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そばにいるだけで

前回から間が空いてしまいましたが、今回も白い黒猫さまの【希望が丘駅前商店街〜透明人間の憂鬱〜】との同時更新コラボとなっております。甘いです。

※本日、2話更新しております。ご注意ください。

『璃青さん、愛してます………』



 今も耳元に残る、彼の少し掠れた囁き。

 わたしはまだ、一夜をかけて“愛されている”ということを実感した、あの十三夜の記憶に溺れている。


 寄せては返す波のように繰り返される言葉に、ようやくわたしの心は解放された。

 そう、あの初めて彼の目の前で流した涙と引き換えにもう“わたし”は誰かに、そして誰よりも彼に愛される存在になってもいいのだと、思えるようになれたのだ。

 とはいえ、いつも通りの日常が戻ってくれば、徐々に恥ずかしさが増してくる。これでは今まで以上に彼の顔が見られない。

 だって、何をしていても、あの夜を思い出させるのだ。


 透くん、すごく慣れてた気がする……。翻弄されているわたしを時々気遣ったりする余裕すら見られたし。

 なんだか悔しい。



『璃青さん、大丈夫ですか』



 尋ねながらも苦しいくらいに求められて、もういっぱいいっぱいだった。

 指先にすら力が入らなかったなんて、思い出す度に頰が熱い。



『そんな苦しそうに耐えないで。ここでは我慢しないで声出して。俺に璃青さんの声聞かせて……』



 ダメだ。仕事にならない。

 こんなんでこれからどうするの。逃げられるものなら逃げ出したいくらい恥ずかしいなんて。

 おかしいな。元カレの時はもっとドライだった筈なのに。





 ハロウィンが間近に迫っていたある日のこと。

 ようやく毎日の挨拶くらいはまともに出来るようになっていた頃、わたしは早くもクリスマスに向けたブレスレットやイヤリング、ピアス、それからストラップを天然石で作る作業に追われていた。


 そんなある日、仕事前と思われる透くんがお店に現れた。

 びっくりして石を落としそうになりながら「いらっしゃい」と言った声は、上ずっていたかもしれない。作業ツールをそっと置き、赤くなっているであろう熱い頰を両手で冷ましていると、透くんが「こんにちは」と、はにかむように微笑んだ。




 特に用事はないような透くんと、何気ない世間話をしていたら少しは落ち着いてきた。やっと自然に笑えるようになった頃、向かい側の椅子に座っていた透くんが、わたしを正面から見つめていた。



「透くん?どうかしたの?」



 わたしの言葉に透くんはふわりと笑う。



「………璃青さんに見蕩れていました」



 また透くんが甘くなってる。

 そう感じたら顔がまた熱くなる。



「ーーーそうだ。あの、すいません週末俺の部屋でデートという感じで、良いですか?少し試してみたい事があって」

「た、試してみたい事……?」



 その言葉に動揺が隠せない。“お部屋”で“試してみたい事”って、しかもデートで?あんなことやそんなこと……?

 まさか、透くんに限ってこんなところでそんな話……!



「黒猫の十二月のメニューです。クリスマス用に試しで作ってみたい料理がありまして……すいません仕事の話で……それにこれは本当に真面目な話です」



 すみません、今とっても不真面目なことを考えていました。どうか謝らないでください。

 ………とは言えないけど。一人でワタワタしちゃって、わたし、どうかしてるわ。


 

「えぇと、夜ご飯?よね」

「はい……家に来てくださっているなら、休日はゆっくり二人で過ごせるかなと」



 “ゆっくり”なんて言われると妙に恥ずかしい。本当の意味でゆっくりできるかは謎なんだけど。……って、いくらこの間がそうだったからって毎回意識を失うほどなんてこと、ないわよね。いやいやいや、それより何よりこれはお仕事の一環なんだから、さすがに今回はそんな雰囲気にはならないでしょう。



「………うん。それじゃあお言葉に甘えてお邪魔しようかな。あ、食材とかどうするの?お買い物いつ行こうか」

「それはこちらの方で用意しておきますよ。璃青さんは来てくれるだけでいいんです」

「そんな訳には……。あ、それなら作る方は?うーん………、でも透くんの方が絶対お料理出来るよね」

「そうでもないですよ、普通です。璃青さんの手料理も魅力的ですが、今回は黒猫都合の料理ですから」

「そうだけど………。それなら私にもお手伝いさせてくれる?じゃないと手持ち無沙汰になっちゃうし申し訳ないから」

「では一緒に作りましょうか?それはそれで凄く楽しみです」



 そんな話をしているうちにその風景が目に浮かび、嬉しくて幸せで知らないうちに頰が緩んでくる。


 するといつの間にか椅子から立ち上がり、わたしのところに回り込んできた透くんに気付くと同時に、ちゅっ、と軽くキスをされていた。



「ゆ、透くん!ここお店……!」

「すみません、何だか嬉しそうに笑っている璃青さんが可愛くて。でも誰も通っていませんから大丈夫ですよ」

「そういう問題じゃないよ〜〜」



 心臓がいくつあっても足りないよ、もう。



 赤い顔で困り顔のわたしを置いて、透くんは「じゃあ、仕事の時間なので」なんて言って出て行ってしまった。


 でもね、そんな透くんにホントに困っている訳じゃないのが自分でも不思議なのよね。幾分慣らされてきたのかな?




