6 消耗戦
サリヴァンは立ちあがり、出口に向かって足を速めながら歯噛みする。
許されるなら、エリカともっと話をしたかった。彼女の寿命を知ってさらに、そうすべきだとも思った。
何も知らされていない自分の未熟さがうらめしく、秘密主義を貫く大人たちの決断も、信用がないようで悲しかった。
けれど、これだけ重要なことを秘してきた事情も、今回のことで納得ができた。
(『アリス』に感染すれば、自覚もできないまま情報を渡すことになるから……)
記憶がよみがえる。
ヒースが飛鯨船に乗るというとき、サリーもアイリーンも反対するなか、エリカだけが、ヒースの夢を後押しした。
旅立つその日、ヒースの笑顔は、不安と期待と安堵で塗られていたことを、よく覚えている。
初夏の、淡く白い朝日に照らされたヒースの横顔。
旅立ちの直前にサリヴァンへと託したのは、なにも生活力のないほうの母親の相手だけではない。
ヒースが抱いた実母への大きな感謝と信頼、絆、愛情――――それらはサリヴァンにも転写されて残ったのだ。
秘密を抱える大人たちを信頼するための理屈があるとすれば、それが根拠だった。
ジジが顔をしかめて呆れるほど、まっすぐな信頼だ。
けれど忘れてはならない。杖職人サリヴァンは聖職者でもある。王に王冠を載せることだってできるのだから。
愛も、魔法も、神秘も。
形のないものを信じることは、サリヴァンの根幹にある『当然』だ。
そう育てたのは、ほかでもないエリカたちだ。そのことにも、サリヴァンは感謝している。
まぎれもなく、愛から成る円環が、サリヴァンの信仰をつくっている。
屋上へ続く階段から空を見上げると、空には胡麻を散らしたような影が無数に見えた。
視線を落とすと、船を守るように展開して戦う人影がある。その中にはジジの姿もあった。
「おれが出ます。師匠はトゥルーズとここで待っててください」
「いいわ。サリヴァン、手を出しなさい」
手早くエリカは自分の長い後ろ髪をひとつかみ切り取り、その手首に巻き付けた。
「……さすがのあなたでも、そろそろガス欠でしょう。この体は『繋ぎ』だから髪にもそう魔力は込められてないけど、ちゃんと二十年物よ。この子はだいじょうぶよ。必ず自分から目覚めるわ」
「おねがいします」
エリカは返事のかわりに、出口へと押し出すように肩を叩いた。
ジジが自分の体を粒子化して、五つある船の周囲を覆って結界をつくっている。
さきほどの戦闘で消耗しているはずのジジを、まず援護するべきだ。
サリヴァンは前後に足を開いて立ち、エリカの髪を一本取って短い呪文を言祝いだ。
「"空のナイフ、風を切り割き、雲を穿て"――――」
弓矢は命中度に自信がない。髪に魔力を通して槍にする。投げ槍だ。
円錐型に渦を巻く魔力に乗り、槍はジジのもとに届いた。
粒子の上で衝撃派とともに弾けた髪は、魔力を届けて消える。
走っては投げ、走っては投げで三本ほど続け、サリヴァン自身もその場へ駆け出した。
「はあぁあぁぁぁぁ!!! 」
ヴェロニカが上段蹴りで空中の蝗を蹴り落す。
その周囲を追従して、彼女が出した有翼のスート兵が三人ついている。
ほかのスート兵とともに、翼もないのに空中を跳びまわっているのはクロシュカ・シニアだ。
「だぁああぁあああ! 数が多いっ! やりにくいっ! 」
雲を掴み、体躯に見合わない怪力で蝗を遊撃する。
圧倒しているが、数の多さに悪態をついている。
「王は船に戻れ! 」
コネリウスとグウィンは、船団の乗組員であるケツルたちや、戦えない弟や妻を背に、ジジの結界の前で、仲間の攻撃からもれて向かってくる蝗にこぶしを振るっていた。
「いいえ! この場で少年や妹や老人に守られる王ではいたくありません! 」
「それでこそフェルヴィン皇帝! 」
空から通りすがりのクロシュカが喝采する。
「引き際は見極めろよ」
「もちろん、死に場所は厳選しますとも。皇帝ですから」
背中越しに、グウィンはコネリウスへ不敵に笑った。
地上でいちばん縦横無尽に動き回っているのは、クロシュカ・ジュニアとシオンだった。
ジュニアは裸の胸を濡らしながら、砲台のようなこぶしと蹴りで蝗を打ち抜いていく。
シオンの剣さばきは、正統派の騎士剣術のように見えた。
そこに、サリヴァンの六体の炎蛇が加勢に飛び込んだ。
サリヴァンはそろえた人差し指と中指を空に向ける。
(スート兵は一度壊れたら再生できない。炎蛇は空に五。地上に一残す)
≪そっち任せてもいいの? ≫
(ジジはそっちに集中でいい。足りなかったら……)
≪それはもう十分。あの話はあとで≫
(ああ)
「"銀蛇"」
男の上腕ほどもある刃渡りの、濡れたように輝く片刃のダガーが左手に伸びる。
空を睨み、サリヴァンは五時の方向から、蝗に群がられているシオンに加勢した。
シオンの左のこめかみをかすめた蝗の肢を切り落とし、振り返った目を視線をかわす。
どちらともなく頷いた。
二人は背中合わせになり、たがいに半円を描きながら杖をふるう。
初対面にも等しいというのに、ふしぎと呼吸は合っていた。
「『アポリュオン』は? 」
「それらしき姿は見えない! 」
「どこかにいるはずです! 」
「同感だ。蝗たちの統率が取れてる。指揮しているものが近くにいるはずなんだ! 」
コネリウスが空を飛ぶシニアに向かって叫ぶ。
「そっちからは何も見えやせんか! 」
「見えん! 」
そうしている間にも、蝗たちは払っても払ってもきりがなく湧いてくる。
人間側の体力と時間は無限ではない。
「ジジ、またやれるか? 」
≪……ああ。やろう≫
「じゃあ、おまえの『杖』を――――」
その時だった。
「駄目だ。きみときみの魔人は働きすぎてる」
シオンが言う。
「僕がやる」
「勝算があるんですね? 」
「もちろん。船をすぐに発進できるようにだけしてくれればいい」
「ジジ、聞こえたか? 」
≪ああ≫
シオンの言葉は、ジジから船へと伝わった。
船の中でまんじりとしていたケツルたち船員からは、すぐに五船とも出航可能の合図が出る。
「さて、やるか」
クロシュカ親子の秘密はまだギリギリばれていません。




