2 未熟の種
ガタン。
サリヴァンが立ち上がった音は、彼が予想した以上に食堂を響かせた。
ぎこちなく座りなおすサリヴァンの横顔を、ヒースが心配そうに見つめている。そのヒースが、非難を滲ませて言った。
「先生。それは、サリーが墓場まで持っていく秘密だったはずだよ。他でもないあなたが、僕らに何度も念押ししたことだ。こんな……他国の賓客の前で言う事じゃあないように思うな」
「状況は変わったのよ」
「……また預言かい? それとも陽王? あまり僕らを振り回さないでほしいな」
「あなた達は、いつだって嵐の中心にいるわ。今までは凪いでいるように見えただけ。そうでしょう」
「嵐の中に置いたのは、あなた達大人でしょう」
「そうよ。だからわたしたちは導く責任があるし、あなたたちも大人にならなくてはならない」
女の瞳が、黄金に輝く。
「陽王は、サリヴァンへ王位継承権を与えたがっています。彼らは今にでもライト公爵夫人の血筋を明かし、長子であるサリヴァンが、影の王のもとで養育されているということを報じることでしょう。一部の貴族の間では、すでに根回しも始まっている。しかしそこで、『過去にも家臣へ嫁いだ王の娘がいた』とまで分かれば、国は荒れるわ」
「他にも、王位を求めて名乗りを上げる貴族が出てくる? 」
「そう。古い家系には例外なく、その血が流れていると考えていただいて結構です。主張しようと思えば貴族というだけで王と親類になるでしょうから、ハッキリとした基準さえ設ければ、主張は突き返せられる。どうせミリアムより以前に王家を出た娘なんて、百年近く前の話ですからね。曾祖母に王女がいるのと、母が王女というのでは、後者のほうが跡を継がせるのにはいいでしょう。
問題はそこです。
より王の血が濃いものから、貴族の序列が変わるようになる。
そうなれば、最適解の王家の跡継ぎはサリヴァンしかいない。
男児であり、ミリアムの産んだ第一子であり、強大な魔力を備え、それを扱う技量を持つ魔術師である。
これらの事実も、サリヴァンの存在が明るみに出れば、立太子を後押しする要素になる。
そうなれば貴族たちは、サリヴァンの身の振り方に、この国の命運が左右されると考える。
権力が動くということは、それに民も振り回されるということ。そんなことは避けなければなりません」
「師匠、おれは死んだことになっているはずだ」
「あなたがライト家の子であることは、いずれ明かさなければならないわ。
理由は一つ。あなたが『教皇』の選ばれしものになったから。
選ばれしものの凱旋は、一国だけの問題ではありません。世界の問題です。
数少ない、両王のあいだで共通した目的の一つが『選ばれしものを国を上げて支援すること』なのです。
我が国は魔女に興された国。預言によって『審判』が起きることを知っていた。国が生まれたその瞬間から、その準備を重ねてきたのです。
魔術と神秘の国として、いち早く『選ばれしもの』を支援する。そのことで、この世界を巻きこんだ非常事態にいち早く手を打った国として主張ができる。これは、あなた達の祖父母が生まれるずっと前から決まっていた決定事項です。
『選ばれしもの』の中に、影の王のもとにいた貴族の少年がいたのなら、その身分を隠す意味が無いでしょう。さらに、フェルヴィンとこの国の王家の血を引き、影の王の娘を伴侶としている。
――――分かるでしょう。『名も無き魔法使いの少年』よりも、ずっとやりやすくなる」
「サリヴァンの人生は無視ってわけ? 」
「あなた達の人生はそういうものだと、何度も言ってきたはずよ。ヒース」
「でもあなたは、その中でも選択肢があると言った。だから僕が航海士になりたいと言ったとき、真っ先に後押ししてくれたじゃないか」
「航海士としての経験は『審判』が起きたときに役に立つ。実際に活躍したでしょう? 天才航海士さん? 」
「僕は……。確かに、なにかあった時に力になれればと思ったけど……。
でも、あの時は! あなたが、僕の夢を後押ししてくれたものだとばかり」
「あなたの夢は、計画に不都合のない夢だったから許可を出したの。問題の論点がずれてるわよ、ヒース。個人的な話はあとにしなさい」
「……でも、あなたは僕の」
「エリカ・クロックフォード。口を慎みなさいと言っています」
「……はい」
ヒースは椅子の上で座りを正す。隣で小さくサリヴァンが呟くように言った。
「……ごめん」
「僕が言いたかっただけだから」
「ありがとう。――――師匠、ジジを返してください」
今度こそ視線を合わせて言ったサリヴァンを、エリカは見据えた。
「あなたは知らなかったでしょうけれど、ジジは語り部と同じ、この『審判』に必要な歯車よ。もうしばらくお待ちなさい」
「語り部と同じだというのは、知っています。所有権があるから返してほしいわけじゃない。あいつはおれの友人だから、酷いことはしないでやってくれと言っているんです」
「害のあることはしていないわ」
「今のあなたを信用できない」
「わかりました。後で彼に会わせてあげる。……他には? 」
サリヴァンは出かけた言葉を呑み込み、小さく息を吐いて顔を上げた。
