6 すべてがそこにあるように。
星が広がっている。
色とりどりの星が。
ひとつひとつが、この世界の『時』の粒である星が。
これは『宇宙』だ。
永遠というものに形があるとしたら、この光景だろう。
『宇宙』が、二人の周りを廻っている――――。
「――――アぐッ……! 」
次の瞬間、アリスは体を折り曲げてうずくまった。
「――――アリス!? 」
「ぐ、うぐ、ふぐぅぅうううう……ッッッ! 」
「頭が痛いのかい!? 」
あっというまに崩れ落ちて転がった体は、丸くなって強張り、激しく震えはじめる。なすすべもなく、ヒースはその肩を抱き起すしかない。
「なんで、そんな。この場所がいけないのか? どうして……」
「グ、うぅぅううう……ッ、く、くくくくく……! 」
そうして食いしばった歯の奥で、アリスは激しく喉を鳴らした。
「くくくくく……ふふふふふ……あはははははは――――――――!!!! 」
「ア、アリス――――!? 」
「ふふふ……ぐ、う、うふふふふふ……! 」
アリスは笑う。笑っていた。
それは彼女のたわむれなどではなく、ヒースの腕の中で強張る体は、いまもなお汗に濡れている。
その肌に触れているヒースには、流れ出す血液だといわれたほうが納得できるというほど、彼女の体は数秒ほどで、びっしょりと濡れてしまったのだ。
だというのに、彼女は笑っている。
「――――どうして笑っているの!? 」
「お、おかしいからよ――――ッ! 」
「いったい君に何が起こってるんだ! ここは、この星空は――――」
「わ、わかんないの? ふ、くくく、ぐく、『ここ』がッ! どこかッ! 」
「わかってるさ――――! だから意味がわからない……! 」
アリスはついに、断末魔にも思える悲鳴を上げた。
ヒースの額にも汗が浮かぶ。すがるように巡らせた視線は、天地に輝く極彩色の暗闇だけを映した。
「はぁ、はぁっ……! 」
尾を引く叫び声に耳鳴りがわんわんと鳴り始める、自分の呼吸すら、耳鳴りの向こうにあった。
そんな鼓膜に吹き込むように、耳殻の裏に吐息が触れた。
――――どうして、あなたが
触覚と聴覚を刺激されたヒースの首が、独楽のように回る。
身をかがめて肩越しにアリスをのぞきこんでいた人物の、ヒースたちの『ホルスの目』とは違う色合いの金色の瞳と目が合った。
うつろで、濡れた瞳。その目に蠢く感情は――――溢れんばかりの恐怖だ。
「きみは――――」
「ミ、ゲェ――――ッ! 」
アリスの罅割れた声が、その人物を呼ぶ。
『宇宙』の化身となったもの。
アルヴィン・アトラスの語り部魔人、ミケ。
ふっと首を引いてヒースの脇に立ち上がったミケは、ヒースがそこにいないかのように、アリスだけを強張った無表情で見下ろして言った。
「お母さま。あなたのことを、あなたの細胞から生まれたわたしたちは知っています。あなたはこの世で唯一、ぜったいにここに来てはならない人だった」
「それはどういう意味? 」
ミケの視線がスライドしてヒースを一瞥してアリスへ戻る。
「それはわたしが『宇宙』になるより前……。語り部魔人の機能。メモリには、母から作られた知識領域があるのです。我々、語り部魔人は、あなたの『ホルスの目』を参考に、同期機能が作られた。ただの語り部だったときの記憶が言っています。すべての魔人たちの結論。蓄積された情報が、あなたをこの世界の脅威のひとつだという結論―――――」
風がないのに、身にまとうローブと地につくほどに長い髪が、ミケの体のまわりを波のように漂った。
「――――でもわたしは『宇宙』。『審判』に選ばれた選ばれしものを言祝ぐもの。お母さま、あなたは選ばれた。あなたの目的は分かっている。ならばと、わたしは魔人であったころのわたしに従って、その目をふさぎます。
すべては『宇宙』のため、わたしの『アルヴィン様』のため。
『宇宙』にあなたの視線が触れて、わたしを支配することがないように。
―――――『悪魔』の選ばれしものよ。あなたの『目』が、許容を超えた情報を読み取るとどうなるか、わたしたちは知っています。
だから……完膚なきまでに壊れてから、もとの世界へ戻るがいいのです」
「うそだろ……」
「……はは!」
痛みにあえぎながらも、アリスは笑っていた。
「何笑ってんのさ! 」
「だって―――――! そのとおりだったからよッッ!
