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星よきいてくれ  作者: 陸一じゅん
二節【その女】

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2 鏡の向こうで


(ああ、そうだったのか……)

 ジジは、閉じた目蓋の奥で考えていた。

 それは夢の中。

 黒く塗りつぶされた、ぬるい水の中。体はそこでゆるやかに融け出していくようにも、今まさに造り替えられていくようにも感じている。

 それはおそらく、遠い過去、原始の記憶だった。

 血色をした羊水の中の記憶。しかしこの夢の中で母の鼓動は感じない。

 ぬるく、生臭く、しかし心地いい。ここにいるのが当然だったころがあったのだ。赤ん坊のころの記憶に、『未来いま』のジジの心が宿っている。


 ――――これは、そんな夢。


(ああ、そうだったのか……)

 繰り返し、思う。

 サリヴァンと出会い、彼に何かを感じた。その『何か』は、失くした記憶にあるものと同じデジャヴだった。

 言葉を交わし、親交を深めるたびに、ジジの体の奥底で、その『何か』の欠片が言うのだ。


 ――諦めるのか? ――と。


『『ジジ(これ)』の()()()ですもの』

 女は言った。

 サリヴァンのもう一人の師。


『あなたがサリヴァンの魔人になって二年。気配を悟られないようにするのには苦労をしたわ。だって、そこのヒースで思い出さなくても、私と会ったら思い出すかもしれないものね』


 決定的なことは思い出せない。けれど、サリヴァンに感じた『何か』の正体は、この女の気配だったのだと気が付いた。

 ()()は些細なものだった。

 例えばサリヴァンが杖を取り出すときの癖。

 例えば思想。例えば細かな言い回し。

 ()()はヒースにもあった。そう、あれは……――――。


 声。

 声だ。


『……バッカじゃないの?』

 笑いを含んで()()が言う。

 暗闇がひび割れ、温かな赤い光がトロリと滲みだす。

 手が降りてきた。指先の皮膚が硬くなって割れていて、子供の柔らかい髪に触れると引っかかる。だから彼女は決まって手の甲で触れてきた。


「ばかね、あんた」

 けれど()()()は、後ろから額を、手のひらで撫でられた。ささくれた指先が確かめるように生え際をなぞり、名残惜しげに小さく抱きしめられる。足裏に絨毯の感触があった。

 唐突に強く背中を押された。子供の体には、大きな手のひらだった。


「……さあ行って――! あなたはもう、どこにだって行けるんだから! 」


 身体を包む浮遊感の果てには、見慣れた顔があった。尻もちをついたかたちのジジの顔を、同じ顔が覗き込んでいる。

 ぱちぱちと金色の瞳が瞬く。

(我ながらでかい目だな……)


「こうして見ると、私ってけっこう可愛いと思うんですよね」

 ミケはとんちんかんなことを言って手を差し出した。ジジは、大人しく握って立ち上がる。

 ジジと違って、語り部魔人ミケの髪は地面に付くほどにも長い。

 三つ編みをほどいた髪は、風も無いのに顔の横をなびいていた。


「そのへん、どう思います? 」

「顔はいいと思うよ。仕事でよく稼がせてもらったし」

「それは、ちょっと違う気がします」

 ミケは唇を小さく尖らせた。ジジが絶対にしない表情だ。

 あたりは相変わらずの、天地の境がない星空が広がっている。並んで座り、ぼんやりとそれを見上げた。


「大変なことになりましたねぇ」

 のんびりとミケは言った。

「まあまあね」

 ジジは立て足の上に頬杖をつく。


「きみ、どこまで見えてるわけ? 【宇宙せかい】の選ばれしものさん」

「いろいろ見えてはいますよ。【愚者】の選ばれしものさん」

 ミケは抱えた膝に顔を埋めた。

「……でも、どう伝えたらいいか分からないんです。私の望みはアルヴィン様がお健やかであること。その望み以上のものが見えてしまって、私にはどうしたらいいのか分かりません。お伝えする術もありませんし」

「ボクは? 」

「あなたといえど、そう何度も接触できるわけではないようですね。……ああ、そうそう、あなたがお知りになりたいこと、わたしはわかってますよ。せっかくなので、お教えしましょうか」

 ジジは鼻でため息をついた。

「分かるんなら、余すところなくお願い」

「では……失礼」


 鏡のような顔が近づく。

 ミケの指がジジの額をなぞり、髪を掻き分けた。白い額があわさる。

「目を閉じて……」

 ミケの手が、ジジの手を手繰って握った。

 ジジは身をゆだねるように吐息を漏らして目を閉じた。



 ◇



 一反が大人が腕を広げたほどもある古い羊皮紙に記してあったのは、古代の王と魔女とのあいだに交わされた契約であった。

 エリカから提示された紙をじっくりと読み込んだアトラス王、グウィンは細くため息を吐いて「正式な契約だ」と断じた。


「紙も判も書体も正しい。間違いなく、我がアトラス王家と陰王のあいだで交わされた契約だ。審判での『皇帝』の地位を奪われても、私はフェルヴィン皇帝のまま。……正真正銘、『ただの皇帝』というわけか」

