怪しい人はやっぱり怪しいのです。
黒い結晶が脈打つたび、空気そのものが歪むような感覚が広間を満たしていく。
床に刻まれた魔法陣が淡く光り、魔力の流れが音を立てて循環し始めた。
「……来るぞ!」
シルヴィオが叫ぶと同時に、天井付近の亀裂から黒い靄のようなものが溢れ出した。
靄は地面に落ちると形を取り、獣の姿へと変わっていく。
「また魔獣かよ……!」
レオンハルトが舌打ちし、拳に闘気を纏わせた。
「数が多い、分断されるな!」
シルヴィオが前に出て盾役となり、最初に突っ込んできた魔獣を剣で弾き飛ばす。
レオンハルトは側面から回り込み、豪快な一撃で二体まとめて叩き潰した。
凛は夜の帳の下で魔力の流れを見つめる。
(本体はあの結晶……でも、直接壊せば何が起きるか分からない)
黒い結晶から伸びる無数の魔力の糸。
それらは魔法陣、装置、そして生成された魔獣へと繋がっている。
(なら……糸を、断つ)
凛は静かに魔力を練り上げ、指先に集めた。
「アルヴィス、結晶の周囲、守って」
『了解です、主様!』
アルヴィスは雷を纏い、結晶の前に立ちはだかる魔獣を次々と焼き払っていく。
凛は一本の魔力の糸を狙い、細く鋭い魔法を放った。
糸が切れると同時に、それに繋がっていた魔獣が形を崩し、黒い霧へと還る。
「……やっぱり」
凛は次々と糸を断っていく。
それに気づいたフードの男が眉をひそめた。
「ほう……やはり、見えているか」
「あなたの仕組み、そんなに複雑じゃない」
「……それは、君が“異物”だからだよ」
男は手を振り、結晶に魔力を流し込む。
結晶が一段と強く輝き、新たな糸が伸びようとする。
「これ以上増やさせない!」
凛は一気に複数の糸を切断した。
広間のあちこちで、生成途中だった魔獣が崩れ落ちていく。
「チッ……面白い」
男は舌打ちしながらも、どこか楽しそうだった。
「だが、結晶そのものをどうする? 壊せば、溜め込んだ魔力が暴走するぞ」
「……それでも、放置は出来ない」
凛は結晶を見据えた。
「暴走させずに、止める方法がある」
「ほう?」
「魔力の“流れ”を、全部、私に繋ぐ」
レオンハルトが目を剥く。
「正気か!? そんな量、受け止めたら――」
「大丈夫。……たぶん」
「“たぶん”じゃねぇだろ!」
だが凛はすでに、結晶に向かって手を伸ばしていた。
夜の帳の下で、黒い魔力と白い魔力が絡み合う。
「管理者の加護……流量制御、最大」
凛の身体を通じて、結晶の魔力が一気に流れ込んでくる。
視界が白く染まり、耳鳴りが走る。
「くっ……!」
全身に激痛が走る。
だが、それは“生命力を削る痛み”ではなく、あの安全装置の痛みだった。
(まだ……耐えられる……!)
魔力の流れが、凛を経由して空へ、地へ、自然の循環へと放出されていく。
結晶の輝きは徐々に弱まり、魔法陣の光も消え始めた。
「……馬鹿な」
男が初めて、明確に動揺の色を見せる。
「管理者ですら、そこまで直接干渉は――」
「私は、管理者じゃない」
凛は歯を食いしばりながら言った。
「ただの……巻き込まれただけの人間です」
最後の魔力が抜けると同時に、黒い結晶はひび割れ、静かに崩れ落ちた。
広間に、重い沈黙が落ちる。
魔獣は全て消え、装置も沈黙していた。
「……終わった?」
レオンハルトが周囲を見回す。
シルヴィオは凛に駆け寄る。
「凛、大丈夫か!」
「……ちょっと、立てないだけです」
そう言って、凛はその場に座り込んだ。
全身が鉛のように重い。
アルヴィスがすぐに駆け寄り、凛の頬に鼻先を押し当てる。
『無茶です……主様……』
「ごめん……でも、これが一番、被害が出ない方法だった」
フードの男は、崩れた結晶を呆然と見つめていた。
「……実に、興味深い。
やはり君は、この世界の“修正点”だ」
男は凛を見て、薄く笑う。
「今回は引こう。だが、君の存在は、必ず別の“観測者”の目にも留まる」
「……逃がすと思いますか」
シルヴィオが剣を構える。
だが次の瞬間、男の身体は黒い霧に包まれ、形を失った。
「転移……か」
「指輪と似た仕組みかも」
凛は小さく呟いた。
静寂が戻った遺跡の中で、三人と一匹はしばらく言葉を失っていた。
「……とりあえず、外に出よう」
レオンハルトが言う。
「このままここにいたら、今度こそ何が起きるか分からん」
シルヴィオが凛を背負い、ゆっくりと遺跡を後にした。
外に出ると、霧は晴れ、湿地帯の空に夕日が差し込んでいた。
「……終わったんだよな」
「少なくとも、今回の異常は」
