2 三つの王の血
(揺さぶりをかけたつもりだったんだがなぁ)
ヒューゴは内心舌を巻いた。
フェルヴィン人の平均身長は2m20㎝ほど。ヒューゴ、ケヴィンの身長も同じくらいだ。
エリカは人種的に小柄な女性ではないが、フェルヴィン人の男たちと比べれば大人と幼児ほどにも差がある。
そんな男に上からものを言われれば、萎縮なり、身構えるなりするものだ。
動揺を誘い、反応を見る。シンプルだ。
やるほうのヒューゴも、見ている外野も、後味がいいやり方ではないが、彼女の態度を見るに、期待したように響いてはいまい。
(OK……これは交渉としちゃあ様子見みたいなもんだからな)
打ち合わせは、夜明けまでに済ませていた。
アトラス五兄弟の、語り部のいないアルヴィンを抜いた、王位継承者、四人での会議。
監視を警戒し、それぞれの部屋でベッドに入っての打ち合わせだった。
各自の部屋、声の届かない状況で、『語り部』という共通のツールを使用した会話が、ふつうの会話とほぼ変わらない速度で行うことができることは、故郷の城を爆破したときに検証できていた。
重ねて、ケヴィンが語り部の特性などをサリヴァンらと仮説を立て、彼らの『使い方』はある程度把握できたのではないかと思う。
ケヴィンは言った。
「不思議なのは、こうした使い方ができるということを、アトラス王家は何千年も気が付かなかったのだろうかということなんだ」
おそらく父レイバーンが秘匿したのだろう、とグウィンは言う。
「『嘘を暴く』この機能は致命的すぎる。不和と疑念を生むもとになるだろう……。暗殺が乱立した過去や父上の代までの苦労を思えば、僕らは知らなくていいとお考えになったのかもしれない」
ヴェロニカは素直だった。その素直さは、いつだって弟たちに差し出されてきた優しさゆえの素直さで、馴染み深い彼女の態度に、弟たちはひそかに安堵した。
彼女はまず深く謝り、そして硬い声で口火を切った。
「事情はすべてお話いたします。わたくしは、『女帝』をこの身に宿さねばならなかった……」
兄弟は神妙に、彼女の言葉を聴く。
想いは一つだったに違いない。
ここで兄弟が分裂するわけにはいかないのだ。
どんな理由があろうとも、これ以上家族の絆を断ち切ることだけは、避けなくてはならなかった。
◇
魔術儀式における誓いの言葉は、破れば代償をともなう大切なものだと、エリカは口にした。
「古典における数々の魔術師たちが、勇士に対して真実をぼかすようなあいまいな言葉を口にするのは、慎重に『誓い』を破らないために言葉を選ぶ必要があるからです。その代償は様々……しかし、強い力を持つ魔法には、それだけ大きな代償を担保にしなければならなかった。
術者個人の命ならまだ軽い。土地の実りや、子々孫々へのしがらみとなるほどの呪いすら担保にして、古代の魔術世界は築かれました。
時を下った現在、魔術はいくつもの流派に別れて、それぞれの『誓い』を持っております。
たとえば【毎朝かかさず夜明けを見なくてはならない】だとか、【特定の食材を口にしてはならない】だとか、ささいだけれど、毎日続けるのは難しいこと。そうした修行を重ねることで、魔法使いは神々に『誓う』。『約束』をする。『約束』が守られるぶんだけ、魔力はより大きく、研磨されていくのです。
我々魔法使いは、水が水、火が火としてあるように、魔力の発露そのものを『魔法』と呼び、水を氷に、火に命を宿すことを『魔術』と呼んでいます。魔法自体は誰もが使える。その魔法に理論を足し、より少ない魔力量と効果的な呪文と道具を用い、日々『誓い』を守り、研鑽された技術。それが魔術という学問です。
しかし昨今、我が国ではこの魔術が急速に力を失くしています。
土壌となる魔力が、魔法そのものが、薄くなりつつあるから」
エリカは目を細め、遠くを見た。細く吐き出した呼吸がため息の成り損ないのように尾を引く。
「原因は、民の生活が変わったこと。魔術はむしろ研磨されました。
しかし、その結果生まれた多くの道具を用いれば、自身が魔術を研鑽せずとも生活ができる。
五代前の陽王が、一部の魔術を資格制にしたことも、今思えばいけなかった。
魔法使いは賢明で勤勉な民族です。好奇心が強く、知らないことを知ることに歓びを見出す。
たとえば貧しい家の息子でも、資格を得れば城に仕える魔術師として取り立てられる。
しかしそれは、広く国民すべてが心に備えていた危機感を薄め、『神』を『縋るべきもの』から『親しい隣人』にしてしまったのです。信仰と誓いは同じもの。神は祈るだけでは応えない。誓いのもと、日々張り詰めて生きるために祈りと研鑽を重ねたものに、神は真に微笑むのです」
