4 謁見前夜
六日後にある陽王との謁見のために、急ぎ、口の堅い仕立て屋が呼ばれることになった。
一国の王との正式な謁見というのは、細かなルールが山ほどあると、皇子であるアルヴィンはとてもよく知っていた。
皇帝である父とは、実子である子供たちですら、望んでもすぐ会えるというものでもなかった。
謁見には、コナンもいっしょについてくる。フェルヴィン側の名代として、口が利けないアルヴィンのかわりに言葉を発するのが、この謁見でコナン・ペローに与えられた役割だった。
ステラが懇意にしている仕立て屋は、魔人と説明されたアルヴィン相手でも、動揺を見せずに仕事をこなしてくれた。
ステラの注文は的確で、厳しいものだったに違いない。納品のとき、微調整を終えた仕立て屋の疲れた顔と真剣なまなざしが、それを物語っていた。
五日で仕上げられたアルヴィンのローブには、深い赤の布地に、金糸で緻密な刺繍がされ、肩とベルトについた、同じ金糸の房飾りが美しかった。裏地はこの国の夜空のような紺で、顔を隠すフードもついている。
黄昏の赤と金は、フェルヴィンの色である。
あわせてブーツと手袋も新調され、アルヴィンは頭が下がる想いだった。
対して、ヴァイオレットには、国色の青の地に銀糸のレースがあしらわれたドレスが用意された。
立ち襟のケープが肩を覆い、スカートの裾がいっぱしの貴婦人のように長い。ネックレスのかわりに銀の蛇がモチーフのブローチをつけ、腰に細い銀のベルトを巻き、髪と耳にも銀細工の花が飾られる。
十四歳の子女には大人びた、品のいいドレスだ。
ヴァイオレットは顔立ちが幼いが、身長が高いので、髪を整えて化粧をすれば、十六歳ほどには見えるようになった。
コナンの衣装も、アルヴィンと揃いになるように仕立てられた。
並んだとき、一目でアルヴィンの方が高貴なものと分かるよう、ベストとジャケットの赤は彩度を落とした暗いもの。金糸の刺繍はひかえて、けれど王宮で見劣りしないように。
罪の意識でみすぼらしかった男は、外見が整えられると、かつての身分と使命を思い出してか、背筋が伸びて、瞳にはかすかに前向きな光が宿るようになった。
さて、準備期間となった五日間で、ヴァイオレットとアルヴィンが謁見するとの報は、秘密裏に、二人の保護者達の元へも届けられていた。
ステラが飛ばした特別な白い鳩は、王宮の魔法使い謹製の魔法道具だ。
機構じたいは古代からあるもので、『混沌の夜』でも、闇の中で陸地を探すために活用された。
現代のそれは、音を吹き込む機能がつき、海層の真空までは飛ぶことができる。
まず『魔の海』の上部、雲海に浮かぶポルクス船団が、ただよう『鳩』を発見して捕まえた。
魔法の薫りがたっぷりと振りかけられた鳩に吹き込まれた知らせは、今までのそれと同じように、ポルクスに滞在している、シオン、クロシュカ親子、コネリウスに知らされ、船長ココ・ピピの配下の手で、『魔の海』の塔へも届けられた。
「サリー! 」
サリヴァンは額から流れる汗を二の腕で拭いながら、顔を上げた。
回廊の階段を駆け下りながらヒースがやってくるのが、眼鏡がなくてもわかる。森にできた広場は、鍛錬場として活用されていた。
「なんだろうね」
と、隣で同じく汗を拭うグウィンも剣を鞘に納めながら待つ。
サリヴァンが腰に下げた小物入れから取り出した眼鏡をかけるころには、幼馴染のやや興奮した顔が一歩前にあった。
「サリー! きみの妹は無事だった! 陛下、アルヴィン殿下もですよ! 二人は合流できてたんです! 食堂にはもうみんな集まってます! 行きましょう! 」
食堂では、すでに大テーブルへ全員が集まっていた。見慣れぬケツルの船乗りは、鳩を持ってきたココ・ピピの部下であろう。
鳩に吹き込まれた、低いが明瞭な女の声で、子供たちの無事と、簡潔な旅路のようす、情勢の近況と、陽王謁見の日時が知らされる。
『陽王謁見』
その言葉に、全員の肩へ緊張がはしった。
「待ち望んでいたタイミングだね」
ジジがそう口火を切った。
「陽王が、謁見の許可を出した。陽王からの合図だ。そうだろ? 」
そう言って、隣のエリカを見る。
「ええ。ヴァイオレットは王都に辿り着き、陽王は謁見を受け入れた。……ここまでは陽王との打ち合わせ通り。それでは、こちらも最終調整にかかりましょう。ジジ、経過は? 」