 そして週末。

 あの夜以来の訪問に、実はかなりドキドキしていた。今日は本当にそんなんじゃないのに。


 これは仕事よ、仕事なのよ。


 自分に言い聞かせてから、透くんの部屋のチャイムを鳴らした。



「璃青さん、いらっしゃい」

「こんにちは、お邪魔します」



 顔、赤くないかな。

 ダメだわ、やっぱり会ってすぐは自然に笑えなくなってる。この年にもなって、私、自意識過剰だよね。


 そんなわたしに対して透くんはあくまでも自然。ごく最近になって、お仕事モードの笑顔と、こういうお休みモードの寛いだ笑顔との違いが分かってきた気がする、これは嬉しい発見。

 わたしに心を許してくれているのかな。そうなら嬉しいな。



 リビングに通されて、真っ先にテーブルの上に目が釘付けになった。


 あれ、全部ノート………?!


 近付いて見てみると、結構年季ものらしい。しかも付箋の数もおびただしい。

 これって………?



「これが澄さんのお気に入りの料理や、覚えた料理の記録。結構面白い料理も多くて黒猫の参考資料として使わせて貰っているんだ」

「凄い。随分たくさんあるのね!」

「ええ。実はこれをデータ化して検索しやすいように少しずつExcelで入力しているところなんです」



 これだけの量のデータをまとめるのは大変な作業だと思う。出来ることならわたしが手伝ってあげたいくらいだわ。



「ーーーそれで、来月はクリスマス月なのでカクテルサラダみたいなモノあれば楽しいかなと思って、マリネとか、このグラスポテトサラダとか良いかなと思って。これ面白いんですよ、ポテトサラダの上に色々トッピングしてあって見た目スィーツっぼい感じなのでケーキみたいに楽しめるかなと」



 研究熱心というかなんというか。

 熱く語る瞳は生き生きとしている。



「璃青さん?」



 いけない、うっとりしちゃった。



「あ、ごめんなさい。ちゃんと聞いてたよ。あのね、こうして裏でも黒猫のお仕事を頑張ってる透くんの姿が見られて嬉しいな、って」



 そう言って透くんを見上げたら、ほんのり赤い顔をして目がちょっと泳いでる。あ、あれ?もしかして照れてます?



「そんな、普通ですよ。璃青さんだって店開けてない時間もアクセサリー作ったり、業者の人と打ち合わせしたり、道歩きながらデザインのアイデア探したりしてるじゃないですか」

「うん、それはそうなんだけど。でもね、そのお仕事をしている透くんの世界にわたしもこうして一緒にいられるのが嬉しいのかも。例えどんなことでもね、こうして新しい透くんを見る度に、わたしの中で透くんの存在が大きくなるの」



 ………なんてね。恥ずかしいこと言っちゃったかな。こんな事言えるようになった自分にも驚きなんだけどね。

 透くんは、びっくりしたように目を丸くして、そして、顔を綻ばせた。



「確かに色んな世界を璃青さんと共有する事で、そこがより素敵な場所になりますね。この部屋も、商店街も……」



 ふいに抱き寄せられたと思ったら、あ、と思う間もなくキスされていた。

 わたし、何か甘いこと言ったかな?



「もうっ。仕事しようよ、仕事!………えーと、まずはどれを作るのかな」



 腕から逃れて照れ隠しにごまかしながら透くんに今夜作るものを確認する。わたしはレシピノートをひと通り読んでから髪をまとめ、ノートを持ってキッチンに向かった。


 危ない危ない。

 あの甘さにすぐに溶けそうになってしまう。



「お洋服汚れたらいけないので、エプロンをつけてください。澄さんの借りておいたので」

「え?あぁ、そういえば私も持って来てたのよ」



 彼が見せてくれたのは淡いピンク色で、フロントでリボンを結ぶタイプのエプロンだった。わたしのシンプルなのとは違ってデザインも素敵。



「可愛い!じゃあ、今日はこっちをお借りしていい?」

「はい是非」



 エプロンひとつでも気分って変わるのね。こんなお洒落なエプロン、自分では買ったことがないもの。



「透くん?どうかしたの?」

「いえ、エプロン姿の璃青さんも素敵なので。奥さんって感じでなんか……」



 わたしを見て笑う透くんに、またすぐに顔が赤くなる。



「え、“奥さん”って、……」



 我ながらちょっとお間抜けな声になってしまった。“奥さん”という響きにドキドキしてしまい、透くんを真っ直ぐ見られない。



「え、あの……

 り、料理でも作りますか!!」



 こっそり見上げた顔はほんのり赤くて、何だか妙に甘く照れくさい空気になってしまった。





 エプロンを着けたところでとにかく調理開始。こうやってキッチンに並んでいると、やっぱりまるで新婚さんみたいで。


 ………なんてね。恥ずかしいな。

 そんなこと思ってるの、わたしだけかな。



 さて、「ハチノスのトリッパ」。これを作ればいいのね。ハチノス、って確か牛さんの第二の胃袋。触ったことないんだけどなぁ。うう、でも何事も経験だわ。覚悟を決めて、まずは下処理よ。


