16 王太子を招いた園遊会
避暑地がにぎわい始めていた。
王室から王太子殿下が避暑にいらっしゃるのに合わせて、園遊会が開かれることになった。貴族制は廃止されたけれど、王室への敬意は今も変わらない。だからこの園遊会も、以前と同じように華やかで、けれどどこか新しい空気をまとっていた。
わたしは部屋で、二着のドレスを前に立っていた。
ひとつは王都であつらえた新しいドレス。もうひとつは、ガーベラ伯母様が大切にしまっていた、おばあさまのドレス。
そっと古い布に触れる。
やわらかな手ざわり。形は少し昔のものなのだろう。でも、不思議と心が落ち着く。派手ではないのに、きちんと美しい。――こういう服が好きだ、と改めて思った。
そこへマーガレットがやって来た。
「ミネルバ、まだ迷っていたんですか?」
「ええ。どちらにしようかと思って」
マーガレットは二着を見比べ、迷いなくおばあさまのドレスを指さした。
「わたしはこっちが好きです。とても似合うと思います」
そのまっすぐな言い方に、思わず笑みがこぼれる。
「そうよね。わたしもこちらが好きなの」
そうして、おばあさまのドレスを選んだ。
着替えて姿見の前に立つと、胸が少し高鳴った。いつもの自分とは違う。けれど無理をしている感じはない。むしろ、ようやく自分に合うものを選べたような気がした。
部屋を出ると、アレクサンダー様がこちらを見た。
目を見開き、しばらくじっと見つめてから――
「綺麗だ」
あまりにも自然に言われたので、言葉が出なかった。
「……ありがとうございます」
それだけで精いっぱいだったのに、彼はそれ以上何も言わず、ただ穏やかに笑った。その笑みが、余計に顔を熱くさせた。
ローハン様は王都と避暑地を忙しく往復していて、今日はここにいらっしゃる。マーガレットを腕にぶら下げ、嬉しそうに歩いていた。ローハン夫人は知り合いに連れられてどこかへ行った。
園遊会の会場は湖の見える公園だった。白いテントが並び、日傘の花があちこちに咲いている。けれど今日は風がやわらかく、夏の日差しもどこか心地よかった。
ガーベラ伯母様の知り合いのご婦人がやって来た。
「あら、ミネルバ。それ、とても素敵よ。あなたによく似合っているわ。ガーベラのお母様を思い出す。あの方は本当の貴婦人だったわね。ミネルバもそうよ」
思わず目を瞬く。
似合うと言われることにまだ慣れない。まして、おばあさまを思い出すなんて。
「ありがとうございます」
胸の奥がじんわりとあたたかくなる。
やがて王太子ご夫妻が到着なさり、会場の空気がすっと引き締まった。わたしたちは昔ながらの礼をした。まわりには軽く頭を下げるだけの人も多い。時代が変わったのだと、こういう場でも感じる。
そのあと、アレクのお友達に声をかけられ、話の輪に入った。
「仕事、仕事って言ってると思ったら、こんな美人と婚約するとは」
「そうだぞ。わたしなんか毎日、役所で書類と格闘してるんだ」
「本当だ。さっさと貴族をやめるとはな。先を見すぎだろう」
皆さん気さくに笑っていて、わたしは少し緊張しながらも微笑んだ。アレクも苦笑している。
そのときだった。
「お姉様」
「ミネルバ」
その声を聞いた瞬間、背中がこわばった。
振り向くと、両親とフローラがいた。
楽しかった空気が、ひゅっと冷える。
フローラはわたしを見るなり、目を丸くして言った。
「あら、お姉様、どうなさったの? そんなのを着て。そんな色、どうせ似合いませんわ。いつもお母様がおっしゃっているでしょ。地味な人は地味な服を着るものだって」
母も眉をひそめる。
「ミネルバ、そんな服はみっともないわ。やめなさい」
父は不機嫌そうに言った。
「妹の婚約を祝う気はないのか?」
昔なら、すぐにうつむいていたと思う。胸が縮んで、恥ずかしくて、申し訳ないような気持ちになっていたはずだ。
でも今は違う。
胸は痛んだ。けれど、それ以上に思った。
――どうして、こんな場所でまで同じことを言うの。
言葉が出ないでいると、アレクのお友達がぽかんとした顔でつぶやいた。
「強烈な人たちですね」
あまりに率直で、かえって少し救われる。
フローラは気づかないまま続けた。
