13 誰がために
一二三は城壁の上に立ってその光景を見ていた。
現在ポリフェル城では籠城戦が行われている。相手の捕虜を捕らえ見せしめにする作戦の被害を最小限にするために、一二三自ら全軍に対して捕虜の救出を戒めていた。
しかし、やはりそれは苦しいものであった。
ビゼン軍が攻めてくれば防衛せざるを得ない。戦闘が起これば捕虜は必ず生まれる。少数の犠牲は確実に払われるのだ。精神は確実に削られていく。
………いいこともある。
薄い民に応援要請に行ったテルが、薄い民の村で血カビに対応できる医者を見つけて来たのだ。ドクタールファという暗い印象の男であったが、テルに頼まれてきたと言ったきり、病人への対応をし始めた。
一二三はビゼンの新たな作戦かと身構えていたが、それも血カビの症状が緩和していくに連れて杞憂に過ぎないとわかった。ドクタールファの患者に対するあまりにも真摯な対応が、真剣さの裏返しだと理解できたからだ。
理解できたと同時に一二三はテルに感謝した。
ドクタールファのおかげで殺伐としたポリフェル城の兵士たちに元気が戻ってきたからだ。ドクタールファが来てから2日後、寝坊をする兵士が多かった。兵士たちも緊張で眠れなかったのだろう。
一二三は兵士たちの顔に生気が戻って来たのを感じていた。テルが案内したドクタールファは、兵士たちに薬だけではなく笑顔も持って来たのだ。
いいことがあれば悪いこともある。
一二三の前ではいつもの処刑が行われようとしていた。
いつもと同じではないのはその処刑されようとしているのは、一二三の兄弟である点だった。
「今回もいつものように助けないのかしらね?」
ビゼンは城の城壁に、ここ最近は姿を見せなかった一二三が再び姿を見せているのを見て、今回の捕虜はいつもとは違うのを感じていた。
今回の捕虜は1人。
イワシ系の魚人であり、ひ弱な姿からは無害そうな印象しか与えない。おそらく一二三の家族か何かなのだろう。目の前で家族が殺される時、あの頭の良い参謀が救助に来るのか、それとも見捨てるのか。
(とても、とても楽しみね?)
感情の高ぶりを感じたビゼンは紅潮しつつある自分の頬に手を当てる。捕虜を捕まえた兵士に褒美を与えても良いくらいにビゼンは喜んでいたのだ。
一二三は、ビゼンの思惑通り内心穏やかではなかった。
だが一二三の心の中は決まっていた。一二三は囚われている兄弟の千を見る。
千は元々戦闘向けではなかった。どちらかというと後方に回って援護する方が性格的にも肉体的にも向いていたし、それを理解するぐらいの頭脳も持ち合わせていた。
防衛のとき持ち場から離れなければ助かったのだが、敵兵の一部が治療院へと向かい、それを妨害して捕まったらしい。
兄弟としては自分の身をかえりみない行動に怒鳴りたくもあるが、参謀としては正しい判断だったと賞賛せざるをえない。
そして捕虜となった以上、見殺しにする選択以外はありえない。
テルや一二三の兄弟だからと言って、特別扱いをして助けに入るわけにはいかない。
余市が懇願するように一二三に言い募る。
「一二三様、助けに行くわけにはいきませんか」
「なりません。
それをしては今まで見殺しにして来た兵に対して申し訳が立たない。逆に兵士が捕まったとき助けにいったのを許したとしても、私たちの兄弟が捕まった時は必ず見殺しにしなければなりません」
もしも身内びいきをしたならば、兵士たちは誰も命令を聞かなくなるだろう。軍隊を維持するには規律が必要であり、規律が守られなければ裏切るものも出て来るだろう。ゲールラ元将軍のように。
しかし、一二三はテルに恨まれることだろう。
テルは家族の死を許さない。家族や親しい者と認めたものが死ぬのは、テルにとっては耐えられないくらいに悲しいことだ。
