4 忠臣コナン・ペローの独白 後編★
ヒューゴの弟は、冬の去るころに、一か月も早くに生まれた。
とうぜんのように身体は小さく、命も危ないかに思えたが、それは生まれて一週間もすれば杞憂だとわかった。
明るい照明に照らされた城の談話室で、きょうだいたちに代わる代わる抱かれるアルヴィン皇子は、コットンの柔らかい産着にくるまって、その小さな桃色の足で元気よく空中を掻いている。
アトラス王家の子供たちは、末っ子の誕生にまたたくまに子煩悩に目覚め、それはヒューゴも例外では無かった。
長椅子にもたれて目を細めていたローラが、微笑みをコナンに向けて囁いた。
「コナン、あなたも抱いてあげて。きっとあなたが一番赤ちゃんを抱くのが上手よ」
コナンには五人の妹たちがいて、一番下の妹は三歳になったばかりだ。
他人の、それも王家の御子ということで、緊張こそあったが、コナンは言われた通り、手慣れたしぐさで赤ん坊を抱き上げてみせた。しかし小さなアルヴィン皇子が所望したのは、二番目の兄の腕の中だったらしい。
ヒューゴもチャレンジしたが、コナンと同じく火がついたように泣かれてしまった。
「ちぇっ。ケヴィンがそんなにいいのかよ」
うらめしそうにするヒューゴの肩を、長男のグウィンが叩く。
「走り出したら、お前と遊ぶのが楽しいとすぐに気づくさ」
コナンも言った。
「そうさヒューゴ。悪い遊びを仕込むのはきみの役目になる」
「そうとも。木登りは降り方もしっかり仕込むんだぞ。六歳のおまえの二の前にならないように」
ヒューゴはふん、と鼻を鳴らして腕を組んだ。
アルヴィン皇子はこんどは姉の腕の中で、あぶくのようなあくびをしている。
それを、ローラ王妃は儚げな笑顔で見ていた。
◇
すべての秘密は、子供たちには知られないまま葬られた。
王妃崩御の日は、何日も続いたある雨の日だった。
黄昏の国フェルヴィンが、より闇を深くする冬の季節。
アルヴィンの一歳の誕生日を待たずに、彼女の灰は、雨粒とともに一晩で風にさらわれてしまった。
悲しみにくれる一塊の喪服の群れの中で、コナンはここにいない友を想った。ヒューゴは四か月から、第三海層ケセドにある別の美術学校へと編入を果たしていたのだ。
この最下層キムラヌートから王妃崩御の知らせが届くまで、早くとも三週間。まだヒューゴは何も知らずに授業を受けているころだろう。
知らせが来てすぐに発ったとしても、旅路はどんなに急いでも二十日以上、確実にかかる。
幼い弟を残し、まっさらになった彼女。
その墓前に駆け付けたヒューゴに、皇帝は、養子の件を解き、皇子として王宮へ戻ることを命じた。
――――今にして思えば。
レイバーン王は、末子を喪うという呪いを回避するために、ヒューゴをペロー家へと養子に出したのだろう。
しかしアルヴィン皇子が生まれ、その必要がなくなった。
その行為にきっと愛はあったはずだ。しかし、何も知らされないまま振り回された子供はたまったものではない。
優れた統治者だったレイバーン王だったが、友の父として見ると、少なくない憤りが湧く。
それはコナンが、父親業に優れた男の息子だからかもしれなかった。
尊敬すべき父、トーマ・ペロー。
ヒューゴが皇子に戻った後、皇帝はヒューゴに、引き続き外交官としての経験を積むようにと、トーマをつけた。
ヒューゴは卒業後、トーマの下について諸国を巡り、皇子として、外交官として、人脈作りに励んだ。
後継者にも恵まれたトーマ・ペロー。盤石の栄光を持ったまま、多くの娘と息子、孫たちに囲まれた晩年を過ごすはずだった男が魔物の手にかかったのは、第18海層ケムダ【魔法使いの国】だったはずだ。
トーマはアトラス王家の名代として【陽王】の王宮へと、皇太子グウィンの婚姻の知らせを持って向かい……帰国した父は、すでに父ではなく……。
コナンは、息苦しい胸元を掻く。
父の姿をした魔物は、母と妹たちの首に手をかけてコナンを脅した。首を縦に振らなければ、家族のみならず、友を、主君を、手にかけると言った。
たしかに父の姿をしていれば、王宮に紛れ込むことはたやすい。場合によっては、王への謁見の希望も優先される立場である。
