【商店街夏祭り企画】領域
夏祭り、その後で……。
今回も、白い黒猫さまとのコラボとなっております。ユキくん視点は【希望が丘駅前商店街〜透明人間の憂鬱〜】をお楽しみ下さい!
人混みを避けて裏道へ抜け、ゆっくりと歩いているといつしか見覚えのある駐車場を通って根小山ビルヂングに到着していた。
固く繋いでいた手はスルリと解け、急に心細い気持ちになる。
神社で宿った胸の奥の光も、輝きを潜めてしまったみたい。
先に手を離したのは自分なのに、“寂しい”と思うなんて。
立ち止まった場所から動けずにいたら、ユキくんがわたしを見て突然言った。
「あのさ………うち、来ない?」
………どういう、こと?
「いや、変な意味じゃなくて。足、手当てした方が良いかなと。澄さんもいるだろうから」
「え、このくらい自分で出来るのに。それに………ご迷惑じゃない?」
頭の中が混乱していた。
何故、ユキくんのお家なのか。
何故、ユキくんがそんな気持ちになったのか。
疑問ばかりが湧いてきて、自分がどう答えていいものか、いくら考えても上の空になってしまう。
思い余ってユキくんを見上げるけれど、そこに欲しい答えはない。
離れていたはずの手が、再び繋がれていた。
もの言わぬ彼に手を引かれ、気付いた時にはエレベーターの中にいた。彼が何階のボタンを押したのかも目に入らない。繋がれた手は汗ばんでいるようで恥ずかしいから離したいのに、どうしてか離しては貰えない。
チン、という音に目を上げたら四階に着いていた。エレベーターホールに出ると、何故か観葉植物の鉢が倒れていてびっくりしたけれど、ユキくんは事も無げにそれを起こした。
鉢の側には何かが落ちていたように見えたけれど、彼は目の前のドアを開けることなく「……あっ、ゴメン忘れてた。杜さん達今、留守で籘子さん達と呑んでいるんだった!!」などと言いながら、またわたしをエレベーターに押し込んだ。
彼は何かを隠しているようで、とても慌てている。けれど、肩に触れられた手にドキドキして、これから何処に連れて行かれるのかすら聞くことができないわたしには、彼が何を隠したがっているのか、そこまで考えが至らない。
そっか、澄さん達、いないんだ。
ぼんやりと、それだけはどうにか理解した。
エレベーターはすぐに止まり、今度は六階に着いていた。ユキくんは鍵を使い、ドアを開ける。わたしは手を引かれるままに、彼の領域に踏み込んでしまった。
「ここは………?なんだかすごくお洒落なお部屋。まるで海か宇宙の中にいるみたい…………」
「俺の部屋。……さすがに二人の留守中に部屋に入れるのもどうかと思って」
ああ、杜さん達の主な居住スペースのことかな。で、こっちがユキくんのプライベートなお部屋、と。
部屋に通されると、目の前には青の世界が広がっていた。まるでヨーロッパにいるかのようなスモーキ―ブルーの壁。そこにダークウッドの柱や桟がアクセントをつけていた。その雰囲気は異国のように見えて、なのに何故かユキくんらしい、という気がした。
「………座ってて。薬箱持ってくるから!」
そう言いながらユキくんはあっと言う間にいなくなり、わたしはこの部屋にひとり、とり残された。
わたしの部屋とは違う人様のお家だから当然落ち着かないけれど、とりあえずソファに浅く腰掛けた。
防音がしっかりされているのか、部屋の中はしんと静まりかえっている。
どこまで薬箱を取りに行っているのか、これではユキくんの気配もわからない。
足の痛みもあって、さっき手を解いた時よりも、ずっと心細くなっていた。
相手は他ならぬユキくんであり、男の人の部屋とはいえ、不安よりも戸惑いの方が勝っているけれど。
寂しい、な。
そう思い始めた頃にドアが開閉される音がして、心底ホッとした。
現れた彼に、思わず泣き笑いのような顔を見せてしまって、やっとの事で声を出す。
「………おかえりなさい」
自然と口をついた言葉は、彼の耳まで届いただろうか。でも、とても安心したから。
わたしの言葉が何とか聞き取れたのか、彼が少しだけ驚いたような顔をする。
「どうしたの?」
「……ただいま」
ユキくんの答えに少し笑いが零れた。
