表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この街は今日も語る  作者: 紫芋
軽井椎奈は語り合う

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

19/38

名前

苛烈なシーンを書いてます。苦手な人は全力後退を勧めます。


後、長いです!(読む方の程度による)

 灯火は揺らめいた。


 決して膨大な訳でも、色鮮やかな訳でもなかったその火は白くなる。


 少女の叫びは悲痛と悲惨のブレンド。


 両親の助けを乞う言葉を発した回数は百を優に超えて、身体を裂かれて尚、謝罪した回数は四十を超えた。


 痛みで気絶しかけた回数は五回。


 少女は胸を裂かれた時ですら息をしており、腕を切られた時に絶命した。


 命の冒涜の限りを尽くされて、ご丁寧に衣類の類いを一度、全て脱がされた後、解体作業は為された。


 飛び出した臓物は未成熟で未発達。それを艶かしい表情で見つめた殺人鬼。


 抱き締めて、接吻し、手で撫でて、恍惚の表情で黒板に作品ずめんを描く。


 血濡れの少女。か細い息遣いで絶命寸前の絶体絶命。


 小さく未発達の手脚。


 脱がされた衣服は少女の机に置かれて、裸体となった少女は机を三つ直列に並んだ上に置かれている。


 夏の季節にしては、少女の身体は凍える。冷えて、凍てつき、冷徹な惨状の果て。


 両胸の間から股までをバッサリと裂かれたその姿は、少女が客観視出来ない事がせめてもの救いであった。


 もう一人の男が言った。


「腕と脚が欲しい」


 その言葉に吐き気を催すような顔色をする殺人鬼。


 作品には不必要な存在であり、部分パーツ


 それを削がれるのは気が障って仕方なかった。


 だから、殺された。


 口元に放り込まれたチョーク、目元に裁ち鋏を突き刺して、三階から優雅で華麗な麗しきバンジージャンプ。


 試練の失敗は死を意味していた。だから、死んだ。


 腕を削がれた。脚を削がれた。その男にとって少女とは一つの愛玩具。


 それ以外の何物でもない。それ以外の使い道を知らない。


 黒板に描かれた作品ずめんは偽装の為の工作。


 図工にもならない稚拙で幼稚な芸術と一蹴した男は絶命したての少女の腹を弄って、取り出した。


 生命の子袋を。


 恍惚とした表情は浮かばない。その男にとってのそれは儀式であり、教示であり、確固たる意志で行う使命と準じているのだから。


 公園まで車で三十分。


 警察の見張りは無い。


 全て接点も慣例性も必要性も無い場所で行っているのだから。


 ライターを点火した。揺らめく炎は儀式の祭壇に灯される聖火。


 怪しく揺らぐ炎は完遂を妨害する街の風。


 男はその炎を生命の子袋へと当てた。


 居た堪れない臭いが立ち込めるもそれも試練として準じる。


 作品アートは既に完成されている。立ち止まる意味も必要性もなくなった。


 リュックサックに詰めた両手脚は軽く、どう使ってやろうかと想像を掻き立てた。


 車に乗り込み、リュックサックを助手席へと投げ入れて、エンジンを付けた。


 揺らいだ。揺らいで、揺らめき、赦さない。


 少女は揺らいだ。偶然の産物。必然性の無い奇跡にも近い姿。


 多忙なストレスと残らない幻影は霊として顕れた。


 公園で見つめる作品アートの前に佇む。


 白くなってしまった髪と元々着ていた黒いワンピース。


 お気に入りの靴下と靴は何処へやら。


 そして男は死んだ。呆気なく死んだ。必然性のある死を遂げていた。


 犯行から一年で死に、腐らなかったからといって使い続けた果てに、因果が巡ってしまい、あっという間に身体は腐っていき、誰にも声を掛けられる事も無いアパートのワンルームで餓死してしまった。