「お姉様。婚約式の招待状が必要なんです。戻ってきて書いてください。いつまで拗ねているんですか?」
拗ねている。
その言葉に、胸の中で何かが静かに冷えた。
わたしが家を出たのは、拗ねたからではない。傷ついて、居場所がなくて、それでもどうにか息をしようとして離れたのだ。それを、この子は本当にわかっていないのだろうか。あるいは、最初から考えたこともないのだろうか。
すると、アレクのお友達がぽつりと言った。
「あの、きれいな字はたしかにもらうと嬉しいな」
悪気のない言葉だった。けれど、そのひと言で余計にはっきりしてしまう。
――わたしはあの家で、便利な手として扱われていたのだ。
姉として。娘として。家族としてではなく。
そのとき、落ち着いた声が聞こえた。
「やぁ、揃っているね」
フォード伯父様だった。
続いてガーベラ伯母様もいらっしゃる。
「相変わらずね」
伯母様はそうおっしゃって、静かにわたしたちの間に立ってくださった。
その姿を見た瞬間、ほっとした。情けないくらいに、肩から力が抜ける。
――わたしはもう、ひとりで立っているわけではない。
そう思えた。
父は伯父様に何か言いかけたが、伯母様の目は冷たく、少しも揺らがなかった。
伯母様はわたしのドレスを見て、にっこりなさった。
「とてもよく似合っているわ、ミネルバ」
そのひと言で、胸の奥に溜まっていたものがほどけていく。
母に似合わないと言われても。
フローラに笑われても。
父に責められても。
わたしは知っている。
この服は、わたしに似合っている。
この場にいていい。
わたしは恥ずかしい存在なんかじゃない。
アレクがそっとこちらを見た。何も言わない。でも、その視線はやさしかった。
わたしは小さく息を吸い、背筋を伸ばした。
昔のわたしなら、家族の言葉だけが世界のすべてだった。
けれど、今は違う。
わたしには、わたしを見てくれる人がいる。
わたしの言葉を聞いてくれる人がいる。
わたしを地味だと決めつけず、そのままでいいと言ってくれる人たちがいる。
それだけで、世界はこんなにも違って見える。
園遊会のざわめきの中で、静かに思った。
――もう、戻らない。
あの家の、息苦しいだけの娘には。
わたしはわたしとして、この先を生きていくのだ。
◇◆◇◆◇
――綺麗だった。
言葉より先に、胸の奥が静かに震えた。
派手さではなく、彼女らしい落ち着きと気品があった。
それは、誰かに着せられた服ではなく、彼女自身が選んだ服だった。
そのことが、何より嬉しかった。
彼女が自分の意思で選んだものを身にまとっている。
その姿が、ようやく自分の場所を見つけた人のように見えた。
だから、自然に言葉がこぼれた。
「綺麗だ」
驚いたように目を瞬くミネルバを見て、胸が温かくなる。
彼女はまだ、自分の価値を疑う癖が抜けない。
けれど、少しずつ変わってきているのを、アレクは誰よりも近くで見ていた。
その後、彼女の家族が現れたとき、空気が一瞬で変わった。
ミネルバの肩がわずかにこわばる。
その小さな変化を、アレクは見逃さない。
彼女の家族の言葉は、刺すように冷たかった。
まるで、彼女の存在を最初から否定するために選ばれた言葉のようだった。
怒りが喉元までせり上がる。
けれど、彼は表に出さない。
ミネルバが望むのは、誰かが怒鳴り返すことではないと知っているからだ。
彼女が自分で立とうとしているのを、邪魔したくなかった。
ただ、彼女のそばに立ち、必要ならば手を差し出す。
それだけでいい。
伯母のガーベラが間に入ったとき、ミネルバの肩から力が抜けるのが見えた。
その瞬間、アレクは静かに息を吐いた。
――よかった。
彼女はもう、ひとりではない。
そして、これからもひとりにはさせない。
ミネルバが背筋を伸ばしたとき、アレクはその横顔を見つめた。
強くなった。
けれど、強くなろうとするたびに痛みを呑み込んできたことも知っている。
だからこそ、彼は思う。
――この人の未来に、寄り添いたい。
言葉にはしない。
今はまだ、言うべき時ではない。
ただ、彼女が前を向くその隣に、静かに立ち続けるだけだった。
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