指先で締めなおした。
ふたりは、揃いの黒の上下を纏っていた。
首の詰まった上着に、すそが絞られたズボン。女性服は上着の丈が足首までと長く、男性服は膝ほどの丈である。冬なので、さらに上に筒のようなかたちのローブを着ていた。
質素だが上等の毛織の生地で、帯に下げた、銀の鎖と、ドングリのような形の鈴だけが装飾らしい装飾になる。
これがこの国で最も活動的な場合の――――つまり長期の旅や、修行のための―――――神官服である。
船の中、通信を使って再度すり合わせた筋書きはこうだ。
『陰王の命を受けて、皇子コネリウスがフェルヴィンの皇族たちの救出に成功。亡命というかたちで陽王に支援を願う』。
サリヴァンとヒースは、コネリウスの供であり、身分は陰王の神官とした。
円錐型をしたローブのフードをかぶり、アトラス一族の一番後ろを歩いて入城すると、吹き抜けのエントランスの上のほうから、息をひそめて降り注ぐ視線が肌に感じられる。
歓迎の声はない。
切っ先のような視線だった。
国中から集められた才媛たちは、頭を巡らせている最中だ。
学院は、いかなる争いにも加担しないと誓いを立てている。それは城内では身分差なく学べるようにするためのものであり、外部からの干渉をはねのけるための盾でもある。
しかし城を出れば、彼らにも彼らの、貴族や平民、商家、農民としての立場があるのだ。
『審判』が始まったとことへの真偽。
フェルヴィンの皇族たちを陰王の名のもと連れてくるということの意味。
陰王・陽王の名を冠した派閥争いとの関係。
彼らは学院がそこに巻き込まれはじめていると肌で感じ、後世で歴史となる場にいることを、自覚し始めている。
ラブリュスに滞在するのは、首都から正式に入国許可の書面が届くまで。根回しは済んでいるというので、短くて二日、長くて一週間ほどになるだろうという見立てだ。
その間、学院でどれほどのことができるか。
『学院からの支持を得ること』
それが、わざわざこの海層特異点からの上陸を選んだ大きな理由なのだから。
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シモンズ教授がラブリュス城下に到着したのは、昼過ぎのことだった。
シモンズ教授には明朝の観測という大切な使命がある。
列車の中で考えた予定では、時間はたっぷりあるので、ひとまず城下の我が家でゆっくりと荷解きし、夜にでも城の研究室へ向かうつもりだった。
しかし、馬車の上でフルド卿が「このまますぐ入城するつもりだ」と言うので、人のいいシモンズ教授は、この老婦人のエスコートを継続することにしたのだ。
長い年月をかけて築かれた堤防の上に建てられているラブリュス城へ向かうには、長い長い上り坂になった目抜き通りを、しばらく行かなくてはならない。
今年五十二になるシモンズ教授でも、真冬に汗だくになるくらいだ。この街に慣れていない老婦人には酷なものだろうと考えた。土地勘のある教授と一緒なら、馴染みの馬車をすぐ手配できる。
城下町は朝方の青い光の柱を忘れたかのように、変わらぬ光景が広がっていた。
城下の人々は学生たちが起こす騒ぎに慣れているので、城のどこかで煙が上がっていたって「またやったのね」と苦笑するくらいだ。
馴染みの店に顔を出すと、「ああ、ちょうど今から配達に行くところだよ」と、店主が朗らかに請け負ってくれた。
がたがた揺れるロバが引く馬車でリンゴやセロリと相乗りしてゆっくり坂を登っていくのは、けっこうスリルがあって子供たちにも人気のアトラクションだ。
上品な貴婦人も、童心にかえったのか、もらったリンゴを膝にのせて目を輝かせながら景色を眺めていた。
入城には検問があり、杖の登録と身分証明が必要になる。
馬車に乗ったまま、がらがらと門を抜け、橋を越え、こんどは城を渦巻くようにある坂を登って、また門があり、ようやく城本体の外側につく。