「ふふ、なんか変なの。私が『おかえり』って言って、ユキくんは『ただいま』って………」
“これじゃまるで夫婦みたいね”
そう続けようとして、途中でやめた。
だって、そんなのあまりにも図々しい。
「手当てしないと」
わたしの「おかえりなさい」のどこに驚いたのかはわからないけれど、ユキくんは急に真顔になって、わたしの足を見る。
けれど、すぐにその顔を顰めたのが分かってしまった。
「ゴメンなさい。足、汚いよね 。裸足だったし土の上も歩いたし」
色々と女子力が足りないんじゃないかな。こんな素足でよそ様のお家に上がるなんて。
ああもう、草履を脱ぐ前に、どうして気付かなかったんだろう。
「確かに手当ての前に、汚れは流した方が良いかも 。風呂場まで歩ける?」
えっえっ、お風呂?!いや、洗わせて欲しいなんてことを思っていたわけではないんだけど〜、と慌てているうちにお風呂場までエスコートされる勢いだったので、それはさすがにやんわりとお断りして、自力でシャワーをお借りする為にお風呂場へ向かった。
顔が熱い。手当ての為とはいえどういう訳かユキくんのお部屋に招かれ、こうしてシャワーまでお借りして。
正当な理由な筈なのにそのシチュエーションに胸の鼓動は激しい。
わたしは鏡に映る自分の頬と身体の火照り、それに逆上せた頭を冷まそうと、浴衣の裾を膝まで捲ってシャワーの栓をあけ、冷たい水を撥ねない程度に勢いよく足にかけた。本当は頭の上から冷水を浴びたいくらい。
少しだけボディソープを拝借して足に触れると、傷の痛みに頭は少しずつクリアになっていく。
あまりお待たせするのも、お水を無駄遣いするのも悪いので、汚れが落ちたのを確認してお風呂場を出ると、そこには先ほどには無かった洗いたてのタオルが目の前に置かれていた。
きちんと畳まれたふかふかのタオルで軽く水分を押さえ、わたしはリビングで待つユキくんの元へ戻っていった。
「どうぞ、座って」と促されてソファに座ると、彼は、すっ、とわたしの足元に跪いた。そんな仕草まで優雅なんだ、なんて見当違いなことを考えていたわたしはすぐに訪れた傷の痛みに思い切り涙目になってしまった。だって、消毒液って、ボディソープの比じゃないんだもの!
「………………ぁっ」
痛い。
堪えていても痛みが声になって漏れてしまい、恥ずかしくてまた顔が熱くなる。でも。
ーーーやだ、変な声が出ちゃった。
けれども内心慌てるわたしに気付くはずもないユキくんは、わたしの傷をやさしく労わる。
「ごめんなさい、痛かった?……でも少しだけ我慢して」
後半の、いつもより低い声にびくりと身体が竦んだ。
返事をちゃんとしようとすればする程、声が詰まる。
「ん、大丈夫。だから………そのまま、お願い………っ」
絞り出した自分の声に益々いたたまれなくなり、左の手で口を覆った。
けれども口は抑えられても、声を抑えようとしたら息までも止めなければならない。
どうしても「んん………っ」なんて声が漏れてしまう。
ーーーでもね、だって、痛いものは痛いんだもの。
そんな言い訳を口に出せずに飲み込みながら。
自分の絞り出した声が我ながら悩ましく聞こえてしまい、つい元彼との逢瀬を重ねてしまう。
秘密の付き合いは、抱き合う時の声まで殺した。
“不倫でもないのに、どうしてわたし達はコソコソしなければいけないの”と思いながら、それでも男女の関係を続けていた。
年齢的なこともあって惰性で付き合っていたのは向こうも同じだったのかもしれない。あの、後輩の子が彼にアプローチをするまでは。
そう、わたしを見る目と違うことには、すぐに気付いた。元彼は男の目で彼女を見ていた。
わたしには、初めから魅力なんてないの。
元彼と別れたその時から、わたしは心を閉ざしている。今もまだ、その扉は開くことはない。
なのに、胸が熱い。
痛みは熱に変わり、あの月読の光が胸の中で輝きを増す。
誰にともなく“待って、まだ気付きたくない”と泣き叫びたいような衝動とともに。
「ごめんなさい、すぐ終わらせるので」
ユキくんの掠れた声に、痛みを堪えるふりをして、わたしはギュッと目を閉じた。




