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春の避暑地で  作者: 朝山 みどり


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16/50

16 王太子を招いた園遊会


避暑地がにぎわい始めていた。


王室から王太子殿下が避暑にいらっしゃるのに合わせて、園遊会が開かれることになった。貴族制は廃止されたけれど、王室への敬意は今も変わらない。だからこの園遊会も、以前と同じように華やかで、けれどどこか新しい空気をまとっていた。


わたしは部屋で、二着のドレスを前に立っていた。


ひとつは王都であつらえた新しいドレス。もうひとつは、ガーベラ伯母様が大切にしまっていた、おばあさまのドレス。


そっと古い布に触れる。


やわらかな手ざわり。形は少し昔のものなのだろう。でも、不思議と心が落ち着く。派手ではないのに、きちんと美しい。――こういう服が好きだ、と改めて思った。


そこへマーガレットがやって来た。


「ミネルバ、まだ迷っていたんですか?」


「ええ。どちらにしようかと思って」


マーガレットは二着を見比べ、迷いなくおばあさまのドレスを指さした。


「わたしはこっちが好きです。とても似合うと思います」


そのまっすぐな言い方に、思わず笑みがこぼれる。


「そうよね。わたしもこちらが好きなの」


そうして、おばあさまのドレスを選んだ。


着替えて姿見の前に立つと、胸が少し高鳴った。いつもの自分とは違う。けれど無理をしている感じはない。むしろ、ようやく自分に合うものを選べたような気がした。


部屋を出ると、アレクサンダー様がこちらを見た。


目を見開き、しばらくじっと見つめてから――


「綺麗だ」


あまりにも自然に言われたので、言葉が出なかった。


「……ありがとうございます」


それだけで精いっぱいだったのに、彼はそれ以上何も言わず、ただ穏やかに笑った。その笑みが、余計に顔を熱くさせた。


ローハン様は王都と避暑地を忙しく往復していて、今日はここにいらっしゃる。マーガレットを腕にぶら下げ、嬉しそうに歩いていた。ローハン夫人は知り合いに連れられてどこかへ行った。


園遊会の会場は湖の見える公園だった。白いテントが並び、日傘の花があちこちに咲いている。けれど今日は風がやわらかく、夏の日差しもどこか心地よかった。


ガーベラ伯母様の知り合いのご婦人がやって来た。


「あら、ミネルバ。それ、とても素敵よ。あなたによく似合っているわ。ガーベラのお母様を思い出す。あの方は本当の貴婦人だったわね。ミネルバもそうよ」


思わず目を瞬く。


似合うと言われることにまだ慣れない。まして、おばあさまを思い出すなんて。


「ありがとうございます」


胸の奥がじんわりとあたたかくなる。


やがて王太子ご夫妻が到着なさり、会場の空気がすっと引き締まった。わたしたちは昔ながらの礼をした。まわりには軽く頭を下げるだけの人も多い。時代が変わったのだと、こういう場でも感じる。


そのあと、アレクのお友達に声をかけられ、話の輪に入った。


「仕事、仕事って言ってると思ったら、こんな美人と婚約するとは」


「そうだぞ。わたしなんか毎日、役所で書類と格闘してるんだ」


「本当だ。さっさと貴族をやめるとはな。先を見すぎだろう」


皆さん気さくに笑っていて、わたしは少し緊張しながらも微笑んだ。アレクも苦笑している。


そのときだった。


「お姉様」

「ミネルバ」


その声を聞いた瞬間、背中がこわばった。


振り向くと、両親とフローラがいた。


楽しかった空気が、ひゅっと冷える。


フローラはわたしを見るなり、目を丸くして言った。


「あら、お姉様、どうなさったの? そんなのを着て。そんな色、どうせ似合いませんわ。いつもお母様がおっしゃっているでしょ。地味な人は地味な服を着るものだって」


母も眉をひそめる。


「ミネルバ、そんな服はみっともないわ。やめなさい」


父は不機嫌そうに言った。


「妹の婚約を祝う気はないのか?」


昔なら、すぐにうつむいていたと思う。胸が縮んで、恥ずかしくて、申し訳ないような気持ちになっていたはずだ。


でも今は違う。


胸は痛んだ。けれど、それ以上に思った。


――どうして、こんな場所でまで同じことを言うの。


言葉が出ないでいると、アレクのお友達がぽかんとした顔でつぶやいた。


「強烈な人たちですね」


あまりに率直で、かえって少し救われる。


フローラは気づかないまま続けた。


「お姉様。婚約式の招待状が必要なんです。戻ってきて書いてください。いつまで拗ねているんですか?」


拗ねている。


その言葉に、胸の中で何かが静かに冷えた。


わたしが家を出たのは、拗ねたからではない。傷ついて、居場所がなくて、それでもどうにか息をしようとして離れたのだ。それを、この子は本当にわかっていないのだろうか。あるいは、最初から考えたこともないのだろうか。


