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星よきいてくれ  作者: 陸一じゅん
七節【アストラルクス】

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7 宣誓告知



 始発電車から二本目の朝8時。

 煙と霧で青白く霞んだ赤いレンガのホーム。

 冷たい朝霧が、ハイドタウン駅を包み込んでいた。


 プリムローズは、降り立ったくたびれたコートの老人の影を見つけると、大きく手を振って小走りに駆け寄った。


「シモンズ教授、とつぜんのお手紙、申し訳ありません」

「いいよいいよ! いつも研究室を空けっぱなしでサ、無茶をお願いしているのはこっちのほうさ。もっと頼ってくれていいんだよ」


 靴ブラシのように切りそろえた白い口髭の下をゆるませ、サム・シモンズ教授は自分の胸を叩いた。


「それよりいいのかい? こんな時期に帰るって、またお見合いが待ってるかもしれないよ? 」

(教授ったら、相変わらずだわね)

 プリムローズは珍しく苦笑してみせて、文字通り一笑に付した。

「いいえ。今回はわたくし自身の意識が違います。大丈夫ですわ」

 シモンズ教授の使い古された黒いトランクとは対照的に、プリムローズが持ち上げてみせた革のトランクは、少女時代に買ったきり、すっかり留め金が固くなったものだ。


「そりゃ安心だ。ほら、旅立つレディの頬に、はなむけのキスをさせておくれ。困ったことがあったら、ぼくのことを思い出すんだよ」

「ええ、もちろんです」


 軽い抱擁のあと、入れ違いにプリムローズの足がぎこちなくホームの境をまたいだ。


「では、いってまいります」


 煙を噴き出しながら、黒い車体が霧の中に消えていく。

 シモンズ教授はすっかりそれを見送ると、駅舎に向かって歩き出し、あるところで目を止めた。

「彼女、いい顔するようになってたなぁ。いやあ、若いっていいもんだナ。……おや?」


 濃霧の中に自分以外の人影があった。その女の顔を彼は知っていたものだから、目を丸くする。


「そこにいらっしゃるのは、フルド卿ではないですかな? 」


 汽車が垂れ流している汽笛の音がまだ長く響いている。

 シモンズ教授は小柄な体から大きな声を出して、さきほどのプリムローズのように、腕を振りながら近づいて行った。


「……あら、あなたは」フルド卿の紺の瞳が空を一瞬泳ぎ、教授の顔で焦点が合った。

「……シモンズ教授でいらっしゃいますね。専門は天候研究であってましたか?」


「さようでございます。イヤ、フルド卿ほどの方に、まさか覚えていただけたとは」

「もちろんですわ。十五年ほど前、バギンズのお屋敷のパーティーに、わたくしもお邪魔させていただきましたもの。わたくしのほうが驚いておりますわ。もう二十年も前に現役を退いたこんな老いぼれを覚えていてくださるなんて」

「貴女は変わらずお美しいままですから、一目でわかりましたとも。行く先はラブリュスでしょうか? 」

「ええ。もちろん。教授の凱旋にお供してもよろしいかしら? 」

「よろこんでエスコートいたします」


 シモンズ教授は役者のようにお辞儀をすると、貴婦人の腕を取る代わりにフルド卿の小さなカバンを持った。

 駅舎を出ると、噴水広場にわずかな朝市が立っている。

 新聞売りをかねた駅員が、シモンズ教授の顔を覚えていたのか、おっくうそうに立ち上がり、事務的に、ラブリュスへ向かう乗り合い馬車がもうすぐ出るから急いだほうがいいと伝えてきた。


