第3話 魔法使いの女の子
「異世界ってめっちゃ綺麗だぁ! あはは、最高過ぎるよぉぉ!!」
人間が住んでいるとは考えられない雄大な自然、草原で当たり前に生息している幻獣の数々、中世ヨーロッパを彷彿とさせるレンガ造りの街並み。目に映る全てを疑いたくなるほど壮観な景色が広がり、この世界はこんなちっぽけな私にこの上ない感動を与えた。
緑と青を中心とした色彩が網膜に飛び込んできて、前の世界の現実感と乖離した幻想的なリアルがこの異世界にはあった。
次々と私を襲ってくる歓喜の嵐は止まる気配がなく、むしろ勢いを増しながら世界が私を受け入れてくれている気がした。
一方私に抱えられているプニはこの高さに慄いたのか、私の腕の中で萎縮していた。そんなスライムの弱気な反応さえ愛らしく思える。まさに癒し系という言葉がピッタリなリアクションだった。
まだ転生してから1時間も経過していないのに、この世界に来た価値があったと思わせる出来事しかなかった。本当に何度も感じる、幸せだと。私は報われたんだと、そう思うだけで私の胸は高鳴っていった。
「風が気持ちいい……こんなに心地良い風に吹かれたのなんて、何年ぶりだろう」
私のスキルのような力の影響で急速に落下することはなく、ゆっくりと一定の速度を保ちながら滑空している。空の上から自転車を漕いで降りてきているみたいだった。
ツーリングするように周りの景色や感じる風を楽しんで、美術品を見るように幾度もじっくり鑑賞して感傷に浸った。
ただ私の至福の時間は風を切りながら近づいてくる轟音によって突然掻き消された。音が気になって周りを見渡したその時にようやくその音の正体を知った。
翼を広げて急速に接近してくる鱗の塊が私の目に飛び込んできた。緑の体表に鋭い目、先刻に見たばかりの巨大な竜がその巨躯にも関わらず猛スピードでこちらにやって来ていた。
「どどど、ドラゴンさんじゃないですか!?」
煌めく竜の黄金色の目が全てを物語っていた。この異世界でも生態系の頂点であろうドラゴンはその伸びた漆黒の爪と牙をチラつかせながら捕食の体勢に入っている。
深緑の鱗は艶があり、体全体のビジュアルは西洋竜の印象そのままの荘厳な姿で、翼は巨大であるのに軽々と動かして風に乗っている。
もはやその肉体は芸術品のような至高の姿で、私の想像通りの格好良く秀麗な身体であり──。
「──って、見惚れてる場合じゃなぁい!」
走馬灯の暴発か、それとも死を前にして私の脳が現実逃避したのかは分からないが、意識が逸れながらただ呆然とドラゴンのことを見ていた。
しかし私が打開策を考えていたにしろいないにしろ、これ程の重量とスピードに加えて異世界特有の異常な攻撃力を持ち合わせているドラゴンが相手。それも真正面からの接近と来た。どう考えても私に対抗策がなかった。
唯一腰に差した木剣が役立つかもしれないと判断しても腕にプニを抱えている上、恐怖で体が硬直して攻撃はおろか防御や回避の準備すら出来なかった。
そして私の眼前に黒の光沢が迫ってきた。
「あーヤバいこれ死──」
死を悟ったその時、突然の浮遊感が私の体を貫いた。また死んだのか、そう直感していた。
ただそれは錯覚だったことを直後に知った。
私が取り乱したせいか、それとも元々時間制限があったのかは分からないけど、さっきまで私を空で舞わせていたスキルの効果が切れた。
そのお陰で私を喰らおうとしたドラゴンの噛みつきは空振りに終わった。更に唐突の落下でドラゴンからは私が忽然と消えたように見えたらしく、死角になっている体の下を見ることなく少しキョロキョロしたらどこかへ飛んでいってしまった。
──ここまで冷静に分析できたのは私が死を予感したことで感情が脳に追いつかなかったから、そしてそれだけ思考できる時間が生まれるほどの高度に私がいたことを示唆していた。
その事実を理解してしまった瞬間、安堵が訪れる間もなく再び死の恐怖が私に襲いかかってきた。
綺麗だと感動していた青い空を見ながら落ちていくのは皮肉なものだった。
「……っ〜! うわあぁぁぁぁぁぁぁ!!」
プニを強く抱きしめてながらあるはずの無い何かにしがみつこうともがいたけれど、私に与えられたのは急降下している感覚と、うるさいだけで私を取りこぼしていく風だけだった。
「ィィィィッ……!!」
歯を食いしばって恐怖に耐え、震えながら声のような音を口から吐き出す。
感情の波と落下する感覚という刺激があるだけに、恐怖が先よりも何倍にもなって到来する。息苦しさと暴風の中、今度こそと私は死を鮮明に感じ取った。
思考が吹き飛び私の中の何もかもが白になったその刹那、どこからか透き通るような乙女の声が私の鼓膜を震わせた。
「ローア・バルバトスッ!」
その声が聞こえると、私から落下の感覚は消え去った。
短時間での感情の起伏で疲れてしまったのかぼうっとしたまま、私は首にガクンという衝撃が伝わるのを受け入れた。
私の臓腑が上に持ち上げられた事が分かったと思えば、直後には背中が優しく短い草に触れたことを確認する。
放心状態となったままフリーズしていると、体を軽く揺すられ声を掛けられた。
「ねぇ貴女、大丈夫なの? ドラゴンに襲われてた上にあんな高いとこいて……」
急降下した影響で膨張した鼓膜が徐々に音を拾い始め、呼吸も落ち着いてきて意識や思考力が正常に戻っていく。
空の蒼を映していた目のピントがようやく調整されて、私の顔を見つめて心配そうな表情を浮かべる乙女の姿を捉えられた。
年齢は私より少し年上でおそらく17ほど、髪は茶髪のロングヘア。赤と紫を基調とした上着とスカートを着て、頭には先の尖った帽子を乗せている。
衣服の所々には宝石のような装飾品が付けられて異世界の女の子らしい可愛い姿をしていた。
その乙女を見ると思わず、助かったことに対しての安堵や彼女への感謝の言葉よりも先に間抜けなコメントが口から出てしまった。
「ま、魔女っ娘だっ……!」
「……?」
異世界で出会った最初の人間がこんなに可憐で慈悲深い乙女だった私は中々ついているかもしれない。私ラッキー、奏ちゃんグッジョブ、そしてこの女の子にありがとう。




