4 慈愛の目
いままでの道中、さんざん自分で飛んできた。
燃える灼銅の体を持つ魔人の体を持つアルヴィンは、まるで一月ほど前に戻ったかのように、初めて空飛ぶ車に乗る十四歳にふさわしく、座席に縮こまって足の裏を踏みしめている。
ステラの所有する邸宅は、空に伸びるたくさんの建物中でも、とくに巨大で、ずっしりと荘厳な建物にあった。
うず高くそびえるたくさんの建物のなか、にょっきりと頭を突き出した塔の、上から数えたほうが早い場所。
例にもれず大窓と足場があるそこに、弧を描きながら車は近づき、直接車体を走らせたままに中へと入っていくものだから、アルヴィンはこの国の建築様式に(頭がおかしいんじゃないのか)と思った。
「ペントハウスね? すてき」
車から白く濁った水晶の床に足を下ろすと、ヴァイオレットが手を叩いて言った。
「それにさ、ねえ、アルヴィン見た? さっきお城が見えたわ! 」
『外なんて見れなかった』
「そうなの? ほら、ここからでも十分高いからよく見えるよ」
ヴァイオレットが窓に向かって指をさす先に、固く結ばれた蕾のような形の、青い――――いや、空を映した透明の―――――建造物が見えた。
『あれは何? 』
「うちの王様がいるお城。陽王のお城ね」
薔薇の都の中枢というわけである。後ろにはたくさんの屋根と、さらに向こうには、霞んだ緑の山なみと、線のような灰色の海が見えた。
「このあたりは、首都でも中心のほうね。貴族や官僚ばっかりのところだわ。うちの屋敷も、たぶんこのへんにあったはず。うちは領地持ちの貴族だから、あのへんかな」
アルヴィンは首で相槌を打ちながら、景色をじっと観察した。なるほど、この街がほとんど円に近いのは知っていたが、中央に座す城に近いほど高級住宅街になる構造で、物理的に標高も高くなっているようだ。
山を背に、大地をえぐるような形で建っている故郷フェルヴィンの王城とは、まるで違う。華やかなつくりだと思った。
「ほらおチビたち何やってんの。こっちにおいで」
「あっ、はーい! 」
水晶の床の玄関広間を抜けると、すぐにダイニングになっていた。
「そこ座ってな」
ステラはテーブルをさすと、「あいつはどこにいったの? 」と侍従に訊きながら部屋を出て行ってしまった。
凝った柄の真紅の絨毯が敷かれた広い部屋、がっしりした長テーブルと革張りの長椅子、飾り暖炉の上には、金色の鹿のマントルピースが飾ってある。壁には海や山の風景画が、素朴な木の額に収められていた。
年季の入った柱時計が、かすかに秒針の音を響かせている。
ヴァイオレットが座らないので、アルヴィンもまた荷物を手にぶら下げたまま、彼女といっしょに部屋を歩き回っていると、かすかに足音が近づいてくる。
着席を促したヴァイオレットが座るのと、その人物が入室してくるのは、ほとんど同時のことだった。その姿を見た瞬間、ヴァイオレットは座りかけた椅子を蹴とばす勢いで立ち上がる。
「レティ! 」
「――――大叔母様! 」
ヴァイオレットと老女は、互いに目を丸くして、ぶつかるように抱きしめあった。
◇
ヴァイオレットが言うにはこうだ。
「コネリウスひいおじいちゃんがライト家の女辺境伯に婿入りしたときには、辺境伯……ひいおばあちゃんには、養女が一人いたのよ。彼女は弟の子供で、ひいおばあちゃんは生涯独身を決めた人だったからね。でもその子はあんまり跡取りになりたくなくて、養父母の子供が生まれてしばらくしたら、子爵家の人に嫁いじゃったの。で、この方は、その人の娘にあたる、スーザン・クラーク大叔母様」
「スーザン様は、サマンサ領とは海を挟んだ対岸、ローズ領の領主、クラーク伯爵家に嫁いだ。クラーク伯爵家は、陰王派の筆頭一族に数えられる。陽王への謁見に、縁戚でもなければ派閥も違う、実家が子爵ってだけの私じゃあついていけないから、付き添いを頼んだんだ」
流れるようにステラも補足をいれてくれるが、当のスーザン・クラーク夫人は、この場にいるアルヴィンの存在に戸惑っている様子だった。
無理もない。アルヴィンはフードを被ったまま、一言も発していないのだから。
「この方はどなたなの? レティ」
「アルヴィン・アトラス皇子。フェルヴィン皇国の第四皇子だ」
かわりにステラが言った。
喉があったなら、「あっ」と声が出ていただろう。
アルヴィンはここにきて、そういえば自分の身分を、皇子ということを、きちんとヴァイオレットに説明していないことに気が付いた。
いや、実際は、忘れていたというより、いつ言うべきかと迷ってはいたのだ。
しかし最初の自己紹介の時点で、『アトラス』と名乗れば察しがつき、質問されるだろうと、そう想定していたアルヴィンを裏切り、彼女は「あたしヴァイオレット」と返してきて、それから一切の身の上話などはせずにここまで来てしまったので、そして、そういう話をする空気にもならなかったので…………。
クラーク夫人は、口を『O』の形にしてアルヴィンを見つめている。
ヴァイオレットはというと、分かってるのか分かってないのか、出されたクッキーを美味しそうに齧っている。
アルヴィンはどっと肩の力が抜けてしまって、ヴァイオレットの件は後回しにすることにした。
メモに一言書いて、ステラに渡す。
『姿を見せてもいいですか? 』
「大丈夫だよ。この方はヴァイオレットとも特に親しい。だからお呼びしたんだ」
ステラは優しい声で言った。
アルヴィンは頷いて、フードを落とす。
夫人はOの口を隠すように両手で覆った。立ち上がり、マントの前を開く。心臓の位置にある青い炎を見せた。
「殿下は、おいくつ? 」
おずおずと夫人に尋ねられる。ヴァイオレットが、軽い口調で「あたしと同い年」と言った。
夫人が本当にたずねたいのは、そんなことではないはずだ。
夫人の顔を見た。
この姿を初めて見た姉と、同じ瞳をしている。
夫人は濃紺の上品なドレスに、薄紫のショールを肩にかけている。白髪交じりの茶色い髪は、貴族夫人らしく丁寧にまとめられていた。アトラス王家と血は繋がっていないはずなのに、どうしてか似ている。
そう、アルヴィンはその話をするために、ひとり魔法使いの国にやってきたのだ。
この姿を見てしまえば、最下層で起こったことを信じずにはいられないだろうから。
さて、『どうしてこうなったのか』を説明するには、紙がどれくらいいるだろう。
アルヴィンは、腹をくくることにした。
5月11日で小説家になろう版の星よきいてくれは、3周年だそうです。