テルは兵士たちの名前を覚えないようにしているのも、そこから来ていると一二三は考えている。名もない兵士なら死んでもテルはあまり悲しまなくて済む。戦争で戦えということもできる。親しくなってしまったらそれもできなくなる。
これからも戦いは続くが、兵士を戦わせることができなければタコスの軍は負ける。負ければより多くの仲間が死ぬ。だから、テルは兵士の名前を覚えない。
そんなテルが帰って来たとき千が死んだと知ったらとても悲しむことだろう。救助に向かわなかったと知ったら一二三を侮蔑するかもしれない。千を助けないことは必要なことだと割り切っているが、テルに嫌われることは少しだけ悲しい一二三であった。
千は体を縛られながら地面に座らされていた。
思い出してみればアーラウト海域での戦いからテルたちイワシ魚人は誰1人欠けることなく今日まで戦って来れた。千のような弱い魚人が今日まで生き残れたのは奇跡かもしれない。
その記録も今日で途絶えると思うと悲しいものがある。
しかもその記録を汚すのは自分なのだと思うと悲しいやら腹がたつやら。
しかし、悔いはない。
あの時、千が治療院を守らなければ治療院にいた多くの兵士たちが殺されていたかもしれないのだ。それどころかテルの家族であるフーカにも危害が及んでいたかもしれない。
血カビの進行が最も進んでいたフーカは明日をも知れぬ重症であった。傷口から繁殖した血カビによって背中の傷口は腐れ、腐った肉を餌にさらに傷口を広げていった。
背中の皮膚はそのほとんどが意味をなさなくなっており、外気に触れた筋肉や脂肪が痛みを伝えて、治療院のフーカの部屋からは常にくぐもった叫び声が聞こえて来ていた。
一部は背中から内臓にまで及びそうなものもあり、ドクタールファがくるのがあと半日でも遅れていたならば確実に死んでいたであろう。
治療院はそんな状況でとても戦えるものがいなかった。
彼らのために戦えたのならば悔いはない。千は毅然とした目で城壁の上に立っている一二三を見た。
(だから僕は大丈夫ですよ。一二三兄さん)
(すみません。あなたには死んでもらう以外、道はないのです)
イワシ魚人の元から持っている能力。共感能力で離れていても会話ができる2人は心の中で話す。千はすでに助けてもらえないという事実は伝わっている。その上で詫びてくる一二三に千は許していた。
千も軍隊の規律を守るのが大事だとわかっているからだった。
千の前にビゼンが歩いてくる。
それだけでポリフェル防衛軍が緊張するのがわかった。これから処刑が行われるのであろう。
その緊張感に包まれて楽しそうに微笑んでいるビゼンに、千のわずかな虚勢は簡単に吹き飛んでしまった。
千だって今まで処刑されて来た現場を見ている。いっそのことさっさと殺してくれた方が楽であろう。だがビゼンはそんなことはしない。
いたぶっていたぶって、いたぶり尽くしてから殺すのだ。
「ああ、こんなに楽しいのは久しぶりね? 最近は殺しても反応がなくてつまらなかったものね?」
「あ、ああ………」
歯の根が合わない千。ガチガチと口から歯がぶつかる音がして、それを聞いたビゼンが慈愛の微笑みをした。
「あらあら? 怖がらせてしまったかしら? 怖がらなくていいのよ?」
つつ、とビゼンが千のアゴを人差し指でなぞる。座っている千に合わせるように体をかがめると、口づけをするように顔を近づけて、そっと囁いた。
「だってみんな、最後は死ぬんですもの?」
間近でビゼンの金色の瞳が、興奮で横に裂けた。
「ああああぁぁぁぁーーーーー!!!!!」
その目を直視していた千は我慢ができなくて叫んだ。恐怖から逃れたくて暴れた手や足は固く縛られた拘束に簡単に抑えられてしまう。それでも暴れまわることはやめられない。
怖さが体を駆け巡る。死が多くの苦しみと痛みの後ろでニヤニヤと順番待ちをしているのが見えたような気がした。