「朝食はあきらめたほうが良さそうですな」

 シモンズ教授が名残惜しそうに朝市を横目で見た。

 ――――そのときである。



 落雷の音に似ていた。

 晴れ始めた空の向こう、ラブリュスとの間に広がる緑の森のさらに先、白く霞んだ北西の空に、青い光が立っている。


「ああ、私も急がないと」

 あぜんとするシモンズ教授の耳に、フルド卿がそう呟くのが聞こえた。




 ◇



 刹那の間、ラブリュスのうみが割れた。

 噴き出した青い光はすじとなり、天に伸びて消える。

 沿岸に位置する学院の生徒や職員たちは、目の前で食器棚の中身がすべてぶちまけられたような破壊音を聞いた。

 六十年もむかし、この湖の海層特異点を封鎖した魔術結界が破壊された音を知るものなど、ここにはいなかった。

 しかし、瞬時にその可能性に思い至る優秀な魔術師は、この学院には多く存在している。


 ――――それは国防が破られたことを意味する。


 緊張が奔った。

 彼らは、さらに知っている。

 この世界に、六十年前の大魔術師たちが張った結界を破るような大魔術師は、もはや少ないと。

 手段は不可能に近い。目的は?

 これより下層は魔の海がある。そしてそのさらに下は、魔界である最下層、フェルヴィン皇国だ。

 この城が城塞として成立していた時代から、この湖じたいが脅威となることはなかった。

 フェルヴィンだとしても、目的もわからない。手段が無いに等しいのも同じ。


 しかし先日、一体の魔人が、結界の網の目を抜けて飛び出してきたことは、まだ記憶に新しい。


 ――――何が起こる?

 ――――何が起こっている?

 ――――下層で何が?


 教師と上級生らは、示し合わせたように同じ行動をとった。



 ――――子供たちを守らなければ……!



「――――〈ああ偉大なる守護の女神(ポリウーコス)。輝く瞳の乙女の腕よ、〉」

「――――〈我らが城壁(ラブリュス)、聖なる(ペレクス)よ、〉」

「――――〈知恵の実と英知の翼の名において、〉」

「――――〈盾の翼、つるぎのまなこ、金の弓、青のやじり、〉」


 同じ意図をもつ呪文が城を覆っていく。それを見てさらに新しい呪文が重なる。

 それらは意図せず、天にある太陽を隠す雲すら引き寄せ、昼の青い月の光を求めた。

 城壁を銀の幕が覆いきるより先に、湖から顔を出す船の全貌が見えてくる。

 その上に、赤毛のケツルの存在を目にし、城の緊張は、ほっと、いくらか和らいだ。

 ケツルの一族は敬虔な巡礼者であり、この世界でもはや唯一の、魔術の奇跡に属するいきものだからだ。

 飛鯨船から、数羽のケツルが姿を出し、濡れた翼を振って何かを言っている。


「人を寄越せっていってるみたいだ」

「飛んでこっちに来ないのか? 」

「境界超えをしたケツルの翼はすぐには飛べないんだぞ」

「あっ、でも船から濡れてない人が出てきた! こっち来る! 」

「正面エントランスだ! 迎え入れろ! 」


 黒毛に青い瞳のケツルは「ポントス船団の長、ココ・ピピ」と名乗った。


「――――船団五船、わけあって、海層特異点を突破してさる貴人をお連れした。これは、陰王(いんおう)陛下からのご依頼によるものであり、特異点突破は、フェルヴィン皇国皇帝グウィン・アトラスと、その御血族、および臣下の安全のためである」


「――――我らはこれより陽王陛下のもとへ、アトラス皇帝陛下をともない、入城へ向かう」


「ラブリュスの魔術師たちよ! こころして聴き、そして多くへと知らせよ! 」



  去るスコルピアの月の末日!

 フェルヴィン皇国、ゲルヴァン火山のもと、首都ミルグース王城にて、前アトラス皇帝レイバーン陛下崩御!


 のち、始祖の魔女より継承されし【皇帝】の名において【宣誓】が成された!


 第一の試練【石の試練】は同日に最下層の全土を覆いつくし、十日をかけてこれを【皇帝】【愚者】【教皇】【星】により踏破!


 しかして、選ばれし時はおとずれた!

 

 天空おわす神の王の神慮によって、待ち望まれた人類裁定の時である――――!




 時は来たれり!


 時は来たれり!


 時は来たれり!

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