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黒猫と魔女

白い黒猫さまとのコラボ、本日2話更新しています。こちらからお越しの方は、前話をお読みになってからおいで下さい。

 四階から戻った透くんに無意識に抱きついてしまい、しばらくそうしていたけれど、頭を撫でる優しい手に、ようやくわたしは安心することができた。

 そっと腕の中から抜け出し、



「今日のお料理は透くんにも沢山作らせちゃったから、洗い物はわたしに任せてね」



 笑ってみせたら、



「璃青さんだって頑張ったじゃないですか。………じゃあ、今日のところはお願いしてもいいですか?次は俺もやりますよ」

「うん、分かったわ」



 わたしが洗い物を始めると、同じタイミングで透くんがコーヒーメーカーをセットしていた。それからリビングのソファに座り、何やらノートパソコンを開いてお仕事をしているようだった。



「え!」



 洗い物の最中に背後からそんな声が聞こえ、ちょっとだけびっくりした。



「どうしたの?」



 思わず振り向いて透くんを見た。



「いや、うちのお店で行われるハロウィンのイベントが思った以上に大変な事になりそうで……」



 洗い物が終わる頃コーヒーが出来上がり、わたしはふたつ用意されていたマグカップに注ぐと透くんの元へ運んだ。

 ひとつを手渡し、隣りに腰を下ろす。



「大変なこと?」

「黒猫としては良い事なんだろうけど、やはりこういう事態は緊張するな」



 ひとりごとのように呟いて、わたしに分かるように説明してくれた。

 つまり、黒猫のハロウィンのイベントで、jazz界の大物が急遽演奏することになったということ?



「そんなに凄い人なの?」

「スゴイよ! Kenjiさんが演奏すると、空間の色が変わるそんな感じで」



 Kenjiさん……?日本人のアーティストなんだ。



「ふぅん。そんな凄い人の演奏が聴けるんだ……」



 黒猫と彼らには一体どんな繋がりがあるんだろう。



「璃青さんも是非来て下さい」

「うん、楽しみにしてるね」



 それから透くんはまたパソコンに向かい、ブログに書き込まれたコメントの返信をしたりしていた。わたしは“彼の隣り”というこの場所に安らぎを感じながら、ひとり小さな幸せを噛みしめていた。






 ハロウィン当日。

 昼間の仕事を終え、シャワーを浴びて少しだけお洒落な服に着替えた。背中が少し開いている黒いベルベットのシンプルなワンピースは、首の後ろで細いリボンを結んでいる。髪はゆるく巻いたアップスタイルで、仕上げには黒いパンプス。音楽も楽しみだけど、いつもより五センチ高い目線で仕事中の透くんを見てみたい。


 支度を終えてお隣の地下に向かい、ドアを開けると同時にいつもより強い熱気を感じる。お客様の数もすし詰めで、座れる場所もないくらい。

 熱気に当てられていると、カウンターの中から、わたしに気付いた杜さんに手招きされた。サバトラ猫の被り物、頰に傷のあるメイクをしていて、いかつい猫の格好が妙に似合っている。



「杜さん、こんばんは。盛況ですね」

「ああ、アイツらが来ているからね。璃青さんそこどうぞ」

「すみません、ありがとうございます!」



 杜さんの目の前のカウンター席を勧められる。こんな夜には特に超常連さんの為のシートな筈。いいのかな、ちょっと恐縮。




 指ならしらしい軽やかで短いパートのピアノの音。あれがKenjiさん。空気の色が、もういつもと違う。気圧されながらも落ち着いて辺りを見渡せば透くんも小野くんも既に忙しそうに店内を歩き回っていた。

 彼らも猫のコスチュームを着ていて、どうやら顔にヒゲまでペイントされているらしい。




「透くん、可愛い!!白猫さん姿、凄く似合ってる♪」

「可愛くはないでしょ!」



 透くんがカウンター近くまで戻って来たと同時に思わず立ち上がり、近すぎる距離で彼の猫耳に触れていた。お客様に見られてないよね?今だけ、もっと近くで見てもいいかな。



「透くんはメイクをすると、随分変わるのね。こんなに上手にアイメイクまでしてると、凄く色っぽい」



 ヒールの高さの分、彼に近い。いつもと違う目線に透くんは気付いてないかな。忙しすぎて、きっとそこまで気が回らないよね。



「今舞台で歌ってるイリーナさんにされたんだ……」



 彼の呟きに、ステージを見た。

 あ妖艶な魔女の姿の女性ボーカリスト。

 最初の曲が始まっていた。



「ふぅん、そう。………ね、透くん、クレンジングは持ってる?」

「いえ。でも洗顔料は持ってますから」

「ダメよ!そういうメイクって落ちにくいのよ。ちゃんと落さないとお肌に悪いんだから。お仕事終わったら澄さんにクレンジング借りて、しっかり落とすのよ?」



 思いつきで言ってみたことだけど、やっぱり男性だからそこまで考えていなかったのね。



「いや、澄さんは今夜忙しいだろうから、コンビニで買ってなんとかします」

「そっか………。あ、それならわたしのを貸してあげる。ライブが終わったらすぐに持ってくるね」

「じゃあ、お借りします。………そうだ、俺の部屋の鍵渡しておきますから、閉店作業とかしていると待たせてしまうから、」



 チャリ、と金属の音をさせる手元を思わず見下ろすと、そっと部屋の鍵を手渡される。思わず落としそうになって両手でギュッと受け止めると、彼が耳元に唇を寄せた。



「俺の部屋で待っていて下さい。あと、飲み過ぎないで下さいね」



 囁かれた耳が熱くなる。

 し、仕事場で何をしているの……!