 おっかなびっくり、ハチノスを5㎜幅くらいに細切りしていると、隣に立った透くんに笑われている気がした。だって、下処理からなんて経験、初めてなんだもん。


 隣では透くんが、サラダの為に洗ったジャガイモを蒸し器に並べている。



「ふぅん。ジャガイモは蒸すのね」



 茹でるのかと思ってた。



「好みの問題だと思いますが、その方がホクホク感が楽しめるからウチはそうしているんですよ」



 確かにそうした方が水っぽくならずに済むわよね。

 透くんが蒸し器を火にかけ、今度はまな板でハムを切り始めた。わたしはまだハチノスと格闘中。

 もう、笑わないの!



「通常はカリカリに焼いたベーコンと隠し味に粉チーズで風味を加えて黒胡椒で味を引き締めるんだけど、今日はトッピングと喧嘩しないようにハムにしてます」

「ほうほう、そうだったのね。黒猫のポテサラの秘密を知ってしまったわ!うん、今度お家でも試してみよう」



 鍋に水とローリエや、生姜とにんにくなどの香味野菜を入れて沸騰させ、刻んだハチノスを下茹でして臭みを抜く。

 その間にもう一度レシピを確認。



「黒猫に食べに来た方が早いよ」



 透くんは言うけど、



「あら、自分でも作る事に意味があるのよ。折角手に入れた秘伝のレシピだし、こうして折角作る機会が与えられたんだもの」



 腰に手を当てて、ドヤ、って顔をして見せるとまた楽しそうに笑われた。

 あぁ、この寛いだ笑顔が好きだなぁ。



 トリッパの煮込みの材料は、後は野菜のみじん切り。人参や玉ねぎ、そしてトマトを並べて刻みながら透くんの手つきにも見蕩れた。



「透くんて、包丁使いがかなり上手いけど、黒猫を手伝っていたから?」



 彼はわたしの言葉に首を振った。



「両親が共稼ぎで、家事を俺が一人でやっていたから」



 そう言うと、難しい顔をしている。聞かれたくない事だったのかな………。



「そうなんだ……。ずっと杜さん達と暮らしていたんだと思ってた」

「就職活動するのにこちらのほうが便利だからお世話に、なってたんだ。そしてここに就職」



 うん、その後は大体わたしの知っている透くんかな。



「そうしてここで、最高の仕事を見つけたのね。黒猫で仕事している透くん、何ていうか格好いいよ。というか、ハマってるし、天職だと思うわ。透くんがホールに立つとね、紳士的な性格が物腰にも表れていて、動作もとてもスマートなの」



 話しながらみじん切りを手伝って貰い、ハチノスを茹でこぼし、鍋に戻してみじん切りの野菜とともに煮込み始める。その横で今度は透くんはポテトサラダをディッシャーでグラスに綺麗に盛り付け、トッピングを施す。やっぱり手際がいいなぁ。ポテトサラダ、可愛い。


 そうしているうちにトリッパの煮込みも完成し、わたしは出来上がったものをダイニングテーブルに運んだ。透くんは早くも別のメニューに取り掛かっている。わたしはもう下手に手を出さずに彼の手際を見ていることにした。


 最後に透くんが完成させた牡蠣のアヒージュを一緒に運んだら、本日の作業は終了。



 二人だけの初めてのディナーは、どれもとても美味しく出来ていた。他愛ない会話は途切れることはなく、いつまでもこんな時間が続いたらいいのに、なんて思ってしまう。


 その後、透くんは多めに作って取り分けておいた料理の数々を四階の杜さんたちの住まいに運んで行った。あくまでも試作なので、やっぱりオーナーの意見は大事だから。




 二人って、いいな。またこうやって一緒にお料理出来たらいいな。お料理だけじゃなく、もっと一緒にいたいな。

 わたし、こんなに幸せでいいのかな。これって、目が覚めたら消えちゃうような、長い夢なのかな。


 そんな事を思ったら透くんが戻るまでの間、ほんの僅かな時間離れているのも寂しくなってしまった。

 恋の始まりは、喜びだけじゃない、寂しさや不安とも表裏一体ということなのかな。それともこんな負の感情、今だけなのかな。


 四階から戻った透くんの温もりを確かめたくて、わたしはそっと身体を寄せる。

 透くんは、そんなわたしを優しく柔らかく抱きしめた。



 

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