 少女の腕と脚は何故か腐らなかった。


 取り憑かれたとしか言いようの無い死。


 少女は何もしていない。本当に何もしていない。


 した事と言えば、存在を示したくて道行く人に声を掛けたのみ。


 誰にも届かないその声。その悲痛さは行き渡らず、遂には役目が増えてしまう。


 男が帰ってきてしまったのだ。そして、その時に亡くなった殺人鬼も一緒に。


 時に暴力の対象へと、時に死体の処理を、時に救いを懇願した者へ手を差し伸ばそうともした。


 けれど、塞がれる。


 黙々と共犯者を演じる。


 怖がられ、恐れられて、忌むべき対象として見られた。


 求めていた視線と意図は大きくズレて、外れて、歪に亀裂を走らせる。


 二十年以上が経った。経ってしまった。


 そんな時、不思議な予兆が起きてしまう。


 今から一年前に降った光。閃光にも似た光が微かに輝きを持って落ちてきた。


 男は震える。理由は分からないけど、震えた。


 殺人鬼は高笑いして足蹴して放置して、同時に少女の自由は増えた。


 男の存在がストッパーに近く、それが緩んだ故の誤算。


 けれど、救えなかった。殺人鬼の凶行は止まらない。


 嘆く事数回。


 真実知らぬ少女はバカ真面目に本気で嘆く。


 穢れた精神の表れは浄化と言うには程遠い程に汚された。


 こわされて、蹂躙され、堕ちた。


 だから、目から血涙を零す。


 助けたい、救いたい、理解して貰いたい、居ても良いんだと納得して貰いたい。


 何故こうなってしまったのだろうか。


 少女は思い至る術を知らない。


 あるのはあの日、母親に着いていかなかった事への後悔と、父親へと届けたかった残響。


 何がいけなかったのか少女は思い馳せる。


 施設を抜け出した事か、殺人鬼の言う事を聞いてしまった事か、父親の言う事を聞かなかった事か、母親を見送ってしまった事か。


 離婚届けの紙を破れば満足したのか。


 それとも泣けばよかったのか。


 居なくなって欲しくない。そう言えれば満足したのだろうか。


 どちらにしても後の祭りであり、覆りようのない有り触れた日常で起きた結果。


 分かってしまっているから、苦痛して、苦悩して、残響は響かせる。


「どうして、サナばかり⋯⋯。痛いのが消えないの?」


 少女の身体は未だ蹂躙の傷が響き、嘆きの心を木霊させて、届かない想いを募らせる。


 甘えてもおかしくない歳頃の少女は歳だけ重ねて、成長しない幽霊として、今日も元気に誰かを化かして救おうとする。


 救おうとして出会ってしまった。


 手を伸ばしてくれる人を。


 少女は理解している。幽霊はいつか消えなければならないと。


 少女は納得している。この人達は親ではないと。


 少女は了承している。いつか捨てられることを。


 温もりは懐かしさと慟哭を含ませて、今日も耐える。


 満足したら、甘えてしまう。甘えてしまえば囚われてしまい、囚われれば死んでしまう。


 だから、気持ちを耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、今日も少女は迎って来る事のない救いに手を伸ばす。


 おませで可愛らしく、我儘を言いたくて、甘えたくて、泣き虫で、玩具が欲しくて、可愛いもの好きで髪の色が変質して、黒のワンピースを翻しながら、血の涙を流して、今日も誰かを化かす。


 そんな少女を愛してくれる人物は果たして居るのか。


 少女自身が一番分かっていない。


  ━ ━ ━


「サナちゃん!大丈夫だからね!」


 じゅんが背後に持ったスマホで送った『逃げろ』のメッセージ。


 それを素直に受け取った彼女はサナを連れて軽い悲鳴が上がる校舎を後にしようとする。


 掴んだ腕を一度離して、抱き上げるようにして階段を下りて、正面玄関へと駆ける軽井かるい椎奈しいな


 必死に言葉を与えて、安心と信頼を齎そうとする彼女は肩に埋める顔を見ない。


 息を切らしても、脚を留めずにいる彼女の必死さがサナの心臓を鳴らす。


「⋯⋯」


 影は既に蠢かない。嘆かない。騒めかない。


「⋯⋯サナちゃん?何処か怪我した?」


「ううん。違う⋯⋯」


 少女の違和感と疑問。


 彼女には伝えられない。伝えていない。


 もしかしたらの疑問。子供ながらに考えて、耐えて、そして理解しようとするも、彼女の必死さに負けて、縋っていく。


「もう少しで、外出れるからね!」


 曲がり角を走り、下駄箱が見えた事で、椎奈しいなは喜びの笑みを浮かべて、一気に残りの体力を使い切ろうとする。


「大丈夫、大丈夫!大丈夫!!」


「うぅ、⋯⋯ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」


「えぇ?何が?」


「お姉さんを、巻き込んだから⋯⋯」


「そんな事?!別にもう、良いよ?」


「ううん。違うの⋯⋯。違うの」


「え?」


 正面玄関を抜けて、ある程度の場所を把握しようと見回していく椎奈は、少女を見ない。


 その苦痛と悲劇と惨劇を孕んだ表情を見る余裕が無いまま、正面玄関の前にある坂を下り、校門へと走る。


 その時であった。校舎一階のガラスは複数枚一気に割れて、悲鳴が上がった。


「⋯⋯牧原まきはら先輩の声!?」


「お姉さん、下ろして⋯⋯サナに構わないで⋯⋯。もう良いよ。お姉さんだけでも──」


「何言ってるの?助けてくれようとしたから、捕まってた私の近くまで来たんでしょ?だったら私も助けなきゃ⋯⋯。大丈夫だよ?私、こう見えても頑丈なんだから!」


「⋯⋯」


 肩を掴む小さな手はギュッと、震えて止まない。


 見上げた彼女は優しく微笑みを見せて、それがまたつらくなる。


 どうして辛いのか、どうして痛いのかが、頭の中で理解しかけている頃、彼女は遮るように言葉を発した。


「私さ、一人っ子でよく家でも騒ぐから、一緒に居ても家族は気にも止めないよ?⋯⋯大丈夫だからね?」


「お姉さん?」


 励ましの言葉とは到底ならない。


 けれど、『一緒に居たい』という意思だけは少女に伝わる。


 辛そうにする彼女は少女の身体を支える。力が籠っている事に気が付かないまま。


「私。私は泣きそうになってるサナちゃんの事、ちゃんと見てるから。⋯⋯先輩みたいにわざと見逃したフリはしないから。もっとコレから、サナちゃんは楽しい事する自由があるんだよ?二十年経って、新しい玩具とか携帯だって普及してさ、楽しい遊びも一杯あるんだよ?だから、ね?⋯⋯離れないで」