すると、大人よりも学生たちの姿が多く目につくようになり、学校だという実感が湧く。
二人は馬車と別れを告げ、なんだか浮足立った学生たちを横目に、砦にぽっかり空いた入り口エントランスへと足を踏み入れた。
吹き抜けになったエントランスは、数えるのも馬鹿らしいほどの窓と、昼間でも石の壁を照らす照明で、薄暗くなりがちな城塞を子供たちの溜まり場へと変えている。
顔なじみの上級生が、「わあ珍しい! シモンズ教授は逆帰省ですか? 」と軽口を投げてきた。
「いやいや、ここが実家みたいなもんさ! ……やれやれスミマセンねぇ、学生はいつもあんな感じで。フルド卿は学園長をご訪問ですよね? 」
「ええ。半分は」
「なるほど。では手配いたしましょう」
学園長であるデボラ・シュローは、とつぜんの訪問客も待たせなかった。
驚くことに、けっして狭くはない校長室が、すでに人でいっぱいである。
目を丸くするシモンズ教授の隣で、フルド卿は上品に微笑み、「遅くなって申し訳ありません」と口にする。
「あなたは……? 」
品がよく、体格もよいフェルヴィン人の若者が、疑問符を浮かべた顔をした。
親類だろう。雰囲気のよく似た男女が三人、彼に控えるように座っている。
その正面にいる威厳あるフェルヴィン人の男は、どこかで見たような顔だ。こちらは神官をふたり連れていた。背の高い女神官と、背の低い男神官という、対称的なふたりだ。
背の低い男神官が、ここで一番偉いらしい若者へとささやく。若者はハッとして、フルド卿をまじまじと見返した。
「……なんと。生きていらっしゃったか」
「ええ、この通り大事ありません。ご心痛おかけしまして申し訳ありません。陛下」
(陛下!? )
フェルヴィン人で「へいか」と呼ばれるとしたら、それは一人しかいない。シモンズ教授は目を白黒させて、退出の機会をうかがった。
「いいえ。あなたが無事でよかった。こうして合流されて、心強い」
「この体は王都におりましたので……いそいでこちらへ参じました。お話はいかがなさりましたでしょう」
「とりあえずは、現状の報告まで」
シモンズ教授がそっと退席しようとしたときだった。
「そうだ。シモンズ教授、折り入ってお願いしたいことがありますの」
「あ……はい、なんでしょう、校長」
デボラ・シュロー校長は、小柄でおっとりとした風貌の壮年女性だ。名前の通り『蜜蜂』のような人物で、刺すべきところはしっかりと刺す人物である。
「あなたの教え子のグリンヴィアさんを、コネリウス殿下とアトラス皇帝陛下にご紹介いただけるかしら。ほら、グリンヴィア嬢と、コネリウス殿下のひ孫でいらっしゃるヴァイオレット嬢。仲がよろしいでしょう? ヴァイオレット嬢の近況について、お知らせしたいとおっしゃっているの」
「へっ……? あ、あのう……」
さきほど駅で見送ってきたところです……と、シモンズ教授は顔をくしゃくしゃにして言った。
しょぼくれた顔で助手の不在を告げたシモンズ教授に、フルド卿が眉を下げる。
「そう……残念ですわ。実は以前、彼女の昔の論文を読んだことがございましたの。教授の観測装置は彼女のお手製とお聞きして、わたくしも後学のために詳しいお話を聞きたかったのです」
「フルド卿ほどの方が! なんと光栄な! 彼女はもともと上層諸国の機械化文明の解析と発明を得意としておりまして! 学生時分に、現在の天候観測の装置の基礎を持ってきまして、以来、その技術を我が研究室にて発揮してくれているのです。しかし私は、彼女には私の研究室で燻るにはなんとももったいないと――――」
「えへんえへん。……シモンズ教授? そのあたりで」
「ああ、失礼いたしました校長! フルド卿、よろしければ彼女に会ってやってください。私が責任をもって場を設けさせていただきますので、どうか……」
「……そうですね。ぜひ」
老婦人は微笑むと、シモンズ教授は子供のように無邪気な笑顔になった。