こんなことができるのは、魔術しかないと、コナンは気付いた。王宮になんとしても、この魔物の存在を伝えなければと思った。
しかし腕の中には末の妹。まだ何かの悪ふざけだと思っているのか、父の姿をした魔物を不思議そうに見つめている。
苦悩した手が、胸元の布を掻いて、その下にある心臓の鼓動に触れた。
膝を屈したコナンに、魔物は父の顔で笑い、酒杯を差し出した。
「恐怖を忘れていつも通りになれる薬だ」と言って―――――。
そして。
……あとは、知っての通りだ。
友を裏切った。
国を裏切った。
彼をそんな姿にした自分。おめおめと生き延びた自分。
胸が苦しい。
このまま死んでしまいたい。
実際にコナンは、正気に戻ってすぐ、『魔法使いの国』の漁村の宿屋の床に跪き、ヴェロニカ皇女にそう願った。
『どうか処刑を』
『いけません』
ヴェロニカは、怒りに瞳の色を薄くして、しもべを見下ろした。
『卿よ。国に尽くして死になさい』
さびれた宿屋に、皇女の声は残酷な女神のように響いた。
『王家、そして臣民を裏切った卿らの行為。魔術が働いていたとはいえ、赦されるものではありません。
しかしすでにアトラス王家も臣民もひとしく石の試練のもとに凍りついてしまいました。あなたを裁くべき司法は失われてしまったも同然です。わたくしはアトラス王家、第二王位継承者。正義を貫くべき立場にいるからこそ、あなたを処分する権限を、わたくしは持ちません』
うろたえて震えるコナンに、ヴェロニカは冷徹に続けた。
『――――罪人よ。働きなさい。心を無にし、この試練に立ち向かう我が国と、そしてすべての人間の未来のため、尽くしなさい』
『……そんな。しかし……わたしなどが、どうすれば』
『手始めに、コネリウス大叔父様のもとへ。わたくしの名代として、サマンサ領主であるフランク・ライト辺境伯のもとへ向かうのです。ライト家はサリヴァン・ライトの生家でもあります』
『あの黒い魔人を連れた魔法使いの……! 』
『辺境伯は、陰王の側近筆頭。必ず力になってくださるでしょう。そして機をうかがうのです。アトラス王家が復興を果たすためには、陰王と陽王、双方の助力が必要になるはず。言葉を交わすことはペロー家が得意とすることでしょう。お兄様……陛下の名の元に働きなさい。故郷を救うのです』
『そのような大役を、わたしなどに……! 』
『これ以上、甘ったれた言い訳は許しませんよ、コナン・ペロー卿。裁かれたければ、その道を自ら整えるのです。いずれ必ず来る正義の鉄槌に備えなさい』
コナンは、ざらついた床に額を擦りつけた。
『おおせのままに……! 皇女殿下……ッ!! 』
◇
わずかに開いた扉の隙間。かいま見た魔人。アルヴィンという名前。
コナンは嗚咽を噛み殺した。嘆く資格もないと、分かっていながら。
あの日、祝福された柔らかな赤ん坊を抱いた。その赤ん坊が、怪物となり果てた顛末を、コナンは知っている。知っていて、この扉の前にいる。
『現在』のコナン・ペローがいるのは、まさに父がおかしくなった原因があるはずの『魔法使いの国』子爵令嬢ステラ・アイリスの屋敷。
「……いつまでそうしているんだい」
はっ、と顔を上げると、扉の向こうからステラの青い瞳がコナンの視線を射抜いていた。
「出ておいで」
(……ああ、この心臓を捧げて赦されるなら)
コナンは、ゆっくりと扉を開いた。
兜のように変質した皇子の顔色はわからない。はたして自分を知っているだろうかと、祈るように視線をあわせた。
皇子は、すべてを知っているとわかった。
そして姉と同じように、彼を罰してはくれないのだろうとも。
皇子たちが法にのっとらず自分を罰すれば、それは私刑だ。そんなことができていれば、彼の弟は留学先で、もっとうまく立ち回っていただろう。
コナンは、アルヴィン皇子のことはよく知らない。しかし彼の兄のことは、おそらく皇子よりも、よくよく知っていた。
だってヒューゴは、コナンにとっても兄弟であったから。
彼は弟を愛している。
自分と兄弟を育んだ故郷も愛している。
これは、そんな、すべてを喪ったコナン・ペローの、短い生涯の後悔についての独白である。