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 桐江きりえじゅんは割り切っている。


『幽霊』ならば何時かは消えるのが本来の顛末であると。


 それは経験としてもそうだが、知識としてそう判断し、納得している。


 軽井椎奈は割り切れないのだ。


 少女が『幽霊』だからといって、その在り方全てが一辺倒である事を望まない。


 自身の知っている『幽霊像そうぞう』と『幽霊サナ』の違いで悩み、不信感と不安感と疑心感は確かに存在した。


 けれど、今は違う。


 手を伸ばそうとしてそれを拒んでしまいかける少女を知っている。


 呼ばれて隣に行こうとする少女が一瞬、破顔しかけたのを知っている。


 寂しそうに准と椎奈を見つめる視線を知っているのだ。


 過去を知り、現状を知り、年端もいかない少女。


 軽井椎奈の意志は固まっている。


 別段、サナだから助けるのではない。サナでなくても似た境遇なら助けようとするのだろう。


 それが彼女なのだ。


 正義の味方や使命に殉じる使者といった誇大妄想爆発の社会の味方になりたいのではない。


 彼女はただ、向き合いたいのだ。


 向き合って、納得した事、理解した事に全うでありたいのだ。


 そして、向き合った結果。


 サナを普通の女の子にしたいと、心に決めた。それだけの話である。


 幽霊であろうと、成長しなくても、見える人間が少なくても、可能だと。そう判断したのだ。


「悲しい顔は駄目だよ?コレから沢山、いっっっぱい!楽しい事があるかもしれないんだから!」


「⋯⋯⋯⋯」


 校舎の先にある正門前までやって来た二人。


 鍵が掛かっており、当然開けられない。


 椎奈の手から少女は下ろされて、正門へと手を掛ける。


 けれど、少し汚れた程度でそれ以上の成果は何も無かった。     


 ヒビが入る。亀裂は広がる。


 悪辣で邪で理不尽の結果に押し留めた感情は破裂するように溢れていく。


「違うの⋯⋯。サナの、サナのせいなの⋯⋯」


「え?」


 校門をよじ登ろうとする椎奈の動きは止まる。


 瞬きを数度して、ようやく少女を見た。


 驚きよりも、理解が追いつかない言葉に思考が一時的に止まりかけてしまい、よじ登っていた筈の身体は再び地上へと戻されてしまう。


「どういう事?」


「⋯⋯サナが、サナが⋯⋯⋯⋯願ったの⋯⋯。『サナだけ苦しいのは嫌だって』⋯⋯。どうしてサナだけって、そうしたら、うぅ。()()が帰ってきちゃって⋯⋯」


「⋯⋯せん、せい?」


「ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい。ごめんなさい!」


 めいいっぱいの謝罪。或いは懺悔にも近いそれを固まった思考で聞き届けて、ハッとなった彼女は慌てた様子で少女と目線を合わせる。


「⋯⋯⋯⋯、あっ!お、怒ってる訳じゃないよ?だってサナちゃんだって酷い目にあったんでしょ?⋯⋯そう、でしょ?だったら──」


「でも、サナのせいで、お姉さんのお友達が⋯⋯」


 言いたかった筈の言葉はそれを機に消え去っていった。


 友人が二人、事実として居なくなり、死んだ。


 その姿は見ていないが、わざわざ殺人鬼が嘘を吐く理由も思い当たらない。


 単純な考え方で良いならば、主導者は少女であり、釣られるようにして実行犯をしているのが殺人鬼と先生という事になる。


「お姉さんは多分、ここから出てもすぐに捕まったちゃう。⋯⋯でも、サナが死んだら、全部終わるの⋯⋯。だから⋯⋯行くね」


 背を向ける少女。


 それに対して伸ばそうとしない腕は未だ下がったまま。


「ま、まっ──」


「サナが悪いんだもん。サナがお願いして、しちゃって⋯⋯だから、逝かないと」


 そして、振り向いた少女。もう、終わらせる為に。


「バイバイ。優しいお姉さん」


 ようやく伸ばそうとしたその腕は届かない。


 脚が動かない。どうしてかは分からないが、影に縛られたように止まって動かせないのだ。


 身体は門の前で停止して、動き出せない。


 そして、少女だけの疑問の消化は終わった。


 少女の存在定義は完結されて、意味を成す為に校舎へと戻る。


『幽霊少女』は誰にも阻害される事なく、校舎の中へと再び戻って行く。


「あ、⋯⋯ま、待って⋯⋯。待って」


 向き合える筈とそう思っていた。覚悟に負けるまでは。


 少女の向き合いは覚悟として顕れ、そして彼女は気圧されるように、項垂れた。


「嫌だ⋯⋯。嫌だ。⋯⋯」


 小さく呟くその言葉は、後悔の過去を呼び馳せる。


  ━ ━ ━


 軽井椎奈。


 高校1年生で成績は中の上程度であり、家族構成は一人っ子の両親健在で、仲も普通。


 ハマっている事は限定販売されているお菓子を購入、SNSでのアップであり、反応を楽しむ事と割と本当に普通の女子高生。


 そんな彼女にも、産まれた時から一つの家庭との違いがあった。


 それは、両親が共に警察官である事だ。


 正義感に溢れる母親と規則性と規律性を重んじる父親の元に産まれた椎奈は歳を重ねるに連れて、正義感に溢れる中学ガールへと変貌を遂げてしまう。


 ただし、規律や規則性よりも、『正義感』に重んじる思考が激しくなり、必要ならば暴力をも厭わないその姿勢に、風当たりは強くなる一方であり、自然と孤立を深めてしまうのだが、当時の彼女にはむしろそれが『孤高の正義』としての追い風となってしまったのだ。