 

 わたしの頰を赤くした張本人は、涼しい顔をして仕事に戻っていった。



 ライブは次第に白熱し、イリーナさんの歌声はピアノに乗って更に艶を帯びてくる。それにつれて彼女はドラキュラ姿のKenjiさんに抱きついたり凭れかかったり、それだけでは飽き足らずステージを降り、透くんや小野くんに歌いながら身体を絡ませる仕草を客席に見せつけるようになっていた。


 イリーナさんが透くんの頰をスルリと撫で、身体をぴったりと擦り寄せる。透くんも嫌がる素振りはなく、イリーナさんと視線を絡ませ、触れている反対側の頰にキスを受けてもされるまま受け止めていた。それどころか透くんも彼女の頰にキスを返している。


 とても見ていられない、見たくない。

 なのにその声の魔力に取り憑かれて目が離せない。お客の一人としてここに座るわたしには“その手で触れないで”なんて言える資格もない。だからといってここから逃げる勇気もない。


 目を逸らしたら揺らいだ視界から涙が零れてしまいそうだから、目を上げてずっと彼女を見ていた。愉しげに歌う、ハスキーなのに伸びやかな声はわたしの耳にいつまでも残っていた。




 ライブをちゃんと最後まで聴いたわたしは自宅に戻り、クレンジングを手にした。このまま“ちょっと具合が悪くなっちゃったから、クレンジングは澄さんに借りてね”と何度メールを送ってしまおうか、散々迷った。鍵も返してしまえばいい、って。でも、今夜はもう一度だけメイクを落とした透くんの素顔も見たい。


 ーーーやっぱり行こう。


 初めて鍵を使って入った彼の部屋は、しんと静まり返っていて、当たり前だけど暗くて寂しさに押し潰されそうになってしまった。慌てて手探りで灯りをつければ、少しだけ寂しさが和らぐ。


 

 どれだけソファで待っただろうか。それともそんなに経ってはいなかったのかな。ドアノブを回す音に、いつもよりもホッとしているわたしがいる。



「お帰りなさい」



 立ち上がり自然と口にして彼を迎えると、何故かちょっと驚いた顔のあと「ただいま」と笑いながらそっと抱きしめられていた。

 いつもの透くんの香り、もう覚えてる。この腕の暖かさに泣きたくなる。

 だからこそ余計に強く感じてしまった、華やかな甘い香水の残り香。今はこの香りだけは嫌。



「ね、クレンジングクリーム持ってきたから、落としてすっきりしてきたら?シャワーも浴びたいでしょう?」

「ゴメン、汗臭かったですか?仕事の後だから」

「ううん、透くんの香りは、わたしは好きよ。でも今日は特別忙しそうだったし、さっぱりしてこないと寛げないかな、って」



 わたし、何を言ってるんだろう。

 本当は違うの。イリーナさんの香りを纏う透くんを遠くに感じるの。お願いだからその香りでわたしを抱こうとしないで。



 それからわたしは平静を装ってクレンジングの使い方を教え、彼の裸にどうしても慣れなくて微妙に目を逸らしながらバスルームに彼を送った。そして彼が被っていた猫の被り物と尻尾を持ってリビングで待つことにした。


 リビングのソファに座り、さっきまで彼が被っていた白猫の耳を触りながら、憂鬱な気分を払いたくて彼の猫姿を思い浮かべる。まるで某劇団のミュージカルダンサーみたいだった。元々ある色気が増していて、ドキドキした。悔しいけどアイメイクはとても彼に合っていて綺麗だった。