「二人とも呑み込みが早いから順調だけど、最後のレッスンにはちょっと詰め込みたいかなー。あと三日ほしいところ」
「分かりました。サリヴァン、ヒース。あなたたちは、レッスン以外は体調管理に務めること。次の報せがあれば、すぐにでも王都アリスへと発てるようになさい」
◇
この魔の海にやってきてから、サリヴァンの中には、モヤモヤとしたものが滞っていた。
あれからというもの、ジジはすっかり師エリカの右腕として働いている。エリカのほうも、慣れたようにそれを受け入れているように見えた。
以前なら、ああしたニュースは、まっさきにジジが持ってくるものだった。
陰から影へ、耳と足が速いジジは、基本的にサリヴァンの陰にひそみ、必要不必要に関係なく情報を集めてはサリヴァンと共有するのが常だったのだ。
ときどきジジは、サリヴァンを試すようなことをする。
最初は、今回もそれだろうと考えた。なにせ講師役である。
しかしすぐに、それだけではないと気が付いた。
ジジとエリカには、秘密を共有するもの同士の、特有の連帯感が感じられた。
『陽王からの合図』。
その単語も、今日初めてサリヴァンは聞いたのだ。
そしてその合図が組み込まれた、この一連の計画の全容とやらを共有しているのは、この場では、エリカとジジのみであるようだった。
「方針は聞いている」
グウィンは、苦笑してそう言った。グウィンとサリヴァンは、兄弟たちの予想通り、鍛錬とレッスンを重ねるうちにすっかり仲を深めていた。
「アトラス王家の役割は、この審判の現状を正しく上層へ伝えることだ。そして、我が国が通したい要求は、『フェルヴィン皇国』に対しての支援をいただくこと。審判が終わって民がもとに戻れば、我が国には復興という大仕事が残っているからね。その地盤を築くのに、友好的な隣国として魔法使いの国にはおおいに期待している。
ヴェロニカはフェルヴィンを離れた瞬間から、そのためによく働いてくれていた。コナン・ペローに任を与えて残し、ヴェロニカ自身はモニカとともに、気持ちと体を整えてここで我々を待っていた」
そこで、ちらりとサリヴァンの目に落ちた暗がりを見つけて笑う。
「……だから、『皇帝』を渡すことになった件は、気にしなくていい。エリカ殿の言う通り、『女帝』が『皇帝から譲渡、もしくは奪われなければ発現しない』のなら、ここで奪ってもらわなければ、あとあと『選ばれしもの』が全員揃えられなくて困ったことになったかもしれない。『皇帝』は女帝がいても発現するそうだと聞いて、安心したくらいだ。
それに、ヴェロニカがもし、『皇帝』を簒奪ではなく、譲渡してもらおうと私に提案したなら、あまり良い結果にはならなかったかもしれないとも言われたんだ」
「そうなんですか? 」
「『譲渡』は感情。『簒奪』は結果。……なんだそうだ。譲渡には、心が伴うらしい。つまり、使命感に燃えた私が、心の中でちょっとでも『皇帝を譲るべきではないのでは』という感情を持っていれば、正式な譲渡は行われない。『簒奪』は、言葉こそ悪いが、『権利を奪った』という結果だけが残る。効率的な方法なんだ。そのために我が妹は、数年ぶりに鍛錬を再開して新しい必殺技まで習得した」
グウィンの苦笑の中に、誇らしげな兄の顔が少し覗いた。
「あの『星の炎』は、クロシュカ殿いわく、龍の血が成すものなのだそうだ。ヴェロニカとアルヴィンの肉体に宿る才能のひとつだね。私は、おそらく巨人や精霊の血のほうが濃いのだろうといわれた。きみと同じようにね」
サリヴァンを見下ろす眼鏡越しの目は、どこか父フランクに、それ以上に、曾祖父コネリウスによく似ている。曾祖父とは伯父甥の関係なのだから、サリヴァンよりも血が濃いのだ。
グウィンの体格にあわせた剣は、サリヴァンの半分ほどもあった。それを持って立ち上がったグウィンは、サリヴァンにも立ち上がるように目でうながす。
アトラス皇帝との剣の鍛錬は、これを最後にしばらくできなくなる予定だった。
相対した二人の上に、フェルヴィンとは違う、雲の無い夕暮れが広がっている。
星を見て、グウィンは笑った。
「あの上で、我が末弟が待っているんだね。世界中の人が星に思いをはせる気持ちが、ここにきてよくわかるようになった。空の果てにいる誰かを想うことは、とても尊いことだ」
そんなふうに振り下ろされるグウィンの剣は、重く鋭く迷いがない。熟練者の腕だった。