 そんな、『孤高の正義の執行者(笑)』と揶揄されていた中学三年生に転機が訪れる。


 三年生に進級した彼女は相も変わらず正義ウーマンだったのだが、転校生にはそれは関係なかったのだ。


 押し付けられた転校生の校舎の案内と移動教室の導き手。


 一ヶ月も過ぎれば仲が良くなっていき、自然と友人関係となっていた二人。


 そんな友人は交友関係を築くのが上手く、必然的に輪の中に入るのが得意な人物であり、彼女自身の悪評に近いものも友人により多少は緩和されるほどであった。


 陸上部に入っていた友人の何気ない努力を好ましく思えていた彼女にとって一つの羨望であり、憧れでもあったのだが、六月の放課後にそれは唐突に終わりを迎える。


 木から降りられなくなった猫を見つけてしまう。三毛猫と呼ばれる猫で、大木に登ったきり、震えているのを目撃した正義ウーマンの彼女はそれを助けようとしたのだ。


 それに対して友人は「危ないよ?」と一声掛けるも、それを軽く一蹴して、木を登る彼女。


 止まる事を知らず、恐れる事を知らない。


 だから、起きてしまった。


 猫を降ろそうとした彼女のその脚は滑り、体勢を大きく崩して背中から落ちて行く。


 けれど、彼女は助かった。


 クッションのように、その友人が下敷きとなってくれた事で彼女は全くの無傷で収まっていたのだ。


 けれど、下敷きになった友人はその限りでは当然ない。


 前十字靭帯の断裂。


 彼女を助けようとした際、ギリギリに近く、走った後の急停止と上空からの彼女という重みが膝に直で加わり、断裂してしまったのだ。


 激しい痛みに襲われた友人の悲痛な叫びと共に、彼女の後悔は幕を開けた。


 皮下出血の酷さと歩行ができない程の痛みと断裂。


 手術を行い、その後すぐに始まったリハビリ。


 初めの頃は彼女もリハビリに暇さえあれば付き添う事をしていたのだが、膝への違和感とリハビリの辛さに音を上げる事も多く、今まで見せた事の無い泣き顔を見せ始める。


 それが彼女にとっては悔しくて、何度も顔を出しては友人と接していたのだが、友人の膝の痺れは緩和されずに、月日だけが流れていく。


 徐々に顕れていく友人の擦り切れていく感情が発露してしまい、遂に言われてしまった。


「良いよね。椎奈は。⋯⋯陸上も出来て、普通に歩けてさ。なんで、助けちゃったんだろ⋯⋯」


「ごめん」


「⋯⋯謝るくらいならさ。いつもみたいにしてよ」


「⋯⋯ごめん」


「っ!もう!なんなの!なんなの!なんなの!本当に⋯⋯アンタの言う正義感でアンタを、助けるんじゃなかった⋯⋯」


「⋯⋯⋯⋯⋯」


 彼女は行かなくなってしまった。


 困らせてしまうだけだと判断して、苦悩させてしまうだけだと結論付けて、リハビリに付き添う事をしなくなってしまう。


 そして、冬の十二月。友人は亡くなった。


 六ヶ月経っても日常生活に支障が出ていた程であり、両親の助けもあったものの、一人で抱え込み過ぎた結果であり、校舎からの身投げ。


 それが結末であった。


「あの子を返しなさいよぉ!」


「⋯⋯ごめんなさい」


 けれど、友人の親は納得しない。元の原因を作ったのは彼女なのだ。八つ当たりなのはそうなのだろうが、言わなければ収まらなかった。


「ハッキリ言わせて貰いますけど、貴女の身勝手さが招いた事よ!こんな事になるなら⋯⋯引越しなんてさせなければ。なんでこんなことに⋯⋯」


「⋯⋯ごめんなさい」


「謝れば済むと思ってるの!?返しなさいよ!返してよぉぉぉぉ!」


「⋯⋯ごめんなさい⋯⋯。ごめんなさい」


 力強く掴まれる肩は痛みを伴う。


 残響のように残る遺族の声と亡くなった友人の笑顔。


 泣く資格すら紛失した彼女の『正義』は消え去ってしまう。


 燃え尽きて、鎮火して、受動的な生き方となった。


 陸上部には入らなくなり、脚に負荷が掛かりやすいバスケ部に入り、自身を痛め付ける事を選んだ彼女は未だ懺悔の時の中。


 自己満足で自分勝手な彼女は懺悔した気になって、忘れようとしていた。


 代わりのように何かに熱中し、別の自分を見つけるようにして。


 以前の自分とは違い、流れを汲み取ろうとして、意図を選別して、噛み合わせて、そして知ろうとする力を付けたようとするも、視る事ばかりが鍛えられてしまい、今に至る。


 彼女は未だ、煉獄の中、少女を見送ってしまった。


 それが彼女にとって、更なる焚べとも知っているのに、動かない。


 それが堪らなく、彼女にとって、不快なのだ。


  ━ ━ ━