 色々よくない感情が心に渦巻きそうになるのを抑え込んでいたら、いつの間にかお風呂場から出てきていた彼が部屋着姿で立っていた。



「楽しそうですね。そんなにそれ、気になりますか」



 考えていたのは別のことなんだけどな。まぁ、もちろん気にはなってるけど。



「今日の透くんと小野くん、猫さんが似合っていて可愛かったから……」



 なんとなくそう言い訳をするとわたしの手から白猫の被り物は取り上げられ、それは隣に座った彼によってわたしに被せられた。



「やはり、璃青さんが被った方が絶対似合っていて可愛いですよ。というか男が被るとギャグになるだけ」



 “絶対”って。どんな根拠で。

 あぁ、また顔が赤くなる。やっぱり悔しい。また笑われてるし。透くんばかり余裕なのね。



「私だけつけていたら馬鹿みたいじゃない!恥ずかしいよ。それに、透くんの方が絶対似合うし可愛いの!」



 テーブルの上に置かれた小野くんの被っていた黒猫の被り物を腕を延ばして被せたら、ほら、可愛いじゃない。


 けれど“可愛い”が地雷だったのか、急に真顔になった透くんがわたしに近付いた。



「俺、男なんですけど……。そんな事言うと襲いますよ」



 囁かれたらイリーナさんと寄り添う彼を思い出し、芽生えたのは独占欲。

 イリーナさんにはきっと何もかも敵わない。


 でも透くんは、わたしだけの………。



「いいですよ?黒猫さん………」



 初めてわたしから、キス。唇に、頰に、そしてまた唇に。イリーナさんの痕跡を消したくて、ただその一心で。

 やがて猫がじゃれるような無邪気なキスは、すぐに深くなっていく。透くんからも優しいキスが返ってくる。

 お互いの身体に触れる手のひらに、あの夜を思い出して身体中が熱くなる。わたしも、もっと近付きたい。

 でも………。



「待って、わたしもシャワー………!」



 既にお互いの猫を外し、気付いたらもう首の後ろリボンは解かれている。纏めていた髪も下ろされ、首筋に這う唇にわたしの願いも虚しく抵抗は却下された。わたしは羞恥に耐えながら、この夜も透くんに何度も甘い言葉を囁かれ続けた。


 わたしも、好きよ。

 透くんだけを、愛してる。


 無意識に声にしていたかどうか思い出せないから届いていないかもしれない。でも、それももうどうでもいい。

 わたしは初めての夜よりも、彼に深く溺れていった。




 翌朝。

 ある意味自業自得なのは分かってる。でも、わたしだって前よりももっと彼の近くに行きたかった。

 だから昨夜のあれこれについては後悔はしていない。

 してないけど………。

 う、動けない。



「すいません、璃青さん。今日はここでゆっくり休んでください」

「……………」



 ごめんね、絶対声、おかしいから今は喋りたくないの。



「……お腹空きましたよね?朝食作ってきますから、機嫌直して下さい。何食べたいですか?」



 違うんだってば。

 そろり、掛け布団から目を上げる。



「あの、怒ってるんじゃないの。………恥かしいの………」



 いやー!やっぱり声がおかしい!

 また布団に潜ろうとしたら、透くんの腕に阻止された挙句、朝から濃厚なキスをされてしまった。わたし、何もスイッチ押してないですよね?!

 終わらないキスにまた身体が熱を帯びてくる。こんなの、本気でどうにかなってしまう。



「ーーーだめ!もうこれ以上は無理よ。明日、仕事出来なくなっちゃう……!」



 息の上がった涙目のわたしに、彼は艶やかに微笑む。



「おはようのキスしたかっただけです。もう無理させませんよ」



 本当に?

 上目遣いで透くんを軽く睨んだ。


 と同時にお腹が空腹を訴えた。ぐぅ、と鳴ってしまった音は、確かに彼にも聞こえてしまったらしい。

 わたしは今度こそ布団に潜り、赤い顔を隠した。



「かしこまりました!至急朝食を作って参ります」



 透くんはわたしを布団ごと抱きしめ、執事のような言い方をして囁いた。

 鼻歌を歌いながらキッチンへ遠ざかる足音に、わたしは長い長いため息をついた。




 更にその後。

 少し遅めの朝食を、またしてもお行儀悪くベッドの上で頂いた。

 甲斐甲斐しい透くんに、“自分で出来るから!”って言っても色々お世話されてしまうのが、とんでもなく恥ずかしい。


 それにしても。はぁ…………。

 昨夜のこと、思い出す度に隠れたくなる。



「璃青さん、そんなに溜息つかないでください。悪かったと思っていますから。でもあんなに璃青さんが求めて来てくれたから、俺も嬉しくてつい………」

「違うの……」

「え?」

「透くん、イリーナさんと仲良くしてたから、それで……。つまらないヤキモチ妬いてごめんなさい……」

「璃青さん………」



 謝ったらギュッと抱きしめられていた。



「俺こそ、不安にさせてごめんなさい。でも信じて下さい。俺が好きなのは璃青さんだけです。それにイリーナさん、Kenjiさんの奥さんですよ?」

「そうなんだ……。でも、あの人いっぱい触ってた、から。その、お尻とかも……」

「イリーナさんは元々ああいった事をするアーチストさんですけど、さすが日本人はシャイだからそういうことやったら驚くだろうと気を使ってスタッフである俺たちにそういうことしたんだと思います」



 髪を梳きながら撫でてくれる優しい指に、また眠くなってしまいそう。



「うん、でもごめんなさい……」

「俺は嬉しかったですよ、積極的な璃青さん」

「いやっ!もうわたしからなんて絶対しないからっ」



 そうして「まあまあ」なんて心底嬉しそうな透くんにまた顔を赤くした、そんな穏やかな(?)休日。


 


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