6 ダンツァーレ
天空の浮島。
からくり仕掛けの孤城。
始祖の魔女の牙城たるそこが、煙と土ぼこりを上げながら駆動をはじめた。
高さの違う、無数の巨柱の集まりで構成された浮島。
その円柱のひとつへ、どこからともなく湧いて出たおびただしい数の怪物たちが、黒い雲となって群がっていく。
――――五つの船のうち、三船は空へ逃げた。
女帝十二機のスート兵のうち七機が露払いに追従している。
ヴェロニカの役割は残り五機を操って、あとの二船をぶじに空へ飛ばすことであった。
「――――ヴェロニカ! もう四船めが出る! おまえも――――」
「……わかっています! 」
羽音と飛鯨船の駆動音に負けないよう、兄グウィンもヴェロニカも、怒鳴りあうように叫んでいた。
ヴェロニカの鋭い蹴りが、蝗の濁った卵色をした腹を穿つ。その背を守るように、四枚の翼を大きく広げた『スート兵』が、すらりと黄金の剣を打ち下ろした。
「――――行ってくださいませ! わたくしには彼女の翼がある! 最後の一機が飛び立っても追いかけられます! 」
ちらりと振り返った兄の顔は、胸が痛くなるほど悲痛な表情だった。
「ごめんなさい。お兄さま」
聞こえないだろうが、この笑顔は見えるだろうと、ヴェロニカは微笑みながら拳で肉を打つ。
記憶によみがえるのは、幽閉された城の地下、兄や弟たちを見送ったときの絶望だ。
「――――でも、わたくし、今度こそあなたと戦えて嬉しいの」
飛び散る肉片と血の雨も、この明るい陽の下、家族を守るために降るのならば、それが自分の拳が作ったのならば、なおのこと清々しい。
(わたくし、『女帝』ですものね。ダンスホールには最後までいなくては)
汗は噴き出て、髪は汚れ、体は疲れるけれど、そんなものは舞踏会と同じだ。
流し目で蝗どもを睥睨し、軽やかにかかとを地面から跳ね上げる。
「――――さあっ! 次のお相手はどなた! わたくし、まだ踊り足りませんわよ! 」
◇
「……おいおいどうする見ろよバカ息子。あのバカ姫、まだ残るつもりでいるぞ」
「…………」
すでに離陸した船の中で、親子は額をつきあわせていた。息子のほうのクロシュカは、固く腕を組んだまま、壁に向かって鉄仮面の下で沈黙している。
「おい。おいバカ息子。おまえ、まさか演技が堂に入りすぎて、ほんとうに舌を抜かれちまったわけではあるまいな? ン? 」
「……父上よ。しばし黙ってくださらぬか」
「ぬ、なんじゃと」
息子のいつにない強い言葉に、クロシュカは目を丸くした。
父親のいうことなら、「そのとおりでございまする」と、あっさり頷くのがこの息子である。
「吾輩は、耐えておりまする。耐えねばなりますまい」
「ぬ、なぜじゃ息子よ。どうした道理で、何を耐える? 自分の女ぞ。龍の男であるならば、生涯この女と決めたならば躍り出て名乗りを上げ、脅威のもとから攫うものぞ」
「ウヌゥ……。いけませぬ。邪魔だて無用でございまする……」
「あれはお前の女ぞ。おまえがそう自らに誓った女ぞ。それに背を向けて逃げるのか? なにゆえ、そうしたいのだ」
そのとき、仮面の下、首筋に一筋の鮮血が滴った。
食いしばった歯で噛み破った下唇は、かすかに震えている。それを抑えるために、クロシュカ・エラバントはより強く自分の血を舌で味わった。
「心を決めたあの女の邪魔だては、もう二度といたしませぬ。父上も行かせはいたしません。このまま我々は、あのひとに守られて空の向こうへ逃げるのです」
クロシュカは固く組んだ両腕のあいだに首を垂れ、裸の肩を抱えるように縮こまった。
「吾輩、『節制』ゆえに……」
――――そのとき眼下の浮島へ向かって、真っ青に燃える流星が、尾を引いて飛来した。
◇
アリスが三千年ぶりに見た友は、あのころとなんら変わりのない姿だった。
「――――アリス。あなた」
エリカの背中越しに見えたのは、物理的に崩れる壁。
人知を超えた力でそれを行った『吊るされた男』の炎。
放たれた拳。
……穿たれる胸。
心臓を貫かれてもなお、彼女は駆け出した。
今の彼女は人間ではない。
生物ですらないから、そうなっても稼働していた。それがアリスは少し悲しい。
よろよろとエレベーターに駆け込み、ドアが閉まるのを見逃して。
アリスは、崩れた外壁に立つ『吊るされた男』の手を取る。
「お迎えごくろうさま」
『吊るされた男』は何も言わない。
どこか不服そうにしているから、感情はあるのだろうと分かる程度だ。
外界は、青い空を期待していたのに真っ白に曇っていた。
「寒いし、うるさいし、風が強い。さいあくな気分だわ。あなたもそう思うでしょ」
『蘇ったもの』どうし、それは同意できる事柄のようだった。
「あたしたち、仲良くなれそうね。……いきましょうか。エスコートしてね」