 三人の内の誰かが叫んだ。「逃げろ」と。


 外が吹き抜けとなっている渡り廊下を足早に駆けて行き、乱立された足音が夜の校舎を鳴らす。


「どうするの!颯悟そうご!どうしたらいいの?!」


「今は聞くな!逃げる事だけ考えろ!」


 富宮とみや奏海かなみの腕を掴み、無理矢理速度を引き上げようとしている武島むとう颯悟そうごは背後を確認しない。


 しなくても分かってしまうのだ。


 後ろで鳴り響く轟声は身体を震わせて、全てを崩壊させそうな程に、鳴動し、反響し、波及していく雄叫びが校舎を包み込んでいる。


藍莉あいり!着いてきているか?!」


「当然っ!」


 叫んでいるのであろう彼女の声も雄叫びが邪魔をする。


 耳障りこの上ない事だが、言って聞くならばそもそもこの校舎に存在しないのだろう。


「何かないの?!倒すとか!追い払うとか!?」


「どの道、桐江に聞かなきゃならん!あの人、あんなのが居るって分かってて長話させてたのか?!信じられないな!」


「『幽霊』ってあんなのばっかなの!」


「俺に聞くな!」


 本来は違うのだが、特殊ケースを引き当ててしまった颯悟と奏海、そして藍莉。


 ここに准がいれば『知らない、こんなの初めてだ』と大声を上げて叫んでいた事であろう。


 けれど、ここに准は居ない。現状、無知に限りなく近い三人のみ。


「でも、女の子を殺したら、良いんでしょ?元に戻るんでしょ!だったら、その子探した方が早いよ!」


「⋯⋯」


 三階フロアまでやって来た三人。ゆっくりと肝試しに応じる時間は既に過ぎた。


 渡り廊下に繋がる扉を一瞥すると、三メートル近い男は首をボキボキ言わせながら走って来ている。


 その無意味な行動と不自然な挙動は奏海の腰を抜かさせていき、脱力を強制させた。


「あ、あれ!?」


「立て!休んでる場合か?」


「わかってる、わかってる⋯⋯」


「⋯⋯二手に別れましょ?私が囮になるわ」


「っ!ふざけるな!だったら俺が囮になる!」


「もう時間が無い⋯⋯っ?!何処に?」


「え?」


 男が消えた。真っ直ぐに迫れば矮小な三人に辿り着けるというのに、男は意味も無く姿を消失させて、渡り廊下の扉越しから注意深く居なければならない存在を確認するものの何処にも見当たらなかった。


「⋯⋯何処に行ったんだ?」


「逃げた?いえ、そんな意味が無い事しても⋯⋯」


「もしかして、ここまでは来れない?」


「だとしたら、彼処に近付かなければ良いだけね」


「そうと決まれば、桐江達と合流するか。奏海、立て──」


 男はそこに居た。二人の背後。


 奏海の真横に佇み、デカすぎる手は首を掴んで一切の呼吸を許さない。


 嗚咽する余裕も、鼻から息を漏らす猶予も与えない巨大な手は奏海の顔を覆い隠すように掴まれて、一心不乱に脚をジタバタさせていた。


「なっ!」


「⋯⋯奏海っ?!」


 颯悟が驚きのあまり身を引いてしまい、藍莉は身体が硬直してしまっている。それらを鑑賞するようにじっくりと見つめた男は溶解でもされようとしているような口元が怪しく嗤いを生んだ。


「止めろっ!!」


 殴り込んだ颯悟の一撃は男の腰に入った。


 けれど、微動だにせず、一瞥もせず、掠れた声で嗤いを発生させていくのみ。


「あぁ!あっ!はぁぁ!」


 勢い任せの拳は本来ならば成人男性一人を軽くダウンさせそうな程に勢いのあるものだった。


 しかし、この男には効かない。効くわけがない。


 悪態のように言葉を吐こうとも、蹴りを入れようとも、何も反応してこない。


 掴んだ手に力が入り続けていくのみでそれを呆然と見ているのみの藍莉はここで行動を起こした。


「ぐぅぅ。うぅ、ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅッッ〜〜〜」


 彼女の途絶えそうな息遣いが漏れて、零れていく。


 徐々に抵抗を示した脚は動かなくなっていき、掴まれた手を抗うように掴み返した華奢な手は力を失っていき、垂れ下がろうとしていた。


「これを見なさい!」


 無力な咆哮が三階に響き渡る。


 男と颯悟よりも距離を多少離して、腕を伸ばされようとも届かない位置に陣取る藍莉。


「藍莉、何してるんだ?!」


 徐ろに顔を向けて、目を目開いた男は小刻みな震えを起こして、一歩、前へと出た。


「⋯⋯ッ!オマエ、何故、塵芥ナ者風情ノオマエガ⋯⋯、オマエガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ〜〜ッ!!」


