ゴブリンを絶滅せし者・2
ハーフェン伯爵の屋敷は、異様な緊張に支配されていた。
その中心点になっている応接間こそ、まるで時が止まったかのような沈黙がある。
席に着く相対する二人も、周囲のメイド達執事達も、身動ぎを殆どしていない。
唯一ここが現実で時間も流れていると示しているのは、置時計の針と、主人と客人の前にあるティーカップの湯気のみだった。
応接用椅子に座るのは主人側は当然、ハーフェン伯爵。
客席に付いているのは、魔法使いらしいローブを纏う焼けた草色の髪の少女である。
(…………何、この重い空気は……?)
この部屋に佇む、まだ若輩者の使用人の一人はこう内心で呟いても無理はないだろう。
主人も、メイド長も執事長も、たった一人の小娘に、全神経を集中しているのは、分かる。
まるでダンジョンの最深部にて、ボスモンスターと睨み合っているかのような空気だ。
(確か、この人が来て、ドラゴンを討伐した功績をご主人様が誉めて、返事されて、それから何も喋ってない……)
流石に俯いてしまった。両手を前に揃えた直立姿勢は習慣だが、本当に空気が重いのだ。
この客人である魔法使いが訪れた瞬間からずっとだ。
「イアリス殿。ゴブリン絶滅運動の、最前列に居る貴女がここを訪れた理由に、心当たりはある」
ご主人様が喋った。
「二か月前からゴブリンが潜伏しているとの通報を受け、先日にも査察官も訪れましたが、依然ゴブリンなどこの領内には存在しません」
淡々と告げられた御客人、見た目は使用人らより年下かもしれない少女が、全く表情を変えないまま、口を開く。
「――――本当に?」
気のせいでなければ、彼女は瞬きすらしていない。
深淵みたいに不気味で、なのに瞳孔が開き切ってて、まるで彼女自体がドラゴンのようだ。
そして、その目を見なければ良かったと後悔した。
(――――っ、お嬢様――!)
たった今ご主人様が説明したじゃないか。この客人が何者かって。
更に、彼女は魔王も認知している魔法使いでもあって、もしかしたら、人の心を暴く魔眼の使い手かもしれない。
だから我々は、決して、絶対に、黙秘し続けるのだ。態度にも出しちゃいけない。組んでいた手の下の皮を摘まんで、堪えなきゃ。
「ああ、もういいぞ、オレのこと庇わなくたって」
柏手を打ちながら割ってきた声に、緊張が裂かれた。
突然闖入した第三者へ、伯爵が振り向く。応接間の一同の視線がその人物に集まった。
「どうせ、こっちが目当てだろ」
「ビセンク博士」
その男はくたびれた白衣と、切るのが面倒で括っただけの長い黒髪を揺らしていた。
白衣の下の洗濯はしているがとっくに古びれているシャツとズボンと汚れた靴といい、格式ばった屋敷からやや浮いていた。
だが長い弓なりの耳と、整った容貌から種族の特定は容易かった。
「黒髪のエルフ、か」
イアリスは淡と評する。
ハーフェン伯爵の食客として持て成されつつ、エルフィン村には馴染めそうにないのも納得する。
だが注視すべきは彼が持ってきたものだ。
「ほら、こないだの査察の索敵器に引っかかったのはコレだろ」
ドン、と床に降ろしたものはガラスケースに収められた緑色の小鬼。
ゴブリンの標本だった。
「私の持つ索敵器は、死体には反応しない。生きているゴブリンだけ」
「そうかい」
「いずれにせよドクタービセンク。貴方には容疑がかかっている。ホムンクルスの違法製造から生物改造などの」
「はいはい。抵抗しませんよ」
ビセンクの背後にはイアリスと同じ査察官達が控えていた。彼らから手錠を掛けられる。特殊な処置により、魔法も使えない。
博士と呼ばれる男は以降も特に何事もせず、屋敷を後にすることになる。
「彼への尋問は後でゆっくり行うとして……ハーフェン伯爵、貴方の共犯容疑は晴れていません」
ハーフェン伯爵邸もこれから家宅捜索されることを暗に告げられる。
焦ったのは若輩の使用人達だ、だがメイド長と執事長が彼らを制する。なにより主人である伯爵自身が了承している心算だ。
「本題に入りましょう。先ず主犯はドクタービセンクとして……改造されたゴブリンを貴方も隠匿していたのですか?」
「生きているゴブリンなどこの領土には居ない。何十年も昔から一匹も」
イアリスが持つ伯爵への疑惑。それはゴブリンの飼育だ。真実なら、なんと愚かな行いだろう。
ゴブリンに社会的知性などない。極稀にゴブリンキングやゴブリンメイジという統率力に長けたユニークモンスターが現れるが、いずれもゴブリンの本質は自分達以外の生物への悪意だ。他者への忠なんてない。そもそも人の顔への認識機能などもない。彼奴らが区別可能なのは雌だけだ。
「貴方は、何を、隠し育ててたのですか?」
「……娘だ。エルフでも獣人でもない亜人の子だ」
沈黙が、また長く応接間を支配していた。
イアリスが睨みを利かせても、相対する伯爵は動じない。
人間なら親子程の年の差になるが、熟年の紳士は目の前の少女を決して、一寸たりとも侮ってはいない態度だ。
その上で、彼は嘘を吐いてないとイアリスは察する。
しかしゴブリンなどいない、訳がない。
(本心から、ゴブリンでない、子供を育てていた……?)
これ以上、伯爵自身に踏み込むことは出来ない。
確たる証拠が出ない限り、一魔法使いでしかないイアリスが、過度な尋問などに踏み込めばそれは横暴に値する。
ただの疑惑で伯爵を逮捕するなんて以ての外だ。彼に連なる王族との軋轢が生まれて、面倒くさいことになるだけだ。
(だけど、なんだ、この靄は……)
ゴブリンが居るという通報がイアリスに届けられた。
ゴブリンを研究しているエルフも居た。
しかしゴブリンは居なかった。
(――――……いずれにせよ、たった一匹でも、逃がす訳にはいかない)
イアリスのハーフェン伯爵領の調査は、続く。
※
同晩のことだった。
ハーフェン伯爵は、それまで何度も書き直していた手紙をほぼ走り書きで二枚認めた。
草木も眠る頃、月明かりも仄かな夜に紙飛行機が邸の窓から放たれた。
伯爵は無事に届くことだけを祈り、その願いは叶えられた。
――――眠ることもほぼ忘れた魔法使いが、鳥に変化する紙飛行機を感知していた。




