閑話 NEXT ON
長年、失った記憶を思い出すことは、当然の権利だと思っていた。
それは『記憶を奪われた』とどこかで感じていたからだったし、そこに悲惨な過去があったとしても、これまで経験してきた何よりも酷いということは無いだろうと、たかをくくっていた。
実際、それはその通りで。
母親代わりの女。守るべき妹分。民草のために働く日々。設定された生きる意味。
思い出した記憶の中の自分は、幸せだったようだ。今のボクでは現実味がないほど。
不幸や苦労に浸っているわけではない。
ただ、あの幸せの形は歪な土台の上にあったことが、今のボクには分かっているだけ。
そして当たり前の終わりがあったことを、知っているからだ。
冥界潜行のために嬰児の死体から生まれ、『語り部』や『黄金船』の開発とともに機能を追加されながら、やがて兵器として成立したボク。
まだ人を殺したことがなかったボクは、幼くて単純な動機で、『アリス』に感染した兵士たちを殲滅することを自分から望んだ。
そうすることが、自分の役割だと信じていたからだ。
実際そうだったし、エリカ・クロックフォードもそのためにボクの機能を追加していったハズだ。
再会した彼女は、ボクにしたことを謝らなかった。
それでいいと思う。
そうでいてほしいとも思う。
そのままで死んでいってくれと――――思っている。
「……稀代の悪人だよ。あんたは」
彼女は、今もサリヴァンたちに、ボクと同じことをしている。
エリカとアイリーンの二人の弟子は、二人ともが、豊潤な魔力を内に秘めた特殊な体質だ。
濃く遺伝した古代の血がそうさせるのだろうが、世代を重ねたサリヴァンのそれは、なるべくしてなったヒースのそれよりも『先祖返り』というのが正しい。
どの先祖かと問われれば、それはもちろん、フェルヴィン人の曽祖父に宿る、優れた魔術師であったエルフ、もしくは尽きぬこと無い魔力を持っていた龍だろう。
生家に残ったサリヴァンの妹は、一般的には豊かな魔力を持っているといえるらしいが、兄とは雲泥の差があるという。
契約するとき、サリヴァンは言った。『古代の魔術師のような力があればいいのか』と。
実際のところ、その秘めた力の大きさだけでいうなら、最盛期のころの古代の魔術師であっても、圧倒できるほどの資質のように思う。
すくなくとも今代、この世界で、サリヴァンほど生まれながらに魔力に富んだ人物は、ヒース・クロックフォードしかいないだろう。
サリヴァンは一見、地味な青年だが、服の下には子供のころからの絶え間ない鍛錬で鍛え上げられた肉体がある。
サリーは素朴で素直な精神の男だ。その修行漬けだった幼少期を想うと、複雑な感慨を受ける。
自分の境遇と重ねるからではない。(そもそも、その境遇もきちんと思い出したのはここ最近だ)
世の中の同じ年頃の若者よりも、あまりに背負うものが重く、そしてそれに応えられてしまう才能があることも、知っているからだ。
自分もまた、知っていて利用する一人だという、自覚があるからだ。
望まれているのは救世主。
そのために育て上げられ、大成した大魔法使い。
『かくあれ』と作り上げられた子供。
――――それがコネリウス・サリヴァン・ライトであり、ヒース・エリカ・クロックフォードだ。
もしもサリヴァンに、魔力と技術と境遇のうち、ひとつでも無かったのなら、ボクは契約しなかった。いや、『できなかった』が正しいか。
豊富な魔力を持ち、それを運用できる技術があり、養い親がアイリーンでなかったら、『ジジ』はサリヴァンの相棒にはなれなかった。
けれど、それがなんだというのか。
ボクが何よりも重視するのは、サリヴァンのその精神。言葉。
あのとき、有象無象の人間と同じはずの、ちっぽけで短いひとつの命を惜しんだ。そんな自分の本心が、サリヴァンに自分の人生を委ねる、いちばんの理由になった。
それは今もなおボクの中で、サリヴァンの価値を示す指針となっている。
それがボクが守りたい、サリヴァンの『価値』。
――――あなた、そんなにサリヴァンのことを……。
(ああ、そうだよエリカ。ボクはもう、昔のボクとは違う理由を持っている)
彼女はこの世界に多くの選択肢を与えた。
その仕事は紛れもない功績であり、ボクやサリーのことは些事であるし、サリーやヒースの様子を見れば、その幼少期が悪くないものであったことは分かる。
しかし、一度役割を与えられたならば。
彼女の死が逃れようもない事象ならば、死んだあとのことをボクらは考え、対策しなければならない。
彼女自身も、自分が死んだあとのために、それこそ三千年前から準備を進めてきた。
ボクが彼女にできる、せめてもの手向けは、最期まで共犯者として働くことだ。
それがこの世に生んでくれた『母親』への、恩返しになるだろう。
ボクはもうあの頃のボクじゃない。
今のボクは、サリヴァン・ライトの影に潜むもの。サリヴァン・ライトの意志ある魔法。自由と享楽と平穏を望む、質量なき昼行燈『魔人ジジ』。
船の窓から空を見下ろしている二人の、何かを確かめあうように繋がれた手を見て、ボクはため息をつく。
(……ミケのことをとやかく言えないな)
これが、『いつか』も『どこかで』も口にすることは無い、ボクの決意。
自分にさだめた、『運命』だ。