 持っていたの物は腰に巻かれた肉の袋。


 女性ならば身体に絶対あるそれを摘むようにしてそれを上に掲げて振り回す藍莉。


 痛ましく、勝ちようの無い挑戦。


 けれど、男にとっては殉じた結果に得た報酬。


 何人にも持つ事を赦さない成果の果て。


 黒く変色しているその肉の袋。聖火と称した炎で炙り、七不思議にまでされてしまった象徴。


 険しい表情を浮かべる藍莉は、ぎこちない笑みをして、肉の袋を男の後方に投げた。


 奏海は離された。掴まれている手の方向に向けて投げられた肉の袋は彼女を離したその手で掴もうとするも、一手遅く、男の後ろへと飛ぶ。


「ァァァァァァ〜〜ッッ!」


「颯悟!奏海を!逃げるわよ!」


 合図は鳴った。


 急ぎ、駆け足気味で奏海に近付いた颯悟は肩を掴み、咽る彼女を支えて藍莉の走って行く階段を下って行く。


「⋯⋯〜〜ッ!征伐ダァァァァァァァァァァァァ!」


 男の咆哮はけたたましくガラスを割って、振り上げた拳は、床へと向かって下ろされる。


 激しい怒号は感極まって、校舎を反響させた。


 ぶち抜かれていく床は二階を下降り、一階にまで届いて、逃走中の彼等へと向かって襲撃を掛ける。


 それを未だ、藍莉達は知らない。


  ━ ━ ━


 一階での逃走劇は終わらない。


 桐江きりえじゅんはすぐ後ろまで迫っている殺人鬼に恐怖しながら叫ぶ、共に逃げる者達を鼓舞するように。


「逃げるんだよぉぉぉ〜〜」


「軽くないっ!」


 本来ならばとっくに下駄箱の方向まで辿り着ける筈なのだが、殺人鬼は正真正銘の『幽霊』であり、先回りはお手の物。


 いい加減に遊びはなくなり始める殺人鬼なのだが、口調は決して崩さない。


 下駄箱に回り込まれた事で否応なく一階廊下へと走らざるを得ない状況にさせられた准達は汗が流れようとも、脚がパンク寸前であろうとも身体を前に動かした。


「ヒャッハッハッハッ〜。良イ逃ゲップリダ〜〜。感極マッテ、イッチャイソウダヨ!」


「うるせぇ!破廉恥殺人鬼!お前は机とヤってろ!」


「⋯⋯モウシタサァァ〜」


 下卑た笑みとは違う、喜びと快楽に満ち溢れたその表情は准を引かせた。


「うぅ⋯⋯あ、はい」


「負けないでよ?!」


 逸花いちかのツッコミは准が正しく敗北した事をより強調付けてしまい、苦い顔をしてしまう准。


「アイツ、さてはかなりの特殊性癖だな⋯⋯」


「ハッハッハ〜ソウダヨォ〜。ヨク分カルネェ?君達ヲ殺スノモソノ一環サァァ〜」


 負け惜しみを捨て台詞に、裁ち鋏で牽制していた准は一足先に前に居る二人に追いつく為、急いで駆け出した。


 近くにある窓ガラスを大袈裟に割り始めた殺人鬼こと『マッキー』は、窓の枠に残ったガラス片を手に取り、恍惚な表情を浮かべたまま、その破片を投げた。


「きゃぁぁぁ!」


牧原まきはらさん!」


 逸花の左腕に八センチ程度のガラス片が突き刺さり、勢い余って前へと転倒する。


 その様子を傍目から見てしまった浩太郎こうたろうは駆け寄り、ガラス片を引き抜こうとする逸花の手を止めた。


 ガラス片は赤く照り、逸花の掌は傷を付けて、項垂れてしまう。


「アイツっ、どうやって⋯⋯っ窓ガラスか!」


 更に複数枚掴んで、両手に持った後、彼等の元へと駆けて行く。


「僕ノォォォォォ〜エッサァァァァァァァァッ!」


「なんだ、これ?⋯⋯」


 浩太郎が唖然としている。


 浩太郎と逸花には殺人鬼の姿が見えていない。


 それ故に、殺人鬼の掴んでいるガラス片が消えたり現れたりを繰り返しており、異様な光景が視界広がっているのだ。


「僕が停めるから、幸坂こうさかは牧原を連れて行け!」


「でも!」


「見えてない奴いても死人が増えるだけだ!行けっ!」


「っ!桐江くん⋯⋯ごめんッ!」


「謝るなよ⋯⋯。僕の死ぬつもり無いのに⋯⋯」


 狂気に満ちた羨望と恍惚の表情は迫り来る。


 迫り、迫り、そして、天井が抜けた。


 二人の間で、激しい爆音は耳をつんざくかと思う程に掻き鳴らして、コンクリートと木材の破片をばら撒きながら巨大な影が出現した煙は辺りに広がる。


 破った窓ガラスが煙を吸い込むように散っていき、その影は確かな輪郭を見せた。


「ヘェ〜、意外。僕テッキリ来ナイト思ッテタヨ〜」


「⋯⋯俺ノ、命ニモ等シイ物ガ⋯⋯、塵芥ノゴミニ汚サレタ。ナラバ⋯⋯動クノモマタ必定⋯⋯」


 三メートルの巨人。天井にぶつかりそうな程の体躯と何処で買えば見つかろう、その黒のポロシャツと渋い緑の短パンにサンダルは人用では無いかのようなサイズ感をしており、脚のサイズは准の身長の半分は飲み込めそうな程の大きさであった。


「ソッカ、ソッカ。ブラ下ゲテルカラダト思ウケド⋯⋯。マァ、良イヤ。⋯⋯トコロデ、十一番目ガ反抗シテルミタイダケド、ドウスルノ?」


「斯様ナ事ヲ聞クナ。嬲レバ良イ」


 溶けている口角が笑む。しかし、殺人鬼はそれを冷ややかな目で一瞥し、ガラス片の側面をなぞるのみ。


「⋯⋯ソウ。マァ⋯⋯ソレデ良イナラ〜、ソウスルヨ」


「嘘だろ⋯⋯。『幽霊』にしてはデカすぎるだろ」


 唖然としていた准。しかし、その時その身体を動かす声が響く。


「准!逃げなさい!」


「⋯⋯藍莉っ!」


「急げ!桐江!」


 身体はようやく動いた。藍莉達が駆けようとする方向には既に浩太郎と逸花が待っており、階段前の防火扉付近で刺さったガラス片が抜けないようにと学生服を千切って固定していた。


「おい、桐江!アレなんなんだ!」


「見えるのか?」


「あぁ、それがなんだ?見えちゃまずいのか?」


「アイツ、『幽霊』じゃなくて『現象』なのか?!」


 現状、『幽霊』が見えているのは准、藍莉、奏海のみの筈。


 けれど、颯悟が見えているという事は、『幽霊』ではなく『現象』であると判断した准は舌を鳴らした。


(現象まであるのか⋯⋯怪異?それとも魔法とかの類い?どれだっ?!材料が無さすぎる)