「それは実際に? 」
「ええ。たとえば太陽の神に恩恵をたまわるために、かかさず日の出を浴びる誓いを立てる。他にも、髪を切らない誓い、肉を食べない誓いなど、神々によって違います。バカらしいとお思いでしょうが、古い作法を守る魔術師ほど、力を蓄える。蓄えた力は遺伝もいたします。魔術師は研鑽しなければいけなかったけれど、時代に適応するすべを少し間違えたようです」
「そんな状況なのに、開国と近代化を進めているわけは? 」
「各国が急速に力をつけています。科学……それは血筋に資格を持たず、誰もが使えるもの。需要が、いずれ魔術を上回るときが来る。
もはや後戻りはできないのです。
三度の大戦、いずれ来る審判の預言。我が国が、あのまま『神秘の国』として孤立すれば、上層の国家は攻撃を開始したでしょう。
撃退は可能でした。けれど、それでは敵を作るだけ。開国し、外交と経済の交わりをもって『審判』に向けての下地をつくる選択をしたのは、当時の陽王と陰王の合意のもとでした。
開国から六十年あまり、我が国は、世界にも有数の技術大国となりました。科学の穴を探りながら、魔術がその穴を埋めることを考えてきた。千年前の魔術師たちが見れば、憤死するほど情けない話です。
猶予はあと数百年。数百年で、我が国の魔術師はすべて魔法がつかえない唯人になり、魔術は永劫、再現が不可能な技術として消える。我々は待ちました。『せめて、審判の時までは』と。
――――サリヴァン。そこに、あなたの預言があった」
<”大熊座の方角に、三つの王の血を束ねるものが生まれ出でる”>
< ”その者、【終末王】と呼ばれ、世界転換を見届ける導とならん”>
「三つの王の血を束ねるもの」
サリヴァンの表情は凪いでいた。エリカはその目を見つめ、口を開く。
「『皇帝』『女帝』『女教皇』『教皇』のうちの三つのどれかに選ばれ、王たちを率いるのか。……それとも」
テーブルの下で、少年の拳が固く握りこまれる。
「『陽王』『陰王』『アトラス王家』の助けを得るものという意味なのか」
「もしくは――――。アトラス王家、陽王、陰王。その血と意志を、受け継ぐものという意味なのか」
えっ、と誰かが声を漏らした。
「……審判のため、我が国は多くの準備を重ねてきました。
預言の子、サリヴァン・ライトの育成は最優先事項。私たちは総出で彼を鍛え上げ、成人までには仕上げるつもりだった。しかし審判は予定よりもずっと早く起こってしまいました。
今、魔法使いの国は、世界経済での地位を盤石にしたい陽王派と、魔術の延命を求める陰王派で二分しております。
そんな中、当代の陽王エドワルド・ロォエンには後継者がおらず、彼自身の身体の問題により、今後も世継は望みが薄い。魔法は血に宿るものだというのに。
サリヴァン、『女帝』がどうやって生まれるか、答えなさい」
「……男で王位につく者がいない時」
「そう。『女帝』が生まれるには、『男系の後継者の不在』、もしくは『男の王』から王位を『簒奪』するしかない。
前代の陽王は、珍しい女王で、その全てを満たした女王でした。
我が国の陽王は、陰王が女王である以上、男系が求められます。
アトラス王家のみなさま。何も計略で血筋が絶える危機に瀕したのは、フェルヴィン王家だけではございません。前陽王の時代、ほんの三十年前まで、王家の嬰児はことごとくが誅殺され、ほんの二十年前には、王子による反乱も起こりました。
先祖が研鑽した魔法は等しく血に宿り、子へ受け継がれていく。
陽王の血筋を絶やさぬため、陽王の子は……とくに女子は、家臣のもとで隠されて育てられることが慣例でありました。二十四の領主貴族たち。娘はそのどこかへ身分を隠して婚礼を交わし、『陽王の血』に宿る魔法を高めてきたのです。
前陽王のジェイド様のもとへ末にお産まれになった御子は、誅殺から逃れるため、そしてその血を絶やさぬために、慣例に従って陰王第一の家臣たるライト家配下のもとで、すくすくとお育ちになりました。
王都より遠く離れた領地サマンサ。預言があったのは、姫とライト家の次期当主の婚約が内々に決まってすぐのことです。
姫の名はミリアム・アン・クロワ。本名を、ミリセント・アン・アストラクス。今の名を、ミリアム・ライト。
――――現ライト侯爵夫人。サリヴァンの母その人。
つまりサリヴァン・コネリウス・ライトは、フェルヴィンと陽王、両方の国の王の血を引くものなのです」




