4 隠れ家にて。
◇
謁見当日は、予報どおりの細い雨が降り、窓から見下ろした市街にも、道が灰色の運河に見えるほど重たい霧がたちこめていた。
ステラのペントハウスから王城へ向かう車はひとつ。しかしそれに、アルヴィンとヴァイオレット、付き添いであるヴァイオレットの大叔母スーザン・クラーク前伯爵夫人、そしてもちろんコナンも乗っていなかった。
アルヴィンらは用心を重ね、前日からクラーク伯爵家に住まいを移している。ヴァイオレットたちはこの数日、ステラから知らされた『計画』を、何度も頭の中で反芻していた。
「いいかい子供たち。王の謁見というのは、ただ王サマとお話をするってだけじゃない。王城の業務に組み込まれたイベントなんだ。陽王というのは一人しかいないから、とうぜん何人も護衛はつくし、王と会談する人物の名前は事前にリストアップされている。王のスケジュールを知るすべてのものは、誰がやってくるかも知ることになる。会う人にあわせて王は服を決めなきゃいけないし、それを用意するのはメイドなどの世話係たちだ。客がちょっと待機中につまむお菓子だって、客にあわせて城のコックが用意する。そして、そうした世話係たちは、身分の証明があきらかなものに限られる。ようするに貴族の縁者というわけで、彼らも宮廷の派閥にそれぞれ属している。つまり謁見当日、敵はおまえたちの居場所を確実に把握していて、手を打ってくるというわけだ」
「えっ、じゃあどうするの? 」
「そこで、替え玉作戦だ」
ステラはニヤリとして、ダイニングに置かれた衣装箱を示した。
「敵が探しているのはヴァイオレット。皇子の身元はまだ知るところじゃない。そして婦女の衣装を仕立てるときに一着だけというのは味気ないものさ」
「だから二着仕立てたのね? 」
「王城へ堂々と向かうのは偽物のほうだ。保護者として同行するのは、このあたし。あちらさんがもし手荒なことをしてきたとしても、むしろこちらの好都合。おまえは安心して王との内緒話をしつつ敵を翻弄できるってわけ」
くっきりとしたピンクに塗られた長い爪が、強調するようにテーブルを叩いた。
「ライト家が派閥の板挟みで苦労するのは今に始まったことじゃないが、今回のことは、陛下もおおいに胸を痛めておられる。陽王の周囲には我々の敵が多いけれど、陽王自身は味方になれる御方だ。血縁上はおまえの伯父にあたるのだから、甘えるといい」
「でも、表立ってあたしたちの味方としては動けないのよね? 」
「動けないかわりに、手回しをしてくれる。今回の謁見は、これからどうするかの打ち合わせと思えばいい。おまえは自分の要望を、忖度せずにそのまま訴えるんだ。もちろん、フェルヴィンの現状もあわせてね」
◇
「さあ、つきましたよ」
クラーク夫人は、みずからハンドルを握って、三人をそこに連れてきた。
車から降りると、肩にあたる雨粒を真新しい生地が弾いた。
黒い煤けた四角の看板に、銀の文字がクネクネと躍っている。
魔法操縦で近場の駐車場へと向かう小ぶりの魔法車を見送り、夫人は先導して、目の前の店の扉を開ける。
四隅が曇ったままのガラスがはまった小窓。少し埃が積もった銀色のドアベル。
扉すぐの狭いスペースをとおせんぼするように、緑色に塗られたカウンターが置かれている。
そのかわり、カウンターの奥ははるかに広く取られていた。右手に応接スペースと吹き抜けになった二階へ続くらせん階段。中央には、奥へ続く廊下。左手にはレールが付いた可動式の商品棚が何枚も、所狭しと並んでいる。
「ここは変わらないわね」
夫人が目を細める横で、外国人であるアルヴィンとコナン・ペローも、興味深そうに店内を見渡していた。
ヴァイオレットも目を凝らせば兄の痕跡が見えるような、知らないのに知っているような、不思議な感慨が胸に湧く。国中の子供たちが縁があるこの店に、ヴァイオレットは一度も足を踏み入れたことが無いのに。
「ここが、『銀蛇』……」
「今は休業中だけどね。ようこそ『銀蛇』へ」
吹き抜けの上から、男の声が応えた。
らせん階段を降りてきたのは、期待していた陽王オズワルドでも、ヴァイオレットの兄でもなかった。
「気付くのに遅れてすみません。ふだん留守を預かるのはおれ以外の家族なんですが。でも、鍵を開けるのが間に合ったみたいで良かった。ここの店主の夫で、シオンといいます。」
彼はヴァイオレットの兄と同世代に見えた。
黒髪を束ね、くつろいだ服装をしている。人懐っこい微笑みを浮かべる整った顔には、左目を縦に裁つような大きな傷跡があった。
店主の夫というのにはずいぶん若く見えるが、その顔をヴァイオレットは家のあちこちで見たことがある。
父の親友。兄の舅になる人。
つまり陽王と対をなす陰王が、長い生涯にひとりと定めた伴侶その人だ。
「陛下は、もう? 」
彼の登場にびっくりしたのは、夫人以外の全員らしい。言葉少なに夫人が問う。
「あの人はもう二階に来ています。でも大丈夫。もう少し待たせたほうがいいのですよ。夫人、そのあいだに子供たちへあいさつをさせてください」
「そんな。畏れ多いことですわ」
陰王に仕えるクラーク家の夫人が、陰王の伴侶の願いを反故にするわけがない。
シオンはニコリとして、ヴァイオレットとアルヴィンに向き直った。
「はじめまして。子供たち。おれはアズマ・シオン。ヴァイオレットの父の友達で、アイリーン・クロックフォードの夫。あと、『隠者』の選ばれしものだ」




