5 伯父と姪
ヴァイオレットは伯父の手を取り、回廊を歩いていた。
内庭に面して白い柱が等間隔に並び、埃一つ無い石畳が、まっすぐに続いている。突き当りの木戸を開けると、ぐるぐると上へ続くらせん階段があり、階段のさらに終着点には、どっしりとしたガラスのはまっていない大窓があった。
石造りの窓枠は人が座れるほどにも広く、紺色の重いカーテンがかかっている。窓枠に腰を下ろしたエドワルドはカーテンをめくり、眼下を見るよう促した。
そこは、まるで劇場のバルコニー席だ。きらびやかな玉座の間を見下ろして、今まさに、謁見が行われている。
「間に合ったようだ」
エドワルドが指し示すまでもなく、玉座の間に立っているのは、ヴァイオレットに扮した少女と、ステラだった。そして驚くべきことに、玉座にもエドワルドらしき人物が座っている。
「……玉座にいるのは誰? 」
「影武者だ。ひみつだよ」
エドワルドはいたずらっぽく指を唇の前に立てた。
そして二人は、長い長い話をはじめた。
◇
プロパガンダだ。
『陰王派』『陽王派』なんて、政治のために装飾された呼称にすぎない。
そんな都合のいい宣伝文句のことを、難しい言葉で『プロパガンダ』という。
「今の国はつまらない」
ヴァイオレットの手を引きながら、エドワルドはごちた。
「彼らは調子に乗りすぎている」
『陽王派』という言葉は、陽王エドワルドの治世が始まった、この十八年で生まれたものだ。
彼らはもともと『革新派』と呼ばれていた。陽王エドワルドの政策と合致したことで『陽王派』と呼ばれるようになったのだ。
魔術の輸出……つまり留学で国民の海外進出を手助けし、同時に、留学生たちに国外技術を習得させ、発展を目指す―――――それが根本にある理念だったのだ。
そんな『陽王派』に対立していたのが、『魔術保守派』と『保守派』である。
『保守派』は、現状維持を訴えるものたちの集まりで、どちらの派閥にもなびかない中立の立場だ。
『陽王派』『陰王派』となってからは、彼らもまたより立場を強調するため、『中立派』と改めた。
対する『魔術保守派』は、歴史が古く信心深い、地方貴族が中心となる派閥である。彼らは総じて魔術の衰退を憂う集まりだった。
南北に散らばる『魔術保守派』の古い貴族たちは、いにしえの建国のころからの伝統を重視した。険しい土地柄を誇りとする彼らは、陽王擁する『革新派』に対抗するだけあり、粒ぞろいの権力者が後援となっている。
目下の『魔術保守派』の主張は、外交によって、技術が流出することを憂い、魔術の持つ神秘が薄れることを懸念している。彼らの中には、数字に強い南部の商売人たちもおり、財源も人材も潤沢である。
『魔術保守派』を支持するものには学院の教師や生徒も多く、地方に行くほど『陽王派』との数が逆転するのが現状であった。
国内一の大学校『ラブリュス魔術学院』の構内は、『革新派』と『魔術保守派』が分離した卵とバターのように混ざり合う有様だという。
『魔術保守派』は言う。
【魔法の力が落ちているのは、国が開かれ、信仰の心と神秘が薄れたせいだ。ふたたび鎖国すべきである】
対し、『革新派』は顔をしかめる。
【外のことを知り、外国と商売をせねば、遠からず滅ぼされるのは目に見えている】
どちらも互いに【現実が見えていない】と罵り合う。
平行線の意見交換は、どちらの主張も正しく、そして間違ってもいるから、何十年も平行線だ。
エドワルドは、学者気質なところがある治世者だ。
その証拠に、学院では歴史学と精霊魔術が専攻だった。
精霊は、広くいえば神々の眷属の総称だ。その中でもより原始的な、現代では姿を失ってしまった超自然的なものを指す。
そしてそんな精霊の力を借りる魔術は、魔術師たちにとって、魔術のはじまりとされるもの。技能としての魔術は、精霊と親しむことができる人々が、ともに神の恩恵を受けたところから始まったのだ。
エドワルドはそんな精霊魔術の実践的な部分ではなく、魔術の祖としての歴史を中心に学んでいた。
だからエドワルドは、けっして魔術の衰退を軽んじているわけではない。
魔術保守派のやり方では、これからの国を守ることができないと、厳しく判断しているだけだ。
エドワルド王は、古く強力な魔術ばかりに頼りがちな国を憂うばかりではなく、神経質なほど統計を取ることを要求した。試験で選ばれた優秀な学徒たちに海外を見せることで、新しい魔術の発明に成功し、成果を数字にして説得力を見せつけ、有識者たちを黙らせ、国の舵を取る――――。それがエドワルドのやり方だった。
『革新派』が『陽王派』と看板を改めたのは、王の名を借りて『正当性があるのはこちらのほうだ』と主張したかったのだろう。
それに便乗して『魔術保守派』が『陰王派』と看板を書き換えることも、分からなかったわけではあるまい。
陰王の一の忠臣であるライト家は、政治に介入しない誓いを立てている陰王にならって、中立の『保守派』……改め、『中立派』を掲げているというのに。
そう、本来の意味での『陰王派』の多くは、『保守派』と呼ばれる中立に属している。彼らは中立を保つため、長年にわたり苦汁を舐めるしか無かった。
昨今は王都にアイリーンが住まいを移しているが――――本来、『陰王=時空蛇』の神官であるライト家は、領地を離れることができない。
魔術と神秘の全盛期、建国のころは、陽王家に準ずる権力を誇ったライト家への敬意は、時代が下るとともに失われていった。
聖地と呼ばれた『蛇の頭』、北東のサマンサ領。かつてこの地は、信心深い魔術師たちが厳しい修行をするために集まり、もう一つの都と呼ばれたほどだったのだ。
飛鯨船が生まれてからは、国土防衛の名目で、沖合いにある海層特異点が封鎖されたことにより、ケツルたちの『渡り』の巡礼が困難になった。
開国が行われ、巡礼の数が減ったことにより、沿岸の街は廃れる。これは実質、財産の没収に等しく、ライト家の財政は急落した。ちょうど、今の当主から三代前のことだ。
さらに時は下ると、王都で巻き起こっている『陽王』と『陰王』の派閥争いは、一方の長であるはずのライト家の手を離れてしまった。当時、当主であるフランクが、まだ十代になったばかりの少年であったことも大きく影響していた。
『陽王派』と『陰王派』。この悪しき命名によって、ライト家には『陰王派』からの再三の脅迫が来るようになり、すでに数年――――今に至っている。
「――――このままでは内乱が起きるだろう」
陽王の言葉に、ヴァイオレットはションボリとして頷いた。
ライト辺境伯家に、かつての力はない。多大な力はむしり取られ、資金は領民たちの生活の維持に使われ、そう残らない。
栄光を知るのは、かび臭い本の文字列くらいだ。ライト家の令嬢であるヴァイオレットでも、想像するのが難しいほどだった。