「……強引に『皇帝』から所有権を簒奪したわけを」
「それは説明済みでしょう。『簒奪』でなければ『女帝』は生まれない」
「手段はそうだ。動機がまだ説明されていない。ヴェロニカ皇女がフェルヴィンを離れてから、それからどうして、あなたに協力しているのか。それがまだだ」
返答は、思わぬところから返ってきた。
「――――きっかけは、陰王派の動きです」
ヴェロニカは、背筋を伸ばしてそう言った。
「……そうよ。陰王派の暴走も問題なの。陰王派の中でも『魔術保守派』は、魔術をこの国に取り戻したい。『審判』が始まった報に、一番喜んだのはこの一派だったわ。
フェルヴィンの王族の皆さまの前でこうしたことを言うのは失礼にあたることを承知の上ですけれど、ヴェロニカ皇女は先祖返り。龍の血が濃く、それはつまり、時空蛇に近いということです。我が国に迎えたいという古い魔術師の、まあつまり、魔術保守派と呼ばれる彼らのことなのですけれど、そういった声は多いのです。
……そして迎えるのならば、それは王家へ、と」
ケヴィンが渋い顔をした。
「今代のエドワルド陽王は、世継が望めないお体だとか。つまり……サリヴァンに? 」
「そう。彼らがサリヴァンの存在を明らかにしてやりたいことの一つが、そういうこと。
陰王派筆頭のライト家子息であるサリヴァンに玉座を与え、古代の血が濃い姫君をあてがい、あわよくば、この影の王の娘であるヒースとの婚姻関係も継続したうえで子供を産ませ、魔術の礎にしたいという……あるいは、王家の血が濃いであろうどこかの子息に地位を与えて、皇女かうちのヒースを、片方はサリヴァンに。
それを一足飛びに、『審判』の混乱に乗じて皇女に交渉しようと迫った。おめでたい頭の方々です。身内であることが恥ずかしい不埒者ども」
顔色を変えずにエリカはこき下ろした。
「わたくしはエリカ様の保護を受け、お義姉さまとともに飛鯨船へ乗りこみ、海の中へと身を隠しました」
ヴェロニカの声はよく通った。
「そこでこの国の現状と『審判』の説明を受け……思ったのです。『わたくしがただの皇女のままでは何もできない』と。
動機は後にも先にもそれだけですわ」
伏せられていた視線が兄に向かうと、視線を受けたグウィンは(仕方ないな)というふうに、痣が残った頬を緩ませた。
「そういう妹なんだ」
「兄上、結果がどうであれ、現状に問題を持ち込んだことも事実。姉上といえども身内を甘やかさないでいただきたい」
「お前がそれを言うか? 」
慇懃に進言したケヴィンへ、ヒューゴがつっこむ。
「ヴェロニカ皇女とは、利害が一致したのです。こちらとしても、彼女が『選ばれしもの』となるならば……率直に申し上げれば、皇帝陛下よりも皇女が選ばれるのならば、安心であると判断しました。
これからフェルヴィン皇国は復興という大事業が残っており、そこに皇帝本人が前線へ立っている状況は、あまりにストレスが大きすぎる。
血筋としても、偉業としても、皇女様ならば資格を有する可能性が十分高い。『女帝』を選択していただいたのは、フェルヴィン皇国にこれ以上の『選ばれしもの』がいる状況は、『審判』が終わったあとに被害の免責をフェルヴィン皇国に求められる可能性が高まるからです」
「わが国で始まってしまった『審判』だ。我が国が最後まで立ち会うのは当然のことです」
「いいえ、陛下。これは人類全体の審判なのです。始まりがフェルヴィンと定められていただけ。そこに住まい、長年伝統を守り続けて来たアトラス王家の皆さまだけに、責任が被せられることは避けなければ。
そのためにも我が国は、『審判』の旅を大々的に支援しなければならないのです。
『これは世界の問題である』と、神に最も近しい民族として、始祖の魔女の遺志を継ぐ民族として、言い続けなければならない。各国の結束を高め、事にあたることが必要なのです。
そのためには、英雄が必要です。『選ばれしもの』は勇者でなければなりません」
「サリヴァン」と、エリカは初めてはっきりとした感情を滲ませた。
「想定では『審判』はあと十年は先でした。あなたにはこれから、もっとたくさんのことを学んでいただく必要があった。政治、経済、情勢の流れを見る観察眼。魔法戦士としてだけではなく、貴族の男として必要なことを。未熟なあなたがこの重い責務を果たせるのか、わたしは判断しかねています。なぜならあなたはまだ、『世界を変える』という意味を分かっていない。ですから、あなたには選択肢がある。
この国と世界の命運を背負う勇者として、身分を明かして王位継承権を受けるか。『教皇』を他へ『譲渡』し、貴族でも王子でもない魔法戦士として働くか」
サリヴァンの顔が、悔しげに歪んだ。
それを一瞥しただけで、エリカは続ける。
「話が長くなり過ぎました。そろそろ食事にしましょうか」
「先生、サリーは……」
切なげにヒースが呼ぶ。
「分かっています――――サリヴァン。決意が固まったら、最初の森へ来なさい。皆さま、ここで私は失礼いたしますわ」
パタン。
と、扉が閉まった。
未熟なことは一番自分がよく分かってる。でも、お前には何もできないよ、と言われたようで悔しい。