だけど
「寂しがることはないわ? 家族みんな、すぐに後から来るのだから?」
ビゼンのその言葉を、千は聞き流しはしなかった。
「………そんなことない」
「あら?」
いまだに体の震えは消える気配がない。震えていて声が出なかったのか、喋るとは思っていなかったのかビゼンは聞こえなかったようだ。
だから千はもう一回言ってやった。
「そ、そんなことはにい。に、兄さんたちはお前にゃんかに負けない」
噛み噛みであったが、千はなんとか言葉に出した。
笑顔であったビゼンの顔から笑みが消える。扇子で口元を隠すとビゼンは興味深そうに千を見た。
だから千は言葉を重ねた。
「ぼ、僕が死んでもて、テル兄さんや一二三兄さんがきっとお前を倒してくれるって信じてる」
ビゼンはそんな千の言葉を受け止めて、目をつぶってからしばらく考えて、再び笑顔を千に向けた。
「取るに足らないものだと思っていたけれど、思っていたよりも楽しませてくれそうね?」
扇子を閉じるとビゼンの妖しい唇が、赤い三日月のように弧を描いていた。
「素敵よ?」
その言葉で千の体が動かなくなる。今度は恐怖ではない。体がピリピリと痺れているのだ。動きたくても動けない。意思の力ではどうにもならないのだ。
明らかに何かされたようなのだが、何をされたのか全くわからない。
「あ、ぎ……」
混濁した意識の中で千は死を悟った。このまま動けないまま喋れないまま、死んでいくのだろう。それは怖くもあるし悲しくもあるのだが、千には何も感じなかった。
「げ?」
何にも感じなかったからこそ、その違和感に気づくことができた。
心の内側に大きな大きな感情が流れているのを。あまりにも巨大すぎてそれがなんなのかわからなかったくらいである。
それはマグマのようにドロっとしており、赤く熱い激情であった。
あまりの激しさにその感情がどういった類のものであるのかがわからないほどであった。
どうせ体は何も感じられないのだ。ならば、と千は自分の心の奥底にある感情を探って見た。
ビゼンは千が動かなくなったのを確認して拷問のための道具を取りに離れている。思考する時間は十分にあった。
熱く激しいうねりの中をかき分けて解きほぐして、それでも解きほぐせないあまりの量に千はあっけにとられた。解きほぐした感情の中には焦りや心配も多く含まれており、自分の中にあるそれらの感情に千は困惑していた。
時間をかけてそれらの感情の元を探していると、不意に言葉が聞こえて来た。
(安心しろ、千)
その優しい言葉は千の心の中に染み渡っていった。それと同時にこの激しい感情が自分のものではないことがわかった。
共感能力。
イワシ魚人が生まれた時から持っている能力であり、仲間の意思や位置がわかるという能力である。これによりイワシの群れは高速で泳いでいても一糸乱れぬ動きができるのだ。そのためかどうかは知らないが強い感情をイワシ魚人は持たない。仲間に強い感情をぶつけると雑音のようにうるさいことを互いに話すうちに理解するからだ。
仲間に起こったことを自分のことのように共感できるイワシ魚人は感情が低く育つことになる。
そう、1人を除いて。
「必ず助けるからな」
いつのまにか千の目の前に、テルはいた。
この年長者はイワシの共感能力の受信部分が壊れていた。だから魚の時から自分の考えが誰かに聞かれているとは思わずに強い感情を持っていた。
そんな日々を過ごすうちにテルは、ほかのイワシ魚人が比較にならないほどに強い感情を持つようになっていたのであった。
「兄さん……!!」
そんなテルに多くの兄弟が惹かれている。自分達の持っていないものを持つテルに。
千の心の中でうねっていたのはテルの怒りであった。激しい感情は伝播していき、兄弟達に伝わっていく。そして理解するのだ。
反撃の時はきたのだと。