本来ならッ、あたしはッ……、
ヒース・クロックフォードというサラブレッドが、なるべくして『選ばれしもの』になるのに相乗りして、
『宇宙』、あなたを媒介に、この世界そのものに『接続』するつもり、だった、
そういう――――ずぅっと昔からの、計画―――――ッッッ!!! 」
矮躯がのたうつ。
「アリス! 」
それを見下ろすミケの視線は、ジジに似てこそいるが、決定的に何かが違う。
それじたいは、ヒースにとって混乱を呼ぶほどのことではなかったが、ミケの引き出したアリスの言葉のほうは、予想以上にヒースの胸のどこかをえぐって『疑念』という混乱の種を産んだ。
いつもであれば、外見が似ていることなんて無視できるのだ。
けれど生まれた混乱が、ミケとジジの印象をだぶらせる。
夢の中で見た、覚悟と怒りをこめてヒースの魔法に焼かれたジジの瞳と、アリスに手を下しながらも恐怖しているミケの疲れきった瞳。
ミケのこれは処刑だ。
(――――ううん! この子はジジじゃない! )
ヒースは飛び出した。腕を広げて、ミケに突進した。腕で抱きしめて引きずっても、ミケは人形のように表情を変えない。
「――――待ってよ! 今の彼女の計画は違う! 」
「語り部はあなたが数十時間体験したよりも長く彼女の記憶を知っています。
三千五百年、すべての魔人が同じ結論を出しました。
来たる『審判』のとき、もし彼女が『宇宙』に触れ、支配を許せば、どうなるか。
あなたは知らない彼女の前科がある。『前の世界』で彼女は、全人類七十六億人の脳を支配する計画を実行したという前科が――――」
ヒースは奥歯を食いしばった。
「状況が違うんだ! 今の彼女の守るべき家族は、守られるだけの人じゃない! いっしょに戦える仲間だ! 前の彼女は、家族を守るために戦争をやめさせようとした! それが結果として、仲間以外を洗脳するっていう手段になっただけで、今回とはゴールが全然違う! そうだろ!? 」
「状況証拠とするには根拠が薄い。わたしには二十四の語り部魔人すべてと同期したメモリがあるのです。わたしはもう二度とためらわない。――――なぜならば」
ミケの声色にはじめて熱がこもった。
「なぜならば―――『宇宙』で、そうすることが、アルヴィン様のために、『ミケ』ができることだからです!! 」
「――――それが君か! でも根拠ならある! 」
「なぜここまで聞いてかばうのです! 」
「彼女みたいな捻くれた物言いをする人を僕は知っている! アリスはジジの物言いにそっくりだ! さっき気づいた! アリス、あんたの口ぶりと性根のほうはジジとそっっっくり! 」
ヒースの脳裏によみがえるのは、サリヴァンがジジと出会った時の記憶だ。
ヒースにはそれが、自分が知るはずがないものだという自覚は無かった。
それでもなぜか知るそれが、ヒースの中で強固な『根拠』としてアリスを弁護する。
ヒースは自分の胸を強く叩き、睨むようにミケを見た。
「ミケ、君はこの場所で、ジジとも『同期』したはずだよ! わかるだろう! 」
「あの時のことまで……その『目』が教えたのですね」
「いまの君は『宇宙』だろ。……僕の言っている『根拠』、ちゃんと読み取ってよ。できるだろ」
「……わかりました。あなたの思考を根拠として一考します」
ミケは肩を落としてため息を吐く。
「……わたしは知っています。人の心はよく変わるもの。お母さま、あなたも人のままだという自覚はありますか? もしあなたが人間なら、わたしたちもあなたに希望が持てるのですが」
「人間なんて、とっくにやめたわ」
唇の端で笑いながら、アリスはだるそうに起き上がった。
そして次の瞬間、ぎりぎりと歯ぎしりをしてこちらを睨むヒースが歩み寄ってくるのを見て、すっと無表情になった。
「……でもまあ、人の子だわね。こんなあたしでも。ね」
「……ビックリした。僕の努力を、ひと呼吸の時間で無駄にされるのかと思ったよ」
「たちがわるいですね、あなたたち二人とも」
ミケが短く言う。
ミケはローブの裾をひきずりながらやってくると、人ひとりが横たわるほどの距離で足を止めて二人を眺めるように見た。
わずかに緑が差した金色の虹彩が、その『宇宙』の権能をもって、『選ばれしもの』としての功績とこれから待ち受ける運命を見通している。
「『選ばれしもの』とは、世界を変える運命を持つもの。またはすでに世界を変えた功績があるもの。
ヒース・エリカ・クロックフォード。あなたの功績は、その血に含まれた運命と、その目がいずれ見るだろう、預言者としての可能性。
アリス。あなたの功績は、すでにこの世界へ与えた影響と、これから与えるであろう影響。……すでにその名前が首都の国もあります。そういうことです」
「不本意そうね」
「この感情は、不安というのが正しいでしょう。でも『宇宙』には、すでに神々のもと『審判』によって選出されたものを却下する権限は与えられていません。『宇宙』の役割は、あなたたちを送り出すこと。だから、わたしにまだミケという人格が残っているうちに、権限の範囲で、やれることをやります」
ミケはぎこちなく微笑んだ。
その笑顔が向けられる先が、ここにいる自分たちではないことは、『視』なくてもヒースにはうっすらと分かった。
「この身が『宇宙』になってしまっても、間違えてしまった過去へは戻れません。過ぎ去る時を行くしかない。わたしは、この一本道がわたしを引き裂こうとするのを、いつまで耐えられるかわかりません。だから、わたしはわたしであるうちに、ここに来るあなたたちへ『どうかお願いします』と祈りを託して送り出すことしかできないのです。
あなたたちには、たくさんの苦難と奇跡が何度も押し寄せることでしょう。けして安穏な道筋ではない。
けれど、その結末がいいものでありますように。失う不幸より、幸福が多く残りますように。
あなたをあなたたらしめる、すべてが未来にありますように。
この祈りが成就することを、わたしは、わたしである限り――――願っています」
目を開ける。
懐かしいにおいがする。
澄み渡った青空へ、手を伸ばして口を開く。
「……わたしは、『宣誓』する――――――」