 天井を仰ぎ、グウィンは眼鏡の下の眉間を揉む。


 早朝の長大な食堂のテーブルには、上座にあたる端にグウィンが座り、脇を固めるようにしてヒューゴとケヴィンが座していた。

 ケヴィンの顔は涼しいものだったが、ヒューゴが睨む先には、実姉であるヴェロニカとエリカが並んで座っている。フェルヴィンの王族たちの斜め後ろには、語り部たちが控えていた。


「……姉上。これは如何なる所業ですか」

 低く這う声で、ヒューゴが慇懃いんぎんに言った。

「皇女でありながら、王に背くということですか。その意味が分からない姉上ではないでしょう」


「わたくしはわたくしの義によって動きました」

 おごそかにヴェロニカは言った。

「現状、我が国は窮地にある。この状況で、フェルヴィンの国主が選ばれしものを兼任するということは、あまりに恐ろしいことでしょう」

 ヒューゴはセットした前髪を掻きむしった。


「理屈はわかる! わかるんだよ! でも、どうしてこんな暴力的な方法を取ったんだ! それこそ違うだろ! 現状はヤバイのは分かってる。フェルヴィンの国民は、いまここにいる五人だけだ。五人だけなんだよ……! ちょっと考えりゃ分かるだろ姉さん! ここで俺たちが分裂するような方法を取ることこそ、悪手中の悪手じゃねえか。あんたはそれが分からねえ人じゃあねえだろう……! 」

「…………」

 ヴェロニカは、黙って弟の糾弾を受けた。

 反論がないことに苛立ちを深くしたヒューゴは、テーブルを叩いて立ち上がる。

「――――そもそも姉さんは、真っ先に逃げただろうが! 」


「ヒューゴ」

 グウィンがたしなめた。

「その点については、ロニーは最善の判断をしただろう」

「……反論の余地もないわ」

「いいや、ロニー。きみはあの時、皇女として一番苦しい選択をしたはずだ。顔を上げて」

 グウィンは頭を掻き掻き言った。

「……うーん。ロニー、きみの動機をあててみせよう。つまりモニカのことだね? 」


 ケヴィンは溜息を吐く。

「座れよヒュー。僕はそんなところだろうと思ってたよ。これ以上なく姉さんらしい動機だろう? 」

 唸りながら、ヒューゴは席に付く。

「兄さんも知らなかったんだ。昨日、一晩中モニカさんと話していたのはおおかたそれだろう? そもそも、この結婚話で一番めんどうだったのは、うるさい身内きぞくたちだったじゃあないか。今は彼らがいないんだ。取り繕うことなく家族水入らずでいられる状況と考えると胎教にもいい」

 皮肉げにケヴィンが言う。

「胎教? 」

「そういう話じゃあないのか? 義姉さんが妊娠していたから、兄さんを慮って、とか。そういう筋書きだと予想していたんだけれど? 」

「さすがにそれはまだ先かな」

 弟に、グウィンは朗らかに笑った。


「まあ聞いての通り、これ以上状況を悪くすることは避けたいのです。我々の最低目標は、この『審判』が成され、90万の民が戻ってくること。そしてそれは、我々だけでは大変な難題であるのはご承知でしょう。情けないことに崖っぷち……いいえ、諸外国に認められなければ、我が国は存在すら怪しい。まるで幽霊なのです」

 ケヴィンが立てた指先が、テーブルを叩く。


「ミス・クロックフォード。あなたは姉上に手を貸し、姉上を『女帝』にえた形になりました。こうして我々の事情にも手を出した以上、この行いは魔法使いの国側の総意。あなたは代表と期待してもよろしいのでしょうな? 」

()()()


 魔女は即答した。

「今の私に、あの国での権力はありませんわ」


 彼女は無表情で舌を湿らせる。

「これは私個人の事情によるもの。皇女に手を貸したのは、個人として皇女と利害が一致したゆえの対等なもの。ですからこれは非公式な会談。そう思っていただきたいのです」

「それは確かですか? 姉上」

「ええ。確かです。すべてを承知し、彼女にお願いいたしました」

 嘘はついていなかった。

「ここまでしたその事情というもの、お話いただけるんでしょうな」

「もちろんです。そのためにここに座っております」

 エリカの眼差しには、なんの感情も読み取れない。美しい彫像が座って話をしているようだった。


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