新しき鞴
麓の集落では、信徒たちが空を見上げていた。
風が、吹いていた。山の頂から下りてくる風。それは、彼らが何百年も待っていた「すべてを吹き飛ばす風」ではなかった。けれど、もっと別の何かだった。畑の土を、柔らかくする風。風車を回す風。乾いた喉に、新しい息を送る風。
「フィーナ様だ」
老女が、呟いた。
「あの子が、山に登った。そして風を起こした」
「でも、あの方は魔力を」
「魔力じゃない」
老女は、首を振った。杖をついて山を見上げた。
「あの子は、鞴を踏んだのだ。ただ鞴を。……それだけで、風は起こる。精霊は訪れる。あの子が、その場にいたから」
集落の若い者たちが、畑に出始めた。風車が回り始めた。粉を挽き、水を汲み畑を耕す。風が、彼らの背中を押していた。
*****
フィーナは、祠の前に座っていた。
鞴を踏み続けて、三日が経った。魔力は空っぽだった。けれど、鞴はそばにあった。風はまだ吹いていた。祠の崩れた屋根が、少しだけ修復されていた。風が、石を運び隙間を埋めていた。
「シルフィード」
「なんだ」
「ありがとう。……私は、しばらくここにいる。祠を直す。それから、麓に鞴を教えに行く。風を待つんじゃなくて、風を起こす方法を」
シルフィードは、祭壇の上で頷いた。
「それがよい。……お前たち四人は、本当に、面白いな。炎は燃やし水は待ち、風は起こし大地は打つ。それぞれ、やり方が違う。けれどどれも、精霊を所有しようとはせぬ」
「当たり前だよ。……友達だもん」
フィーナは、笑った。鞴をそっと撫でた。
「ねえ、シルフィード。一つ聞いてもいい?」
「なんだ」
「光の精霊と、闇の精霊っているの?」
シルフィードはしばらく黙っていた。風が、祠の中をそっと通り抜けた。
「いる。……だが、彼らは、四大精霊とは違う。我らは媒を得て訪れる。けれど、光と闇は媒を必要とせぬ。彼らは、ただそこにある。昼と夜のように。……お前たちが、彼らに会うことはないかもしれぬ。けれど、彼らはお前たちを見ておる」
フィーナは、空を見上げた。青い空。その向こうに、光がある。そして夜には闇がある。四大精霊の、さらに上。至高の光と闇。
「そっか。……じゃあ、いつか、会えるといいね」
「会えるさ。……お前たちが、その資格を持つならな」
シルフィードは、風の中に溶けていった。最後に、こう言って。
「またな、小さき者。……鞴を、大事にせよ」
フィーナは、一人、祠に残った。風が吹いていた。鞴が、そばにあった。彼女は立ち上がった。祠の修理を、始めよう。それから麓へ下りて、鞴を教えよう。風を起こす方法を。
空は、どこまでも高かった。風はまだ、彼女の髪を遊ばせていた。