すると、アレクのお友達がぽつりと言った。


「あの、きれいな字はたしかにもらうと嬉しいな」


悪気のない言葉だった。けれど、そのひと言で余計にはっきりしてしまう。


――わたしはあの家で、便利な手として扱われていたのだ。


姉として。娘として。家族としてではなく。


そのとき、落ち着いた声が聞こえた。


「やぁ、揃っているね」


フォード伯父様だった。


続いてガーベラ伯母様もいらっしゃる。


「相変わらずね」


伯母様はそうおっしゃって、静かにわたしたちの間に立ってくださった。


その姿を見た瞬間、ほっとした。情けないくらいに、肩から力が抜ける。


――わたしはもう、ひとりで立っているわけではない。


そう思えた。


父は伯父様に何か言いかけたが、伯母様の目は冷たく、少しも揺らがなかった。


伯母様はわたしのドレスを見て、にっこりなさった。


「とてもよく似合っているわ、ミネルバ」


そのひと言で、胸の奥に溜まっていたものがほどけていく。


母に似合わないと言われても。

フローラに笑われても。

父に責められても。


わたしは知っている。


この服は、わたしに似合っている。

この場にいていい。

わたしは恥ずかしい存在なんかじゃない。


アレクがそっとこちらを見た。何も言わない。でも、その視線はやさしかった。


わたしは小さく息を吸い、背筋を伸ばした。


昔のわたしなら、家族の言葉だけが世界のすべてだった。


けれど、今は違う。


わたしには、わたしを見てくれる人がいる。

わたしの言葉を聞いてくれる人がいる。

わたしを地味だと決めつけず、そのままでいいと言ってくれる人たちがいる。


それだけで、世界はこんなにも違って見える。


園遊会のざわめきの中で、静かに思った。


――もう、戻らない。


あの家の、息苦しいだけの娘には。


わたしはわたしとして、この先を生きていくのだ。


◇◆◇◆◇



――綺麗だった。


言葉より先に、胸の奥が静かに震えた。

派手さではなく、彼女らしい落ち着きと気品があった。

それは、誰かに着せられた服ではなく、彼女自身が選んだ服だった。


そのことが、何より嬉しかった。


彼女が自分の意思で選んだものを身にまとっている。

その姿が、ようやく自分の場所を見つけた人のように見えた。


だから、自然に言葉がこぼれた。


「綺麗だ」


驚いたように目を瞬くミネルバを見て、胸が温かくなる。

彼女はまだ、自分の価値を疑う癖が抜けない。

けれど、少しずつ変わってきているのを、アレクは誰よりも近くで見ていた。


その後、彼女の家族が現れたとき、空気が一瞬で変わった。


ミネルバの肩がわずかにこわばる。

その小さな変化を、アレクは見逃さない。


彼女の家族の言葉は、刺すように冷たかった。

まるで、彼女の存在を最初から否定するために選ばれた言葉のようだった。


怒りが喉元までせり上がる。

けれど、彼は表に出さない。

ミネルバが望むのは、誰かが怒鳴り返すことではないと知っているからだ。


彼女が自分で立とうとしているのを、邪魔したくなかった。


ただ、彼女のそばに立ち、必要ならば手を差し出す。

それだけでいい。


伯母のガーベラが間に入ったとき、ミネルバの肩から力が抜けるのが見えた。

その瞬間、アレクは静かに息を吐いた。


――よかった。


彼女はもう、ひとりではない。

そして、これからもひとりにはさせない。


ミネルバが背筋を伸ばしたとき、アレクはその横顔を見つめた。


強くなった。

けれど、強くなろうとするたびに痛みを呑み込んできたことも知っている。


だからこそ、彼は思う。


――この人の未来に、寄り添いたい。


言葉にはしない。

今はまだ、言うべき時ではない。


ただ、彼女が前を向くその隣に、静かに立ち続けるだけだった。



いつも読んでいただきありがとうございます!


誤字、脱字を教えていただくのもありがとうございます。

とても助かっております。

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