凛は夕焼けを見つめながら、小さく息を吐く。
だが胸の奥には、あの男の言葉が引っかかっていた。
――“観測者”。
――“修正点”。
(……まだ、終わってない)
それでも今は、ただ、この世界で生きている仲間たちと、
今日を無事に越えられたことを、静かに噛み締めていた。
湿地帯を抜け、夕暮れの空が群青に染まり始めたころ、一行はようやく安全そうな場所まで戻ってきていた。
シルヴィオは凛を下ろし、近くの岩に腰を下ろさせる。
「無茶をするにも限度がある」
「……ごもっともです」
口ではそう答えながらも、凛はまだ少しぼんやりしていた。
魔力の循環は正常に戻っているはずなのに、頭の奥がじんわりと重い。
アルヴィスは人型のまま、凛の隣にぴたりと張り付いている。
尻尾はゆらゆらと落ち着きなく揺れ、耳は凛の小さな呼吸音を逃さないようにぴんと立っていた。
『主様、少しでも異変があればすぐ言ってください』
「大丈夫。たぶん……今は」
「“たぶん”が多すぎだろ」
レオンハルトが腕を組んで呆れたように言う。
「お前、身体が壊れてからじゃ遅ぇんだぞ」
「……壊れても、直せる人がいるかもしれませんし」
「軽く言うな!」
だが怒鳴りながらも、レオンハルトの視線はどこか安堵していた。
シルヴィオは少し離れた場所で、周囲の警戒をしながら考え込んでいた。
あの男の言葉が、どうしても引っかかっていたのだ。
「……観測者、か」
「シルヴィオさんも気になってます?」
「当然だ。あんな言い方をする人間は、普通じゃない」
凛は岩に背を預けながら、空を見上げる。
「たぶん……私みたいなのが、他にもいるんだと思います」
「他にも?」
「この世界の“外”から来た人。
管理者に拾われたか、事故で落ちたか……理由は色々でも」
レオンハルトが眉をひそめる。
「……つまり、お前みたいな規格外が、まだいるかもしれねぇってことか」
「はい。
で、その人たちを観察したり、利用したりしてるのが……ああいう人たちなのかも」
アルヴィスの尻尾が、ぴたりと止まった。
『……主様、その話は、あまり人前でしない方がよろしいかと』
「うん、わかってる」
だからこそ、ここにいる三人と一匹にしか、話していない。
しばらく沈黙が続いたあと、レオンハルトが口を開いた。
「……ま、難しい話はよく分からんがよ。
少なくとも、さっきの件で分かったことがある」
「何です?」
「お前は、面倒ごとを引き寄せる天才だ」
「ひどくないですか?」
「褒めてんだよ」
どこがだ、と凛は思ったが、レオンハルトは真顔だった。
「普通なら死んでる場面を、何回も生き残ってる。
しかも、周りも巻き込まずに、だ」
シルヴィオも小さく頷く。
「確かに……運がいいというより、
“そうなるように動いている”としか思えない」
凛は少し困ったように笑った。
「ただ、死にたくないだけですよ」
そして、誰も死なせたくないだけ。
夜が完全に訪れるころ、三人と一匹は簡単な野営を整えた。
今回は遺跡の外、少し高台になった場所を選んだ。
焚き火の前で、レオンハルトが串に刺した肉を焼きながら言う。
「それにしてもよ、リリアースの依頼……
これで終わりってわけじゃなさそうだな」
「ええ。異常発生源は一つ潰しましたが、
似たようなものが他にもある可能性は高いでしょう」
シルヴィオが地図を広げる。
「リリアース周辺では、他にも魔素濃度の異常が報告されている。
場所は……ここ、と、ここだ」
「分かれてるな」
「意図的に配置されていると考える方が自然ですね」
凛は地図を覗き込みながら、小さく呟いた。
「……実験、みたい」
「実験?」
「魔物がどう増えるか。
人がどう対応するか。
異物――つまり私みたいなのが、どう動くか」
焚き火がぱちりと音を立てた。
「全部、誰かの“観察対象”なんだとしたら……
気分はよくないですね」
アルヴィスが凛の肩に頭を擦り付ける。
『主様は、誰の玩具でもありません』
「うん、知ってる」
凛は小さく微笑んだ。
「だから……壊される前に、壊すだけです」
その言葉に、シルヴィオとレオンハルトは顔を見合わせ、
そして、同時に苦笑した。
「……厄介な子に出会ったもんだ」
「でも、悪くない」
夜空には、雲の切れ間から星が見え始めていた。
凛は焚き火の揺れる光を見つめながら、胸の奥で静かに決めていた。
(観測されるなら……
観測する側の想定を、全部、壊してやる)
それが、この世界で生き残るための、
凛なりのやり方だった。