 あれ程の体躯を持った男。グーで一発叩かれれば、かなりの重傷を負うのは分かりきっている。


 そして三人以外は見えない殺人鬼も校舎には居る。


 どん詰まり真近。そう感じ始めた准は焦りだし、舌を鳴らして、不快だとばかりに苦渋の表情を露わにした。


「電話の人が言っていた⋯⋯、じゃあやっぱり女の子を殺さないと⋯⋯」


「⋯⋯っ!ちょっと待て!どういう事だ!」


 立ち止まる訳にはいかない。けれど、ここで言う女の子とは誰の事かは、准はよく知っている。


「なんで殺すって発想になった!武島!」


「朝倉さんから電話があったのよ。その時に──」


 藍莉の説明は中断された。


 背後に迫る男。とんでもない速度で壁を腕で削りながら武島と准、藍莉、奏海に迫る。


「なっ!」


「退けッ!武島ッ!──うわぁぁぁぁぁッ!」


 拳が作られた腕が武島と奏海の元へと薙ぎ払われようとした。


 二人を投げ飛ばすように教室側に押して、准は殴り飛ばされてしまい、一階の教室へと叩き飛ばされてしまい、鍵のしまった扉を壊して、教卓へと身体を打ち付けてしまう。


 脇腹辺りに大打撃を負った准は臓器を掻き乱され、血反吐と鼻血を流して床に倒れ込む。


「准!」


 藍莉が壊された教室出入口の扉を踏みつけながら、准の元へと駆け寄る。


 か細い息遣いと痙攣。腹部に滴る血が藍莉の衣服に付着していき、抉られた脇腹を視認してしまう。


「⋯⋯うぅ、桐江!」


「ちょっと!桐江が!」


 床に寝そべるようにして煙を浴びて、その一部始終を目撃していた二人は目を疑った。


 現実でも見る機会があまりにも無いその光景に嘔吐きそうになる奏海。


 遠巻きに見ていた浩太郎と逸花は蒼白とした表情で座り込んでおり、何も言葉を発する事はなかった。


「准!准!⋯⋯嘘でしょ⋯⋯。どうしたら、どうしよう」


 途絶え始める意識。薄れる視界。藍莉の声は徐々に遠くなっていき、瞼を閉じた。


「そんな⋯⋯。嘘でしょッ!」


 慟哭の叫びは横たわる身体を抱き締めながらも響き渡る。


 涙に濡れる目元は血で濡れる事を厭わない。


 たとえ、背後に男が居ても。


「⋯⋯我ガ宿願ノ栄誉トナレ。塵芥⋯⋯」


「逃げろ!藍莉!逃げろォ!逃げろォォォ!」


 颯悟の叫び声は藍莉には届いている。


「⋯⋯⋯⋯」


 それを無視して、背後を見る事なく、終わろうとする。


「散レ。我ノ求メルは命ノ袋。ソレ以外ハ求メヌ」


「嘘吐き」


「⋯⋯⋯⋯」


 少女の声が聞こえた。


 男の背後。颯悟と奏海の真横に居る黒のワンピースを着衣している小さな女の子。


「⋯⋯嘘トハ何ダ?」


 歩き出した少女は毅然と見上げる。


 その様子に男はその微かな違いに気付いた。


(何時モト、目付キガ違ウ⋯⋯。気付カレタカ⋯⋯)


