5 からの影★
※理不尽な暴力描写の注意報
(うまくいったけど、でも……何かひっかかる)
コナンはいまさら気恥ずかしそうにしている。年上の大の男が落涙したということに、アルヴィンは無い皮膚がざわめくような気まずさがあった。
「殿下はご立派になられましたね」
(そうかな。……そうなのかな)
そう思った次の瞬間に、コナンがそう言ったので、アルヴィンの思考はまた一歩、深く沈みこむ。
(おかしいな……前の僕はこんなふうにはこなせなかった)
視線は階段の欄干の木目を数えながら、棘のような疑問が刺さって取れない。
『僕は変わったかしら』
コナンは不思議そうな、困った顔をして、「私は以前はあまりお話をさせていただくご機会がありませんでしたから」とにごし、「しかしさきほどは、まるで、隣にグウィン様がいるようでした。実に心強かった」と絶賛する。
たしかにアルヴィンは、長兄を見本に言葉を組み立てた。
ヒューゴのような軽快で豊かな語彙はアルヴィンにはなく、ケヴィンのような理路整然とした説得力もないので、グウィンの誠実で美しい言葉選びと姿勢を真似するのが、いちばんやりやすかった。うまくできたという実感もある。
(でも前の僕は、もっと臆病で、どたん場になると言葉が出なくなるような子供だった。手が震えて、汗が……)
刺さった疑問の棘の下が痛み出す。
ミケがよく言ったものだ。
『アルヴィン様は賢いから、きっかけさえあれば、一瞬でいろいろ分かっちゃうんですよねぇ』
「殿下、そろそろ、お嬢様と夫人が部屋から出てきそうです」
アルヴィンはハッとして、欄干を見つめていた視線を上げた。深いフード越しに、コナンが頬を掻いている。
「……あの、その前に手洗いを借りてきてもよろしいでしょうか。顔を洗ってきます」
アルヴィンは頷いてうながした。コナンが階段を降りていくのを見つめながら、心はまた思考に沈む。
(真似と言えば、ミケもよく変身の機能を使って……)
次の瞬間、棘はぽろりと落ちた。
(そうだ……今の僕には、汗は流れないし、手も震えない……)
――――あなたはもう魔人といってよろしいでしょう。
思い出したのは、魔女の言葉だった。
(そういうことか)
棘が抜けた下から血が滲むように、胸の内で苦みが増していく。
(……さっき自分で言ったじゃあないか。語り部も肉体も失った僕は、自分を誰なのか証明できないって。そしてそれは、時間がたつほど難しくなるんだろうな)
――――魔人は不死であるから。
(……僕は、人である証すら立てられない。いや、そもそも、もう人ではないわけで……)
ミケはかたくなに『わたしはヒトではありません』と言った。死の間際にあってすら、『わたしに命はありません』と繰り返した。
(じゃあ僕は……? )
わかっているのだ。あれは、消えゆく自分を振り立たせるためであり、アルヴィンの罪悪感を減らすための方便だ。
アルヴィンが学院でいじめられる切っ掛けは、陰に潜む魔人の存在だった。
試験での不正を疑われ、その正当性を証明できなかったことが、アルヴィンを孤立させた。
その一連のことを悔やんでいたのは、他でもないミケだった。ミケが傷ついたことに、アルヴィンもまた傷つき、それにミケが傷ついた。
互いの心を傷つけあう状況に追い込まれたときから、ミケはいつしか『わたしはヒトではありません』と念を押すようになった。
『ミケに命はありません。この肉体も、本体である銅板からの魔力で生まれた擬態した体。アルヴィン様の語り部として最適な姿を取っているにすぎません。心も体もヒトとは違うのです……』
「だからどうした」とアルヴィンは問い、ミケは微笑んだ。
『ミケそのものには傷が付かないと言いたかったのです。この痣もすぐに修復されます。お気になさらないで、アルヴィン様。もうしばしの辛抱ですよ』
――――辛い記憶だった。
決定的に挫けた日の、決定的なシーンの言葉。
語り部を出すことを強要され、屈して従ったアルヴィンの前で繰り広げられた残酷な仕打ち。何度も夢で再生されることになる、一時間と二十二分の出来事。
追い詰められたアルヴィンが、思いついてしまった打開策。
『語り部魔人』は、建国より受け継がれてきた、フェルヴィン皇国の国宝である。王位継承権のあかしでもあり、失われた太古の技術でつくられ、その製作者は神とも謂れがあり、たった二十四枚しかこの世に存在しない。
それを、知らなかったとはいえ、子供の戯れの延長戦とはいえ、傷つけてしまえば、どうなるか――――。
語り部同士には情報を共有する『機能』がある。事はリアルタイムに本国へと伝わった。
あってはならぬ『損傷』に、アルヴィンの父レイバーン皇帝も迅速に動いた。
そのとき外交で国外にいた三兄のヒューゴが『対処』にあたるため学院に駆け付けると、すぐさま事態は明るみになり、アルヴィンとミケは祖国へ帰ることになり……。
――――あの時は、たしかに、アルヴィンもミケも、ああするしかないと信じて実行した。
しかしアルヴィンは、あの後、すべてが終わったことに安堵したのもつかの間、何百回と『あれでよかったのか』と考え、苦しむこととなる。それは今、この瞬間もそうだ。
(ヒトであるとは、何が証明するのだろう)
アルヴィンはミケをヒトと同じだと口にした。そんな自分の言葉が、自分に向けられた瞬間、アルヴィンはとたんに、言いきれる自信がないことに気が付いた。
(こんな体になってしまった僕がヒトだと、誰が証明できるのだろう……)
その時だった。
『ヴァイオレットが陛下に王宮へ連れていかれた』と、困りはてたクラーク夫人が告げたのは。