 男の存在定義は少女存在あってこそ。


『現象』とは結局の所、結果の切り貼りであり、破却も肯定も発動した者次第。


 恐れていた事が起こり始めると男は眉間に皺を寄せて、少女の方へと振り返る。


「サナの手脚⋯⋯どうして切ったの。何に使ったの?」


「⋯⋯子供ニハ話セヌ事。去ネ。」


 言える訳が無い。『欲情して切りました』と、大の大人だった者が言えればどうかしている。


 男は高密かつ繊細に産まれた存在。故に行動理念やその思考の偏りはあっても、生前と変わらぬ倫理観と衛生観念等を持つ。


「⋯⋯嘘吐き。サナは嘘吐きは嫌い⋯⋯。先生。どうしてサナの手脚を切ったの?」


「⋯⋯⋯⋯必要ダッタカラダ。宿願、悲願、渇望、ソノ為タメノ試練トシテ必要ダッタノダ⋯⋯」


「ほんと?」


 目から血が流れる少女。男が教えた、人を恐れさせる方法。


 たこ焼きを回す要領で目玉をアイスピックでほじくられた経験をした少女。


 故に出来てしまう身体機能。


「⋯⋯本当ダ」


「嘘。サナ知ってるよ。サナから取った手に口を当ててるのも。脚を抱き締めてるのも。先生⋯⋯嘘吐きはダメだよ?」


 男は憤慨した。よもや見られているとは思っていなかったのだ。


 あの時の男は車に乗って、その行動を取っていたが、死んですぐに『幽霊』となった少女は公園で全て見てる。


 車を運転して立ち去るまでの五分間全ての挙動を凝視していた。


 そんな事とは知らず、死後に暴露された秘密の行動。


「ッッ!フゥゥゥン!!!!」


 少女の身体をくの字にする勢いで上半身目掛けて叩き込まれた一撃は少女を壁に衝突させて、項垂れさせた。


 颯悟、奏海、逸花、浩太郎は見えていない。


 けれど何かが壁に衝突した音とその壁に凹みが生まれた事は確かに目撃しており、唖然としており、言葉にならないのだ。


「うぅ⋯⋯。先生。サナが先生を呼んじゃったんだよね?なら、サナを殺したら、先生死んじゃうんじゃない?」


「⋯⋯」


 男は黙った。ほくそ笑むのを耐えて、代わりに睨む。


 男は気付いたのだ。自身の消滅する方法を少女が知らない事を。


 男の消滅する方法は、少女の『先生』という存在の畏怖感と恐怖心の払拭。


 そして、少女自身の『幽霊』たる根幹に関わる、存在の認知が必要となる。


 姿形が見えているだけでは決して駄目なのだ。


 人として産まれた過去を持つならば、それ相応の『存在なまえ』が必要となる。


「先生。サナを殺すの?前みたいに⋯⋯殺すの?」


「⋯⋯オマエハ本当ニ出来ノ悪イ生徒ダッタ。今回モソウダ。オマエハ本当ニ──」


「違います!」


 息を荒らげて、廊下から走って来たのは後を追いかけた椎奈であった。


 驚いた様子で、よろめく身体を立ち上がらせようとする少女を急いで抱き留めて、支える。


「っ!⋯⋯お姉さん⋯⋯どうして?」


「何言ってるの?当たり前だよ。⋯⋯私、やっぱり捨て切れないから⋯⋯。サナちゃんの事」


「⋯⋯⋯⋯」


 目元が震える少女を優しく抱き締めて、頭を撫でた。


 そして、そっと男へと視線を向ける。


 殺意が籠った瞳。恐らく、彼女自身も生涯で一度か二度あるかないか程度の真っ直ぐ凍てつく視線を男に浴びせた。


「この子は出来が悪くなんかない。普通の何処にでも居る子供だったんです。それを⋯⋯」


 身長差、体格差、膂力といい劣るところは多くある椎奈。


 けれど、少女を思う気持ちだけは負けていない。


 迷わず向き合おうとしている彼女は無敵である。


 屈辱にも似た感情が込み上げてくる中、男は抱えられている少女が死なぬように目の前にいる砂利をどう殺そうか模索している背後で、藍莉は呟いた。


「⋯⋯コレを」


 投げられたのは鏃。空間に亀裂すら起こしたそれは男の横を素通り、彼女と少女の手元にまで転がって行った。


「コレは⋯⋯。鏃?どうして⋯⋯」


「この子の名前を言って突き刺せば済むわ」


 言うべき言葉を終えた藍莉は死に体の准の元へと戻る。それ以外にする事が無くなったように、当たり前のように。


 その鏃は一見変哲もない普通の物であった。


 だが、男にも懸念点がある。


 それは、影に集めた遺体が突如放出された理由である。


 校舎全体に張り巡らせたそれは万全であり、決して悟られず、自身達から呼ばない限りは立ち寄れない『異界』にも等しい空間であった。


 だが、なにかの工作や策略も無く、忽然と破られて遺体は放出されてしまって、男もその理由を模索していた。


 初めは颯悟を疑った。次に奏海、藍莉。


 けれど違うとすぐに分かってしまう。何も出来なさすぎると。


 誰も、侵入者の皆はその秀でた何かがあるようには見えなかった。


 そう、その鏃を見るまでは。


「ナニ?!ソレハ、ソノ光ハッ!」


 男の視界からはその鏃に詰まっている金の光が見えてしまう。


 少女からも見えるように、殺人鬼からも見えるように、普通とは違う存在ならば、誰もが視認できるそれを男は恐怖し、身を後退させた。


「ヤメロォォォォォ!!考エ直セ!オマエハ我達ノ道具ニシテ宿願ノ一途。ココデ我ヲ棄テル必要性ガアルカァァッ?!ココデオ前ガ死ネバ⋯⋯アァ、アァ⋯⋯キエル。何故、『現象』ガ⋯⋯ドウイウ事ダァァァ?!マダ、刺シテモイナイ筈ダァァッ!!」


 慌てふためく男は自身から漏れ出る光の粒に困惑し、少女を見る。


 鏃を見た少女は確信してしまう。これで良いと。


 少女は鏃を手に持ち首に突き刺そうとするも、それを椎奈は止める。


 優しい瞳が『それは駄目だ』と訴え掛けているように見えた椎奈。


 俯き、ゆっくりとその手を離そうとするも、抗うように小さな手の甲は握られたまま。


 一方、見えない颯悟達からすれば訳が分からないのだ。


「どういう事だ?⋯⋯」


 そんな言葉も出てしまうのも無理が無い。


『現象』が見えても根幹の『幽霊』が見えなければ話が読み解けないのだ。


「サナちゃんの起こした『現象』だからよ。だから、サナちゃんが克服したらそれで済む話⋯⋯そうなのよね?」


 背後に居る准を見る。


 ゆっくりと頷く少年は死に体寸前。


 藍莉が抱き締めていた間に近くなった距離のおかげで、か細い声でも会話が成立し、准のポッケにしまわれた鏃の使い方を教えた後、藍莉がそれを実行させる。


 たったこれだけの事だ。


 寄り添うように、手を握り、准の方を見る藍莉。


 落ち着いたように、精一杯に抱き締める。


 一方、男は違う。自身の消滅という危機、殺人鬼が居ないという謎の事態。


 そして、少女の死への受け入れを否定するように前へと飛び出そうとする。


「ヤメロォォォォォォォォォッ〜〜」


 けれど、光の粒は臨界に達して、脚を完全に砕け散らせて、男はうつ伏せで倒れ込む。


「オォオオオオォォォォォッッッ〜〜〜〜〜!!」


 痛ましい咆哮は誰の耳にも届かない。


 藍莉と准は聞いておらず、見てもいない。


 残りの人物達は、椎奈を見ていた。


 小さな光が椎奈の周りに集まり、輪郭を作っていっており、目の色、髪色、服の色、肌の色が分からなくても、そこに確かに居るのだと、誰の目から見ても分かるのだ。


 颯悟は唖然とした。奏海はその颯悟の傍で驚いた様子で肩を叩く。


 逸花は慌てふためいて、腕の痛みにまた悶えて、その様子を眺めて呆れつつも、溢れる光を優しく見つめる浩太郎。


 椎奈は泣きそうになるも、耐えるように、唇を噛んでいた。


 少女の片腕が椎奈の頬に触れた。


「サナの。⋯⋯サナの名前は。⋯⋯未環みたまき紗奈恵さなえです」


「未環⋯⋯紗奈恵ちゃん⋯⋯」


「はい。お姉さん⋯⋯」


存在なまえ』は確立した。


『幽霊少女』こと未環紗奈恵は誰かに、本当の名前を覚えて貰う事と同時にありのままの笑顔を残して、光は消滅する。

異常性癖持ちではないと信じたい紫芋です。


この作品に限って言えば、奇跡の類いは一切合切ありません。何かしらの因果関係でそうなっています。


起こせるのは朝倉のクソガキぐらいのものです。


奴は有り得ないぐらいのチート持ちなので基本助力役で留めてます。出したら、本作に出てくる問題の根幹は三秒で終わります。


それが垣間見るシーンは別で出しますが、まだ先です。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